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おかあさんへ
おげんきにしてますか? わたしはげんきです
きょうは くおんがはらから おともだちがたくさんきてくれました
いっぱい いっぱいきてくれました
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ガラガラ、と門が開く音を聞き、サーバントを抱えた少女は屋敷を飛び出した。
遠く、正門に見慣れた執事の背中と、不揃いな6つの人影が見えた。
「お嬢様、ご友人の皆様が来てくださいましたよ」
胸の内に去来する喜びと照れで少女の表情は強張った。が、彼女を乗せた猫のでぃらんはお構いなしに薔薇園を進む。結局、撃退士らの前に到着しても、りんご色の頬が上がることはなかった。
その顔を椿青葉(
jb0530)が覗き込む。
「こんにちは! おねーちゃんはぁ、青葉っていうのよ。よろしくねぇ!!」
「……」
「こんにちは、お姫様。お姫様の『お友達』になりたくて、みんなでやってきましたよ」
エイルズレトラ・マステリオ(
ja2224)が続くが、少女の緊張はほぐれない。
それでも震える小声でなんとか絞り出した「こんにちは」は、
「僕は森田良助(
ja9460)! よろしくね!」
良助のはつらつとした挨拶に隠れてしまった。
勢い、力の入った腕の中で、純白のサーバントが苦しそうに口を開く。
「……そいづ、痛がってね?」
高いところから降りてきた嵐城刻(
ja9977)の言葉。それを迎えにいくように少女は顔を上げる。
「あんまり強ぐすっど、息できなぐなって苦しいず」
「……がいこくの、ひと?」
かくん、と傾げた首を刻は笑う。
「俺は日本人だで、これは方言。面白いべ?」
うんうん、と少女は瞳を輝かせて何度も頷く。
刻は頬を掻いた。
「だども、他にも面白い奴がいるど?」
促された先、歩み出ていたのはべべドア・バト・ミルマ(
ja4149)。
「……がいこくの、ひと?」
「ベベドア。
イッショに、アソボ? コノコもアナタと遊びたいって」
「どのこ?」
首を傾げる少女の前に、ベベドアは大きなぬいぐるみを突き出した。その裏に顔を隠し、色を変えた声を出す。
「『アソボウ?』」
「しゃべった!!」
度肝を抜かれた様子で振り向いた少女を、そうだね、遊ぼうか、と面々が微笑んで返す。
彼らのやや後方で、月臣朔羅(
ja0820)が執事と声を潜めていた。
「この度はご足労いただき、まことにありがとうございます。なにとぞ、よろしくお願いいたします」
「――こちらこそ、よろしくお願いします」
真顔から目じりを下げ、口元を緩め、朔羅は仲間たちのもとへ歩みを進めた。
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みんなは わたしとあそんでくれました
かくれんぼとか おままごとをしてくれました
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「きゅーう! じゅーう!」
カウントを終え、少女は目を開く。そしてすぐに振り返り、隠れた6人のおともだちを探しにかかった。
「むー……?」
きょろきょろと薔薇園を見渡し、やがて息を呑む。
「でぃらん、あっち!」
はいはい、とでも言いたげに猫のでぃらんは短く鳴き、サーバントを抱いた少女を運ぶ。短い足でのしのしと駆けた先では、桃色の髪がふわふわと揺れていた。
「あおばおねーちゃん、みーっけ!」
声と同時、少女はでぃらんに青葉をどつかせる。腰の辺りに原付バイク級の衝撃を受け、しかし青葉はなんとか踏み止まり、困ったような笑みを浮かべた。
「あーあ、見つかっちゃったぁー」
「やったー!」
ふふん、と鼻を鳴らし、少女は胸を張る。
彼女の頭に青葉がそっと手を伸ばした。隠れている間にこしらえた、薔薇の花冠を乗せたのだ。
「うわー!!」
「とーっても似合ってるよぉー!」
「ありがと、あおばおねーちゃん!!」
太陽のように微笑む女の子の後ろで、がさり、と薔薇の葉が鳴いた。
「む。でぃらん、いっけー!」
強く踵を返し、でぃらんは跳躍。そのぷるぷるとした白いお腹で、薔薇の茂みに隠れていた良助を押し潰した。
「……息をしていないわ」
良助の首筋から手を離し、朔羅は辛らつな表情で首を振る。
「『ソンナ――……!』」
「落ち着きましょう、ぬいぐるみ刑事(デカ)。津軽刑事は、この事件をどう見ますか?」
