●砂浜
青い空は高く、広い海は穏やかだった。
黄金色の砂浜に不似合いな蒼い盾は頑なに動かない。
撃退士たちは展開しながら慎重に歩みを進める。
その先頭、中央は高野晃司(
ja2733)。眼鏡の奥で瞳を細め、しかしやがて見開いた。
「弐(アル)さん、ですね。追い返させてもらう、とはどういう意味ですか?」
蒼い盾が僅かに、ゆっくりと動く。覗いた弐の眉は寄っていた。
「……いや、オレを倒しに来たんだろ? だったら追い返すまでだ」
「倒す、ではないんですね」
「ああ。追い返せれば充分だからな」
弐は横目で、遠く、廃工場が佇む方角を見遣った。
「――さ、かかってこいよ」
「その前に一つ、お話があります」
晃司の物言いに怪訝げな表情を浮かべる弐。
「搦め手かあ……そういうのは壱(イー)にやれよ……」
だが、彼の表情は、続く晃司の言葉で一変した。
「あなたは、まだシュトラッサーになりきれていないようです」
「は?」
「今、調べさせてもらいました。あなたはまだ人間です。
なら、まだ助けられます」
「助け……?」
目を白黒させる弐、彼の右側に移動を終えた楯清十郎(
ja2990)が言葉を続ける。
「先だって、肆(スゥ)と陸(リュウ)に偵察隊が送られています。双方で戦闘が行われ、学園側が勝利しました。
ですが、戦闘不能になった両名を大型のサーバントが『持ち去る』旨の報告が入っています」
立てた指が空を指す。弐が視線を向けると、太陽の間近を大きな影が旋回していた。
晃司が一回り声量を上げる。
「俺たちが勝てたら、でいいです。情報をください。
仲間を売るような真似なんてしたくないと思いますが、あなた達を助けたいんです」
助けたい。
口の中でその単語を含み、弐は晃司に顔を向け直す。
「『持ち去られた』2人はどうなったんだ?」
弐の左でフィーネ・ヤフコ・シュペーナー(
ja7905)が首を振る。
「判りまセン。どこに持ち去られたのかも」
「だが、持ち去った黒幕には目星がついている」
背後に回り込んだラグナ・グラウシード(
ja3538)が口を開いた。
「十中八九、貴様らと接触したという天使の仕業だろう」
「その心は?」
「知らん」
苦笑する弐に晃司が一歩寄る。
「心当たりがあるなら教えてください。繰り返しですが、俺たちが勝てたら、でいいですから」
砂浜に突き立てた盾から手を離し、弐は腕を組んで小首を傾げた。
やがて顔が上がる。
「わからねえ」
かくん、と晃司の肩が下がった。
構わず弐は言葉を繋げる。
「持ち帰って治してくれてるのかも知れねえだろ。理由はわからねえが、一度助けてくれたんだ。二度目があったって不思議じゃねえ。いや、一度目がもう不思議なんだけどな?」
「……呑んではいただけない、と」
ニヤリと微笑む弐。
「力ずくで聞き出せばいいじゃねえか。アンタらもそのつもりなんだろ?」
後方で周愛奈(
ja9363)が力強く頷いた。
「きちんと罪を償って貰う為にここで倒れてもらうの」
「っは、可愛い顔しておっかねえなあ!」
ざっと四方の包囲網を見渡し、盾に手を伸ばす。
「――それによ、無性に暴れたい気分なんだ。
追い返すなんて言って悪かった。撤回する。
殴り合おうぜ、『元同窓生』」
朗らかさが消え、敵意が台頭する。
四方の護り手が身構える。
その隙間で愛奈が図鑑を開き、向かいで弓を構えた森林(
ja2378)が呟いた。
「人間と戦うための力ではないつもりだったんですが……」
弐が拾う。
「甘っちょろいことぬかしてると、あっという間にお陀仏だぞ!!」
腰の高さまで上げた脚を砂浜に叩き下ろすと、森林、そして清十郎がいる一帯が激しく揺れた。立っていることさえ困難な、激しい横と縦の揺れ。
「くっ……」
「つ……!」
たまらず手と膝を付いた二人の体を隆起した砂浜が突き上げた。
ラグナの瞳が怒りに濡れる。
「貴様……!
