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睨み合いは暫く続いた。が、やがて撃退士らは視線で合図を交わし、彼方、巨躯のディアボロに向かって走り出す。立ち尽くすヴァニタス・小虎の横を抜けて。
妨害は無かった。一瞥も無かった。
興味を失ったからではなかった。ディアボロを過信しているからでもなかった。
うねる彼女の視線は、眼前の青年――影野 恭弥(
ja0018)から一瞬たりとも逸れることがなかった。
純白の拳銃を携えた右手が持ち上がる。
「小虎、そろそろ決着を着けよう。いい加減、俺も次のステージに進みたいんだ」
「次、ねェ……」
大業に息を吐き、小虎は肩幅に足を開く。
「……あるといいなァ?」
立ち込める土煙と、僅かに零れる天井の欠片。その只中で恭弥と小虎は見つめ合う。
一触即発の雰囲気に当てられながら、藤村 将(
jb5690)は顔の周りの埃を払い、半歩下がった。
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「くそー、めんどくさいなう(;´Д`)!」
「ほんまやなあ」
ルーガ・スレイアー(
jb2600)の言葉に相槌を返し、でも、とゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は続ける。
「戦え、か……ま、シンプルでええ啖呵やったわ」
妖しく瞳を滾らせるゼロの隣で、ルーガは忙しなくスマートフォンに指を滑らせる。
「ファッ!? やっぱり今日だー!? 好きな生放送主の放送があるから早く帰らないと!!」
「……結構余裕あるんやな」
「妙じゃありませんでしたか」
併走する雫(
ja1894)の言葉に反応し、影野 明日香(
jb3801)が視線を送る。
「何か、焦っているような……」
「連敗中って話だからね。いよいよ後が無いんじゃないかしら」
「……それだけ、でしょうか」
「違うかもね」
一度だけ肩越しに弟を振り返り、すぐに切り替えて前を向く。視線の先では象に似たディアボロが、長く太い鼻を振り翳していた。
「援護に徹するわ。頼むわよ!」
「そーれ、ばさぁっとな( ´∀`)!」
「さあて、何処狙ったろかなあ!」
上空へ、側面へ展開する仲間を見遣り、雫は鉄塊のような大剣を携える。
●
「行くぜ」
告げた時には動き始めていた。固めた右の拳を引いたまま小虎は跳躍、勢いそのままに拳を振り降ろす。恭弥は冷静に下がってそれを回避。ぶん、と土煙をかち割る小虎の拳。見送る暇などない。見送る暇など与えない。すぐさま小虎は踏み込み、掬い上げるように左腕を振るった。手のひらに集った無色透明の威圧感が塊となって恭弥を襲う。だが、それが奇襲の役割を果たすには、余りに何度も見せ過ぎていた。挙動から軌道を予測、軸足を大きく下げて屈み込むと、衝撃波は彼の頭上を通過、積み重なった機械の山に激突し、破片を炸裂させた。
降り注ぐ飛礫に一切の関心を払わず恭弥がトリガーを握った。銃口から飛び出した白銀の弾丸は迷いなく小虎の大腿部に喰らい付く。
「ッ……!」
歪む視界の端で影が走る。
視認した時にはもう遅い。滑り込んできた将の、腰の入った正拳が小虎の顔面を捉えた。充分な手ごたえを受け口角を歪める彼の拳の先で憤りに濡れた双眸が見開かれる。
「いッてェなァ……ッッ!!」
拳を引こうとする。だが動かない。手首はいつの間にか、がっしりと掴まれてしまっていた。みし、と骨が軋む。
次の瞬間、目に映るもの全てが射線となり、視界が反転する。技も何もなく、力だけで放り投げられてしまった。
塵だらけの床に、それでも将は辛うじて着地する。そしてすぐさま、手元に転がっていたアクリル板を、回転を加えて投げ付けた。狙いは小虎の顔、上半分。
しかし小虎は、その高速で飛んでくる透明の板を難なく掴むと、脚を軸にして回転、勢いを更に上乗せして投げ返した。将は咄嗟に跳躍、横、機械の陰に隠れる。ばん、と雑な音が耳をつんざいた。
回避された苛立ちよりも、じくじくと痛む太腿の傷が癇に触った。同じところを狙われ続けたら危ない。そして現に、恭弥の照準は患部に合っていた。
発砲。同時に跳躍。
射出された弾丸を、猫さながらの身のこなしで躱した小虎は、やや離れた位置に着地する直前、転がっていた機械に手を置き、全身のバネを総動員して投げ飛ばした。恭弥はこれを脇へ転がり込むようにして回避、一度だけ、一瞬だけ銃口を逸らした。
小虎は彼方を一瞥、将の動きがないことを確認してから追撃に向かおうとする。体勢を崩した――ように見えた――今しかないと、必殺の念に押されながら重心を傾けた。
次の瞬間。
ゴッ――!!
