●中庭
高橋 野々鳥(
jb5742)は花壇に腰を降ろし、取り出した缶ビールのプルタブを引き上げた。
「ふふふ、たまにはお昼から飲むのもいいよね!
はいじゃあ今日も頑張った俺たちに乾杯!」
ぐびり、と喉を鳴らす野々鳥に佐藤 学(
jb6262)が慌てて駆け寄る。
「待って高橋君! 僕たちまだ何も頑張ってないよ!? 頑張るのこれからだよ!?」
訴えの甲斐もなく、野々鳥は独りきりの贅沢な酒盛りを全力で愉しむ。
学がチラリと審判を確認する。返ってきたのは、「始まる前に捨てればセーフ」を現すジェスチャー。
流石に始まる前から反則負けでは友人として立つ瀬がない。全身で安堵し、学は仲間――冬片 淡雪(
jb6032)を見遣る。
「ご、ごめんね、冬片君」
淡雪は静かに微笑み、首を振る。
「ですが、始まったら成すべきことを成しましょう。あなたたちも、僕も」
●教室
「よい……しょ、っと」
夢香・アルミナ・皐月(
jb5819)は粛々と『準備』を整えていた。一通りの作業が終わると、隅からひとつずつ指をさして確認。
「これで……いいかな?」
「こちらも整いましたわ」
皐月が振り向くと、アリアス・ファーレ(
jb7147)もすっかり『準備』を終えていた。
アリアスは暗がりの中で微笑んで紅茶を差し出した。皐月は受け取り、含み、彼女と同じ壁に寄りかかる。
「……勝てる、かな?」
アリアスはカップを傾けてから、少し長めの間を置いて、
「万全、というやつですわ」
と、口の端を持ち上げた。
●屋上
「おっこちないでよぉ?」
心配して見せるナハト・L・シュテルン(
jb7129)。彼女の言葉を余所に、ジャル・ジャラール(
jb7278)はフェンスの上を腕組みして練り歩く。視線は遥か下へ。中庭と校舎裏、その周辺を注意深く観察している。
「既に始まっておる。『目』はひとつでも多いほうがよかろう?」
それは確かに。頷き、ナハトは『呼ぶ』。
現れた桃色のヒリュウは高い声で鳴き、青空を大きめに旋回し出した。
それにしても、とナハトが振り返る。
「この学園、こんな事もあるんだねぇ♪」
ジャルは目を閉じ、鼻を鳴らした。
「偶には童の遊びも悪くなかろう」
辺りを強い風が吹き抜ける。それでジャルは更に気持ちを引き締めた。
●校舎裏
「缶蹴り、か」
上雷 芽李亞(
jb3359)がぽつりと落とすと、缶をつま先で弄っていた鬼哭 胡兎(
jb7242)がフードの下から視線を上げた。
「昔、子供らが遊んでいたのを見たことがある。
子供が生き生きと走り回る姿は、いつの時代も、大人を慰め励ますものだ」
「子供ってトシじゃないけどねー、ウチら」
「ふふ、確かに」
それに、と胡兎は続ける。
「やるからには勝たないと☆
遊びだって容赦しない、でしょ?」
「それも確かに。よろしく頼む」
芽李亞が踵を返す。
「はーい☆」
胡兎は缶を靴の裏で2度ノックしてから背中を任せた。
●
そして。
全てのエリアの審判役が同時に口を開いた。
●広場
大きな木の根元にて、ヒロッタ・カーストン(
jb6175)はスープまで飲み干し、空になった丼を芝生に置いた。それは微かに揺れ続ける。彼の目には、こちらに走ってくるウェル・ラストテイル(
jb7094)が映っていた。
ヒロッタの視線を受け、ウェルはほどほどの距離を置いて停止する。牽制するような動きを取りながらじりじり、じっくりと距離を詰めていく。その間も眼差しは外さない。
