●
その晩は満月。輪郭がぼやけた月は青白く、まるで何かに慄いているかのようだった。
●
「くぁ……」
第6倉庫の前、弐は大きく開けた口からあくびを吐き出した。計画を実行に移してからはほぼ不眠不休、しかもこの先休める保証もないとくれば自然と疲れも出てくる。
頭を振って首を鳴らし、彼は咳を払った。
「いるんだろう、出てこいよ」
何かが見えたわけではない。何が聞こえたわけでもない。
荒事を何度も乗り越えてきた彼がただ感じ取った。そう表現する他ない。
月明かりの下、人影が浮かび上がる。
しなやかながらも確かな強さを湛えた姿。それが音もなく現れた。
弐は鼻を鳴らす。
「一人ってこた無いだろ。他の連中は?」
月詠神削(
ja5265)は無言で曲刀を抜く。それを見て、弐は声を荒げた。
「待て待て! 通してやるって」
神削の眉が揺らいだ。
「通せって言われてんだよ、うちの大将から。
それにどの道、こんな扉が開いたらバレバレだろうが」
ちょっと待ってろ。言って弐は無防備に背を向けて扉の取っ手を握り、スライドさせた。
ガラガラ、がたがたと鳴きながら鉄の扉は開いていく。
「……っと。ほら、行けよ」
言いながら彼が振り返ると、人影は6つに増えていた。
「同じ数寄越す辺りが『学園』だよなあ」
ニヤつく彼の横を続々と通り過ぎてゆく。
ひとり、ふたり、さんにん、よにん、ごにん――
倉庫に呑み込まれたところで、弐が入り口の前に立ち塞がる。
「――と、ここまでがオレの仕事ってわけだ」
弐の腕に盾が浮かぶ。
「ここを通りたければオレを倒していけ! ってな。……なあんか、まるっきり悪役だな」
「自業自得だ」
「だよな、オレもそう思う」
笑って言い、弐は目の色を変えた。まるで瞳だけ取り換えたかのように。
「――通さねぇぞ。絶対に、だ」
神削は腰を落し、
「死んでも恨むなよ、元同窓生」
曲刀を強く握った。
●
倉庫の中は薄暗く、高い位置に点在する照明も瞬いていた。
とりあえず押し込んだ、という感じの段ボールや木箱の隙間を縫うようにして5人は進んでゆく。
道すがら、封の開いていた段ボールを覗き込み、神喰茜(
ja0200)は眉間を狭める。
「(……本?)」
この倉庫は、潰れた出版社が借用していたものだった。大量に余った在庫を無理矢理片付け、捨て置いたのだ。
ファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)が後続の神城朔耶(
ja5843)を一度顧みる。
朔耶は小さく首を振った。気配は前方に固まっている。動く様子もない、と伝える。
「ふうん――」
口の中で言い、歩みを進めるジェーン・ドゥ(
ja1442)。
彼女の前をゆく黒百合(
ja0422)が一度歩みを止めた。それぞれが前を見ると、明らかに質の違う灯りが漏れていた。加えて、女性のすすり泣く声も。
呼吸を合わせ、進む。
開けた場所だ。左右の高い位置から一つずつ、ストロボが太陽のような灯りを放っている。
「ようこそ」
声に視線を送る。
磔にされ、ぐったりと頭を垂れる小日向千陰(jz0100)の傍らに、仮面を付けた男――壱が立っていた。
「お待ちしていましたよ、学徒の皆さん」
「……なんということを……」
朔耶は息を呑んだ。
千陰は両の手足をナイフで貫かれていた。顔はところどころ赤黒く腫れ、口や鼻からは鮮血が滴っている。太腿の後ろ側にも血痕が窺えた。目を凝らせば、大腿部には幾つもの銃痕が開いている。
茜が舌を打ち、ファティナが剣の柄に手を置く。
参が銃を構え、
「動いてんじゃねえよ!」
肆が太丸つぶらの顔に足を置く。
