片品村は関東では珍しい豪雪地帯である。その白一色に染まった森の木立の間を鴉守 凛(
ja5462)が漆黒の髪を翼のようになびかせ矢のように駆ける。
巨大な黒い蠍の化け物――ブラックストーカーが巨大な爪を振るう。
だが、必殺の一閃は立ち並ぶ木々を切り倒して木片と雪煙を舞い上げつつも凛の体を貫くには至らない。
一方、凛は、ぺろりと唇を舐めると蠍に向かって、疾走の勢いを減じる事無く斧槍を振り抜く。
しかし、蠍も即座にもう一方の鋏角で凛の一撃を弾くと、先端に鋭い毒針を持った尾を凛に向けた。
「お前の相手はここだ!」
だが、蠍が攻撃動作に移るより一瞬早く鈴代 征治(
ja1305)が叫ぶ。
槍を高く掲げたその征治の姿を、ディアボロの爛々と輝く獣のもとも昆虫のものともつかぬ瞳が捕えた瞬間、その黒い尾が空を切って征治に突き出された。
征治とて、それは予測済み。それでも――
「早い……っ!?」
驚愕する征治。だが、彼も経験豊かな撃退士だ。無駄のない動きで構えた盾が鉄針を弾き、直撃だけは免れた。それでも、尾が掠めただけで脇腹には浅くない傷が走っている。
「防御を合わせて、召喚獣のアシストがあって、これか……!」
一旦後退する征治。
「さぁて、どう攻めますかねぇ……」
一方、凛はじっと蠍の様子を観察する。もし、このまま単細胞に征治を狙い続けるのなら好機だが――。
「……そう、心の無い魔物でも解るんですねぇ」
凛が皮肉な笑いを浮かべる。蠍はそれ以上征治を追撃せず凛に不気味な輝きを放ち始めた口を向けた。
「魔力弾……」
それは、事前に配布されていた資料にも記されていたこの変異体の特徴の一つだった。
天界の力に傾いた自分があれを食らうのは不味い。
凛が咄嗟に集中力を高め、目の前の攻撃に集中しようとした時、長幡 陽悠(
jb1350)が叫んだ。
「撃ちます! 下がって!」
横合いから飛び込んで来た青い竜――ストレイシオンが放った雷の弾丸が、蠍に直撃した。だが、蠍は怯まず逆に魔力弾を長幡と召喚獣の方に連射した。
「くっ……!?」
ストレイシオン自身の魔力耐性もあり、何とか耐える長幡。とはいっても相性もあり何度もは耐えられそうにない。
「何とか……しないと」
征治の額に汗が浮かぶ。この時点で蠍に向かっているのは7名の内の4名。他のメンバーのためにも早い段階で蠍を片付けなければならないのだ。
「……落ち着け」
征治は、息を深く吸い、そして吐いた。
「必要なところだけ済ませて、大将首を挙げればこちらの勝ち……! 一気に決める……!」
征治はルーメンスピアを構えて再度、蠍へと突撃した。
真っ向から挑んで来た征治を先に片付けるつもりなのか、蠍は両手の鋏に加えて尾を振り上げ征治を迎え撃つ。
「それを待っていましたよぉ……!」
だが、それこそが凛の伺っていた好機だった。蠍の尻尾が伸び切った瞬間を狙い、豪快ながらも正確な狙いで振るわれた槍斧が尻尾の付け根に深く叩き込まれた。
蠍が山間部を揺るがす凄まじい悲鳴を上げる。
その直後に征治が尻尾を切り落とされた蠍の頭部に、スピアをねじ込んだ。
だが、蠍も激痛でかえって狂暴化したのか、槍がより深く突き刺さるも構わず征治との距離を詰めると手加減なしの鋏の一撃を二連続で征治に叩き込む。
「……っ!」
学ランが敗れ、鮮血が舞う。おまけに、蠍は口を開くと近距離から魔力弾を征治に直撃させようとする。
これは、不味い。
征治はそう思った。征治は凛のようにレート差をキャンセルしている訳ではない。爪の攻撃を受けた上に、またこの一撃を受けたら――。
「鈴代さんっ!」
