●噴水公園
到着した6名をざっと見渡し、壱(イー)は軽く俯いて微笑んだ。
「見覚えのある顔がちらほらと。余程嫌われたようですね」
「意外かな?」
ライフルを弄りながらアニエス・ブランネージュ(
ja8264)が静かに睨む。
壱は首を振った。
「出会った時から嫌われていましたからね。そちらの少女にも」
視線の先、神城朔耶(
ja5843)は胸の前で拳を固く握っていた。
「……まだ、このようなことを続けるのですか?」
「このような、とは?」
「復讐など碌なものではありません。残るのは虚無だけですよ……」
「尤もだと思いますよ。そして同時にこう思う。
あなたは復讐には向いていない。そういう顔をしている」
上がる顔。
その額から顎にかけて伸びる傷は、じくじくと赤らんでいた。
患部を指でなぞりながら、彼は口を動かす。
「『こういう顔』にならなくては、復讐に意味など見出せませんよ」
青白い光が、壱の周囲でバチバチと吼える。鎖に繋がれた猛犬が、己が領域に踏み込んだ外敵を威嚇するように。
風を感じる程の敵意を受け、撃退士らは展開を始める。
前に出たのは革帯暴食(
ja7850)と唐沢完子(
ja8347)。2人はそれぞれ噴水の左右に位置を取る。噴水の向こう側には秋月玄太郎(
ja3789)が戦闘の準備を整えた。彼らの傍らで、朔耶が温かな光を湛える。アニエスはやや後方に陣取り、桐村 灯子(
ja8321)は大きく右側に回り込む。
回り込みながら言った。
「他の仲間はみんな、あそこの鳥に攫われたわよ」
「攫われた?」
顎を上げる壱。彼の視界の中を、アニエスが放った漆黒の銃弾と朔耶の矢が横切った。上空のサーバント――握鳥は大きく旋回して攻撃を往なす。
「……成る程。好きに使い、使われろ、ということですか」
「敵の敵は味方、って言うじゃない?」
「そうですか? 私は好きですよ、三つ巴」
壱が手を翳す。手のひらから走った幅の広い雷が一直線に灯子を目指して轟々と走った。彼女はなんとか回避するも、背後、木々は根こそぎ圧し折られ、粉々に消し飛んだ。
灯子は微かに眉を寄せ、木々の合間に身を潜める。壱は鼻を鳴らし、第二射の構えを取る。
そこへ、
「どこを――」
「――見てんだよォッ!!」
完子と暴食が迫る。壱が向き直る。だが間に合わない。完子は踏み込み、光を集中させた掌を突き出した。あどけなさの残る短い腕は、しかし壱の周囲に漂う白んだ光に進行を拒まれてしまう。完子は顔を歪めた。が、歪めただけだった。掌の光は壱の右胸を捉える。彼は小さく咽せ込み、膝を折った。
完子は一旦離脱、己が左腕を見遣る。無数の裂傷が走り、ことごとくほのかに焼けついていた。
溢れるアウルによる防護壁。
暴食に警告すべく顔を上げる。だが彼女は既に間合いと攻撃動作に入っていた。長い足を鞭のようにしならせ、うずくまる壱を刈るように振り回す。足元を払われた壱は、しかしなんとか宙で体を捻り、地面を叩いて跳び退き受け身を取った。
「……痛くありませんでしたか?」
「効かねぇなァッ!」
「そうですか。では――」
頭上に手を翳す。彼がぐい、と力を込めると、そこに光が集中、巨大な球を作り上げた。
陽の光さえ塗り潰す白の雷光。
「――いっそ粉々になるといい」
腕を振る。特大の雷球が暴食目掛けて走る。彼女はケラケラと笑いながら大きく横に跳び退いた。
――――――――――!!
