夏の午後。広場に用意されたテントの下では学生たちが忙しく動き回っていた。
「……ふぅ……流石に人数が人数なので大変ですね……でも、美味しいって言って貰える未来を考えれば、へっちゃらです」
天麩羅の衣を用意しながら、Rehni Nam(
ja5283)は流れる汗を拭う。
「一月遅れの七夕……それもまた風流ですね」
準備が進んで行く会場を眺め、レフニーは呟いた。
茄子やゴーヤ、パプリカなどの夏野菜を鼻歌を歌いながら綺麗に切り分けているのは藍那湊(
jc0170)である。
「料理はあまり得意じゃねいけれど……切り分けるくらいなら何とか」
「すごーい!」
それを眺めていた小学生たちが歓声を上げる。実際湊の言葉とは裏腹に、野菜はどれも形が整っていた。
特に目を引くのが、別に取り分けられた星形の野菜たち。
「それは何に使うのですか?」
野菜を衣に着けていたレフニーが問う。
「後で、氷何かと一緒におそうめんの上に乗せたら綺麗かなぁって」
えへへと笑う那湊。
「なるほどです……あら、そちらは何を作っているんですか?」
不思議そうに問うレフニーの視線の先では鑑夜 翠月(
jb0681)が一心に小麦粉を練っていた。
小麦粉で作られた生地は細く伸ばされており、一見手打ちそうめんかとも思える。しかし、細く伸ばされた生地はちょうどツイストドーナッツのような縄の形に捻じり上げられて並べられている
「あ、これは折角なので索餅(さくべい)を作ってみようと思いまして……」
恥ずかしそうに微笑む翆月。
「索餅とは中々面白い物を知っているようだ」
と、そこにモノホーンがやって来た。彼は翠月の索餅を一瞥すると、それが奈良時代に唐から日本に伝わったもので、小麦粉と米粉を練って作ることから素麺の原型ではないかと言われている事、かつては七夕の際に食べる物であったことなどを説明した。
「一説には古代中国で、7月7日に病気で亡くなった子供の霊を慰めるためにその子供が好きだった索餅を供えたのが始まりともされている。食べ方にも諸説あり、茹でて味噌をつけることもあるそうだが――」
ここでモノホーンは天婦羅用に温まっているフライヤーを見た。
「ドーナツのように揚げて砂糖や蜂蜜をつけても良いそうだ。ふむ今日は食後の甘味にも丁度良かろう」
「うんうん。何だか豪華な食事になりそうだねぇ♪ 野菜も綺麗に切れているし♪」
丁度、会場に運ぶ食器を取りに来た砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)は翠月と葵の女子力(!)に感心した声を上げた。
「これなら、二人ともいいお嫁さんになれると思うよ♪」
「ええっ!」
真っ赤になって俯く翠月。
「え? あ、あの、だから、僕は女の子じゃなくて男……男の子です……!」
湊の方は必死に否定するのであった。
●
剣崎・仁(
jb9224)は作業用のテントの下で、黙々と折り紙を切って星綴りや網飾りを作り続けていた。
「……こんなモノ、か」
どの飾りも綺麗に整えられており、彼の器用さが出ている。
「……」
一息ついた仁が何気無く傍らを見るとそこでは鈴代 征治(
ja1305)が飾りつけの色紙チェーンを作る作業に没頭していた。
「こう、紙を折って、ハサミで切って、糊をつけて、わっか……と」
どうやら、没頭し過ぎて独り言が出てしまっているのも気づかないらしい。なおも仁が見続けていると――。
「わっかわっかわっかわっかっわかっわっかっわかっわ……? かっわ?」
もう自分でもよく分からなくなっているらしい。
次に、仁は少し向うで楽しそうに飾りを作っている白野 小梅(
jb4012)を見る。
「♪」
此方も本人はとても楽しそうなのだが、飾りが飾りに見えないくらいぐちゃぐちゃである。
だが、それを見つめる仁の表情は何故か穏やかであった。
「……ガキの頃は良くやったような気がする。 いつからだろう……こう言うことをしなくなったのは……」
●
