「……っ!」
旅館一階。露天風呂から館内に突入した撃退士たちの中で真っ先に周囲の状況を確認して唇を噛んだのは光坂 るりか(
jb5577)であった。
呆然とする彼女の足元には、カップルと思しき男女の遺体。恐らく男性が女性の手を引いて必死に逃げようとしたのだろう。
手をつないだままの遺体は、背後から脇腹を無残に切り裂かれ、大量の血液が瀟洒な露天風呂に流れ込んでいた。
ぎゅっと目を閉じるるりかの耳にどこか遠くから人の悲鳴が響いて来た。
「ここには笑顔があったはずなのに……平和で幸せな時を無慈悲に奪い取られ、今この場は恐怖と混乱で満ちている。早く、助けないと……っ!」
るりかの想いには誰もが賛同するだろう。
――ただ、彼女が注目すべきであったのはその傷。まるで、背後から高速で追いついて来た相手にすれ違いざまに剣で横一文字に切り裂かれたようなその傷跡ではなかったか。
「もう、こんなに犠牲者が……」
呆然としたのは龍崎海(
ja0565)も同じだ。彼は、犠牲者が相当数になるであろうことを理解して呟く。
「可能な限りの救出って……こういう意味か……」
撃退士の多くは、一人も犠牲者を出さない覚悟で作戦に臨んでいたが、通報から到着まで時間差が生じてしまう以上、不可避の犠牲者が出てしまうことも当然であった。
「……いや」
頭を振った海は、即座に思考を切り替えた。
「とにかく、一人でも多くの人を助け出す……やっと冥魔勢から群馬を解放したんだ、特に天界勢に好きにされてたまるか
医学を学んだ効能か。彼は即座に失われた命については割り切り、今自分が出来るだけの事をしようと決めたのである。
「全く……!」
同様に、周囲を見回しながらシルファヴィーネ(
jb3747)はやるせない表情を浮かべた。
「悪魔も天使も自由に暴れ過ぎなのよ……!
そして、彼女は武器を構え、一行は奥へと慎重に進み始めるのだった。
◇
「いやに静かね……」
シルファヴィーネ(以下シルヴィ)の言う通り不気味なほど静まり返っていた。彼女は耳を澄ますが物音はしない。
「……生存者だと思う」
生命反応を検知した海に従い、急いでそこへ向かう一行。
「良かった……無事だったのですね」
背に傷を受けて物陰に隠れていた女性をるりかが助け起こす。
「大丈夫だ。傷はそこまで深くない」
傷の具合を見た海は即座に応急手当を施したが途端に表情が険しくなる。
「……来たのか?」
最後尾にいたZenobia Ackerson(
jb6752)が、海の様子に気づき銃を構える。
「多分サーバントだと思う」
そう答え、自らも武器を構える海。
「やれやれ……重体の身で挑むには骨の折れそうな任務だが……嘆いても仕方ない。今出来る事を全力で、そして最速でやるまでだ」
Zenobia(以下ゼノヴィア)がそう言った瞬間、通路におよそこの旅館には不釣り合いなものが姿を現す。
通常の虎よりも一回り大きなそのサーバントは、獲物を認識した瞬間その牙を床と水平に変形させた。
◇
「何よ!? この速度!」
最初に悲鳴を上げたのはシルヴィだった。剣虎の疾走する速度はそれくらい凄まじかった。しかし、四足獣のサーバントであれば意外な能力とは言い難い。むしろ、予測されてしかるべき範囲であろう。
「ここは、私が食い止めます!」
真っ先に前に出たのはるりかだった。撃たれ弱い他のメンバーと重体者及び救助の対象を守るためだ。
だが、るりかは旅館の通路を疾走し跳ね回る虎を全く補足しきれず、得意の格闘戦に持ち込む事すら出来なかった。
これはるりかの実力云々というより、むしろ意識の問題であろう。
