●レストラン
「すみません、遅くなってしまって……」
言いながら小日向千陰(jz0100)は頭を下げた。
笑みを浮かべ、見合い相手――砥沢は席に着くよう促す。千陰は左目を線にして笑い、その裏で思案する。見た目はまあまあ。この厳冬にタンクトップなのは理解できないが、悪い人間ではなさそうだ。
上品な作りの椅子に腰を降ろすと、イヤホンが亀山絳輝(
ja2258)の声を届けた。
――はい、砥沢さんの声も聞こえます。では、時々指示を出しますからね
「本日は、よろしくお願いいたします」
絳輝と砥沢に告げ、千陰は深々と腰を曲げた。
そう構えずともよろしい。砥沢は白い歯を輝かせる。
「聞けば、あまり気取ったものはお好きではないとのことでしたので、普段と趣向を変えてみました」
言うと同時、銀髪の従業員が料理を運んできた。場所を鑑みてコース料理かな、と先読みし、フォークとナイフの使い方を思い返していた千陰は目を剥く。置かれたのは、親子丼と味噌汁、そしておしんこだった。
「わあ、美味しそうですね。ちょっとストレッチしてもいいですか?」
「ええ、どうぞどうぞ」
言われ、では、と千陰は上体を回す。背もたれに覆い被さるようにして、小声で胸元のマイクに訴えた。
「どうしよう、早くも帰りたいんだけど。どうしよう」
――すごく落ち着いてください。既に手は打ってあります
そこまで言うなら。千陰が振り向いた先で、確かに事態は動き出していた。
従業員は暗い笑みを浮かべ、親子丼を掻き込む砥沢を見下ろしていた。鬼気迫る立ち姿に千陰は椅子を鳴らす。それで砥沢が従業員に気付き、視線を向けた。
「……楽しそうですね」
銀髪の従業員――鳥海月花(
ja1538)が言い放つ。
「……君は?」
「やっぱり、覚えていないんですね」
月花は両手で顔を覆う。
「あるバイト帰り、頬を赤らめたあなたに言い寄られ、今日までずっと引きずってきました。それなのに、あなたは私のバイト先にお見合いで訪れるなんで……あんまりではありませんか。
それとも、あの日のあなたの言葉は、虚飾に塗れたその場限りの告白だったのでしょうか……」
ねえ。極めて小さな声でマイクに伝える。
「これホント? そうなら私、砥沢さんしばくんだけど」
――いえ、全部演技です
「それはそれで凄まじいわね……」
つい、と視線を動かす。
砥沢は口元に手を当て、顔を真っ青にしてあごをガチガチと鳴らしていた。月花が目薬の涙を流せば、彼の挙動は目に見えて度を増した。
効いている。この上なく。
「なんで効くのよ」
――まだまだ、これからですよ
「なら拙者のことは覚えているでござるか〜?」
なまめかしい動作で砥沢の肩に手を回したのは立夏乙巳(
jb2955)。頬は赤らみ、目はとろけている。
「ほらぁ〜、いつだったか呑み屋の前で潰れているところに声を掛けてきて〜、好きだー! 結婚してくれー! って言ってくれたではござらぬか〜」
乙巳はニコリ、と屈託のない笑みを浮かべる。
「拙者は頷いたでござる〜。と〜っても嬉しかったでござる〜。
あれは偽りだったのでござるか〜? 拙者と添い遂げると、約束したではござらぬか〜?」
吐息にはアルコールの匂いが多分に乗っていた。
千陰は頭を抱える。
「潰す人が潰れてどうすんのよ……」
――いえ、乙巳さんは悪魔ですよ
「や、人のところはそんなに重要じゃなくて……」
言われて見れば、ぱっくりと開いた口から蛇のそれに似た舌がチロチロと振れている。それを見て砥沢は――
「こんな舌の女性は見たことがない! 彼女はともかく、君は人違いだ!」
「またまた〜、とぼけるのも大概にするでござるよ〜」
「このままだと泥沼よ?」
――もちろん、畳み掛けます
「あああああっ! ほんとにいたあっ!」
フロア全体に響き渡りそうな声を上げ、因幡良子(
ja8039)がテーブルに駆け寄った。ダンッ、と両手を付き、その勢いを乗せて砥沢を睨む。
「き、君は……?」
「私はあなたのかつての女、ルーシーの隠し子なのっ!」
「昔の奥さんの名前調べられたの?」
――判らなかったからアドリブで行く、と
「なんでルーシーなのかしら……」
「馬鹿な! ルーシーは金髪碧眼の欧州人だったはずだ!」
「心当たりあるんかい」
「そんなのは些細なことよ! 見て! 彼女の面影を浮かばせるうなじのラインッ!!」
台詞が終わると同時、良子はキレのある動きで踵を返し、長い黒髪を掻き上げて首の後ろを見せつけた。
砥沢は暫し思案、やがて短い首を振る。
「いや、違う。ルーシーのうなじとは似ても似つかない!」
「し ど い っ!」
良子はテーブルに突っ伏す。
「月花ちゃんや乙巳ちゃんだけでなく、ルーシーのうなじも忘れるなんて!
