あと少し到着が遅れていれば、全ては手遅れになっていたかもしれない。
転移装置で襲われた村の近くにある街へ移動後、佐奈川早苗(jz0280)から託された地図情報を頼りに村の南門付近まで駆けつけた撃退士達の視界にまず入ったのは、小山のような――というのはいささか大袈裟かもしれないが、それほどの巨大さを感じさせる――蜘蛛型ディアボロの威容だった。
「なんとも厄介な虫ね‥‥でかい蜘蛛とか、キモい」
田村 ケイ(
ja0582)の口から呆れたような声が洩れた。
体高およそ2m半、脚も含めた横幅4、5mというところだろうか。
数字だけみれば大した大きさでもないように思えるかもしれないが、動物園で体長2m程度の象や羆を間近で見学した覚えのある人間なら、この大蜘蛛を目撃した撃退士達が受けた威圧感も想像できようというものだ。
その大蜘蛛のすぐ手前に、1人の男が倒れていた。
おそらく今回の「依頼者」である村の撃退士であろう。
上背のある逞しい体つきだが、今は魔装の上から全身をズタズタに切り裂かれ、数知れぬ傷口から溢れた鮮血が彼の体と周囲の地面を赤黒く染め上げている。
とどめを刺そうと思えばあと一撃で頭か心臓を貫くこともできたろう。
にもかかわらず、大蜘蛛は2本の前肢を器用に操って男の体をつまみ上げるや、再び大地に叩き付けたり、鋭い爪先でつついて転がしたりと、あたかも猫が鼠をいたぶるように弄び続けていた。
「‥‥胸くその悪い奴だな」
吐き捨てるようにいうのは紫園路 一輝(
ja3602)。
「あのディアボロを創った悪魔はとんでもない性悪だよ」
彼ら天魔にたてつき、そのくせ捕らえたところで「餌」にも新たなディアボロの「素材」にもならぬ忌々しい撃退士は、見せしめとして可能な限りの苦痛を味合わせてから殺すよう、配下の本能に刷り込んでいるに違いない。
男をいたぶるのに夢中なためか、まだ新手の撃退士部隊の接近には気付いていないようだ。
大蜘蛛の脚に痛めつけられるたび、男の喉から微かな呻きが絞り出される。
つまり、彼にはまだ息がある。
撃退士達は居たたまれない気持ちに苛まれた。
一刻も早く助け出してやりたいが、まずは冷静に状況を把握しなければならない。今ここで焦って突入すれば、それこそ敵の術中にはまるようなものだ。
「聞けばあの男も撃退士としては相当の手練れのはず‥‥それがああも酷い目に遭わされるとは」
紅 鬼姫(
ja0444)が疑問を呈した。
敵は単なる図体のでかい怪物ではない。おそらくベテラン撃退士でさえ窮地に陥れる何らかの特殊スキルを備えているのだろう。
また男が緒戦で切り落としたという何本かの脚も既に8本生えそろっているところから判断して、その回復力も侮れない。
「やれやれこれまた厄介な状況さぁねぇ‥‥と愚痴はこれくらいにして」
軽口を叩きながらも九十九(
ja1149)は阻霊符を発動、魔具の弓を手許に召喚した。
「依頼人の為にもお仕事しようかねぃ」
自ら依頼を持ち込んだあの男を助けるのはもちろんだが、他の村人達を救出するのもまた重要な使命だ。
村の中に撃退士の男以外の人影は見当たらず、代わって9匹の子蜘蛛(といってもそれぞれ体長1mほどはあるが)が周囲を監視するように徘徊している。
村人達は既に北の山中へ連れ去られてしまったのだろうか?
いや。親玉の大蜘蛛がああして居座っている以上、村内の何処かに監禁されている可能性が高い。
単体で襲って来る野良ディアボロならいざ知らず、群として統率された行動を取っている以上、「主」たる悪魔に引き渡すため一般人の村人達はまだ生かしてあるはずだ。
「捕らわれた人達、大丈夫だろうか」
自らも故郷の村を家族もろとも天魔に滅ぼされた山里赤薔薇(
jb4090)は、村人達の安否を気遣い、やはり撃退士だった父親の形見である杖を握りしめた。
「すぐ助けるから耐えてください!」
撃退士達は部隊を2班編制に分けた。
まず全員で村の南門から突入するが、その後は大蜘蛛を直に攻撃する「撃退班」、そして子蜘蛛を倒しつつ西回りで移動、村人の捜索・救助、そして北門で大蜘蛛の退路を断つ「保護班」。
撃退班:紫園路、影野 明日香(
jb3801)、山里、ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)
保護班:紅、田村、ベアトリーチェ・ヴォルピ(
jb9382)、九十九
(GO!)