その目見開いて見るがいい……本当の騎士の輝きを!!」
台詞と同時、眩い金色のオーラを纏う。
「あん?」
弐はラグナを注視。その、やや粘り気のある光を窺い、鼻を鳴らす。
「なんか、モテなそうな輝きだな」
「だが紛れもなく騎士の輝きだ!」
苦笑いを浮かべる弐の背を、晃司の振るった大鎌が捉える。
「お……ッ!」
が、浅い。
すぐさま反撃に転じる弐。だが半歩遠い。攻撃には至らず、盾を振って追い払うに終わる。
舌を打って己の背を振り返る弐に、光を纏った清十郎が声を投げる。
「貴方も、女性にちやほやされるタイプではありませんね」
弐は目を剥き、ラグナを見遣る。
「貴方『も』って言われてるぞ!」
「今は構わん!」
眉尻を下げる弐の脇腹に、フィーネが繰り出す緑色の斬撃が食い込んだ。
続けて愛奈が放った光の猿が弐の顔面を襲う。鋭い爪が彼の頬に赤い傷を生んだ。
「こ……んのォ!!」
引き戻した盾でフィーネを突き飛ばす。地面の10センチ上を飛んでゆく彼女を愛奈が体で止める。
ドン、という音に二人が顔を上げると、弐が思いきり脚を降ろした瞬間だった。直後、局地的な地震が彼女らを容赦なく揺り動かす。方々から間欠泉のように噴き上がる砂飛沫の中から絹を裂くような悲鳴が上がった。
その瞬間、他の4人に見えていたのは無防備な姿で頭を下げる弐の姿。
すかさず攻撃を繰り出す。森林が弓矢を引き絞り、晃司が大鎌を振り、ラグナが踏み込んで渾身の一撃を放つ。
だが。
その全ては、弐が纏った蒼い光によって落とされ、拒まれ、追い返されてしまう。
清十郎がぽつりと呟いた。
「報告にあった、封砲さえ凌ぐ護法……ですか」
弾けた蒼い光の先、弐は笑っていた。
「悪ィな。こっちもマジだからよ」
「その才能は羨ましい限りです。でも盾は武器と組んだ時こそ真価を出せる!」
「全く以て同感だ。だからオレは『武器』の元へ帰りてえ」
矢を添え直し、森林が口を開く。
「あなたの力は、たくさんの人を守れたはずなのに……」
「オレは仲間が守れればそれでいい」
ラグナが忌々しそうに睨みつける。
「誇り高きディバインナイトとあろう者が……誰に尻尾を振ってその様に堕ちたのだ?」
「堕ちる前から、だよ。ウチは戦闘屋が多いから、ここ一番はオレが守ってやらねえといけねんだ」
「それが貴方の覚悟、『盾』はその表れ、なのデスネ」
「そういうこった。最近は連敗続きだけどな。直撃だったけど、立てるか?」
苦く笑い、フィーネは立ち上がる。
「ご心配ナク。それよりご自身の心配をしてクダサイ。
――貴方の『盾』、私たちが破って見せマス」
「姉様……」
愛奈がそっと背中に手を添える。
「……愛ちゃんがきちんと後ろから攻撃を仕掛けるから、前だけ見て戦って欲しいの」
「ご立派。ダアトの鑑」
歯を見せて笑い、弐が盾を突き出す。
正面は――晃司。
「押し通るぜ。アンタもディバだろ。根競べと行こうや」
「いいですよ」
晃司は快諾、円形の盾を取り出し、腰を落とす。
「ははっ、なんか楽しくなってきたぜ!」
豪快に笑い、弐が奔る。
潮風薙ぐ中、激突する一対の盾。
足元の砂が跳び退くほどの衝撃。