るりか以外のメンバーのほとんどにもいえることだが、彼らはこのサーバントと直接対峙した際の戦術については余り具体的に考えていなかったのだ。
「これじゃあ、フェイントなんて……あうっ!」
るりかの背が切り裂かれ鮮血が飛び散る。その傷跡は、ついさっき確保した生存者の、そしてここに来るまでに見た死体の傷に酷似していた。
大地を駆けながら水平に変形させた牙を剣の用に使いすれ違いざまに切り刻む。
これこそが剣虎の戦法であった。
やがて、猛攻を中止した剣虎は一旦距離を取り低く身を伏せた。その爛々と輝く眼は誰から止めを刺そうか思案しているかのようだ。
「来るぞ!」
ゼノヴィアが叫ぶと同時に剣虎は大きく跳躍した。
その牙の切っ先には――
「しまった……!」
シルヴィが叫ぶ。剣虎が狙ったのは救助したばかりの民間人だった。
「……これ以上の悲劇は、起こさせませんっ!」
牙が民間人の体に達する瞬間、必死の表情でるりかが立ちはだかった。直後、剣虎の牙がるりかの脇腹を深く斬る。
悲鳴すら上げずにどさりと倒れるるりか。
海が民間人を庇い、その二人を守るようにゼノヴィアが威嚇射撃を繰り返すが、剣虎は深追いせず再び距離を取る。
「く……まだ来るのか!」
更に、生命探知で接近する反応を感知した海が叫ぶ。やがて、通路の反対側からもう一体の剣虎が姿を現した。
「……やってやるわよ!」
シルヴィはそれでも味方へは攻撃させまいと敵に打ち掛る。
海もシルヴィ同様、るりかと民間人をゼノヴィアに託すと果敢に剣虎へ仕掛けた。
だが、対策が出来ておらず、戦力的にも不利な状況にもある二人は徹底的に翻弄された。
回復能力を持つ海はまだしもその戦闘スタイルの特性上防戦に弱いシルヴィが倒されるのは時間の問題であった。
「背中を狙えば……!」
シルヴィは跳躍し、武器を振り降ろす!
剣虎の背が斬られ、血が飛び散るが――。
「浅い……!」
そう言ったシルヴィにもう一体の剣虎が跳躍してシルヴィと空中で交錯。地面に叩き付けられたシルヴィの体は深く斬られていた。
「シルヴィ!」
叫ぶ海は槍で牽制するが、もう一体は容赦なく目標をゼノヴィアたちに移す。
「これ以上行かせるものか……!」
ゼノヴィアも敵に銃を連射した。だが、重体で体が言うことを聞かず、集弾率が低下していることもあり剣虎は凄まじい勢いで接近する。
「く……」
絶対絶命と思われた時、ゼノビアの発砲音に別の銃声が加わった。通路の彼方から放たれたそれは着弾した床から破片を巻き上げながら剣虎の進路を薙ぐ。
その破壊力に、闘争本能を剥き出しにしてシルヴィに止めを刺そうとしていた剣虎も思わず怯み足を止める。
呆然とする撃退士たちの目の前に現れたのは、秋田犬の頭部を持った軍人犬。
「こいつは……」
呆然とする海。距離を開けていた剣虎が低く身構え飛び掛かろうとする。だが、それより早く軍人犬が手榴弾を投げつけた。
剣虎はこれに気づき、素早く跳び下がった。が、手榴弾は地面に激突しても爆発せず、明らかに不自然な動きで転がると、的確に剣虎の着地点にまで移動。真上に剣虎が来た瞬間に大爆発を起こした。
その威力は凄まじく、轟音と爆風が旅館全体を激しく揺るがした。
「……! 海っ! 今のうちに二人を!」
軍人犬の動きに注意していたゼノヴィアが鋭く叫ぶ。彼女自身は民間人を抱いて爆風から庇うのに精一杯だった。
「わかった!」
海は翼を顕現させた。陰影の翼――彼が悪魔との混血であった証。それを迷わず羽ばたかせた海は、まず倒れていたシルヴィを抱え上げる。
続いてるりかを探そうとした海は、見た。
黒煙の中に佇む、幼い少女を抱きかかえた紫髪の少女が、るりかを助け起こすのを。
「……あなたが、姫塚ちゃん……?」