目の前に広がる魔界の力に照らされながら征治が聞いた声は、箕星のものだった。
征治は、感じた。
叩き付けられたアウルの弾丸が、自身の周囲に付与された光のアウルによって僅かに、だが確かに緩和されるのを。
「お前なんかに構っている暇はないんだっ!」
征治は辛うじて持ち堪えるとそう叫ぶ。
箕星と、何より凛のおかげだった。恐らく魔力の弾ではなく、凛に斬り飛ばされた最大の武器による攻撃だったら、箕星の援護があっても耐えきれなかっただろうからだ。
そして、征治は柄も通れと槍を深く蠍に突き刺す。やがて、何かが砕けるような軋みと共に、槍が蠍の体の反対側から突き出る。蠍は大きく痙攣してそのまま絶命した。
●
同じ頃、蠍と4人が戦っている目と鼻の先では、本作戦の攻撃目標であるクリムゾンウォーロードは、三体の盾を構えたブラッドガーダーに守られていた。
そこに、突如銃声が響く。咄嗟に構えられたガーダーの盾に、アウルの弾丸が着弾したか思うと、その盾の表面が、更にガーダーのアーマーそのものが、まるで酸にでも焼かれたかのように煙をあげて腐食される。
「ロードの護衛が目的なら――ロードを狙う限りそうそう外しはしない、か」
着弾を確認した影野 恭弥(
ja0018)は他人事のように呟くと、即座に第二弾に備えてアウルを集中させた。
戦君とガーダーたちが、恭弥の狙撃して来た方向に一斉にその頭足類のような頭を向ける。だが、彼らがそちらへ向かうより早く、彼らの頭上から声が響いた。
「東北勢の生き残りがまだいるのですねえ。 あなたたちには端役を務めていただき、随分と活躍させていただきました。お返しに、最期の舞台を用意して差し上げましょう」
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)の放った54枚のトランプのカードがウォーロードたちの周囲の地面に降り注いだ。一見紙のようなそれは、容赦なくディアボロたちの鎧を切り刻んでいく。
三体のガーダーは怒りにも似た咆哮を上げ、エイルズレトラとの距離を詰めようとするが、そこに再び恭弥の弾丸が放たれガーダーはロードを守るべくその場に踏みとどまらざるをえなかった。
これが、ロードとガーダーがストーカーと連携できなかった理由である。
エイルズレトラの広範囲攻撃による牽制に加え、常に恭弥の銃口に狙われていては、防御を第一に考えるしかない。
それでも、ロードには強力な遠距離攻撃の手段――空を裂く紅い斬撃、ブラッディエアスラッシュが存在した。
その気になれば、まだ遠距離からの援護は行えたはずであったが、蘇芳 更紗(
ja8374)の行動がそれを許さなかった。
「さて、何ともいかつい名前のタコ入道……紅ロードだったか? 悪いがお前を潰すのがわたくしたちの任務なのでな……いかせてもらうぞ」
武骨な戦斧を構えながらも、どこか女性の扱う薙刀を想起させる優雅な動きで更紗は只一直線にロードを狙う。
結論から述べると、更紗はロードには攻撃出来なかった。この時点で三体のガーダーはぴったりとロードの周囲を固めており、唯一の隙である背後に回り込むのは、更紗の機動では不可能であった。
「やはり、紅蛸だけを相手にするのは無理か……!」
三方から、ガーダーの大盾に押し込まれて、歯噛みする更紗。そこに、ガーダーの背後からロードが放った斬撃が炸裂。更紗の体を袈裟懸けに切り裂いた。
「くぅ……っ」
決して浅くはない傷に呻く更紗。だが、更紗は結果としてロードが蠍を援護するのを防いだのだ。
また、更紗は自らのアウルの天界への偏りを修正することで、辛うじてロードの攻撃が致命傷となるのを避けていた。
