●
下車した生徒らは一様に神妙な面持ちを湛えていた。
深い夜、重い闇。地や葉を揺らす間延びした咆哮。そして、空に浮かぶ得体の知れない半月と、寄り添う金色。
動き出した25の背中を見送り、職員はマイクロバスに背中を預けた。胸の前で手を握り、ただ無事であるように、と何度も何度も、願い続けた。
●
「あー、うん。確かになんか居らァ」
腰に手を当て、黒い林を見つめて小虎(シャオフー)は鼻を鳴らす。肩越しにつやつやした半月を見上げれば、2分前と変わらずドクサがふんぞり返っていた。
「打ッて出た方が早ェーッて。なァ、行かせてくれよ。威力偵察、だッけ?」
「駄目よお、シャオ」
のんびりした声は、遠い所からディアボロの咆哮をほんわかと跳び越えてやってきた。
「これは防衛戦よお。『あの子』を守り抜ければ、それでいいんですからねえ?」
ちょっと違う。ドクサが足を組み直す。
「これは迎撃戦。追い払えればそれでいいよ。ニンゲンなんかいつでも殺せるじゃーん?」
「あぁ、なるほどお。失礼いたしましたあ」
大虎(タイフー)は微笑んで、小虎は舌を打って余所を向く。
「(心得の無いヤツなら、の話だろ)」
「(負ける気はしませんが、私は侮りませんよお?)」
「判ってるだろうけど、奇襲なんか受けたら千切るからね!!」
「あいよ!」
「あいよー」
●南の林 狙撃班
林の中に身を隠し、黒百合(
ja0422)は静かに神経を尖らせる。リズミカルに銃身を指で叩き、不意に上がった頬をすっと引き締める。瞳は遠くの何かを見据えて離さない。
ナナシ(
jb3008)は彼女の邪魔にならない距離でハンズフリーのスマートフォンを握り締めていた。緊張とも高揚とも取れるその硬直を、離れた幹の陰から中津 謳華(
ja4212)が案じる。
「今は待つ他あるまい。お前は最善を尽くすことだけを考えればいい」
「……ええ、そうね」
きゅっとナナシが握り締めると、スマートフォンが勢いよく振動した。
●西の林 攻撃班
「アダム(
jb2614)だ。攻撃班到着、準備完了した」
彼が木々の間から覗き込めば、遠くをディアボロが跋扈している。その不自然なほど開けたエリアの隣に彼らは陣取っていた。今は待ち、動きを見極めねばならない。番場論子(
jb2861)は目を見張る。
「この無防備さは、やはり誘っている、と考えるのが妥当なのでしょうか……」
隣で眉を寄せるのはクリフ・ロジャーズ(
jb2560)。
「とは言え、林に押し込まれては元も子もありません。囲まれぬよう注意して目指すしかないでしょう」
目指す。
仄暗い赤い瞳が空を見上げた。半月は悪魔に寄り添われ、微動だにしない。
「成長したら、タマゴみたいな形になったりするんでしょうか」
まさか。一蹴したイリン・フーダット(
jb2959)の横から、すっと片瀬 集(
jb3954)が上体を伸ばして覗き込み、小さく息を落として戻っていった。
「どうかしましたか?」
「いや……嫌な予感がしたから、白とか黒とかに分かれているんじゃないか、と思って。でも、真っ黒だった」
「嫌な予感、ですか?」
「うん、太極図、その中でも陰陽魚と言って……」
拾った枝で土を削る集。
ところで、とカーディス=キャットフィールド(
ja7927)が周囲を見渡した。
「オーデン(
jb2706)さんの姿が見えないようですが……」
「別行動だっつってたな」
影野 恭弥(
ja0018)は銃を弄りながら口を動かす。
「俺も個人で動かせてもらう」
「馬鹿を言うな」
割って入ったのはアダム。
「これだけの大群だぞ。単独でどうにかなるわけがないだろう」
「大群の奥に居る『別口』が見えるか。あいつに用があるだけだ」
「何を――」
さらに反論しようとしたアダムの手の中、スマートフォンが声を吐く。
「龍崎海(
ja0565)だ。陽動班到着、行動開始する」
●南東 陽動班
林の中に光が2つ生まれる。神秘ささえ感じさせる鮮烈なそれは、数体のディアボロの目を焼き、背けさせる。
そこへ黒い光が走った。夜をそのままくりぬいたような圧倒的な光が、顔を背けていたディアボロを容赦なく削り取っていく。
少し離れた位置からは白い光が一呼吸で伸び切り、密集していたディアボロを薙ぎ払い、押し潰していった。
「『すきにやれ うしろはまもる』」
合図に無言で頷いてから、崩れた魔の軍勢にマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)が切り込む。低い姿勢から放たれた黒焔を纏った鋼糸を繰り、半壊していたディアボロの胴に巻き付け、力任せに引く。ぶちぶちと鳴りながら倒れ込んだディアボロの頭部を、カイン 大澤 (
ja8514)が足具のかかとでぐしゃり、と踏み潰した。
少し離れたところへ駆け込むのは神喰 茜(
ja0200)。黄金色に変色した髪と血のような深紅の光を撒き散らし、勢いそのままにディアボロの腹部へ刀を突き出す。たまらず吹き飛ぶディアボロ。充分過ぎる手応えに頬を歪める彼女の両隣から別の個体が迫る。が、策の内。踵を返しながら体を回転させ、認識させる間もなく同時に斬りつけて見せる。崩壊寸前にしても尚腕を振り降ろそうとするディアボロ。その頭部に海の放った純白の扇と、神埼 晶(