ジェラルドのハンドサインを合図に、撃退士達は一斉に駆け出した。
南から侵入した新手の「敵」にようやく気付いたか。
八つの複眼を不気味に光らせ、頭部と胸部が一体となった大蜘蛛の上半身がこちらを向き、男をいたぶっていた脚を引っ込めた。
「ふむ‥‥蜘蛛かぁ‥‥。機能美を感じるが‥‥暢気な事も言ってられないね☆」
眼前に迫ってくるディアボロの巨体を観察しつつ独りごちるジェラルド。
確かに蜘蛛という生き物は昆虫とは異質の形態と能力を持ち、生理的な蜘蛛嫌いでなければそこにある種の機能美を感じてもおかしくはない。
そして何より生粋の「捕食者(ハンター)」である。
悪魔がディアボロのモチーフとするのにこれほど適した生き物もそうはいまい。
まっすぐ大蜘蛛に向かう撃退班だが、始めに為すべきことは、まず重傷を負った撃退士の救出だ。
「俺が奴の気を引く。みんな、頼んだよ!」
一輝がリボルバーの銃撃で大蜘蛛を牽制している間、他の仲間達はもはや虫の息となった撃退士の元に駆け寄った。
「お待たせ〜☆ ん、良い漢になっちゃってまぁ♪ ‥‥貴方の覚悟は、お預かりしますよ☆」
ジェラルドの声に、死んだようにぐったりしていた男の瞼がうっすら開いた。
「‥‥間に合ったか‥‥ありがたい‥‥」
一般人ならとうに死んでいる。これほどの深手を負ってなお意識があり口が利けるのも、超人的な身体能力を有する撃退士ならではのことだろう。
幸いディアボロは男の救出に対して妨害は仕掛けてこなかった。
むしろ突然現れた「敵」の援軍を警戒し、一歩後退してこちらの動きを窺おうとしているようだ。
その隙に撃退士達は男の体を抱え、いったん南門の方まで撤退する。
充分ディアボロから引き離したところで、明日香と赤薔薇が回復魔法を施した。
辛うじて一命を取り留めたものの、本来ならすぐにでも街の病院に搬送して本格的な治療が必要なほどの重体だ。
もう少し余力を残していれば彼に南門の守りについてもらう算段であったが、とてもそんなことを頼める状態ではない。
「ここで休んでなさい。後は私達がなんとかするわ」
凜として告げる明日香の言葉に、
「悪いが‥‥よろしく頼む‥‥うっ!」
答えようとした途端、全身の痛みに顔を歪める。
「いったい何があったのです? あなた程の撃退士がここまで追い詰められるなんて」
心配して尋ねる赤薔薇の質問には、
「‥‥奴を、侮るな‥‥一見脆そうだが、あの生命力は‥‥尋常じゃない」
痛みを堪えつつ、男は大蜘蛛が行使する特殊攻撃についてたどたどしく説明した。
「それと‥‥子蜘蛛の方にも油断するな‥‥奴らは――」
そこまでいいかけ、力尽きたようにがっくり頭を垂れる。
「しっかりして下さい!」
「大丈夫よ、気が緩んで意識を失っただけだから。でも‥‥どうやら子蜘蛛にも用心が必要らしいわね」
てきぱきと止血などの応急手当を施しながら、明日香がいった。
男を南門の脇に横たえた後、撃退班4名は再び村の広場に引き返し大蜘蛛と対峙した。
子蜘蛛に関しては赤薔薇がスマホを通して保護班のケイに警告したが、こればかりは実際に戦ってみないことには判断しようがない。
撃退士達が戻って来るとみるや、大蜘蛛の顎から液状化した白い粘着糸の束が消防水のごとく放射された。
直撃を喰らえばこちらは身動きが取れなくなり、そのまま大蜘蛛の間合いに引き寄せられてしまうだろう。
「蜘蛛だけにお約束の攻撃だね☆」
幸い頭部を含む上半身の動きから、この遠距離攻撃の射線はある程度予測できる。
ジェラルドを始め4人の撃退士は、粘着糸の攻撃を避けつつ、大蜘蛛を包囲する形で慎重に接近して行った。
このディアボロを倒す最良の策は、あの撃退士の男が試みたように1本ずつ脚を切断し動きを封じることだろうが、そのためには敵の攻撃圏へ自ら飛び込むリスクを覚悟しなければならない。