「この広い場所を単独で守るつもり?」
返答に迷ったヒロッタの耳が新しい足音を拾う。
目を動かした先、榛原 巴(
jb7257)がサイドから猛然と迫ってきていた。
ヒロッタは顔をしかめて前に出る。あたかも腕章を取りに行くかのように。
それで榛原も足を止めた。腕章だけは取られてはならない。ウェルと同じ意識の所為だ。
暫し状況は硬直する。似た距離を取って広がるウェルと榛原。ヒロッタは幹と自分で缶を防衛している。
どうしよう。どうしたら。
榛原が視線を流すと、ウェルは含みのあるそれで応えた。
――じゃあ、一気に
――わかりました
ヒロッタが口を開く前に、ウェルが大きく横に移動する。彼女に対応すべくヒロッタが顔の向きを変えた瞬間、榛原が彼の足元に発煙手榴弾を投擲した。
煙はもくもく、黙々と立ち上り、あっという間にヒロッタ、大木、そして置かれた缶を呑み込んでしまう。相手方の動向を探ろうとするヒロッタに対し、ウェルは缶から狙いを外さなかった。
「行きますです!」
後から思えば、榛原の声は余りにも大きく、強過ぎた。
だが視界を遮られ、缶を守らなければと使命感に燃えるヒロッタは半ば反射的に声のする方を向いてしまう。
それは同時に、ウェルに背を向ける行いだった。
大きく踏み込み、芝生を撫で上げるように腕を振り抜く。
指の間から放たれた苦無は白煙を切り裂いて疾走し、高い音を残して空き缶を真っ二つに切り裂いた。
ピッ ピッ ピーーーーーーッ
審判が吹く笛は陥落の合図。
晴れていく煙の中でヒロッタはがっくりと肩を落とし、流れる白煙を足で遊びながら駆け寄ったウェルと榛原は腰ほどの高さで拳を突き合わせた。
「お見事です!」
「君もお疲れ様」
互いの健闘を讃え合うと、2人は同時にスマートフォンを取り出した。
榛原は喜色満面で幼馴染に連絡を送る。
ウェルは録画を止めるとやや眉尻を下げ、サイトの表記を『広場』から『全体』に変更した。
「まだ時間がありますね」
「援軍に向かおうか。……どうせなら、一番苦戦していそうな所がいいね」
●屋上
「あれ? 来てるよー?」
ナハトが告げるとほぼ同時、ジャルは背中に広げた翼を動かし、青空に飛び込んでいた。
ほぼ地面と垂直に移動し、やがて翼を翻して滞空、声を張り上げる。
「わらわに逆らおうとは片腹痛い! 軽々に突破できると思うでないぞ!!」
正面、椎葉 巴(
jb6937)は腰に手を当てて体を半分ほど開いていた。
「すんなり行けるとか思ってないけど、退き下がる気もないんだよねー」
告げ、いつか漫画で見かけたファイティング・ポーズを取る椎葉。
「遊びとはいえ勝負は勝負。本気でいくからね!」
「その意気や良し、と褒めるところではあるが、相手が悪かったのう。やってみるがよいわ!」
応え、ジャルは両腕をめいっぱい広げて見せた。
上空での攻防をぼんやり眺めていたナハトは、自身のヒリュウに後ろから頭を掴まれ、強制的に出入口を向かされてしまう。首には確かに痛みが生まれたが、それを噛み締める暇は彼女にはなかった。
「あら、もう見つかっちゃったの?」
隙間程しか開いていなかった扉から声が零れる。やがてはっきりと開き、響 碧衣(
jb7232)が屋上に現れた。
「あー……えーっと……こ、こんにちは?」
「はい、こんにちは♪」
挨拶に応じつつ、碧衣は距離を詰めてくる。詰められた分だけナハトは下がった。缶は彼女の後方、屋上の中央だ。