「いやあ、あなた方と踊るのも久しぶりですねえ。 これが最後かもしれません、楽しませていただきますよ」
そういったエイルズレトラが再度、今度は敵の背後からトランプの刃の雨を降らせる。このトランプは敵味方を識別しており、蘇芳には当たらないのである。
一方、この攻撃で手下の生命力を削られたロードは指揮杖を掲げて、アウルを撒き散らし、味方の回復を図らざるを得なかった。
そして、この時点で蠍が倒れた。
●
まず、蘇芳が感じたのはストレイシオンのアウルの防壁が自身を敵の攻撃から守った感覚。次いで、自身に流れ込んで来たアウルが、身体を癒していく感覚だった。
「蘇芳さんっ、大丈夫ですかっ?」
愛用の槍を構えて走りながら箕星が叫んだ。
「あの冷たい雨の日は忘れていない……もう、あんな事が起こらない為にも、今回で決着をつけるんだ。頼むぞ」
長幡もストレイシオンに命令して、アウルの弾丸で敵を牽制する。
その二人の背後から、まず凛が大鳥の如き勢いでガーダーに迫る。
「さて御付き合い願いますよお……」
その長大さにそぐわぬ高速で振るわれた凛の斧槍から煌めく光の波が迸った。直撃を受けたロードは巨大な盾を構え、足を踏みしめたまま数mも後ろに押しやられ、雪上に深い溝を残した。
「お前の相手をしている暇はないっ! 邪魔だ、倒れろ!」
続いて、凛の攻撃を受けたガーダーの懐に跳び込んだ征治も全力で槍を叩き付ける。だがこの攻撃は白兵戦に強い耐性を誇る長盾に阻まれた。
恭弥の腐食弾を受けているとはいえ、盾はその衝撃のほとんどを相殺。それでも征治の攻撃はもう数m、ガーダーを背後に押しやる。そして……征治はこれで終わりにするつもりは無かった。
「影野さんっ!」
恭弥のいる方角に振り向く征治。
「……いい位置だ」
ニット帽の下の冷たい瞳が細められ、白銀の弾丸が恭弥の銃から放たれた。最初に恭弥の弾丸で腐食され、エイルズレトラの攻撃でじわじわと削られ、今また凛の光を受けたガーダーはその強靭な生命力をもってしても限界に達していた。
ガーダーの胴体で銀の光が弾け、ガーダーは悲鳴すら上げず、冷たく硬い雪の上に崩れるように倒れ伏す。
その戦果を確認した恭弥は次弾の準備に入ろうとして、気付く。
ロードが、自らに視線を向け大きく長剣を振りかぶるのを。
◇
恭弥の戦闘技術体系は力の性質なら中立であり、冥界の力の影響を大きくは受けないだろう。だが、先ほど同じように力の差をキャンセルした筈の蘇芳が、受けた傷を思えば決して油断は出来ない。
僅かに舌打ちした恭弥が防御の構えを取ろうとした時、蘇芳の声が妙に艶めかしく響いた。
「さあ、今度こそわたくしの相手をしてもらう」
押しやられ、倒されたガーダーがいた位置に飛び込んだ蘇芳は再度、ロードに切り掛かる。
蘇芳の狙いは当初から、自分がロードを討ち取ることではなくその行動を妨害する事であった。
その意味では、彼女に射線を防がれ遠距離攻撃を中断したロードの剣に正面から貫かれ、ガーダーの槍に横合いから貫かれ、白い雪に鮮血を流して倒れ伏しながらも蘇芳はその役目を立派に果たしていた。
恭弥にもう一手、打つ猶予を稼いだのだ。
恭弥が健在である事を見て取ったガーダーの一体が咄嗟に恭弥とロードを結ぶ直線上に飛び込んだ。しかし、恭弥にとってこれはむしろ願ってもない状況だ。
「これ以上やらせない!」
まず、長幡のストレイシオンが直線に並んだガーダーとロードに向けて雷を放つ、がこれはディアボロのもつマントによる魔法減衰を受けてしまう。
