●
「特にそこの二人ッ!!」
怒鳴り、ドクサが両手でそれぞれ指さしたのは、最前線に佇む黒髪の少女と、最前線に浮かぶ紫髪の少女。
「よくも性懲りも無く来てくれやがったなァ……ッ!!」
「そういえば名乗ってなかったわね。私はナナシ(
jb3008)。そっちは黒百合(
ja0422)さんよ」
友に示され、黒百合は歪めた口元に手を当てた。
「ねェ、貴女にもの凄く聞きたい事があるのよォ……1つだけ質問させてェ……♪」
「ァあ……?」
ドクサは咄嗟に身構えた。
下手なことを教えてしまえば、あの『愚図』にまた頭が上がらなくなってしまう。また、愛しの上官にも、もしかしたらことが及んでしまうかも知れない。それを防ぐためにここを訪れたのだから。『領地』の深部を探索し、奇跡的に逃げ延びたあの連中を潰す為に。
この時、ディアボロの背中に寝そべる悪魔にはまだ冷静さがあった。だが――
「――貴女ァ、生娘かしらァ♪」
黒百合が笑みを歪めて首を傾げると、ドクサは皮膚が軋むほど両目を見開き、光を纏った腕を振り抜いた。
●
「EXAM、システムスタンバイ」
呟けば、皇 夜空(
ja7624)の視界は左右から訪れた闇色に隠れた。
●
足元を狙った金色の光刃は、しかし悠々と後ずさった黒百合に躱されてしまう。
爆音。
次いで辺りを埋め尽くすような土煙。
そこへ向けてドクサが叫ぶ。
「いきなり下ネタぶちかましてんじゃねえぞ!! てめぇにゃ関係ねェだろうがよおおおおおおおおッッッ!!」
黒百合は元より、その場の誰にも関係のない、ディープでナイーブなプライベートへの問いは、ドクサの頭にあっさり血を昇らせた。最大火力をいきなり放つほどに。
その決定的な隙を夜姫(
jb2550)が狙う。
纏った雷と共に土煙を鋭角に切り裂きながら前進、吶喊。勢いそのまま、雷光が迸る刀身をディアボロの図体目掛けて叩き付けた。
「――ッ」
しかし。
サイドから滑り込むように接近してきたのは鳳 静矢(
ja3856)。射程やや外で踏み切り、跳躍、息を鋭く吐きながら目にも止まらぬ3連斬撃を繰り出す。そして夜姫と同じ表情を浮かべた。
「……伏せて」
水無瀬 快晴(
jb0745)の言葉を受け、静矢と夜姫はその場に屈み込む。
刹那、彼らの上空、蛙型ディアボロの周囲に無数の黒刃が浮かび上がった。無慈悲に、無造作に振り降ろされる。
ザンッ ザンザンザンザンザンッ
しかし、そしてやはり、手ごたえは薄かった。
皆無、ではない。ブロック肉を針で裁断しようとしているような、圧倒的な物足りなさ。それどころか、蛙の全身に生まれた切り傷はじゅくじゅくと耳障りな音を立てながら元あった位置に戻ろうとしている。
「――っはは、はっはー! そんなもんかよ! ばーかばーか!! この子を今までの連中と――」
「同じだ」
林から飛来した言葉にドクサが振り向く。と同時、薄暗がりから特攻した銃弾がドクサの頬を浅く抉った。
「お前らが何者だろうと、どれほどの者だろうと、俺がやる事は一つだ」
「そういうこと。はしゃぎ過ぎなんだよ」
声と共に訪れた槍はディアボロの胴体に深々と突き刺さった。
龍崎海(
ja0565)は手を招いてドクサを誘う。
「他の半球型は? 4つ壊して、あと1つ壊せばエースなんだけど」
「こっ――!!」
彼女の言葉を遮るように、路面から爛れた左手が聳えた。淀んだ泥の色と滞った血の色で構成されたそれは、狙いを定めると伏すように倒れてくる。
ドクサは我武者羅に叫びながら両腕を突き出し、金色の障壁を生み出した。ばちばち、がりがりと耳障りな音を立てて血と泥の腕と押し合う。だがそれも数瞬、やがて腕は霧散した。