ja8085)の弾丸がそれぞれ貫いた。
「あの職員も無茶言うわよね、この人数でこの大群の相手をしろ、なんて」
「そう? 結構燃えるんだけど」
「熱くなり過ぎたら駄目だ。突出し過ぎないように」
下がろうとする茜に数体のディアボロが押し寄せる。だが、連中を迎えたのは虎綱・ガーフィールド(
ja3547)の一撃。放たれた光はディアボロの四肢をずた襤褸に切り裂きながら直進していく。立っているのがやっと、といった様子の群れの中央に、サガ=リーヴァレスト(
jb0805)が放った無数の紫の三日月が浮かび上がる。それは極めて無慈悲にディアボロを裁断した。目の前の光景に虎綱は短く口笛を鳴らし、再び気配を潜める。
「ほぇー……」
仲間の勇姿に面食らっていた静馬 源一(
jb2368)に、近づいたディアボロが掲げた脚を振り降ろす。
「わわわわっ!?」
転がるようにしてなんとか初撃を回避、源一は踏み込み、腕輪を嵌めた拳をディアボロの腹部に突き出す。
手応え有り。だが不十分。ディアボロが手を組み合わせ、源一に振り降ろそうとする。
「【双極】active。Re-generete」
咄嗟に屈んだ彼の上を長槍が踊る。蒼龍が右腕を切り上げ、銀龍が左腕を切り落とす。ぼとり、と落ちた腕に慄きながら源一が我武者羅に突き出した拳はディアボロの下腹部を貫いた。崩れるディアボロに巻き込まれぬよう後退、振り返りながら顔を明るくした。
「助かったで御座る!」
「気にするな」
白い歯を見せ蒼桐 遼布(
jb2501)は笑う。
「出だし上々、か?」
久遠 仁刀(
ja2464)の呟きに浪風 悠人(
ja3452)が首を振る。
「一瞬だって気が抜けません。油断すればあっという間に呑み込まれてしまいます」
振り向く。
「2人は光を維持してください。俺たちが必ず守り抜きます」
悠人の言葉に呼応するように、マキナ、カイン、茜、晶、海、虎綱、サガ、源一、遼布が集合、背中で取り囲む。
「頼もしいことこの上ないです」
「……無理は……しないで……ください……」
黒井 明斗(
jb0525)が眼鏡の位置を直し、華成 希沙良(
ja7204)が胸の前で手を握った。
彼らの足元から光が立ち昇る。青龍、白虎、朱雀、玄武。それぞれを頂点とした結界が、仲間を優しく、しかし力強く包み込んだ。
温もりに頬を緩め、虎綱があごを上げる。金髪の悪魔の傍らでは、相変わらず黒い半球が佇んでいた。
「こんな状況でなければ、雅な月なのですがのう」
「……あんなお月様は、嫌い、です」
久遠寺 渚(
jb0685)の頑なな眼差しが彼のそれと交差していた。
周囲のディアボロに指示を出す。圧せ、潰せと。命じられ、従い、しかし配下は舞い飛び、切り落とされ、打ち崩されていく。
大虎は指で唇を抑えた。そこへドクサが声を投げる。
「なにしてんだよー! さっさとヤっちゃえって!」
「……どうして光を出したのでしょうかあ?」
「あぁ!? 聞こえねんだけどー!?」
「視界の確保お? にしては展開が遅すぎますねえ。現に、あの暗い林の中をやってきたんでしょうからねえ。
開幕の大技も気になりますねえ。少なくとも、こっそりと切り進んでくるつもりは無いように見えますねえ」
どちらにせよ。大虎は肩越しに指揮官を見上げる。
「北の子、少しお借りしてもいいですかあ? ちょっと数が多いのでえ」
「好きにしろよ早く倒せって!!」
「はぁい。あ、それと一応、シャオの方へも寄せてあげてくださいますかあ?」
「それを指揮するのがアンタらの役割だろがぃ!!」
怒鳴りながらも指示を出す。北側には最低限だけ残し、北東を守っていた群れを東西へ偏らせた。
そして大虎の読みに準じたドクサは、この時、間違いなく、南の林に背中を向けていた。
●狙撃班
「今だわ。行きましょう」
ナナシの声に頷き、黒百合が彼女の肩に手を置いた。
黒い翼が彼女を護るように開く。そして音も無く羽ばたくと、木々の、葉の間さえ縫って飛翔、夜空に躍り出た。
眼下は戦場。右側ではディアボロの群れに包囲された仲間たちが、組んだ陣を維持してなんとか押し返している。左はまだ静かだが、津波が押し寄せる寸前のような緊張感を内包していた。
息を殺し、進む。
存在を消し、進む。
そして射程圏内。
無言で黒百合が片膝を立てる。寄り添った背は温かかった。伸ばした銃身は帽子に、頭髪にさえ触れぬように構えられる。
「……ったく、もっとシャキシャキ動けっての!」
指示を出し終えたドクサが振り返る。
スコープに映る十字が半月を捉えると同時、黒百合はトリガーを握った。
発砲音はほぼ皆無。闇を纏った弾丸が虚空を直走っていく。
夜を征く闇。
目視など不可能に近い。
だから、ドクサが反応できたのは、全くの偶然と言う他ない出来事だった。
「ッッッ!!?」
咄嗟に正面へ黄金色の防壁を展開、身を呈して銃弾から半月を護る。
――――――――!