あなたと別れてからルーシーはいろいろ大変であれこれ乱れちゃってその影響で娘の私まで腐ったんだからぁっ!」
「着地点に真実を持ってくるとは……やるわね……(もぐもぐ)」
――いや、親子丼を食べている場合ではないと思いますよ
絳輝が告げると同時。
ドズバアアアアアアンッ!
大きな扉が開け放たれた。入り口の中央に佇む人影を見て、千陰はふわふわの卵を噴き出した。
人影――阿東照子(
jb1121)は、80という年齢を感じさせぬ挙動で跳躍、一気に砥沢へ接近すると、そのまま胸ぐらをむんずと掴み、揺すりながら怒鳴り散らした。
「テメー! わしとは遊びだったのかこのやろー!!」
「ふざけるな! さすがにあなたのようなババアを口説いた覚えは無い!!」
「うるせー! あの夏の日を忘れたのかー! どうせわしの遺産が目当てなんだろー! この悪魔めー!!」
「……なんで、阿東さんが一番いきいきしていらっしゃるのかしら。
止めなくていいの? 因幡さん、顔逸らして笑い堪えてるわよ」
――そろそろ潮時ですかね
絳輝の予想どおり、遠巻きに眺めていたホテルの従業員がこちらへ向かって駆け寄ってくる。
「撤収です!」
言うなり、月花は一番近くにあった大きな窓を開け放った。吹き込む冷たい風に逆らうように、照子が顔の前で腕を交差させて飛び降り、乙巳が足をもつれさせながら彼女に続いた。
窓の手前で、良子が目じりを拭いて振り返る。
「分かってるんでしょ!? あなたが本当に求めている女性は私の母親以外にあり得ないのよ!
他の女性じゃ、心の穴を埋めることなんてできないのよ!
どうせすぐに別れちゃうんだから結婚なんてやめなさいよ!」
「……ッ」
胸元を掴むように抑える砥沢。そこへ月花が追い打ちをかける。
「お二人とも、とっても不釣り合いですよ」
月花と良子が飛び降りると、従業員が彼女らを追って散り散りに駆けていく。
「え、っと……」
――一旦離れましょう
「すみません、ちょっとお花を摘みに……」
「あ……ああ、はい、わかりました。
食事、という雰囲気ではなくなってしまいましたな。中庭でお話でもいかがですかな?」
「はい、喜んで」
●
「……ん、こんなとこか」
カーテンの裏で黒夜(
jb0668)はスマートフォンを操作する。先程の騒動は一部始終カメラに捉えることができた。
「よし、次の――」
「――作戦は、どのようなものですか?」
刺された、と感じた。身動きが全く取れなかった。
それでもなんとか振り返ると、ひとつ向こうのカーテンに、髪が長く、右目のある小日向が立ち、微笑んでいた。
彼女が放つ威圧は効果が絶大で、黒夜は指一つ動かせない。
それを見通した万裏が微笑みを強めて言い放つ。
「質問を変えましょう。
この騒ぎは、ちぃが……あの子が指示したのね?」
ごくり、と黒夜の喉が鳴る。
●中庭
砥沢が訪れると千陰の姿は無く、代わりに黒髪を頭の上で結った女性が鯉だらけの池のほとりに佇んでいた。美しいうなじだ、いやいや自分は何を。頭を振って砥沢は近づく。
「もし。ここに――」
呼ばれてから振り返り、遠宮撫子(
jb1237)は精いっぱい目を丸くした。
「その上腕筋……もしかして、砥沢様ですか?」
予想外の反応に砥沢は驚き、笑う。
「ボディビルで有名な方とお会いできるなんて光栄です。さぞ体作りには禁欲的に取り組まれてきたのでしょう。
