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家の門は半端に開け放たれている。取っ手には乾ききった血液が付着していた。
「施錠している暇なんてなかったのね」
蒼波セツナ(
ja1159)が淡々と言う。彼女の隣ではアルテナ=R=クラインミヒェル(
ja6701)が拳を震わせていた。
「行こう! ディアボロどもめ、絶対に許さん!」
「同感です」
ファリス・フルフラット(
ja7831)も同調する。谷屋逸治(
ja0330)は無言で、しかし力強く頷いた。
「よぉっしッ!」
並木坂・マオ(
ja0317)は景気よく両頬を叩いた。
「先陣はあたしに任せて! 行くよ、みん……」
「待て」
言うが早いか飛び出そうとするマオの襟を、クライシュ・アラフマン(
ja0515)が掴んだ。
「な゛ッ! もう、何すんの!」
見上げて抗議するマオに、クライシュは顎で庭先を示した。
「先陣は俺たちの役目のようだ」
彼が言うと、庭の中央で何かがひょい、と持ち上がった。
庭へ降りてきた月明かりが、大型のディアボロを照らし上げた。ぬらぬらと緑のまだらを全身に泳がせて『おすわり』していた。右耳を持ち上げ、左側の瞳でこちらを睨んでいる。
「見張りがいたのね」
溜息混じりに言いながらセツナが前へ出る。
「奴らも『その気』ということだ」
クライシュが得物を抜いた。
「行け。もたつけば思うつぼだ」
「勝手口から突入するぞ……」
言うが早いか、逸治は移動を開始する。
「待て逸治殿! 私を置いていくな!」
「ファリスさん、あたしたちも!」
「ええ。どうか、気を付けて」
二人は無言で小さく手を挙げた。
足音が遠くなると、ディアボロが上体を持ち上げた。そして眠たげに後ろ足で首を掻き、一度だけ家を振り返った。
再び二人と向かい合う。双眸は見開かれ、瞳が緑に血走っていた。
「屋内の戦闘を想定していたけど、杞憂だったわね」
セツナが不敵に微笑んだ。
「派手にいけそうだわ。射線の確保、よろしくね」
「仔細無い。躾のなってない犬に加減など要らん」
刀身が淡い光に包まれていく。
「仕置きの時間だ。来い、駄犬」
●
「あ、そうだ」
先行する逸治たちからやや離れたとことで、マオが突然速度を落とした。
「ファリスさん、これ使って」
マオが緩やかに投げたものをファリスは両手で受け取った。
「トランシーバー?」
「うん、それで連絡取り合おう!」
ファリスが返答に迷っている間に、マオは鉤のついたロープを器用に放り投げ、二階の窓へ引っかけてしまった。腕で具合を確かめ、彼女はすいすいとロープを登っていく。
「単独行動は危険です」
ファリスがなんとか絞り出した反論を、マオは窓辺で受け取った。
「任せて、絶対逃がしたりしないから!」
屋内に消えていくマオを見上げ、ファリスは暫し茫然とした。
遠くからアルテナが呼ぶ。彼女ははたと我に返り、姿勢を低く保ちながら逸治たちと合流した。
「む、マオ殿は?」
「別行動です」
「……行くぞ」
他の二人に指を三本立てて見せる。等間隔で一本ずつ減らしていき、拳を握るタイミングでドアを開けた。
「これは……思っていたより立派な家なのだな……」
そこは吹き抜けのロビーだった。照明は点いていなかったが、高い位置にある窓から月の光が入り込み、どこに何があるかは把握できた。壁に無数の額縁が確認できる。子供らが幼い頃に描いた絵や、家族が受け取った賞状だった。
「俺たちはリビングへ向かう……」
「こっちだ。ふふ、間取りは完璧に覚えているぞ」
「逆だ……」