金と黒が衝突。炸裂する光と轟音。
明斗が見上げる。
「やった、でしょうか?」
「なら、楽な仕事なんですがのう」
虎綱が鼻を鳴らし、傍らのディアボロに切り込んだ。
光が霧散する。
目の前の情景に黒百合は舌を打った。
情景とは、即ち、
「お……んまえらァ……っ!!」
半月の前で腕を交差させ、その奥からこちらを刺すほど睨みつけてくるドクサの姿。
黒百合は小さく溜息。
「手前も奥も無傷、ってのは凹むわねェ」
「一旦距離を置きましょう」
ドクサの腕が持ち上がる。
「見逃すわけが――」
細い腕は金を纏った。
「――ねえだらアアアアア!!」
叫び、突き出す。
掌から伸びた極太の金の柱がナナシらに高速で迫る。
「(避けきれない)」
衝撃に備えたナナシの前に人影が躍り出た。
―――――――――――――――――!!
耳をつんざくような轟音を残し、金がはらはらと戦場に散る。
「……ふう、中々堪えますね」
円盾を仕舞い、痺れる手を振るオーデン・ソル・キャドー。
「……ありがとう、助かったわ」
「なんの。それより……」
「アンタら、悪魔だよね?」
ドクサの言葉は静かではあったが、確かに尖っていた。瞳はさらに色濃く滾っている。
「付く側、間違えてんじゃないの?」
「いや、まったく?」
「あなたなんか『知らない』わ」
顔を見合わせて首を傾けるオーデンとナナシ。あっそ、とドクサは肩を竦める。
「……同族だからって手心なんか加えないよ。敵は敵だもん。
ドクサの子を虐める子はドクサが殺してあげる。
アンタら絶対に許さない。細切れにしてからディアボロに食わせてケツから捨てさせてやんよ!!!!」
「下品な台詞ねェ……」
ナナシの背に捕まったまま、黒百合が発煙弾を投擲する。それは緩やかな弧を描くと、ドクサとナナシらの中点で爆発、大量の分厚い煙を吐き出した。
「次の機会を待ちましょう。どんな強固な防壁も、必ずどこか綻ぶわ」
ナナシの提案に頷き、オーデンは彼女の背中を覗き込む。
「黒百合嬢には負担を掛けてしまいますが……」
「気にしないでェ。というかァ、ちょっと頭に来たわァ……。
『アレ』は絶対に私が落とすわねェ?」
「――なるほどですねぇ」
ディアボロの群れの中、大虎は腕を組んで何度も頷く。
「あの悪魔と人間が本命、ということですかぁ。
となると、目の前の彼らはその援護、ないしは囮、ということになりますよねぇ?」
ニコリと笑う。
「ちょーっと、気分悪いですねぇ?」
落とし、進む。
「ッ……舐めやがってよォォォォッ!!」
手前の煙を翼で払い、ドクサは唾を吐く。
「タアアアアアイッ! ってあのバカこっち見やしねぇっ!?
てかシャオはなにやってんだよ!? シャオ! シャアアアアアオッ!!」
応えられるはずもなかった。
何故なら。
●攻撃班
スマートフォンがナナシの声を吐き出した直後、攻撃班は行動を開始していた。
足音も、気配さえ殺しカーディスが無人の野を駆ける。そして大剣を抜き、間合いに入ると、低い姿勢から飛び上がるような挙動で目の前のディアボロに斬撃を叩き込んだ。
強襲を受け、ディアボロの群れも動き出す。が、その時主導権は既に攻撃班が握っていた。
眼鏡の位置を直すカーディスの頭上で3体のディアボロが腕を振り上げる。
その足元に彩りが生まれた。赤青緑黄。それらはやがて燃え上がり、多くのディアボロを巻き込みながら爆発する。クリフの一撃は、ディアボロを倒すには至らない。だが、続くアダムの矢が、イリンの弾丸が、論子の雷球が、一体ずつ丁寧に片付けていく。
「前に出過ぎるなよ!」
「囲まれては元も子もありませんよ」
「ええ、心得ていますとも」
薄く笑い、踏み込んで切り結ぶ。が、その一撃は、湛えた微笑みが苦笑いに変わる程度には浅かった。
咄嗟に構えたカーディスの頭上を深紅の刃が疾(はし)る。
刃はディアボロの胸から脳天に掛けてを断ち、砕けて夜に消えた。
ふぅ、と息を吐き、カーディスが振り向く。
「今のは特別助かりました」
白と黒が噛み合う真円の向こうで、集が小さく手を挙げていた。
北側を警戒しながらクリフが前に出る。余所見するなよ、と背中をアダムに叩かれ、しかし視線は再び北へ。
「(……何故、攻めてこないのでしょう?)」
陽動班と比べ、半数ほどの数しかない攻撃班が進軍を続けられたのは、勿論連携によるところも大きかったが、ディアボロの群れに包囲されなかったことが最大の要因と言えた。
敵意は感じる。敵視もされている。しかし攻めてこない。
何故か。
「――へッ、来やがッたな……!」
カーディスの初太刀が決まり、クリフの一撃でディアボロが爆ぜた頃、小虎は行動を開始していた。手前のディアボロの背に足を掛け、踏み潰すように跳び上がる。
ぶっ潰す。
ぶっ殺す。
暗い歓喜に歪んだ頬を、飛来した弾丸が掠めた。
「ッ!!」
宙で回転し、急きょ着地する。が、弾丸は休むことなく迫り来る。
小虎は一度大きく後方へ回避、ディアボロの胸の肉を掴むと自分の前に突き出し、盾に見立てた。黒塗りの胴体に銃弾が着弾、着弾、着弾、着弾。使い物にならなくなった亡骸を投げ捨てたところへまた弾丸が飛来し、小虎は痛烈に舌を打って頭を逸らした。
「久しぶりだな」
「! テメェは……ッ!!」
恭弥が銃を弄ぶ。
「覚えてるか?
