●商店街
「ぉぉおおおおらああああああああッッッ!!」
咆哮と同時、固めた拳を繰り出す肆(スゥ)。しかし標的は既におらず、敷き詰められたタイルが粉々に吹き飛ぶばかりだった。
「おやおやまあまあ。元気そうで何よりだ」
店舗の軒から、標的の片割れ――ジェーン・ドゥ(
ja1442)が笑みを落とす。
「こんなに面白いことになるなんて、あの時刎ねるのを我慢した甲斐がある」
肆は鼻を鳴らした。
「テメェか、ド変態忍軍。また逢えて嬉しいぜ」
「乙女に向って変態とは失礼な」
「殺し合いの最中に笑うような奴は変態だよ」
「僕はじゃれ合いたいだけ、首を刎ねたいだけさ。殺し合いなんてとてもとても」
「そうかよ、悪かったなド変態。
なァ、こないだの続き、やろうぜ」
「それは、それは――」
「――了承致しかねます」
肆の背後でカーディス=キャットフィールド(
ja7927)が声を上げた。高ぶる精神と怨敵の姿に気取られ、初撃を後退して回避した彼に肆は気付けなかったのだ。
つい、と彼女の首が回る。
「邪魔すんな、眼鏡っ子。怪我じゃ済まねぇぞ」
カーディスは溜息。
「まるで駄々っ子のようですね」
「……あ゛ぁ?」
「貴女は何のために力を求めるのです?」
「決まってんだろ――」
静かに広げた拳、そこに深紅の光が集う。
「テメェみてぇな奴を、根こそぎぶっ飛ばしてぇからだよ!!」
風を裂くように腕が振られ、紅い刃が走る。カーディスは流れるような動きで回避、目を逸らして口角を上げた。
「相変わらずだね、君は」
「テメェもなァ!」
振り向きざま、ジェーンにも同じ攻撃を放つ。しかしジェーンはカーマインを伸ばすとケージの梁に巻き付け、まるでサーカスのピエロのようにふわり、と宙を舞って逃げ果せた。
舌を打つ肆に大剣を携えたカーディスが迫る。彼はやや離れた位置で踏み切り、彼女の脳天目掛けて得物を振り降ろした。
だが――
「見えてるっつーの!」
肆は半身になって攻撃を回避、そのままカーディスの顔面に回し蹴りを放つ。
間一髪、仰け反って事なきを得た彼を、
「おや……」
再び紅の刃が襲った。
ドオオオオオオオオオオオオ!
派手な爆発が巻き起こる。ケージも道路もぐらぐらと揺れた。
ニタリと肆の顔が歪む。
「しゃしゃり出っからだよ、眼鏡っ子!」
げらげらと笑う肆。
を、頭上から振ってきた巨大な『帽子』がすっぽりと覆った。
「あ!?」
遠くで聞き覚えのある声がした。
「裁縫は得意、得意、得意なのさ。遠慮せずにお一つどうぞ?」
「……んのおおおおおッ!!」
両手足を振り回し、帽子を打ち破る。散り散りになった帽子は名残惜しげに少し輝いた。
その隙間。
両脇の店舗から飛び出した猪狩みなと(
ja0595)と榊十朗太(
ja0984)が迫る。
「(……ブッ叩く!)」
踏み込みと同時、みなとが振り回した戦槌が肆の脚、膝のやや下を横から打ち付けた。
「……ッ!」
がくりと膝を折る彼女の頭部を、十朗太が槍の柄で薙ぎ払う。
たまらず肆は手を付く。
「ぐァ……!」
頭を振る彼女を、カーディス、そして店舗に潜んだ一条常盤(
ja8160)が放つ銃弾が、
同じく物陰に隠れていたマキナ(
ja7016)の矢が、
加えてジェーンが撃つ風の刃が同時に襲った。
「チィ……ッ!」
全ての攻撃が直撃すると、ケージまで届くほどの土煙が上がった。
細かな瓦礫を孕んだそれは黙々延々と立ち上る。
寸分の揺らぎ無く。
常盤が銃口を下げる。
「……やった、のでしょうか……?」
食品店の2階でジェーンが笑みを転がす。
「まさか、まさか」
彼女の呟きを肯定するように、追撃をかけるべく、みなとと十郎太が得物を構え煙の中へ特攻する。
――罠であることを半ば承知で。
