●廃工場
スコープの中では、月詠神削(
ja5265)が単独で行動していた。
参は口を開けずに呟く。あいつどこかで見たような。
注視する彼女の瞳に、彼が掲げたポスターサイズの白い紙が飛び込む。
そこにはこう記されていた。
『お前は、あの弱っちい弐(アル)よりマシなんだろうな?』
思わずスコープから目を外し、彼女は小さく噴き出した。
「まあ、確かに弐は冴えないけど――」
言って思い浮かぶのは幼馴染の顔。続いて、彼がボロボロの姿で『投げ込まれる』映像。
そうか。あのときのアイツか。
結論が出ると、彼女は痕が残るほどスコープに瞳を押し付けた。
一瞬で照準を合わせ、引き金を引く。
銃声が廃工場を叩く。
飛び出した弾丸は、『弱』の字を正確に射抜いた。
些細な、しかし確かな抵抗を受け、紙を掴んでいた腕が揺れる。
一点に穴を開けた紙を見、神削は『弐』の字が裂けるように紙を破いた。
連続する発砲音は、工場はもちろんのこと、周囲のパイプも、そこに隠れる撃退士らの体も揺らしていた。
「そろそろ?」
ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)の問いかけに、しかし赤坂白秋(
ja7030)は首を振る。
「『左側』がまだだ。っつっても、そろそろだろうけどな」
工場の裏手を黒百合(
ja0422)、月臣朔羅(
ja0820)、桐村灯子(
ja8321)が駆ける。黒百合は足音を消し、灯子の移動には朔羅が気を配り、何より神削が参の敵意を引き付けたことにより、移動は滞りなく済まされた。
「はい、到着ゥ」
白秋に伝え、ペットボトルを握る黒百合。
彼女を尻目に、朔羅が灯子を背負う。
「よろしく」
「ええ」
首の前で組まれた手を、朔羅は一度手で包んだ。
続々と押し寄せる弾丸は、神削の体力を徐々に、しかし確実に奪った。
だがそれでも彼は工場を目指す。怯むことも止まることもなかった。
渾身の攻撃が命中しているのに相手が倒れない。
参はガムを吐き捨て、再び照準を定める。
「(次こそ……!)」
彼女の頭上、工場の屋上で――
ドォォォンッ!!
特大の音が爆発した。
参はまず驚愕し、続いて自責の念に駆られる。
「(熱くなり過ぎた……!
でも屋上から仕掛けて来るならまだ立て直せる。簡単に壊れる造りじゃ――)」
見上げる彼女の赤らんだ頬を、黒金の銃弾が裂いた。
「今ので逃げたんじゃねえか?」
射線を追う。
右の入り口で突撃銃を携えた白秋が、彼の傍らからソフィアが、睨みつけていた。
「逃げた? 誰が?」
「お空を飛んでる鳥さんが、だ」
「……何言ってんの?」
「こっちの話だ。
ちょっとお茶しようぜ。いい店知ってんだ」
「久しぶりにオムライス食べたい。なんて店?」
アサルトライフルの銃口が上がる。
「久遠ヶ原学園、っつーんだけどな」
苦笑を浮かべ、クロスファイアを弄ぶ参。
「その店大っ嫌い。別れよ、あたしたち」
「はっ! 諦めてやるかよ!」
トリガーを引くと同時、弾丸が矢継ぎ早に発射される。
「フルオートとか雑なのよ!」
ソフィア、白秋のやや上方に銃口を向け、参が発砲、そしてすぐさま移動する。
彼女が放った弾丸は天井、壁と反射してから二人を襲う。白秋は舌打ち、弾丸になんとか照準を合わせて迎撃、直撃を免れた。
「ありがと!」
「おう!」
応えながら、白秋は乱射、ソフィアは炎を放ち、足並みを揃えて通路に居座る参に迫る。
参はいくつかの攻撃をその身に受けつつも頑なに降りようとしない。何度撃ち落とされても銃弾を放ち、工場の様子に気を配った。
