●屋上
例外なく白い綿帽子を被った街を眺め、ダッシュ・アナザー(
jb3147)は黒い翼を小さく動かした。
「これが……雪化粧?」
静かだ。あちこちが眠りについてしまったような大人しさ。足元は冷たいのに日差しは暖かく、でも風は鋭い。どこに身を預ければいいのか不安になる、そんな日だった。
携帯電話に目を遣る。連絡はまだ入らない。せっかくの特別な日なのに、大切な人は仕事だ。
ぺたりと座り込み、組んだ腕の中に顔をうずめる。
物憂げな溜息をつく彼女の耳に、賑やかな声が飛びこんできた。
●校舎裏
「何を作っているのですか?」
尋ね、ソーニャ(
jb2649)はかくり、と首を傾げた。五所川原合歓(jz0157)は、あれ、と少し慌てる。
「――……えと……雪、うさぎ……」
「雪うさぎ、ですか?」
合歓が頷くが、ソーニャは納得できずにいた。説明を受けなければ、ただ雪をまとめて固めただけにしか見えない。彼女は暫し思案、やがて辺りを見渡すと、膝上まである雪の上と中をなんとか進み、広葉樹の葉を数枚拝借する。そして元居た位置まで戻ると、合歓が今しがた作り終えた雪うさぎに緑色の耳を生やした。
「――……!」
「これで、もっと可愛くなりましたね」
「――……あり、がと……!」
いえいえ。ソーニャは笑ってしゃがみ込み、雪を手で寄せ始めた。
「あれ、何をしているんですか?」
そこへスコップを持ったメイベル(
jb2691)が現れる。きみは何をしているの。ソーニャが訊くと、メイベルは肩を落とした。
「この前覚えた雪かきをしていたんですけど、他にこの辺りでしている方がいなくて……」
「――……あ……い、一緒に、作る……?」
合歓が恐る恐る誘うと、メイベルはぱっと表情を明るくした。
「はいっ! 作り方、教えてください!!」
こうして、雪うさぎ制作班はどんどん数を増していく。
「――……で、ここは……ちょっと、丸く……」
「なるほど。ご丁寧にありがとうございます」
深く頭を下げ、香月沙紅良(
jb3092)は作成に集中した。
「せっかくですし、いっぱいいろいろ作りましょー!」
「埋め尽くすくらいの勢いで作ろうよ! 雪うさぎの原みたいな感じで!」
櫟諏訪(
ja1215)とソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)は手当たり次第に雪うさぎをこしらえていく。続々と増えていく家族に頬を緩める合歓。彼女に「なあ」と月詠神削(
ja5265)が声を投げた。
「なんでコイツだけ眉毛があるんだ?」
言われて思い出し、合歓は屈んで修繕に取り掛かる。いつにも増して懸命な表情に眉尻を下げ、神削は自分用の雪を固め始めた。
今度こそ完璧だ。鼻息を荒げる合歓に影が降りる。顔を向ければ、そこには翼を携えた褐色の女の子が立っていた。
「――あ、えと……」
「……私にも、出来る?」
「――……わから、ない……」
「……」
「――……やって、みよ?」
「……うん!」
力強く頷き、アナザーは合歓の隣で膝を折った。
●中庭
「若い者は元気ね」
彼女らからやや離れた位置に鴉乃宮歌音(
ja0427)は陣取っていた。椅子に腰かけ背中を預け、備え付けのテーブルにティーカップを置き、クッキーをつまんで口に運ぶ。ガスコンロの火を入れ直すと、すぐにポットが目を覚ました。
さてと呟き本を開く。瞳は文字を追い、耳は遠くの語らいを拾った。
「彼らは何を企てているのやら」
深く座り直した歌音の前を、軽やかな足取りのプラチナ・ブロンドが通り過ぎた。
集った面々は神妙げな表情を突き合わせていた。一通り打ち合わせが終わったところで桐村灯子(
ja8321)が見渡す。
「ちゃんと聞いてた?」