「……ど、どうか穏便に……」
碧衣は応じない。目を線にして微笑みながら彼女に向かって進み続ける。
「わ……わわっ、ヒリュウくん、助けて……?」
キィ、と高い声で鳴き、桃色のヒリュウが主と『相手』の間に躍り出た。
●中庭
すぅ、と野々鳥が空を指さした。つられて学が見上げるが、点のような同窓生が辛うじて見えるだけだった。
しかし野々鳥は心底、心底歯痒げな表情で呟く。
「パンツが2つも飛んで――」
「高橋君止めよう!? 不戦敗どころか学園からも追い出されそうな発言は止めよう!?」
「もうちょっと、こう、降りてきて――」
「だから止めよう!? 僕こんな形で友達失くしたくないから!!」
缶のすぐ傍で桃色(?)の会話(?)が繰り広げられていた時、同じく防衛側の淡雪も缶から視線を背け、距離を取っていた。
これを機と見て強襲側が行動を開始する。
「参ります」
スマートフォンに短く告げ、望月 六花(
jb6514)が中庭に飛び出した。
「ん?」
「あ!」
野々鳥と学に発見されると、六花は唐突に足を止めた。
防衛側の2人は六花が纏う、粉雪のような、青味を帯びた光に数瞬見入ってしまう。
この隙に冬片 源氏(
jb6030)が突撃する。六花が防衛側を引き付け、その隙に、という算段だった。
が。
「通しません」
視界に蒼が走る。
源氏は間一髪仰け反ってそれを往なし、跳び退いた。
「お退きなさい、淡雪」
首が振れる。
「今日ばかりは譲れません」
弟の眼差しは真剣そのものだった。直向で、真っ直ぐだった。
ならば応えるのが姉の矜持。
「私に勝てたら、なんでもお願いを聞いてあげるわ」
淡雪の瞳に宿る光が強くなる。
仁科 悠介(
jb7152)も、また六花の吶喊に合わせて中庭に侵入していた。
物音と気配で、光に見入っていた学がなんとか気付き、身を返して立ちはだかる。
「っと、危ない危ない」
「うわ、バレちゃったか……」
「うん、ごめんね」
ニコリと笑い、学は黒色の無骨な盾を携えた。
その表面に桃色のヒリュウが映り込む。悠介が頭を撫でると、ヒリュウは学を挟み込もうとするように移動した。
苦笑いを浮かべ、学は背後、野々鳥に声を投げる。
「こっちは僕がなんとかしてみるから、そっち頼むよ!?」
「やるだけやってみるよー」
野々鳥の正面、六花は背中の翼で舞い上がる。
眼鏡の奥、瞳は野々鳥の後ろへ。苑恩院 杏奈(
jb5779)がこちらに向かってきていた。
●校舎裏
「始まったようだ。が――」
「だーれも来ないねー?」
芽李亞と胡兎が辺りを見渡す。強襲路にはうってつけの石畳にも、そこいらの茂みにも、しかし動きはない。
2人は顔を見合わせ、肩を竦め合い、再び真逆の方角を観察し始めた。
斉藤伊織(
jb6837)は缶からかなり離れた位置、木の幹の陰に隠れていた。
彼女は待っていた。中庭を強襲している悠介からの連絡を。
絶対来る。必ず来てくれる。
彼女は息を殺したままスマートフォンを握り締め続ける。
伊織から更に離れた位置では、あいしゃす(
jb6892)が似た姿勢で潜んでいた。
――はい、だいたいその辺りです
缶の位置を告げると、スマートフォンはそれきり画面を切り替えてしまう。通信相手が連絡を終えた証拠だ。
「……はぁ……」
まるで実戦のような緊張感があいしゃすにゆっくり息を吐かせる。凭れかかった幹は頑なに彼女を受け止め続けた。
遠くで微かに、本当に僅かに揺れた木の葉を、芽李亞は見逃さなかった。
