●外
無人と聞かされていた場所で耳に入った泣き声と怒鳴り声。それは学園から文字どおり飛んできた面々を存分に動揺させた。
「何処が無人地帯ですか……!」
ファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)は歯を食い縛る。声はサーバント――鷸に包囲され切ったあのビルの中から届いた。そして彼らが目配せをしている間も、廃ビルは叩かれ軋んでいる。
月詠神削(
ja5265)がスマートフォンを操作する。だが、何度コールしても相手は出ない。5コールの後、神削は舌を鳴らしポケットに突っ込んだ。
「妙じゃありませんか」
天宮佳槻(
jb1989)が口を開くと視線が集まった。それに応えるように言葉を紡いでいく。
「今の声、泣いていたのは子供のようです。ですが、この状況下で子供が泣き叫ぶでしょうか。口を抑えて息を殺して黙る筈です。無人、と聞かされていた、周りに遊び場も住宅も無い場所で『子供』、というのも解せません」
インレ(
jb3056)が頷く。彼は黒いフードを目深に被った。
「だが、詮索は後でも構うまい。今は声の主を助けるが先決よ」
ファティナと神削も備える。地上、3体のサーバントはこちらを威嚇しながらゆっくりと近づいて来ていた。
「うへー。まっずそーな敵だなー」
舌を出すナナ・ネーヴェス(
jb2642)、眉を寄せるエルザ・キルステン(
jb3790)にファティナが声を投げる。
「あれは私たちが。お二人は子供の救助をお願いできますか」
「天宮さんも行ってくれないか」
名前を呼ばれて振り向けば、神削が強い眼差しを注いでいた。
「白髪の女の子がいたら……頼む」
自ら口にした不安が総て拭えたわけではなかった。しかしそれでも佳槻はあごを引く。
エルザは小さく息を吐いた。
「大した仕事じゃないと聞いてたんだがな……」
言い終わると同時、背に黒い光の翼が現れた。
「屋上のはあたしに任せな!」
ナナは一度力強く羽ばたき、飛翔、全速力でビルを目指す。数瞬後には地上の鷸をやり過ごし、屋上に到達することができた。そこにも2体、同じ個体。真上で翼を逆に振り滞空すれば、顔と思わしき場所がずるり、とナナを見上げてきた。
「さ、て、と。そんじゃ暫くからかって――」
だが鷸は、ナナの位置へ攻め入る術がないことを悟ると、また鉄球のような拳を床へ振り上げた。
「こっ……んのぉっ!!」
拳を固く握り、ナナが急降下する。
ズウウウウウウウウウン……
地鳴りのような揺れと音。地上の鷸はよろめかない。正面の『敵』を見据え、鉄球を地面に叩き付ける。
「余り触れたくない成りだのう」
言ってインレは棍を取り出し、振り回す。
「行こう。速攻だ」
「もちろんです」
頷き合うファティナと神削。彼らに歯がゆみながら、佳槻を抱えたエルザが上空を通過していく。
●内
揺れと、泣き声。
体を四方八方から音に苛まれ、それでも五所川原合歓(jz0157)は少女の上から動かなかった。
自分が動けば。自分が動かなければ。
攪拌機に放り込まれたように廻る思考は、やがて色合いを変えていく。
●下
胸の前、指で挟んだ札に力を込めれば、光はやがて炎を模し、球を象った。
それを横投げで放つ。狙いは中央と右、2体の鷸の間。着弾した火球は爆発、鷸を呑み込み霧散した。手応えは可もなく不可も無く。損傷は与えられたが決定打には至らない。
ふらつく右の鷸に神削が突進する。彼は布を巻いた腕を引き、鷸の脇まで疾走、足を止めて腰を捻り、体重を乗せた一撃を見舞う。同時に振られる液状の鉄球。
互いに直撃。
肩を強かに打たれた神削は大きく後退。傷はさほど深くない。具合を確かめ、拳を握る。
体を大きく窪ませ、鷸が地面を転がっていく。やがて立ち上がるが、膝ががくがくと揺れていた。
手に付いた液体を払い、神削は歩みを進める。