即ち、己が用意した唯一のトラップ、床の水たまりの挙動を。
ピチャン――
左からの水音。
白秋とソフィアに跳弾を放ってから、参は勢いよく振り向き、そして――絶句した。
「あんた……どうして!?」
水たまりに足を突っ込んでいたのは、腕を組んだ小日向千陰(jz0100)――
「(……ありえない!)」
結論を叩きだすと同時、両の引き金を引く。銃弾は一直線に千陰を目指した。
「あはァ……?」
『千陰』はニヤリと笑い、ゆらりと揺れて弾を往なす。
「まだよ!」
参の『命令』で銃弾の軌道が折れ曲がり、再び『千陰』を狙う。背後から襲ったそれは『千陰』の頭と胸を射抜いた。
「お見事ォ♪」
明るい言葉が零れ、『千陰』が消える。
「だけどォ……甘いわねェ?」
代わりに佇むのは、金色の双眸を湛えた黒髪の少女。
参は目を見開き、舌を打った。
「壱(イー)を斬った……!?」
「さてェ……楽しい狩りの始まりィ、始まりィ……」
言うが早いか、黒百合はショットガンを構えて発砲。
参はつんのめるようにして左へ移動する。まだなんとかなる、挟み撃ちさえされなければ、まだ。
だが、程なくして彼女の心は折られることとなる。
「行ったぜ」
白秋が短く告げると同時、参の目の前のガラスが割れ、灯子を背負った朔羅が工場内に飛び込んできた。日の光に煌めく破片を纏って着地する。
朔羅は袖から影の鞭を伸ばし、灯子は彼女の背を離れて援護に備える。
「迂闊ね。屋内は須らく忍軍の領域よ」
「くっ……!」
顔を歪めての発砲は、しかし灯子に逸らされる。
踵を返し、元居た位置まで戻ろうとする参。彼女の影を朔羅が操る5本の鞭が打ち付けた。
「つぁ……!」
激痛と違和感を、しかし堪えて参は走る。朔羅が追走し、両者を灯子が追う。
追いながら言った。
「シュトラッサーにしては手ごたえがないわね?」
「あんたうるさい!!」
横に大きく跳びながら参が発砲。
灯子は屈んでそれを回避する。
その傍らを、大鎌を構えた黒百合が嬉々と笑いながら駆け抜ける。
脳裏に去来するは、額からあご先まで裂かれた仲間の顔。
眼前に迫った黒百合が強く踏み込み、大鎌を振り上げる。
ガキィィィィィン!
参は二丁の拳銃を交差させ、それを辛うじて受け止めた。
意外そうに眉を上げ、黒百合が口を動かす。
「今ごろ、他のお仲間はどうしてるかしらねェ……?」
「元気に暴れてるよ」
「あらァ? 私たちの情報と違うわねェ?」
「っ」
一瞬力が緩み、ぐい、と鎌の切っ先が近づく。
高い位置から朔羅の援護が降りてくる。
「貴方の仲間がどうなったか、知りたい?」
黒百合の後ろから灯子も続ける。
「肆(スゥ)と陸(リュウ)はサーバントに攫われたわ。
差し向けたのは誰か、あなた達が一番わかってるはずよ?」
「そんなのっ……知らない!」
黒百合が一息に大鎌を振り抜く。左わき腹から右胸に生まれた裂傷から鮮血を流し、参は高らかと舞い上がる。
その無防備な頭部に、壁を蹴った朔羅の裏拳が叩き込まれた。
直撃。
参は急降下し、通路に背中から激突、一度弾んで、しかしなんとか体を起こした。勢い、窓のサッシを掴む。しくじり、人差し指と中指の爪が割れた。
奇しくも、参が掴んだ窓は狙撃ポイントとして鉄板をくくった、あの窓だった。
彼女は諦めなかった。元より勝つつもりなど無い。逃げて生き延びられればそれでよかった。鉄板は窓の外側に取り付けてある。わざと侵入経路を設け、水たまりで侵入を察知し、とっとと逃げる。それが彼女の思い描いていたプランだった。
マガジンキャッチで鉄板を殴りつける。あっさり外れた鉄板は窓の向こうに消え――
バコッッ!
