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上方を僅かに削がれた月の中央に白黒のサーバントが浮かび上がる。互いに組み合わさり、高い位置から村の様子を窺うべく旋回した。
気配の数は昨晩よりも圧倒的に少ない。且つ、密集している。
サーバントは暫く、時折回転しながら滞空した。
やがてそれは宙を滑った。音もなく、低速で、たまに一時停止をしながら。
屋根に穴の開いた民家の上空までやってくると、再びサーバントは滞空。最も落ち着いた心拍を探る。そして目星をつけると、木から落ちる林檎のように、すとん、と屋内へ落ちた。
砂利道に面した二階の部屋は屋根の隙間から月明かりを取り込んでいた。窓が開け放たれ、呑気な夜風が花柄のカーテンをふわりと撫でている。壁紙から小物まで明るい色で揃えられた部屋だった。
モノクロのサーバントは窓際へ移動する。
ゆっくりと上下する布団の上で三度滞空。
そしてやや間を置いてから少しだけ傾き、淡い光を放つ。
刹那、限界まで引き絞り続けた弓矢を天風静流(
ja0373)が放った。
矢は風を切り裂いて真っ直ぐに飛び、『白』に突き刺さる。
苦痛に喘ぐ『白』に蹴り飛ばされた『黒』は床に激突した。
ぴぁー
窓際でのたうつ『白』の体に、影野恭弥(
ja0018)が照準を合わせて引き金を引いた。 弾丸が『白』の皮膚を食い破る。傷からは発光する黄緑色の体液が漏れ出た。
布団を跳ね除けてアスハ=タツヒラ(
ja8432)が起き上がる。
「醜悪な目覚ましだ」
構えた銃口には魔法陣が展開されていた。
直後、射出されたのは薄紫の狼。真下から放たれたそれは『白』に激突、屋根の外へと弾き飛ばした。
びぁー!
吠える『黒』目掛けて、
「はぁっ!」
押し入れに潜んでいた並木坂マオ(
ja0317)が襖を蹴り飛ばす。『黒』は反応できず襖の下敷きとなる。
そこへ
「でやぁぁぁっ!」
助走の勢いを乗せた、マオ渾身のソバットが炸裂した。襖は真っ二つに圧し折られ、『黒』は壁に衝突した。
撤退すべく壁に寄りかかる『黒』。
しかしいくら透過しようとしても一向に叶わない。
「逃がしませんよぉー」
壁の向こうで、エマ=カーズン(
ja8596)が阻霊符を発動させていた。
なら屋根の亀裂から、と起き上がる『黒』。
その前に、アスハとマオが立ちはだかる。
「睡眠という安らぎの一時を脅かす害悪は、排除する必要がある」
「うぅ……近くで見ると更にグロい……」
遠い所から『白』の鳴き声が届く。
『黒』は口を開き、長い鼻をずるり、と降ろした。
●
なんとか逃げ果せた『白』は、向かいの家、恭弥と静流が潜んでいた家の屋根に着地した。立て続けに受けた攻撃により、体のあちこちからは未だに体液が漏れ続けている。矢に至っては刺さったままだ。狼に齧られた腹も痛み、立っていることもままならない。
それでも『白』は羽に力を込めた。敵の位置を確認し、『黒』に伝える為に。
が。
それをするまでもなく、『白』の前に何者かが現れる。
「よォ、白いの」
全身に闘気を滾らせた水洛律(
ja3844)が、いち早く屋根に上っていた。
「お前らだけは許さない。お前らだけは許せない!」
声を上げ、『白』が羽ばたく。
「させねェッ!」
気合一喝、律は一気に踏み込み、光纏を宿らせた拳で『白』の頭部を殴り飛ばした。
『白』は吹っ飛び、隣の民家の軒に胴体を打ち付ける。か細い声を上げ、短い四肢をばたつかせ、尚も『白』は逃げようとする。
「行かせるかよ!」
追撃しようとする律の前に
「邪魔だ」
「下がっていろ」
駆けつけた恭弥と静流が割り込み、構えるなり狙撃した。
突風のように押し寄せる銃弾と矢。それら全ての直撃を許し、『白』は何度も屋根の上で躓いてから――
ぴーーーぁーーー……
家屋の奥へ墜落した。
律が短く口笛を吹いた。
「凄ェな、あんたら」
賞賛を黙殺し、恭弥は次弾を装填する。
「まだ半分だ」
静流は一度だけ小さく弦を弾いた。
「私たちは『黒』を狙う。律君は『白』を確認してきてくれ」
「おうよ、任せとけ!」
言うなり、律はひょいと屋根を飛び移り、『白』が墜落した場所へ降りていく。