『テメェらだけは、アタシが必ず死なす』って、お前言ってたよな」
「覚えてるさ! 忘れるわけがねェだろうがッ!!」
小虎が咆える。
「逢いたかったぜ、ゲキタイシ。
その目!
その匂い!
たった一晩だって忘れるもんかよ!!」
興味なさそうに恭弥が視線を横へ流す。眉を曲げてそれを追い、小虎が唾を吐いた。
「心配すんな、手出しなんかさせねェよ。絶対、絶対に、だ。
『アタシが必ず死なす』。こう見えて約束は守るんだよ」
「ふうん。『捜しモノ』は見つけられなかった癖に、か?」
「代わりにテメェが見つかッたサ――不倶戴天の敵ッてヤツがさァッ!!!」
小虎の咆哮と同時、空で金と黒が激突した。
そしてそれから、東側では激戦が繰り広げられることとなる。
●狙撃班
「あの脳筋バカ……!」
見下ろすドクサの背に敵意が迫る。振り返り、我武者羅に出した障壁に銃弾が驟雨の如く降り注ぐ。
「ッ! ……だぁあっ!!」
振り払い、色濃い金を放つ。狙いは煙の中の影。
金の帯は間違いなく影を捉えた。しかし手応えは皆無。まるで雲を掴んだ心地。
「何処だ……何処行ったアアアアアアッ!!」
「指揮官が脳筋だと煽るのも楽ねェ♪」
「このまま牽制を続けましょう。あの障壁にも限度があるかも知れないし」
「了解よォ。煙もうひとつ撒いておくわねェ」
白塗りの視界の中でさらに立ち昇る煙幕。その中を旋回しながら、黒百合はドクサ、半月への射撃を続けた。
●陽動班:大虎
銀色の光が治まると、傷はすっかり癒えていた。
「……平気……?」
ぶんぶん、ぐるぐると腕を振り回して具合を確かめ、源一はにっこりと笑う。
「かたじけないで御座る!」
「……頑張って……」
希沙良の微笑みに同じそれを返し、源一は前線へ戻っていく。戻るなり虎綱が斬り伏せたディアボロに手裏剣を投げ付け、撃破。低い位置で手を合わせて鳴らし、背中合わせに立ち回る。それを見届けてから、銀色の拳銃を構えた。
「和やかな顔しちゃって。毒気抜かれるよ」
「冷静になれるのはいいことだと思うよ」
顔を向けず晶に応え、海は翳していた手を降ろす。
再び滾る『力』を噛み締め、サガが虚空に手を翳す。幾度も戦場を切り裂いた刃が再び生まれ、群れを滅多矢鱈に切りつけた。垂れた頭部に明斗が放った矢が深々と突き刺さる。
「なんとか、生きて帰れそうだな」
手甲の裏で口元を歪め、サガは敵陣の中へ癇癪玉を投げ込んだ。
陽動班の策は盤石と言えた。人数、布陣、役割。引き寄せ、削り、砕く。数だけを頼りにしていた有象無象がおいそれと突き破れるものではまるでなかった。
にも関わらず、悠人の背は冷たい汗を湛えていた。
「(――まるで安心できないのは、何故だ)」
「浪風さんっ!!」
呼ばれて顔を上げた先、ディアボロの喉元に大口径の銃弾が突き刺さる。怯んだところで踏み込み、大太刀で腹部を横薙ぎ、一刀両断に仕留める。
「すみません、助かりました」
「お安いご用です!」
満面の笑みを向ける渚。これには流石に悠人も肩を落とす。
丸まった背中を仁刀が軽く叩いた。
「いけそうだ。このまま堪えよう」
「……了解です」
短く視線を合わせ、仁刀が前に出る。
緊張が解けていたわけでも、まして油断していたわけでもなかった。
強いて言うなら、陽動班の『勢い』が、彼を一歩だけ深く踏み込ませてしまった。
誰が傷つけたのか、右半身を大きく抉られた個体に仁刀は近づき、細身の大太刀を振り降ろした。
ばっさり。斜めに断ち切られ、ディアボロの上半身がずり落ちる。
その、
「っ」
奥で。
「どーもお」
大虎が引いていた腕を振り抜いた。
刹那、丸太のような黒塗りの杭が迫り来る。
仁刀はバック転、紙一重でそれを躱す。
顔を上げ、睨む。
「まだですよお?」
言葉と同時に大虎が手首を折れば、頭上、虚空から生えた杭が仁刀の背、肩の付け根を捉え、そのまま地面に押し付けた。
「が……っ!」
肉が潰れ、骨が軋む。口の中には土、そして鉄の味が広がった。
「はしゃぎ過ぎましたねえ?」
長い金髪を振りながら大虎が歩み寄る。
「囮なら囮らしく、踊って見せるべきでしたねえ。まあ、全部今更なんですけどねえ?」
腕が挙がる。
高らかに。
「見せしめですから、ひと思いに行きますよお?」
手首が、
折れる、
瞬間に、
黒焔を宿した鋼糸が走り、肘近くを痛烈に払った。
「――っ」
瞳を動かす。佇んだマキナの瞳が大虎の顔面、中央を射抜いていた。
そしてそれすら陽動の内。
大虎の視界の隅に赤い光が映り込む。認識した時にはもう遅い。駆け込んだ茜の一閃が大虎の脇腹を浅く、しかし確かに切り裂いた。
「甘いね」
「あなたがねえ?」
大虎の腰近く、無傷の手から杭が生える。それは一瞬で伸び、茜の喉元を狙った。
彼女は仰け反ってそれを回避。宙を貫いた杭、その『向こう側』を仁刀が跳び、刀の切っ先を大虎に突き立てた。
刀身越しに伝わる硬い肉の手応え。
「……っ!」
足の裏をずりながら下がる大虎。
「下がれ! 守りを固めろ!」
遼布の声を受け、目配せ無しで同時に後退しようとする3人。
「――舐めてんじゃねえですよおっ!!」
叫び、大虎が両腕を広げる。
直後、彼らの足元が、まるで剣山のように杭を吐き出した。
「ぐぉ……っ!!」
脇腹を撃たれ、打ち上げられる仁刀。
「つぁ……!」
真下から突き上げる杭に対し、身をよじってなんとか受け身を取る茜。
苦悶に歪む2人の表情を盗み見、嗤う大虎。
彼女の視界の左端。
杭の林を抜けたマキナが拳を握って駆けてくる。
「ちょこまかとお――!」
大虎は歯ぎしり、平手を突き出し杭を打つ。
足元を掬われ、つんのめるマキナ。
その背から、カインが飛び出した。