みなとが槌を振り回すと同時、そして十郎太が槍を振るうより早く、肆の掌底が両者の鳩尾を捉えた。
「くぁっ!」
「……っ!」
堪らず背後の店舗の仲間で弾き飛ばされるみなとと十郎太。
新旧の土埃の狭間には、顔を伏せて両腕を開いた肆の姿があった。
それを視認する常盤。次いで認識したのは、頭部から零れた赤に塗れた肆の瞳。
「(いけない――!)」
急ぎ防御の体勢を整える常盤。
だが彼女は、一足跳びに踏み込んできた肆の拳を受け、盾ごと遥か後方へ吹き飛ばされた。
「取っとけオラァッ!!」
追撃の赤刃が常盤を強襲。三度土煙が舞い上がる。
「次はテメェだ、ド変態ッ!!」
振り返り見上げた先、しかしジェーンの姿は無い。
代わりに、
「カーディス!」
視界の端、斧槍を構え迫るマキナが見えた。
「ハッ、いい男じゃねぇか――!」
「おおおおおおおおおおおおっ!」
肆が『首元から大鎌を取り出す』。
それと同時、マキナは前進しながら身を屈めた。
「あ?」
彼の頭上を、カーディスが放った弾丸が疾走する。
肆は舌打ち、首を曲げてそれを往なす。
その分だけ反応が遅れた。マキナが振り降ろしたハルバードが彼女の肩口を裂く。
だが浅い。肆はすぐさま踏み込み、脳天目掛けて鎌を振るった。斧槍の柄で受けるも、続く切り上げには対処しきれず、耳障りな金属音を聞きながら彼は宙に浮く。
が、マキナはそのまま回転、勢いを乗せた切り降ろしを肆に撃った。肆は目を見開くと、鎌でそれを受け、前進、着地したマキナへ足刀を放つ。
身を反って躱し薙ぎ払った斧槍と、掬い上げるように振られた大鎌が激突。
互いに大きく弾かれるものの、再び打ち合い、打ち合い、打ち合う。
「ハッハァッ!!」
「おらぁっ!!」
渾身と渾身が合致し、鍔迫り合いへ移行。二人の赤髪が、互いの呼吸が届くほどの距離で笑い合う。
「あれだけ徒手で粋がっておいて結局武器を使う。自分の力が信じられないんだな?」
「素手に斧持って突っ込んできた奴が偉そうに言うぜ」
「――小日向(jz0100)司書を痛めつけたらしいな。殺すぞ」
「へーぇ? あのババア、まーだ生きてんのか。やる事がいっこ増えた……なァッ!!」
強く柄を握り、思い切り押し返す。マキナは靴の裏でタイルを削りながら後退、手を付いて勢いを止める。
追撃をかけるべく体を前に傾ける肆。彼女の後頭部に――
ぱきょっ
生卵が当たった。
静止し、ぎこちない動作で振り向く。その顔面に、今度は納豆と、間髪入れず藁の束がぶつかる。
「……なんの真似だ、ド変態」
ころり、とジェーンが飴を転がす。
「なに、なに、ただの嫌がらせ。意味などないさ」
「そうかよ……ああ、そうなのかよおおおッ!!」
湧き上がる怒りに身を任せ、大股に踏み込み鎌を振る。が、ジェーンは笑みを湛えて一歩後退。鎌の切っ先はタイルに深々と突き刺さった。
「ンのォ……ッ」
顔を上げる。
眼前には円形の平面が迫っていた。
「――受けてみなさい」
言い、戦槌を振り抜くみなと。備えも受けも取れるはずもなく、肆の顔面は直撃を許す。
潰れた鼻から鮮血を巻き上げ、浮く肆。
続けざま、彼女の脇腹を、十郎太の十字槍が食い破った。
「がァ……ッ!!」
「力の使い方を間違えたてめえなんかに……」
敵意の視線を向けられながら、彼は槍を捻り、払い――
「……負けてたまるかよ!」
――叩き付ける。
弾み、しかしそれでも肆は立ち上がろうとした。が、ダメージが深く、起き上がることができない。それでもなんとか腕を伸ばして上体を上げるが、
「……ッッ!!」
背中に矢と銃弾を受け、また突っ伏した。
帽子のつばを抑え、ジェーンが軸をずらす。
その遥か彼方から、常盤が気合一喝、ハイランダーを振るった。
刀身から放たれた衝撃は一直線に爆走、後、
ドオオオオオオオオオオオオンッッ!!