ふぅ、と息つく悪魔に、悪魔じみた笑みが迫る。
担いだ3枚刃の鎌もろとも激突するような体当てに、辛うじて障壁が間に合った。肌が焦げ付くような衝撃の中、ドクサは顔を歪め、黒百合は尚笑う。
「あらァ……?」
視線は悪魔の先、4つ並ぶ球体へ。
「新しい玩具を持ってきたのねェ? 今度は何を忘れるのかしらァ?」
「おまえェ……ッ!」
「敵の存在、だったりしてね」
声に振り向けば、曇天にはナナシ。
彼女はドクサが引き連れる4つの球体目掛けて、掲げた紅蓮の剣を振り降ろした。
手前で笑い、押し込んでくる敵。
背後に迫る炎の波。
ドクサは――
「ッ……がああああああああああああああっ!!」
――障壁を『押して』黒百合を弾くと、翻り、球体の前に身を呈した。
「ほう……」
「ふぅんゥ……?」
炸裂した光と風。
その中央からドクサが飛び上がる。鼻から零れた血を噴き、正面、ナナシを睨みつける。
「……いちいちイラつかせてくれるぜ、裏切りモンがぁッッ!」
「ディアボロを庇うなんてね。いいお母さんになれるわよ、きっと」
「そうかもねェ。でもォ――あはァ……やっぱり生娘っぽいけどねェ♪」
咆哮を上げながらドクサが腕を振る。放たれた光刃は、しかしナナシが置き去ったジャケットを切り裂くに終わる。
厚塗りの雲を貫くような、眩い光。
それを興味なさそうに見上げながら、夜姫は背中に翼を現す。
●
炎からディアボロを庇った悪魔の姿は、蛙の手前側の面々にも見て取れた。
「……なんで……?」
眉を寄せて呟く快晴に代わり、静矢が肩越しに振り返る。
「どう見る?」
海は鼻の頭を親指で撫でた。
「生成したディアボロに異常な執着を持っている素振りは以前もあったよ。
ただ、それもある特定の個体に、だけど。その他大勢は使い潰す傾向があったし。
身を呈して守るに足る個体、ということなんじゃないかな」
だろうな。声は林から。
「頬の傷が癒えている。全く、余計な手間を取らせてくれるな」
言われて快晴が見上げれば、確かに、褐色の頬に刻まれた溝はすっかり埋まっていた。
加えて静矢は気付く。目の前の巨躯に刻んだ傷も、その殆どが癒えつつあることに。
彼の脳裏で何かが繋がりかけたとき、空に光が走った。
「ボサーっとしてんな! 残りのそいつらぶっ飛ばせよ!!」
げぁぁっぷ
巨躯のディアボロは頷く代わりに何かを吐き出すと、二股に分かれた舌をぶるぶると震わせた。
「静兄……」
構えを直しながら、静矢は優しく、そして妖しく微笑んだ。
優しさは、不安げに視線を送ってくる快晴を安心させる為。
妖しさは、まんまと術中に嵌め込めた仄暗い優越感から。
「今できることをしよう。私たちは今まで、何度だってそうしてきたのだから」
「援護する」
「フォローするよ」
「……うん」
頷き合う静矢と快晴を、桃色の太い舌が襲う。
●
見覚えのある敵が吐いた減らず口。
開戦早々削ぎ落された頬の痛み。
全身の前面を這いずり回る痒み。
それら全てが合わさり、ドクサの思考から冷静さをすっかり奪い去っていた。
本来の目的をさっぱり忘れてしまうほどに。
即ち。
路面での交戦が激化したことを確認してから、神月 熾弦(
ja0358)は身を伏せて茂みを進み出した。似た体勢で若杉 英斗(
ja4230)が続く。彼は度々振り返り、続く仲間の様子を気に掛けた。しかし、いや、だからこそ山里赤薔薇(
jb4090)は悪路を懸命に進む。絶対に足手まといにならないように。
愛らしくさえある仲間の挙動に、しかし英斗は表情を崩さない。油断など全くできない。そして、自分たちのミスはそのまま任務の失敗を意味する。彼は、彼らは滾ってこそいたが、冷静さを失っていなかった。