やがて、あらかた飾りを作り終えた生徒たちはいよいよ広場に出て笹を飾る。
「そうなんだ。弟君も元気そうだね」
モノホーンの生徒の一人である翼と話しながら、両手に飾りを抱えて動き回っているのは長幡 陽悠(
jb1350)である。
「皇君も頑張っていたみたいだね……俺も頑張らなきゃな」
長幡は顔見知りの二人の近況を聞き、そう呟いた。
「それにしても、随分立派な笹だなあ」
やがて広場の中央に飾られた笹の前に辿り着いた長幡はその大きさと丈の高さに感心した声を上げる。
「へへっ、スゲーだろっ! 裏の林から持って来たんだぜっ!」
自慢げに笑うのは花菱 彪臥(
ja4610)だ。
「けど、先に立てたのは失敗しちまったかな? 上の方までどうやって飾ろう?」
と、頭を掻く彪臥。
「心配ないよ。じゃあヒリュウ、頼むな」
長幡がそう声をかけると彼の肩に止まっていたヒリュウはきぃと鳴いて、長幡から受け取った飾りを抱えて飛び上がった。
「あ、ボクも行くの!」
それを見た小梅も、飾りを抱えてヒリュウを追っかける……が。
「待てー!」
「きぃぃぃ!?」
小梅はヒリュウを追っかけ回し始めてしまった。
「あはは、そのくらいにしてあげてよ」
苦笑する長幡たち。和気藹々としたものである。
「お? もうだいぶ準備が進んでいるじゃないか」
そこに、お揃いの金魚柄の浴衣を着こんだ矢野 胡桃(
ja2617)と矢野 古代(
jb1679)が連れ立って現れた。
古代は感心したように広場の飾りつけを眺めていたが、そこに突如小梅が飛来した。
「センセー! お帰り〜!」
「お? おおっ!?」
突然小梅に肩に乗られて狼狽える古代。
「お、お父さん!? 一体何なのっ? お父さんから離れてよ!」
学園一のファザコンは伊達では無く大慌ての胡桃。
「あれ? センセーじゃない?」
だが、当の小梅は勘違いに気付くとケロッとした様子で離れてしまう。
「もうっ……」
まだぷりぷりしている胡桃を宥める古代であったが、ふと気配を感じて振り向いた。
「お久し振りです。先生」
そこには、他の調理場にいた生徒と共に料理を運んで来た、華やかでこそないものの紛う事無き浴衣姿モノホーンが。
「久し振りだ。矢野。息災そうで何よりだ。それで、白野は何をしている?」
そう言って小梅の方を見たモノホーンと、小梅の視線が合う。
すると、小梅はニパッと微笑んでモノホーンの方に飛んで行った。
「うわわわわっ!? モノホーン先生、和装もなんてお似合いで! 素晴らしい!」
モノホーンを一目見るなりぱちぱちぱちと手を叩く征治。
「ふむ、馬子にも衣装か? ともあれ息災なようだな」
「モノホーン先生、こんばんは。浴衣姿似合ってますね」
と長幡。
「あれ……? そう言えばお兄さん浴衣じゃないんだね」
モノホーンが何か言う前に、皇がそう声を掛けた。
「いやー……俺は高校になって一気に身長が伸びて、手持ちの裾が足りなかったんで……」
苦笑いする長幡。
「あれ……でも確か……」
「うん! 古着屋さんから纏めて降ろしてもらった浴衣、まだ一杯余ってたよー!」
樹生に笑顔で応じる司。
「こんちはっ! あ、先生も浴衣着てるじゃんっ! いいなー俺も後で着たいなー……まだあるって本当か!? サンキュ!」
ジャージ姿の彪臥も大喜び。そして、長幡と彪臥は皇と司に押されるようにして着替えに向かう。
その途中、長幡はふとある事を思い出してモノホーンの方を振り向く。
「そう言えば、先生最近お墓参りに行かれたんですか? いえ、この前先生が花束を買っている光景を見かけたんです。……もし、学園内に先生のお知り合いのお墓があるなら……」
「いや、あの時かなり遠くまで足を延ばした。気持ちだけ受け取っておこう」
長幡もそれ以上は尋ねず歩いて行った。
●
その後も準備は滞りなく進み、やがて準備が終わった時には夜になっていた。次々と星が増えていく夜空の下、苑邑花月(
ja0830)はやや緊張した面持ちで人を待っていた。