彼を見送ってから静流は向かいの家に視線を流した。
彼女の瞳に映ったのは、爆ぜる屋根と、そこから流星のように飛び出す『黒』の姿だった。
●
『黒』が鼻を振り被る。
部屋の広さはどんなに多く見積もっても8畳。回避し続けることは困難と判断したマオがアスハの前に出た。
鞭のようにしなり、鼻がマオ目掛けて振り降ろされる。それがマオのブロックと激突すると、ばちんっ、と鈍い音を立てた。
「くぅっ……!」
「ミス・マオ!」
「平気、任せといて!」
びぁー
弾かれた鼻をすぐさま引き戻しマオに叩き付ける。打つだけでなく、先端を突き出しての殴打、大振りで払うように振った横薙ぎ。それが嵐のように続いた。
攻撃を一手に受け続けるマオに、やがて疲弊の色が浮かぶ。袈裟懸けに振られた鼻を両腕で受け止めたが、勢いを流し切れず床に膝をついた。
『黒』は攻撃を緩めない。鼻を切り返して追撃する。
マオのブロックが弾かれる。
「しまっ……!」
がら空きになった彼女の腹部へ、『黒』は一度圧縮した鼻を勢いよく突き出した。
その渾身の一撃を――
バチィィィィィィィィィィッ!
突入のタイミングを見計らっていたエマが飛び込み、シールドで防いだ。
鼻っ柱を弾かれ、『黒』がよろめく。
アスハが身を乗り出し、銃を構えた。
「むしりとれ、その牙を以て!」
主人の命を受けた薄紫の狼は、大きく口を開き、『黒』の胴体に激突した。
吹き飛ばされ、壁に全身を強打する『黒』。しかし致命傷には至らず、数度ばたついた後立ち上がり、鼻で床を叩いた。
盾を構え、防御に徹するエマ。
両手で銃を携え、神経を集中させるアスハ。
傍らから虎視眈々と機会を窺うマオ。
一触即発の室内に、間延びした『白』の鳴き声が入り込んだ。
びぁー
鳴き、『黒』が床を払う。
「っとと……!」
三者を足止めすると、『黒』は羽を動かし、屋根を突き破って飛び出した。
「こんのぉっ!」
マオが跳ぶ。が、届かない。
『黒』はほぼ地面と垂直に飛び上がり、『白』を目指して急降下した。体に矢を受けても、銃弾を喰らっても、『黒』は一寸たりとも速度を落とさず、『白』のもとへ辿り着いた。
既に到着していた律は目を丸くし、しかしすぐに拳を握った。
「上等だ! まとめて――」
「だめ、逃げて!」
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瞬間、辺りを超高周波が襲う。
高密度で鋭利な音の波は、宛ら流動する鈍器。
律の体の内外を電撃のような振動が食い荒らす。
「が……ッ!」
吐血し、膝から崩れ落ちる律。
彼の頭上、高らかに黒い鼻が掲げられる。
混濁する意識の中、律は動けない。
無慈悲に、そして寸分の容赦なく、鼻が振り下ろされた。
「く……そォ……ッ!」
歯を食いしばり、『黒』を睨みつける律。
鼻が彼の目前に迫った瞬間、横から凄まじい勢いで突き飛ばされた。
鼻は地面を叩き、えぐった。
「大丈夫、律さん!」
「……マオ……」
「一旦退こう! 立てる?」
「……悪ィ、肩、貸してくれ……」
「おっけい!」
律を担ぎ、マオはその場を去ろうとする。
追撃を警戒した彼女は一度だけ振り向いた。
視界の奥で、『黒』が『白』を丸呑みにしていた。
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四人は既に合流、民家の陰に身を潜めていた。
「いやぁー……凄い『音』でしたねぇー……」
「『白』を殺られてオカンムリ、か?」
「やることは変わらねぇ」
「同感だな。分断戦が総力戦になるだけだ」
律を担いだマオが戻ってくる。律はぐったりとしていて、遠目にも負傷していると判断できた。あらあらぁー、とエマが小走りで駆け寄る。マオは彼を預け、ぜえはあと息を切らせて恭弥らに歩み寄った。
「はあ、はあ……っ」
「おかえりなさい、ミス・マオ」
「状況は?」
マオは咳を払い、なんとな呼吸を整え、
「隠れて!」
叫んだ。
反射で全員が家屋の陰に入る。
直後。
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大気と大地を震わせる、咆哮と羽音が轟いた。