抱き起されたるりかが苦しい息の下から尋ねた。
姫塚は、その問いには答えなかった。まるで、別の何かが見ている光景に意識を集中しているように目を閉じると。やがて口を開いた。
「軍人犬は……サーバントを追って西の方に行った……そっちにもう生きているニンゲンはいない……」
「……っ! ……わかった」
それを聞いた海は無念そうな表情を浮かべた。サーバントに苦戦して時間が掛かり過ぎたのが原因だろうか。だが、彼は時間を無駄にしなかった。
「俺が、三人を安全な場所まで飛んで運ぶ。君は……もし、可能なら他の階にいる仲間を手伝って欲しい」
無言で姫塚が頷いたのを確認すると、海は二人を小脇に抱えもうひとりを背中に背負って露天風呂から空へ舞い上がった。
●
二階のエントランスの惨状も、一階と似たようなものであった。
「相変わらず、場所を選ばない連中だ」
綾巫 風華(
jb8880)が呟く。
「いや、むしろ何かを選んだのか…?」
理由を考えようにも今の彼女にはヒントがない。一方、Rehni Nam(
ja5283)(以下レフニー)は。強い意志を込めて呟く。
「楽しい旅行が惨禍になるなんて許せないよ……もう、こんなに犠牲が……これじゃあ助かった人も……」
この経験は生き残った者にとっても大きな傷跡となって残ってしまうだろう。だが、レフニーは頭を振って、暗い感情を追い払おうとした。
「今は……少しでも犠牲を少なくすることが先決だね」
険しい表情でじっと前方を見つめるリチャード エドワーズ(
ja0951)とて、無念の想いは同じ。犠牲を一切出さない勝利は最早叶わない。ならば――。
「……助けるために戦うのが私達の仕事だ……もうこれ以上誰も犠牲にはしないさ……誇りにかけて」
「大広間というのはここで合っていますかね」
饗(
jb2588)が館内の案内板を眺めながら呟いた。
「……間違いないね。そっちの方向に生命反応が集中しているよ」
レフニーが頷き、撃退士たちは大広間へと急ぐのだった。
◇
一階での手榴弾の大爆発が二階をも揺るがしたことで、大広間の中央に集まって震えていた生存者たちは悲鳴を上げた。
一方、撃退士たちはそちらに注意を向ける余裕が無かった。
「まだだ……、まだ私は倒れる訳には……ッ!」
剣虎の攻撃で斬られつつも、既に満身創痍の体を押して吠えながらクレイモアを、相討ち覚悟で突進して来た剣虎に振るうリチャード。
刃を突き刺された剣虎が唸る。だが、その時もう一匹の剣虎がすれ違い様にリチャードを切り付け豪華だった夕食の膳が散乱する畳の上に素早く着地した。
「駄目だ……封印も通用しない。何とかして動きを止めないといけないのに……!」
レフニーが焦る。
剣虎の攻撃方法は身体に備わったスピードと牙を武器にしたシンプルなもので、それ故に特殊能力を封印するといった搦め手が有効な類のものではなかったのだ。
「不味いな、そろそろ……」
風華がそう言った瞬間、リチャードを攻撃していた二体が逃げる機会を伺っていた民間人たちと彼らを守る撃退士たちの方に注意を向けた。リチャードのアウルによる注目効果が消えたのだ。
「……仕方がない。このような体で申し訳ありませんが、まあ出来る限りのことは致しますよ……!」
自嘲気味な苦笑を浮かべ、前に出た響の周囲にぽうっと無数の狐火が灯った。
「これ以上近づかないでいただけますかね……!」
二匹の剣虎が跳躍した瞬間、漂っていた無数の狐火が派手な音をたてて連鎖爆発を起こす。
「ひっ……」
浴衣姿の初老の男性が悲鳴を上げる。広範囲に渡る爆発は明らかに、撃退士や生存者をも巻き込んでいるように見えた。
「ご心配なく……この炎は味方には、無害ですよ」
