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駆け出したのは6名。一目散に巨大なディアボロを目指す。
「面白そうなやつがいるな……!」
その奥、建物の屋上に腰を降ろす悪魔を見上げ、郷田 英雄(
ja0378)は口角を釣り上げた。彼の隣で天風 静流(
ja0373)が息と肩を僅かに落とす。
「また、か……」
屋上、タリーウは動かない。半分ほど閉じた眼で撃退士らを睨み続ける。
未だ幻に包まれたままの民間人は戦慄した。このままでは化け物がこちらまで来てしまう。しかしまだあの『装置』の順番は回って来ない。恐怖に駆られ逃げ出す者もいたが、大多数はその場に留まり、ディアボロに群がった。
そこへ雨野 挫斬(
ja0919)が声を叩き込む。
「きゃははははははははははははははははははははははは! 邪魔よ邪魔! 解体されたくなければどきなさい!」
言葉は届かない。だが声量、迫力、そして真意は存分に届いた。先程までとは質の違う悲鳴を上げ、民間人らは蜘蛛の子を散らすように駆けて行く。
頑なに留まる者も居た。が、
「とっとと逃げろ! 纏めて潰すぞ!!」
英雄の怒号、そして静流の一喝を受けると、ディアボロ――デビルキャリアーにしがみつく数名のみとなった。
勇敢にも、撃退士らの前に立ちはだかる者も居た。
「失礼いたします」
彼らを花神 桜(
jb5407)が優しく投げ飛ばす。少なくとも、あの気味の悪い触手が届きそうにない距離へ。
果敢にも、逃げ遅れた友人を助けるべく戻ろうとする者も居た。
彼らが一歩目を踏み出した瞬間、機嶋 結(
ja0725)が遠い位置で大剣を振り回す。絶対に当たらないはずなのに、剣閃を目の当たりにしただけで足が竦んでしまう。
「殺されたくなければ、そこから動かないでください」
残るはキャリアーにしがみついていた数名のみだったが、彼らはすぐに『口』の中に放り込まれた。荒々しい、体当たりな救助活動は、こうしてひと段落を迎える。
「……ふふっ、ちょっと楽しいかも」
「お楽しみはこれからだ」
「そうよ!」
大剣を振り回す雪室 チルル(
ja0220)。
「とっととあのヒトデを倒さなくちゃ!」
「……イソギンチャクではありませんか?」
「あたいが海に帰してやるんだから!」
静流が肩越しに仲間を見遣る。
「後続は任せたよ」
「はいはーい! とっとと片付けてくるから、私の分も残しといてね!」
笑う挫斬が踵を返すと同時、タリーウが翳した掌を力強く開いた。
その場でただ一人、結だけがその情景を視認していた。
九曜 昴(
ja0586)はやや腰を落とし、黒色のマシンガンを構えていた。先にはユウ(
ja0591)が半身で佇み、彼女の視線の先には4つの異形が窺える。
「始めるの」
「……わかった」
返答を受け、昴は左端のブラッドウォリアーに向けて引き金を握った。銃口が休みなく唸り、突風のような弾幕を作り上げる。だが距離が開いていたこともあり、ディアボロは容易に回避、他のウォリアーと重なるようにして進軍を続けた。
そしてそれこそが狙い。
「……ようこそ。ここから先は、夢の世界への一方通行」
ユウが両腕を小さく広げると、袖の下から淡雪色の霧が零れた。それはまるで意志を持ったように揺れ、流れ、ディアボロの群れを優しく無慈悲に包み込む。4体のブラッドウォリアーは振り切ろうと前進を続け、例外なく数歩進んだ後に眠り込み、倒れた。
短く息を落とし、ユウは紅蓮に濡れる直剣を取り出した。背中には足音。挫斬のそれだ。
「……魔法に強いの、そのコートだっけ。じゃあ、頭を落とすだけなら問題ないよね」
