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霞がかった青空に咲き誇る桃色の花。
苔生した石畳の上を跋扈する赤黒い異質に、六つの意志が相対する。
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振り向き、歩き出すサーバント。双頭からそれぞれ黄ばんだ息を撒き散らし、腕をぶるぶると揺らして進む。
その片側、黒ずんだ左腕の中ほどに、宙を滑空した烈火の刃が激突した。
巻き起こる爆炎。追い出された黄色の息が風に乗って乱れる。
「……酷い臭い」
手の甲で鼻を隠し、楊 玲花(
ja0249)は眉間を狭める。
「焼き尽くせば、少しはまともになるでしょうか」
彼女のやや前方から、キャロライン・ベルナール(
jb3415)が視線、そして防臭マスクを差し出す。が、玲花は小さく首を振って微笑んだ。
「私は今回、後方支援に専念しますから」
彼女の傍ら、マスクを装着した日下部 千夜(
ja7997)と神埼 晶(
ja8085)が臨む。
晶は長い銃身を支えるように手を添え、スコープを覗いたまま一瞬で照準を合わせる。直後、発砲。トリガーを握った瞬間に飛び出したアウルの弾丸は、赤が胎動する右腕を強かに叩き付けた。
「……風紀委員会独立部隊、日下部、参ります」
脚を大きく前後に開き、重心を後ろに全て乗せて腰を落とし、弓を引き絞る。明確な敵意を乗せれば、瞬く間に得物が黒を纏う。手を放した。闇のような霧を纏った矢は地面と平行に疾走、赤い腕、寸前に晶が狙い撃った一点に着弾、深々と突き刺さる。
まるで的のように焼かれ、撃たれ、射抜かれ。
木偶ではないぞ、とサーバントが動き出す。
そのすぐ目の前で赤が、次いで鈍色が揺れた。
ギィ・ダインスレイフ(
jb2636)と、彼の得物である。
姿より先に痛みが走る。深い。だが動けぬほどではない。
三つ指の手が開く。平には穴が開いていた。
腕に似た色の砲弾が飛び出す。狙いは直前、ギィ。だが彼は、目を閉じて首を傾け、一歩仰け反って難なく躱した。砲弾は石畳に墜落、ねちっこく爆ぜてからぶずぶずと妬んで消えた。
横目で見遣るギィの上、黒ずんだ刃が持ち上がる。彼が視線を流した瞬間、それは振り降ろされた。
「……はぁ」
零れた溜息が衝突に吹き飛ばされる。割って入ったキャロラインが、天秤を刻んだ白の盾で防いだのだ。
鼻を鳴らし、弾く。
サーバントは二歩後退。それぞれの双眸でギィとキャロラインを睨みつける。
赤い頭のすぐ横を、やや控えめの速度で矢が通り過ぎた。本来なら起こることのない、『外した』という現実に、スケアクロウ(
jb2547)は痛烈に舌を鳴らした。
「わかっているとは思うが」
長い金髪の間からキャロラインの視線が飛んでくる。
「私より前に出るなよ。自分の具合を忘れるな」
「……ケッ」
スケアクロウは唾を吐き捨て、包帯だらけの手を強く握り締めた。
あやふやな返答にキャロラインはそっと気を揉む。
「(四国でヴァニタスに喧嘩を売った代償。
ただで済むはずも無く、簡単には死なないヤツだと確認できても、やはり気にはなる。
早急に撃退しなければ。そして、守り抜かなければ)」
彼女の想いを汲んだように、ギィが踏み込み、赤い腕へ刀を振り降ろす。体重を乗せた重い一撃は、腕の中ほどをばっさりと切り裂く。
ほぼ同時、遥か後方から火炎の刃が飛来する。黒い腕へ鋭角に、抉るように突き刺さり、爆ぜる。出鼻を挫き、且つ確実に体力を削ぐ一撃。
無論サーバントも黙っているわけではない。黒い腕に力を込める。刻みたいのは玲花。だが彼女は彼方だ。
視界の下半分で白が揺れる。キャロラインが盾を左右に小さく振ったのだ。
いいだろう。
黒い刃が押し潰そうと振り降ろされる。再び白い盾と激突。キャロラインは膝を軋ませながらなんとか堪える。彼女の足元に、廃油のような黒がびちゃり、と泣いて零れた。
右腕が動く。一旦腰の後ろまで振られ、勢いを乗せて赤い砲弾を撃ち付ける。
ギィは溜息、地を蹴って空中で回転、事なきを得る。
宙で身をよじる彼と赤が爆ぜた石畳の間を一対の光が駆け抜けた。まず35.7口径のアウル弾が赤い肉を貫き、開いた風穴を広げるように黒を纏った矢が突き刺さる。
――――――――――――――――!!
