●
道を渡り、6名は店内へ『突撃』した。入り口にぶら下がったベルが忙しそうに揺れて鳴る。
見渡せば、小柄な女性が壁際に倒れてうずくまっていた。
「凄い音がしましたが、こういうことですか」
呟く神棟星嵐(
jb1397)を余所に、影野 恭弥(
ja0018)、久瀬 悠人(
jb0684)、デニス・トールマン(
jb2314)は彼女――三ツ矢つづりに駆け寄り、様子を探る。
「嬢ちゃん、大丈夫か?」
「おい、しっかりしろ、参(サン)」
「……せっかく、のんびりお茶ができると思ったのに……」
つづりはなんとか顔を上げ、笑みを浮かべて見せた。
「――男、6人で、お茶……?」
余りにも弱々しかった。だから恭弥は小さく息を吐いてつづりの怪我を見、デニスはおどけて肩を竦めて見せた。
「味と雰囲気を確かめたら、娘を連れてまた来てやるよ」
「確かに、バイトした時とは違うな」
言う悠人の瞳には青く濡れていた。やがて青毛のヒリュウ――チビが彼の前に現れる。悠人が視線で指示を伝えると、チビは高い声で短く鳴いて店の窓を目指して飛び立った。
「やだ……なにあれ、可愛い」
気の強そうな女はほんのりと頬を赤らめ、口を手で覆いチビを眺める。短い手でブラインドを降ろしていくチビ、動く度に愛らしく揺れるお尻にただ一人夢中になっていた。
そう、ただ1人。
大男は6人が入店した時と同様、穏やかそうな女の髪を掴んだまま面々を睨みつけていた。
それを真正面から受けるのは星嵐と天宮 佳槻(
jb1989)。どちらも面持ちは硬い。
優男は髪を掴まれた女を救い出そうとまごついている。
その様子に眉尻を下げる雪代 誠二郎(
jb5808)。彼は入り口付近の壁に寄りかかった。
「ふん、目障りな野次馬共が」
大男が言い切ると同時、デニスが立ち上がり、向かい合う。
「悪巫山戯が過ぎるんじゃねえか?」
並の相手なら裸足で逃げ出しそうなデニスの表情を、しかし大男は鼻で笑い飛ばす。
「そのまま返そう。見ての通り取り込み中だ」
「その原因が問題なのですが……」
星嵐が視線を向けると、デニスは簡潔に経緯――つづりが語った、途切れ途切れの報告を説明した。
聞き終え、星嵐はなるほど、と肩を落とす。
「まずはその女性を放して下さい」
「とりあえず座らないか?」
「どちらも断る。黙って出ていけ」
埒の開かない言い合いで、店内の空気は見る見る張り詰めていく。
青毛のヒリュウに見惚れていた女もやがて我に返り、我を忘れて声を荒げた。
「そうよ! アンタたちは恋人の浮気を目の前にしてガマンできるって言うの!?」
肩を竦める誠二郎の隣を悠人が通る。彼は桃色の訴えなどどこ吹く風で、入り口の看板を『準備中』に返してきた。
「話を聞く限りだと、並んでコーヒーを飲んでいただけに聞こえるがね」
誠二郎はゆらりと体を傾ける。
「で、そこのところは?」
優男と囚われの女は互いの顔を見合わせ、ばつが悪そうに視線を落とした。
「……えっと……はい」
「……暴力に、耐えられなくなって、相談をしているうちに……」
「互いに相手がいることは知っていた、と?」
「「はい」」
大男は顔を真っ赤に染め上げると、力任せに女を、叩き付けるように投げ飛ばした。
形のいい唇から高い悲鳴が零れる。
が、それは倒れるテーブルの派手な音の音に隠れてしまった。巻き込まれた椅子の脚が歪に曲がる。
「テメェ……!」
大股で歩み寄り、デニスが大男の胸ぐらに手を伸ばす。だが大男はそれをあっさりと払いのけ、逆に踏み込んでデニスの胸元に体重を乗せた肘打ちを放った。
口の中で呻き、数歩よろめくデニス。
恭弥の処置を受けていたつづりが彼の服を掴んだ。