歩み寄り、振り降ろす。ぐち、と耳障りな音。辛うじて形を残していた頭部に、昴が照準を合わせ狙撃する。
容易だ、と昴は頷く。更に手数が増えれば抑え込むのは簡単だと。
彼女の背後で、足音が突然、一際強い音を立てて途絶えた。
疑問符を浮かべて振り返る。
より、早く、
挫斬が振り回した極細の鋼糸が、昴の背中を深々と切り裂いた。
肉が深々と切れる音にユウが振り返る。
そこには、俯せに倒れる昴と、
「キャハハハハハハハハハハハハハハハハ! 見てくれた? 見ててくれた!? 私頑張るよ! 頑張るからね!!」
虚空に満面の笑みで語りかける挫斬の姿があった。
ぎちぎちと蠢くデビルキャリアーの脚。そのひとつにチルルが向かう。
引いた大剣にアウルが集う。光はやがて氷を模した。得物も腕も包み込むと、チルルは気合一喝、踏み込んで思いきりキャリアーの脚を打ち払う。
衝撃で弾ける氷塊の間からチルルは確認する。キャリアーはぐらりと揺れたきりで倒れる様子はない。だが、脚には確かにダメージを負った痕跡が窺えた。
「よし! このまま――」
彼女の声は途絶えてしまう。頭、耳の上辺りを黒塗りの柄が強かに打ち抜いたからだ。チルルは大きく横転、地面に全身を叩き付け転倒する。
「――あれ?」
身体の痛みと頭の揺れをなんとか堪えて挙げた顔の先、力ない瞳で一点を見つめ続ける静流の姿があった。
チルルが声を上げるより早く、
瞳を同じ色にくすめた桜が、踏み込むと同時にチルルの肩口を切り裂き、
瞳を同じ色にくすめ、全身にアウルを滾らせた英雄が、チルルの両脚に戦槌を叩き下ろした。
「立ってください。勝負はこれからです」
「そうだ。お楽しみはこれからだ」
仲間の、仮初の罵言を受けながら、チルルは大剣を杖に見立てて立ち上がる。
視線の先には僅かに俯いて佇む静流、その奥には触手を持ち上げるディアボロ。
的確に仲間を狙う有り様、そして手を広げたタリーウ。
「話に聞く、魅了の魔法ですか……」
孤立した結は察する。
トリガーは見えた。妨害する手段も浮かんだ。
そんな彼女をデビルキャリアーの触手が襲った。伸び迫るは3本。高い位置から払われたそれが結の背中を叩く。体勢を崩されながら、しかし結は続く攻撃を回避、回避。細い剣に苛立ちを乗せて脚を刺突する。
彼女は挙動を止めずに得物を仕舞い、取り出したライフルを構えて視線を上げた。
額に汗を浮かべて昴が起き上がると、挫斬は笑みをそのままに小首を傾げた。迷いなく腕を引く。彼女の周囲でチタンの糸が爛々と煌めいた。
「逃がさないよ〜? 逃げられないってばあ!!」
挫斬が攻撃する直前、彼女の足元から青白い腕が伸び栄えた。それらは辺りの気温を下げる程の青を振り回しながら滅多矢鱈に挫斬を絡め取る。
「……頭を冷やして」
それでもなんとか挫斬はワイヤーを振る。だが狙いが定まらず、昴は横転して回避、立ち上がって銃を構え、未だ眠り続けるブラッドウォリアーの頭部を狙撃した。
「……平気?」
昴は小さく頷く。
「まだ、動けるの……」
「……そう」
あごを引くユウの後ろでディアボロが立ち上がる。
彼女の零れた溜息はそのまま霧となり、再びディアボロらを深い眠りに誘った。
ユウが直剣を振り上げるとほぼ同時、叫び声を上げながら、挫斬が青白い腕を振り払って駆け出した。
言わば、厚手の包帯で意識をがんがら締めにされているようなもので。固く結ばれ閉ざされた世界で、与えられた認識の下で踊ることだけを決めつけられた状態で。元居た場所へ戻るには、結んだ者に解いてもらうか、か細い解れ目を探しだし、自力で裂くしかない。