そのまま広場が崩れ落ちるかのような振動。完子が目を向けると、敷き詰められたタイルは砂利のように砕け、抉られ、焦がし尽くされていた。
したり顔で立ち上がる壱。彼の視界で噴水の水が弾ける。塗れて飛来するのは玄太郎が放った風の刃。
壱は小さく笑って腕を伸ばすと、自身の正面を人差し指で丸くなぞった。輪郭を与えられた光が風の刃を受け止める。それは僅かに瞬き、治まる頃には足の傷が癒えていた。
「フン、迂闊な――」
ほくそ笑む彼の頬を、アニエスの銃弾が浅く裂く。
「全くだね」
「……ええ、全く小賢しい」
頭の上で指を鳴らす。
刹那、誰の耳にも届いた。空を揺らす野太い音が。
急降下してきた握鳥は壱の上空、やや前方で滞空、大きく翼をはためかせ、無数の羽をばら撒いた。それらは霧のような密度で玄太郎、朔耶、アニエスを襲う。咄嗟に防御の体勢を取るものの、爆撃の驟雨は彼らの体を暫し強かに叩き続けた。
「なんとけったいな」
握鳥を見上げる壱。その視界に暴食が飛び込む。胸の高さまで引いた両足を、揃え、思い切り壱目掛けて放った。壱は舌打ち、両腕を交差させてなんとか受ける。暴食は長躯を折り曲げて笑みを見せつけ、彼を踏み台にして飛び上がった。
彼女の大きな影の中から大鎌を携えた灯子が迫る。壱の周囲の白光、そのやや手前から黒塗りの刃は振り降ろされた。肩口を裂かれ、しかし壱は反撃。揃えた指の先から走った雷光が灯子を直撃、吹き飛ばした。
忌々しげに大鎌を睨む壱の背に、完子が再び輝く掌底を叩き込む。不意の一撃となった。
灯子側によたつく壱。彼を灯子が振り上げる鎌が迎撃する。腹から始まり胸に終わった裂傷から鮮血が飛び散る。
「ッ……貴様らァ……!」
拳を振り降ろす。垂直に繰り出された光は正しく落雷。灯子は無理矢理後ろに転がり辛うじて回避、息を整え、ベレー帽の位置を直した。
顎が軋むほど歯を噛み締め、壱は怒鳴り、空を見る。
握鳥はもがいていた。背中に牙を突き立て、執拗に膝を打ち付ける暴食を振りほどこうと、何度も、何度も身をよじっていた。抜け落ちた羽が広場に舞い落ちる。だが狙いを定める余裕などあるはずもなく、面々を取り囲むように散漫と爆ぜるのみだった。空中での格闘にアニエスも援護射撃で加わる。
奇特な格好の女はともかく、片眼鏡の女も自分ではなくサーバントを討とうとしている。壱には理解できなかった。
スカートの裾を払い、灯子が立ち上がる。
「言ったでしょ。あなたの仲間は、あのサーバントに攫われたのよ」
「手駒に仕立てた捕虜を安易にリリースするような思考なら、そもそも策を練りません」
「もう、終わりにしませんか……?」
朔耶が声を振り絞る。それは提案ではなく、訴えだった。
「貴方のしたことは許されることではありません。小日向(jz0100)先生の元で罪を償って下さい」
「……罪、ですか……」
乱れた前髪を掻き上げ、壱は鼻を鳴らした。
「では、学園は罪を償わなくてもよいのですか?