――ひしゃげて舞い戻ってきた。
「え……?」
思わず見上げる参の前に神削が現れる。
そして、彼女が彼を認識した時にはもう、参は神削の薙刀によって一階に払い飛ばされていた。
再び墜落する参。今回はコンクリートに浮かんだ水たまり。ごり、と己の骨が鳴いたのが聞こえた。
「……ぅっ」
それでもなんとか立ち上がろうとする彼女の脚に、白秋が操る鎖鎌が絡み付いた。
「愛してるぜ。もう離さねえ」
軋むほど歯を食い縛り、離れた位置の拳銃に手を伸ばす。が、寸でのところでソフィアの炎に弾かれてしまう。
「お返しはさせてもらわないとね」
言うソフィアは右の入り口前に立ちはだかっていた。白秋は裏口から差し込む光を背に受けている。床に映った影は脱出を考えていた窓に神削が居座っていることを告げていた。ならば、と顔を向けた右の入り口は、黒百合と朔羅が表へ向かい、また、通路から飛び降りた灯子がその身で封鎖する瞬間だった。
「〜……ッ!」
溝色の水たまり、その中央で項垂れる参。
「危ない橋だと思わねえか」
白秋の言葉を受け、濡れた瞳が上がる。
「何が……?」
「天使と関わって、学園の敵になって、頼れるのは仲間と自分だけ。
どっちに転がったってリスクの塊だと思うぜ、俺は」
「じゃあどうしろって言うのよ?」
水たまりの中で拳を握る。声は輪郭が危ういほど震えていた。
「取引だ」
言い放つと同時、僅かに鎖を緩める白秋。
「あんたが天使に少しでも不信感を覚え、少しでも仲間を大切に思うなら、力を貸してくれ」
「……借りて、どうするの?」
決まってるだろ。鎖は大きく弛んだ。
「天使とゲート。纏めて『俺達』で――食い千切るのさ」
暫しの沈黙。
やがて失笑。
「……っふふ。サムいこと言うね」
「俺はいつだって本気だ」
「どうだか……」
参は瞳を尖らせて考えを巡らせ続けていた。
天使。学園。命。
次々と天秤に乗せては入れ替え、傾きを懸命に見守った。
「……条件。その『鳥』からあたしを守って。
『訶梨帝母(かりていも)』がどこかで見てるかも知れないから、あたしは手伝わないからね」
「最初からそのつもりだよ」
ソフィアが呟く。
「あなたの為じゃなくて、天使に一泡吹かせるためだけど」
「それでいいよ」
言いながら指を新たに立てる。
「もうひとつ。あたしを見逃して。『独り』で学園に戻るなんて絶対に嫌」
「いいぜ」
「いいの?」
いいんじゃねえか。言って白秋は灯子に手を振る。
「だが次に会った時、もしあんたが『訶梨帝母』側にいたら、そん時は容赦しねえぞ」
「……酷いなあ。信じてくれてもいいのに。ああ、あたしフッたんだっけ。なんかごめんね」
弱々しく笑い、肩を落とす参。
「疲れた。とっても」
丸まった参の背。
その襟元を、飛び降りた神削が掴んで引っ張った。
時間は少し遡る。
参の包囲と交渉の体勢が整ったのを確認し、黒百合と朔羅は工場の屋上へ登っていた。
標的は、我が物顔で空を舞う、頭の無いサーバント。
見上げる二人の表情は似ていた。
「連戦、ね。無理はない?」
「万全よォ」
答えて黒百合は片膝を立て、その上に肘を置き、ライフルを固定する。
「って言うかァ、物足りないわァ。腹いせに叩き落としてやりましょうよォ」
「ええ、いいわよ」
朔羅が苦無を取り出すとほぼ同時、サーバントが高度を落とし始めた。
ぶら下げた拳を固め、見る見る、見る見る迫り来る。
「不っ細工ゥ……!」
ギリギリまで引き付けてから、黒百合が発砲。飛び出した弾丸はサーバントの胸に直撃。ぐらりと体を傾ける。
すかさず朔羅が前に出た。
「悪いけど、今日は手ぶらで帰って頂戴!」
身体に乗った速度を活かして斬り掛かる。
羽毛のような胴部を切り裂くと同時、濃い靄が生じ、サーバントを襲う。