「どうしたの? まだ敵は動いてるわよ」
静流の首にしがみついたタリーウ――の形をした幻――が、目を細めて微笑む。くい、と持ち上がった頭、艶やかな唇が静流の首筋に甘く噛み付き、囁く。
「続けて。助けて。お願い」
思い返せば、奇縁とも言える付き合いだね。もう何度目になるのかな。
静流が『思う』と、タリーウはまるで旧友に向けるような笑みを浮かべた。
「そうね。あなたのことは本当に頼りにしているわ。だから続けて。敵を倒して」
そうさせてもらうとするよ。
取り出したのはボールペン。静流は指の間で二度回すと、手で握り、自らの太腿に深々と突き刺した。
「私の敵はお前だ、悪魔」
口にしたときには、もう目の前にタリーウの姿は無かった。
開けた視界を、得物を携えたチルルが駆けてくる。
「やらせるか!」
英雄の、渾身の戦槌を掻い潜り、
「行かせはしません!」
桜の斬撃を腿に受け、それでもチルルは止まらない。
一撃受けるのも止む無しと薙刀の刃を下げる静流。
彼女の寸前でチルルは停止、大剣を振るう。
目を閉じた静流の耳に入ったのは、ばん、という破裂に似た音。次いで、どさり。
チルルの手は止まらない。払われた大剣は勢いそのままにキャリアーの脚に振り降ろされる。返す剣閃は胴を深々と切り裂いた。
静流は足元、切り落とされた触手の上に踏み込み、脚に蒼白の刃を振り降ろす。だん、と小気味よい音を立てて脚は断裂。ディアボロはがくん、と傾いた。
薙刀に付いた体液を払う静流。その背にチルルのそれが当たる。
「おかえり!」
「済まない」
「話は後よ!」
正眼に大剣を構えるチルル。英雄と桜の瞳は未だ暗い。
ユウが肩越しに見守る中、挫斬は踏み切り跳躍、空中で回転する。そして挙動を止めると、
「挫斬ちゃんキ〜〜〜〜〜〜ック!!」
脚を突き出して急降下した。
狙いはユウ、
の、傍らで寝転がるブラッドウォリアー。
眩暈を思わせるほどの揺れを引き連れ、挫斬はディアボロの背中に着地する。
「さ、私と遊びましょ! ほらほら、寝てないで起きて、起きて!」
言いながらマントを引っ張って無理矢理起こし、頭部にワイヤーを絡める。
「起きないの? 起きなくていいの? アハハ! ならそのまま永遠に寝ちゃえ!!」
有言実行、ワイヤーを引っ張ると、輪切りになったディアボロの頭部が辺りに散らばった。
目蓋を半分閉じた昴とユウが、残ったディアボロをツーマンセルで黙々、淡々と処理していく。
投げ出した足をぱたぱたと動かしながら、タリーウは何度目か判らない溜息をついた。
状況は劣勢。ブラッドウォリアーは食い止められ、デビルキャリアーは包囲されている。『あれ』が無事に戻れなければ意味がないことは重々承知している。その上で、どうやってあの『害虫』どもを追い返してやろうか。
術をかけ直す? しかしどういうわけか、かからない、しぶとい個体がいる。それにかけ直せば、今かかっている連中が勝手に動いてしまう。会心の一手には程遠い。
タリーウは思案の末、餌――民間人に施していた幻術を解くことにした。まだまだ『容器』には空きがあるが、このままひとつも持ち帰れないよりはいいだろう、と。
手を閉じる。
あちこちに散らばっていた民間人の顔色が激変した。目の前で宝物を叩き割られたかのような変化だった。希望が絶望に様変わりしたのを目の当たりにして、彼らは叫び、泣き、怯え、逃げた。
腕を動かす。狙いはキャリアーに群がる『害虫』。惑いながら錯乱すれば、状況の悪化は目に見えた。
だが。
手を伸ばそうとした先を高密度のアウルが通過する。辛うじて引っ込めたものの、指先がチリリと痛んだ。
瞳を動かす。