中央、そして左にいた鷸がファティナを迎撃すべく前に出る。だがそれらが近寄るより早く、ファティナが再び特大の火球を生み出した。狙いはまたも中点。着弾から顔を焼くような爆風。長い銀髪が風に遊ばれた。
中央の鷸は背や肩口を欠損しながら尚も前進してくる。
腿を吹き飛ばされた右の鷸も同様の動きをするが、その前にインレが立ちはだかった。
「行かせぬよ」
棍の先端、虎の牙が鷸の喉元を刺突した。ごぼ、と黒紫の体液が間に零れる。だがそれでも鷸は止まらず、インレ目掛けて球の腕を振り払った。
下から掬い上げるような一撃を受け、インレの足が地面から離れる。数メートル後方で着地し、しかしインレは大きく咽込んだ。
「インレさん!」
ファティナの気遣いに応えるように、インレは棍を振り、立ち、構える。
頭と鉄球を振りながら迫る鷸。アスファルトが抉れ、破片が雑に舞い散る。
神削の目線が静かに尖り、激しく燃える。
「これ以上……ここを壊させはしない!」
握る拳に闇が宿る。強く踏み出した一歩は、鷸を警戒させるのに充分だった。
『手球』を振り上げる。が、神削はその反対側に回り込み、ぐいと腰を降ろした。
闇を纏った拳が突き出される。それは容易く鷸の脇腹を食い破り、内からその巨躯を粉々に吹き飛ばした。
まず1匹。短く息を吐き、神削は踵を返す。
先程よりは小振りな、しかし赤々と燃え盛る火球が鷸の身体を削り取る。
それでも鷸は止まらず距離を詰めてくる。
間合いのギリギリ手前で、ファティナは再び火球を放った。直撃、胸のすぐ下を貫通する。
「くっ……!」
歪めた顔に影が落ちる。頭上には表面を流動させた巨大な球。
鷸が腕を振り降ろす。
その瞬間、インレが放った棍が鷸の腕を叩いた。一瞬だけ乱れ、一拍だけ置かれた挙動。それらを逃さず、ファティナは後退、寸でのところで攻撃を躱した。
白い棍は振られた黒い袖に絡め取られ、意志を持ったようにインレの元へ戻り、彼の手の中で笑うように踊った。
「すみません!」
「なんの、これしき」
言い残しインレは走っていく。
『手球』を地面に叩き付ける鷸。狙いは先程入った『邪魔』。
しかし。
「行かせません」
胴のど真ん中にファティナの火球が直撃した。耳をつんざくような爆発音。鷸はがくりと膝を折り、前に倒れる。その背中に火球を叩き付けるように放つと、今度こそ鷸の表面は硬直、やがてぼろぼろと崩れた。
「ふう……」
息をつくファティナの頭に、強烈な衝突音が飛び込んだ。
靴の底をずりながら、ようやくインレは停止した。止まらぬ咳は先程よりも間隔が狭く、重い。
正面では、新たにどてっ腹から体液らしきものを撒き散らす鷸が腕を振っている。
「やれやれ、参ったのう」
言葉と裏腹にインレは立ち上がる。握った棍に宿る意志は色褪せない。
「耳は有るかね、木偶の坊」
ふにゃり、と口元を歪める。鷸は脚を上げ、こちらへ向かってくる。
「聞こえんか、この不吉な足音が」
大きく踏み込み、深く屈む。その上を旋回した棍が勢い充分に鷸の身体を袈裟懸けに打ち払った。
鷸は怯み一歩後退、しかし『手球』を振り上げる。
インレは微笑む。
彼目掛けて振り降ろされる渾身の一撃。
その直前、駆け込み、跳び込んだ神削が固めた拳が、鷸の頭部を打ち抜いた。
●中
2階の床には大小の瓦礫が散乱していた。窓の光に埃が揺れる。
その中央には、相変わらず大声を上げる少女と、その上に蹲った黒ずくめ。
「大丈夫ですか」
佳槻が声を掛けると、合歓は顔を上げた。
「久遠ヶ原学園の方、ですよね。今仲間が応戦しています」
その言葉を聞いた瞬間、合歓は少女を抱えて立ち上がり、走った。そしてすれ違いざまに佳槻へ少女を押し付けると、勢いそのまま屋上へ駆けていく。
「うあああああん!」
「……大丈夫。もう、大丈夫だから」
諭す彼の上で天井が揺れ、ポケットのスマートフォンが声を吐き出した。