つまらなそうな溜息は陸の口から。楽しげな吐息はジェーンから。
伍は肆の更に奥、壁に寄りかかって微動だにしない。
「武器を捨てろ、と言いたいところですが、効果の薄さは判っていますしね。
余計なことはしないでいただきたい。わたしたちとて手荒な真似には『飽きた』ところですからね」
「……何、が、望みなのぉ……?」
怯えた様子で言う黒百合。壱は彼女を鼻で笑う。
だが彼は気付いていなかった。黒百合の瞳が微塵も怯えていないことに。
彼女が、茜が、そしてファティナが、威嚇するような目つきで周囲をつぶさに観察していることに。
――その場で、ただ伍だけがそのことに気付いていた。
●
常に倉庫へ背を向けて弐は立ち回る。
通さないという意地。守り抜くという意志。
神削はそれを打ち破れずにいた。剣閃は盾に阻まれ、気を抜けば弐の蹴りが飛んでくる。
あと一歩が遠い。
だが他の理由も付随していた。
弐はあっさりとそれを看破する。壱の言ったとおりだ、と。
「探してるのは配電盤か?」
踏み込んでの唐竹割り、を、しかし弐は受け止め、弾く。
と同時、下がりながらの回し蹴りを神削も退いて回避。
弐は豪快に息を吐き出した。
「裏手だ。残念だったな」
「……そうか」
肩を下げて呼吸を整え、神削は再び構える。
「なら、お前に集中してやるよ」
「はっ! スカしてんじゃねえぞ、女男」
大きく足を開き、弐は盾を前に出した。
●
「まずはご清聴願います」
壱は踵を返し、千陰の髪を掴んだ。
ぐい、と顔が上がる。左目は瞑っていた。壱は仮面の下で口元を歪ませると、そのまま彼女の頭を壁に押し付けた。
「……っ」
「小日向様っ!」
思わず朔耶が叫ぶと同時、彼女の足元に向けて参が発砲する。彼女はじっとりと濡れた目で朔耶を睨んでいた。
「目が覚めましたか、小日向女史」
「……あ」
うっすらと目蓋が上がる。
「来て、くれたの。ありがとね」
微笑んだ彼女の顔面に壱の拳が突き刺さる。
「女史には、言ってもらいたい言葉があるんですよ」
壱は肩を震わせる。
「わたしたちに謝ってください。私が間違っていました、ごめんなさい、と。
そうすれば命までは取りません。簡単でしょう?」
ごくり、と誰かの喉が鳴ったのを最後に、倉庫が水を打ったように静まり返る。
かすかに鳴るのは遠くでかち合う武器の音。隣にいる者の呼吸すら聞こえない。
誰もが待った。俯き、口からぼたぼたと血を流す千陰の言葉を。
そして、やがて――
「……い」
「くくっ」
仮面の裏から笑いが漏れた。
「よく聞き取れませんでした。もう一度お願いします。全員に聞こえるよう、大声で!」
「……な……い」
「くくく……もう一度! もう一度だ!!」
「しら、ない」
「……はい?」
壱が手に力を入れる。頭髪が千切れる音は生徒たちの耳にも届いていた。
「そんなリクエストをしましたか? 私が?」
「しらない、ものは、しらない」
「黙ってください」
「まちがってる、とか、ただしい、とか。私には、わからない。どうでもいい」
「黙れ、と言っています」
「誰になんて言われたって、カッコつけて生きていくわ、私は」
「ここで死ぬんだよお前はああああああああああああああああッ!」
叫び、千陰の顔に添えた手から黒い爆発が起こる。
それは5度続いた。一発ごとに千陰の体が跳ねる。そしてその度にナイフが体に食い込み、手足が赤く染まった。
「もう充分よォ……!」
悲鳴を上げ、へたり、と座り込む黒百合。
「お願いだからもう止めてェ! なんでも言うこと聞くから、二人を助けてよォ……!」
「……と、言っている。その辺にしておけ」
遠くから陸が声を投げる。
「本来の目的を果たす前に人質を殺しては、こいつらが暴れるだけだ。
