『──僕はただ、何一つ変わらないこの体のままで、大好きな村が変わっていくのを見ていて寂しかったんだ』
『──眠ることも出来ず、僕は、長い間暗闇の中で故郷を見ていた』
『──だけど、ありがとう、僕はやっと眠ることが出来るんだね』
●
「………来ます。準備はよろしいですか?」
『はい、俺一人で二人を運ぶことになりますから、多少潜入に時間がかかると思います。陽動の方気を付けて下さい』
空間がぐにゃりと歪んで、その歪みから鎖を全身に絡めた黒き存在が出現する。
龍崎海(
ja0565)と通話中である無線機を胸ポケットに入れ、只野黒子(
ja0049)は目の前の敵に弓を構え、その傍らで木嶋香里(
jb7748)が盾を持った。
視界を覆うほどの鎖が敵意を持って二人に押し寄せる。
「竜崎さん、今ですっ!」
只野は光の波を纏う弓矢を放ち、無線機の向こう側へ叫ぶように合図を出した。
●
只野と木嶋が敵の気を引いている間、竜崎は別ルートから鈴代 征治(
ja1305)と逢染 シズク(
ja1624)の二人を順に町に運び終え、地にふわりと降りる。
黒神 未来(
jb9907)は自身のスキルを使い気配を消して、地上から町の中へ潜入することに成功したようだ。
潜入が無事に終わり、只野と木嶋に潜入完了の意を伝え、竜崎は無線を切った。どうやら向こうの二人も積極的な戦闘を行わなかったおかげで大した怪我もないらしい。
「では予定道りこれから、私と竜崎さんは資料館に向かうことにします」
「ほな、うちと鈴木君が聞き込みやな」
出来るだけ速やかに役目を果たす為、四人は二手に分かれ行動を開始した。
「───もしもし、今回依頼を担当している久遠ヶ原所属の只野です。依頼を出していただいた担当の方はいらっしゃいますか?」
『あ、お疲れ様です。只今担当のものと代わりますね。先輩、お電話ですっ』
木嶋は引き続き敵の行動パターンを調べる為、敵の射程外から観察を行っている。只野はその間情報を集める為、一時戦線から離脱し、警察の方へ電話を掛けていた。
『はい、只今代わりました、今回の依頼の担当のものです』
電話に出たのは男性の声だ。
「もう私達は依頼の最中ですので、あまり時間は取れません。単刀直入に聞きます、天魔が襲う対象者の条件は何ですか?この町に何度か出入りしているあなたなら知ってるはずです」
男は一つ溜め息交じりに唸り、再び口を開いた。
『不確定な要素が多かったから言うのが憚れるんだが、まぁ、今はそんなこと言ってる場合ではないようだな………これはあくまで俺の推測だが、「逃げる者は追わない」そして「町に住んでいる人々を襲うことは無い」って感じだった。あとは、何だか「自制」のようなものを感じた』
「………自制、ですか?」
『あぁ、それがなきゃ今頃俺は病院かあの世だったろうな』
『──突然来訪してきた法師は異国風の男だった。初めて彼を見たとき、私は、村の者達は、内気だが村を愛す心優しい少年よりも、その法師を恐ろしく感じた』
『──この村に住むあなた方が畏怖の心を持ち、それを忘れない限り、この魔物が世に出ることはないでしょう』
竜崎と逢染は古く日焼けした書物をパタンと閉じる。
そんな二人の近くに立つのは高齢のお爺さん。ここの資料館の館長らしい。
「儂らはこの昔話をただの言い伝え程度にしか思っていなかった。まさか、本当にこのような事態が起こるとはなぁ………」
「お気になさらずに、その為の俺達撃退士ですから。ご協力ありがとうございます」
書物を再び館長に返す。
逢染はため息を漏らした。この物語は、あまりにも悲しい物語だ。不思議な力を持って生まれた少年、果たすべき役目を果たした法師、誰も悪い人が出てこない、出てこないからこそ悲しくなる物語。
「この町の人々に聞いてみたところで、きっと全員詳しい話は知らんじゃろ。儂がそうなのじゃから」
この話がいつの話なのか、そういう情報は一切残っていないらしい。だからだろう、この悲しい物語が人々の間で語られることが無くなったのは。
その結果が「今」なのだ。史実道りに解釈するなら、人々が畏怖の念を忘れたから、魔物と呼ばれた少年が出てきてしまった。
不意に竜崎の携帯が震える。
「行きますか、逢染さん。どうやら黒神さん達がこの史実に出てきた封印の洞穴らしき場所を見つけたらしいです」
「分かりました」
館長にもう一度謝辞を述べ、二人は資料館を後にした。
「こっちこっち、こっちやでー!」
空を飛ぶ竜崎と逢染に、声を上げながら手を振る黒神。
資料館のさほど遠くないその場所。何の変哲もない山の岩肌に不自然に崩れた穴が一つ。
「どうやらこれが出現した期間と、あの敵が出現した期日は一致してた。僕はこの穴が最も怪しいと踏んでいる」