ため息をつく響。
「み、味方……?」
ここで、男性は今更ながら響の容姿に気付いたらしい。
「こう見えても……もう少しの辛抱ですから、少し落ち着いていて下さい」
魔界の力による爆炎を受け、一体は怯んだ。しかしもう一体は速度を緩めつつもなおも攻撃しようとする。
「いけない……!」
それに気付いた撃退士の父親は、咄嗟に目標になった男の子を庇おうと、駆け出した。
「待て!」
風華が制止した瞬間、剣虎の牙が彼を切り裂いた――かに見えた。
「もう、これ以上……好きにはさせないさ」
レフニーの構えたパルテノンの盾から延びたアウルの刃が剣虎の牙を受け止めていた。
「ここで、貴方死んでしまったら、この旅行は娘さんにとって一生消えない傷になってしまうよ」
「……!」
はっとなる父親。
「良かった……」
その様子にほっとするリチャード。だが、次の瞬間、彼は気付いた。
頭上から、ライオンの上半身に蟻の下半身を持った異形のサーバントが自らに向かって飛び掛かって来るのを。
◇
仲間たちが気付いた時には、既にリチャードは獅子の牙に噛み裂かれ、血の海に倒れていた。だが、リチャードは最後に自分の役目を果たしていた。彼がタウントを再度使用していなければ、獅子は無防備な民間人に襲い掛かっていたかもしれないのだ。
真っ先に、風華が跳んだ。
「よくやった……! 後は任せろ」
この時、二頭の剣虎はそれぞれ響とレフニーに抑えられており、獅子に攻撃を仕掛ける絶好の機会であった。
獅子は素早く天井に張り付くが、風華も射程の長い鎖で獅子の胴体を激しく打ち据えた。怯んだ蟻獅子が畳に叩き付けられた瞬間、大広間に機関銃の連射音が響いた。
驚きの声を上げる撃退士たちを尻目に、ブルドッグの頭部を持った軍人犬は辺りに自動小銃を乱射し始めた。だが、どうも様子がおかしい。
「これって……」
レフニーが怪訝な表情を見せる。その時、獅子が天井から軍人犬に近づき、口から酸を放とうとする。
咄嗟にアウルで、封印を仕掛けるレフニー。獅子の蟻酸には効果があったのか、獅子は立ち竦む。そこに小銃の弾丸が集中して、天井もろとも獅子を穴だらけにした。
「妙だな……サーバントだけを狙っているのか?」
風華の言葉通り、軍人犬は無差別に攻撃をしているように見えて、確実にサーバントだけを狙っていた。
だが、これはチャンスだった。
「今の隙に逃げて下さい。出口はあちらです!」
響の誘導に従い、人々は出口の方に駆け出す。この時点では、この階の軍人犬とサーバントは全てこの大広間に集まっている。正に好機だった。
だが、その時風華が叫んだ。
「伏せろ!」
軍人犬が逃げ回るサーバントに手榴弾を投げつける。
慌てて伏せた一行の頭上を凄まじい爆風と、破片が吹き抜ける。爆弾に注意していた風華の咄嗟の指示が無ければ怪我人も出ていただろう。
こうして、民間人はどうにか旅館の外に避難していた。
撃退士たちは、民間人を父親に任せ再度、生存者を救出しようとする。
だが、その背後に父親の声がかけられる。
「二階に残っていた人たちはこれで全部の筈です
ほっとする撃退士たち。だが、再び手榴弾が爆発して建物が揺れた。そればかりか、今度は呼応するように三階でも爆発が起き、窓が吹き飛んだ。
「このままでは、建物が……!」
悲痛な叫びをあげたのは、旅館の女将であった。
●
一階、二階では即座に天魔と撃退士が接敵したのに対して、三階は不気味なほど静まり返っていた。破壊された調度品と、飛び散った血液が異常事態を物語る。
その静まり返った廊下を慎重に歩くのは、黒井 明斗(
jb0525)とハウンド(
jb4974)の二人であった。