「うん! バッチリだよ!」
元気よく頷き、犬乃さんぽ(
ja1272)は胸を反る。
「まず千陰(jz0100)さんをおびき寄せむぐっ!」
「声が大きいわよ」
さんぽの口と鼻を強くふさいだまま、灯子は首を動かした。
「あなたは?」
「完璧である! 何も問題は無いのである!!」
言ってマクセル・オールウェル(
jb2672)は深く頷いた。口元は不敵に歪み、視線は遠くに向けられている。
――面白そうですね……すぐに行きます
「おう、じゃ中庭でなー」
通話を終え、赤坂白秋(
ja7030)は視線を下へ向ける。
「マキナ(
ja7016)とメリー(
jb3287)、それにファティナ(
ja0454)も来てくれるってよ」
三ツ矢つづり(jz0156)は眉間を狭めた。
「そう、なんだ?」
「不満か?」
「そういうわけじゃない、けど」
「せっかくの大雪だ。存分に楽しもうぜ」
「同感です」
声に振り向けば、そこにはアーレイ・バーグ(
ja0276)の姿があった。
「赤坂様、そしてつづり様。お納めください」
彼女の傍らには雪像。
このシーンを略図で表すと、こうなる。
[・_・] アーレイ [まな板]
「だあああ」
「れえええ」
「があああ」
「「豆腐」「まな板」だああああああああああああっっ!!!」
「まな板はともかく豆腐は公認じゃないですか♪」
たゆん。
「これ見よがしに胸揺らすなああああっ!!」
「あと逃げんな止まれオラアアアアッッ!!」
「何をやっているんだか」
おぬしもである、とマクセル。
「そろそろ手を離してやるべきである」
「あら、ごめんなさい」
灯子が手を離した瞬間、顔を真っ青にしたさんぽが力なく雪の上に倒れた。
彼らの様子を、通りがかった影野恭弥(
ja0018)が遠巻きに眺めていた。
●喫煙所
「寒い……」
呪うように呟きながら、いつもより着込んだ黒夜(
jb0668)は歩いていた。
寒さに負けまいとあごを引いていたのが仇となる。曲がり角で誰かにぶつかった。倒れるほどではなかったが、冷えた肌は確かに痛んだ。
「わ、悪い……」
「気を付けろ」
短く言い捨て、大炊御門菫(
ja0436)は足早に立ち去った。
ぼさぼさの黒髪に当たりながら、黒夜は歩みを進める。目的の場所は目と鼻の先だった。
アクリルに囲まれた部屋には小日向千陰の姿があった。黒夜はドアを開け、千陰の前に駆け込む。
「お、いらっしゃい黒夜さん」
「おう」
「あったかいでしょ? 本当は未成年入っちゃいけないんだけど、緊急の避難所ってことで使ってるの」
「ん、そうか」
俯いてもじもじと手を弄っていると、千陰はにこりと笑って膝を叩いた。
「座る?」
こくり、と頷き、黒夜は千陰の膝に飛び乗る。そして背中を彼女の胸に預け――右目を剥いた。
入り口の死角――正面から、神喰茜(
ja0200)とアニエス・ブランネージュ(
ja8264)がホットドリンクを傾け、ナナシ(
jb3008)が分厚い本をめくりながら、生暖かい視線を向けていたのだ。
「微笑ましいね」
「違、これは……」
「いいっていいって。私たちのことは気にしないでー」
「だから違――」
「はいはい、動かないの」
千陰は黒夜の頭を押さえつけ、取り出した櫛で彼女の黒髪を梳き始める。これでもう逃げられない。助け舟を求めてナナシを見るが、彼女は足をぱたぱたと動かして活字を追っている。
「うー、寒ぃー!」
巨躯をぶるぶると震わせながら久我常久(
ja7273)が喫煙所に入ってくる。
「雪かきお疲れ様でした。温かいものいかがですか?」
「おー、くれくれ!」
どかどかと駆け寄り、千陰からホットウーロン茶を受け取る常久。
「……いいなー特等席。ワシも座りたいなー」
「そ、そういえば」