小虎の脳天と額の中点を硬いものが強打した。充分な加速と、存分な体重が乗った一撃は、小虎の体勢を崩し、
「ッ……!?!?!?」
混乱させた。誰が、何処から、何をした。
だが、熟考する間も、手で探る暇も与えられない。
――――!
――――。
合図を受け、恭弥がトリガーを握る。正確に定められたそれは先程と同じ部分に寸分違わず着弾した。
「ぐォ……ッ!?」
呻きながら、小虎は違和感を覚える。
傷の質が違う。
今までの傷が赤々と焼かれた釘で刺されたものだとすれば、今回の傷は、内側を細かく齧られ続けているようなものだった。痛く、痒く、熱く、煩い。
「テメェ……ッッ!!」
「卑怯とか言うなよ。お前に逃げられるのはもう懲りたんだ」
「……だァァァァァァァァァ――」
残った脚で
「――ァァァれが逃げるかァああああァァああああッッッ!!!」
床と平行に跳ぶ。移動というよりは現象に近い速さだった。瞬く前に恭弥の眼前に至り、押し込むように腕を突き出す。
恭弥は咄嗟に左腕を翳す。効果は僅か、刹那も持たずに背後、機械の山に叩き付けられてしまう。肘が明確な絶叫を上げ、しかし彼は顔色一つ変えない。
涼しいままの表情に、憤怒一色の顔面が激突してきた。技とも攻撃とも呼べぬ、子供の駄々のような『体当たり』。
腕を捻じ曲げられ、砕けた鼻から血を零し、眼前で猛られて、それでも尚、恭弥の表情は曇らない。どころか――
「(……こいつ……ッ)」
――ほんの微かに、笑っているようにも見える。
小虎がその真偽を確かめるより早く、彼女の胸元に添えられた銃口が、立て続けに3度火を噴いた。
「――ッ! ッ!! ッ!!!」
体内で激痛が渦巻く。
「効いたろ。逃げるなよ」
言葉は届いただろうか。
恭弥が言い切ると同時、小虎は彼を我武者羅に放り投げていた。床に激突、受け身は最小限しか取れない。更に跳ね、彼は派手な音に紛れて機械の山に埋もれてしまう。
「いッてェ……ッ!」
患部を抑え、苦しむ小虎の脳天に、再び直刀が振り降ろされた。突きに特化した得物に因る、斬ではなく衝を旨とした一撃は完璧に、完全に命中する。
頭を垂れ、よろめく小虎に将が迫る。
「こっちだ」
頭痛と眩暈と耳鳴りの中で、小虎はなんとか反応する。体を向け、両腕を上げて防御の構え。
しかしそれこそ将の思惑。がら空きの、穴の開いた腹部に、腰の入った渾身の下突きが炸裂した。
身体を浮かされながら、小虎は反撃に転ずる。拒絶するように振り回した腕、その手の甲が将の頬を痛烈に引っ叩いた。悪路を転がり、受け身を取って立ち上がる将に、しかし小虎は顔を向けない。
彼女は、
有らん限りの力で声を張り上げ、辺りに衝撃波をばら撒き続けた。
狙いを定めぬ連打。
点に因る面制圧。
宛ら憤怒の氾濫。
そして。
残った『隙間』に一際巨大な衝撃波を放った。
それは機械に激突、一瞬で解体して見せる。
散らばる大小疎らな破片の中には、大柄な人影が浮かんでいた。
「やるじゃねえか……と言いたいところだが、気付くのが遅過ぎだな」
「ンの野郎ォ……ッ!!」
「なんなら指導してやろうか。いいとこも悪いとこも全部判るぞ。『ずっとじっくり見てた』からな」
久我 常久(
ja7273)は直刀を弄ぶ。彼の数メートル隣では、立ち上がった将が首を鳴らし、あごを上げていた。
