雨が段々と強くなってていた。自身へ打ち付けられる雨粒を、されどそれを取り立てて気にすることもなく。ベアトリーチェ・ヴォルピ(
jb9382)は手に持った髑髏をゆったりと撫でていた。灰色の髪は雨露に濡れてさらに暗く見える。
「そろそろ……かな……」
大通りに面したビルの影で、少女がポツリと声を漏らす。待つは己に太陽の言葉を冠したヴァニタスだ。
そして雨音が響く中、彼女の通信機が着信を告げた。
ビルの中で身を潜めながら、不知火蒼一(
jb8544)は通信を受け取った。ヴァニタス発見を知らせるそれは、外の様子が分からない彼にとっては非常に有難いものだった。仲間より遅くの行動で、敵が注意を向けてないうちに一撃を叩き込むつもりだ。
少しずつ、緊張感が高まっていった。
「まったく。厄介さねぇ」
仲間にテル及び八咫烏の発見の報を伝えると、九十九(
ja1149)はやれやれといった体でため息を零した。
「発見は出来ても、こちら側が先手を打つのは難しいか」
すぐ傍で黒須洸太(
ja2475)が顰め顔をする。次第に雨脚は強くなり、時間とともに心持ちはどうしても下がる。
状況がそれを少し後押ししていた。
九十九のテレスコープアイ。視力を強化するスキルにより、九十九は八咫烏とそれに騎乗する赤鎧のテルを発見した。
だが。
九十九が八咫烏をその目に収めた瞬間。八咫烏と目が、合わさったのだ。
仕方なしとは思える。彼も、そして洸太も、テルとは一戦を経ている。だが、それでも有利さをとれないのは歯痒く思うしかなかった。
そこからそう遠くない場所にて、エリーゼ・エインフェリア(
jb3364)とキイ・ローランド(jb590)の二人も待機していた。今回は九十九を洸太が、エリーゼをキイが護る形をとる予定になっている。
「足止めは難度が高いですよね……」
エリーゼが声を零した。しかし前回の交戦でも、彼女はテルによる攻撃で、洸太の庇護を受けながらも二人共に重体となった。
それを回避する考えはあり、用意してきている。そして今回も守ってくれる人がいる。ならば頑張る他ない。そう心に決めて空を見上げた。暗がりをもたらす雨空へと。
長く伸ばされた髪。その髪が雨に濡れて重くなる。ふと、己の心もそうあるような気さえする。
弥生丸輪磨(
jb0341)は思いに耽る。テルは、何を思い、この場に来たのだろうか、と。自然の摂理に視界を奪われるも、少し遠くに、テルが見える。いま、彼は進行を留めて宙へ待機してた。
「前の様に、大人しく戻っては……くれなさそうだね」
躊躇うように、思わず唇から音が零れた。微かに漏れたそれは、少しばかり面識のある御堂涼奈の耳に届いていた。
淡い期待はできないですよ。と、涼奈は言った。それに輪磨は小さく頷いて返答する。
テル・ソレーユは手に弓を持ち、炎纏う八咫烏が前進を開始していた。
「……リンドウみたいな奴……」
セメントに叩きつけられる雨音にボソリと音を紛らせた南條侑(
jb9620)。彼は、ビルの屋上で待機していた。進行する敵を視界に入れ、飛び出すタイミングを測る。通り際に一射。タイミングは逃せない。けれど、思考は少し逸れていた。
日中にその猛威を奮うヴァニタス。まるで、晴天の時にその晴れ姿を見せる、竜胆のようだ。
それは、陽への憧れなのか。そう思考を深め、けれど、それを断ち切る。恐らく仲間も行動を開始しているはずだ。自分も可能なことはこなさなければならない。そろそろか。身体を乗り出し、射撃の体勢を整える。