「あ、こら、動かないの」
「この前の見合い。あれから何もなかったか?」
「ええ。その節はありがとね、黒夜さん」
「まあ歳の差2倍はさすがに無いよねえ」
「どうしてボクを見るのかな?」
「確か千陰せんせーと同い年だったなー、って」
「そうね。アニエスさんの意見も聞きたいかも」
「恋愛は往々にして相手次第だと思うよ」
「千陰ちゃんは結婚願望とかないのか?」
結婚、という単語に黒夜の身体が反応する。千陰は相好を崩し、整えたばかりの黒髪を撫でた。
「今のところは、無いですね」
「相手がいないからか?」
「それもありますけど」
「学園を離れたくないからか?」
会話が途切れ、暖房の鳴き声だけが残る。
おや、とアニエスが息を呑み、ナナシが小さく顔を上げた。
「正直気になってたんだ。片目失くしてまで学園に残るなんて、悪いが正気とは思えねえ」
「生徒を同じ目に合わせないように」
「残った理由にはならねえ」
千陰は溜息。茜は首を傾けて彼女を観察する。いつもどおりに見えた。だが触れ合っていた黒夜は違う感想を抱く。先程から同じ部分しか梳かれていない。
「いろいろある、と濁すのは?」
「だめ」
意地悪く笑う常久。千陰は今度こそ苦笑した。
拳を固く握り、両腕を頭上に突き上げる。
「宿題がね、終わらないんです」
そして腕にありったけの力を込めると――
「解答欄すら目の前に無い宿題が」
――腹の前で手を組み、全身の筋肉ごとぐい、と持ち上げ、叫んだ。
「ん眼帯司書おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「……敵襲?」
振り返った茜の瞳が、雪原の中でポーズを取って震えるマクセルの姿を捕らえた。
「当たらずとも遠からず、かな」
眉を下げたアニエスが頬をかく。
「む、これでも聞こえぬか。サイドチェストでも駄目となると……アブドミナル&サイで勝負である!」
ぐいっ。
「ん眼帯司書おおおおおおああああああああああああっ!!」
「ごめん、シバいてくるわ」
「小日向、光纏漏れてる」
大股で喫煙所を出ていく千陰、彼女を追いかける黒夜。面白そう、と茜が続き、肩を竦めたアニエスが追う。
それじゃあワシも。踵を返した常久の背中に、本を閉じた音が当たった。
「少し踏み込み過ぎじゃないかしら?」
「ん、気を悪くしたか?」
「いいえ。興味深い話が聴けたわ」
2人は笑みを向け合う。裏側を決して見せないようにして。
「ナナシちゃんも行くか?」
「んー」
唸りながらあごに指を当て、脳内で推測する。
司書+呼び出し+雪=ろくでもないこと
「うん、遠慮しておくわ」
「いつでも合流していいぞ。ワシ、待ってる!」
歯を見せて表に出ていく常久。ナナシはそっと溜息を落としてから、無人の喫煙所を後にした。
「おお、やっと我輩の声が届いたか!
む、薄着であるな。我輩、今日の為に手編みのマフラーと手袋を持参したのである! さあ!!」
「不要である!」
「まあまあ、落ち着きなよ」
「だから光纏しまえって」
アニエスと黒夜を引きずりながら千陰がマクセルに迫る。後ろには腹を抱えて笑う茜とニヤニヤを浮かべる常久。
「ふむ……」
胸板をぴくつかせ、マクセルは口角を釣り上げる。
「おぬしら、秘密の悪戯計画に付き合わぬであるか?」
「悪戯……?」
「うむ。
実はな――」
●中庭
「ほう……」
踏み入るなり、インレ(
jb3056)は感嘆の息を吐いた。出掛けには真っ新で色気なく横たわっていた雪原に、大小様々の丸っこいオブジェが並んでいる。背中から湯気が出るほど懸命に、そして夢中にこしらえた雪うさぎの原は圧巻で、何より微笑ましかった。
「――あ……」
声に顔を向けると、合歓が立ち竦んでいた。インレはずかずかと歩み寄る。