喰らい付くように両者を睨む小虎の背後で、機械を押しのけ、血塗れの恭弥が立ち上がる。
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照準を最低限合わせ、ゼロが天井近くから射撃を開始する。『的』は余りにも大きく、また鈍重だった。
彼の逆サイドからルーガがバナナを投擲する。当たってべちゃり、と潰れる柔らかい物は肉体を穿つ弾頭よりもディアボロの神経を逆撫でた。長い鼻がぐい、と向けられ、先端から青白い魔力が放たれる。
ルーガは余裕綽々、笑みを浮かべて後退する。緩い放物線を描いていた魔法は、『道程に突然現れた』機械に激突、炸裂した。損壊し、青が強く打ちつけられた機械から彼女はにゅい、と顔を出す。おちょくるように首を揺らした。
猛ったディアボロが鼻を振り上げると同時、駆け込んだ雫がその胴体へ鉄塊じみた大剣を振り降ろす。武器越しに打ち込まれた巨躯の中で破裂する。ぐらりと揺れながら、ディアボロは鼻を振り回した。
明日香が二刀を構えて前に出る。交叉させたそれらで受け止めようと試みるが、力は強大だった。前に出ることで威力を無理矢理抑え、一瞬踏ん張ることに成功したものの、壁まで吹き飛ばされてしまう。
鼻で床を叩き、明日香へ向きを変えるディアボロ。
「行かせるわけないやろ!」
滑空してきたゼロがディアボロの死角から黒色の大鎌を振る。鋭利な先端は赤々と輝く瞳の傍らに突き刺さった。意識の外からの攻撃にディアボロは驚嘆する。ゼロはお構いなしに、思いの外硬い瞳を抉り取るように鎌を引いた。
暴れるディアボロの背に、機械を踏み台にして雫が飛び乗る。着地に合わせて広大な背、異様に盛り上がった中点へ大剣を突き立てる。確かな抵抗を強かに突き破り、巨大な一振りは深々と胴体に突き刺さった。
今日一番の咆哮が上がる。悶え、滅多矢鱈に鼻を振り回す。前後左右へ振られる頭に足を置き、ゼロは一思いに、眼球ごと鎌を引き抜いた。ごっそり抉れた横顔の奥、鼻は大きくしなっていた。
鼻が『背』に向けて振られる。
「……舐めくさりおって!!」
宙で踵を返したゼロ。背中には未だ顔を上げない雫。やがて鼻が振り上がる。
名前を呼ぶと顔が上がった。こちらの仕草を真似て手を伸ばしてくる。小さな手を取り、力任せに引っ張り、放り投げる。小柄な雫と入れ替わるように訪れた鼻の先端がゼロを狙う。苦笑を浮かべる彼を黒い鼻が弾き飛ばす。その光景を赤い瞳に焼き付けながら雫は着地した。
ディアボロは片目で獲物を探す。
補足したのは、彼方で腰を落とし、弓矢を構える金髪の悪魔の姿。
「ルーガちゃんの! ドーン☆といってみよーお( ´∀`)!!」
放たれた矢、そしてそれを包み込む厚い光は、辺りに塵を巻き上げながら右前脚に激突する。
支えの一つを強打され、大きくぐらつく巨体。駆け付けた『彼女』には患部の様子がよく見えていた。
「行かせるわけないでしょ!!」
星の煌めきを纏った直刀の一閃が、前足、傷んでいた部分を切り裂く。切り口は胴体の重みで勝手に開き、独りでに圧し折れた。
フロアを揺らしながら巨体が傾く。ディアボロは咆え、鼻を振り上げた。自分はまだ戦える、と宣言するように。
そこへ雫が駆け込む。狙いは鼻。仲間を彼方へ弾き飛ばした、忌むべき敵の得物。