手に負えぬと私たちを見限り、捨てた学園は、罰を受けるに値しない、と?」
「そ――」
「判らないのでしょうね。貴方たちには。
友や恋人、或いは家族までいる貴方たちには、到底判らない。
私たちの……私の心の虚は、決して判らない!!」
「だから拗ねてごねたんだろう? あの夜からまるで成長していないね」
握鳥から目を離し、ショットガンのポンプを引くアニエス。
「何度だって言うよ。君のそれは主張でも復讐でもなく、我侭だ」
「貴様はいつもそうだ。さも講師であるかのように振る舞い、否ばかりを唱える。
見栄を張らず普通の眼鏡を掛けるといい。貴様は学園の片側しか見えていない!」
「五十歩百歩だと思うがな」
魔術書を翻し、玄太郎は腰に手を宛てた。
「正直言って、俺も建前と馴れ合いが横行していると思っている。俺もそういうのは大嫌いさ」
だからこそ、と彼は眼鏡の位置を直す。
「俺はお前を否定する。駄々をこねて暴れ回るだけが答えではないと、証明してみせるさ」
「あたしたちにだって意思があるわ」
完子は、撃鉄を上げた拳銃を顔の前に構えた。
「――受け流せないことは、あたしたちにだってあるのよ!」
「そうよ。負けるわけにはいかないの」
灯子の大鎌が空を薙ぐ。
完子は目を閉じて詩を紡ぐ。
朔耶が弓に矢を添える。
アニエスの銃口が持ち上がり、玄太郎が魔導書を広げた。
壱を取り囲む光が輝きを増す。
劇的に。
「やってみろ……。やってみろよオオオ!!」
「ケラケラ! 下は盛り上がってんなッ!」
サーバントに背に噛み付いたまま、暴食は嬉々と笑った。握鳥の抵抗は一時も絶えることなく続いていた。それでも暴食は、決して離れず、手当たり次第に脚撃を繰り出していた。
「しつけぇなァ……大人しく食われろよォッ!」
ひときわ鋭い膝蹴りが叩き込まれた。
何故だ。握鳥は無い首を捻る。何故執拗にこちらを狙う。
「あァ……ッ?」
彼女は感じ取った。握鳥の僅かな変化、即ち焦りを。
「テメぇの好きにさせたらなぁ……千陰ちゃんがまた悲しむんだよォッ!!」
顎、そして喉で体を支え、全身を振り上げてからの脚を揃えた一撃が翼の付け根を捉えた。
仰け反る握鳥。
バランスを崩し、堕ちてゆく。
背で笑う暴食は、しかし我が身の変化を感じ取っていた。
力の全開放。
その代償が今、痛覚となって彼女を駆け巡る。
「……チィッ……!」
「革帯様!」
「何処を見ているッ!!」
半狂乱の壱が放ったのは、あの特大の雷球。狙いは朔耶とその周囲。
玄太郎が顔を顰め、広げた両手を地面に突く。刹那、噴水のやや手前が隆起、土煙を上げて持ち上がる。だが雷球はそれらを弾き飛ばしながら迫り来る。
「くっ」
「……っ!」
玄太郎と朔耶の前で、雷球は爆発した。純白の閃光と蒼白の灼熱が2人を包み、押し流す。
「まったく……」
ショットガンを携えたアニエスが前に出る。
その瞬間。
消し飛んだ噴水の位置に、握鳥と暴食が墜落してきた。投げ出された暴食は数度転がってからなんとか立ち上がる。握鳥はその体躯をじたばたとうごめかせ、両の翼、そして体の下から生えた腕でなんとか立ち上がろうともがいた。
射撃は壱に届かない。そう判断したアニエスは、銃身に黒い光を込め、巨大な翼に照準を定めた。
ニタリと笑う壱を、大鎌を携えた灯子が襲う。
己の顔面を切り裂いた得物の形状に反応し、壱は目を見開いて彼女に向き直った。
その背に、完子が銃口を向けてトリガーを引き絞る。撃ち出された銃弾は、彼の背、腰のやや上に喰らい付いた。
「ぐぅ……ッ!!」
激痛に身をよじる壱に、灯子が投げ出すような動作で鎌を振り降ろす。
浅い。
「きっ……さまアアアアッ!」
壱の反撃。地を撫でるような仕草から腕を振り上げ、雷に似た光を灯子にぶつける。
辛うじて鎌で受けるも、再び後ろへ押し戻され、膝を付いてしまう。
壱のダメージもまた蓄積されていた。ぜえはあと肩で息をする。生来丈夫な体質ではなかった。
だが、彼の丸まった背中を、完子は容赦なく狙撃する。壱は避けも受けも適わず、激痛に体を跳ねさせた。
確認し、完子は銃口を握鳥に向ける。視界の端で見えていた。援護せざるを得ない状況が。