サーバントは痛みに悶えながら翼と拳を振り回した。舞い散る羽根が爆撃となって屋上に降り注ぐ。その密度は、回避という選択肢をまるで容認しなかった。黒百合は屋上から飛び降り、着地と同時に構えを取る。
朔羅は屋上へ戻らず、サーバントの胴にしがみついていた。サーバントは構わず、煙が晴れ切らない屋上に向けて拳を振り降ろす。分厚いコンクリートで作られた屋上が、まるでクッキーのように粉々に砕けた。
工場内に急降下する、その背に黒百合の狙撃が命中した。しかしサーバントは止まることなく、翼を屋上にぶつけながら侵入、参に腕を伸ばした。
床を抉りながら迫るそれを、神削の一閃が押し返す。サーバントは後退、床に激突する。直前に離脱した朔羅が一階の皆に目配せをし、意志を揃えた。
「さっきのは嘘だ」
神削はサーバントを見据えたまま、背なの参に声を投げる。
「弐は、強い。俺が勝てたのは、相性が良かっただけだ。
あいつと一緒に天魔と戦えてたら、楽しかっただろうな……」
「勝手に過去形にしないで」
言いながら、参は神削の背中に額を押し当てる。
「ゲートの位置は――」
工場内に爆発音が鳴り響く。
特大の爆竹が炸裂するような衝撃を受けながら、白秋と灯子は懸命に照準を合わせ、漆黒の弾丸を放つ。
狙いは翼。直撃、そして直撃。
苦しみ、しかしサーバントは悶えることさえできない。
「鬱陶しいよ!」
ソフィアの呼び出した無数の腕がその翼を固く拘束していた。
「全くだ!」
「思い通りにはさせないわよ!」
続々と着弾する黒の銃弾がサーバントの翼に大きな穴を開けてゆく。左右の翼それぞれに3つめの穴が開くと、くたりと垂れて水に浸った。
神削が駆け、体重を乗せた唐竹割りを放つ。成す術無くその身に受け、サーバントは腕をずりながら後退、裏口付近で一度踏み止まるものの、そこへ朔羅の追撃が叩き込まれた。突進と同時に繰り出された苦無の斬撃を受け、サーバントは工場の外へ、逃げるようにして仰向けに倒れた。
その傷だらけの胸に黒百合が足を置く。
ニタリと笑うと、彼女は、サーバントが散り散りになるまで引き金を引き続けた。
●喫煙所
携帯電話を耳に押し当てたまま、千陰は目を見開いた。
「ゲートはそこにある。参がそう言ったのね?」
――ああ。黒百合さんが肆と陸のケースと照らし合わせてくれた。間違いないと思う。
「オッケィ、こっちでも確認してみるわ」
――ただ……ごめん、参は、逃がした
「協力を取り付けて、でしょ? 充分よ、気にしないで。
それに、あなたたちが得た情報は掛け替えのないものなんだから。
とにかく、本当にありがとう、気を付けて戻って来てね」
通話を終え、千陰は周辺の地図、そして過去の報告書に目を走らせる。
「(本当に良くやってくれたわ……。
ただ、これで訶梨帝母とかいう天使がどう動くか……。足踏みしている時間は無いわね……)」
四肢の傷を見遣り、千陰は強く舌を打った。
●???
天使・訶梨帝母は泣いていた。
「ああ、ああ。なんて可哀想な私の子。人間どもに足蹴にされ、戻ることができなかったのね」
そして笑っていた。
「人間。恩も忘れて逃げるとは、滑稽極まりない。頭のよさそうな子だから、本当に逃げはしないでしょうけど。
他の子たちは大丈夫かしら」
やがて、表情を消した。
「――そうね。釘を刺しに行きましょう。
逃げ場など、この世界のどこにも無いと、教えるのもまた、母の務め」
●森の中
息を切らし、参は道なき道をひた走っていた。
「(体に何をされたか判らない以上、この騒ぎを離脱するのは危険過ぎる。
だったら、あたしは――)」
目指すは他の仲間がいる場所。砂浜に弐の姿は無かった。
「ッ! ……救急箱でも分けてもらえばよかったなー……」
ぼやき、走る。
森はどこまでも、どこまでも続いていた。