両者は拮抗。晃司は微笑み、弐は面食らう。
その背後にラグナが迫る。踏み込んでからの体重を乗せた一撃が弐の背中を深々と切り裂いた。
「こっ……!」
振り返ろうとし、体勢を崩してしまう。駆け込んだフィーネに足を強かに打たれてしまったのだ。
歪む顔に光の猫が追突する。首が軋むほどの攻撃を受け、しかし弐はすぐに睨み返す。
「……んの野郎……ッ!!」
拳を振り上げる。視線の先は砂浜。
それがどういうことか、森林は見抜いていた。隆々とした腕へ狙い澄ました射撃を放つ。鋭く尖った先端は弐の腕を貫通する。
一瞬で全身に蔓延した激痛をなんとか堪え、弐は構わず拳を振り降ろした。
咄嗟に身構えるフィーネ。だが、振動は彼女を外れ、やや離れた位置を取っていた愛奈を襲う。
融解したようにうねる足元。短い悲鳴を上げ、頭を抱えてしゃがみ込む愛奈。
彼女の前に晃司が滑り込んだ。彼が放つ黒い光が自身と愛奈を包み込み、噴き上げる砂から守った。
口から空気を漏らし、弐は空を仰ぐ。
「どこを見ている!!」
無防備な弐の肩をラグナの大剣が捉えた。叩くように振るわれたそれを受け、弐は盾と共に砂浜を転がってゆく。波打ち際に辿り着き、背と肩の傷が砂と海水に塗れても、彼は盾を離さなかった。
それを杖にして体を起こす。表情はとても晴れやかだった。
「――降参だ。勝てる気がしねえよ」
上空で、サーバントが少しだけ高度を落とした。
「さて、何が聞きたいんだ?」
晃司は面食らう。
「いいんですか?」
「んー? 賭けを受けない、なんて言ったか、オレ?」
「それもですが、あっさり負けを認めてしまったことも」
じゃあそのことから話すか。弐は盾に寄りかかる。
「力を遣るから暴れてこい。そう指示したのは、天使、訶梨帝母(かりていも)って奴だ。
分断を指示したのは壱(イー)。その方がより多くの撃退士と戦える。できる限り倒してこい、ってな」
「尚更答えになっていません。それが本当なら、あなたは天使を裏切ったことになる」
弐は笑った。
「負けたら、連れて行かれるんだろ。
どこへだか判らねえが、どうせ肆や陸と同じところだ。そしたら、あいつらを護ってやれるかも知れねえ」
「危険過ぎます!」
声を荒げたのは清十郎。
「僕たちが保護します。学園に一度戻りましょう」
「俺の仲間が、今、参(サン)と交戦しています。仲間も保護を目指しています。学園に戻っても、仲間を護れます」
ありえない。弐が首を振る。
「アイツが独りで学園に戻るはずがねえ。オレだって学園に居場所なんかねえ。オレは訶梨帝母のところに戻る」
「そんな――」
「来るぞ!!」
ラグナの怒号を、サーバントが連れてきた風が薙ぎ払う。
純白のサーバントは巨大な翼をはためかせ、滞空、体の下に生えた人間の腕をぐい、と弐に伸ばす。
「ふざけないでください!!」
怒鳴り、森林が矢を放つ。
短い破裂音が鳴るほど深々と突き刺さったそれは、しかしサーバントを止めるに至らない。
弐は目を閉じて微笑み、頭を下げる。
サーバントの腕は、伸び、そして――
「させません!」
――清十郎のとフィーネの盾に阻まれた。
「おま……っ」
「サーバントは倒すべき敵です!