そして、小さな手のひらで柄を握り締め、その、剣と呼ぶのも憚られるような鉄塊を、目を丸くした大虎の顔面に叩き落とした。
「――っ」
「……駄目か」
ぐい、と伸びた手から放たれた杭がカインの腹を捉える。辛うじて受けが間に合ったものの、背骨が軋んで、とても痛んだ。受け身も着地も適えるつもりはなかったが、駆け込んだマキナが彼を確かに受け止めた。
「ざまないな、クソッタレ」
「いえ、見事でした」
顔を抑え、大虎が立ち直る。
「ふふ……ふふふふ……」
立ち込める怒気、敵意、殺意。配下であるはずのディアボロさえ恐れ、遠巻きに見守る始末。
その中央で、尚も大虎は笑った。
「ふふふ……そうですかあ……ああ、そうですかあ……!」
●攻撃班:小虎
「戻れ、影野!!」
南に向かって叫ぶアダムにディアボロが迫る。が、クリフが放った白い刃がその表面をずたずたに切り裂いた。イリンの散弾を受けて完全に沈黙、転倒、崩壊する。
鋭く息を吐き、クリフがアダムを諌めた。
「隊列を崩すなよ。ギリギリなんだぞ」
「それより援護に行くぞ! あいつ、独りでヴァニタスに挑むつもりだ!」
「容認しかねます」
イリンが静かに首を振る。
「クリフさんが言うとおり、私たちは今、この構成でようやく進軍している状態です。誰か1人でも欠ければ、その瞬間私たちの進撃は止まってしまうでしょう」
「大丈夫ですよ――と、言いたいところですが」
大剣で切り伏せ、カーディスが苦笑を向けてきた。
「申し訳ありません、引き続きお願いいたします」
カーディスが斬り進んだ分だけ、論子と集が前に出る。
「絶えず見守っておきます。大切な仲間ですから、絶対に見捨てたりしません」
「いざとなったら手くらい出せるさ。だから進もう」
「ッ……ああ、わかったよ!」
辛らつな表情で舌を打ち、アダムは弓矢に手を添える。
恭弥の狙い澄ました射撃を、小虎は斜め前に転がるようにして回避。続けざまに大きく踏み込んで腰を落とし、右腕を思いきり突き出した。
掌から発生した無色透明の衝撃波が、地を削り、土煙を巻き上げながら恭弥に迫る。彼は短く溜息、タイミングを計り、紙一重でそれを躱した。
そこは小虎の読みの内。ヴァニタスが地を蹴り、両腕を広げて突進する。
恭弥は軸足を折り、姿勢を低くして狙撃の構え。
構わず突っ込む小虎。
「(ハッ! どうせ狙いは――)」
頬を釣り上げる。
広がった視界の中で、恭弥が銃口を2度下へ傾ける。
「ッ!?」
発砲。
弾丸は躊躇うことなく直進、小虎の大腿部に喰らい付く。
「ッ……ォォオオオオオッ!!」
小虎は止まらない。間合いの外から跳び込むと、傷ついた脚を鞭のようにしならせ、恭弥の顔面を打ち抜いた。
直撃の寸前、恭弥は僅かに後退、辛うじてクリーンヒットを免れる。そしてそれは、攻撃した小虎自身も重々理解していた。
いや、それだけではない。ふくらはぎに生まれた熱に顔を顰めて目を遣る。深々と突き刺さった赤黒い刃が、霧散して消え失せる瞬間だった。
砕けそうなほど奥歯を噛み締め、小虎は踏み込み、恭弥の胸に足刀を放つ。足の裏で轍を刻みながら林の直前まで後退する恭弥。だがやはり手応えは物足りない。対応されたのだ。それも2回も。
胸の内の憤りは如何程のものだったか。
両足を大きく開き、
「ダォァアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」
両腕を突き出す。
轍を根こそぎ抉りながら衝撃波が奔る。
すれ違うは白銀の弾丸。
「ッッッ!?」
それは一切の迷い無く小虎の肩に直撃、皮膚を捩じり、肉を破り、骨を削って突き貫けた。
「ガアアアアアアアアッ!!」
「動きが止まるのが、その攻撃の弱点だ」
大きく穿たれた林を背に、恭弥は両手で銃を構える。
「以前とは精度も破壊力も違うぞ。――で、あと何発受けられるんだ? それとも、あの日みたいに逃げるのか」
「調子に……乗りやがッてェエエエ……!」
●狙撃班:ドクサ
手持ちの煙幕は既に切れていた。周囲が見えぬほど分厚かった煙はすっかり風に遊ばれ、質の悪いガーゼのように目が粗くなっていた。背後、隠れるべき背の高い木々は、あの『金』に殆ど薙ぎ払われてしまっている。
観念したように、否、覚悟を新たにして、ナナシはそっと息を吐く。
「出るわね」
黒百合の短い溜息を背に受け、彼女は煙幕を飛び出した。
半月の周りを、距離を保って旋回していく。正面で腕を組むドクサの瞳が、まるで管制塔のサーチライトさながらに彼女らを追跡していた。
その様子にナナシが眉を動かす。
「(息が上がってる?)」
彼女の推測を払拭するようにドクサはニヤついた。
「良く見ると可愛い顔してるじゃん。手品のタネは切れてくれた?」
応えず、ナナシは神経を集中させる。
黒百合が構えると同時、彼女の傍らに偽りの姿を映し出す。
ドクサは溜めた息を落とした。
「そういうのをさーぁ――……」
黒百合が覗き込む真円の世界が金色に輝いた。
「――『最後の悪あがき』ってーのォッ!!」
放たれる金の塊。
狙いは正確無比。
その質量は、回避という選択を彼女らに選ばせなかった。
「……ッ」
「黒百合さん!」
ナナシが庇おうとする。
だが、敵意に塗れた金は、彼女らを至極あっさりと、纏めて呑み込み、爆ぜた。
ナナシの全身を痛烈な痺れが襲う。
それどころではなかった。
背中が軽い。
振り返る。
目を閉じた黒百合が落ちていく。
「黒百合さん!!」
友の名前を呼び、ナナシは身が軋むほど腕を伸ばした。
「そんな――!」
「駄目か……届かなかったのか、私たちは……!」
口を抑える渚。土を蹴り飛ばすサガ。周囲の仲間の顔色も悪い。
「まだだっ!!」
一喝したのは晶。
「まだ攻撃班だっている! ナナシだって頑張ってる!