「(発見しました)」
熾弦が仕草で告げる。英斗はその場に屈み、赤薔薇は身を乗り出して先の様子を確かめた。
路面を覆うディアボロの脇、2本の樹木の向こう、距離にして3、4メートルの位置で4名は縮こまっていた。自分たちのことを置き物と思い込んでしまったかのように、身を寄せ合い、中央の仲間を庇うようにして寄り添っている。
熾弦と英斗は呼吸を合わせて調査隊に駆け寄った。注意深く、そして優しく投げかけた「大丈夫ですか」は、路面で繰り広げられる激闘の音に呑み込まれてしまう。
赤薔薇は彼らからやや離れた位置でディアボロの挙動に細心の注意を払っていた。
熾弦がやわらかく背中を撫でると、髭をたくわえた調査隊のリーダーが顔を上げた。彼は、額から零れる鮮血に片目を塗り潰されながら、ありがとう、と微笑んだ。
頷き、熾弦は集中する。辺りを温かげな光が包み込んだ。
●
「ケッ! さすが乗り物、逃げ足だけは――」
悪態を吐くドクサの背筋がチリチリと逆立った。
何か来る。
彼女が視線を向けるより早く、赤い雷を纏った夜姫が白色の球体に一閃を叩き込んだ。
パンッ
軽い音を立てて亀裂が走る。が、そこまで。破砕には至らない。
事も無し、と夜姫は得物を振り被る。次の一撃でこのけったいなディアボロは割れると、半ば以上の確信を持って。
しかし、彼女は同時に違和感を覚える。
視線を僅かに上げれば、ドクサがニヤついていた。
その刹那。
「――っ」
咄嗟に仰け反った夜姫の眼前を黒のディアボロが俊敏に通過した。体勢を直そうとする彼女の背に青のディアボロが激突し、僅かに浮き上がった腹部を赤のディアボロが強かに打ちつけた。
勢い、夜姫は路面へ落下していく。耳に流れ込む悪魔の笑いは、辛うじて間に合った受け身の音に消えた。
「返り討ち、だ。ざまーみろ! そんで、これでトドメ――」
勇んでいたドクサは、しかし不意の悪寒に襲われると慌てて宙で踵を返し、全力で障壁を展開した。
そこへ黒塗りの棒手裏剣が無数に突撃してくる。高くて短い音は暫く続いた。
やがて音が途切れると、ドクサは一度障壁を消した。その瞬間を狙い、今度は炎の波が迫る。
苛立ちを叫びに変えながら再びドクサは障壁を展開。受け切り、強く、強く敵を睨んだ。
敵とは、
針葉樹の天辺に立ち、おどけた仕草で手を打ち鳴らす黒百合と、
その隣から、炎の剣の切っ先を向けて睨み返してくるナナシ。
「よく気付けたわねェ、凄い凄いィ♪ でもォ――……」
「私が言うのもおかしな話だけど、あなた、複数を相手にしている自覚、ある?」
「……各個撃破が信条なんだよ! てめぇらこそソコソコ動き回ってグダグダ言ってないでかかってこいよ!!」
ドクサの言葉は右から左へ。黒百合に至っては小指で耳を弄る始末。
彼女らは見失っていなかった。今回の命題は調査隊の保護。加えて目の前の悪魔は言葉による搦め手がこの上なく通じる相手であるという経験則。唾と罵声を撒き散らすこの悪魔は、背後の林で救助班が調査隊を癒しているなど夢にも思っていまい。それどころではないからだ。
だが、例え顧みたとしても気付けるかどうか。
「それにしても頑丈な『壁』ね」
「もうちょっとで破れそうだけどねェ……もう一回出してくれるゥ?」
「はっはーん全然聞いてなかったな? やってみろよクソがあああああああッッッ!!」
得物を支えにして夜姫が立ち上がる。
盛大に咽ながら、膝を揺らしながら、それでも彼女は立ち上がった。
全身には雷。衰えるどころか一層激しく迸る。
遠慮なしに荒れ狂うそれは、木々の間から零れる熾弦の光を悉く塗り潰していた。
●
