●
形の良い指がつい、と上を向くと、足元に積み上がった瓦礫の山が震えた。刹那、離れた地面から杭の林が乱立してくる。辺りに木片を撒き散らしながら。
舌を打ち、久遠 仁刀(
ja2464)は一歩後退、その勢いを殺さぬまま純白の大太刀を振るう。宿った光は軌跡の中で更に膨張、剣閃と成って杭を薙ぎ払う。
鼻を鳴らす大虎の周囲で、展開していた蜂型のディアボロが行動を開始する。だが、その出かかりに――
「やらせないよ」
「させません!」
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)とレグルス・グラウシード(
ja8064)が仕掛ける。特大の火球が、無数の彗星が、それぞれ左右の群れをごっそりと呑み込み、消し飛ばしていく。
蜂は数を頼る。辛うじて生き残った同族の下へ駆け寄り、新たな編隊を作り上げる。しかしそれを見逃す撃退士でもなかった。
「……逃がしません」
機嶋 結(
ja0725)が翳したロザリオから放たれた光が群れを押し流す。
光の彼方から赤が駆ける。それは光を掻い潜り、金色に変じた。
大虎と目が合う。どちらが早い。だが止まる訳にはいかない。
刃圏に捉えるなり、握り慣れた刀を振る。喉笛を狙った神速の斬撃は、しかし、大虎が翳した手から唐突に現れた黒塗りの杭に阻まれてしまう。
硬質な音に溜息と笑みが混じる。
「前会った時に言ったこと、覚えてる?」
「次は勝てる、でしたっけねえ?」
「あんまり約束は違えないようにしてるんだ」
杭の向こうで手が動く。
「吐いた唾呑まんといてくださいねえ!?」
平から突き出る杭に、神喰 茜(
ja0200)は靴裏を合わせる。そして杭の挙動に傾注し、そのまま上昇、最高度に到達すると同時に跳躍、幾らか痺れる脚で着地して見せた。
「なるほど、このタイミングか」
青筋を浮かべる大虎に口角を僅かに吊り上げる。
視界の隅でレグルスが行動を開始していた。
炸裂する光と激突する敵意は紛うことなき戦闘の証。
蛾の成りをしたディアボロも腹を括る。休んでいる場合ではない、と。
丸まった頭の先、幾つか並んだ瞳に、立ちはだかる3つの人影が映り込んだ。
「来いよ、羽虫。相手してやる」
「此処を通すわけにはいきません。全力で参ります」
踊る指と翳される純白の直刀。呼応するように蠢く円筒状の不気味な口と巨体。
山里赤薔薇(
jb4090)は胸の前で拳を握る。
「(なんとなくだけど、わかる)」
目の前の敵が、背後の敵が、この戦況に於いてどれだけ倒さなくてはいけない相手なのか。
「(絶対に負けないの)」
戦局や仲間の為に、そして――
「(……負けちゃいけないんだ!)」
自分の為にも。
彼女の瞳に強い光を見出し、ミズカ・カゲツ(
jb5543)とジャスパー・クリムゾン(
jb7167)も動き出す。
「ヴァニタス!!」
サイドに回り込んだレグルスが叫ぶと、大虎は顔を上げながら振り向いた。
振られた腕から何かが飛ぶ。それは破片や塵の中をひらひらと進み、彼女の下まで辿り着いた。
手にして一瞥。
笑顔に白い歯を浮かべた筋骨隆々の男が映っている写真だった。
「お望み通り! 『筋肉質な方』のを持ってきましたッ!」
「あらあらまあまあ。これはこれはご丁寧にどうもお」
「もしくは……ダンディなおじさまのほうが好みですか、冥魔!!」
同じ軌道でもう一枚飛んでくる。そこにはスーツを着込んだナイスミドルがポーズを決めていた。
大虎は相好を崩し、
「重ね重ねどうもお。
では、私からもお礼をさせてくださいねえ」
上を指さした。
あごを上げたレグルスの顔面に杭の面が墜落する。
それはお構いなしに伸び続け、彼を瓦礫の山に押し込んだ。
鼻を鳴らす。
「ちったあ空気読みやがれってんですよお」
彼のように。いい顔をしそうな彼のように。
得物を担いだ小柄と言える体躯は瞬く度に大きくなって来る。
二枚のブロマイドを纏めて握り棄て、大虎が腕を上げる。
仁刀は止まらず、僅かに刀身を傾けた。
直後迫り来る杭。右上から訪れたそれに、仁刀は冷静に刃を『滑らせる』。衝撃を和らげながら、彼は邁進した。
大虎が追撃する。背面、足元、左右から一本ずつ、腰と背中を狙い来る。
横目で察し、仁刀は判断、行動に移す。右から訪れたものを受け流し、左から訪れたものを『得物越しに受けた』。受ける衝撃を和らげながらなんとか飼い慣らし、仁刀は瓦礫の上を滑るように進んだ。
目を見開く大虎へ直刀を振り降ろす。挙動を見られており、また距離があった為、大虎の回避が間に合う、かに思えた。しかし仁刀の剣閃も伊達ではない。軽い手応えに顔を上げれば、白い刃は大虎の肩の一部を削ぎ落していた。