ここで私たちが諦めてどうするの!? 諦めるのなんて……死んでからだって遅くない!!」
「……そう、だな」
「――はいっ!!」
彼女の言葉を受け、サガと渚は再び奮い立つ。
「(そうだよ。
ここまでやってもらって、何も持ち帰れないんじゃ、何が陽動班よ!)」
戦いの合間、晶はカメラを取り出し半球を捕捉する。
何度目か判らぬ今回、ファインダーの中は一転、激変することとなる。
「んっふっふ」
ぐったりと落ちていく黒百合を眺め、ドクサは胸を反る。
「やーっと終わったよ。あー、疲れた」
首を回し、傍らのディアボロに手を置く。
「ごめんね、怖い思いさせて。でも、もうすぐ――」
「お別れですからね」
湧き上がった声。
源を探し出すより早く、
―――――――――――――――――――――――ッ
半月に、まるでマスクメロンのネットのように亀裂が走った。
「ふぅ……」
溜息は真下から。
「至近距離からの射撃でも駄目、ですか。それなりにタフなようですね」
「こ……ンの……練り物頭がああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
振り降ろした拳から射出された金の塊がオーデンを捉える。辛うじて防御が間に合ったものの、威力は凄まじく、彼はそのまま遥か下方に吹き飛ばされてしまう。
どうでもよかった。直撃さえしていれば。ドクサは目を丸くして半月の様子を確かめる。恐る恐る、おっかなびっくりと。それほどまでに危うかった。
「くそ……くそ……っ!!」
目じりには涙が浮かんでいた。悔恨と悲哀。
それらを、どこからか飛来した弾丸が浅く払い飛ばす。
「ふむ、やはり少々距離が足りていませんね」
「手を止めるな! 撃ち続けろ!!」
アダムの指示を受け、カーディスは再び引き金を握る。その横からはクリフの黒い刃、そして集の雷の剣が絶え間なく飛び、まだ遠い半月、そしてドクサを目指した。
風のように訪れる攻撃の連打は、しかし半月には当たらない。ドクサにさえ届かず、或いは逸れて夜に消える。
「……へっ、ビックリさせやがって。
もう終わってんだよ! お前らの策なんか――」
振り返る。成果を、戦果を確認する為に。
「もう、とっくに――」
目線の先。
背中に翼だけを残したナナシ。
彼女の手は、
確かに、
友のそれを握っていた。
「――は?」
空に足を投げ出したまま、闇を纏った黒い百合が開く。花弁の代わりは黒金の銃身。
「待っ――!!」
「これが、『最後』よォ……!!」
発砲。
闇に塗れた銃弾が夜を切り裂き疾走する。
金色の防護壁を展開。文字どおり、ありったけの力で銃弾を弾き、消え失せる。
だから、続いて訪れる銃弾には、まるで反応できなかった。
声さえ上げる暇無く、闇色の銃弾が半月を貫く。
中央に開いた穴。その周囲から砂のように細かく砕け、凪いだ風が粉々に散らして無くした。
「やったあああああああっ!!」
アダムがクリフの首に抱き付く。
「やったよ、クリフ! あいつらやってくれたよ!」
「ああ、大したもんだ」
顔の前で忙しなく揺れる金髪を、クリフは優しく何度も撫でた。
「うおー! お見事で御座る! あの二人、ハンパないで御座るよ!!」
興奮し、跳び回る源一。彼に微笑み、虎綱が空を見上げる。
「これでいつもの月が見えれば……?」
一瞬だけ、視界が開けた気がした。まるで、遥か先まで見通せるようになったみたいに。
しかし余りに僅かな間の出来事だったので、虎綱は頭を振り、退路の確保に乗り出した。
「大丈夫?」
「ごめん、無理ィ」
「はいはい」
ひらりと黒百合の後ろに回り込む。疲労とダメージに震える親友を、ナナシは優しく抱きかかえた。
「やったわね」
「そうねェ」
2人が見つめる先、あの半月はもう無い。塵となって消えてしまった。
――怒りに震えるドクサだけを遺して。
「お前ら……」
「甘く見たわね。1+1は、時には3にも4にもなるのよ」
「間違えてるわよォ、ナナちゃんゥ」
息を吐き、黒百合が笑う。
「どうせなら、百や千って言ってあげなさいよォ」
「うるっせえんだよオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
叫び、そして金色は、ドクサの足元に放たれた。
数十体のディアボロを巻き込み、消し飛ばし、それでも彼女の憂さは、無念は晴れない。
距離を置くように翼をはためかせ、そのまま身を翻す。
「おやすみなさい。縁があれば、また逢いましょう」
「逃げられると思ってんのかよ……!!」
平手に金色が集う。