●屋上
少しずつ前に出るヒリュウと、少しずつ下がってゆくナハト。両者の挙動に集中しながら碧衣は距離を詰める。
似た遣り取りは上空でも行われていた。
椎葉が横から抜けようとしても、下を潜ろうとしても、ひらりと身を返したジャルが先回りしてくる。椎葉から缶へと続く導線を塞ぐように彼女は動き続けていた。
「もう! しつこい!」
痺れを切らし、つい怒鳴ってしまう。ジャルはそれをニヤリと微笑んで聞き流した。
無理矢理突破しようと突撃しようにも、万が一捕まってしまえば腕章を取られてしまう。
このままでは埒が明かない。
碧衣は目を細めると、前に腕を伸ばし、ゆっくりと指を折っていった。
5本全てが握られると、親指側からばちばちと荒ぶる雷の剣が現れる。
碧衣がニコリと笑みを強める。対照的に、ナハトは顔を青褪めさせて首を振った。
「……これ、缶蹴りじゃ……?」
「ええ、そうよ?」
「おい、そこの!」
抗議は空から。
「これは実戦ではないのだからな? 本気の喧嘩がしたければ別の機会にせよ!」
「確かに、実戦じゃないね」
肯定は更に上から。
「でも、勝負は勝負だからね!」
ジャルが見上げる。
椎葉は鞭を振り被っていた。
「おのれ――!!」
奥歯を噛み締め、ジャルが突撃する。
「ってことで、ごめんなさいね?」
言いながら踏み込み、碧衣は雷の剣を振るう。ギリギリまで威力を抑え、相手の無力化のみに狙いを絞った一閃。
それはヒリュウに直撃する。桃毛の小柄な竜は高い声を上げて仰け反り、主であるナハトもまた体の痺れに苦悶の表情を浮かべた。
両者が動けなくなったと見るや否や、碧衣は走ろうとする。狙いは缶。この距離なら届く。或いは届いた筈だった。
だが彼は、目を見開いて体を屈めた。
その上空をジャルが滑空、腕章を掴めなかった空の手を握り締める。
「おい、大丈夫か!?」
「ご、ごめんな、さいぃ……」
「残念ねえ、もう少しだったのに」
碧衣の言葉に反応し、ジャルが前に出ようとする。だが彼は大きく跳び退いてしまっていた。
ジャルが思い出したように空を見上げる。
無色の衝撃波が迫っていた。
「く――っ!」
ジャルはナハトを庇うように身を呈した。
だが椎葉が放った衝撃波は、彼女らも、缶さえも避けて屋上に激突する。
波紋のように風が広がる。
ジャルが恐る恐る目を開く。缶はまだ倒れていなかった。
ほっと息をついた――のも束の間。
顔を上げた先、前後に大きく足を開いた碧衣が、腰を落として弓を引き絞っていた。
「っ!!」
誰が動くよりも早く、迅速に矢が放たれる。
それは5対の眼差しを一手に受けながら、迷いなく空き缶の中央を食い破った。
ピッ ピッ ピーーーーーーッ
「やったーーーー!!」
大声を上げて大空で飛び跳ねる椎葉。
彼女を見上げて頬を膨らまし、ジャルは何処かへ飛び去ってしまう。
そんな彼女を見送っていたナハトに碧衣が笑顔で手を差し伸べる。
「ごめんなさいね。立てるかしら?」
「あ、はは……大丈夫、大丈夫」
言いながら独りで立ち上がり、ナハトも屋上を後にする。
バタン、と閉まるドアを見送ってから、碧衣は青空に手を振る。
「それじゃ、あたしたちはサポートに回りましょうか」
「うん! ――……あっ!!」
校舎裏に視線を落とした椎葉が息を呑んだ。
●校舎裏
響き渡る笛の音を見上げ、安堵の息をついていた彼女のもとへ、仲間の声が降ってくる。
「来てるよ、あいしゃすさん!」