頭上から訪れたディアボロの舌は落下地点を撫で回すように薙ぎ払った。余計な物を端へどかすように乱暴に、乱雑に、そして力任せに。
静矢はなんとか身を捩り、ダメージを最小限に押しとどめる。
だが、歪んで揺れる彼の視界が捉えたのは、舌の直撃を受けて弾き飛ばされる快晴の姿だった。
名前を叫ぶ。が、返ってこない。表情を強張らせた海が駆け寄り、自身の光で彼を温める。それでようやく快晴は目を開いて体を起こした。
安堵の息を打つ静矢に再び舌が迫る。彼は大きく後退して回避、物足りなそうに路面を舐る舌を一瞥すると、前進、
「紫電の太刀……受けてみるが良い!!」
胴体目掛けて剣閃を3つ同時に走らせた。
踏み込んだ分だけ傷は深くなった。だがそれでも足りないことは、静矢が誰よりも感じていた。
目前、大口の中でとぐろを巻いてから桃色の舌が彼を貫こうと伸びる。静矢は大きく体を傾けてそれを躱す。これで回避は2度成った。
もう片方の舌も静矢を狙おうとする。だが、遥か後方から飛来した銃弾がその中ほどを貫いた。
「豪快だが単調で、華が無い」
虚空に無数の火種が生まれた。それは貫かれた舌を中心として巨躯のディアボロをすっぽり取り囲み、赤青緑黄白紅藍の炎を撒き散らしながら爆ぜ回る。
「……静兄の邪魔は、させない」
決意を呟く快晴の傍らから海が槍を投擲する。暴れて露わになった下顎を抉るように突き刺さるが、巨躯は変わらず暴れ続けた。
海は横目で快晴を観察していた。胸の前に抱えた魔導書、その表紙には指が食い込んでいた。
指先から表情、果ては全身に現れる只ならぬ覚悟を感じ取り、海は半歩前に出る。
巨躯のディアボロは苦しんでいた。
余裕こそあったが、あちらこちらから斬られて撃たれて焼かれて貫かれて、軽度の混乱状態に陥る。
どこだ。どこを払えばいい。
改めて気配を探れば、すぐ傍らに『力』を感じた。追撃されてはたまらない。
穴が塞がり切らない舌がディアボロの上でぴくりと動いた。
回避に備える静矢、防御に備える海、狙いを定める夜空、迎撃の準備を整える快晴を余所に、桃色の舌は胴体の傍ら、淡い光が漏れる林に振り降ろされた。
鞭さながらにしなった舌が、青葉と潤った幹を諸共に打ち払う。
土と埃、そして樹木の欠片を含んだ風がようやく過ぎ去った頃、赤薔薇は顔を上げた。上げることで背けていたことに気が付いた。
目の前には、光。
救助隊を癒す淡い光――に、加えて。
「――……通すかよ」
力強い、光。
「俺の目の前で、仲間を傷つけさせはしないぜ!!」
「……よかった」
胸を撫で下ろす快晴の斜め前で、静矢はそっと頬を緩める。
「流石だ。これで一層安心して戦える。
行こう。流れが変わった今しかない」
「大丈夫ですか?」
熾弦が手で救助隊の背中を、言葉と表情で心を支える。彼女に寄り添われながらリーダーが立ち上がり、他の2名が中央にいた傷の深い隊員を両脇から抱える。
「ここは危険です。移動しましょう」
言いながら熾弦は行動を開始した。路面、ディアボロと悪魔の姿を観察しながら、調査隊の歩幅に合わせて茂みを進んでいく。英斗はディアボロの挙動に細心の注意を払いながら彼女らを追う。何度同じ攻撃が来ても守り抜く決意が、そこにはあった。
赤薔薇は英斗と反対側、林の闇が深い側面を併走していた。
彼女は考えていた。
傷ついた誰かを癒すこと。訪れた脅威から身を呈して守ること。
どちらも、今の自分にはできないことだった。いや、やったとしても、熾弦や英斗には遠く及ばないだろう。今できることと言えば、転びそうになる調査隊の背に手を添えることが精々。そしてそれは、自分でなくてもできることだった。