傷口の消毒に耐える為でないことは、恭弥に充分伝わっていた。
「残念です。実力行使で止めざるを得ないですね」
星嵐が呟き、黒ずんだ風を纏う。
その物騒な――そして至極当然な――物言いに、投げられた女を庇った優男を蹴り続けていた気の強そうな女が目を剥いて向き直る。
「ほっといてって言ってるじゃない!!」
思わず顔を顰めたくなるほどの怒声。
そして、それを上回る音を立て、彼女の翳した手にアウルが集う。
前後不覚。
肩を落とした佳槻が、自身の周囲に漂わせた光を飛ばすように指を振った。
「えっ……」
女が顔を顰める。
顔に砂粒が当たるような感触を覚え、空いた手で払おうとするが動かない。目を遣れば、手は既に肩ほどまで砂に覆われ、固まり、石と化していた。
戸惑い、うろたえる女を砂は待たない。コココココ、と軽い音を立て彼女の首から下を瞬く間に灰色に染め上げ、固め尽くしてしまった。
「ちょ……なによ、これ!?」
お静かに、と佳槻は自分の唇に指を添える。
「聴いていただけないのであれば、頭まで石にして冷えてもらいます」
目に涙を溜める女の隣で、大男は再び太い腕を振り被った。
しかし狙いをつけられたデニスは眉間にしわを刻んだまま半歩退き、身を反ってそれを躱す。
舌を打ち、大男は迎撃に備え、両腕でガードを固める。
そしてその姿勢のまま、
「大人しくして下さい」
自らの影から生え伸びた『腕』が、彼の身体をがんがら締めに縛り上げようと蠢く。
デニスが踏み出す。
大男は舌を打ち、
「邪魔を……するなッ!!」
無理矢理蹴りを放った。体のあちこちを軋ませながらの一撃は、
「そろそろ気付け」
しかしあっさりと空を切る。届く気配さえなかった。
大きな手が大男の胸ぐらを掴む。指にはシルバーのリングが輝いていた。
そして大男が何かを言うより早く、
「邪魔してんのはテメェらなんだよ。大人しくしてろ、ウスノロ」
デニスは大男の腹部に腰の入った鉄拳を鋭角に叩き込んだ。
的確で決定的な一撃だった。大男は患部も抑えられぬまま何度も何度も咽込んだ。やがて星嵐が溜息と同時に拘束を解くと、男はがっくりと膝を付いた。
騒がしかった店内が落ち着くと、つづりは安堵したように息を吐いた。拍子に、目から熱い物が零れそうになる。だが彼女はそれを必死に堪え、隠した。
手当を終えた恭弥が立ち上がる。
悠人は飄々と割れたカップの破片を拾った。隣で半分石像になった女が必死に何かを訴えて来るが聞こえなかったことにする。今はそれどころではない。
「……くそ……っ!」
ぼやく大男の前に恭弥が屈み込む。
ひっ、と半分石の女が息を呑んだ。
「三ツ矢を怪我させたのはお前か?」
「……誰の、ことだ?」
恭弥があごでつづりを指す。
「……あ、ああ……」
「そうか」
恭弥は大男の顔面に拳を叩き込んだ。既に戦意は失せていたが、体に染みついた感覚が咄嗟に躱そうとし、それでも尚直撃を許した。
たまらず仰け反る大男に再び恭弥の拳が突き刺さる。ぼたぼたと滴る鼻血に数名が顔を逸らした。
「10倍返しくらい平気だよな?」
「ま゛……待゛で……っ!」
「はしゃぎ過ぎなんだよ」
赤く輝く拳が頬を打ち抜いた。それで大男は抵抗を止め、いや、意識を手離し、床に手足を投げ出してしまう。
だが、恭弥はそれでも拳を振り上げた。
「もう、いいよ」
声に面々が振り向けば、つづりが壁に背を預け、オレンジ色のエプロンを潰しそうなほど握っていた。
「もう、大丈夫だから……」
コツン、とステッキが鳴る。
「暴力に訴えるのも良いが、其れだけじゃあ埒が明かないだろうさ。
言い分を聞いてやるのも、一つの男らしさってやつだと思うがね」