「取り合えず先制攻撃は頂きっと」
仲間達に先んじて踏み出した一輝が煌華の鞘を払う。
曲刀から放たれたアウルの刃が一直線に大蜘蛛へ飛び、奴が反射的に頭部を庇った壱の脚に突き立った。
太い節足の3分の1くらいまで食い込むも、攻撃の直後からその傷痕はみるみる回復を始めた。
「‥‥なるほど。確かに回復力はハンパじゃないな」
大蜘蛛が弐の脚を振り上げ、勢いよく大地に踏み下ろす。
ズンッ‥‥と鈍い地響きを上げ、地面に突き立った脚の先から放射状に粘着糸が広がり、近接戦に持ち込もうと突入する撃退士達の足を止める。
「まずあの脚から潰します!」
赤薔薇は粘着糸の範囲外から金の大鎌を振るい、弐の脚を狙い斬りつけた。
「回復する暇なんて与えない。速攻でいくわよ!」
一気に距離を詰めた明日香が、こちらを狙って振り下ろされた壱の脚を金剛布槍で食い止めた。布状の槍が蜘蛛の脚に絡みつき、戻そうとするその動きを止める。
大蜘蛛の参の脚が揺れたかと見るや、突如その巨体が跳躍し、
――ドゴッ!
真上から明日香を押し潰しにかかった。
「くぅ‥‥っ!」
ガスタンクのような蜘蛛の腹に圧迫され、彼女は半ば地面にめり込みながら苦痛の呻きを洩らす。
「こら、レディを下敷きにする奴があるかっ」
横手から突っ込んだジェラルドが大蜘蛛の腹に斧槍を叩き込む。
アウルの力に光輝く斧の一撃はディアボロを横転させ、一瞬だが麻痺状態に追い込んだ。
「ナイス! マスター♪ GJ」
この好機を逃さず再び一輝が肉迫、内なる闘気を全開にした彼の全身は曲刀も含めて金色に輝き、壱の脚を第1関節の部分から斬り飛ばした。
「大丈夫かい?」
「ふーっ。下がコンクリートだったらやばいとこだったわ」
ジェラルドの手を借りて立ち上がった明日香が、髪や衣服についた泥を払い落として戦列に復帰。
大蜘蛛の麻痺が解ける。
脚1本を失いながらも、その戦意はいささかも衰えていない。
中途で切断された壱の脚を振り上げた次の瞬間、肆の脚を軸として急速に方向転換、弐の脚を狙い攻撃を繰り返す赤薔薇に猛然と体当たりを喰らわせた。
「あぅっ!?」
ダンプに跳ねられたような衝撃。
宙高く弾き飛ばされた少女の華奢な体が大地にバウンドし、吐血して苦悶に身を捩る。
だが一般人であれば、この時点で原型を留めぬほど肉体を破壊され即死していただろう。
続いて弐の脚から粘着糸を展開、後方の撃退士には呪縛の糸を吐きつけ牽制しつつ、本物の蜘蛛同様の素早い動きで反撃を開始した。
手数の上では人数の多い撃退士側が有利。しかし大蜘蛛はそれ以上にしぶとく、残り7本の脚から繰り出す攻撃も1発1発が重い。
「凄いな、あの人たった一人でコイツを敗走まで追い込んだのか‥‥」
防戦一方に追い込まれた一輝は、今は南門で眠っている撃退士の奮戦ぶりに改めて敬意を覚えた。
純粋に撃退士としての実力を比べれば、明らかに己より「格上」だろう。
しかし学園生徒ではないフリーの撃退士には、一輝達のように最新の魔具・魔装や戦闘スキルを容易に入手できないというハンデがある。
だからこそ、ここで退くわけにはいかないのだ。
久遠ヶ原学園撃退士としての誇りにかけて。
撃退班が大蜘蛛と死闘を繰り広げている間、保護班の撃退士4人は南門から一番近い民家の扉を開き、中の様子を窺った。
そこで見たものは――。
家族であろうか。中年の男女と子供が2人、全身を白い糸に包まれた繭のごとき姿で居間の天井から宙吊りにされていた。
時折苦しげに身動きしていることから、まだ生きてはいるようだ。
居間の床には1匹の子蜘蛛が鎮座し、シャアアアッと威嚇するように鳴き声を上げた。
「脚いっぱいで眼もいっぱいで‥‥更に大きい‥‥可愛くない‥‥」
日頃は無口なベアトリーチェがぽそっと呟く。
よほど生理的に受け付けない相手だったのだろう。
子蜘蛛を倒し、あの家族を救い出すか?