――東側だ
「判りました」
応えながら走っていた。手早く窓を開け、
「しっかり掴まって」
飛び降りる。左腕で少女を固く抱き締め、光の網で包み込む。
着地。
少女にも怪我は無い。そっと胸を撫で下ろし、佳槻は肩越しに屋上を見遣った。
●上
体重を乗せたナナの拳が鷸を襲う。真上から垂直に落下して、頭部を狙った初撃は、しかし寸でのところで下がられ虚空を砕く。
舌を打つナナの顔面に手球の薙ぎ払いが直撃する。ごり、と鈍い音が頭の前で鳴る。続いて背中に衝撃。彼女は跳ね、しかしなんとか立ち上がる。だがそこはもう一体の懐だった。
力任せに振り払われたそれをナナは屈み、辛うじて往なす。
「っ……らぁっ!!」
飛び掛かってからの殴打。ぐちゃり、とめり込んだ拳を引き抜き、鷸を足場にして飛び上がる。鼻血を手の甲で拭い、口の中の鉄味を吐き出した。
「チ……ッ!」
毒づくナナの眼下で、鷸は腕を振る。屋上が軋み、よれた。
一度だけ左を見て舌を打ち、ナナは再び急降下。狙いは先程躱された個体。充分に加速を付け、両手を突き出すようにして特攻、胸元に大きなくぼみを2つこしらえる。だが、体に手球の突き出しをもろに受けてしまった。
再び吹き飛ばされ、転びながら着地。そこをもう1体が狙う。
が。
その背に雷の刃を受け、仰け反るように停止した。
振り返る。屋上の外で黒翼が羽ばたいていた。
「遅ェって……!」
「すまない」
瞳で状況を確認し、エルザはスマートフォンに声を投げる。
「東側だ」
それきりポケットに押し込む。程なくして窓が開く音が聞こえた。
「やっとか……待ちくたびれたぜ……」
ふう、と息を吐くナナ。そこへ鷸が迫る。上がるナナの瞳には赤が映え、それはやがて全身を駆け巡る。
「こっからだ――全力で食らい尽くす」
振り降ろされた手球を、ナナは紙一重で回避。遠心力に任せて裏拳、そして勢いそのままに直突きを放つ。暴れ、平手で彼女を払おうとするが、ナナはこれをバック転で回避。床を蹴り、低い位置から突き上げるようにして拳を胴体に叩き込んだ。
カウンター気味に放たれた手球がナナの脳天を叩く。バダン、と床を鳴らし、ナナは2度跳ねた。
「……ッッッ」
起き上がる。辛うじて。全身の赤は慄くように点滅していた。
止めを刺すべく鷸が近づく。
ナナは目を見開いた。
鷸の周囲に、音も無く『赤』が舞い踊ったのだ。初めは目の錯覚と思われたそれは、迅速に、無慈悲に、鷸の全身に巻き付いた。
「――……っ」
遠くで聞こえた誰かの呼吸。それと同時、赤い鋼糸は鷸の身体を何ヶ所も深々と切り裂いた。
勝機を見出したナナが走る。1歩目にもたつき、3歩目に転びそうになってから跳躍。翼を翻し、鷸に特攻した。
組んだ拳が喉元に突き刺さる。ごぼぼ、と鷸が鳴り、やがて硬直、粉々に砕け散った。
その上にナナが倒れ込む。危うく落下しそうだった彼女を、滑り込んだ合歓が抱きかかえた。
「――……だ、だいじょう、ぶ……?」
ナナは答えない。目を覆いたくなるほど、傷だらけだった。堪らず抱き、頭と肩で黒髪を挟んだ。
ぺろり。
「ひゃうっ」
首筋の温もりに合歓が声を上げ、ナナがか細く笑う。
「お、あんた意外に美味いな?」
「流石、というべきか」
口の中で感心しながらエルザが雷の刃を放つ。それは一直線に攻め込み、鷸の二の腕や脇腹に続き太腿に新たな裂傷を生み出し、消えた。
やはり鷸は止まらない。手球を振り上げ猛然と迫る。脳筋め。内心舌を出し、エルザは後退、悠々と手球を躱し、雷を叩き込んだ。
距離を取る。背後は大分静かになっていた。
「……そろそろ、か」
鷸が踏み込み、押し潰そうと手球を突き出す。おっと。エルザは足を軸に回転して回避、そのまま、己の真横に伸びた気味の悪い腕へ雷を押し付けるように放った。
大きく弾き上げられた不愉快な成りの腕は、怒りを以て引き寄せられる。
しかし。
――――!!