「いつもなら……私より早くに居る、のに、珍しい……何もないと良い、のです、けれど」
花月がそう心配そうに呟い時。
ようやく鈴木千早(
ja0203)が現れた。
「すみません。遅くなってしまいました」
ぱっと明るい表情になる花月だったが、その千早が彼の兄である鈴木悠司(
ja0226)を同伴していたために、思わず驚いてしまう。
「……! 先輩?!」
「待たせてすみません。今晩は」
千早は花月に微笑すると、改めて悠司の方を振り向いた。
「ちーちゃんに引っ張られて来たけど……大切な人って花月さんだったんだね」
微笑する悠司。
「ああああの、こ、ここ、こんばんは。その、今後……とも、宜しくお願い致しま……す」
ぺこりと頭を下げる花月。
「これが、俺の大切な人。花月さん、行きましょう」
そう言うと千早は微笑し優しく花月の手を取った。
「……じゃあな、お前はお前で過ごせ」
素っ気なく兄に声を掛ける千早。
「ん。幸せに、ね」
笑顔ではあるがどこか虚無的な雰囲気で応じる悠司。それでも、彼はこう付け加えた。
「……ありがとうね。ちーちゃん」
「……時化た顔されてたら鬱陶しいからな」
そして、兄弟は別れるのだった。
●
飾り付けも終わり、素麺と索餅、それに精進揚げも既に用意され並べられている。後は七夕のメインイベントである短冊作りである。
「はい、もしまだ無かったらこれ使ってな♪」
亀山 淳紅(
ja2261)は既に自分の分を作り終え、他の生徒に穴を開けてひもを通しておいた五色の短冊を配っていた。
「七夕か、そういえば今年はばたばたしててやれてなかったからな……いいもんや」
短冊を受け取って嬉しそうに駆けて行く小等部生徒たちを見ながら淳紅は微笑んだ。
こうして、生徒がそれぞれの短冊を作る中、オーストリアでの生活が長かったイツキ(
jc0383)は物珍しそうに広場を歩き回っていた。
「聞き及んではいたが、初めてだ。笹に願い事を書いた紙を吊るすのか、面白いな」
近くの生徒から短冊を受け取ったイッキは早速机で願い事を書こうとするが、その時短冊以外の様々な飾りが目に入った。
「この変な物達も面白いな。どうせなら、妹にも体験してみて欲しかった……ああ、妹よ! 兄だけ楽しんでゴメンな! でも、何時でもお兄ちゃん、お前の事を考えてるぞ!!」
イッキそう一人で叫んだ挙句、今度は頭を抱えて悩み始める。
「そうだ、願い事……やはりここは妹の事だろう! 変な虫が付かない様にとかか? 嗚呼、でも妹が選んだのだ! 優しく見守るしかないのか! 何という事だ……!」
多少は願い事に悩む生徒もいるとはいえ、イツキの様子はどうみてもおかしい。だが、本人は一向に気にせず悩み続ける。
「違う、違う! 変な事は考えずに、願い事だ! そうだな……よし」
ようやく決まったのか、猛然とペンを走らせる。
一方、シロ・コルニス(
ja5727)は不思議そうな様子で一緒に参加していた友人のカーディス=キャットフィールド(
ja7927)に問う。
「かれはなにをしていますか? タナバタとはなんですか?」
そのすぐ隣では同じようにUnknown(
jb7615)がΩ(
jb8535)に。
「ななばたって何するのだ?」
と尋ねている。シロもその格好からして異邦人だが、彼に至っては悪魔だ。無理も無いだろう。
「我知ってる、ローソクを持って菓子類を強奪するのだぞ母。実に悪魔らしい雰囲気の祭りだ」
得意そうに応えるΩだったが。
「ふむ。それは万聖節、ハロウィンだ」
通りがかったモノホーンが訂正。
「コホン……あとたなばただよ読み方」
咳払いして誤魔化しつつ、読み方を訂正するΩの顔は少し赤い。一方、シロはΩからも望む答えがえられなかったので尚も疑問を抱いている。
「キトウではないですか、ミコがいませんから。アマゴイはきっとこのクニにはひつようないですね。とてもフシギなものです」
「どう説明したら解り易いでしょうか……つまりですね……」