やりたいこと、やらなくてはならないことがあるのに、自分の力がそこへ追いつかない。
不甲斐なさでどうにかなりそうな頭で、赤薔薇は懸命に考えた。
●
必死の形相でこちらの波状攻撃を防御する悪魔と、その奥で行われる救助班の勇敢な行動を眺め、黒百合はほくそ笑む。
「(……小細工は必要無さそうねェ♪)」
煙幕など使わなくても逃げ切れるだろう。舌の攻撃の『音』は友の攻撃の衝突音がものの見事に消していた。
「……あ? 何笑ってんだよ、きやがれオルァッ!!」
ほら、これだもの。
「はいはいィ、じーっくり相手してあげるわねェ♪」
視界の端で夜姫の顔が上がる。
●
逃げる調査隊を追撃するべく舌を振り上げる巨躯のディアボロ。
その図体へ、林の暗がりからフルオートで放たれた弾丸が連続で飛来、着弾する。正確にある場所を狙ったそれは続々と、次々と胴体を削り取った。
「悪いな、これぐらいしか芸の無い男でな」
夜空の言葉は届かずとも、敵意は充分に伝わった。桃色の舌に力を込め、正面の敵目掛けて思いきり振り降ろす。
これを待っていた。静矢は舌を紙一重で回避する。艶やかな紫色の前髪が幾らか土埃に紛れた。だが彼は構うことなく、舌の先端近くに刀の切っ先を突き立てた。
ビクン、と体を震わせるディアボロを笑う。
「快晴!」
叫びながら刀を振り抜く。刀身から放たれた紫の鳳は力強く羽ばたくと、舌を根こそぎ焼き払いながら前進、ディアボロの身体に激突した。
ぼおおおおおおおおおっ
苦悶の声を撒き散らすディアボロ。痛みを紛らわせるように焼け爛れた舌を振り回す。
その周囲に無数の黒刃が浮かび上がる。それらは足並みを揃え、びくびくと震える元桃色に突撃、ずたずたに、滅多矢鱈に斬り付けた。
ぼおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ
十分の一ほどになってしまった舌を持て余す。まだ万全な舌を苦し紛れに振るうが、既に林には誰もいない。
ぼどぼど、と不気味な音を立てて降り注ぐ舌の霰を掻い潜って接近した海が、ディアボロの、申し訳程度の左脚に十字槍を突き立てた。
巨躯を震わせ、ディアボロが哭く。
その背に、人の形をした影が勢いよく墜落してきた。
●
ドクサは苦しんでいた。
今回引き連れてきたディアボロ5体は彼女の虎の子、秘蔵っ子だ。本来なら彼女のねぐらに置きっぱなしの、言うなれば最終防衛ラインでさえあった。
にも関わらず――或いはだからこそ、なのか――防戦一方になってしまっている。これ以上ない手駒を引き連れてきたというのに、反撃の暇がない。焦りは次第に後悔へ流れる。巨躯の子の背中を離れるべきじゃなかった。なんであんな挑発に乗っちゃったんだろう。
勿論、いや、それこそ願ったり叶ったりだとナナシが三度炎を放つ。
敢えて受ける、という選択肢はあった。まだ『あの子』も『その子』も居る。耐えられる。すぐ治る。だが、破ってみろ、と言ってしまった手前、今更喰らってやるなど有り得ない。
「あああああああああああああもうッッッ!!」
地団駄を叫びに変えて障壁を生みだす。深紅の炎はその中央に激突、とぐろを巻いて足掻いた。
余りに眩しく、ドクサは思わず目を逸らした。
だが、その先にもっと鮮烈な光があった。
それは雷光。
夜姫が放つ、己が命と引き換えに得たような、猛然とした雷。
「(やっば――!!)」
「今更気付いたのォ?」
目を白黒させるドクサを笑いながら黒百合が棒手裏剣を投擲する。
絶妙な角度だった。夜姫を抑えるか、弾幕を防ぐかの二者択一。
ドクサは刹那熟考、そして――
「……ゎらうなあああああああああッッ!!」
――自身と黒百合の間に金色の障壁を打ち立てた。