俺はそれでも構わんが、お前は違うだろう」
肩で息を整え、壱はくぐもった笑いを落とす。
「……そう、でしたね。ありがとう、陸。危うく自制が効かなくなるところでした」
振り返る。
仮面の切れ間で赤々とした瞳がぎろりと動いた。
「全員、入島IDを寄越しなさい」
「……それだけで、いいのねェ……?」
「何度も言わせないでください」
壱は千陰に平手を向ける。
「本当に私のブレーキが壊れてしまいますよ?」
「……判ったわよォ……」
ポケットに手を入れ、黒百合は顎を上げる。
「……今夜は、素敵な――」
ぞぞっ
噛み締める。耳元で鳴った耳障りな音を。
視認する。顔の横をはらりと落ちていく、自身の頭髪を。
「――黙って」
壁際から伍が深紅の鋼糸を振るったのだ。黒百合の髪は一部が削げ落ちたものの、皮膚は無傷。
圧倒的な威嚇の一撃。
「――IDを、投げて」
黒百合と伍の視線が絡み合う。解き損なったスニーカーの紐のように、固く、複雑に。
ほつれるようなものではない。
千陰が鼻が鳴った。
「あのさー!」
ぐいと顔を千陰へ動かす伍。
ライフルを取り出しストロボを狙撃する黒百合。
狙いを定める参。
前に出るジェーン。
咆える肆。
雷を放つファティナ。
糸を振る伍。
怒鳴り手を翳す壱。
歯を食いしばる千陰。
抜刀、駆ける茜。
黒百合が次弾装填。
盾を携え前に出る朔耶。
悲鳴を上げるつぶら。
雷の直撃を受け吹き飛ぶ参。
伍の糸を防ぐ朔耶。
照準を合わせる黒百合。
拳を振りかざす肆。
手に刺さったナイフの柄を握る千陰。
壱に刀を振り降ろす茜。
割り込み、弾き、押し返す陸。
引き金を絞る黒百合。
足をナイフごと上げる千陰。
矢を放つ朔耶。
矢を回避する伍。
肆の襟首を掴み投げ飛ばすジェーン。
攻撃寸前の壱に肩から激突する千陰。
銃弾がストロボを貫く。
伍は標的を彼女に変え、カーマインを振り降ろす。
だが、深紅の糸が裂いたのは滑り込んだ千陰の背。
目を見開く伍の顔近くにアウルの矢が連続で着弾する。
伍はバック転を繰り返して一旦撤退。
「千陰さあんっ!!」
「叫ばないで、響く……!」
糸を操る伍と、千陰らの間に、盾を構えた朔耶が割り込んだ。
「……久しぶり。殲滅戦以来、かな……?」
「お怪我は大丈夫ですか?」
「……うん、ギリギリ……ね」
かちゃり、と床が鳴る。千陰の手足には未だにナイフが噛み付いていた。軽い痙攣と、おびただしい量の出血に、つぶらは咽込んだ。
「……ごめん、5分だけ……お願い」
「承りました」
伍が糸を振る。
「――どいて」
「嫌です」
「そう――じゃあ、どいて」
お粗末な星が煌めく闇に、深紅の糸が爛々と舞った。
●
「……っそォッ!!」
起き上がり、周囲を確認する肆。
薄暗く、目が慣れぬのでぼんやりとしか窺うことができない。頼れるのは音だけだ。木箱が崩れる音、ぶつかり合う罵声、そして――
「おやおや随分と可愛らしい」
目の前で、棒付キャンディを含む笑い声。
「てンめぇ……何笑ってやがる!!」
「だって、だって、可愛くて可愛くて」
「あぁ!?」
湿った音を立て、唇からキャンディを離す。
「天狗になり鼻を折られ復讐したくも弱さ故に人質を取る。
ええ、ええ、随分と可愛らしい」
「……舐めやがって……!」
取り出したのは漆黒の大鎌。三日月のように反り返った刃が標的を歪めて映し出す。
「そっ首落としてやる! くたばらせてやらァッ!!」
「それは、どうかな」
片眉を上げ、ジェーンは小首を捻る。
●
「隠れても無駄ですよ。逃げても、です」
崩れた木箱の向こう側、暗視スコープの表示に従い、ファティナは声を投げる。