「んー。やっぱず第一発見者サ怪しいんでねえが?」
言って顔を向ける。
女の子はでぃらんの上で、サーバントを腕で挟んだまま顔を両手で覆っていた。
「しかたなかったのよー!」
熱のこもった演技。良助は思わず噴き出しそうになり、しかし懸命に堪えた。
「あいじんがほけんきんでうわきげんばがせいさんだったんだものー!」
「『ハナシハ、ショデ、キコウカ?』」
「はっ!? にげましょう、でぃらん!」
脱兎の如く駆け出すでぃらん。
「『マチナサイ!』」
追跡しようとしたベベドアを朔羅が制す。
「手は打ってあります」
彼女の言葉をマステリオが証明した。
彼は薔薇の切れ間から勢いよく飛び出す。驚いたでぃらんが急ブレーキをかけた。がっくん、と体を揺らした少女に向け、マステリオは微笑む。
「観念してください」
「いやー!」
「そう、ですか。それより――」
お腹すいてませんか。マステリオは少女の前で手をくねらせる。何もなかったはずの彼の手には、大きなロリポップキャンディが握られていた。
「すごーい!!」
「どうぞ、お姫様」
「ありがとー!!」
少女が演技を止めたのを確認し、すい、と執事が割って入る。
「皆様お疲れの御様子。お茶にいたしましょうか」
「うん! のどかわいちゃった。おねがいね、じい!」
「畏まりました」
お手伝いします。去ろうとする執事に朔羅が並ぶ。
「じゅんびしなくちゃ。おそうじはわたしのしごとなの!」
園から少し離れたテーブルへ向かう少女と5人。
その朗らかな会話を背に受けながら、2人は小さい声を交わす。
「それで……」
「お任せください。最善を尽くします」
執事は目を細め、口元に力を入れた。
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それから みんなでおちゃかい をしました
でも あんまり おこうちゃをのめま んで た
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執事の入れた紅茶は程よく甘く、渋みを感じぬ絶妙の濃さで、やけどの心配がなく味が落ちないぎりぎりの温度で、なにより特上の香りを放っていた。
「んー!」
ひと口含み、女の子はころころと笑う。円卓を囲む『撃退士』は揃って柔らかい表情を彼女に向けていた。
「あなたも、のむ?」
女の子がカップをサーバントの鼻先まで運んだ。
一瞬で場に緊張が満ちる。
しかしサーバントは顔を少女の腕にうずめるに終わった。少女も無理に勧める真似はしない。
「むー……。おみずものまないしなー……」
朔羅が椅子に座り直した。
「ちょっと、いいかしら」
「?」
「その子の話なのだけれど」
「このこの?」
優しく、そしてゆっくりと頷く朔羅。
だがそれを見て、少女は確かに血の気を失った。
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わたしは わるいこで
おと だちに どいこと ちゃいました
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「このこをつれていっちゃうの!?」
それは。
今まで遊んでいたとは思えないほどの、
そして実際それほどの思いで少女が放った言葉だった。
「違うの、あのね」
「みんなも、このこをいじめにきたの!? あのひとたちみたいに、いじめにきたの!?」
「お願い、話を聞いて」
「いやー!!」
少女は顔を伏せた。貝のように頑なに。
執事が声を掛けても、ベベドアがぬいぐるみで体を揺すっても、少女は首を振るだけでびくともしない。
目配せで行われる沈黙の密談。
やがて、朔羅が少女に体を向けた。
「その子は、サーバントなの」
「……」
「うさぎさんではなくて、天使のお使いの子なの」
「……」
「久遠ヶ原学園にいる天使が、今、その子が帰ってこなくて困っているの。――判るわね?」
「……さー、ばんと、って……?」
「お友達、って意味だよぉ」
「わたしもともだちだよ!?」
「その中でも特別な、『パートナー』なんだ」
「ぱーとなーってなに!?」
青葉と良助の援護射撃、その隙間からの
「貴方にとってのでぃらんの様な存在なの」
的確で鋭利な朔羅の言葉は、女の子の心の真芯を捉えた。
「……でぃらん……」
つぶらな瞳がついと流れる。似た瞳が心配そうに見上げていた。
「貴方も、でぃらんが帰ってこなかったら寂しいでしょう。
だから、ね?