彼女の言葉を守らず、黒百合は笑う。ドクサからもその様子は見て取れた。口が動いている。何を言っているかは聞こえない。
背後で連続する子を打つ音の所為だ。
夜姫は修羅のような素振りで、正に迅雷の如く球状のディアボロを手当たり次第に攻撃していく。
無論、ディアボロも反撃をする。している音が聞こえる。だが雷の叫びは止まらない。
「くっそ……くっそ……ッッ!!」
だが。
「――……」
正面、黒百合の笑みが浅く引くと同時、唐突にそれは途切れた。
それ、とは、黒百合の猛攻と、そして雷鳴。
ドクサが恐る恐る振り返ると、
「……残念、でした」
顔を顰めた夜姫が、力なく地面に吸い込まれていく途中だった。
「ンだよ、ビックリさせやがッ――」
そこへまたもや黒百合の手裏剣が襲い来る。ドクサは咄嗟に、しかし落ち着いて障壁を生みだした。似た角度からナナシが放つ光球も激突する。それが金色に弾かれるのを見届けると、ドクサはとうとう笑みを取り戻した。はっきりとは見えなかったが、『体感的に』誰も壊れてはいまい。
「今度はそっちが八つ当たりする番だろ? せっかくの陽動が無駄になったもんなあ?」
とは言え、子供のことは心配なのが親心。肩越しに一瞥する。
そこには、
未だ健全な球体が2つ、ひび割れた球体が2つ。
その奥には、
片手を光らせた赤薔薇が、林の樹から踏み切り、舞っていた。
――考えて考え抜いて至った結論は、『命を張る』こと。
ドクサが口を動かすより早く、赤薔薇が片手を突き出す。
放たれた光はひび割れた球体を巻き込みながら曇天に駆け昇って行った。
白と青の球体は粉々に砕け散った。赤薔薇は戦果を噛み締めるように手を握る。
ドクサがつんのめるほど腕を振った。放たれた光刃は赤薔薇を直撃する。
肩から脇腹まで走った傷からはぶすぶすと煙が上がっていた。意識を放棄し、ただ落ちていく赤薔薇
を、
「っと……!」
駆け込んだ英斗が受け止める。彼はすぐさま林の入り口、熾弦の元まで下がった。
「頼む。傷が深い」
「はい。こちらへ」
熾弦は赤薔薇を受け取ると、左腕で抱き締めるようにしながら懸命に傷を癒した。
彼女の右側で夜姫がつまらなそうに息を吐く。
「本当に残念です。あと一太刀振るっていれば私の功績だったのですが」
「喋らないでください。怪我に響きます」
「大丈夫だ、吐き出したいことがあるなら我慢するな」
言いながら英斗は彼女らを庇うように立ちはだかった。
「もう傷は増えないさ。ここから先はディバインナイトの領分だ。俺が絶対に守り抜いてみせる!!」
幾分膨らんで見えた背中を眺めて、熾弦は目を細めて仲間の頭を撫でた。
「まだいたのかよ……ッ」
力んだ拍子に眩暈を覚えた。眉間を狭め、なんとか悟られないようにと隠す。
「(くっそ……出し過ぎた……!)」
だが、そんな付け焼刃で欺ける相手でないことは、ドクサが誰よりも判っていた。
巨大な腕が聳え、影が降りる。その中で、ナナシは向けた切っ先に炎を蓄える。
「無駄、と言ったわね。私達の行いを、無駄だと」
「言われたわねェ。とっても傷ついたわァ……」
「……ならそのムカつく笑いをひっこめろよ!」
「無駄なんかじゃないわよ。私達の目的は、最初からずっと一貫しているわ」
「と言っても、私とナナちゃんだけねェ♪」
「な……なんだよ……」
「あっはァ……教えてあげるわァ……」
「それはね――」
ナナシは炎の剣を背中まで振り被り、
「――あなたを泣かせることよ、ドクサ!!」
一息で振り抜いた。
虚空を焦がしてうねる炎には血泥の腕の影が降りていた。それは見る見る色濃くなってゆく。