「これは、おぬしらが作ったのか?」
こくん、と頷く。そのまま垂れてしまった頭にインレは手を置き、
「見事だ。よく特徴を捉えておる」
短く何度も撫でまわした。
「出来た……似てる……力作!」
少し離れたところでアナザーが力強く呟いた。他の作品を傷つけないよう大股で進めば、多分にデフォルメ化された犬やダチョウの雪像が彼女の前に並んでいた。
「うむ、よく出来ておる。凄い凄い」
くしゃくしゃと頭を撫でる。アナザーはくすぐったそうに目を細めた。
それにしても、と視線を巡らせる。なんともバラエティに富んだ光景だ。
身の丈の半ばほどもある雪うさぎをこしらえた沙紅良が満足げに額の汗を拭う。
「ふう、良い運動になりましたわ」
「まあ、それだけ大きいのを作ればな」
あら。沙紅良は眉を上げる。
「月詠様も、かなりの数をお作りのようですが」
言われて周りを見渡せば、大小のペンギンが彼を取り囲むように並んでいる。いつの間に、と神削が頬をかき、沙紅良がひとつを指さした。
「この子だけ、眉毛の様子が他の子と異なるのですね?」
「ああ、それは『友達』だから」
「お友達、ですか?」
「ああ。眉ありうさぎの友達だ」
「成る程。それぞれに設定があるのか」
感心するインレの目に、ある雪うさぎのペアが留まる。木陰で仲睦まじそうに寄り添っていた。他の物より小ぶりなそれに導かれるように彼は進み、しゃがみ込む。
手を伸ばした瞬間、頭上で物音がした。なんだ、と上げた顔面に、山盛りの雪がどさり、と落っこちてきた。
木の幹の陰から、ひょっこり、とソーニャが顔を出す。
「ごめんなさい。誰も引っかからないと思ったんですけど」
顔の雪を袖で払うと、インレは腹の底から笑った。
「くかかかか! なに、雪と戯れるのも偶には良いものよ!」
「三男の家族の友人たち、完成しましたよー!」
「五女のクラスメイト、全部作れました!」
互いの健闘をたたえ合い、高い位置でハイタッチを交わす諏訪とメイベル。手のひらサイズのかまくらを携えたソフィアが訪れ、そっとうさぎに家を与えていく。
「かなり大きくなりましたね、雪ウサギさん王国!」
「ですねー! そろそろ大きなのも作ってみましょうかー?」
「んー。でもさすがに使える雪が少なくなってきたかも」
確かに、と3名は表情を曇らせる。
だがそれもつかの間。彼らのすぐ傍らに、丘を思わせる量の雪がどさり、と降ろされた。
目を丸くする面々の前に菫が現れる。
「使うか?」
「おー! ありがとうですよー!!」
「気にするな、ついでだ」
「まだこんなに雪があったんですね!」
「必要なら、もう2、30回は運べるが」
「それじゃお願い! ありがと!」
応える代わりに手を挙げ、菫は元来た道を戻ってゆく。
見送りもそこそこに、3人は構想を並べていく。あれを作ろう、これも作りたい。多分に笑みを含んだ議論が踊る。
「すみません」
踏まれた雪がざく、と鳴る。
「少し、雪をお借りしても?」
振り向いた面々に、アーレイは首を傾げて微笑んだ。
●中庭
鼻歌を歌いながら作業を続けるさんぽ。傍らではマキナが実妹であるメリーに指示を出し、準備を進めている。
その輪から少し離れたところで、つづりは、雪うさぎをせっせとこしらえるファティナの傍に立っていた。
「……あ、あのさ……」
声に応じ、銀髪が揺れる。赤い瞳はやんわりと細くなった。
「お久しぶりです、でいいのでしょうか……一度は命のやり取りをした仲ですからね」
言葉は返らない。手を休めて向き直り、見上げるように覗き込む。
「噂では聞いていましたが、2人とも元気にしているようで安心しました」
そっと手を握る。それでようやく、つづりの表情は和らいだ。