おうちに帰してあげてくれないかしら」
長い沈黙が流れ込んだ。
年端もいかない丸みの残る顔が、テーブルの一点を見つめてじっと考え込んでいる。
口を挟む余地などなかった。ただ執事だけが、まるで酸欠の魚のように何度か口をぱくつかせていた。
やがて。
「――……る?」
聞き取れない言葉の再来を待つ。少女は苛立った様子で繰り返した。
「また、このこにあえる?」
「ええ」
朔羅は笑って頷く。
やや離れたところで良助が顔を逸らした。
「ん……」
女の子はサーバントを抱え、自分の顔の前に掲げた。
小さな白い顔がくい、くい、と左右に揺れる。金の瞳は少女の眉間を射抜いていた。
「ごめんね。
いっしょにいてあげたかったんじゃないの。いっしょにいてほしかったの。
わたしがさみしかったの。だから、ごめんね?」
「お前は一人じゃねぇ」
刻が顔を向けずに告げる。
「執事のおじさんは……家族でねぇの? 他人なん?」
「それに、もうお姫様には僕らがいます」
マステリオが手を見せる。指の間に挟んだ赤い珠は、彼の言葉に合わせて一度隠れ、再び現れたときは4つになっていた。
「呼んでいただければ、いつでも参上しますよ」
「……うん……」
短い腕が伸びる。
その果てにて、朔羅はサーバントをしっかりと受け取った。
「ん……返してくれて、ありがとう」
直後、女の子は椅子から飛び降り、駆け出した。
自身の何倍もある扉を開け、屋敷の中に飛び込んでしまう。
――みいいいいいいいいいいいいい
サーバントが細い声を上げた。
――みいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい
脚と顔を振り回す。朔羅はそれを腕で懸命に抑え込んだ。決して逃がさないように。
「行きましょう」
拳を握り、良助が言う。
「まだ、仕事は終わっていませんから」
そうですね、とマステリオ。
「坂を下ったところに茂みがあったはずです。そこで仕留めましょう」
「そのことなのですが」
はっきりとした言葉を執事が投げた。
「危害を与える様子がないのであれば、なんとか、飼い慣らすことはできませんか」
6対の撃退士の双眸が一挙に向いた。
「数ヶ月に一度、年に一度でも構いません。お嬢様が覚えている期間だけでいいのです。
どうか、もう一度だけ面会する機会を与えてはくださいませんか?」
刻が立ち上がる。拍子に椅子が倒れたが、彼は元より誰も直そうとはしなかった。
彼の手が執事の胸ぐらを掴む。
「ごんぼほってんでねえど……!」
「しかし今は――」
「今は奇跡的サおどねしいだけじゃ。凶暴化した時真っ先に食われんのはあん子だで!?」
「ですが……!」
「我侭言ってんでねぇ!
そもそもおめぇ、なんでサーバント家ん中サ入れだ?