ここが鍔際。ドクサはありったけの力で障壁を出した。
出すと同時に腕と炎が着弾した。肩がひしゃげそうなほどの衝撃がドクサを襲う。
腕と炎と壁が一斉に散り失せる。
その只中を黒百合が駆け抜けてくる。彼女はナナシの肩を踏み台にし、ナナシもそれに応え、送り出していた。
がなりながら備えようとする。だが腕が上がらない。否、上がったが思ったとおりにではなかった。目を凝らせば透き通るような鋼糸が幾重にも絡み付いていた。その先には黒百合。
「おま――ッ!!」
「そろそろあなたも墜ちなさいよォ♪」
進言ではなく、宣告だった。
黒百合は糸を強引に手繰り寄せると、そのまま重心を路面に傾ける。
2人の視界が射線に変わる。狙いは巨躯の背、クッション代わりは小生意気な悪魔。
――――――――――――!!!!
海は間一髪異変に気付き、距離を取ることで巻き添えを免れた。
背中に主人の墜落を受けたディアボロは一度U字に凹み、短い手脚をばたつかせながら元に戻っていく。
「……っがァッ!!」
ドクサが顔を上げる。腕は自由になっていた。
が、黒百合はまだ許していなかった。
「も一丁ゥ」
反った華奢な背を3連刃の大鎌が深々と切り裂く。
「ふああああああああッ!!」
「あらァ、可愛い声ねェ♪」
ドクサが痛みを堪えて腕を振る。が、既に黒百合は遥か彼方に跳び退いていた。光の刃は明後日の方向へ飛んでいき、黒百合は出迎えたナナシと軽快なハイタッチを交わす。
「くそッ……くそォッ……!!」
背後。
左側には英斗ら。夜空は動けそうにないが、赤薔薇は意識を取り戻していた。
右側の黒百合とナナシは未だ無傷。
対して、自分が今体を預けているディアボロは『片舌』を失い、表面のあちこちに深い傷がついてしまっている。
ようやく降りてきた球体も少なからず傷み、ふらついている。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
ドクサが蛙型の背を二度叩く。ディアボロはか細いゲップを零してから、舌で2つの球体を捕獲、口内に収納した。
あちこちを警戒するドクサの瞳。その一つを快晴が受け止めた。
「……もしかして、逃げの算段とか、してる?」
「ぅるっせぇんだよ!」
「……こっちね、命賭けてるの。あなたも命賭けて戦ってよね」
「なにそれ意味判んない。頭打ったんじゃない? 帰って寝とけよ」
「では、噛み砕いて説明してやろう」
愛刀を構えて微笑む静矢。
「そこは私達の間合いだ」
「ふざけろよ……!!」
ドクサがディアボロの背を二度叩くと、蛙型は身を捩り、腹をずりながら高速で下がってゆく。
「併せろ!」
叫び、愛刀を振った。軌跡に零れた紫の光は鳥を模し、羽ばたいてからドクサ目掛けて吶喊する。
「だりいいいいいいいいいいいいッ!!」
渾身の障壁が嘴を受け止める。
こじ開けようと翼を振り、体を捻る紫の鳳。
その首と羽根の間から不可視の矢が飛来した。ガンッ、と硬い音が鳴る。
きつい。でもこれなら耐えられる。ドクサは咄嗟に逸らしてしまった顔を上げた。
「How are you?」
刀を振り被った夜空が右目を赤くして立っていた。
「Open Sesame」
首を傾けて嗤い、刀を振った。軌跡に弾けた花緑青色の結晶を蹴散らしながら黒の波動が進撃する。
ドクサは力んだ。文字通り死力を尽くした。背中の傷がぎちぎちと悲鳴を上げた。両目の端から涙が零れた。
もう何度目だろうか。
彼女は有らん限りの力で全身の骨が砕けそうな声を張り上げながら、三重の攻撃を辛うじて弾き返した。
辺りに吹き荒れる爆風。それぞれが顔を逸らす中、ドクサは
「ふーーーーんだ!! ばーーーーーか!!