アルテナの向きを両手で補正して、逸治はファリスと向かい合った。
「私なら大丈夫です」
彼女が短く強く言うと、逸治はアルテナを連れて奥へと向かった。
改めてロビーを見渡す。高い天井、広い玄関、骨董品の陰。どこにも敵の姿は見当たらない。
「(連絡を、取らないと)」
右手を柄に置き、左手でトランシーバーを顔の前に運ぶ。
「こちらファ……」
刹那、左腕に衝撃が走った。肩ごと持っていかれそうな、骨まで震える一撃。
「つぁっ!」
手を離れたトランシーバーは回転しながら床を滑り、壁にぶつかって停止した。
そのすぐ傍へ、青い犬が音もなく舞い降りた。口から伸びた真っ白な長い舌を蛇のように踊らせている。短い尾がはたはたと横に振れていた。
ファリスは抜刀、しかしダメージが深く左の剣が上手く握れない。落としてしまうほどではないが、万全にはほど遠い。
それでも彼女は構えを取った。勝利の具現である『戦乙女』が退けば、それはそのまま敗北を意味してしまうから。
「ファリス・フルフラット、参ります!」
青犬は口角を釣り上げた。
●
リビングの扉を前に、二人は息を呑んでいた。
明らかに『居る』からだ。扉がディアボロなのではと疑いたくなるほどの濃密な敵意が廊下すら侵食していた。
深呼吸してから、アルテナが盾を構えてドアノブに手を置く。
「逸治殿は攻撃に専念しろ。何があっても、私が護ってやる」
「……ああ……」
二人は息を合わせ、扉を押し開け、勢いよくリビングに飛び込んだ。
真っ暗だった。家具の輪郭を捉えるのがやっとな、圧倒的な夜がそこにはあった。
リボルバーを構えたまま逸治が壁まで下がる。リビングの構造は依頼人に聞いていた。指がスイッチに触れる。アルテナが彼の前に立った。
パチッ、と無機質な音が鳴り、中央の大きな電球が灯った。様々な物が浮き上がった。食い散らかされた料理、割れてしまった皿、蹂躙されてしまった家族で囲むテーブル、踏み潰されたバースデーケーキ。
そして――
その上を飛んでくる、夜の塊。
「させんっ!」
アルテナが突き出した盾と黒犬の牙が激突する。固い音がリビングに広がった。
彼女は腰を入れて黒犬を弾き返そうとする。しかし黒犬は盾に前足を置き、牙を突き立てながら押し潰しに来ていた。
逸治が身を乗り出し、黒犬目掛けてトリガーを引いた。黒犬は紙一重で銃弾を回避するとそのまま床を蹴り、逸治に向かって跳躍した。
寸でのところで前足を躱す逸治。
「逸治ど……!」
振り返ったアルテナを目指し、黒犬が壁を蹴った。慌てて盾を翳すが、間に合わない。黒犬は肩から彼女の胸に追突した。
「うああああっ!」
悲鳴を上げてアルテナが床を転がってゆく。落とした盾ががらん、と鳴った。
「アルテナ!」
名前を呼びながら逸治がヌンチャクを振るった。二撃叩き込むも有効打とはならない。
黒犬が後方へ跳ぶ。逸治は素早く武器を持ち替えて引き金を引いた。
だが、黒犬は空中で身をよじり回避した。行き場を失った銃弾は、あろうことか電球を貫いてしまう。
リビングに再び闇が降りた。
「アルテナ!」
返事はない。が、彼女は激しく咽ていた。
逸治は舌を打ち、懐中電灯に手を添え……離した。
テーブルの下で、深紅の双眸が周囲を照らすほど煌々と燃えていた。
●
猛然と突進してくるまだら模様をクライシュが正眼に構えて迎え撃つ。ぶつかり合う額と刃を目視しながらセツナは軸をずらす。
まだらの攻撃は重い。まるで鉛を相手にしているようだ。刃を突き立てても叩きつけても不気味にうごめく皮膚に傷一つつかない。
「クライシュ!」
セツナの叫びを聞き、クライシュは前に出る。そして脳天にブレードを振り降ろし、峰に足刀を打ち込んだ。手応えこそなかったが、まだらは顔を臥せてよろめいた。