恭弥は顔の横で拳を握り直すと、それで大男の胸板を叩いた。ダメージの見込めない、けじめのような一発。
それきり彼は立ち上がり、つづりの前に戻って屈み込む。
「もう、大丈夫なんだな?」
「うん……ありがと、先輩。ごめん」
やれやれ、と首を振り、誠二郎は少し離れた位置、入口を塞ぐようにステッキを傾けた。
この隙にこっそり逃げ出そうとしていた優男と優女の退路はそれで見事に断たれてしまう。
「潔く観念したまえよ」
彼の言葉を受け、2人は神妙な面持ちで肩を落とした。
「あなたも、もう暴れないと約束できますか?」
佳槻が問うと、気の強そうだった女は短く何度も頷いた。本当ですかと念を押せば、速度は更に上がる。
指を鳴らして石化を解くと、女は糸が切れたようにへたり込んでしまった。目には、先程までとは色の違う涙が溜まっていた。
床が軽く鳴る音が続く。デニスが近くのテーブルに4脚の椅子を集めていた。
「まあ座れ」
半ベソをかく女にデニスが言い放つ。
「乗り掛かった船だ。話くらい聞こうじゃねえか」
「……とのことだ。お言葉に甘えてはどうかね?」
誠二郎が告げると、2人は表情を強張らせたまま頷いた。優男はさっさと椅子に掛け、女は髪を直しながら大の字に寝転がる大男に駆け寄ろうとする。
その背に星嵐が声をぶつけた。
「治すべき相手は、他にいるのではありませんか?」
言われてはっとして振り返る。星嵐の諌めるような眼差しを受け、女は慌ててつづりに駆け寄った。
迅速に、そして丁寧に手当てされた患部に手を添え、柔らかい光で温める。
彼女はごめんなさい、と小さな声で何度も呟いた。
彼女らの前を、壊れたテーブルと椅子を担いだ悠人が通りかかった。
「お前結局このバイト選んだのな。少し意外」
「あ、片付けとか、やるから」
「ご注文は?」
「え?」
「使ってたエプロンあったから、久しぶりにやりたくなった。何か飲んで落ち着けって」
「アイスコーヒーをいただけますか」
「僕も同じものを」
カウンターに掛けた星嵐と佳槻がオーダーを飛ばし、歩み寄った恭弥がつづりの手を引いて立たせる。
「参も飲め。奢るぞ」
しかしつづりは首を振り、テーブル等を片付け、カウンターに入ろうとする悠人を身体で止めた。
「やるから」
「でも、お前――」
「やらせて。お願い」
「……じゃあ、俺もコーヒー。あ、あとナポリタン」
「ありがと」
微笑み、つづりは業務に戻る。
全員にコーヒーを出し、デニスと誠二郎のテーブルに灰皿を置いてから、慣れた手つきでナポリタンを炒めた。
気温と、気負いで、額に浮かび続ける汗を、つづりは何度も袖で拭った。
●
優男と優女が訴えたとおり、事の起こりは大男の暴力と声の大きな女の束縛が原因だった。愚痴を言い合っているうちに境遇の類似がそのまま親近感となり、心の比重が偏った。いつ伝えようか、ごねられたり殴られない理由を考えているうちに、今日という日と事態を迎えてしまったのだと。優男は終始肩を縮めて語った。
短くなった紙巻きで灰皿を二度叩き、デニスは紫煙を吐きながら深く腕を組んだ。
「こりゃ、諦めるしかねぇなぁ。反省して、次を上手くやりな」
「ぐすっ……ひぐっ……ううー……」
「ウオオオオオオオオオッッッ!!」
「彼女はまだ判るとして、君が泣くのは御門違いと思わなくもないがね」
誠二郎はぽりぽりとこめかみを掻く。
「ともかく、男は引き際が肝要。あ、これ持論ね。
冷静に周囲を見る事、かっとなるのを堪える事……後は、泣き虫なところも直したまえよ。いい加減耳鳴りがする」
「そっちの2人も、ちゃんとこいつらに謝れよ」
デニスは頬を緩めて言い、頬を引き締めて続けた。