やがて、二人はある扉の前で立ち止まる。明斗がここに生命反応を感じたからだ。しかし、二人は扉をすぐに開けようとはせず、武器を構える。
生命探知では生存者か、敵なのかまでは解らないのだ。
「よわったな〜」
と、ため息をつくハウンド。彼は早い段階で旅館の従業員に接触して、宿泊客が入っている部屋や、旅館の従業員が隠れていそうな場所といった情報を手に入れるつもりであった。
だが、彼は「生きている」従業員にはすぐに出会えず、結果として情報が不足した状態での探索を余儀なくされていたのであった。
「一人でも多くの人を救わないと……そして、もし天魔なら代償は支払わせます」
それを聞いてハウンドがにへらっと笑う。
「ちょっと考えがあるんだけど〜、良いかな〜?」
数分後、客室の扉をゆっくりと開けるのは明斗一人。
部屋は、暗かった。人の声は聞こえない。代わりに闇の中から響いてくるのは、低い獣の唸り声だった。
「――!」
明斗は咄嗟に武器を構えて部屋の外に飛び退く。その彼を追って牙を水平に突き出した剣虎も跳躍。明斗は何とか攻撃をいなし、剣虎を近くのドアが開いた部屋に誘導した。
「ハウンドさん!」
「合点〜!」
剣虎が誘導された部屋の天井から剣を構えたハウンドが降下する。その刃は剣虎の四肢を薙ぐ! 飛び散る血に荒々しく笑うハウンド。だが、次の瞬間、攻撃に耐え切った剣虎が牙で剣を弾く!
「え……?」
信じられないといった表情のハウンド。弾き飛ばされた剣が宙を舞う。次の瞬間には剣虎の鋭い牙が彼の体を横一線に薙いでいた。
◇
三階の廊下の端にある非常階段への入り口では千葉 真一(
ja0070)が僅かに生き残った人々の安全を確保しようと躍起になっていた。
その傍らには満身創痍の明斗。そして重体で倒れているハウンドの姿もある。
あの後、剣虎は何故かそれ以上明斗たちを攻撃しようとせずその場から去った。明斗には敵の目的までは解らなかったが、彼にとって優先すべき目的は生存者の救出。彼はその後、真一と合流して何人かの生存者を見つけここまで誘導して来たのだ。
「もう大丈夫、付いて来て下さい」
明斗の言葉に団体客らしき人々が怯えた表情で従う。
「慌てて転ばないようにな」
真一はそう言って啜り泣いている子供たちを誘導しつつ、怪我をした初老の女性を背負う。
「しっかり捕まって。このまま下まで行きます」
しかし、後になって気づくのだ。敵と救出すべき目標の正確な位置が解らず、敵の目的もすら曖昧な状況では、まず全力を持って敵の全滅を図った方が結果として味方の負担も減り、より容易に救助対象の安全が確保できたであろうことに。
「ああっ!」
民間人の一人が悲鳴を上げる。
暗い廊下の向うには剣虎と人虎。獲物が狩りやすく集まるのを舌なめずりして待っていたに違いなかった。
「ここは……! 死んでも通しませんっ!!」
明斗は敵の前に飛び出しながら持てる限りのアウルを盾に集中させた。
だが、二頭の剣虎は二方向から明斗に突進。最初の攻撃で防御を崩された明斗の体を二匹目の牙が斬り、更に一瞬で明斗との間合いを詰めた人虎が鋭い手甲鉤の一撃を急所に容赦なく叩き込む。
悲鳴も上げずに明斗は血の海に倒れる。
それでも、真一は応戦しようとするが、先日の戦いでの傷が癒えていない体は思うように動かない。
「ここで大規模での傷が響くとはな」
顔を顰めた真一は明斗が稼いだ僅かな時間に活性化させていた術式で全身に過量のアウルを循環させる。
「だが、そんなのは人助けが出来ない理由にはならねぇ……いつもの様に戦えなくとも、出来るだけの事はやってみせる……ヒーローってのは、そういうもんだ!!」
吠える真一。その脇腹を剣虎の一体がすれ違い様に斬り裂く!