名前を呼ばれ、息を呑むより早く、視界の端で木の葉が舞い上がる。
「失礼するぞ」
芽李亞がすっと手を伸ばし、腕章の結び目を掴む。
「あ……っ」
身を閉じ、懸命に腕章を守るあいしゃす――だったが時既に遅く、するり、と腕章は解かれてしまった。
ピピーーーーーーーッ
本日初めての、防衛側優位を告げる笛の音に、胡兎は笑って手を打ち鳴らし、伊織は戦慄した。彼女が握るスマートフォンには、未だ何の連絡も入ってこない。
物音を立てないように周囲を探る。芽李亞はそこそこ離れた位置にいるが缶も同じほど遠い。そして缶の傍には胡兎が佇んでいる。
「(仁科さん……)」
スマートフォンを仕舞い、伊織は動き出す。
できるだけ気配を消して、木の影を渡るように缶を目指す。が、3本目に向かう際に芽李亞と目が合い、3本目に到達する様子は胡兎に見られてしまっていた。
止まれない。伊織は特攻を決意する。
胡兎は口角を上げて発煙筒を手にした。両刃剣を携えた伊織の視界を遮り、その隙に腕章を狙う算段だった。
だが、彼が発煙筒を掲げた瞬間、手首に光が激突する。痣にならない程度の衝撃は、何より胡兎の意表を貫いた。
転がる発煙筒を眺めてから射線を遡る。零那(
ja0485)がリボルバーを弄んでいた。
「つーか痛いんだけどー!?」
「攻撃しちゃダメ、なんてルールなかったじゃない?」
ピタリ、と動きを止めるリボルバー。銃口は缶へ定められていた。
「勝つ為に出来る事をやるのは当たり前でしょ?」
薙刀を取り出した胡兎が突撃する。
「悪く思うな」
伊織の背中にまず声が当たり、続いて無数の針が突き刺さった。不意の攻撃によろめく伊織だったが、彼女はそれでも止まらない。横目で零那を確認し、尚も進む。
芽李亞が再びシンボルを翳し、伊織の背はそれを受ける。先程の攻撃と似た形状のそれは、しかし質が大きく異なった。体の内側に満ちる『活力』をごっそり奪われるような感覚に、伊織は軽い眩暈を覚える。
足元がもつれ、転倒しそうになる。伊織は歯を食い縛ると、剣を杖に見立てて缶を飛び越えた。
突撃を受け、銃口は上昇、胡兎へ。
照準が合うと同時に発砲する。肩口に射撃を受け、しかし胡兎は怯まない。
長柄の薙刀が振り被られる。胡兎の眼はやや伏せられていた。
「(パーカーのせい? 違うね)」
気合一喝、振り降ろされた大振りの刃は零那の足元を狙う。が、薙いだのは虚空。零那は読み切り、跳んでいた。
胡兎は舌を打ち、薙刀を返す。地面から勢いよく昇る剣閃を、零那は蹴り飛ばす。
壁に半身を打ち付けながらも一瞬で狙いを定める。
そして発砲。
放たれた銃弾は、地面を蹴っていた伊織の下を潜り抜け、空き缶を遥か彼方へ弾き飛ばした。
ピッ ピッ ピーーーーーーッ
●中庭
空から降ってくる笛の音を源氏は一瞬目で追った。だがすぐに目の前、烈火の如く攻め立てる弟へ戻す。
「またひとつ、決着がついたようね」
「そのようですね」
「戦況は見えている? 私1人に固執していて、勝てるかしら?」
「僕の勝ちはここにあります」
氷を模した光が鞭を象って源氏を襲う。
痺れた手足が繰り出す攻撃を躱すことは容易い。だが軽々に突破できるか、と問われれば否であった。
気迫、意志、熱意、想い。
言葉として転がる代わりに、身動きできない淡雪の双眸は雄弁に語り続けた。
そんな彼を迂回して進むほど、源氏もまた丸くはなかった。
空中でピリピリと痺れるヒリュウに悠介が手を伸ばす。その腕には腕章が結ばれていた。