その時だった。また、敵が止まった。地上に視線を這わすと、ベアトリーチェとエリーゼは各々の翼で宙に浮き、キイ、洸太、九十九、現地撃退士の4名が距離を詰めている。輪磨は誰とも遠すぎない位置だろうか。回復に専念すると言っていたことを思い出す。
しかし、誰からの射程よりも、テルは遠くにいた。
その場所で。奴は弓を片手に、一本の矢を引いた。進路の上空へと向けられた鏃に、なぜか少しの不安を感じた。
テルの手元から炎が生まれ、それは矢と共に空へ打ち出された。上空へと飛ばされたそれが侑の視界を猛然と突き進み、雨空を裂く。
そしてそれは、雨空の中、花咲いた。
ズン、という奇妙な音と共に一つの矢は弾け散り、幾多に散らばる炎の雨粒が侑たちに降り注ぐ。
「聞いてないぞ、こんな、攻撃!」
視界に収めた瞬間、すぐに手頃な場所にあったタンクの影に身を寄せる。毒づく彼は、あることを思い出した。大量に現れたサーバントは、そこのヴァニタスが粗方処分したという。つまり、大多数を相手にするには厳しいテルがそれを可能にしたものは。これか。
タンクが音を立てて爆ぜ、水を撒き散らした。それに紛れて一つ、矢が自分にも襲いかかった。
「ッァ!」
炎で形作られた矢が、片腕を裂いていた。堪らず声を上げる。いまだ降りしきる炎の雨。そして傷口へ入り込み続ける雨露が侑へ痛みを与える。
けれど、それくらいで留まる程ではない。
「これくらいで、諦めるわけないだろ」
誰に飛ばすでもなく、むしろ自分を叱咤するように声を吐き出した。多少傷付きはしたが……いける。そう判断した侑は、敵へと視線を飛ばした。そして、進む烏にFeroce M2の音波を叩き込むのだ。
「下がって。自分が前に出る」
キイの声だ。全員が大なり小なり傷を追ったが、キイや洸太にとっては支障はほぼないレベルだ。
しかし、全員が無視できるものではない。ベアトリーチェはその最たるものだ。
「いた……い……」
ベアトリーチェが苦痛に歪ませた声をだした。召喚したヒリュウがで防いではいたが、それも限界がある。四肢はすでに傷を負った彼女にヒリュウが潤んだ瞳を向けてきた。
弱々しい笑みで答えるベアトリーチェ。けれど、退くつもりはなかった。仲間は下がれというが、自分が下がれば目の前のヴァニタスはここを突き切る。それは阻止しなければ。
「私が……止める……」
すでに敵は飛来していた。その進路を塞ぐように、陣取る。決して退かない意思を込めて。
あと少しというところで、テルと目があった。と思うや八咫烏を踏み台に、ベアトリーチェの元への飛び込んできた。
ヒリュウが主を庇うように前に躍り出る。けれど、目の前のヴァニタスは手の内の朱槍を躊躇いなくヒリュウごと、主の元へと叩きつけていた。
急激に衝撃を受けた彼女の視界に写ったのは、雨と共に地へ降り立つ赤鎧の男の姿。
声に出せぬけれど、ごめんなさい、と謝り、彼女の意識は幕を下ろした。
地に降り立った、テル。それを撃退士が出迎えた。
「撃退士か」
雨音の中でも、その声は不思議とよく聞こえた。
「待ちかねていたよ。まだ、借りを返してないからね」
ただの様式美だけど、と言いつつ、洸太が答えた。
言い終わるや否や。テルが後退し距離を取りつつ周囲を見渡す。そこに見慣れた顔を認めたのだろう。表情が曇った。
「あの天使と……」
その先は言い澱んだ。どこか迷いがあったのかもしれない。だが直ぐさま、戦人の顔となる。
「貴様たちが俺の行く道を邪魔するならば、是非もない。全力で――押し通る!」
音もなく、炎の槍が飛来した。狙いは、エリーゼ。だが彼女を護るため、キイが地を蹴り、その進路に盾を翳す。
瞬間、轟音。キイの身を衝撃が襲う。盾すら抜けるソレが全身に渡り、追撃に爆発。盾を縫って叩きつけられる暴風に体が捩れそうになる。