もしよろしければ、大胸筋を触らせていただいても?」
草むらの陰で乙巳が首を傾げる。
「誘惑する、と意気込んでいた気がするのでござるが……?」
「確かに、あれではただの筋肉会話ですね」
「いいじゃないかい。愛の形はそれぞれさ」
「阿東さんあんまり頷かないで! 頭の枝がめっちゃ揺れるから!」
砥沢の快諾を受け、撫子は彼の胸板に手を添えた。
「わあ……!」
砥沢は鼻息を荒げ、サービスだ、と大胸筋をぴくつかせた。
「きゃっ」
撫子は驚き、一歩後退した。が、足を引いた先はもう池の上。盛大にバランスを崩し、なんとか踏ん張ろうとするも背の低い植木しかない。手を伸ばすが到底支えきれるわけもなく、どころか、袖に枝が刺さってしまう。慌てて抜こうとするが、遅い。撫子は豪快な水音を残して池に沈んでしまった。
砥沢が声を掛けるより早く、撫子は浮上する。下着だけになった上半身にはあちこちに鯉の噛み痕が赤く浮かんだ。
「だ、大丈夫か?」
「え、ええ――」
頷くと、長い黒髪が零れ、肩に落ちた。その冷たさで上着が無くなっていることに気が付く。即ち、己の現状を理解したのだ。
「っ……キャアアアアッ!!」
絳輝の指示を受けて中庭にやってきた千陰が目にしたのは、びしょ濡れになった撫子と、彼女を見下ろす砥沢の姿。
「……おい」
「お、小日向さん……」
撫子は散々口ごもってから、
「……ご、ごめんなさい!」
と言い残し、ホテルの裏手に走り去っていった。
池のほとりに残った2人から見えない位置で、絳輝が撫子に大きなバスタオルを被せた。
「す、すみません、私……」
「そう気を落とすな。砥沢さんの評価を落とすという点では文句なしの成功なのだから」
苦笑し、左側を見上げる。
「仕上げだ。頼んだぞ」
ふう、と息を吐き、影野恭弥(
ja0018)が歩き出した。
●
「……違う」
胸の前で握った手は震えていた。
「ウチが中心になってやったんだ。小日向とずっと一緒にいたいから、ウチがみんなに頼んだんだ」
「そんなことは……」
「難しいってことくらいわかってる」
声は不意に大きくなった。
「それでも、一緒にいたいんだ。いなくなってほしくなかったんだ。だから……」
ウチを許して。お見合いを辞めさせて。
黒夜の言葉は、万裏の想像を全て裏切った。
「小日向を、怒らないで」
「――……」
●中庭
――説明は以上です。これで砥沢さんの心も折れるはずですから
「……いやいやいやいや」
――ご武運を
「千陰」
呼ばれて顔を上げる。
恭弥が腕を広げて呼んでいた。
――さあ、小日向司書
「〜……」
俯いた顔を真っ赤に染め、千陰は小走りに駆け、
ぽふっ
恭弥の胸に飛び込んだ。美容師に整えてもらった短い黒髪に恭弥が手を置く。小さく震えた。それを鎮めるように、何度も優しく撫でる。
「なっ……なんだ、君は!?」
言われ、恭弥は砥沢を正面から睨み返す。
「人の恋人に手え出してんじゃねえぞ、爺さん」
「「なっ!?」」
――小日向司書、あなたが驚くのは不自然ですよ
「そ、そんなこと言ったって……」
――恭弥の努力が無駄になります
「千陰も千陰だ」
言ってぎゅってする恭弥。
「俺に何も言わずに勝手に見合いだなんて酷いじゃねえか」
「〜……ッ」
――さあ、小日向司書!