脳髄まで響くような高い高い奇声。
咄嗟に盾の後ろへ隠れるキャロライン、怪訝な表情を浮かべるギィ。
彼らの後ろで千夜は小さく息を吐く。
正真正銘の初戦闘で初前線。緊張や不安がゼロであるはずがない。
奇声や異臭には肝を抜かれたが、それでもなんとか戦えている。驕りなどではなく。隣を任せることができる仲間、前を任せることができる仲間。それがこんなにも頼もしいものだったとは。
このままなら、いける。キャロラインの傷が浅いうちに片を付ける。
決意を新たにして弓を握った瞬間、やや前方から金属音が届いた。
千夜が、晶が、そして玲花が顔を向けた先で。
スケアクロウが斧槍を携え、煙草に火をつけていた。
「チビ、フォローしろ」
呼ばれ、キャロラインは肩越しに彼を睨んだ。
「数瞬前の私の台詞を忘れたか。それとも耳まで重体か?」
「うるせぇぞチビ。黙って言う事聞いてりゃいいんだよ。こんなチマチマしたことやってられるか」
「君というヤツは……」
キャロラインは豪快に肩を落とした。
無茶な。
千夜が口の中で呟く。完成し成功している隊列を崩す必要が何処にある? まして彼は、実力の半分さえ出せない程の傷を負っているというのに。
玲花の形のいい唇から、はぅ、と息が漏れた。
自分の考えは間違っていなかった。千夜は胸を撫で下ろし――
「あれは止まりそうにありませんね」
――続いた言葉に目を剥いた。
「私も行く」
ライフルを腰の高さまで下げ、晶が鋭く息を吐く。
「裏側に回ってみる。できればフォローしながら」
「では私は援護を。日下部さん、合わせてくださいますか?」
反論の、そして議論の余地がないことを悟り、千夜は矢じりに手を添える。
滲む葛藤は玲花にバレていた。
「想定、予定していたとおりに進むことばかりではないわ。それらに対応できる術もまた、強さではないかしら?」
輪郭のみのあやふやな作戦は、勢いよく肉を断つ音を合図に開始された。
ギィが横薙ぎに振り抜いた刀の先、黒い腕に三太刀目の炎の刃が追突する。
スケアクロウが鴉のような、巨大な漆黒の翼を広げる。
斬撃と魔法によりサーバントは3歩後退。
晶が駆け込む。彼女を飛び越えるように放たれた千夜の矢が高い位置から赤い肩を目指し、どん、と突き刺さる。
赤い頭は千夜を、黒い頭は玲花を見据える。確かに注視していた。
「どこ観てやがる!!」
青天からスケアクロウが怒号と共に迫る。傷が祟り調整が上手くいかず、宛ら墜落するように。
「何故引き付けた!?」
低い位置から振り上げられそうになる黒刃をキャロラインが身を呈して盾で止める。
尾を引く衝突音の上からスケアクロウが迫り――
「ぅおらァッ!!」
――肩口へ斧を思いきり振り降ろした。ドンッ、と叫び、肩が割れる。
衝撃で揺れるサーバント。その拍子に、赤い指が、脇を駆け抜けようとしていた晶へ微かに触れた。
3本の指が開く。
晶は舌打ち、石畳へ飛び込むように踏み切る。
掌から飛び出した魔の砲弾は彼女が元居た位置に着弾、爆発。
晶は靴底をずりながらなんとか体勢を整え、びきびきと震える赤い掌へ照準を合わせ、トリガーを握った。銃口から放たれたアウル弾が指の付け根を裂くように突き刺さる。
再び上がる歪な悲鳴。
息と肩を落とす晶の傍らにスケアクロウが転がるようにして着陸した。
「久しぶり」
「ったく、力が入りゃしねぇ」
「守り甲斐があるな、まったく」
手の具合を確かめるスケアクロウの前にキャロラインが滑り込む。