カーディスはこのシロにも理解できるよう丁寧に説明を行う。
シロは、教えられた通り短冊を受け取ると、そこに何事か書いてカーディスに見せた。
「これはこうする、できてますか? ……よかった。これで、いっしょにタナバタ、オモイデになりますね」
そして、彼らもそれぞれ短冊に願い事を書き始める。
●
そして、笹につけられた短冊が夜風に揺れる中、夕食が始まった。
淳紅は用意された料理を前目にすると、傍らのレフニーに微笑む。
「美味しそうやな。レフニーも手伝ったんやろ? 楽しみや」
真っ赤になって俯くレフニー。
一方、征治の方は夢中で素麺を賞味していた。
「ん〜、このさくさくつるつる! これぞ日本の夏! いや〜、お昼ご飯抜いて来て良かった〜!」
笑顔でネギや茗荷をつゆに加えつつちらりとモノホーンの方を伺う征治。
モノホーンはその巨大な手には明らかに不釣り合いな箸を器用に扱いつつ、ちゅるんと白い麺を吸い込む。大きさの比率がおかしいことを除けば非の打ちどころのない完璧な作法である。
「さ、流石です……!」
何故か感動してガッツポーズを取る征治。
一方、こちらでも生徒たちが和気藹々と素麺を味わっている。
「やっぱり、素麺に氷が浮いていると涼し気ですよね。このお野菜も凄く綺麗です」
と、那湊の盛り付けに感心する翆月。
「えへへ、みんなが喜んでくれたら嬉しいですっ♪ ふわー、この『さくべい』も揚げたてで凄く美味しい……」
那湊も索餅に称賛を惜しまない。
「ふふふ、ありがとうございます」
「わーい! ドーナッツだぁ!」
小梅も大喜びで索餅を食べる。厳密にはドーナッツではないのだが、揚げて砂糖をまぶしているので食感は確かに似ている。
「いやークイモノいっぱいあるなー迷うなー、全部喰おう、やっほーい!」
Unknownも片っ端から料理を平らげる。
「器まで食ベルヨわっしょーい!」
「はしゃぎ過ぎだよ母恥ずかしい」
ぼそっと突っ込むΩだが、ちゃっかりとかなりの量の索餅を食べている。
「こうなったら花火もあゲようたまやー!」
「だからやめなって母……」
一方、こうした喧騒から少し離れた所では何となく一緒になったハル(
jb9524)と 嶺 光太郎(
jb8405)がベンチに座って料理を食べながら星空を見上げていた。
「七夕……って美味しいんだね」
とハル。
「まあ、ちょっと違う気もするが……間違ってもいねえか。何にせよ、こういう七夕もいいもんだ……」
相槌を打つ光太郎。こうして二人は同時に素麺をずるずると啜り、精進揚げを齧る。
「うん……こうやって空の下、で食べるのも、美味しい、ね。皆が居るから……かな。星達、に見守られてる気がするし」
そして、ハルは皆がわいわいと食事を楽しんでいる広場の真ん中を見た。
再び広場の真ん中にて。
他の生徒たちが食事を楽しんでいる中、胡桃だけは少々面倒そうな様子で自分の前に置かれた綺麗なままのつゆをじっと眺めていた。
「……ご飯より、星とか短冊とか」
ぼそりと呟いた胡桃を隣の古代がめっ、という目で睨む。
「モモ」
「……冗談です食べます……お素麺くらいなら……」
食事には興味がないが養父に心配を変えるのは嫌だと、少しだけ素麺をとって食べる胡桃。やがて、流石にこれ以上は食べられなくなったところで古代が優しく声をかけた。
「よし、じゃあ散歩に行こうか、モモ」
「うんっ」
可愛らしく頷いたモモはぎゅっと古代の浴衣の袖を掴む。
そのまま、二人は人気の無い方へ向かう。
「綺麗だねっ、お父さん」
胡桃は食事の時とは打って変わって嬉しそうに星空を見上げる。
「なあモモ」
そんな胡桃に呼びかける古代。その表情は何故か曇っている。
「今は、今はこのままで居たいな。ずっと居たいけども……」
「え?」
胡桃とは対照的に、下を向きながら紡がれた古代の声は、しかし胡桃の耳にはほとんど聞こえなかったのかもしれない。
「あ……いや、その浴衣、似合ってるよ」