その横腹へセツナが放ったエナジーアローが炸裂した。薄紫の光と爆音が庭を包む。
「どうかしら?」
「どうだかな」
立ち上る煙の中、まだらは立っていた。よろめいたが、すぐ臨戦態勢を整える。
セツナが顔を歪める。
「どうするの?」
「後の先を取る」
盾を取り出し、腰を落とすクライシュ。
「狙う場所は判っているだろうな?」
「……なるほどね」
セツナは彼の後ろに隠れるように屈んだ。
まだらが仰け反り、吠える。街中に届きそうな、雄々しい声だった。
「突破できるものならしてみせろ!」
クライシュの怒号に応えるように、まだらは走り出した。先程までとは段違いの勢いだ。口からよだれを撒き散らし、決死の形相で一直線に向かってくる。
クライシュが呼吸を止める。
杖の光は極限に達していた。
頭を振り上げたまだらが跳んだ。
機を逃さず踏み込んだクライシュが盾に全体重を乗せ、迎撃した。
鼻っ柱を強打し、怯むまだら。
次の瞬間、緑色の瞳が捉えたのは、鮮烈に輝く蓮の花だった。
「こういうことでしょう?」
限界まで圧縮されたエナジーアローが、零距離で口内に発射された。
光は喉を通り、腹の中を疾走し、爆発。まだらを吹き飛ばした。
だが、それでもまだらは立ち上がった。体中に開いた穴から煙を立ち上らせ、よたつきながら家を見上げる。
何かを伝えるように動く口に、クライシュが刃を噛ませる。
「此処は貴様の家ではない」
そして一息に振り抜き、まだらを両断した。
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青い犬の白い舌が壁の額縁を掴んだ。そしてそれを舌先で弄ぶと、ファリス目掛けて投擲した。
くるくると回転しながら迫るそれを、しかし彼女は身を呈して受け止めた。
たかが額一つだが、紛れもなく家の一部だからだ。敵を倒すことだけが勝利ではない。依頼人の願いを彼女は理解していた。
投擲は止まらない。それでも彼女は全てを受け切り、自身の後ろに置いて守った。
飽きたか、痺れを切らしたか。白い舌が次に掴んだのは、巨大な壺。
これ見よがしにぶつけてくる青犬の視線をファリスは毅然と睨み返した。
「これ以上、この家を壊させはしません!」
青犬は首を傾げ、舌に力を込めた。
その脇腹へ
「そおい!」
滑り込んできたマオが後ろ蹴りを放った。攻撃は直撃し、舌が壺を離れる。
追撃すべくファリスが駆ける。しかし青犬は受け身を取り跳躍、照明具の陰に入り、瞬く間に気配を消した。
ロビーの中央でマオとファリスが背中を合わせる。
「遅れてごめん! 他の気配に隠れて見つけられなかった!」
「いえ、助かりました!」
タンッ、タンッ。
壁を蹴る音が響く。二人は注意深く見渡すが、動きが素早く捕捉できない。
タンッ、タンッ、タンタンタンタンタンタン!
「来るよ!」
頭上へ青犬が急降下してくる。二人はそれぞれ正面に跳んで回避、すぐさま反撃を放つ。互いの一撃の隙間を埋める絶妙のそれを、しかし青犬はひらりと避け、再び姿をくらませた。
状況は振り出しに戻る。
壁を蹴る音が鳴り出した。
ファリスは左手を握る。
「並木坂さんは下がっていてください。私が動きを止めます」
「……わかった」
タンッ、タンッ、タンッ。
マオは壁を背に立ち、全身に力を溜めていく。
タンタンタンタンタンタンタンタン
ファリスはその前に立ち、二刀を構えて目を閉じた。
タタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタッ!