「……ごめんなさい、どうしても断れなかったの!」
顔を上げる。息が当たるほど近かった。
「私だって……き、恭弥と一緒にいたい!!」
「おう」
わしわしと頭を撫で回す。
「嘘だッッ!!」
烈火の如く砥沢が叫んだ。
「本当に恋人だと言うのなら、証拠を見せてみろ!!」
●
「実家に顔を出す暇も気力も無いのかと気を揉んでいたけれど、なるほど、そういうことだったのね」
与えなくても、居場所はあるのか。
目の前で気丈に振る舞う少女に免じて、事実を呑み込むことにした。
「あの子に酷いことされたら、いつでも呼びなさい。その時は、引きずってでも連れていってあげるわ」
「大丈夫だ……たぶん」
万裏は妹のそれに似た笑みを浮かべた。
「帰るわね。精々頑張って砥沢さんを諦めさせなさい。あの人、しつこいわよ?」
●中庭
恭弥が投げた写真を砥沢が拾う。そこに映っていたのは、クリスマスのイルミネーションを眺めて腕を組む2人の姿と、揃いの上着を着てじゃれ合う2人の姿だった。
「ちょ、あれはそういうのじゃ……!」
――演技中ですよ、司書
「どっちもすてきなおもいでよ!」
「これで判っただろ。引き際が判らないからバツ18なんだよ、爺さん」
「くっ……」
まだだ。砥沢は怒鳴る。
「それでも本当だと言うのなら、ここで口づけをして見せろ!」
「はあ!? そんなこ――」
――司書
「かんたんよー!」
言い切り、恭弥を見上げる。顔は熟れたトマトのように真っ赤で、左目には涙が溜まり、結んだ唇は震えていた。
恭弥はニコリと微笑むと、腰を落とし、千陰の膝の裏に腕を回した。
「や、ちょ!!」
「そういうのは2人っきりの時に、って約束だもんな」
静止の声も聴かず、恭弥は千陰を抱え、走り出す。
「ま、待て!」
追おうとした砥沢の腰に、
「行かせないでござるよっ!!」
乙巳がタックルをぶちかまし、
「大人しくしろこのやろー!!」
彼の背に照子が飛び乗り、羽交い絞めにして反り上げた。
苦しみ、咽る砥沢の傍らで月花が頬を赤らめる。
「不思議ですね、罪悪感以上の快感がくるのはなぜでしょう」
彼の前に良子がちょこん、としゃがみ込む。
「これでバツ19? ちょっと違うか。なんにせよ、最短記録だね、おじさん」
暴れる砥沢の胸ポケットから藍色のケースが落ちた。駆け付けた黒夜がそれを拾い、開ける。大きな宝石が乗った、指輪だった。
「もういらねーだろ、これ」
告げ、黒夜が指輪を池に投げ込むと、すぐに鯉が群がった。
砥沢は蠢く水面を暫く見つめ、やがてがっくりと頭を垂れた。
●
ホテルの裏手で、ようやく恭弥は千陰を降ろした。
「お疲れ様でした」
絳輝が微笑む。千陰は腰が抜け、その場に座り込んだ。
「え、と……」
見上げた先で、恭弥がやれやれ、と伸びをしていた。
「ああしんどい……演技なんて久しぶりにしたわ」
「……ENGI?」
「後で飯くらい奢れよなー」
「演技!? ん!? いや、そうよね、演技、そう、演技ね。うん」
恭弥は眉を上げる。
「なんなら真実にしてみるか?」
「ぇあっ!?」
クスリ、と絳輝が笑う。
「からかわれてますよ」
「はあ!? あ、うん、そう、もちろんそうよ!!」
おずおずと撫子が身を乗り出す。
「大丈夫ですか、小日向さん。顔真っ赤っかですよ」
「大丈夫! 全然大丈夫だから!」
ぶんぶんと手を振ってから、千陰は深呼吸して、
「ありがとね、みんな。またしばらく、よろしくね」
(貴重な婚期を逃したのに)満面の笑みを浮かべた。