だが、真一は全く怯んだ様子を見せず、渾身の拳を剣虎に叩き込む。
重体の真一の攻撃では、さしたるダメージを与える事は出来ない。だが、剣虎は自らの攻撃が通用していないように見えることを警戒して一旦飛びさがった。
「この程度の怪我どうって事ないぜ。男だからなぁっ!!」
吠える真一に対して、サーバントたちは、今度は三体で一斉に飛び掛かった。
「さあ来な! 受けて立つぜ!!」
真一の叫びが廊下に木霊した。
◇
廊下を歩く雫(
ja1894)は嫌な予感に苛まれていた。彼女自身は、単独行動を避ける予定であったが、他の仲間はそれぞれ理由があってバラバラに行動していたからだ。
彼女がようやく真一と合流して見た光景は、限界を超えて戦い続けゴウライガの姿が、つまり光纏が切れて倒れる瞬間であった。
「……これは!」
見れば、既にハウンドと明斗も戦闘不能。それまで千葉に集中攻撃していたサーバントたちが追い詰められた民間人に襲い掛かろうとする。
「させません……!」
即座に跳躍した雫の小柄な体が空中でくるくると回転。その派手な動きにサーバントたちが否応なく注意を惹き付けられる。
直後、雫の強烈な急降下キックが人虎に炸裂した。そして、この時窓の外に人影が動いた。サーバントがそちらに注意を向けた瞬間、窓ガラスを割ってエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が一直線に廊下に飛び込む。
「せっかくの旅行をぶち壊すとは、無粋な連中もいたものです。さっさと片付けてひとっぷろ浴びさせてもらいますよ?」
そう叫んだエイルズレトラは、そのまま天井に張り付いて、剣虎に向かってアウルで形成したトランプを投げつけた。
トランプに張り付かれた剣虎がもがく。
「今の内に逃げるんだ!」
目の前の光景に恐怖が限界に達したのか、一人の宿泊客が叫んで駆け出そうとした。何人かもそれに続こうとする。
だが、このタイミングで逃げられてはかえって守りにくくなる。
「待って……!」
そこに、ハッド(
jb3000)の声が響いた。
「我輩はバアル・ハッドゥ・イル・バルカ3世、王である! 皆の者、今助ける故落ち着くがよいぞ〜!」
いきなり、闇の翼を生やしたハッドが窓から飛び込んで来て進路を塞いだことで民間人たちは足が竦んでしまった。
が、この状況ではその方が都合は良い。ハッドはこれ幸いとばかり手近に居た民間人数名を抱き上げると颯爽と割れた窓から飛び去って行った。
しかし、この時まだ足止めを受けていなかった一体が民間人たちを狙っていた。
だが、その剣虎の周囲に突如、砂嵐が渦巻き、剣虎は苦悶の呻きを上げる。砂埃が消え時には悲鳴も途絶えそこには石の像と化したけ剣虎がいた。
剣虎を石化させた天宮 佳槻(
jb1989)は小さな声で呟く。
「休息や娯楽のための施設か……確かに狙いやすいところだし、通報してきたのがフリーの撃退士というのもありそうな話ではある。何か引っかかるような気もするが、それは一般人を保護してからだ」
そして、佳槻もハッド同様に民間人を抱えて窓から脱出した。
これで、三階に残されていた生存者の半数は脱出出来た。それを横目で確認した雫は安堵すると、一気に勝負をつけるべく、床を蹴って人虎に切り掛かる。
雪のように輝くアウルを帯びた雫が冷たい月のように輝く大剣を圧倒的な速度で人虎に振り下ろす!