慌てて、笑って誤魔化す古代。その服の裾を胡桃は改めてぎゅっと掴んだ。まるで、決して離すまいとでもするように。
「モモは、ずっと一緒にいるよ?だって……モモは父さんの『家族』だから……」
●
古代と胡桃が散歩に出るのと前後して、他の生徒たちも各々食事を終え思い思いに周囲の散策を楽しんでいた。
「えへへ……」
広場に設置された大きめの噴水の側で、レフニーは照れ笑いを浮かべながら淳紅にぴとっと抱きついた。
「連日暑いですけど、今夜は風で涼しいから……こうやってくっつけるのが、何だか嬉しいです」
「せやな。こうすんのも結構久々や。でも……手繋いでるし、あんま涼しくは感じへんのが玉に傷やな」
淳紅の方も頬をほんのり染め、首を傾げて見せるのだった。
そして、噴水の反対側ではケイ・リヒャルト(
ja0004)とセレス・ダリエ(
ja0189)が裸足の足を噴水に浸して、時折ぴちゃぴちゃと水を跳ねあげつつ満天の夜空を見上げていた。
「あたし達が見ているのは幾万年も幾億年も昔の光。何だか不思議よね。まるで魔法みたい。そう、思わない?」
ふと、ケイが歌を止め傍らのセレスに語りかけた。
「本当に不思議……ですね……」
同意しつつケイの方を向いたセレスは、丁度此方を向いて微笑むケイと目が合った。
「見えなくとも、常に其処に存るモノ……何時でも在るモノ沢山の事を照らしてくれる、不思議な輝き……瞬き……」
何故か、少し照れてもう一度空を見上げたセレスはそんな感想を述べる。そして口にこそ出さないがこんな胸中に渦巻いていた。
(私は……ケイさんも、そうであって欲しい……何時か消えてしまいそうなヒトだから……星の様に燃える輝き。そして……瞬く……)
「そして、私がこの世に生まれて、この広い世界でセレスに出会えて、こうして今、隣にセレスが居る。まるで奇跡。まるで魔法。凄いことよね」
「私も……そう、思います」
その返事を聞いたケイは先程笹に吊るした自身の短冊を思い出した。
「願い事……か。そう言えばそう言う風習が在っても書いたことって無かったかもしれない。今回はいい機会だったわ」
「ケイさんも同じなのですね」
――ケイさん、少し嬉しそうにも見える……この人が、こうして何時も在れば良い……だから……私が願ったのは……
セレスはそっと目を閉じるのだった。
「星空、綺麗ですね……でも、織女と牽牛は一年に一度しか会えない、か」
噴水から少し離れた花壇の辺りを歩きながら、千早は花月に語りかける。
「1年に1度の逢瀬……花月、だったら……どう想うでしょうか。その日、を……楽しみにするでしょう、か。それとも。毎日、を……嘆き悲しんで過ごすでしょう、か」
千早としっかり手を繋ぎつつ、夜空を見上げる花月。
「僕らはこうして、何時でも会える。嬉しい事ですね」
花月の声がどこか不安気だったせいか。千早は力づけるように言うと、改めて花月の手を握りしめる。
「え…」
「本当に嬉しいんです。僕は、花月さんと居るだけで、その笑顔を見るだけで、幸せです。来年も、一緒に過ごせれば嬉しいです」
繋いで手から伝わってくる千早の温もりを感じながら、花月は頬を染めた。
(何だか、その…関係性が変わって、まだ間も無くて…慣れませんけれ、ど……千早さんは千早さん、花月は花月の侭…ですもの、ね)
そして、花月もまた幸せいっぱいの笑みを浮かべ、千早の手を握り返すのであった。
●
「本当に此処ら辺では珍しい程、星が見えるな……」
星空を眺めつつ、一人辺りを散策していた仁はいつの間にか広場にある一番大きな街路樹の下にまで来ていた。
「手を伸ばしても絶対に届かないこの星の光達。何万年も前の光。不思議なモノ……」
立ち止まった仁は、どこか遠くを見るような目つきでゆっくりとその手を星空へ伸ばしていく――と。
「なんだ汝アレが取りたいのか? それならこっちの方が近いぞ」
「!?」
突然仁の頭上から声が降って来た。と驚く暇も無く舞い降りてきたΩが仁を掴んで街路樹の上の方にある太い枝まで急上昇!