彼らを赤い顔が見下ろす。裂けた手をわきわきと動かした。
「そろそろ終いだ。遅れるなよ」
「お前は遅れろ」
「いいコンビだね」
傍から見ているだけなのに、頭に血が巡るほどには。
「……成功、でしょうか」
細く、長く息を吐く千夜の頭を玲花が浅く撫でた。
「素晴らしい一撃でしたよ」
「……ありがとうございます。ですが――」
黒だけを向けるサーバントは桜回廊に於いてその異質さを一層増していた。あちこちに傷を負った腕は尚も敵意をむき出しにして威嚇してくる。まるで悪い夢でも見ている様。
だからこそ、その前に立つギィは映えた。気だるげに佇み、それでいて凛とした背中。髪や服には、ちらほらと桜の花びらがしがみついていた。
「……さて、夢から醒めるぞ」
軋むほど開かれた掌にアウル弾が激突する。閃光に弾かれるように高らかと打ち上げられ、だが尚も攻撃に移る。
鋭角に降りかかる赤黒い砲弾を、
「気の所為か、苦しんでいるようにも見えるな」
白い盾が受け止める。表面に象られた天秤、その皿に泡を吹く赤い液が滴る。
「――還してやる」
ゆるやかでしなやかな動作から繰り出されたのは全身全霊の一撃。踏み込みから、つんのめるほど体重を乗せた渾身の一撃が黒い身体に打ち込まれた。
が、やや浅かった。間髪黒い刃が突き立てられそうになる。
そこに飛来したのは玲花が放った棒手裏剣。そして直後、地面から這い上がった影がサーバントを塗り潰さんとするように伸び、がんがら締めに縛り上げた。
「これで上等です。日下部さん!」
自由の効かない体をなんとかよじって繰り出した斬撃は、しかし速度も鮮度も格段に落ちていた。目を細め、ギィは紙一重でそれを躱して見せる。眼前でぶるぶると、悔しげに震える黒い腕に、彼方から飛来した千夜の弓矢が着弾、貫通した。
びちゃり。
押し出された肉が石畳を叩く。
より、早く。
ギィが刀を振り回した。古びた刀は三日月のような剣閃を残して鞘の中に納まる。鍔がかち合う小さな音は、どすん、という腕の落下音に紛れた。
―――――――――――!!
傍らで発せられる絶叫に目もくれず、赤い腕が動く。
「しっかりカバーしろよ。俺にこれ以上怪我させんな」
「なら後列に居ればいいだろう?」
「誰が下がるかバカが」
唾を吐いて舞い上がるスケアクロウ。半分閉じた瞳で彼を見送るキャロライン。
さて、と視線を戻した時には、もう赤い掌は目と鼻の先にて開かれていた。
まるで掴もうとするように動く指、その一本を晶が正確に狙い撃つ。上側を押され、指は根元から圧し折れた。しかし腕の挙動は止まらない。一瞬で魔力の充填が完了、妖しく怪しく光り輝く。
キャロラインはあごを引き、盾を『仕舞った』。
無防備になった――ように感じられた――彼女に砲を放つべく、より強く輝く赤。
そこへ、ドンッ、と青が『刺』し込んだ。
手のひらの中央、力をたくわえていたその只中へ、キャロラインが握った鎌の刃が突き刺さり、貫いたのだ。
ぐいと引き、ぐいと捻り上げる。上がる嬌声は黙殺。
「見せ場だ。転ぶなよ」
「うるせぇぞチビ。誰に言ってやがる!!」
両手で確かに得物を握ると、スケアクロウは翼を隠した。
高い位置から落下する。
そしてタイミングを計り、全身の痛みを堪え、ありったけの力を以てハルバードを振り降ろした。
一度だけ、強くて短い破裂音。
腕を断たれ、サーバントは悶える。両手足、そして斧槍を支えにしてスケアクロウは着地、その前には間髪入れずキャロラインが割り込んだ。
―――――――!!