ファリスの左上から青犬がロケットのように突っ込んでくる。
彼女は目を見開き、犬の姿を捉えた。首筋目掛けて白い舌が伸びてくる。
眼前に迫った舌を左の剣で払う。が、舌は剣にきつく巻き付いた。腕を振るが解けず、それどころか青犬を引き寄せてしまう。
青犬は口を限界まで開き、ファリスの左腕に噛り付いた。
「くっ!」
だが、
「でも、これで……!」
これこそがファリスの狙いだった。彼女は腕ごと青犬を床に叩き付け、舌を根元から切断した。
絹を裂くような悲鳴を上げ、青犬は踵を返して逃げ出す。
腕を押さえてうずくまるファリス。
彼女の隣をマオが駆け抜けた。
青犬が振り返る。その顎へ
「でやぁぁッ!!」
マオの、渾身の飛び膝蹴りが決まった。
青犬は天井近くまで打ち上げられ、やがて落下した。頸椎が捻じれた痩躯は、もうぴくりとも動かなかった。
●
アルテナはまだ起き上がれない。黒犬はテーブルの下からこちらを凝視して動かない。残弾は3発。逸治を取り巻く状況は劣勢を極めた。
暫く続くと思われたこう着は、ロビーから届いた声で途切れた。
「(この声は……マオか……)」
黒犬の耳が動き、より前傾姿勢になる。
窓の外から強烈な光と爆音が飛んできた。
「(今の光は……)」
黒犬の鼻息が更に激しさを増す。
「(……そういうことか……)」
逸治の肩の力が抜け、銃を握る手は汗ばんだ。
「……残りは、お前だけだ……」
黒犬は否定するように吠え、体当たりでテーブルを打ち上げた。
6人掛けのテーブルが緩い弧を描いて逸治を襲う。
咄嗟に腕で身を守る逸治。直後、彼の腕に――
ガキィィィィィィィィィィィィイイイイン!!
長い金髪が触れた。
「アルテナ……!」
彼女の体力はまだ戻っていなかった。表情は苦痛に歪んでいる。
だがそれでも、膝をつきながら盾を支えにして、彼女は逸治の前に出た。
「私は言ったぞ、逸治殿! 何があっても、私が護ってやると!」
テーブルの向こうでは黒犬が猛攻を仕掛けている。
「そこに護るべきものがあるなら、全力で護りに行く。それが私だっ!!」
一撃ごとにテーブルが軋み、アルテナの姿勢が崩れていく。
「……感謝する……」
来たるべき一瞬に向けて、逸治が全神経を集中させていく。
それを背中で感じたアルテナはありったけの力で護りを固める。
「う……ああああああああ!」
猛撃の隙間、アルテナが盾ごとテーブルを押し返した。
黒犬は後退し、すぐさま反転、彼女目掛けて跳躍する。
「やらせん!」
アルテナは黒犬の前に手を突き出し、そこへ炎を生んだ。短時間だが、強烈な熱と光が黒犬を怯ませた。
攻撃を中断した黒犬が着地する。
その一瞬を逸治は見逃さなかった。背後から組み付き、腕で首を絞める。
抵抗する黒犬の四肢をアルテナが全身で抑え込む。
銃口は耳孔へ。
「……終わりだ……」
銃声は三度鳴った。
黒犬は全身を痙攣させ、一度だけか細く吠えると、二度と起き上がることはなかった。
●エピローグ
待ち合わせ場所に向かっていたセツナは、ベンチに離れて座るマオとクライシュを発見した。
「どうしたのクライシュ、浮かない顔して?」
「判るか?」
「一度肩を並べて戦えばね。例の家族のお招き、受けないの?」
「家族……か。俺に行く資格はあるんだろうか」
あたしもー、とマオが肩を落とす。
「なんていうか、どうしたらいいか判らないし……」
「難しく考えなくても。食事に招かれただけでしょう?
それに、家族なんてそんなものだと思うわよ」
あまりにさらりと言われたので、二人は面食らった。
「そういうもの、なのかな?」
「そういうものよ」
「そうか、そういうものか」
クラクションを鳴らしながらワゴン車が向かってくる。運転席にはアルテナが、助手席にはファリスが座り、二人の間から逸治の姿が見えた。
「胸張って会いに行きましょう。私たちが助けた家族に」
両者の肩を軽く叩き、セツナは歩いていく。
二人は顔を見合わせ、薄く微笑んでから、彼女のあとを追った。