「させません!」
駆け付けたファティナの火球が手球のやや下、腕を食い破った。そこは雷に切り裂かれていた部位。巨大な手球は、落下するなり泥団子のように砕けた。
攻め手を失い、よたよたとふらつく鷸。念には念を。エルザが鈍色の糸を繰り、絡め取る。
「任せたぞ」
応える代わりに神削は飛び出し、腰の入った一撃を見舞う。
拳は容易く貫通。彼が腕を引き抜くと、鷸は穴の周囲から硬化、やがて粉々に崩れ落ちた。
●
降りてきた仲間と、連れ立った黒ずくめを見遣り、ああ、とインレは頷く。
「雪うさぎのお嬢さんではないか。おぬしが守っていたのだな」
「――……え、と……」
やや戸惑う合歓を、インレは少し強引に撫でる。合歓はくすぐったそうに目を細めた。
「お疲れ様でした。お見事です」
少女を抱えた佳槻も合流する。彼の腕の中で、尚も少女は泣いていた。ほくそ笑んでインレは屈み、少女にまん丸い飴を差し出す。それを含むと、ようやく少女は少しだけ落ち着いた。
「――……よかった……」
合歓が胸を撫で下ろす。少し丸まったその背、そして頭の後ろをファティナが優しく撫でた。
「偉かったですね、合歓さん」
「――あ……えと……とし、うえ……」
「こういうときは深く考えず……ひゃっ!!」
突然頓狂な声を上げる。背負っていたナナがファティナの首筋を舐めたのだ。
「お前はちょっと甘いなー」
「元気そうじゃないですか……歩いて帰りますか?」
やだ。呟き、ナナはファティナの背にしがみついた。
微笑ましいやり取りを余所に、エルザと神削が佳槻に歩み寄る。会話は極めて潜められた。
「それで?」
「人間、のようです。怪しい動きもありませんでした。『泣き虫な、ただの子供』です」
「この寒空の下、ただの少女があんな軽装でこんな廃墟に、か?」
「考えるのは後だ。とにかく学園に帰ろう」
神削がすっと佳槻に顔を近づけた。
「この1件を報告してほしい人がいる。頼めるか?」
●
「あったわよ、捜索願。茨城の孤児院から出ているわ。年齢や外見から考えて間違いないでしょう」
図書館のカウンターから小日向千陰(jz0100)が佳槻を見上げた。
「虐待を受けていた可能性、などは……」
「一度だけ慰安で訪れたことがあるけど、安心していい施設よ」
「なら尚更不自然です。この島まであんな女の子が来るなんて」
「ま、考えにくいわよね……。でも、これ以上を詮索するには情報が足りないわ」
とりあえず。千陰は表情を和らげる。
「無事で何より、よ。あとはこっちでなんとかするわ。女の子と、あの子を助けてくれてありがとね」
「いえ……」
失礼します。
頭を下げ、佳槻は立ち去る。
その背中を見送ってから、千陰は再び表情を固めた。
「伍。孤児。そして『サーバント』か……。
――嫌ね、せっかく落ち着いてきたのに……」
●
「いいねえ、あの女、面白いじゃん」
男は体を引くつかせて笑う。酒瓶を握り潰し、それでも抑えきれぬ衝動をモニターに叩き付けた。
「天使を殺したガキ共、か。こんな素敵なヤマ、ほっとけってのが無理だよな。
早く会いたいぜ、『黒の子』ちゃん」