だが、その直後恭弥の銃から放たれた強力なアウルの弾丸は、既に満身創痍だったガーダーの盾と身体を貫き、遂にロードの身体に突き刺さった。
だが、ロードは苦痛に呻きながらも倒れていく二体目のガーダーの背後から渾身の斬撃を放つ。
今度こそ正面から、ブラッディエアスラッシュを受けた恭弥の鮮血が周囲に飛び散るのと、ロードが膝をついたのが同時で――気が付けば、灰色の空に雪が舞い始めていたのもその頃であった。
「攻撃役、壁役、指揮兼回復とは見事な編成でしたが、こちらの戦力を見誤ったのが敗因ですかね」
自身の術式と、箕星によってある程度は回復しているとはいえ、疲労の色も濃い征治がゆっくりとスピアを残った二体のディアボロに突きつける。
エイルズレトラも自身のアウルをトランプの形状に形作りながら、問うた。
「結局、あなた達は生きたかったのですか? 死にたかったのですか? まあ、どちらにしろ、殺すんですが」
まるで彼の問いに対する答えだとでも言うのか、ロードが指揮杖を捨て、両手で長剣を握り、それに従うかのようにガーダーも盾を捨てる。
「……そう。なら、こっちも気が楽かな……」
誰にも聞こえないくらい小さく呟いた凛は、活性化を解除した盾を置くと、愛用の槍斧を構えなおす。
「……存分に」
――降りしきる雪の下、束の間響いた干戈の響きは短く。それでも、確かにそれは激闘の証であり、作戦の結果を伝えるにはエイルズレトラが去り際に魂無き骸にかけたこの言葉だけで十分であろう。
「お疲れ様でした。お休みなさい」
●
冬の栃木県内の山間部を走るローカル線の車内。
あの後、何事もなく国道120号線に辿り着き、そこから栃木の最寄駅まで歩き続けた撃退士たちは、昔ながらの二人ずつが向き合う座席に二手に分かれて座り、久遠ヶ原への帰途にあった。
その場では治療しきれないほどの傷を受けた恭弥と更紗を除けば、エイルズレトラの依頼でありったけのアウルで治療を行った箕星のおかげか、各々目立った傷は少ない。
それでも、疲労が限界に達したのか征治は頭を傾けて寝息を立て、凛はヘッドホンをつけたままで、音楽が止まったのにも気づかずに目を閉じている。
そんな中、長幡は正面の箕星に話しかけた。
「みんなの力で無事勝てたけれど、俺達、あの頃より強くなれたかな?」
箕星は暫く考えた後、言った。
「その……上手く言えないんですけど、何か一つ乗り越えられたというか、自分の中でようやく区切りがついた気がします」
そう言った後、箕星は隣に座ったエイルズレトラに、小さく頭を下げて。
「ありがとうございました。僕が、無事に皆さんと最後まで戦い終えられたのはエイルズレトラさんの指示が的確だったからです」
エイルズレトラは鷹揚に笑う。
「改まって言われると、少し照れますね」
と、ここで彼は何故か急にジト目になって箕星の頭上に手を伸ばす。ちなみに、背は箕星の方が10cmは高い。
「わっ?」
いきなり髪の毛を触られて驚く箕星。
「箕星君……何か、また背が伸びてませんか?」
「そ、そんなことないですっ! この前の身体測定でも……」
「気のせい? 本当に?」
まだ疑り深そうなエイルズレトラだったが、何を思いついたのかニヤリと笑う。
「ああ、そうだ。この前の女装……写メでとりましたよ。見ますか?」
真っ赤になって涙目になる箕星を見てようやく満足したのかエイルズレトラはケラケラと笑う。
「……はは、冗談ですよ」
「ひ、ひどいです……」
その様子を眺めてクスリと笑いながら、長幡は呟いた。
「……そうだよな。 まだまだ足りないだろうけれど、少しでも進めているのなら、生きている限り進むだけだよな」