頭上に振り上げられた腕は、しかし、背後から伸びた手に強く握られてしまった。
●
上側を刈り取られた林へ飛び込むように着陸する。口角を上げた謳華が出迎えた。
「ご苦労だった。目覚ましい活躍、というやつだったな」
「ありがとう。ごめんなさい。バスへ直行させてもらうわ」
「助手席に手製の饅頭がある。腹が減っていたら食べるといい」
小さく頭を下げ、ナナシは駆けていく。林の中ほどまで見送り、謳華は首を前線に向けた。
「あの二人は、絶対に殺らせんぞ」
林の外では無傷の魔勢が蠢いていた。慄くように、戦くように。
眉が跳ねる。
「(――……この匂い……どういうことだ……?)」
謳華は構えを継続、強く警戒したまま後退、ナナシの後を追った。
「離せよ! ニンゲンが逃げるだろ!!」
ドクサが腕を振って抗う。だが、悪魔の手はまるで緩まない。どころか力が増し、細い腕が僅かに軋んだ。
「落ち着け」
「落ち着いてられるかよ!? 邪魔すんじゃねえよ愚図!」
「私が愚図ならお前も愚図だ、ドクサ」
「違うッ!
追え! 追って殺せえええええええッ!!」
「追うな。退け。これ以上消耗する前に、だ」
「おま――っ!?」
振り向いたドクサの喉を悪魔の手が掴んだ。
「大口を叩き、単独で動いた結果、貴様が何を破壊されたのか考えてみろ。
『それともついでに忘れたか』?」
見上げる瞳はこの世の何よりも冷ややかで。
「事態は動いた。好転するどころか急転直下だ。
立て直す必要がある。これは何よりも優先される事項だ。否定も意見も認めん。遊びの時間は今終わったのだ。
もう一度だけ言うぞ。
今すぐ、全て、退き上げさせろ」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!!」
「あはは、鬼上司ってやつ?」
薄く笑い、茜は刀を鞘に納める。
「苦労してるんだね、ザマないよ」
振られ、大虎はがっくりと肩を落とした。気の抜けたような笑みを湛え、それきり動かない。
「やることやって即退散。口惜しいですねえ、もどかしいですよお?」
「休暇を頂いて山を降りては如何ですか」
カインに肩を貸し、マキナが踵を返す。
「その時が来たら、また何れ。――終焉(おわり)が欲しいのならくれてやる」
大虎が鼻を鳴らした。
「その赤毛の少年だけ置いていきません? その子はもっといい顔をしてくれるはずなんですよお」
「お断りします」
仁刀を抱え上げ、悠人はヴァニタスを強く見据えた。
「全員で帰る。そこまでが作戦の内です」
「物足りないのは同感だけど、ま、後のお楽しみってことで」
「楽しみ、ですかあ?」
「楽しみだよ。次は勝ちに行くし、きっと勝てるから」
またね。言い残し、茜はマキナと悠人の背を護りながら、既に撤退し出していた陽動班の後を追う。
彼らが林の中に消えたのを見送ってから、大虎は近くのディアボロを2体呼んだ。
そしてその頭部をむんずと掴むと、欠片さえ残らなくなるまで杭で穿ち続けた。
「まさか、とは思うけどよォ、テメェは退いたりしねェよなァ?」
応える代わりに、恭弥は銃を構える。
だが、彼の傍らにオーデンが着地、腰に強引に腕を回した。
「作戦終了です。撤退しましょう」
「……ふぅ」
顔を上げたオーデンの鼻先を、小虎が放った衝撃波が掠めた。
「寒ィことしてんじャねェぞ、裏切りモン!!」
「では延長戦と参りましょうか? 私はそれでも構いませんが……」
オーデンと恭弥の前に、駆け付けたカーディスが滑り込み、大剣を構えた。傍らにはイリンとクリフ。やや後方にはアダム、論子、集も得物を携え、事態にただ備えていた。
「その傷でこの数を相手にすれば、いくらヴァニタスの貴公といえ、無事では済まないと思いますが」
「……ッ」
小虎の踵が僅かに下がる。それを見て、恭弥は銃を仕舞った。
「お前、二度と『必ず』なんて言うなよ」
「――ッッ!!」
「では、またいずれ」
オーデンが恭弥を抱え、林を飛び越えていく。その後ろを攻撃班が、小虎をけん制しながら追い駆けた。
独り、荒野に取り残された小虎は、腹の底から叫びを上げながら、暫く大地を殴り続けた。
●
「お疲れさまでした! さあ、乗ってください!
あ、傷の深い黒百合さんと久遠君は一番後ろに寝かせてあげてくださいね!!」
職員の指示に従い、到着するなり生徒たちは次々にバスに乗り込んでいく。狙撃隊、謳華、陽動班、そして攻撃班。席は奥から順に埋まっていった。
人数を確認し終えるなり職員は運転席に搭乗、キーを捻ってハンドルを握った。
「じゃ、帰りましょう! 法定速度内で飛ばしますから、ちゃんとシートベルト締めてくださいね!