「なんて呼べばいい?」
ファティナは斜め上を見て少考。やがて、では、と笑った。
「お姉ちゃん、で」
「よろしくね、ファティナ」
「ご歓談中ごめんなさい」
「団体様のご到着だ」
校舎の隙間から、マクセルを先頭にして『標的』が現れた。
●図書館
ナナシが訪れると、聞いていた内容と異なり、図書館周りの雪は綺麗さっぱり片付けられていた。羽根を動かして上昇すれば、屋根の上には菫の姿が。
「あなたが雪をどかしてくれたの?」
「司書が困っているのを聞いてな。鍛錬のついでだ」
鍛錬の一言で片付くのか。ナナシは素直に感心する。ここから校舎裏まではかなりの距離がある。雪の重さが見た目以上であることは身を以て知っていた。
「手伝いましょうか?」
「いや」
菫はなにやら思案を重ねている。邪魔をしてはいけない。ナナシは口を閉じて屋根をすり抜け、図書館の中へ進んだ。
カウンターのヒーターと控室のお菓子、ハンガー拝借する。作業中、絶え間なく雪の塊が落下する音が聞こえた。
ナナシが入り口から表に出ると、今度は滑走するような音が聞こえた。荷物を置いて図書館の横手を見てみれば、小規模ながらもしっかりとした雪のジャンプ台が仕上がっている。
そこを菫が滑りながら降りてくる。両足は、どこから調達してきたのか、1枚の板に固定されていた。反った台の前で停止、こんなものか、と具合を確かめる。迷いのないその挙動には凛々しさが漂っていた。
呼吸さえ潜めてナナシが見守る中、菫は図書館の屋根に戻る。数瞬目を閉じてイメージを思い描いて、括目、発進。
姿勢を低く保って加速をつけ、角度を付けてジャンプ台に侵入、跳躍。後方へ回転しながら体を捻り、見事に着地を決めた。
「お見事ね」
「いや、無駄な動きがあった」
「中庭に休憩所を作るの。温かいものを用意しておくわ」
「わかった」
応え、菫は再び屋根へ向かう。その姿は、まるで冬の日差しまで昇るように見えた。
●中庭
それは異様な光景だった。
「あはははは」
「うふふふふ」
満面の笑みを浮かべて雪玉を転がす白秋とつづり。その隣で雪うさぎを抱えて微動だにしないファティナ。組み立てた雪だるまに装飾を施していくメリー。彼女をぼんやりと眺め、時折鋭い視線を向けてくる灯子。
彼らが一歩も踏み入れぬ、開けたエリア。そこを注視しながら落ち着きのない様子で目を輝かせるさんぽ。
白秋が雪明りに負けぬ眩しい笑みで手を振る。
「おーい、先生ー! こっちで遊ぼうぜー!」
「呼ばれてるよ。行かないの?」
「ここまで露骨だと、逆に引っかかってみたくもあるね」
「どうすんだ、千陰ちゃん?」
「そうねえ……」
呟き、千陰は微笑む。それを見て黒夜が慄き、高速で後ずさった。
「マクセル君、私、Y字バランスが見たい」
「お安い御用である!」
キレのある動きでぐいと脚を上げ、それを掴むマクセル。
「さあ! 存分に焼き付け――」
「ごめんね」
言うなり、千陰は彼の背中を思いきり押した。マクセルはまるで射出されたように飛び出し、数メートル先のエリアに着地、したかと思うと、間欠泉を思わせる雪を巻き上げ、深い穴の中に沈んだ。
「あ〜〜っ!!」
さんぽは穴のほとりに駆け込むと、がっくりと肩を落とした。
「犬は喜び落とし穴の術が……頑張って作ったのにー……」
項垂れる彼の頭に、
千陰が
ぽん
と、手を置いた。
「……っ」
息が喉で詰まる。振り向くこともできない。
「国語の授業よ。次の四字熟語の意味を答えなさい。
『因果応報』」
「あ、わ、わかるよ? えっと、えっとね!?」
「時間切れ」
実習。
言い放ち、千陰はさんぽを大穴の中に突き落とした。
「なんてこと……褐色のマッチョと、柔肌の少年が同じ穴の中に――」
「桐村、掛け算は後だ! 来るぞ!!」