撃退士達も一瞬判断に迷う。
だが逡巡している暇はなかった。
仲間の声を聞きつけ、外で徘徊していた別の子蜘蛛が近づいて来たからだ。
つまり今の鳴き声は仲間を呼び寄せるため。家の中の子蜘蛛は、あくまで捕らえた村人の監視役なのかその場から動かない。
「外の連中から片付けましょう。山へ連れ去るつもりならここで殺されることはないはず。親玉さえ倒せば、後からでも救出できますの」
鬼姫が提言し、他の撃退士達も民家を出て外の子蜘蛛と対峙した。
「待って」
魔具を構えた仲間達を、ケイが手を上げて制した。
「山里さんからの連絡によれば、こいつには何か隠れたスキルがあるそうよ。確かめる必要があるわ」
スナイパーライフルを構え、有効射程ぎりぎりから子蜘蛛を狙撃。
だが子蜘蛛は素早く銃弾をかいくぐり、粘着糸を吐きながら突進してきた。
ケイも粘着糸を避けつつ、立て続けにトリガーを引く。
2発。3発――。
ついに4発目が命中し、目と鼻の先に迫っていた子蜘蛛は水風船のごとく破裂した。
ディアボロにしては呆気ない最期である。
同時に、黒い霧状のガスが周囲にひろがった。
「これは‥‥?」
粘着糸かと思ったがそうではない。毒ガスでもないようだが――。
霧に触れたライフルが黒く染まり、己の体がじわりと何かに「蝕まれる」のを感じ、ケイははっと目を見開いた。
「不味いわ。腐食ガスよ!」
直接のダメージはさほど大きくないものの、接触した撃退士の装備や肉体を少しずつ腐食させ、時間と共に防御や生命を奪っていく「腐食」の呪い。
しかも厄介なことに、これは単なる回復魔法では解除することができない。
「そういうことだったのね。あの撃退士があそこまで酷いダメージを負ったのは‥‥」
ケイは急ぎ体に聖なる刻印を刻んで自らの耐性を高め、この情報を大蜘蛛と戦闘中の撃退班にもスマホで連絡した。
仲間の破裂音を聞きつけたか、残り8匹の子蜘蛛がわらわらと集まってくる。
「こいつはまた、とんだ伏兵さねぇ」
弓にアウルの矢を番えつつ、九十九はため息をついた。
近距離で仕留めれば確実に腐食ガスを浴びてしまう。さりとて敵の素早さを考えれば、アウトレンジからの攻撃は避けられる可能性が高いだろう。
「仕方が無いの。腐食だけですぐ戦闘不能になるわけじゃないから、後は時間との競争ですの」
鬼姫の言葉にケイも覚悟を決め、残り1回の「聖なる刻印」をまだ幼いベアトリーチェに施してやった。
「もし私達3人が倒れても、構わず北門に行って撃退班と合流するのよ?」
「わかった」
銀髪を揺らしてこくん、と頷いた少女は、次の瞬間スレイプニルを召喚していた。
「やっぱり‥‥召喚獣の方が‥‥ジャスティス‥‥」
彼女的にはモフモフ分が少ないのがやや物足りないが、背中に騎士を連想させる瘤を背負った黒と蒼の馬竜のフォルムは、
(‥‥けど、カッコいい、よ?)