肆に激突。
彼女を黒い光が押し潰すように包んだ。
「風紀委員会独立部隊、一条。ここに風紀を執行します。
他がどうであれ、我々はあなたの蛮行を許しません」
告げ、膝を折る常盤を、駆け付けたジェーンが支える。
「おや、おや。大丈夫かな?」
「……すみません。ありがとうございます」
カーディスが眼鏡の位置を直す。
「今度こそ、でしょうか」
「どうだかな……」
マキナの表情は強張ったまま。
「手応えは、あった、よね」
「俺もです。けど……」
目配せするみなとと十郎太。
二人の視界の端で、黒い光を切り裂いて赤が立ち昇った。
間欠泉のように噴き上がる赤い光の根元、中央。
肆はすっかり立ち上がり、あごを引いて佇んでいた。
視線の先には常盤。
「許さねえ、って言ったか」
それは。
先程までと同じ人物のものとは到底思えないほど、冷え切った声だった。
「どうしてテメェに許されなくちゃならねぇんだ。
ウチがテメェに何をした。そもそもテメェは許せるのか。何様なんだよ、おい」
「――私は……」
「黙ってろ」
肆がぐいと腕を伸ばすと、光が彼女の内側に収束された。
瞳を燃やし、皮膚をすり抜け、警告色が胎動する。
破裂寸前の水風船を観ているような。
嵐が訪れる直前の浜辺にいるような。
「行くぜ。ぶち壊す」
仕掛けたのは十郎太。握った槍で腰を入れて払う。
呼吸を合わせ、みなともハンマーを振り被る。肆の背面から、狙いは後頭部。
いずれも直撃。
だが肆は意に介さず、前方に大きく跳躍。着地した先で踵を返し、赤刃を放った。みなとと十郎太は横に跳んで回避する。迫っていたマキナの矢とカーディスの銃弾は赤い光に呑み込まれて霧散した。
その光景を肆は見ていなかった。彼女は既に跳んでいた。
ケージが怯えるほどの咆哮。
ジェーンは軒に登る。
と、同時。
「絡めるぞ、搦めるわ――」
彼女が呟くと、肆の足元から茨が伸びた。
しかし肆は、己の四肢に巻き付くそれらを振り解き、引き千切りながら標的へ向かって直走る。
標的、常盤は再び剣を振った。
放たれた漆黒の衝撃波が深紅の肆と激突する。
拮抗は、しかして一瞬。
黒を食い破り、赤が前に出る。
得物を傾け備える常盤。
肆は彼女のやや前方で跳躍、まるで押し潰すようにしてソバットを放った。
「っ!!」
その一撃は、踏ん張るとか、堪えるという程度のものではなかった。
常盤は絹を裂くような悲鳴を上げ、商店街の外まで吹き飛ばされてしまう。
「おやおやまあまあ」
呟くジェーンを赤い刃が襲う。彼女は斜向かいの店舗に飛び移りながら再び呟き、茨を呼び起こす。
鋭利な棘を湛えた無数の茨は、しかし肆に文字どおり一蹴されてしまう。
顔の前まで上げた腕に『赤』を集める肆。
その腕にマキナが放った矢が喰らい付く。
視線を向ければ、目前にカーディスが迫っていた。
彼は振り上げた大剣を肆の脳天に、全体重を乗せて振り降ろす。
手応え――半々。
がくん、と頭を垂れた姿勢から、肆は回し蹴りを撃った。
的確に、正確に放たれたそれは、しかし虚空、放られたブーツを裂くに終わる。鬼頭忍軍に伝わる奥の手、空蝉と呼ばれる技だ。
だが、次いで訪れた肩からの胴当てには対処できなかった。大剣越しに直撃を許し、大きく後方に吹き飛ばされる。マキナが身を呈して止めるまで、彼はタイルの上を転がり続けた。
「く……」
「大丈夫か」
駆け付けた十郎太が二人の隣に滑り込む。
「これ以上消耗する前に引くぞ。常盤のところには猪狩さんが行った」
「ああ……だが――」
マキナの視線の先。
赤の前にジェーンが降り立っていた。
「何見てんだよ、ド変態」