言われて灯子が顔を上げれば、背後にゴゴゴを従えた千陰が両腕を広げて笑っていた。
「それで? 誰が遊んでくれるのかしら?」
言い終えると同時、足元の雪から無数の腕が音もなく生え伸び、司書の四肢をがっしりと掴んだ。
「……っ!」
視界の中でファティナが抱える雪うさぎが爆ぜる。
「あとは、お好きに」
「ああ、そうさせてもらうぜ」
「さあ、ババア――」
白秋とつづりが満面の邪悪な笑みで雪の大玉を掲げる。
「「遊 ぼ う ぜ」よ」
千陰は舌打ち。
「みんなは逃げて!」
「うん。頑張ってねー。
あ、クッキーひとつもらってもいい?」
「ええ、どうぞ」
「それ今逃げたって距離じゃないでしょ神喰さんっ!! あと鴉乃宮君のクッキー私も食べる!!」
「緊張感があるんだか無いんだか」
灯子が呟くと同時、辺りにほの温い風が吹き込む。それは雪を含んで舞い上がり、優しい霰となって場を席巻した。
「やれやれ」
ぼやきながらアニエスが逃げ出し、
「――ひゃうっ」
しかし雪に足を取られて派手に転倒してしまう。頭や顔、体には雪が乗り、インナーは雪解け水に塗れた。
「よし、行くよ、豆腐先輩!」
司書へ同時攻撃を仕掛けるべくつづりが号令を出す。極めて真顔の白秋は雪玉を降ろし、携帯のカメラでびしょ濡れのアニエスを撮影しようとしていた。つづりは彼の後頭部目掛けて思いきり雪玉を叩き付ける。轟音と共に沈んだ白秋に舌を打ち、踵を返した。
「行くよ!」
「はいなのですー!」
メリーとつづりは息と力を合わせると、大きな雪だるまを抱え上げ、千陰に向けて放り投げた。
強く舌を打ち、全身に力を込めて一気に拘束を解く千陰。寸でのところで後方に退避、辛うじて直撃は免れる。
が。
「ッ……凝ったことして……!」
割れた雪玉の中央には、赤い手袋とスパイクを装着したマキナ。
「――覚悟!」
宣戦布告と同時、両手から投擲される固まった雪玉。千陰はそれを屈んで回避。低い姿勢から雪を蹴り上げマキナを攻撃する。爆走する白い豪風を、マキナは両腕を交差してなんとかやり過ごす。
「ったく……?」
司書を援護すべく雪玉を握った黒夜の前に常久が躍り出た。
「濡れたら千陰ちゃん寒がるぞ?
ワシに任せとけ。黒夜ちゃんは千陰ちゃんの傍にいりゃいい」
「簡単に言うなよ……」
黒と赤の暴風は既に接近戦を繰り広げていた。用いられているのは雪だが、ちらほらと手や足が出始めている。
雪玉をけん制として繰り出されたマキナのフックを腕で往なし、千陰が回し蹴りを放つ。マキナは仰け反ってそれを回避、天を貫くように突き上げた膝は、しかし千陰に止められてしまった。
「雪まみれにする悪戯、って事前情報だったけど?」
「そのつもりでやってるだろうが」
「口のききか、たぁっ!」
互いを弾き合い、大きく距離を取る。
「来なさいっ!」
「応っ!!」
再び激突すべく、走り出す。
その時だった。
コンッ
2人の間に無機質な小型の球が投げ込まれた。
それはすぐさま爆発、濃い白煙をしゅうしゅうと噴き続ける。
「ケホッ……新手……?」
涙を擦る千陰の前と後ろで気配が揺れる。
「……チィッ!!」
マキナは両腕で煙幕を払い、千陰の姿を探った。
「こっちよ」
灯子の声に導かれれば、確かに黒ずくめの姿が見える。
「一斉に行くよ!」
「応ッ!」
つづりの声に従い、マキナは雪を固く握った。
正面で揺れた黒は流れるような動きで千陰目掛けて手刀を放った。狙われた場所、速度、角度が雄弁に殺意を語る。その冷たさは、千陰の目を覚まさせるのに充分過ぎた。
「……黒百合(
ja0422)さん!」
紙一重で躱し、反撃の蹴り上げを繰り出す。が、
「あはァ……♪」