メモを片手に、聞き込み調査の結果を話すのは鈴代だ。
この地形変化の情報をくれたのは、この近所に畑を持つ農家のお爺さんらしい。
「一応用心してな、敵が居るかもわからんし」
四人は武器を構え、光の届かぬ洞窟へと入る。
予めここを調べるにあたって必要だろうと思った鈴代は、辺りをフラッシュライトで照らした。
「………なんや、これ?」
洞穴に入ってから、この少し広めの空間に出るまでの道のりは予想以上に短かった。
光に照らされた暗闇の空間。そこには古くボロボロになってしまっている複数枚の「お札」と、地面の至る所に千切れた「鎖」が残っている。よく見ればこの鎖達は四方を囲む岩肌で固定されてあり、何かを縛り付けていたのだろうかという推測が出来た。
明らかに異質な光景。人知れず逢染は下唇を噛みしめるのであった。
●
各々、情報の収集が終わり一時町から離れた地に集合した。
只野が警察の男から聞いた情報を木嶋が実践に移しデータを取る。確かに敵は「町の方から逃げ去る者」に危害を加えない様であった。
そして、竜崎と逢染が集めた「昔話」の内容。黒神と鈴代が発見した洞穴の内部情報。それらを加味すると、あの敵は昔話に登場した「少年」である可能性が非常に高くなった。
「私は以上を踏まえたうえで一度、あの『少年』と意思の疎通を図りたいと思っているんです」
このまま少年が退治されたら、同じことの繰り替えしだ。悲しい物語の続きを紡ぐことになる。
逢染は真剣な面持ちでこう続けた「この物語を、幸せな形で終わらせたいんです」と。
再び空間が歪み、ぬらりと鎖に身を包ませた例の少年が、鬼が姿を現した。敵と最も近い射程に居るのは逢染だ。
鎖が辺り一面に広がり逢染の四肢を絡めとる。そして即座に、その逢染を吹き飛ばさんとまた別の鎖が勢いよく襲い掛かった。
「───ッ!!」
ガチン。金属が激しくぶつかる音が何度も何度も響き、臓腑を震わすほどの衝撃が一面に広がる。
逢染の前に立ち、鎖の攻撃を受け止めたのは木嶋を中心とした、只野以外の四名だ。各々が自分の武器や盾を構え、鎖を受け止めている。
「逢染さんっ、長くは、持ちませんよっ」
木嶋の忠告を聞いて、逢染はスゥと息を吸った。
「………なぜ、人を襲うのですか?世界と交わり誰かと共に生きていくことは罪でしょうか?」
鎖の勢いが弱くなる。鎖に身を包んでいるから分からないが、明らかに敵の態度に、表情に変化が起きていることが分かる。
「教えてください。出来る事ならば、私達はあなたの力になりたいんです」
『………ボクノ、ボクノコキョウ、ナンダ。ジャマヲ、スルナァアアアッ!!!』
再び鎖に力がこもり、木嶋達は残らず弾き飛ばされた。
「っ!?」
敵意とは違う、殺意のこもった鎖が四肢を絡めとられた逢染に迫る。その勢いはまるで体を貫かんとしているかのよう。
刹那、逢染の視界が爆発に包まれた。
それが只野の放ったコメットによるものだと分かるのは、拘束が解けて体が投げ飛ばされた瞬間であった。
「何とか、間に合いましたね………今の敵に交渉の余地はありません。皆さん、武器を構えて下さい」
あれはもう、人では無い。倒すべき「敵」だ。
物語に「終わり」を書き込む為に、全員は少年に視線を向けた。
●
縦横無尽に動き、変幻自在に伸び縮みする鎖が、コンクリートを叩き割り、木々を根元から凪ぎ、撃退士を捻じ伏せんと暴れ回っている。
戦いが始まった直後は辛うじて意思の疎通を行えそうではあったが、今の少年はただただ意味の無い怒りの咆哮を上げるばかりだ。
「竜崎さんっ」
「了解です!」
そんな鎖の暴風が吹き荒れる渦中に飛び込み、肉薄するのは木嶋と竜崎である。
木嶋が予め敵の動きについて調べておいてくれたおかげで、撃退士達は自分の動きを把握しながら動くことが出来ていた。
一つ目に、敵は拘束を行ってから攻撃を行うという行動が主になっている。
二つ、敵の形態からして敵を察知する能力は「視認」ではなく「気」を敏感に察知している可能性が高い。
そして、拘束を行う対象は自らと最も近い者である。
これらが分かっていれば、いくら敵の攻撃力が高かろうと撃退士達は焦らず動くことが出来た。主に木嶋に向いている攻撃を遠距離組である只野、黒神、逢染が牽制を行うことで威力を半減させる。そして木嶋が盾で攻撃を防いだところで、竜崎と鈴代が立ち代り攻撃を行うといった流れだ。
しかし、一つ問題もあった。
「くっ……」
「竜崎さん、来るぞッ」
最も近づいた竜崎に向かい鎖が飛ぶ、危ういところで鈴代が援護に入り一旦離脱する。