あいつはまだ子供だ、駄目な事ははっきり言ってやんねば分がんねぇべ。でねぇと……簡単に『道』踏み外すど?」
「嵐城さん」
朔羅が諌める。
刻は強く執事を睨んでから投げるように手を離した。
「お気持ちはお察しします。
ですが、学園がサーバントを内包することはありえません。それに、いつ暴れるとも判らない存在にお嬢様を近づけるのは危険過ぎるかと」
「……申し訳ありません。出過ぎた真似をいたしました」
「いえ、こちらこそ」
それでは失礼します。
頭を下げ、朔羅は門を潜る。手ではサーバントの口をしっかりと掴んだままだ。
外に出、並木道に差し掛かったところでマステリオと良助が並んだ。
「正直なところ――」良助が口を開く。「心苦しいです」
確かに、とマステリオ。
「何だか、僕たちの方が悪役みたいですねぇ」
「そうね」
言う朔羅の言葉に感情は見当たらない。
「でも、看過してしまったらそれこそ悪人になってしまうものね」
件の茂みに差し掛かる。
周囲に人目がないこと、そして念のために屋敷の方を一度確認してから、三人は踏み入った。
辺りには確かに誰もいなかったが、良助は屋敷側から隠すように身を動かした。
朔羅がサーバントを掲げる。
鼻をひくつかせるその頭を、マステリオの苦無がいとも容易く切り落とした。
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あそびに きてくれたおともだちに ひどいことをいっちゃいました
あのこも ぱーとなーのところにか のをじゃましちゃいました
でぃらんがいなくなったら わたしもかなしかったから
てんしさんも すっごくかなしかったし あのこもかなしかったとおもいます
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「あたしたちも、行こっかぁ……」
「……そうダネ」
「したら、最後にあいさつサして――」
屋敷の扉が動いた。
隙間を肩で割り、女の子が出てくる。顔を洗ってきたのか、襟と袖の周りが濡れていた。
瞳はうさぎのように真っ赤だ。
「あっ……あのね! おでかけしたい!」
「お嬢様。せっかくお友達の皆様が来て下さっているのに……」
「いっしょにおでかけしたいの!!」
一瞬でアイコンタクトを済ませ、刻が息を吐く。
「いいど。どごさ行くだ?」
「いってくれるの!?」
「俺達はけやぐじゃ。『友達、仲間、同士』っちゅう意味じゃ。遠慮はしねぇし、喧嘩もすらぁ」
「……! ありがとう!
いこ! じい、おくるまだして!!」
「かしこまりました。それで、どちらへ行かれますか?」
「おかあさんのところ!」
ズボンのポケットから、急いで折り畳まれた便箋が覗いていた。
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わたしは もう あのこにあいません
だから てんしさんが あのこをゆるしてくれるように
おかあさんも いっしょに おいのりしてください
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真っ白な部屋の中、女の子は、ベッドに横たわる母親に覆い被さるようにして泣き続けた。
ごめんなさい、ごめんなさいと泣き続けた。
線の細い母親は女の子が落ち着くまでずっと背中を撫で続ける。涙で滲んだ手紙を握りしめながら。
長い、長い時間が必要だった。
表で待っていた刻と青葉を執事が呼んだ。
女の子と、そして執事と入れ替わり、2人は病室に入る。
「この度は、本当にありがとうございました」
母親は、深く、そして長く頭を下げた。
上がった顔、目元がうっすらと濡れていた。
「できれば、あの子の本当の友達になってあげてくださいませんか」
「……それは、でぎね」
刻が口角を上げ、青葉が継ぐ。
「あたしたちはぁ、もう『けやぐ』ですからぁ!」
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ベベドアは病院の外、中庭のベンチででぃらんと共にいた。
日が落ちるのも早くなった。遠くからひぐらしの鳴き声が聞こえてくる。
茜色の景色をぼんやりと眺め、ベベドアがぽつりと零した。
「コレで、ミンナ、シアワセ?」
言葉は返ってこなかった。
だが、でぃらんは喉を鳴らし、彼女の脚に頭を擦りつけた。
優しく。
何度も。