手応えは得られない。どころか、膨らんだ敵意は鋭利な足刀を放ってきた。千陰は腕でなんとかそれを往なすと、それを掴み、体を捻って雪に叩き付けた。
「ガチ過ぎるって……!」
応えず黒百合は跳び起きる。
ならば、と鋭く息を吐き、スイッチを入れた瞬間、千陰は背後からきつく抱き締められた。
ぽにゅん。
「……あら?」
こんなに柔らかかっただろうか。
灯子の疑問を待たずに灯子とマキナの一斉攻撃が叩き込まれた。
雪雪雪雪パンチ雪。
やがて辺りを風が吹き抜けた。ぜえはあと呼吸を整える面々を助けるように。
もくもくと立ちこめた煙はそれで一切合財吹き飛んでしまう。現れたのは真実。
「――え?」
「ん……?」
「……は?」
灯子が抱き締めていたのは、黒のパンツスーツに身を包んだ――
「残念! ワシでした☆」
――常久だった。
灯子はつづりとアイコンタクト。つづりは頷きながら移動、常久の足にしがみついて持ち上げた。
「な、何をする!?」
「「せーのっ!」」
2人は黙殺、常久を落とし穴の中に放り込んだ。
どすん。
「ぐはぁっ!!」
「きゃんっ!!」
「いってぇ!!」
「うるさーい! これでも喰らえ、このっ、このっ!!」
「ゆ、雪を落とすな! ワシ、ワルイコト、シテナイ!!」
「し・た・じゃ・ん・かぁッ!!」
トドメ、と言わんばかりにどっさりと雪を投げ入れるつづり。湧き上がる悲鳴(3人分)を聞いて僅かに気が晴れ、ふう、と後ずさる。
小さな背中が白秋の腹に当たった。
「あ、ごめ――」
謝罪を遮り、白秋の腕がつづりの身体を包み込む。
「え? ええ!? ちょ、何して――」
そしてそのまま持ち上げると、
「……マジで何して――」
身を大きく反り、つづりを脳天から雪の上に叩き下ろした。
「――まだ、遊び足りねえだろ?」
ぷるぷると震えながら起き上がるつづり。彼女を見下ろすのは金眼の猛獣。
ああなるほど的な雰囲気が広がりつつあることを察したつづりは、遮二無二身を乗り出し、叫んだ。
「助けて、ファティナお姉ちゃん!」
おねえちゃん……ねえちゃん……えちゃん……ゃん……
「ッ!」
白秋の背後で膨らむ圧倒的な不快感。
振り向けば、長い銀髪が凍て付いた風に揺れていた。
「私の妹から離れなさい、イソフラボン」
「あぁん……? お前んとこはアレか、人様を成分で呼べって習わしなのか?」
「では絹か木綿で。どちらにせよ、これから私が『焼き』を入れるわけですが」
「そもそも豆腐じゃねえっつってんだらアアアアッ!!」
後で誤魔化そ。火花を散らす2人を余所に、つづりは溜息をつきながら避難する。
向かった先は歌音の休憩所。断ってからクッキーを拝借し、舌鼓。
その油断しきった背中に灯子が音もなく近づき、冷え切った雪をごっそり流し込んだ。
「にょああああああああああ!!」
「隙あり、よ」
「はいはい、こっち向いて」
「え、茜取ってくれるの? でも背中……」
「はい、チーズ」
パシャッ。
「場合かあああああああああっっ!!!」
●屋上
ゆっくりと深呼吸してから、千陰はすっと手を挙げた。
「ありがと、いろんな意味で助かったわ」
「貸し一つ追加な」
「はいはい」
苦笑を浮かべる千陰の後ろで黒夜が咽る。見れば、煙を吸い過ぎたのか、顔をごしごしと拭っている。
「大丈夫? 顔洗ってくると良くなるかも?」
「あ、ああ……そうする」
「一緒に行く?」
「……いい」
言って黒夜は昇降口に駆け込む。あら、フラれちゃった。ツッコミを期待して振り返ると、恭弥は神妙な面持ちで校舎裏を見下ろしていた。右手には背中に入れられた雪を払おうとして走り回るつづり、左手には雪うさぎを鑑賞しては手を叩く合歓の姿が。
「なあ。俺にもっと力があれば、他のやつも救えたのかね」
千陰は答えず、恭弥の隣、フェンスに背中を預けた。