攻撃に使われているその鎖。これの強度が厄介なのだ。敵の全身に絡みついているそれにいくら攻撃を当てようと、全くダメージが通っている感じがしない。本体に攻撃を行うためにはあの外装を破壊しなくてはいけないのに、このままでは敵の一撃をもろに喰らってしまう可能性が濃くなってくる。
竜崎と木嶋、鈴代の疲労が溜まってきているようなので、一旦ここらで敵の射程外へと退避する。
あの少年は何故か逃げる者を追うようなことはしないので、特に難なく全員が集まることに成功する。恐らく敵の大筋の目的は「排除」ではなく「町への侵入の阻害」なのであろう。
「大丈夫か?一番あの鬼の攻撃もらってるんはあんたやろ?」
「はい、大丈夫ですよ。自己回復も行いながらの行動ですから」
心配してくれる黒神に木嶋はにこりと微笑むが、やはり少し疲労の色が見て取れる。
黒神はそんな木嶋達を見てひとつ、何かを決めたように頷く。
「あの、鬼についている『札』を取りに行こう。洞窟の感じから、絶対何かあるはずや。大丈夫、うちに任せてっ」
回復を繰り返す撃退士達。
見るからに疲労が色濃くなり始めているのは鬼の方だ。しかし、それでも敵は何かに憑りつかれたかのように不規則に暴れ回る。
しかし、これは撃退士達にとってあまり喜ばしい出来事ではない。不規則な攻撃は、予測が行いにくく木嶋の負担が更に増えるだけだ。
「いきますよっ!」
只野の指示が飛ぶと同時に、敵の鎖を吹き飛ばすように爆発が続いた。コメットだ。
予め打ち合わせていた通り、その一瞬の隙をつくように鈴代と竜崎が槍を構えたまま、札を剥がさんと肉薄する。
しかし
『アアアアアァッ!!』
「なっ!?」
自らの両腕を覆っていた鎖を解いて、鈴代と竜崎を大きく弾き飛ばす。
あと一歩が届かない。
再び鎖は鬼の両腕に絡みつき、攻撃用や拘束用の鎖は収束し始める。
その時であった。
『───ガッ!?』
張り付けてあった札の中心に闇色の弓矢が突き刺さり、その矢は札と共に霧散する。
何が起きたのか分からないといった風に、鬼は困惑した驚きを見せたまま顔を上げた。
鬼の、少年の目に映るのは、左眼が弓矢と同じ闇色に染まっていた黒神の姿であった。
突如、鎖が空を覆いつくさんばかりに広がり始める。
撃退士達は改めて武器を構えるが、何かがおかしい。鎖は襲い掛かってくることなくただ広がるのみで、よく見れば驚くほどの早さで朽ちて、ボロボロと崩れ、消えていく。
「あ、あれはっ!?」
全員が空に視線を移していた時、逢染が一人声を上げる。
その声でようやく現実に戻った撃退士達。駆け出す逢染のあとを一歩遅れて追いかける。
先ほどまで真黒な鬼が居た場所で地に伏しているのは、白髪でひどく痩せこけた「少年」であった。
長い間「天魔」と接してきた彼女らだからこそ分かる。この少年は、どうやら天使とのハーフのようだ。
意識は無く、今にも消え入りそうな息をしながら眠る少年。
その表情は不思議と、何故か少し嬉しそうであった。ようやく終わったと、疲れたなと、そんなことを今にも言い出しそうな表情をしていた。
●
例の事件が終わって、数日が経った。
「それにしても先輩、本当に久遠ヶ原の方々は一日で仕事を終わらせてしまいましたね」
「あぁ、本当に頭が下がるよ」
案件の後処理作業をこなしながら警察署の男はそう呟いた。
今回の事件の核であったあの少年は、撃退士達の予想通り天使とのハーフであった。未だに意識が戻らないので事実の確認はまた後ほどになるとのこと。
本当に生きているのが不思議なくらい衰弱をしていたとのことだが、今は何とか少しずつ回復しているらしい。
「あの子は、本当にあの昔話の子なのでしょうか。天魔の血が混じっているという事は、不思議な力、つまりアウルを持っていても何らおかしくはありませんし、でもあれだけの時間年を取らずになんて………何だか、信じられません」
「だったらあの話に出てきた『法師』とやらもアウルを持ってたことになるな。ま、所詮昔話だ。警察がそんなもんに踊らされてどうする、物的証拠や証言から事実を導くのが仕事なんだぞ」
後輩の少し煩わしげな「ふぁい」という返事に男は溜め息を吐きながらも、再びあの昔話の参考書類を手に取った。
本当に悲しい物語だ。
だけど、あの撃退士達のおかげでこの物語もハッピーエンドに変われるかもしれない。
あの少年が、長い時を経て、撃退士という「外」の者達に意識を救われ、そして今のこの眠りから覚めた時、今度こそ少年は成長していくことが出来るような、そんな結末に。
これからたくさんの繋がりを得て、これまで長い間辛かった分、幸せになってくれればいいと願う。
「アイツに説教しておいて、俺までこんな気持ちじゃいけないな………仕事するか」
男は今回の案件の書類に「完了」の文字を赤ペンで大きく書き込んだ。
(代筆:久保カズヤ)