直撃すれば、天界の眷属であれば致命傷は免れぬ一撃であったが――。
「な……!?」
雫の目が驚愕に見開かれる。
流石に多数のサーバントを率いる力を与えられているだけのことはあるというべきか剣虎はその掌で雫の大剣を受け止めた。真剣白刃取りである。
雫は振り解こうとするが、虎の掌は万力のように刀身を締め付けて離さない。そして、人虎はその鋭い牙の生えた口をゆっくりと雫に近づける。
だが、雫の反応も早かった。雫は頭を逸らして間一髪で噛みつきを回避する。
「雫さん!」
ここでエイルズレトラがトランプを人虎に投げかける。人虎は素早く刃を離すと飛び退いてこれを回避した。
「……何故、ここを襲ったのですか? 情報では冥魔もここにいるようですが、それと関係でも?」
時間を稼ぐため、質問する雫。
だが人虎は沈黙している。ある程度の知能と高い戦闘能力を付与されたサーバントではあるが、会話能力は持っていないようだ。
だが、雫とて返答を期待していた訳ではない。気を取り直してエイルズレトラとともに再度攻撃を仕掛けようとするが――。
◇
爆発は、床で起きた。建物全体が揺れ、黒煙が晴れた時には大きな穴が空き、そこから二階にいた軍人犬がジャンプで三階に侵入して来たのだ。
いや、軍人犬ばかりではない。剣虎も二階に飛び上がり、軍人犬を牙で牽制しつつ素早く指揮官たる人虎に合流する。
この光景に、撃退士と民間人が呆然とする中、今度は廊下の向うから銃声が響いた。
咄嗟に飛来する弾丸から身をかわす人虎と剣虎。だが、弾丸の狙いは彼らではなく、窓の外――壁面を伝って三階へと上がって来た二体の蟻獅子だ。更に廊下の反対側にある階段の方角からも剣虎の唸り声と、軍人犬の銃声。分散していた敵が次々と集結していた。
だが、これは撃退士たちにとってむしろ不利であった。撃退士の内何名かは軍人犬が人間を積極的に狙っていない事に気付いていたが、その状態がいつまで続くかは撃退士たちにとっては未知数だ。
最悪のタイミングで攻撃の矛先が変わることも考慮しなければならない。そう考えた二人が動けないでいる時、突然軍人犬が動いた。
◇
まず、ドーベルマンの頭部を持った軍人犬が、ナイフを構えて人虎に突進。人虎も手甲鉤でこれを捌く。
正に、互角の攻防であり、人虎が攻撃され、統率が乱れた隙隙を突いてもう一体の軍人犬が小銃の掃射で他のサーバントを牽制する。
「急げ! 下の階の生存者は全員救出した!」
割れた窓の向うから翼を顕現させて飛んでいる海が叫ぶ。そして、海は窓から室内に入り、素早く生存者を抱える。
「これで、生存者は全部ですかねえ……」
エイルズレトラはそう言って息をついた、が――。
「おとうさん……おかあさん……どこぉ……」
幼い少年が、しくしくと泣きながら廊下をこっちに歩いて来た。
一斉にそちらを向く撃退士たち。
後でわかった事だが、襲撃時点ではこの少年の両親は二階にいて、しかも救出時には気絶していたせいで情報が伝わらなかった。
また、生命探知が使える明斗が戦闘不能だったせいで、今まで隠れていたのが発見されなかったのだろう。
真っ先に動いたのは人虎であった。人質にするつもりだったのか、単に殺戮衝動に動かされたのかはは不明だが床を蹴って少年の方に向かう。
ひっ、と喉の奥で悲鳴を上げて固まる男の子の首を人虎が掴む!
「この期に及んで……! とことん無粋な連中ですねっ!」
全力で旅館の壁を走破してそちらへ向かうエイルズレトラ。しかし、間に合うか!?
「観客同士のトラブルはご遠慮願いますよ……ショウのメインはこれからです!」
突如、エイルズレトラの周辺のアウルが派手な輝きを放ち壁を疾走する彼を必要以上に照らし出す!
呆然とそれを見る剣虎。その時、彼の真横からこんな声が。
「ここはひとつ、救助の世界においても王の威光を示さねばなるまいて〜」
闇を身に纏い、潜行していたハッドが姿を現すと、注意の逸れた人虎の手から素早く子供を奪い返す、が同時に剣虎が拳をハッドの顔面に叩き込む!
しかし、その衝撃は小さく透明なアウルの盾によって緩和された。そればかりか、剣虎は逆に自身が殴られたような衝撃を受け、一瞬怯む。
「八卦水鏡……10分の1とはいえ、自分の力に殴られる気分は如何ですか?」
窓の外から、飛行していた佳槻が言う。
「王の顔に……無礼者〜!」
ややキレ気味のハッドはショットガンを人虎の顔面に接射!