「……悪い、今のは忘れてくれ」
思い詰め、頭を振る恭弥。千陰は微笑む。
「絶対忘れない」
「……不良司書」
「いじめっ子」
小さな笑いが同調する。
ポケットから出した缶コーヒーを投げる恭弥。
千陰が受け取り、一口含むと、昇降口の扉が勢いよく開いた。
「ここにいたんですか、探しましたよ、小日向先生」
にっこりとほほ笑み、アーレイは手を振って千陰を呼んだ。
●校舎裏
「おやー?」
諏訪の頭から飛び出た毛が高速で回転を始める。メイベルは目を輝かせた。
「飛ぶんですか!?」
そうなの? と振り向くソフィア。諏訪は苦笑。
「揚力なんかありませんよー? それより、気を付けたほうがいいかも知れませんねー?」
異変には合歓も気付いた。
そして彼女が振り向いた時には、もう、怒鳴りながら雪玉を投げ合うファティナと白秋、灯子に追い立てられ涙目で逃げ惑うつづりが目前に迫っていた。
「――だ、駄目だよ……」
「……やめて……!」
「うさぎさんが――」
ソーニャとアナザー、それに合歓の声は届かない。
ファティナと白秋は彼女らをあっさりと突破、雪うさぎの原のど真ん中で決闘を始めた。
さらにつづりらも悲鳴を上げながら駆け込んでくる。
「――やる気の無い奴を……」
神削は自作のペンギン像を持ち上げると、
「……巻き込むなぁぁ!!」
「んぶっ!!」
つづりの顔面に、カウンター気味に叩き込んだ。
「せっかくの皆の作品を……お止めなさい!」
走り回り跳び回り暴れ回る面々に沙紅良が加わり、決闘はやがて雪を蹴散らす大乱闘に昇華する。
「くかかかかか! 怪我するなよ!!」
酒を傾け、インレは大口を開け、仰け反って笑った。
「……なんか、すっごい賑やかなんだけど」
導かれるまま降りてきた千陰は目の前の惨事に肩を落とす。アーレイは構わず腕を引き、彼女を強引に誘導した。
そこには、まるで北の大地の丘の上にある公園に飾られていそうなポーズをした、千陰の雪像が佇んでいた。
「……なんで胸のところ抉れてるの?」
「あのっ!」
アーレイは顔を伏せ、丁寧に装飾を施した籠を突き出した。
「お、小日向先生! チョコ作ってきました! 受け取ってください!」
「お、あ、ありがと……」
千陰が籠を受け取ると、アーレイは脱兎の如く、その場を走り去った。
なんだかなあ。千陰は肩を竦め、チョコを口に放り込む。
ぱくっ。もぐ。Buuu。
千陰がぶっ倒れると同時、顔の包帯を新調した黒夜が駆け寄る。
「ど、どうした小日向。なんだこれ、吐血?」
「違……み、みず……」
「ほっとけ」
これでも舐めてろ。言い捨て、恭弥は千陰の頭に雪をどかっと乗せた。
「あのように、搦め手を使うのは?」
「嫌よォ。正面から突破しないと意味ないわァ」
「となると、やはり死角の右側から……」
歌音と黒百合が議論を交わす隣、ナナシが設置したストーブの前でガチガチと歯が鳴り続けていた。さんぽ、常久、マクセル、そして着替えを終えたアニエスのものだ。
面々にココアのおかわりを注いで回るナナシに菫が声を投げる。
「騒がしいな、あの司書は」
「そう? 今日はまだ大人しいほうだと思うけど」
同意を求む視線を向けられ、マキナは軽く頷く。
「普段はもっと凄いんですよ」
「なんとも難儀だな」
「退屈はしないわよ」
「そう、ですかね」
あいまいな笑みを浮かべるマキナの肩をメリーが叩く。
「はい、お兄ちゃん。コーヒー淹れてきたの」
「おう、ありがとな」
会話に集中していたため、マキナはカップの中身を確認しなかった。
確かにコーヒー豆から作られたはずなのに青緑に染まったそれを含み、直後に噴き出す。
「あ、虹」
霧状になったコーヒーが寒空に架けた七色を、ファインダーを覗いた茜がパシャリ、と切り取った。