ジェーンは答えない。
眉を下げ、じっと肆を見つめていた。
「余裕くれやがって。調子に乗ってられんのも今の内だけだ。すぐにはっ倒してやるぜ」
全身の赤が弾ける。
幾多の光は、数瞬だけ蛍のように舞い、やがて跡形も無く掻き消えた。
「他の奴はどうした。6人いたはずだ。全部ぶっ倒れたか。じゃあ続きだ。今度こそ続きをやろうぜ」
膝が折れた。
肩が垂れる。
瞳は虚ろだ。
「見下してんじゃねえ。ウチはまだやれる」
かくん、と首が曲がり、
はらり、と髪が零れた。
「さあ、続きだ」
「ええ、ええ、勿論だとも」
鋼糸を伸ばすジェーン。
二人の頭上のケージを突き破り、大型のサーバントが飛来した。
瓦礫の雨から逃れるようにジェーンは後退する。
訪れたサーバントの姿に目を剥きながら。
鳥。
その表現に相応しいのはシルエットのみだった。
最も近いのは鳩。しかし頭部、そもそも首から上が無く、足の代わりに一本の、巨大な人間の腕が生えていた。
六つ指のそれはぐいと開くと、項垂れていた肆を無造作に掴んだ。
そして羽ばたく。
目を開けることも、顔を上げることさえ困難な暴風を撒き散らし、サーバントはやや滞空、やがて空高く舞い上がり、いずこかへ飛び去った。
●喫煙所
「肆の討伐には、成功した、のね?」
千陰の問いかけに、報告に訪れていたみなとが硬い表情のまま頷いた。
「近くで見ていたジェーンさんが証言しています。
戦うことは愚か、自力で立ち上がることもできない様子だったそうです」
「そう……」
くちびるから紙巻きを離し、改めて報告書に目を通す。
「で、彼女をサーバントが『持って行った』と」
「はい」
「凡その方角――は、あてにならないか。振り回されてしまっては元も子もないものね」
頭を振り、千陰はみなとに笑みを見せる。
「ありがとう。そしてお疲れ様。ゆっくり休んで、怪我を癒して頂戴」
「はい。失礼します」
軽く会釈してからみなとは踵を返し、喫煙所を後にした。
静かになった部屋で、千陰は考察を繰り返す。
「(みんなの力を過小評価しているわけではないけれど、あの少人数で撃破できるシュトラッサーは前例が無い。
生命維持に必要な最小限の力を与えた? なんの為に? 慈善家じゃあるまいし。
それに、戦えなくなったシュトラッサーを回収する意図とは何?
与えた分の力は戻らず、負けた『人間』に再び力を与えるような真似は幾らなんでも考えにくい。
そもそも、回収するくらいならどうして加勢しなかったの?)」
判明したことは二つ。
天使の狙いが不明であること。そして、情報が足りないこと。
それでも千陰は、生徒らが挙げた成果と戦果に応えるべく、そしてなんとかそれ以上の『何か』を探すべく、懸命に、何度も報告書を読み返した。
●???
雪の中に頭を突っ込んだような心地だった。ほんのりとした絶対的な暗闇の中、右も左も、前も後ろも判らない。
やがて聞こえてきた声も、耳に入っているものなのか怪しかった。
「それでも敗れてしまったのですね。可哀想に。可哀想な私の子」
違う。
肆は伝えようとした。だが喉は動かない。どころか、指一つ動かすことができない。
だから彼女は念じた。
まだ戦える。
もう一度戦いたい。
またあの『力』をくれよ!!
「いいえ。
あなたは充分に働いてくれた。
だから眠りなさい。覚めない夢をずっと眺めなさい」
嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ!!!
「夜は更けたわ。おやすみなさい」
訶梨帝母が指示すると、サーバントは手を開き、肆をゲートの中に落とした。