けれど、耐える。超えた死線が、鍛え上げた装備が彼を支えている。だからこそ、不敵な宣言もできる。
「僭越ながら自分が彼女の盾を担わせて貰う」
静かな闘志を、敵にぶつけた。
舌打ちをするテルが炎槍を作製しつつ周囲を見渡す、と、頭上の八咫烏へと弓を引く九十九に目をつけた。八咫烏は屋上にいる侑と戦闘中だ。それを邪魔されるのを嫌ったか、炎槍を一射。
されど、今度は洸太。その進路を邪魔すべく身を置く。そして、古き真言を紡いだ。
「オン・バザラ・タラマ・キリク・ソワカ……蓮華王傍牌!」
瞬時、彼の前に美しき龍を表面に宿す盾を呼び起こした。そこに炎槍は着弾。一度味わった衝撃が身を貫いた。多少なりとも体はぐらつく。だが余裕はあった。そしてすぐに八咫烏対策ために、発煙手榴弾を宙で爆破させる。
「お前が人の地を侵すから、ボクらは君を潰そうと動くんだ」
叩きつけるように声を吐く。敵の事情など関係なく、ただ相対する人形へと向かう凄み。それが、彼を動かしていた。
けれど、それに水差すように、烏の勝ち誇るような鳴き声が一つ。
幾人かが頭上へ思わず目を向けた。彼らの視界の中で、傷つき、意識を失った南條侑が落下していた。
それを輪磨が落下位置へ飛び込むようにして受け止めた。反動で地面を転がり、濡れた身体を痛みが襲う。
ぐったりとする侑は起きそうにない。けれど、致命傷はない。それに輪磨は安堵する。
「よかった……」
死者など、出したくはない。そう思いに、声に出せないある男への気遣いが存在していた。
移ろいだ場の空気を裂くように、テルが疾駆しようと足を踏み出した。しかし――その二歩目は宙より飛び出たアウルの帯が引き止めた。
「いまッ!」
その帯の主、御藤涼奈の叫び。それには瞬時にエリーゼが反応した。キイの元を飛び出し、射線を確保する。
「今度は、確実に当ます!」。
決意を乗せた右手、その指に嵌まる白金の指輪から雷の剣が飛来した。それは意趣返しのように、避けれぬテルに突きつ。苦悶の声をあげるテルへ追い打ちをかけるように、ダアトの小向の一撃が彼を襲う。
――まだだ。
九十九の凍風纏う愛弓に蒼の光が瞬時に宿る。主の元にまで届きそうなその光を溜め込み、一射。いまが好機。これを逃す手はないと記憶と経験も叫ぶ。
【蒼天の下、天帝の威を示せ! 数多の雷神を統べし九天応元雷声普化天尊】
言の葉は、自然と口から漏れていた。それを置き去るように、雷光が宙をかけた。違わず、テルへとそれは突き刺さる。
少しの一息、それをついた九十九の視界に、ビルより飛び出る一つの影が映った。蒼一だった。その手に炎と雷を纏う黒い片刃の直刀を、テルへと切りつける。しかし、九十九の中で一気に不安が膨れ上がった。
回避を促す声を、全力で叫んだ。しかし、それは――。
「この程度では、留まることなど、するものかッ!」
猛り吠えたヴァニタスが遮っていた。
仲間の攻撃に巻き込まれない形で接近し、テルの背後から一打加えた蒼一。けれど、甘かった。
彼の近辺で戦い抜くのは、厳しい。蒼一の足元で瞬時、灼熱を感じる。それは業火となって、足元から炎蛇が飛び出し彼を飲み込んだ。視界が炎に包まれ、抜け出さそうともがいた時には、手遅れだった。
「く、そ……」
震える口でそう言い残して、彼は暗闇に沈んだ。
拘束を解いたテルは、刀を振るいつつ炎槍を三方向へと射出した。エリーゼ、涼奈、小向のもとだ。射線確保のために動いたエリーゼはキイの防御が間に合わない。辛うじて動き出していたために直撃は避けるも、爆風に煽られビルの壁に叩きつけられる。涼奈と小向はそも守りは手薄だった。そして、残りの三本をエリーゼに二つ、小向に一つ叩き込まれた。