「な、何を……! て、お前、おんなっ!?」
それは、もう思いっ切り動揺する仁。いきなり空を飛んだことでは無く、自分を運んでいるのが少女であることが原因のようだ。
だが、Ωはお構いなしに仁を見晴らしの良い枝の上にそっと降ろす。
「まったく……」
ぼやきつつも、気を取り直して周りの様子を伺った仁は、そこに幾つか人影がある事に気付いた。
「大丈夫ですか?」
仁よりは少し低い位置にいた紅 美夕(
jb2260)が心配そうに尋ねる。
「取り合えず、一人で暇そうにしてる奴を連れて来たぞ母」
当のΩは一番太い枝に悠然と座るUnknownに肩車して貰いながら、まだ索餅を齧り何かのジュースを飲んでいる。
「うむ。此処なら星も綺麗に見えるからな……流石は後に我輩の棺になるだけのことはある」
そう言って、手を伸ばして頭を撫でるUnknown。それっきり、樹上の学園生たちは無言で圧倒的な天の川と星空を眺め続ける。
「母の血の色みたいだね……願い事をこんなので願うなんて人間って変なヤツ」
やがて、Ωが小さく呟いた。
「そうだな。七夕だけでなく、星に興味を持つ奴が増えれば良い……」
落ち着きを取り戻して、ひたすら見入っていた仁が、半ば無意識に相槌を打つ。
「星の光って何万年の前の光……星の記憶なんだよなっ?」
やはり、木の上に昇っていた彪臥が誰にともなしに呟いた。
「星の光がこうやっていつかは届くように……今はどこかに行っている俺の記憶もきっといつかは俺の元に戻って来るんだよな……うん。信じて待とうっ! 短冊にだって書いたしさ……」
そして、彪臥も何かを掴もうとするかのように星空へ向かって手を伸ばした。
仁たちがいる木の下では、逢瀬の終わりにレフニーが淳紅に笑いかける。
「ジュンちゃんは短冊、何て書きました?」
だが、淳紅は人差し指を口に当て悪戯っぽく笑う。
「私は……『これからもずっとジュンちゃんや、他の大切な人達と居られますようにっ』て……そう、ずっと……ずっと……」
「レフニー……」
真剣な眼になってじっとレフニーを見る淳紅。
レフニーはその目を状面から見つめ返し、そっと目を閉じると静かに顔を近づける。やがて、数多の星々が夜の地上を優しく照らす中、二つの人影が一つになる。
――私は……ずっと傍にいるから……
●
人気の無くなった広場には、ただ短冊と様々な飾りでかざられた笹だけが星明かりの下で夜風に揺れている。
淳紅の紅い短冊は、レフニーの白い短冊と重なり合うようにして揺れている。そこに願われていたのは、淳紅自身の芸事の向上、そして――『彼女の願いが叶いますように』という一節。
『いつかこの思いを伝えられますように』
これは、笹の下の方にこっそり吊るされている翠月の緑色の短冊に書かれた願い。
『つよくなったらもういちどむらをたちなおらせます』
黒いカーディスの短冊と並んで揺れる白い短冊に書かれているのはシロの願いだ。
寄りそうに様にして星明かりに照らされるケイの黒い短冊とセレスの黄色の短冊にはそれぞれの願いが書かれている。
『セレスとのこの魔法のような時間がずっと続きますように』
『ケイさんと一緒の時間が、ずっと消えません様に』
一方、此方の短冊は二つとも真黒なのだが、大きさが違うのと何より字が違い過ぎて二人の人物によるものだと直ぐに解る。
やや大きい方に凄まじく汚い字で書かれているのはUnknownの願いか。
『たくさん、いろいろくう あとむすめにいろんなともだちつくらせる』
もはや願い事ではなく目標のような確定した言い回しである。一方やや小さな方に妙に小奇麗な字で書かれているのがΩのそれ。
『母が元の姿に戻って還る事ができますように』
何だかんだ言ってもお互いを思いやるような願い。それは少し下の方にある胡桃の赤い短冊と、古代の黒い短冊にも書かれていた。
古代の短冊は胡桃の短冊に隠れて見えない。そして、胡桃の短冊にはこう書かれていた。
『大切な人たちが元気で過ごせますように』
『父さんがずっとずっと幸せでありますように』
一方、割合近い所にある二枚の黄色い短冊はジェンティアンとケインのものでそれぞれ肉親に対する愛情が書かれていた。
『大切なはとこが幸せでありますように』
これはジェンティアンのもの。一方、ケインのものはというと。
『妹かわいい』
微妙に違う気がするが多分気のせいであろう。
『三色団子(餡子無し)が食いたい』