「それじゃ、始めますかねぃ」
周囲を取り巻く8匹の子蜘蛛に対し、撃退士達の一斉攻撃が開始された。
九十九とケイ、鬼姫らが立て続けに矢と銃弾を放つ。
弾幕をすりぬけ近づいて来る子蜘蛛は、スレイプニルが容赦なく蹂躙。
回避こそ高いが防御は紙のごとく薄い子蜘蛛は次々と倒されていくが、そのたび置き土産とばかり周囲に腐食ガスをまき散らし、撃退士達の装備と肉体を侵していく。
子蜘蛛どもを全滅させるのに、そう時間はかからなかった。
撃退士側に重傷者こそいないものの、腐食ガスを浴びた彼らの防御と生命は時間と共に失われていく――確実に。
久遠ヶ原のオペレーターにアスヴァンを含む救護隊派遣を要請した後、ケイは顔を上げ仲間たちの顔を見渡した。
「さあ、撃退班のところへ行くわよ。まだ時間のあるうちに!」
態勢を立て直した赤薔薇の大鎌が金の軌跡を描き、大蜘蛛の弐の脚に深々と食い込んだ。
その直後、ハンズフリーにしていたスマホに着信が入る。
「はい。ケイさん?‥‥ええっ?」
ケイから子蜘蛛の特殊能力について情報提供を受けた赤薔薇は、急いで撃退班の仲間達にもこの件を伝えた。
その直後。
フシュゥゥゥ――‥‥
大蜘蛛の胴体数カ所に開いた気門から、黒い霧状の腐食ガスが吹き出した。
脚狙いのため近距離から包囲していた撃退班のメンバーは、避ける間もなくガスを浴びてしまった。
「あ、やっぱり? 子蜘蛛がやるなら、やると思ったんだ☆」
ジェラルドが軽く肩をすくめた。
このタイミングで「奴」が腐食ガスを放出したのは偶然ではあるまい。
村内に配置していた配下の子蜘蛛どもが全滅か、それに近い損害を受けたことを察知し、やむなく切り札を使った――つまりは、敵もまた焦っている。
間もなく、北の方から複数の足音が聞こえてきた。
子蜘蛛を一掃した保護班の仲間達が駆けつけてきたのだ。
撃退士達は大蜘蛛を南北から挟み撃ちにする形で、最後の総攻撃に移った。
肆の脚を軸にして方向転換した大蜘蛛が高速で突撃してくる。
狙われたのは明日香。彼女は持ち前の特殊抵抗の高さから、腐食ガスのバステからも免れていた。
「諦めなさい。あんたの持ち札はもう全部出尽くしたのよ!」
布槍を構え、ディアボロの体当たりを正面から受け止める。
鎧で固めた彼女の両足が地面に深く食い込むも、驚異的な受け防御で大蜘蛛の突進を食い止め、その場で両者五分の力比べとなった。
「明日香お姉様!」
魔具を小太刀・氷炎に持ち替えた鬼姫が、大蜘蛛の頭部へ斬りかかる。
柄の両端に刃を備えた異形の小太刀が、8つの複眼のうち幾つかを切り裂いた。
大蜘蛛は鬼姫の方を睨み付け、呪縛の糸を吐きつけようと顎を開く。
「余所見してる余裕あるのかしら?」
すかさず一歩飛び退いた明日香が、布槍を繰り出しディアボロの頭部を刺し貫いた。
「ほら、もう一本!」
「逃がしませんよ」
一輝と赤薔薇が相次いで斬りかかり、ついに弐の脚を切断。
「相手の弱い部分を攻めるのは、基本だからね☆」
ジェラルドの全身から赤黒い闘気が滲み出し陽炎のように揺らめく。
それは敵を地獄へと引きずり込む死神の甘い夢。
斧槍が一閃し、参の脚の関節部を半ば粉砕した。
撃退士達は意図的に片側の脚に攻撃を集中したので、バランスを崩した大蜘蛛の動きは益々鈍いものとなってきた。
大蜘蛛はまたもや腐食ガスを放出して抵抗を続けるが、撃退士達は構わず肉迫しての攻撃を続行した。
ボロボロになってもなお戦い続けた、あの男の姿。あれを思えば、自分達の痛みなど何ほどのこともない。