ありったけの力を込めて鼻の根元に大剣を振り降ろす。そのまま自身の体重を全て乗せ、切り落とそうとした。しかし思いの他硬く、厚い。刀身は中ほどで完全に止まってしまった。
高い位置から赤い瞳が見下ろしてくる。彼女は一瞬顔を上げ、鋭く息を吐いて『攻撃』を続けた。
刃は進まない。
鼻の先端が彼女を見下す。
そこへ魔力が集い始めると同時、『飛び込んで』きたゼロが大剣の反対側から鎌で斬り付けた。
刹那、太い鼻は、ばん、という威勢のいい音を残して頭部から離れる。
床に転がり、びちびちと蠢く鼻を明日香が直刀で突き刺す。彼女を守るように雫が並び、笑みを湛えるルーガとゼロが彼女らの頭上を旋回した。
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振動はフロアの奥まで届いていた。将が横目で確認する。逆光を浴びたディアボロは当初より一段低くなっていた。あれはもう時間の問題だろう。そして、もしかすればこちらも。
視線を戻す。
足から、腹から、頭から血を流すヴァニタス・小虎。息は上がっていた。なんとか戻そうと肩を上下させるが、一向に良くなる気配はない。瞳も僅かに濁っている。変わらぬのはその奥の闘志だけ。
それがすい、と動き、背後を確認した。
正面から声が飛んでくる。
「盛り上がってるところ悪いが、一騎打ちなんかさせねえぞ。背中を向けた瞬間、ワシらは仕掛けるからな」
常久が短刀を向ける。その隣で、将が静かにあごを引き、拳を固めた。
息を吐く小虎。
背後から声が飛んでくる。
「逃げるなよ。俺か、お前。どっちかが死ぬまでこの戦いは終わらないんだ」
鼻を鳴らす。
「あァ言ッてッけど」
「サシで、とは言ってねえだろ」
「ッは、そりャそうだ」
開き直ったような声だった。
恭弥は合図と受け取った。
魔具を持つ手に色が寄る。自身の身体から流れる赤。辺りに零れた仲間や敵の赤。誰の物か判らぬ黒。それらが、彼の必殺の意志の下に馳せ参じてくる。
小虎は正面、自身の足元近くに衝撃波を放った。
間欠泉の様に天井を目指す土煙と瓦礫を見、常久と将は前に出る。
「キョーーーーーーーーーーーーヤアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
将の拳が小虎の首の裏を叩く。仰け反り、しかし小虎は走り出した。
常久がその影ごと小虎の背を切り裂く。大きく前につんのめり、しかし小虎は止まらなかった。
常久が舌を打ち、将が静かに見守る中、距離は一瞬で縮まった。
鳴き声のような絶叫が轟き、打ち崩すような軌道で拳が振り降ろされる。
恭弥は避けなかった。ただ全力で迎撃に備え、遂行した。その結果当たらなかったに過ぎない。
引くように振り上げられた赤黒い鎌が役目を終えて霧散する。
力を使い果たし、恭弥はその場に膝を付く。
彼に、まず大量の鮮血が降り注ぎ、次いで、腰の端から肩口までをばっさりと裂かれた小虎が倒れ込んだ。
「もう逃げるなよ」
「……クソッ…‥」
「なあ」
「ァあ……?」
「別の出会い方をしていれば、別の結末があったかもな」
「……ッハ」
バカ言え。小虎は微かな力で恭弥を押し、床に仰向けで倒れた。
「アタシはお前が大ッ嫌いだ」
そして、
「……姉ちゃん――」
呟いて、それきり、二度と動くことはなかった。