●開演前
既に子供たちは入場し、席についている。
10人は舞台袖で円陣を組んでいた。
無言で手を重ね、一番上に凪澤小紅(
ja0266)が手を置く。
「行くぞ!」
「「「「「「「「「おうッ!」」」」」」」」」
力強い声を残し、面々はそれぞれの持ち場に散った。
●開演
天井の照明が落ち、会場を闇が包む。
舞台の端、マイクを手にした雨宮キラ(
ja7600)にスポットライトが当たる。
歓迎の拍手に彼女は一礼し、口を開いた。
――昔々、あるところに
感情の籠った優しい声が会場に響き渡る。
四条那耶(
ja5314)の操作で幕が開く。
二階堂かざね(
ja0536)、名芝晴太郎(
ja6469)、マキナ(
ja7016)、ジェイド・ベルテマール(
ja7488)が大きな山の書き割りをステージの中央へスライドさせる。
――おじいさんとおばあさんがいました
小紅がスイッチを押し、音楽を流す。
客席で誰かが声を上げた。ほんとだ、と波紋は広がっていく。
音楽は、子供らに大人気のゲームで流れるものだった。小紅は事前に孤児院の職員に聞き込みを行い、趣味を合わせておいたのだ。
――おじいさんは山へ芝刈りに
ステージの左半分の照明が灯る。と同時に、平山尚幸(
ja8488)演じるおじいさんが腰を曲げたまま舞台袖に捌けていった。
――おばあさんは川へ洗濯に行きました
右半分の照明が灯り、座り込んだクラリス・エリオット(
ja3471)がステージに浮かぶ。
かわいい! と客席から声が届く。彼女はほころびそうになる表情を懸命に引き締めた。
――すると、川の上から
桃の書き割りに隠れながら、ちょこちょことソフィア・白百合(
ja0379)が舞台に向かう。
――大きな桃が、どんぶらこ、どんぶらこと流れてきました
桃の動きが愛らしく、子供たちは手を叩いて笑った。
「(こやつ……私よりウケるとは……!)」
晴太郎がトランシーバーを握る。
「状況イエロー。オーバー」
「了解。雨宮さん、臨機応変に。オーバー」
小紅の通信を受け、キラが髪を触り了承の意を伝える。
――それを見たおばあさんは
「おお、立派な桃じゃ。持って帰っておじいさんと食べるのじゃ……が」
ゆらり、と立ち上がるクラリス。
手に握るは洗濯板。
「(え!? こんなの台本にありませんでしたよ!?)」
「ちと大きいの――」
「(ちょ、待って!)」
「――じゃ!」
――桃に洗濯板を振り下ろしました
カンッ!
――しかーし! さすが桃太郎! 間一髪でおばあさんの攻撃を受け止めました!
つばぜり合いの向こうでソフィアの笑顔が引きつっていた。
「ありがとう、おばあさん。おかげで目が覚めたよ!」
那耶がライトを点ける。
舞台の端、丸い光の中で、尚幸が腰を入れて腕を振った。
「なんでやねん」
どっ
会場に爆笑の渦が巻き起こった。
――こうして、おばあさんと意気投合した桃太郎は
キラを照らす照明以外が全て落ち、ステージに闇が降りる。
――おじいさんとおばあさんの家へ招待されたのです
最後の照明も落ちる。
真っ暗になった客席が水を打ったように静まる。
静寂を破ったのは、ゆったりとしたおじいさんの語り。
「いいかい、桃太郎。決して村に降りてはいけないよ。
村には、鬼が出るからね」
刹那、舞台の奥に特大の光が飛び込んだ。
その中に、三体の鬼の影が浮かぶ。最大まで口径を開いたライトの前に、那耶が用意しておいたセロハンを出したのだ。
「鬼に出会ったら、おまえもさらわれてしまうよ」
セロハンを台本であおぐと、鬼の影が陽炎のように揺れた。
そこへ小紅が効果音を合わせる。ゲームでボスと戦闘するシーンで流れる重厚なBGMだ。
キラが固唾を呑む。これ以上演出が続けば、泣いてしまう子供が出てしまいそうだ。
「大丈夫!」
絶妙なタイミングで桃太郎が立ち上がった。
那耶がセロハンを外し、小紅が勇猛な曲に切り替える。
桃太郎は客席に向き直り、高らかに拳を突き上げた。
「安心して! 僕が行って、鬼たちをこらしめてくる!」
わあああああああああああああ!