重撃の結果は――小向は気絶、涼奈も相当のダメージ。エリーゼは……。
(痛い……)
傷へ雨粒が染みてきていた。裂傷は少ないが、かなり痛い。誰かが自分呼んでいる気もするけれど、誰かわからない。キイか、それとも輪磨だろうか。なんとか目を開けると、テルの姿が薄ら見えた。倒すまで、まだ、届かない。
少しだけ、身体が軽くなる。輪磨のヒールだろう。けれど焼け石に水だった。あと、もう少しだけでも。そう思って腕を上げようとしても、気だるくて動かない。
「あとは……お願い、します……」
地面へと壁からずり落ちて、声にならない声で、辛うじて呟いた。
エリーゼが戦闘不能となり、洸太は唇を噛んだ。効果がないわけではないだろうが、八咫烏は煙幕の中でも効力を発揮している。だが悪態をつく暇はない。
すでにテルは疾走を開始していた。
させるか。身を呈して行く道を阻む。テルが得物を槍に、突きの構えをとる。しかしそれなら、防ぐのも易い。真言を紡ぎ、盾を翳す洸太。その中心へとテルの突く槍が吸い込まれ――穂先が接触の直前、焔となった。
槍が長さを失いながら、刀へと変わる。まずい。だが遅かった。盾をすり抜けた凶刃が、脇腹を引き裂きながら通り過ぎていくのを、膝を突きながら感じた。
しかしテルとて傷は多く受けている。相応に辛さはあるはずだ。そう思い、キイは彼の前に立つ。その彼の手が光を帯びた。
迫り来るテル。躊躇わず、接近した。
「これが盾の騎士の戦い方だ」
言葉とともに神輝掌を解き放つ。テルはそれをよけなかった。ならば好機、とさらに押し込む。
「爪牙を隠しているのは自分だけだと思ったか?」
テルが空気を吐き出した。かなり効いているはずだ。これなら――。
だが。頭上にある顔が、静かな微笑みを浮かべていた。その周囲に、急速に集まる熱気。
「効いた。ああ。だから、仕返そう」
七つの炎槍が瞬間、形成された。冷汗すら湧く前に、三つの炎槍がキイへと突きたった。追撃に炎蛇も喉口をあけてキイを通り抜ける。走る激痛。視界が揺れる。力が入らなくなり、軽く放られてしまう。その間に、テルは先へと進んでいた。
テルが歩みを進める。その先にたったのは輪磨だった。
「……どうして、回復手の僕を狙わないんだい?」
少しの間と共に、輪磨が疑問をぶつけた。
「一度の、恩だ」
それは違う。前回とて、狙わなかったではないか。
「本当に、それだけかい?」
「……黙れ」
その拒絶の言葉は、短いなれど、輪磨を突き放した。彼女の隣を、テル・ソレーユが通り過ぎる。引き止める問いかけは、いまはもう、浮かばなかった。
背中を見せるテルに九十九は鏃を向けた。まだ届く距離。せめて、もう一射を。しかし九十九の耳に、女の声が入った。
「勝負は着いた、と私は思うのだけれど」
「だれさねぇ。こんな時に」
雨粒に目を細めつつ、声のした上を見る。背中に翼を生やす、着物服の人影だった。
「初めまして。私はクレリア。……そうだね。ある男に恩を売りつけた悪魔と言えば、多少は伝わるかな」
「……事情は察したさねぇ」
「それは僥倖なことだ。話が早い。私は、これでもその男のことは気に入っていてね」
視線は九十九へと注がれ続けていた。矢を引く手を離せば容赦ない。そういうことなのだろう。
次第に九十九が弓を下ろすと、悪魔は満足そうに頷き、配下が進む方へと向かっていく。
――行く末を見守る他ない九十九の視界の先で、俯いた輪磨が雨に身を晒し続けていた……。
そして、テル及びクレリアを名乗る悪魔は防衛陣にて猛威を奮う。それは辛うじて間に合った応援部隊の到着まで続くのだった。