「……で、ちゃんと幸せにしてやれ。これだけ大事になったんだ。忘れるなよ。いいな」
なんにせよ、と佳槻。
「如何なる理由があったとしても、店内で身勝手な騒動を起こし、店員に怪我をさせ、営業を妨害した事は変わりようのない事実です。まずはそれをしっかりと反省し、罪を償ってください」
恐縮したまま頭を下げるカップルを肩越しに眺めつつ、悠人はナポリタンを呑み込んだ。
「これでやっとのんびりできるな」
「すいませんでした、せっかく来てくれたのに」
つづりがコップを拭きながら苦々しく笑う。
「ホントにありがとうございました。今日はあたしの奢りにしときますから、好きなの頼んでくださいね」
「そういうわけには――」
丁重に断ろうとした星嵐の隣から、おかわり、と恭弥が空のパフェグラスを突き出す。
「ウス」
つづりは笑って受け取り、慣れた手つきで新しいパフェを盛り付けていく。
「しかし派手に暴れてくれたな」
言いながら店内を見渡す。奥の床は傷つき、手前の壁は微かに凹んでいる。
「修繕が終わるまで営業できないんじゃないか?」
「大丈夫、って言いたいですけど、そこは店長判断かなあ……」
やだな、と小さく。
それからしばらくして、つづりが新しいパフェを出すと同時、ただいま、と顔を強張らせた店長が戻ってきた。
●
「なるほど。事の流れは判りました。
みなさん、店と三ツ矢さんを助けていただいて、本当にありがとうございました」
店長が6人に深々と頭を下げる。隣でつづりが倣った。上げるタイミングも合わせる。
しかし、店長が4人に顔を向けると、つづりはそっと顔を逸らした。
「充分反省はしている、と考えていいんですね?」
「「「「はい。本当にすみませんでした」」」」
「判りました。
床と壁の修繕費、テーブルと椅子の弁償代は、4人で均等に折半して支払ってもらいます。
それと、今後1年間は入店禁止です。いいですね」
4つの頷きを確認してから、店長はつづりを呼んだ。
「三ツ矢さんからは?」
つづりは少しだけ逡巡してから、目を伏せたまま口を開いた。
「怪我のことは、いいです。仇も取ってもらえたし、治してももらったから。
……ただ、今回のことは、学園に報告、します。
多分すっごく怒られると思うけど、せっかく止めてもらえたんだから、ちゃんと償ってください。
あたしからは、それだけです」
●
日が暮れだした頃、6人は満足げな表情を浮かべながら店を出た。謝礼とは別に、店長の、心行くまで食べていってください、という申し出を受けたのだ。
エプロンで手を拭きながらつづりが現れる。すっかり普段の明るい顔に戻っていた。
「ご馳走様でした。美味しかったです」
言って佳槻が会釈する。いやそんな、と胸の前で両手を振るつづりに、星嵐が首を振った。
「本当に美味しかったです。お店を任されるだけの腕前でした」
「そう、ですか? ありがとうございます」
「デザートに関しちゃ俺の方が上手だがな」
デニスは腕を組んで仰け反る。つづりはあごを引いて笑った。
「ウス。修行して味上げとくんで、よかったらまた来てください。今度は娘さんも一緒に」
「ちゃんと腕が上がってたらな」
「なんにせよ余り無茶はしないように。包帯巻いた看板娘は敬遠されてしまうよ」
言い残し、誠二郎は一足先に帰路に着く。
「またなんかあったら呼べよ。手が空いてたら来てやるから」
「あ、人手が足りない時も。まあ俺は気が向いたら、だけど」
恭弥と悠人が手を挙げてから歩き出すと、星嵐、佳槻、デニスもそれぞれの家路をたどり始めた。
「……ありがとうございました!!」
つづりは全員の背中が見えなくなるまで見送ってから、入口の看板を『営業中』に戻し、店の中に帰っていった。