畳み掛ける。着地と同時に刀を引き、纏わせた光を放った。大虎は忌々しげに笑いながら両手を突き出し、無理矢理杭を発生させる。衝突する黒と白に互いは大きく弾かれ、仁刀は足全体で瓦礫を削りながら、大虎は高らかと上空へ退いた。
蛾の周りに漂う黒ずんだ霞へ、赤薔薇が、ジャスパーが、それぞれの炎を放った。矢継ぎ早に、広域に炸裂した紅蓮は蜂の群れを存分に呑み込んだ。だが淘汰には至らない。散り、集い、飛び回る。
「面倒だ」
ぼやき、ジャスパーは翼を広げて飛び上がる。そして構え、振った剣の軌跡から飛び出した龍の牙が、追ってきた群れを丸呑みにし、口内で焼き尽くした。
地上に残った大半の群れには赤薔薇が対応する。彼女の身の丈ほどもありそうな特大の炎は群れの中央付近へ直進、大いに爆ぜ、暴れ回った。
炎の畦道をミズカが駆ける。頭に生えた耳は忙しなく動き、辺りの様子を漏らさない。
狙われた蛾もただ座しているわけではなかった。図太い頭が身を反るようにして振り上げられた。そして彼女を顎で叩き潰すように振り降ろす。
ミズカは瓦礫に足を取られながら、転がるようにしてそれを回避する。つっかえた梁を務めていた木材を足掛かりにし、巻き上がった屑に紛れて滑るように背中へ。
蛾もそれを察知する。背なの羽を振り回し、必死に抵抗して見せた。しかし痛めていた羽は赤薔薇の炎に巻き込まれ、痛がっている間にミズカが残った羽の根元に刃を突き立て、引く。
ぶちぶちという耳障りな音に垂らした耳が不穏な気配を察する。
蛾の頭部、口の近くに魔力が集っていた。
それは見る見る膨張、後に圧縮され、ミズカが声を上げるより早く、そして彼女の声を蹴散らしながら、魔力の塊は愚直なまでに激戦区を目指した。
異変に気付いたのは結、そしてソフィア。あの威力偵察の折に見た一撃は間違いなく準備されていた。
踵を返し、縦を構える。傍らには結が付いた。
「援護します」
言葉を裏付けするように、突き出したロザリオに光が宿る。それは波紋のように広がり、やがて盾を模した。
その向こうから、無色透明の魔力の塊が飛んでくる。
瓦礫を撒き散らしながら驀進し、並んだ二つの障壁に激突した。肌を、肉を、骨までも痺れさせるような振動の衝撃が襲い来る。だが彼女らは懸命に耐えた。
耐え抜いた。魔力が弾け、爆心地を中心に突風が戦場を駆け抜ける。
衝撃と、腕の痛みからソフィアは膝を付いてしまう。そこへレグルスが駆け寄り、声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
言いながら傷を癒す。彼の頬には青あざができていた。
「あ、ありがとう」
「頑張りましょう……!」
言い残し、レグルスは悪路を駆けていく。
「使えませんねえ……」
爆発した魔力に対する率直な感想を漏らす大虎。未だ空にいるヴァニタスを茜が目指した。
民家の壁、くぼみに足を掛け、一気に蹴る。刀を握る腕に全神経を傾け、金色が空を昇っていく。
「うざったいですねえ!!」
迎撃の杭が放たれる。真っ直ぐ訪れたそれは茜の肩を強かに弾いた。しかし追い返すには至らない。
ならば、と次撃に備えた大虎の背を、
「させるかよ」
地上から伸びた、仁刀の光の剣閃が捉えた。完全な意識の外からの攻撃を受け、大虎は大きく仰け反る。そこは茜の刃圏の内側だった。
「行くよ」
鋭く息を吐きながら腕を振る。
瞬く間に放たれた五つの斬撃が大虎の胴体に叩き込まれた。
体中の傷、そして形のいい唇から血を零しながら、大虎は瓦礫の中に墜落する。
ありったけの力で攻撃した茜は上空で体勢を崩してしまっていた。自覚しているうちに地面はどんどん近づいてくる。不時着も覚悟したその時、視界に緑が駆け込んできた。レグルスは名前を呼びながら両手を広げて腰を落としている。茜は無理矢理姿勢を直し、レグルスの補助を受けながら着地した。手を挙げて感謝する彼女の傷を癒していく。
「やった、んでしょうか……?」
「さあ、どうかな」
願わくば、もう一手。
心躍るような一手を。
刀を握り直し、茜は立ち上がる。
蛾は大いに暴れ狂った。全身を、短い手脚を、千切れかけの羽を振り回した。
蜂を殲滅したジャスパーが見下ろす。背中にはまだ仲間の姿があった。舌を鳴らして降下する。
ミズカは手と刀を使い、懸命に耐えていた。柄を握った手のひらが擦れて酷く痛んだ。それでも彼女は耐え続けた。
「止めてみせる……!」
剣を携えた赤薔薇が走る。半ばほど燃え落ちた羽を切り進み、付け根に切っ先を突き刺した。