チャンスと呟き学が前に出る。が、その出かかりを狙って六花が苦無を投げると、学は慌てて2歩下がった。
「っとと……あれ、缶じゃなくて僕狙い?」
「そういうわけでは」
つい、と六花は眼鏡の位置を直す。彼女はひとつの結論に基づいて行動していた。
「(こういうゲームで、数は何よりも物を言います)」
千鳥足のような野々鳥のステップと防御はいまひとつ掴み処がなかった。決め手に欠く以上、助けられる仲間は助けておくに越したことはない。『幸い数では勝っている』。
六花に意味ありげな視線を送られ、疑問符を含んだ会釈を打つ野々鳥の肩が2度叩いた。
振り向いたその先には、
「えいっ!」
わがままに発達した(させた)自身の胸を両の二の腕で挟み込み、前かがみになって谷間を強調する杏奈がいた。
「ありがとうございますっ!!」
野々鳥は校舎に反響するほどの柏手を2度打ち、深々と頭を下げつつ、杏奈を見上げ続けた。
六花は眼鏡を触り、辺りの様子を確認する。
「こんなものなの、淡雪?」
「まだです! まだまだ!」
遠くでは姉弟が未だ激しい打ち合いを続けている。
「あ、あのさ、そのポーズ、恥ずかしくないの?」
「え、恥ずかしい事なの、これ?」
「じゃ、じゃあさ、こういう……ポーズは?」
「こう?」
くいっ。
「ありがとうございますっ!!!!」
ちらりと左を見遣れば、学はこちらに背を向けていた。
彼の奥、悠介から気さくな目配せが飛んでくる。
六花はこくんと頷くと、スカートを手で抑え、がら空きとなった空き缶を思いっきり蹴り飛ばした。
ピッ ピッ ピーーーーーーッ
●屋上
「やったー! 校舎裏攻略っ!!」
「中庭も終わったみたいよ」
椎葉と碧衣は笑顔でハイタッチを交わす。
「これでどうなったの?」
「えっと、あたしたちが攻めてる途中で広場から笛がなって、あたしたちも勝ったから……」
「じゃあ、残りは――」
●教室
強襲班は天川 レニ(
jb6674)を先頭として注意深く廊下を進んでいた。訪れるタイミングを悟られぬよう足音さえ潜めて無人の廊下を進む。道中、斎宮 輪(
jb6097)が振り返ると、やや遅れていたスピネル・クリムゾン(
jb7168)が笑顔の前で手を合わせた。
そして件の教室前へ到着する。スピネルが教壇側の扉へ、輪はもう一つの出入口の前へ付いた。
レニは両者の中間にしゃがみ込み、神経を集中させる。
――えっと……中に、2人いる、と思います……
――了解した
――おっけ〜♪
目配せを終え、呼吸を合わせ、輪が扉に手を掛ける。
だが、すんなり動くと思われたそれには、強かな抵抗があった。
ガタ、という音に輪は顔を歪め、レニは息を呑んだ。
扉に閊(つか)えさせた黄色い傘が揺れて鳴る。
――来たね
――来ましたわね、間違いようもなく
――勝とうね、絶対
――当然ですわ
皐月が銃を構え、アリアスが最後の準備を整える。
既に気付かれていることを覚悟の上で、輪は扉を少しずつ動かした。鍵で固定されておらず、何かが引っかかっているだけだ、とはすぐに判った。抵抗に拒まれればそこまで、一旦引き、再び動かそうとする。
不安げに見守るレニの奥で、痺れを切らしたスピネルが扉を揺らす。ガタガタ、ドンドン。どうやら同じ細工が施されている。彼女の眉間に深い皺が刻まれた。
――続けてくれ
指示は輪から。
――そちらから攻めると思わせる。以降は作戦通りだ