背中を預けた壁がびりびりと震えている。遠い場所で瓦が割れる音がする。たまらず屈み込めば、砂利が飛び跳ねていた。
音が止む。
銘々が家屋から距離を取り、空を見上げた。
「ふん」
「うわぁー……」
「へえ」
「これは……」
浮かんでいたのは、身を白と黒に二分した真円。一瞥すれば出現した時と変わらないが、二回りほど大きくなっている。
更に、円周上から羽と鼻が生えていた。
1時と11時の位置に羽、3時と9時の位置に鼻、5時と7時の位置にまた羽。
そして12時の位置に、4枚の耳が花弁のように集っていた。
「俺の射線に出るんじゃねえぞ」
言葉を残し、恭弥は夜の帳に姿を消した。
「動けますか、律さん」
「……ああ。なんとか、一回くらいは行けるさ。ありがとうな、エマ」
「いえいえー。ご無事で何よりですー」
「それで、どうする?」
「私が奴の気を引く。それぞれ、ありったけを叩き込め」
静流の言葉に頷き、四人は四散する。
それを察した『黒白』が、上の羽をばたつかせて気配を探ろうとする。
「耳障りだ」
静流が砂利道にハルバートを突き立てた。それを振り回すと砂利が飛び散り、壁や軒先に当たってパラパラと音を立てた。
羽の動きが止まる。
わかった、と。
そこか、と。
「そろそろ終わりにしよう」
斧槍を構え、静かに告げる。力強く、絶対的な敵意を込めて。
『黒白』が呼応する。両の鼻を振り回し、夜空を滑り落ちてくる。
舞い散る瓦礫の雨の中、静流は『黒白』の接近を待つ。
『黒白』の鼻が同時に静流目掛けて振り下ろされた。
彼女は大きく踏み込み、鼻を潜ると、斧槍を円の中心に突き立てた。
傷口から桃色の体液を撒き散らし、悶える『黒白』。その上を静流は飛び越える。
花弁の中に餞を残して。
パパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパッ!
鼓膜の中央で爆竹が暴れた。
『黒白』はのた打ち回ってもがき苦しむ。
ハルバートを携えた静流は『黒白』の背後に着地すると、身を屈めた。
直後、闇の中から大口径の銃弾が襲来する。それは正確に傷口を捉え、体内で爆発を引き起こした。
『黒白』が砂利道に沿って吹き飛ぶ。
出口では、アスハとエマが構えていた。
「今だ!」
「はいー!」
アスハが放った紫の狼と、エマが放った白と黒の光が、互いに交叉し合いながら『黒白』の背に喰らい付いた。
大きく仰け反り、落下する『黒白』。
そこには、力を溜め終えたマオが待ち構えていた。
「……ぁぁぁぁぁああああああああああッ!」
叫び、跳躍したマオは、黄金色の軌跡を残し、神速の飛び膝蹴りで『黒白』を打ち上げた。
そこを目掛け、律が屋根を蹴る。
彼は組んだ拳に光を宿らせると、
「くたばれオラァッ!」
全体重とありったけの力を込めて、『黒白』に叩き付けた。
『黒白』は成す術なく砂利道に激突、一度大きくバウンドし、軒を崩しながら転倒した。
鼻には力が入らない。羽を動かすが、体は浮かない。
ぶすぶすと煙を上げる背面に、静流が斧槍を突き刺した。
「眠れ」
繰り出される、斬撃の乱舞。
やがてそれが治まり、静流がハルバートを仕舞う頃には、『黒白』は跡形も残っていなかった。
●エピローグ
「おお、戻りましたか。報告を聞きましたよ、大成功だったようですね」
と、言いたいところですが。職員は顔を曇らせた。
「やや、家屋への損害が酷くてですね。村長がまあまあお怒りなんですよ。
挙句の果てに、報酬は半分だー! などとのたまう始末でね。こちらも困って……」
面々の表情を見渡すと、職員は笑顔を見せた。
「あなたたちが気にすることではありません。
まあ、屋内での戦闘には、今後注意してもらう、ということで。厳重注意としますが、それもこれで終わりです」
彼は席を立った。
「私は職員ですから、直接討伐に赴くわけにはなかなかいきません。
ですがお話したとおり、この依頼だけは、この相手だけはどうしても倒したかった。
その心意気を、あなたたちは汲んでくれた。それが私は、何よりも誇らしい。
今回は本当にお疲れ様。そして――」
ありがとう。
職員は瞳に涙を溜め、深々と頭を下げた。