アニエスが放った黒の弾丸が握鳥の翼を貫いた。糸で吊られたように跳ね上がる。
その影から極太の腕が伸び、辺りを無造作に、力任せに払った。届きこそしなかったものの、巻き起こる風が壁となってアニエスを押した。
真白い剛腕の下を転がるようにして暴食が駆け抜ける。朔耶が手を招いて彼女を呼んだのだ。
伸ばされた手を取る。朔耶が生み出した優しい輝きが暴食の体を這い、傷を癒してゆく。
「……これで、なんとか……」
「おうッ! ありがとサッ!!」
言うが早いか、暴食は飛び跳ね、遠心力と体重を十二分に乗せた回し蹴りを握鳥に叩き込んだ。
反撃に転じる握鳥。左翼を振りかざし、暴食を襲う。
――が、完子が放った銃弾が、それを貫いた。
大きく前につんのめる握鳥。
その胴に朔耶が放った矢が突き刺さる。
その背には玄太郎が飛び乗った。刀疵を置き土産に、更に跳ぶ。
「クソガキがあああッ!!」
両腕を力任せに勢いよく突き出す壱。それぞれの拳から放たれた白い光が絡み合いながら完子を襲う。
下っ腹に響く爆発音と炸裂する閃光の向こう側で、彼女の小さな体が転がるのが見えた。
崩れそうになる体を、なんとか踏ん張って支える壱。
彼の耳に、短い声が飛びこんだ。
「おい」
続けて、バチバチ、と耳障りな音。
振り返った。
その両目を。
玄太郎が二刀で、深々と切り裂いた。
荒れ狂う握鳥に、アニエスが三度銃口を合わせる。
射出された黒塗りの散弾は我先にと握鳥の白い表面を穿ち、削り、貫く。
ダメ押しとなる朔耶の狙撃と、暴食の足刀が叩き込まれると、握鳥は両の翼を大きく広げ、痙攣した。仰け反り、倒れ、秋の蝉のように地面を背で抉りながら回る。
やがてそれが治まると、白い腕がぐい、と持ち上がった。
「あ……あああああああああ!
ああ! あ! あああああああああああああああああああああああああああ!!!」
傷だらけの顔面を抑え、苦悶の声を上げる壱。
いち早く異変を察知した玄太郎は急いでその場を離脱する。
その場、とは、壱の周囲。白い腕が倒れ込もうとしている地帯を指す。
目が見えず、錯乱している壱が気付けるはずもなく――
ズゥゥゥゥゥゥゥン……
――太い腕は、壱を押し潰すようにして倒れた。
もくもくと立ち上る土煙の中に、灯子は目を凝らす。引きつる胸を抑えながら。
穏やかな風が辺りを過ぎ、土埃を連れ去る。
壱は居た。握鳥の手、その指の間で、赤い涙を流しながらうずくまっていた。
べったりと汚れた手で探る。何が起きたのかはすぐに判った。
「……またか。また敗れたのか……」
ぽつりと零れた呟きは、やがて高らかな笑いに変わった。
「フフフ……クフフ……フフフ……」
「そうよ、勝負はついたわ。抵抗は止めなさい」
立ち上がり、完子が言う。やや遠くから朔耶も声を掛けた。
「何度でも言います。どうか、罪を償ってください」
嫌だ。壱は怒鳴った。
「罪ではない。誇りだ。だから罰は受けないし、貴様らにも――……」
壱を淡い光が包む。頼りなかったそれは、次第に、そして急速に輝きを増した。
「おいッ!!」
「早まるんじゃない!」
「絶対に許さない! 天使も、貴様らもだ!!」
刹那、閃光が辺りを包み込んだ。
瞳を、肌を焼くような、強い光だった。
それが失せた後、残っていたのは――遺されていたのは、
消し炭になったサーバントと、焦げ付き、崩れ落ちる壱の身体だけだった。
●喫煙所
「……そう。判った。気を付けて帰って来てね」
携帯電話を閉じ、小日向千陰は大きく息を落とした。
そしておもむろに立ち上がると、近くにあった円筒の灰皿を蹴り飛ばした。
腹の底から声を上げながら、何度も、何度も踏み潰した。
●ゲート上空
「白の子も戻れず、ですか。
まったく、悪い子。友達を差し置いて独りで死んでしまうとは、なんと愚かしいことでしょう」
みゃあ みゃあ
か細い声はゲートの内側から上がっていた。
訶梨帝母はいとおしげな視線を送る。
「ごめんなさい。寂しい思いをさせてしまって。でも、もうすぐよ」
もうすぐ。
そのフレーズを繰り返しながら、訶梨帝母は、いつまでも、いつまでも微笑んだ。