―――――――!!
「(これでもう武器はあらへん。どうすんねや、あいつ……)」
固唾を呑んで千夜が見守っていると、サーバントは彼に背中を見せ、走り出した。玲花が纏わせた影は、移動の最中になんとか振り払えたものの、不揃いの長さになった腕の所為でバランスが取れず、ひどくよたついたものになった。
傷を抑えるスケアクロウにも、彼を護るキャロラインにも目をくれず、走る。逃げようとする。
「行きましたよ!」
玲花の声を受け、しかし晶は徒手。
道々の石を足の裏で割りながらサーバントが迫る。
晶は胸の前で一度手を打ち鳴らすと、大きく一歩踏み込んだ。
そして鋭く息を吐き、足具を纏わせた脚を、低い位置から突き上げるように撃ち出した。
靴底は腹部に直撃、突き刺さる。だが彼女の足は止まらない。『それ』を足場にして飛び上がると、腰の入った後ろ回し蹴りをサーバントの胸部に叩き込んだ。
堪らず動きを止めるサーバント。
その巨躯の、右肩から左脇腹を剣閃が走った。
ずるり、と滑る上半身。
更に走る。今度は左肩から右脇腹へ。
×字に断たれた体が崩れ落ちる。
見晴らしのよくなった道の中ほどで、天を仰いだギィがふぅ、と大きな息を吐いていた。
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「たまたま上手くいったからいいようなものの、万が一のことがあったらどうするつもりだったんだ!!」
亡骸に、空を切り抜いたようなシートを丁寧に降ろしつつ、キャロラインがまくし立てる。
スケアクロウはそっぽを向いて紫煙を味わっていた。
「上手くいったんだからいいじゃねえか。それに万が一、なんて起こるかよ」
「起こった結果がその怪我だろう!?
いつか私と刃を交えるその日まで、戦えなくなるほどの怪我を負うことなど許さんからな!!」
スケアクロウは一瞬だけ目を丸くして、やがてニタリと微笑んだ。
「ほぉ。いいこと聞いたぜ。なら、とっととこんな傷治さねぇとな」
「……返すのは後でもいいかな」
外した防臭マスクを弄び、晶は肩を竦める。彼女の隣で、あら、と玲花が小首を傾げた。
「ギィさんは、どちらへ?」
「さっき日下部さんが探しに行きましたよ」
「……ここでしたか」
道からやや外れた先、桜の屋根の下にギィは突っ立っていた。声に振り向き、しかしすぐに目は桜へ。
千夜は口を結んで彼に並んだ。顔を上げれば、満開の桜が春の風に揺れている。ぽりぽりという音に目を向けると、ギィが指でつまんだブロック菓子を黙々と口へ運んでいた。
「……どうだった?」
「……何が、ですか?」
「初戦闘、だったんだろ?」
千夜は目を閉じ、回顧。胸いっぱいに息を吸い込んで、吐き出した。
「……なんとか、終われて、ほっとしています」
「……そうか」
お疲れさん。言ってギィは菓子を千夜に差し出した。
軽く頭を下げて受け取る。含んだそれは、ほんの微かに甘かった。
戦いの後の、あまりにささやかな花見は、痺れを切らした仲間が駆け付けるまで、とても緩やかに続いた。