ばーかばーーーーーーーーーーーーか!!!!」
と、全力の捨て台詞を吐きながら、ディアボロに運ばれて遥か彼方に消え失せた。
●
トゥラハウスは興味なさそうに頬杖をつく。
「で、おめおめと逃げ帰ってきたわけか」
「う……」
「そう構えずともよい。見ていたわけではないが、大よその察しは付く。
あれだけの大口を叩いてその程度の体たらくなのだ。大方大軍にでも襲われたのだろう?」
「……10、人……」
「なんと。私の想像の半分以下ではないか。では、余程手痛い奇襲を受けたのだろうな。
『とっておき』を『総動員』したにも関わらず2つも壊されてしまったのだから、さぞや盛大な――」
「……」
「おや? なんだ、その顔は? ははあ、さては正面からだったのだな。
なるほど、そうか。よくわかった。出掛けの一発さえなければまだ戦えたかもしれんのにな。
いずれにせよ、よかったな、『くたばらなくて』」
「……帰って寝る」
「帰る? ああ、あの妙な山にか。では怪我が完治した頃に人間どもを誘導してやろう。それで汚名を返上しろ」
「ヤだよ。どだい前衛向きじゃないんだ、今迄みたいに隠居して――」
「おや。
お前はもう少し賢いと思っていたのだがな」
トゥラハウスの瞳が細くなる。
「前線からお前を外す。怪我を癒して『最後の』次に備えろ」
「……出たよ……」
「涙の跡を拭いてから帰れよ。配下の2体が不憫だ。
それと、捨てられたと思っているのなら的外れだ。お前が貴重であることに変わりは無い。
いよいよとなったら部下を引き連れて駆け付ける。が、まずはその傷を癒せ。いいな」
ドクサは答えず飛び去った。
数瞬見送ってから踵を返し、トゥラハウスはあくびを噛み殺す。
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「調査隊は無事保護し、現場に居合わせたディアボロを撃破、悪魔を退けた。
十全な結果です。本当にお疲れ様でした。今はとにかく、傷と疲れを癒してください」
言って職員は帰還した10人に深々と頭を下げた。10人が部屋を出ていくまで、頭は決して上がらなかった。
扉が閉まったことを耳で確認し、職員は腰を伸ばす。
背後、ふかふかのソファには頭部の半分を包帯に巻いた調査隊長が深く腰掛けていた。
「いい連中を送ってくれたな。隊を代表して感謝するよ。少々危なっかしいところもあるが」
「卓越した連携を取った旨の報告を受けています」
「ああ。本当によくやってくれた。彼らに何かあれば、調査隊は今まで以上に力を貸そう」
職員は彼の正面に座ると、上体を前に傾けて声を潜めた。
「では、報告を。綿密で明確で詳細な報告をお願いします」
いいとも。隊長は頷く。
「俺が見てきたものを全て話そう。仲間が守り抜いた記録を全て提出しよう。連中が次の戦果を挙げるために」
久遠ヶ原学園の生徒が無事連れ帰った調査隊。
かの地の奥深くを直に見てきた彼の言葉から、群馬県を奪還する戦いは次の局面へ進むこととなる。