あと一息――誰もがそう思った、その時。
大蜘蛛が深く体を沈めたとみるや、残りの脚全てを伸ばしきって宙高く跳躍した。
撃退士達の包囲網から飛び出し、北側の地面に着地。
そのまま全力で山の方へと逃走を始める。
「そうは問屋が卸さないよ☆」
ジェラルドが温存していたHit Thatの銃撃を放った。
大蜘蛛の尻の辺りに大穴が穿たれ、大量の体液が飛散する。
怪物は立ちすくむかのように動きを止めた。
とどめを刺すべく追撃をかける撃退士達。
あと僅かで追いつくという、その瞬間――。
大蜘蛛は腹と尻の部分、つまり下半身を自ら切り落とした。
信じがたいことに、上半身と残りの脚だけをせわしなく動かし、凄まじい速さで北門を突破し山中へと逃げ込んでしまったのだ。
「‥‥後を追いますか?」
放心したように北の方角を見やる仲間達に、ケイが尋ねる。
「やめとこう。この辺りがお互い潮時さぁねぇ」
一同を代表するように九十九が答え、弓をヒヒイロカネに戻した。
このまま山中へ追撃すれば、確かにあの大蜘蛛は仕留められるだろう。だがそこには新手のディアボロ、さらに「主」たる悪魔が待ち伏せているかもしれない。
撃退士達はまだ若干の余力を残していたが、半数以上が腐食のバステを受けてしまっているため、この上戦闘を続行するのは賢明と言い難かった。
そして何よりこの後も大仕事――一軒一軒の民家に捕らわれた村人達の救出と、彼らを監視する子蜘蛛の駆除――が残されているのだ。
増援の撃退士部隊も到着し、民家に潜む子蜘蛛の掃討が終わる頃には既に日が暮れかけていた。
糸に捕らわれた村人達も全員が無事に救出され、遅れて到着したレスキュー隊の救急車で次々と街の病院へ搬送されていく。
彼らは何らかの毒で体を麻痺させられていたが命に別状はなく、数日も入院すれば全快するだろうとのことだった。
「ありがとう。そして面目ない‥‥今回の件は、明らかに俺の初動ミスだ」
増援のアスヴァンから治療を受け、腐食のバステも解除された撃退士達に、半身を起こして会話できる程度に回復した村の撃退士が頭を下げた。
「そんな‥‥あなたは最善を尽くしたじゃないですか? たった1人で、そんな大ケガまで負って」
戦いの前に目撃した男の惨状を思い浮かべ、ケイが反駁する。
「それだよ。これまで長いこと俺ひとりでこの村を守ってきた。出てくるディアボロも雑魚ばかりだったからな‥‥どこかで慢心しちまってたんだろう。いざという時、すぐおたくらの学園へ通報できるよう用意しておくべきだった」
「それでも、あなたはこの村の人達を救った英雄です。あなたがいなければ、今頃‥‥」
そこまで言って、故郷のことを思い出し言葉に詰まる赤薔薇。
「天魔と戦ってるのはキミひとりじゃないんだよ? 何かあったらいつでも連絡してね、ソッコーで駆けつけるから☆」
気さくな口調でいいながら、ジェラルドが男の肩を軽く叩く。
「それにしても、なぜ突然あんな強力なディアボロが現れたのか‥‥気になるわね」
訝しむような明日香の言葉に、一同は思わず北の山を見上げた。
黄昏時の空の下、山は何も答えずただ黒く不気味にそびえ立っている。
村の人々にとっては長年に渡り豊かな生活の糧をもたらしてくれてきたはずの場所。
だがそこに天魔が介入した時、一転して村を脅かす魔の巣窟と化すであろう。
(いずれあの大蜘蛛以上の敵が現れるかもしれない。でもどんな奴だろうと、今度こそは確実に仕留めてみせる!)
そんな決意を胸に、撃退士達はただ無言で暗い山を睨みつけるのだった。
(代筆:ちまだり)