喝采が衝撃となってソフィアの全身を叩いた。
百を超える羨望と声援を一手に受けた彼女に、きび団子が入った袋を携えてクラリスが歩み寄る。
「桃太郎、これを持っていくのじゃ。私はきび団子に定評のある……?」
ソフィアは緊張で硬直していた。
マキナが慌てて通信を飛ばす。
「状況レッド。オーバー」
――こうして、桃太郎は鬼たちが出るという村に向かいました
那耶はスポットライトを消した。
「しっかりするの、じゃ!」
「ふぁいっ!」
クラリスと尚幸が捌けたのを確認してからステージの照明を点ける。
軽快な曲を受け、桃太郎はその場で足踏みを始めた。
右手と右足が同時に上がっている。
――桃太郎が歩いていると……
「あうっ」
ソフィアは足をもつれさせ、転んでしまった。袋から零れたきび団子がころころと散らばる。
顔を真っ赤にして硬直するソフィア。
客席に落胆と失笑が広がる――より早く、
「いーもんもってるじゃないですかー!」
犬耳と尻尾を付けたかざねがステージに駆け込み、オーバーにおどけた。ソフィアの前をスライディングで通り過ぎ、ころころと床を転がって桃太郎に寄り添う。
観客の視線を犬が独占した。
「これきび団子じゃないっすかー! ねーこれくださいよー! いいでしょー?」
「え、っと……」
「お、旨そう」
茶色の全身タイツに身を包んだ尚幸の猿が現れた。
「自分、きび団子の味にはうるさいよ?」
「私にもよこすのじゃー!」
両腕に羽の小道具、頭に雉柄のヘルメットを被ったクラリスがソフィアの上に飛びついた。
矢継ぎ早の展開に呆然となった客席へ、かざねが元気よく声を投げた。
「みんなからもおねがいしてよー! ミュージック、スタート!」
「了解、っと」
小紅がボタンを押すと、耳に馴染みのあるメロディが流れ出した。
――さあみんなー、このお歌知ってるかなー? 一緒に歌いましょー!
はーい!
もーもったろさんもっもたっろさん!
おっこしーにつーけたーきーびだーんごー!
ひっとつーわーたしにくーださーいなー!
――さあ、桃太郎! どうしますか!?
桃太郎は、ゆっくり立ち上がった。
「……わかった。あげるよ。その代わり、一緒に鬼のいる村に行ってくれるかい?」
「いいおー」
きび団子を頬張った猿が答える。
犬が桃太郎の肩を抱き寄せた。
「あったりまえじゃーん! ぼくたちもう友だちなんだからさー!」
その影から雉がひょっこりと顔を出す。
「か、勘違いされては困るのじゃ! あくまで団子のお返しなのじゃ!」
「みんな……ありがとう。
よし、行こう!」
「「「おーっ!」」」
――こうして、桃太郎は犬、猿、雉と友達になり、鬼のいる村へ向かいました
三人に囲まれ、桃太郎は幕の向こうに姿を消した。
暖かい拍手が暫く会場に鳴り響いた。
しかし。
ダンッ
無機質な効果音が飛び、照明が一瞬で全滅すると、それはぴたりと止んだ。
――あれ?