「こっちの台詞だっての。何度も邪魔してくれちゃって」
だが、参もまた似た道具を備えていた。
「何も知らないくせに。あたし達のこと、何も」
ファティナは集中を切らさぬよう、そっと息を整えた。
「経緯なら、知っていますよ。
貴方達だけが悪いとは言いません。ですが……やり過ぎましたね」
「説教ならご免だね」
参がこれ見よがしに撃鉄を鳴らす。
「あたし達を認めない奴は全部否定してやる」
●
「よく喋るねぇ。興が削がれるよ」
刀の峰で肩を叩き、茜は妖しく笑う。
「あんたは? 遺言とかいいの?」
「それどころではないからな」
陸は口角を釣り上げる。
「楽しみだ。これから起こる全てのことが。到底待ちきれぬ」
「私も。一目見たときから気になってたんだ」
似た匂い。
『斬る』ことを楽しみ、楽しめる者同士。
互いの放つ殺意に胸を躍らせ、両者は嗤って睨み合う。
「いざ、尋常に」
深紫の光纏を引き連れ、特攻する陸。
「さあ、存分に」
迎え撃つ茜の髪は純度の高い黄金色。
●
「何故だ……どうして、こうなる……!」
立ち上がる壱。彼の前で
「さっき言えなかった台詞、今言うわァ――」
黒百合が大鎌を振り回す。
「なに……?」
「今夜は素敵な夜になりそうねェ。素晴らしい夜になるわ、きっとォ♪」
そこには、先程まで怯え、弱り、困っていた少女はいなかった。
代わりに、嬉々として得物を弄繰り回し獲物を見下ろす、狂気に満ちた少女が。
「『やる』覚悟があるなら、もちろん『やられる』覚悟もあるのよねェ?」
「……貴様ぁ……!」
「あなたは何手持つのかしらァ?」
笑い、駆ける黒百合。
●神削:弐
弐が瞬いた直後、神削から彼までの間を紫の光が結んでいた。
「(これは、やべぇ)」
防御の体勢を取る弐。彼に向けて神削が曲刀を振る。
剣閃の衝撃が着火剤。紫のアウルは耳鳴りを伴うほどの爆発を巻き起こし、弐を包み込んだ。
神削は2度呼吸、靄が晴れるのを待つ。――手応えのなさを噛み締めて。
現れた弐は無傷。盾にさえ傷一つついていなかった。
「……無駄だ」
言った時には、既に再び光が走っていた。
弐が備える。
神削が剣を振るう。
巻き起こる爆発。烏合の衆など一網打尽にせしめるほどの一撃は、しかし弐に防がれてしまう。
「だから無駄だって――」
靄が晴れるのを待たず、三度走る光。
「おまッ!?」
剣閃。爆発。やはり手応えはない。
「ごり押しかよ!? ディアボロだってもうちっと考え……」
紫の靄を肩で裂き、大鎌を引いた神削が特攻する。
地を這うように、そして空まで届きそうなほど振り上げられた鎌は、しかし盾を捉えるに終わる。
「こ……んのぉっ!」
弐のつま先が神削の腹に喰らい付いた。自身の体が宙に浮くほどの攻撃を受け、しかし神削は怯まない。どころか、上がった弐の足に鎌を振り降ろす。
「(あの姿勢からかよ!?)」
鎌の柄を担ぎ、刃を向けて突進。
弐は股を開いて踏ん張り、辛うじてそれを受け止める。
「ディアボロでも、って言ったな」
「ああ?」
「こっちはここに来る前、本物の悪魔と交戦してるんだよ」
「……悪魔、だあ……?」
「あいつに比べれば、お前は――」
雄叫びを上げ、神削を弾く弐。靴の底をずりながら神削は後退、すぐさま前に出る。
「見え見えなんだよ!!」
体の前に盾がしゃしゃり出る。
神削は体重を乗せて鎌を振るった。
お構いなしに、むしろ歓迎して。
高く、硬い音が木霊する。
神削の狙いは武具破壊一点。鎌の先端は、弐の盾の中央に深々と突き刺さっていた。
「(こいつ……!)」
弐が足を振り上げる。
よりも早く、神削は鎌を引いていた。弧を描く刃が弐の足を高々と打ち上げる。