似た色の、結の双眸が見上げてきていた。
溜息。
「これ以上面倒を増やさないで」
溜息。
「面倒ならさっさと消えて欲しいのですがね……」
「あなたたちが消えれば、私たちも消えるわ」
「それは交渉ですか。それとも命乞いですか」
キャリアーの全身から放たれる、肉が蠢く雑音に紛れて、軽やかな足音が3つ聞こえてくる。
タリーウの位置からはありありと見て取れた。ブラッドウォリアーを片付けた昴、ユウ、挫斬が駆けてきていた。
伸ばしていた手を閉じる。
結がトリガーに指を掛ける。
刹那、悪寒。
直後、キャリアーの触手が彼女を襲った。
長い銀髪を翻し、結は飛ぶようにそれを回避。同時に射線を確保する。最適と言える位置で腰を落とした。
タリーウが手を広げる。
狙いを定めた結の横っ面を触手が強かに打ち払った。
燃えるように痛む頬を黙殺し、揺れる世界に舌を打ちながら、しかし彼女は引き金を握った。
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「アハハハハハハ! さあ、楽しみましょう! ズタズタに引き裂いてやるんだから!!」
「中に民間人がいるの……」
「……脚を潰してから、だっけ。残りはどこかな」
昴、ユウ、挫斬がキャリアーの目前まで駆け寄る。
少し先で、英雄、そして桜が振り向いた。
「今、1本圧し折れたところだ。残りも一気に行くぞ」
「これだけの手数があれば一瞬です。参りましょう」
頷きを返し、撃退士らは散開、ディアボロを取り囲む。
タリーウは今日一番の溜息を落とした。
顔の前で手を何度も返す。まるで具合を確かめるように。
その手のひら、中央は大きく穿たれていた。指の幾本かは辛うじてくっついている状態。中央部分を空に翳せば日の光を通すだろう。
キャリアーは打たれ、斬られ、潰されている。
見なくても音で判る。
それは次いだ言葉の出所にも言えた。
「お得意の術はどうしましたか?」
タリーウは答えない。
「前言を撤回します。降りてきて続けませんか。――あなたは今、この場で殺したい」
憎悪に塗れた言葉に、しかしタリーウは答えず、姿を消した。
程なく気配さえ遠のくと、結は落胆から肩を落とした。
彼女の頭上で触手が蠢く。やがて狙いを定め、鋭く伸びた。
その出かかりを、駆け付けた英雄が放った弾丸が横から叩いた。根元から折れるように倒れたそれを桜が踏み潰し、中ほどを眩く発光する刀身で断ち斬る。
「大金星だな。惚れそうだ」
「群がっていたディアボロは撤退を始めました。このディアボロもかなり弱っています。このまま一息に決めてしまいましょう」
「……はい」
頷き、結は両刃の剣を握る。
孤立無援となったデビルキャリアーが撃退士の総攻撃を受ける。
原型が無くなるまでさほど時間は掛からなかった。
やがて、決死の思いでブラッドウォリアーを抑えていた他所属の撃退士らも駆けつける。
収容されていた民間人を保護し終えると、皆々は、幾分軽くなった曇天の元、互いの健闘を存分に称え合った。
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くすんだ雲と大地の間をタリーウは飛んでいた。
道中、餌の群れが見えた。ので、手を翳してみた。そこの川に飛び込んで。
全員を巻き込むように放ったのに、ほんの数名が命に応じただけに終わる。
範囲も疎ら、密度も弱い。
餌にさえ満足に施せない術が、あのしぶとい害虫に通じる道理が無い。
時間があれば傷は癒えるだろうが、それまで害虫が待っている保証は無い。
「……はぁ」
タリーウは宙で一度回転してから、力なく曇天を飛び去った。