スピネルは了解のサインを送ると、より一層大袈裟に扉を動かした。恐らくあと数回で閊えは取れるだろう。だが、それでも彼女は扉を動かし続けた。
一瞬のアイコンタクト。
輪が一気に扉を開け、教室の中に侵入する。
そこにあったのは――
「これは……」
――夜のような闇だった。窓には遮光カーテンが引かれ、無論照明も落とされている。自分の足元以外は碌に窺うことさえできない暗がりが教室の中に寝そべっていた。もちろん缶の位置など判らない。誰がどれだけ何処にいるのかさえも。
刹那、脇腹に違和感。皐月の放ったマーキング弾が直撃したのだが、輪はまだ気付けない。
暗闇から、青いドレスに袖を通した腕が伸びてきたからだ。
「くっ……!」
身を屈め、辛うじて回避した輪だったが、肩が何かに激突してしまう。それは絶妙なバランスで積み上げられた椅子と机だった。そしてそのバランスは輪との衝突を受けて限界を超える。派手な音を撒き散らしながらオブジェは崩れていった。
腕は空を撫でて闇に戻る。
「あら、残念。腕章までもう少しでしたのに」
騒音に紛れて飛んでくるアリアスの声に堪えながら、輪は背後に回るレニの存在を懸命に隠そうとした。
ほぼ同時、教壇側の扉が開き、スピネルが侵入する。
「なにこれ、真っ暗だよ!?」
「うふふ……缶がどこか、君たちには見えないでしょ♪」
皐月の言うとおり、スピネルに缶の位置は判らなかった。その代わりに彼女の双眸が捉えたのは、皐月が光源に使っていたペンライトのか細い明かり。だが決定打には余りに足りない。
スピネルは懐から取り出した物を暗闇に投げつけた。それは道すがら、家庭科室で獲得してきた小麦粉。
白い粉は暗闇の中に広がったのが半分、『広がる間もなく呑み込まれてしまった』のが半分。
「あれ?」
「来るぞ、クリムゾンさん!」
輪の忠告どおり、闇の中から青を纏った手が伸びる。スピネルが慌てて下がり、腕は再び闇に戻っていく。
「このぉ〜……!」
前に出ようとしたスピネルに暗がりから声が届く。
「足元にご注意を。備品を壊してしまいますわよ?」
「え?」
言葉は真。スピネルが踏み出した足の下には、逆さに置かれた椅子が点在していた。その脚に靴が触れ、スピネルは床に倒れ込みながら破損を回避する。
間髪入れず皐月が迫る。狙いは勿論スピネルの腕章。だがスピネルは腕章を床側にして倒れていた。皐月は奪取が困難と判断し、深追いを止める。その隙にスピネルは入り口手前まで戻った。明かりが酷く心強い。
「も〜、邪魔しちゃヤだよ?」
「そういう遊びでしょ?」
レニが手探りで侵攻を始めると同時、輪が声を張る。
「照明は?」
「え〜っと……」
「対策済みですわ」
アリアスの言葉どおり、スピネルが手を伸ばした先には机の盤面があるばかりで、この暗がりでスイッチに至るのはかなり困難に思えた。
だが。
――カーテンを狙うよりはましだろう。頼めるか
――まっかせといて〜
「あら、もうおしまいですの?」
暗闇の中、闇の中から一瞬だけアリアスが浮かび上がり、再び纏った闇に消える。
「じゃあ……こっちからいくよ!!」
皐月が言い切り、場が急転する。
彼女はバリケード寸前に達していたレニの腕章を狙い、輪はそこへ割り込もうと前のめりに走る。
スピネルがバリケードに手を掛けると同時、闇から這い出るような仕草でアリアスが迫る。それを視認するとスピネルはニヤリと笑みを深め、現した雷の剣を彼女目掛けて振り降ろした。