バランスを崩し、転倒する弐。
彼と月の間には鎌を携えた神削。
無慈悲に振り降ろされた大鎌が、弐の盾を叩き割った。
「がぁっ!!」
身に着けていた武具が破壊される。その衝撃は爆竹を握ったときのそれと似ている。武具が大きくなればなるほど衝撃は増す。腕を包み込むほど巨大なものなら、何をいわんや、である。
後転を繰り返し、しかし弐は扉の前で笑う。額は汗でぐっしょりと濡れていた。
「……ここは、通さねえ……!」
「まだ行かないさ」
言って弐の膝に鎌を振り降ろす。
「――……ぉッ!」
「言われてるんだよ、俺たちは――」
苦痛に悶える弐に向け、神削は再び、そして何度も鎌を振り降ろした。
●ジェーン:肆
「……ぁぁぁぁぁぁあああああああッ!」
怨嗟の叫びを上げ、肆は斬り掛かる。
ジェーンはひらりと、まるで風に舞う絹のように回避、着地した木箱を蹴り落とす。
「じゃかあああしゃああああッッ!」
右手に鎌を任せ、左手の掌底で木箱を粉砕する。
舞い散る書籍の紙吹雪。
「っそおお……ッ」
鬱陶しそうに手と鎌でそれを払う肆。
その側面から、瞳を赤くしたジェーンが斧で斬り掛かる。
ざくり、と裂けた肩口から飛沫が噴き出した。
砕けそうなほど奥歯を噛み締め、鎌を振るう。が、既にジェーンは離脱している。
追撃すべく歩みを進めた肆。が、足が硬い物を踏んだ。
ビー玉に重心を弄ばれ、前につんのめる肆。
そこを再びジェーンが襲う。
正面からの切り上げ。
手応えは微か。
被弾した肆は額の熱に目を見開く。
突き出した掌底は、しかしやはりジェーンに届かない。彼女は離れた木箱の上で、ころりとキャンディを転がした。
「ちょこまかとォ……! これだから忍軍は嫌いなんだよ!!」
「でも、でも、僕は好きだよ君のこと」
「嫌いだっつってんだらああああああッッッ!!」
咆え、振るわれた鎌から衝撃波が飛び出す。深紅のそれは急激に上昇しジェーンへ迫る。
「絡めるぞ、搦めわ――」
にやついて呟き、半身になって衝撃波を回避するジェーン。
床を踏み鳴らし、跳躍する肆。
「ああ、ああ、本当に可愛らしい」
ジェーンが笑みを深めると同時、
「ッ!?」
肆の足元から影色の茨が生え誇る。それは意志を持ったようにうねり、彼女の四肢に巻き付いた。
「っぜェ……テメェ、ほんっとうぜェよ!」
顔を上げた先。
ジェーンの姿はない。
「くッ!」
気付き、顔を上げた。
色とりどりの文様が刻まれた卵が驟雨の如く降り注ぐ。
「ぉぉぉぉおおおおおッッ!」
その全てに直撃を許し、再び上を睨んだときはもう、ジェーンは目前に迫っていた。
振り降ろされた戦斧は肆の右肩に食い込み、そのままわき腹までざっくりと裂く。
激痛に仰け反る肆。
尋常ならざる敵意を感じ取り、ジェーンは跳び退く。
弱った茨を引き千切り、黒鎌を振り回す肆。
直撃こそ免れたものの、ジェーンの腹、皮膚は深く真一文字に裂けていた。
「気持ち悪ィんだよ、テメェはァ……!」
鬱憤を充填するように鎌で木箱を砕く肆。
「殺し合ってる相手のことを好きとか言いやがって……よっぽど狂ってやがる!!」
「嫌いじゃない。否定もしない。むしろ愛しているとも」
腹の傷をなぞり、指についた赤を舐め取る。
「だから、ええ、ええ、その首を刎ねてしまおう」
「ド変態が……!!」
肆が奔る。
ジェーンは両腕をだらりと下げてその場で揺れる。
「……ぁぁぁぁぁぁああああああ!」
深紅のアウルが鎌を包む。
全身全霊、全力全開の一撃がジェーンの脳天目掛けて放たれる。
その直前。
ジェーンは胡椒を詰めた小袋を肆の顔に投げつけていた。
「あああああああッッッ!!」
振り降ろされる鎌。