声を『素』に戻してキラが言う。
それが合図だった。
「うおー!」
「があー!」
会場の中ほど、左右から何者かが現れた。
那耶が二つのライトを同時に操作し、それぞれを照らす。
子供たちは悲鳴を上げた。
現れたのは、異形の面に角を生やし、虎柄の袈裟を着た鬼だった。マキナが扮するは、全身を赤に塗った筋骨隆々の赤鬼。対して晴太郎は青を全身に塗りたくった細マッチョな青鬼。
暫く左右に分かれていた観客の視線は、
「こんなところに人間がいるじゃねぇか」
突然ステージから発せられた大きな声で、一斉に前を向いた。
二つのライトがステージの人影を捕らえる。
そこにいたのはジェイド扮する鬼の頭領。面は一回り大きく、体には鈍く輝く鎧を纏い、手には大振りの曲刀を携えている。
客席の方々で泣き声が上がった。
「泣くな泣くな。別に取って食やぁしねぇよ」
おい、とジェイドが曲刀を掲げると、赤鬼と青鬼は泣いてしまった子供に駆け寄り、お菓子を手渡した。それを見た周りの子供らが、口々にいいなー、と声を上げる。
「どうだ、俺等と一緒に来りゃ、美味い飯をたらふく食えるし、素敵なお宝だってあんだぜ?」
言いながら頭領は舞台を降り、最前列に座る男の子の前に立った。
「さぁ、俺等と一緒に来やがれ」
男の子は体を強張らせ首を振った。
「そうかい。まぁ……嫌だっつっても連れて行くんだがよぉ!」
――みんなー! 大きな声で桃太郎を呼びましょう!
――せーのっ!!
ももたろーーーー!
バンッ!!
客席の後方、最上段の扉が荒々しく開き、
「そこまでだ!」
桃太郎一行が飛び込んできた。
「お前たちがさらった子供たちを返してもらいに来た! 観念しろ!」
耳が痛くなるほどの歓声と声援を浴び、桃太郎一行は走り出す。
「ちぃっ! おめぇら、こっちだ! ガキどもに怪我させるなよ!」
中央から幕が裂け、鬼たちは次々にその中へ隠れる。桃太郎たちも後に続き、消えた。
やがて幕が開き切る。
まず、音楽が流れた。子供なら誰もが知っているアニメのオープニングテーマだ。
曲の前奏が終わると同時、舞台の照明が一斉に息を吹き返す。
まばゆい照明の下、桃太郎一行と鬼たちはそれぞれ左右に分かれて対峙していた。BGMも相成り、とうとう席を立って応援する子供まで現れた。
手斧を携えた赤鬼が前に出る。
「お相手しましょう」
鬼の前に猿が立ちはだかった。
赤鬼は咆哮、手斧を大きく振り被り、猿の顔を薙ぎ払いに掛かった。
しかし猿は膝を曲げて斬撃を回避、その姿勢から踏み込んで赤鬼の腹部に中段突きを放つ。
直撃を許した赤鬼は
「ぐぉぉぁあああぁ!」
ド派手に転がりながら舞台袖までぶっ飛ばされた。
さる、つえー!
「よくも!」
青鬼が舞台の中央に向かう。それを迎え撃つは
「すぐにあとを追わせてやるさ!」
シャドーを繰り出す犬。
青鬼は眉をひくつかせ、深呼吸してから突撃、手にした両手柄の剣を振り下ろした。
犬はそれをひらりと躱し、
「甘ーい! くらえ、わんこぷたー!」
回転、対に結んだ髪を振り回す。
遠心力で服の裾がふわりと舞い上がる。
「わきばら゛ッ!!」
髪が顔を撫でると同時、青鬼は鼻血を噴き出して仰向けに倒れた。
ツインテールすげー!
きょとん、とする犬を隠すように桃太郎と雉が中央に出る。
「残るはお前だけだ!」
「上等じゃねぇの……」
鬼の頭領が呼応する。その陰で赤鬼が青鬼を回収した。
「来やがれ!」
「はあっ!」
気合一喝、高速で展開される、実戦さながらの殺陣。
目の前の激しい打ち合いに、客席は今日一番の盛り上がりを見せる。
――みんなー! 桃太郎を応援してあげてー!!
もーもったろ! もーもったろ! もーもったろ!
声が上がる度に、桃太郎が目に見えて有利になる。
「こ……んのぉッ!」
頭領が起死回生の切り上げで桃太郎の刀を弾いた。
がら空きになった桃太郎を目指し頭領が前に出る。
「させんのじゃ!」
雉が体当たりでそれを食い止めた。
いっけー!