暗がりに雷光と、短い悲鳴が散る。
この隙にスピネルがバリケードに手を掛ける。力を抑え、備品を壊さぬよう、しかし一気に引いて崩した。どんがらと崩れる音に耳をつんざかれながら壁に手を這わせ、
「あった♪」
パチン、とスイッチを入れる。天井に並んだ照明が端から順に目を覚まし、教室の中を照らし出す。遮光カーテンとアリアスが生み出した闇は、逆に浮かび上がる形となった。
レニはようやく、幾重にも詰まれたバリケードの奥に缶を見た。手を伸ばし、脚を入れてみるが届かない。
「手前に崩せ! 奥は窓だ!」
叫びながら輪が身を呈す。彼の背と肘に阻まれ、しかし皐月は手を伸ばす。狙いは腕章。それを察するや否や、輪は強く皐月を押し返す。しかし体勢が悪く、効果は薄かった。
「行かせないよ!!」
再び迫る皐月。そこへ――
「させません!!」
――廊下から飛び込んできた榛原が、文字通り『突撃』した。腰の辺りを両腕で掴まれ、前に出られない。
アリアスは動けない。手足が痺れ動かせない。続いて教室に飛び込み、バリケードを崩していくウェルを見ていることしかできなかった。
「もう、離してよ!」
ピピーーーーーーーッ
皐月が榛原の腕章を外すも、時既に遅く。
床を舐めるように放たれたレニの回し蹴りが、缶を勢いよく払い飛ばした。
ピッ ピッ ピーーーーーーッ
●中庭
後片付けが終わると、全員は中庭に集合し、簡単ではあるがお茶会を開いた。
発案者である源氏と淡雪、そして六花が面々に紅茶を配っていく。よく冷えたそれは、火照った身体に優しく沁みわたっていった。
全員に配り終え、一息ついていた淡雪に源氏が並ぶ。
「お疲れ様、淡雪」
「……姉さんも」
「これに懲りず、またいつでも挑んでいらっしゃい」
丸まった弟の背中を、姉は優しく叩く。淡雪は俯いたまま、小さく頷いて紅茶を口に運んだ。
「全く、無茶をするな」
輪に諌められ、榛原は居心地悪そうに身じろぐ。彼女を想っての言葉だったが、彼女があんまりにも肩を落とすので、
「……だが、助かった。ありがとう」
と付け足すと、榛原は一転、にっこりと微笑んで幼馴染を見上げた。
「ふふ……」
「どうしたの?」
椎葉が訪ねると、ウェルは笑みを湛えたままスマートフォンの画面を見せた。表示されていたのは数字とコメント、そして『Odds』の文字。
「こっそり、どっちが勝つかを賭けてもらっていたんだ」
「そうなの!?」
「ほら、ここが参加人数。ライブ映像の視聴数も凄いよ。
突発なのにこの数……やっぱり面白い場所だよね、此処は」
「ムービーあるの? 見たい見たい!」
椎葉の歓声が中心となり、スマートフォンを持つ面々が映像を眺め出す。
「えっと……えっと……?」
「ああ、ひとつ前の画面に戻って……そう、それでそこに――」
操作に手間取っていた悠介も、学の指導の甲斐あってなんとか映像を見る事ができた。
あちこちで行われていた反省会と談笑がひと段落した頃、ジャルとナハト、そして彼女のヒリュウが中庭に入ってきた。それぞれ、目いっぱいに缶ジュースが入ったビニール袋を提げていた。
「滾った情熱はこの冷たい缶にぶつけるとよかろう! 好きな物を取るがいい!」
まだ誰も喉が渇いていたようで、ジュースはあっという間に全員に行き渡った。
「飲み終わったらきちんと缶用のゴミ箱に捨てるのだぞ?
では、皆の者! ご苦労であった!
乾杯!」
ジャルの言葉を繰り返し、24の缶が青空の下に掲げられた。