その横をすり抜けながら、ジェーンは斧を振るった。
「――おや、おや、おや」
ぱっくりと開いた肩の傷を視認し、ジェーンは笑う。
「へっ……調子、乗ってっから……――」
首の片側から、シャワーのように鮮血を吐き出し、肆は両膝をついた。
「そう、そう、そう。ここまでが友達の友達の分。
さて、さて、さて。ここからが友達の分」
指だけで器用に斧を回し、ビー玉を蹴散らしながらジェーンが進む。
●ファティナ:参
一進一退。
表現すれば聞こえはいいが、その実、どちらも決め手に欠けていた。
ファティナは暗視スコープを利用して参がいる位置へ炎を、隙あらば魔法の雷を放つ。
参は参でひょいひょいと飛び回り、射撃、或いは倉庫の壁や柱を利用して跳弾を撃つ。
そしてそれが、とうとうファティナを捉えた。
「く……ッ!」
二の腕を貫通し、銃弾は木箱の中に隠れる。
患部を抑え、参を探す。が、距離を取られてしまっていた。
「気に入らないのよ、あんた」
前方の柱と天井の梁に照準を合わせ、左右の引き金を同時に引く。
飛び出した銃弾は倉庫内の鉄筋という鉄筋にぶつかり、金属音と鮮烈な火花を散らしてファティナを強襲する。
直撃こそ免れたものの、ファティナの身体は確実に削がれてゆく。
がた、と段ボールを蹴る音。そして壁が揺れる音が参の耳に入る。
「(お利口さんだこと。でもね――)」
参は木箱を跳び越え、前に出た。
最後は、最期は、奴の顔を見ながら撃つ。
だが、それはファティナも見抜いていた。隙を見せれば、彼女は必ず来る。
何かが動く音。
関係ない。既に射程内。
2丁の銃を突き出し、トリガーを引く。
彼女の決意と同時、参の足元から無数の青白い手が伸びた。
それらは爪を立て、彼女の足を掴むべく蠢く。
が。
「遅い――!」
すり抜け、尚も参は前に出る。
恨み辛みに瞳を曇らせて。
彼女の視界で、ゆらりと銀が揺れた。
刹那。
ザシュゥウッッ
ファティナが振るった両刃の剣が参の脇腹を切り裂いた。
散乱した段ボールの上に転がり込む参。
「……ッ……ダアトの、癖に……ッ!!」
振り返った彼女の鼻先に、ファティナが切っ先を突き付ける。
「命まで奪るつもりはありません。
大人しくしていてください。お願いです」
●茜:陸
演武と言われても疑いようがなく、殺陣と言われても頷いてしまう、しかし確かな殺し合い。
縦横無尽に繰り出される互いの剣閃。打ち、弾き、斬り、詰め、刻む。
舞い上がった紙片が両者の間に吸い込まれるようにして流れ込み、粉々に処理された。
だが次第に、徐々に茜が圧し始める。
一瞬一瞬の判断が積み重なり、やがて差となって二人の間に横たわりだした。
それを分断するように、陸が大きく踏み込む。
挙動は一つ、太刀筋は三つ。
初撃、次撃こそ捌くが、三太刀目が茜の胴に届いた。
だが茜は咄嗟に身をよじり被害を最小限に食い止める。
どころか、その勢いを乗せて激突。
陸は弥生姫を引き戻し、辛うじてそれを受ける。
鍔迫り合い。
うねる赤と紫の光。
肉薄する両者の面。
「愉しいねぇ」
「ああ、全くだ――」
渾身の力で陸が茜を押し返す。
「――終わるのが惜しい!」
袈裟懸け、逆袈裟、斬り降ろし。
避けることを許さぬ三連撃。
茜は刀を下げ――前に出る。
肩を、腕を、腹を狙うそれらを『身体』で往なし、前に出る。
金色の髪を朱に染めて、茜は前に出た。
陸は目を剥き、しかし薄く笑った。
「――見事だ」
言う彼の胸を、
「愉しかったよ」
茜の刀が貫いた。
●黒百合:壱
「止まれえええええッ!」
叫び、壱は指輪を嵌めた手を千陰らに翳した。朔耶は彼女らの奥で伍の猛攻に耐えている。
「……人質が、どうなってもいいのかッ!?