桃太郎の体から温かい光が溢れる。
「応援してくれる皆のためにも……」
それは彼の周りを旋回してから背中に向かい、翼を模した。
「僕は、負けない!」
大歓声の中、桃太郎がありったけの力を込めて刀を振り下ろす。
ザシュゥッ!!
「ぐぅっ!」
斬撃の効果音を受け、頭領は刀を落とし、よろめきながら下がった。彼の後ろでは赤鬼と青鬼がうずくまっている。
会場が揺れるほどの拍手と喝采。
それが治まるのを待ってから、桃太郎は頭領に尋ねた。
「どうして子どもたちをさらったんだ?」
頭領が顔を逸らして舌を打つ。
「っせーな、鬼が友達作っちゃ悪ぃかよ」
「俺たち、怖い顔をしているでしょう? だから、誰も遊んでくれないんです」
「でもどうしても遊びたくて……それで子供をさらっていました。本当に、ごめんなさい……」
両手で顔を覆う赤鬼。ひくつく彼の肩を青鬼が優しく支えた。
「俺等だって、皆と一緒に遊んだり飯食ったりしてぇんだよ!」
「そういうことだったんだね……」
桃太郎は刀を鞘に納め、ステージの前方に移動した。
「みんな!
僕はさっき、3人の友達に助けてもらってここまで来ることができたんだ!
だから友達の大切さも、友達が欲しいって気持ちも、すごくわかる!
みんな、鬼たちを許してはくれないかな?
鬼たちと、それとできれば僕たちと、友達になってくれませんか!?」
いいよー
ぽん、と上がった声をキラは見落とさなかった。
――ほんと? 友達になってくれるの?
いいよー!
――ほんとに? じゃあ……みんなで遊んじゃう?
あそぶー!
「あっりがとー!」
大きな声を出し、喜色満面のかざねが客席に向かって跳んだ。
「そこまで言うなら仕方ないのじゃ!」
「この猿様に勝てる子はいるかな?」
クラリスと尚幸が続く。彼らが降りた場所にはたちまち背の低い人垣ができた。
「俺等も負けてられねぇ!」
「うん! さあ、俺たちのお菓子をみんなに分けるよ!」
「僕のきび団子もあげる!」
子供たちは呼びかけられ、続々とステージに押し寄せてくる。
「ああ、たくさんありますから順番に並んでくださいね」
「わーい! うちも遊ぶー!」
キラがマイクのスイッチを切り、子供らの輪に飛び込んだところで、小紅が穏やかなBGMを差し込んだ。
舞台袖でほっと息をつく彼女に那耶が合流する。
「お疲れ様でした。お見事です」
「そっちこそ。完璧だったよ」
二人は高い位置で手を打ち合った。
●公演後
孤児院の職員の号令で子供たちが席に着く。
10人はステージに並ぶよう指示されていた。
子供らに笑顔で手を振っていると、やがて11人の子供らがステージに上がってきた。
向かい合うように並ぶ。
中央の子供が一歩前に出た。
「きょうは、たのしい劇をみせていただき、ありがとうございました!
おもしろかったし、おともだちもいっぱいできたので、とってもたのしかったです!」
10人の子供が歩み出る。
「みなさんに、わたしたちからプレセントがあります!
いっしょうけんめいつくったので、うけとってください!」
子供たちは精いっぱい背伸びして、メダル型のお守りを首にかけた。厚紙と紙テープで作られたそれには、色鉛筆やクレヨンで描かれた装飾が散りばめられている。
「きょうはありがとうございました!
また、わたしたちとあそんでください!」
子供たちは行儀よく礼をし、席に戻っていく。
「っ……」
彼らが全員席に戻ってから、ソフィアはマイクを顔に近づけた。
「こちらこそ……」
呼吸を整え、溜まった涙を零さないように。
「……本当に、ありがとうございました!!」
だが、溢れてしまう。
彼女は慌てて、頭を深く下げた。
9人がそれに続く。
会場中の小さな手のひらが力いっぱい打ち合った。
たくさんの思いを込めた拍手は、会場にいつまでも、いつまでも鳴り響いた。