『元同窓生』を攫うつもりなら怨敵です!」
「貴方たちの罪は、消えマセン。
それでも、帰る場所がナイとか、そんな悲しいこと、言わないでクダサイ」
「……ったく……」
「終わらせてやるさ……誇り高きディバインナイトの名に賭けて!!」
ラグナが飛び掛かり、光を湛えた大剣をサーバントの背中に振り降ろした。体を軋ませたサーバントが振り返りざまに翼を振る。ラグナはそれを屈んで躱し、地を這うような薙ぎ払いで腕を狙う。
そこへ晃司が攻撃を合わせた。銀色の焔を纏った斧槍をねじりこむように突き出す。
腕の両側をそれぞれ抉られ、お返しとばかりに振り回す。だが傷口に光の鳥が口ばしから追突、軌道は逸れ、苦痛が増した。
「可愛くないの。帰ってなの!!」
サーバントは愛奈に胸を向けてから舞い上がった。晃司が飛び掛かる、が、間に合わない。森林の狙撃が腕に命中したが、尚もサーバントは上を目指す。
そして唐突に滞空、翼をはためかせた。
霧を思わせる密度で降り注ぐそれは、その実爆弾の驟雨。
「伏せて!!」
清十郎の声に合わせ、その場にいた全員が防御の体勢を取る。
――ただ一人、弐を除いて。
彼は面々の中央に立つと、両腕を左右に大きく開いた。
身体から飛び出した青い光が、辺りにドームのように広がってゆく。
それは、触れた羽根の爆弾を悉く消し飛ばした。
「ふう……っ」
肩で呼吸を整える弐。目を丸くする晃司に気付き、晴れやかな笑みを浮かべた。
「貸し一、だ。天使を倒して返せよ」
「行かせません!」
声を投げてきた清十郎に向き直る。頬は引き締まっていた。
「行かせてくれ。護らせてくれ。頼む」
眼差しを受け、清十郎の喉で言葉が詰まった。
サーバントは降下してくる。
盾を仕舞う弐に、晃司が声と、小さなものを投げた。
「ん……?」
「発信器です。安物ですけど。
どうか、ご無事で。後で必ず学園側が駆けつけます」
「おう。期待しねえで待ってるよ」
豪快に笑う弐を、サーバントの腕がむんずと掴んだ。みし、と湿った音を立てて腕がひしゃげる。それでも彼は、手にした発信機を離さなかった。
構わずサーバントは舞い上がる。
巨大な白い腕、その甲には、青々とした小さな葉がついていた。
すぐにサーバントは目測できる域を越えた。森林は目を閉じ、晃司は発信機の親機をじっと見つめる。
「どうデスカ?」
フィーネが親機を覗き込む。ビーコンは凄まじい速さで動いていた。
「森林さん」
呼ばれ、森林はそっと目を開けた。
「ええ。向かった先は――」
●喫煙所
「――北北西、で間違いないのね?」
携帯電話を顔の横に挟み、小日向千陰(jz0100)は過去の報告書、そして地図を広げる。
――発信機の反応は途中で消えたので、正確な位置はわかりません
「充分よ。ありがとう。
それで、弐は?」
――……自らサーバントに捕まりました。仲間を護りに行く、と言って
「……判った。
とにかく、お疲れ様。気を付けて戻って来てね。今回は本当にありがとう」
通話を終え、千陰は紙巻きに火をつける。
「(肆、陸、そして弐のケースから、おおよその位置は割り出せる。
そして、そこに連れ去られた、ということは――)」
脳裏に浮かんだシナリオを、頭を振って追い払う。
「(できることを考えなければ、ね。
そろそろ攻守交代、といきたいところだけど……天使が大人しく待っているかしら……。
――いえ、最初から、悩んでいる時間なんてないのよ。
首を洗って待ってなさい、クソ天使)」
●???
「……ま、『ここ』だよな」
連れてこられたのはゲートの真上。手の中の発信機が動作していることを確認してから、弐はがなる。
「肆と陸はどこだ!!」
訶梨帝母はやや離れたところから動かない。
「おい聞こえてんだろ!! 肆と陸は――」
「黙りなさい」
サーバントが手を開く。
弐は成す術無く落下してゆく。
「なんて悪い子。母の言いつけを破る子がいますか」
逆さに落ちながら、弐は鼻を鳴らす。
「反抗期ってやつだよ。許してくれや、『母ちゃん』」
「嘆かわしい」
訶梨帝母が手を挙げると、ゲートの中から白いものが伸びてきた。
それは宛ら昆虫の脚。無骨な節が幾つもついている。
「貴方はもう私の子ではありません」
脚の先端が弐の胸の中央を貫いた。そのまま宙を引きずられ、ゲートの中に誘われる。
彼は道中、一度だけ血を吐いた。
「ッ……クソッ……参……!」
遺し、沈む。