立て、そこに立てェッ!!」
黒百合は肩を落とす。
取れそうなほど落とした。
「もしかしてェ……それで私の動きを制限したつもりなのォ……?」
彼女は移動。
「当然だ! そいつらを救い出すために来たのだろう!?
最早貴様らには考える余地すらないッ!!」
溜息。
「考えるまでもない、の間違いよォ。だって、詰んでるのはあなたの方だものォ」
「……なんだと?」
黒百合は空手。その両腕をゆっくりと広げ、忌々しそうに壱を睨み上げる。せっかくの夜が台無しだ。
「次動いたら、自分の脳味噌見せてあげるわァ♪」
「……――ほざけガキがあああああッッッ!!」
青黒い光が壱の周囲に生まれる。
頑強な倉庫の壁さえ揺るがす、膨大な魔力が彼の周囲に集中していく。
「これを受けてもまだ――……」
光の向こう。
息を落した黒百合が消えた。
そう見えた。
次の瞬間。
頭部に強い衝撃を受けながら、壱は、
ぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぃ
己の顔が切り裂かれる音を間近で聴いた。
「……ぉおおおおおああああああああああッッッッ!!!」
「人の手足を抉っといて、随分大げさに騒ぐのねェ?」
黒百合の声は壱の絶叫に紛れる。
やれやれ、と肩をすくめ、のたうつ彼の背に足を乗せた。
同じ挙動で、彼の首元に鎌を添える。
「最ッ低な夜だったわァ。おやすみなさいねェ」
力を込めた彼女の腕は、
しかし、背中に飛来した女性の言葉でピタリ、と止まった。
●朔耶:伍
とうとう朔耶は膝を折ってしまった。
先端に錘を括り付けたカーマインによる乱舞にも似た連撃。それを彼女は一手に受け続けた。背後の二人を守る為、盾を携え続けた。一撃も漏らさなかった。
伍は憂さを晴らすように糸を振るう。
思いのほか手間取った。仲間の劣勢は明らか。早く助けにいかなければ全滅の恐れさえある。
だが、その前に。
敵を回復させるこのユニットだけは始末しておかなければ。
天井近くまで錘が上がる。
真っ黒なそれは、深紅の軌跡に操られ、朔耶の脳天目掛けて襲い掛かった。
ベチィィィィッ
不気味な音を聞き、朔耶は顔を上げる。
彼女を包むように抱きしめる千陰の頭部から、濡れた錘が離れる瞬間だった。
「小日向様!」
「……大丈夫よ。
約束守ってくれて、ありがとね」
約束。
5分間守ってくれ、という約束。
その間、彼女は四肢のナイフを抜き、食い破った上着で患部を縛った。
気力を振り絞り、千陰の傷を癒す朔耶。
光のぬくもりを全身で感じ取り、千陰は彼女の頭を優しく撫でた。
「……さて――」
立ち上がり、振り向く。
赤い糸が嵐を巻き起こしていた。
「――それで?」
「ん?」
「――素手で、なにするの?」
「さっき言ったでしょ、カッコつけるのよ」
言い終えると同時、千陰は全身に白い煙のような光を纏った。
ああ、と伍は口を開ける。これは怖い。
獣のような声を上げ、千陰が跳ぶ。
伍は、しかし冷静に分析する。敵は徒手空拳。得物を持っているこちらが圧倒的に有利。
落ち着いて、躊躇わず、鋼糸を十字に振るう。
鼻っ柱で交差するよう、素早く、精密に。
眼帯の紐と額、そして頬が切れる。だが千陰は止まらない。
想定の内、と伍は口を結ぶ。素手での攻撃など威力も距離もたかが知れる。
千陰が踏み込み、高速の肘鉄を繰り出した。
軽やかに一歩分下がる伍。
彼女の喉を、
「――……ッ!?」
千陰のトンファーが強かに突いた。
伍の背中が壁に衝突する。
前後からの強烈な器官への攻撃。呼吸は愚か、瞬きさえもままならない。
黒ずむ意識の際、彼女の双眸が捉えたのは、
「まだまだ、若いわね」
したり顔で右の『義眼』を指さす千陰の姿だった。
伍の身体から力が抜けたことを確認し、千陰は声を張る。倉庫の外まで届くように。