「戦いは――残酷にならないといけない時もあるんだ」
蛾の体内で電撃が炸裂する。
「甘えや躊躇はそのまま隙になっちゃうから!!」
成りに似合わぬ甲高い声を上げて蛾が背を反る。
持ち上がった頭部には、ジャスパーの炎の龍が激突した。衝撃で瓦礫の上に倒れた頭にジャスパーは着地、細かい歯の並ぶ口に剣を押し込み、更に炎龍を放った。
悶え、転がる蛾の背から飛び降りると、ミズカは純白の刀を構え直し、
「――この一撃で仕留めます!」
疾走、露わになった蛾の腹部を深々と切り裂いた。
もくもくと空を汚す煙は続いていた。揺れることも、途切れることもなく、黙々と続いていた。
結が構えた銃の引き金を握る。銃口から放たれた光は素直に煙の中へ届く――と、思われた。
だが、突如生え伸びた黒い杭がそれを止めた。
ソフィアが手を突き出す。花弁が螺旋を描き、続々と杭を襲う。あと一息で砕けるところまで至ると杭が増えた。それがもう一度続き、花弁と杭は今度こそ霧散した。
煙の中には人影が立っていた。
「――お前らなあ……」
人影。人の様な影。断じて人ではない。
「――お前らなああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」
茜とレグルスの足元が揺れる。ふたりは顔を見合わせることなく別々の方向へ飛び退いた。天高く巻き上げられる瓦礫とそびえ立つ杭の影に紛れ、両者は大きく迂回しながら移動する。
外したか。なら次は。
横から駆け込む仁刀へ片手を翳す。足元から発生した杭を、しかし彼は『蹴る』。
「その技は――」
「見えてねえだろオルァアアッッ!!」
もう片手から放たれた杭は、地面から足を離していた仁刀、その顔面を的確に捉えた。仰け反り転倒する彼を歯牙にもかけず、怒りに狂うヴァニタスは次の標的を見る。
結が駆けてきていた。
予想外のことだった。遠距離専門ではないのか。
その動揺を結は逃さない。一瞬で踏み込み、跳躍。布を巻いた拳を光らせ、大虎の脳天に振り降ろした。
窪むような手応え。
を、噛み締める間もなく、結の視界は闇に包まれた。
それは大虎の手だった。痛みと怒りに震える、人ならざる者の手のひらだった。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」
手のひらと顔面、その僅かな隙間から杭が出る。小柄な結の身体は容易く吹き飛び、悪路に転がり、しかし立ち上がる。
彼女の上を花弁が舞う。螺旋を描き、うねるように、ただ一点を目指して。
乱立する黒の敵意がそれを迎え撃つ。蹴散らされながら、削り崩しながら、どちらも退かない。拮抗する。
茜が走る。
大虎は舌打ち、欠けるほど奥歯を噛み締め、花弁を散らすように杭を撃ち払った。
茜の迎撃に移る。狙いは顔面。あの忌々しい面。
もう何本目になるだろうか、打ち出した杭は、しかし、降り注ぐ彗星に弾かれてしまう。
仲間の魔力の雨を掻い潜り剣鬼が迫る。
何もできない。何もさせない。
切り降ろし、薙ぎ払い、払い駆け。
顔を斬り、胴を刻み、腕を刎ねた。
「〜〜〜〜〜〜ッッッ!!」
視界の端で色が変わる。猛々しい金色は光となって弾け、穏やかささえ感じさせるような赤が台頭する。
したように見えた。
まだだ。
痛みを堪え、振り返る。
仁刀が迫っていた。
「お――ッ!!」
「終わりだ」
叩くように、打ち払うように、白を纏った剛刀が振られた。
弾けるような音を残し、得物は大虎を『抜けた』。
残された下半分がバランスを失い崩れ落ちる。
打ち飛ばされた上半分は遠くに落ち、ごろごろと転がり続け、瓦礫に引っかかって止まった。
「お……」
「終わりですね」
屈み込んだ結が大虎の眉間に銃口を添えた。
「……ああ……あー……」
ぱくぱくと口が動いた。
シャオ、シャオ。逃げなさい。あなたは、あなただけは。
言葉にならぬ思いは、言葉にならぬまま、結が放った銃弾に貫かれた。
●
「お疲れ様」
「あなたも」
労いの言葉を掛け合い、それぞれの得物を仕舞う結とソフィア。二人のもとに、蛾の討伐を終えた赤薔薇、ミズカ、ジャスパーもやって来る。
「橋の部隊も、無事討伐を終えたと、先程連絡がありました」
「勝てた、んですね、私たち」
「飽く迄この場は、な」
「大丈夫ですか!?」
満身創痍の茜と仁刀にレグルスが駆け寄る。ふたりは似たリアクションを返してきた。
「いやー、なんとかなったね」
「ああ。だが、まだ――」
仁刀の視線の先。
川向うにそびえる県庁から、空を震わせ地を這うような、圧倒的な咆哮が轟いている。