あ、お腹が空いた人には中津君のおまんじゅうがありますから!!」
言いながらギアを入れ、アクセルを踏む。遠心力に振り回され、危うく落ちそうになった饅頭を、咄嗟に遼布が救った。
「さて、どう帰りましょうか。一旦群馬側に抜けた方が早いですかね?」
「「?」」
顔を見合わせるクリフとアダム。その後ろで海が立ち、手と声を上げた。
「群馬に抜けても、ここからじゃあまり距離が変わりません。来た道を戻ればいいと思います」
「あの……」
アダムが通路に身を乗り出す。希沙良はやや急いで饅頭を呑み込んだ。
「さっきから皆さんが言っている、『グンマ』とは何のことですか?」
「……群馬……群馬県……の……こと……です……」
「県? 地域や、市町村名でなく?」
「ここからなら、西に10分も走れば着くんじゃないかな」
割って入った集の情報を合わせてもまるでピンと来ない。アダムの顔を覗き込むが、眉間は狭まったままだった。
「実は私も判らないのだが」
「すみません、私も」
上がったイリンと論子の声を聴き、明斗はクスリ、と笑ってしまう。
「影、というか、存在感の薄い県ですからね。僕、地元が九州なんですけど、栃木県と位置を間違える人多かったですし。ネットなんかでは秘境扱いされるくらいですから」
まあ、そうですよね。群馬県だし。
バックミラーで遣り取りを確認しながら、職員は相好を崩して夜の山道を降りて行った。
●久遠ヶ原学園職員棟
「報告書が『不受理』ってどういうことですか!? 再提出ですらないなんて!!」
声が大きい。上司はテーブルに両肘をつき、組んだ手の上に口元を任せた。
「当然だろう? なんだね、この『群馬県』というのは。
これは報告書だ、小説じゃない。架空の地名を出されても困るんだ」
「群馬県は群馬県ですよ! 新潟、長野、福島、栃木、埼玉と隣接した、人口220万の関東北西に位置する海なし県じゃないですか!!」
「だから、そんなものは無いんだ」
「ならこれを見てください!!」
女性職員がテーブルに広げたのは、吐き出しそうなほど紙を咥えたクリアファイル。それらを雑に広げ、ひとつひとつ指さしていく。
「いずれも古いものですが、この小説にも、この雑誌にも新聞にも、このホームページにだって群馬県という単語はあります!」
並ぶ文字にふむ、と唸り、上司は腕を組む。
「では、何故君が認識していて、私が認識できないのだね?」
「生徒たちが成し得た成果だからです」
力強く提示したのは、晶が撮影した、半月の崩壊前後を捉えた写真。
「作戦開始前、確かに私を含め、生徒たちも群馬県という単語は口にしませんでした。しかし、作戦後、帰路に着くバスの中では群馬県という単語が飛び交っていました。観測された悪魔やヴァニタスは撃破に至らなかったことを考えれば、あの半月が何らかの事象を起こしていたと推測されます。また生徒たちの活躍は、そう推測するに足るものであったと、ここに断言します!」
「全ての生徒が、ではなかったのだろう。バスの会話をうかがう限り、知らないままの生徒もいるようだが」
「推測になりますが、群馬県を隠していた半球型のディアボロが破壊されたことに因り、『群馬県に対する認識障害が弱まった』のではないでしょうか。認識の度合いには個人差があります。現在は、幼い頃から群馬という場所、言葉、文字を見ていた者が辛うじて思い出すことができている状態ではないのでしょうか。
大体、冷静に考えてみてください。この狭い国の内陸にあんな広大な空き地があるなんて不自然じゃないですか!」
上司は大きく息を吸い、鼻からゆっくり吐き出した。
確かに彼女の言うとおり、あの一件以来、学園のあちこちからぽつぽつと『グンマ』という単語は聞こえるようになった。一種のスラングか、遊びとも思っていたそれは、しかし栃木西部や埼玉北部からの
「今群馬はどうなっているのか」
という通報で一気に色合いを変えていた。
だが上司は頷けない。無理もない。彼は未だ、群馬の存在を隠されたままなのだから。
「判った。では『再調査』を命じる。
お前の推測が正しいなら、群馬県とやらの県境に、まだ半球型のディアボロ、またはそれに類似した存在があるはずだ。発見し、破壊し、経過を報告しろ。いいな」
「はいっ! 了解しました!!」
女性職員は背筋を伸ばし、額に手を添えた。
●奈落の園にて
あの夜の戦場から数キロ西の地点、くすんだ空と地の間に、ドクサはぷかりと漂っていた。
「……そりゃあ、サ……?」
上司に言われたとおり、視線を感じるようになった。今まではこちらのことなど意にも介さなかったニンゲンが、不意に、或いは熱心に、こちらを覗き込んでいる気がする。
「……フンだ。
あの子は近かったからたまたま様子を見に行っただけだもん。そんなに出来のいい子じゃなかったもん。
他の子がちゃんと動いてるから、まだ大丈夫だよ。そうだ、そうに決まってる。
ドクサは失敗なんかしてない、悪くなんてない」
そうだよ。己の肩を抱き、ドクサは目を見開く。
「もう絶対に壊させない。
寝惚けてる他の連中使ってでも絶対に阻止してやる。
二度と、もうひとつも壊させない。
……来るなら来てみろ、ニンゲン。今度はお前らごと隠してやる――!」
かの地を包んでいた無意識の帳は、この日、確かに解れた。
垣間見えた姿を掴む為、
隠の奥の地を取り戻す為、
『群レ成ス魔』との戦いは、ここから始まる。