「殺すな!!!!」
彼女の声を受け、怪訝な顔で黒百合が振り向く。
「何言ってるのォ……?」
「『助けに来てくれた』んでしょ? ……違ったら複雑な気分だけど。
あなたたちはなんて言われてここに来たの?」
「『潰せ』、とのお達しよォ」
「ほらやっぱり。他でならいざ知らず、私の前で殺しなんてさせないわ」
言いながら、危なっかしい足取りで朔耶とつぶらに合流する。
「ごめん、5分だけ休ませて。それから帰りましょ」
言い終わるより早く、彼女はつぶらに覆い被さるようにして倒れ込んだ。
「……は、ハハ……手温い、や」
「本当に、本当に、そう思うかい?」
「私には、とても恐ろしい言葉に聞こえますよ」
「……どういう、意味よ……?」
「さすがにあんたは判るよね」
「……ああ……」
「つまり、殺さなければ何してもいいってことよねェ……。
時間がないから急がないとねェ――!」
「や、やめ――……ッ!!」
朔耶とつぶらの頭を強く、きつく抱え込む。
「目を瞑って、耳を閉ざして。私がいいって言うまでずっとそうしてるの。いい?」
身を強張らせ、縮こまる生徒を抱き寄せ、
千陰は、
傷だらけの背中で、遂げられる『報復』の音をひとつ残らず受け止めた。
●
鉄の扉が開き、神削が顔を覗かせる。
倉庫の中ほどには、両脇からつぶらを抱える茜と黒百合、互いに支え合うジェーンと朔耶、そしてふらふらと先頭を歩く千陰の姿が見えた。
「……お疲れ様」
言い、神削は意識を失った弐を倉庫内に投げ込む。
「こんなところで、いいよな?」
「うん、上等よ」
でもひとつだけ。千陰は弱々しく微笑み、神削に体を預ける。
「もう無理ー。病院までお願いー……」
「……はいはい」
8人は倉庫を後にする。
傷だらけの彼らを、空の高い位置から、青褪めた月が黙々と見下ろしていた。
●
「――う……」
意識を取り戻した伍は、倉庫の雰囲気に吐き気を覚えた。
充満した血の匂い。逃げ場のない死の匂い。泣き、咽せ、呻く、仲間たちの姿。
「……どう、して……」
「――寒い……」
「あ……ああああああ」
腰が抜け、へたり込むしかできない。
横たわる屍寸前の仲間の姿、地獄の入り口のような光景に。
では、ない。
伍はただ息を呑んだ。
こつ然と倉庫の中に現れた、頭の天辺からつま先まで白い装束に身を包んだ人影に。
「……なん、だ……?」
「ああ、なんて――なんて可哀想な子供たち――」
「……死神、だろ?」
「願いは届かず。想いは遂げず。ただ命だけが絶えようとしている」
「黙……れ……」
「このままでいいのですか。このままでいいのですか。このままでいいのですか。このままでいいのですか」
「いいわけが……ねぇだろォ……ッッッ」
「そうでしょう。そうでしょう。
生きたいですか。生きたいですか。生きたいですか。生きたいですか。生きたいですか。生きたいですか」
「生き……たいよ……。死ぬのは……嫌……!!」
「では力をあげます。あなたらを一人残さず誰も彼も、等しく私が愛しましょう」
白装束の身体から6つの光の玉が這い出る。
白、青、橙、赤、黒、紫。
それらはぐるりと旋回してから、壱、弐、参、肆、伍、陸の身体に飛び込んだ。
直後、呼吸は整い、体にはぬくもりが戻り、痛みは霧散した。
「――……なに……?
――……だ、れ……?」
白装束の顔が動く。
真黒く塗られた唇がぼんやりと動いた。
「私は今よりあなたらの母。
刻み、覚えなさい。
訶梨帝母(かりていも)の名を」
●
通報された現場に駆け付けた警官らが目撃したのは、強い光に呑み込まれて跡形もなく消滅する埠頭。
それから21時間14分後、学園に知らせが入る。
『茨城県の海岸沿いで、撃退士による暴動が6ヵ所同時に確認された』――。