剣虎がよろめいた隙に、ハッドは子供を抱えて素早く離脱した。これで、生存者は全て確保した。が――。
「黒井さんと真一さんが……!」
飛べない雫と、気絶したハウンドを抱えたエイルズレトラが叫んだ。
彼は壁走りで壁面を駆け降りることが出来るが、二人以上抱えるのは無理だ。そして他の仲間も生存者を限界まで抱えている。だが、逡巡する彼にこんな声が。
「大丈夫……」
「!? あなたは……」
エイルズレトラは躊躇ったが、すぐ近くで手榴弾が爆発したので、やむをえず窓から飛び出した。
◇
撃退士がすべて脱出すると、姫塚は真一と明斗を抱き上げ巨大な黒い翼を広げる。直後に再度手榴弾が使用され旅館は倒壊した。
●
幸いにも、旅館からそう遠くない場所にあった公民館に撃退士と生存者たちは避難していた。後で解ったことだが、サーバントと軍人犬たちはその後別々に撤退したらしく、人間を深追いする様子は見せなかった。
ちなみに発見されたのは剣虎二匹と蟻獅子一匹の死体のみ。天魔の目的を知りたがっていた雫は無念そうな表情を見せた。
「……ぜのびあ、だい、じょうぶ?」
「……!?」
一方、疲れ切った様子で座り込んでいたゼノヴィアは急に姫塚からそう呼ばれてきょとんとした表情を見せる。だが、すぐに気付いて苦笑する。
「ああ、ありがとうな、小春」
どうやら、旅館での戦闘中ゼノヴィアが姫塚をそう呼んだことを姫塚も覚えていてそう呼びかけたらしかった。
「浮かない顔だな……まあ、無理もないか……」
ゼノヴィアはそう言って固まっている生存者たちの方に心苦しそうな表情を向けた。
そこでは、旅館を完全に破壊されて悲嘆にくれる女将や従業員の姿があった。
「『大丈夫だ、問題無い』とは、とても言えない状況だよな……ハハハ……くそっ」
じっとその様子を見つめる姫塚に、今度は風華が自販機で買ったコーヒを差し出す。
「……お前も、災難だったな」
「……」
無言でぺこりとお辞儀をする姫塚に微笑みつつも、風華もまた苦い表情を隠せない。
「本当は、旅館で珈琲牛乳と洒落込みたかったが……ん? もう、行くのか」
もう一度頭を下げ、出口へと向かう姫塚。
「よ〜わからんが、帰るのじゃな? ならばせめて握手でもせんか? 大切なもののために、かけがえのない命のために共に戦った我らはもう友であろ〜」
にんまりと笑うハッド。姫塚はその手をじっと見ていたが、やがて静かに頭を横に振った。
「……違う、から……」
怪訝そうなハッドを後に去っていく姫塚。だが、その表情は再び旅館の人々の方に向けられる。
「だけど……ありがとうございました。こうして命が助かったんです。きっと、また……私達は立ち上がれます」
撃退士たちに静かに頭を下げる女将。
そして、ゼノヴィアと佳槻はドアを開けた姫塚が最後にぽろりと漏らした一言を聞き逃さなかった。
「ニンゲンは……弱いのに、強いの……?」
◇
「これを拾ったんだが……」
姫塚が去った後、風華は旅館で拾った銀色の金属片……ドッグタグを佳槻に見せる。恐らく、軍人犬が戦闘中に落としたものなのだろう。
それを見た佳槻はかつて偶然目にしたある報告書の内容を思い出していた。
自分から悪魔に魂を売った自衛官がいたという話。
そして、人間はわからないから、裏切るから怖いと言った悪魔の話を。
佳槻の頭の中で何か引っかかるものを感じたが、確証は無かった。
「僕にとってはわからないのも裏切るのも当たり前。わからないから知ろうとする。裏切るからこそその意味を考える。怖いからと目も耳も塞げば生きていけない」
そう呟いて、佳槻は少女の去り際の一言を思い出すと、呟いた。
「……その弱さこそがー人の強さの源、か
公民館の外では、夜が明けはじめていた。