光太郎に至ってはこれである。しかも、ご丁寧に赤、緑、白の三色の短冊に同じ願いを書いて吊るしている念の入れよう。
他にも、無数の色とりどりの短冊が揺れる広場をモノホーンはゆっくりと散策する。ほとんどの生徒は帰るか、少人数で別の場所に星を見に行っていたが何人かはまだ広場に残ってモノホーンの周囲で短冊を作り続けていた。
「センセー! 出来たー!」
満面の笑顔で顔を上げた小梅の白い短冊は、一見黒に見えるほどぐちゃぐちゃに塗りつぶされたようで何が書いてあるのか容易には読み取れそうもない。
だが、モノホーンはそこに彼女の友人らしき名前が読み取れるのを見て、彼女が友人の名前を片っ端から書いたことを理解した。
「よく頑張った。その優しさはきっと友人たちにも伝わるだろう。さあ、付けて来ると良い」
小梅はびゅーん、と笹のてっぺんまで飛んでいく。
「うりゃ〜! 僕も出来ました〜!」
やたら気合いの入った声で掲げて見せた湊の青い短冊には力強い字で。
『好きな人たちを支えられる男になる!』
と書かれている。
「この学園、そして人間界に来てまだ日は浅いけど、出逢った人やこれから出会う人を
励ますことができる、かっこいい男になりたいんです! そのためにアイドル部の見習い部員にもなったんだし!」
やたらと盛り上がる湊。と、そこに歩いて来たハルがぽつりと一言。
「あいどる……?」
「そう、アイドルというのはあのお星さまのようなもののことです……ああ、お星さま。あなたみたいにきらきらした存在になれますように!」
「どうだ? 願い事は決まったのか?」
モノホーンが尋ねると、ハルは少しだけ微笑んだ。
「うん……ハルの願い事、は……織姫と彦星が、いつでも、一緒に居られますように…って、書く、よ」
「ほう」
興味深そうにするモノホーン。
「だって…織姫と彦星は…1年に1回しか会えない、んでしょ? いつでも会えれば良いのに、ね……1人は寂しい。それは、ハルが一番、良く知ってる。土牢……に居る時、1人はとっても寂しかった……誰か、来てよ……って思ってた」
モノホーンは何も言わず、只真正面からハルの言葉を聞いた。
「そんな想い、を……織姫と彦星がしない、よう、に」
照れ臭そうに自分の白い短冊を差し出すハル。
「その優しさは、いずれお前の撃退士としての武器に必ずなるだろう……良い願いだ」
「……?」
ハルは良くわからない様子だったが、それでも褒められたことは解ったのか、また少しだけ笑った。
「さて……鈴木よ。まだ、天魔も人も全て無に帰すのが望ましいという心境か?」
モノホーンはそれまで沈んだ顔つきで彼の後ろに着いて来ていた悠司を振り向いた。はっとした表情でモノホーンを見返す悠司。
「これだけ数多の人の、天魔の生の営みと望みを垣間見て、それでもなおそれを無意味だと感じるほどにお前の心は虚無なのか?」
責めるのではない。むしろ穏やかにモノホーンは問うた。
それに対し、悠司は俯いたまま答える。
「解らないんです……。全部が嫌になっちゃって……逃げだって解っているんだけれど……!」
「誰しもそのように感じる瞬間はあるものだ」
「先生、俺、きっと迷ってる……んだと思います。先生は迷われましたか? 今までどのくらい……そして、今、が、在ると言う事を如何感じていらっしゃいますか……?」
「以前、桜の木の下で会った時にも言ったな。人は後悔を抱いて成長するのだと。迷いもそれと同じだ。迷いとはより良い方向を模索する精神の働きでもある。常に私は迷っている。今であれば、どのようにして生徒たちを教え導くのかということで」
「いつでも、迷っている……?」
意外な答えを受けて言葉に詰まる悠司。
「人は多かれ少なかれ迷うものだ。ただ、それが小さな事ならば良いが、余りに大きなことであったり、抽象的なことであったりすると迷っている自分が全てだと錯覚するのだろうな」
「迷っている、自分が、全て……」
はっとなる悠司。
「迷いを否定することは出来ない。それは、成長の否定だ。だが、迷いに支配されても好ましくない。それは時に自分自身の否定に繋がる。今の言葉に何か感じるものがあったのなら、焦らず今一度己と戦うがよい。何、人によって立ち塞がる壁の高さも、暗いトンネルの長さも違うものだ。焦る事は無かろう」
二人は、無言で星空を見上げる。星々が優しく輝いて二人を照らすのであった。