魔界の影響を受け、本来のそれより異常に生育し、節くれ膨れ上がった木々が密生する山道は、完全な闇。
人間であれば、相応に足を緩めざるを得ない。
だが、三体の獣魔はそこを容易く疾駆する。
彼らにとって幹も、闇も足を止める要素とはならない。故に彼らのその脚を止めさせたのは同属からの言伝に他ならなかった。
「……成る程」
戦域上空を旋回していたリトルリッチ(jz0216)から、自身が持たせた通信機を通して連絡を受けたレザーレスハウンドはニヤリと笑うと、下品にも鼻面をヒクつかせた。
「成る程……要撃陣形としてはまあ及第点をくれてやっても良いなァ……」
直後、レザーレスが手を振ると、二体の狼男は濡れた土と枯れ葉を蹴立てて跳躍する。
「正し、こっちの最優先目標がお前らだったら、の話だがなァ!」
直後、レザーレスも再び走り出す。
その進路は撃退士たち作り上げた光源による偽の警戒線、そして撃退士たちが身を潜めて待つ本来の警戒線も迂回していた。
「そんな!?」
アウルを用いた光源による偽の警戒線の発案者であるエリアス・ロプコヴィッツ(
ja8792)が驚きを見せる。
「ちょっと、どういうことよぉ……」
同じダアトとしてエリアスの作戦を手伝ったErie Schwagerin(
ja9642)も口を尖らせた。
「このままでは……まずいです……!」
最初に切迫した声をあげたのはRehni Nam(
ja5283)だった。彼女が生命探知によって探り出した情報は端的に述べて撃退士たちの戦術の破綻を意味していたからだ。
魔界の影響を多分に受けているとはいえ、山林は完全な死の世界ではない。植物と同じように魔界の影響を受けた生き物か、あるいは結界の破壊に伴って県境を越えて迷い込んだ昆虫か、はたまた小型のディアボロか。
ともかく「生命」の数が多く細かい処までRehniには把握し切れない。
――いや、それでも一直線にRehniたちの方へ向かってくる二つの反応は判別出来た。
だが、その反応はRehniが折角仕掛けた仲間の衣服、つまり匂いで敵を釣るためのトラップには全く反応する様子もない。
ただ一直線にRehniたちの防衛ライン、いやその後ろの本陣を狙っている。
これは、当然も帰結であるとは言えた。何故なら、敵にとって目標はあくまでも本陣のみ、つまり不自然な匂いがあっても動かないのなら無視すればよいのだから。
それは、レザーレスが空中から偵察していたリトルリッチの報告である程度の配置や位置を知った撃退士たちについても同じだ。
つまる所、「自分たち以外の目標」に向かう敵に対して防御的な配置で待ち構えた時点で、撃退士たちは苦しい戦いを強いられることとなった。
「敵は、完全に二手に別れて……? 前衛α、β班の方は警戒してください!」
もはや無用とばかり全身につけた葉の汁や土を拭いながら、Rehniが叫ぶ。
二度目の生命探知は恐らく敵の内の二体であろう反応が、学園生撃退士たちの前衛であるαとβの二班に、それぞれ襲い掛かろうとする状況を示していた。
「青柳君、どうするのぉ?」
Erieの問いに青柳は唇を噛む。
(厳しい状況でも……焦りは禁物、努めて冷静に……)
そう自分に言い聞かせてから、青柳は光信機に叫んだ。
「発炎筒を使うのは中止します。明かりも消してください! 少数で敵に当たるのは危険です! 何とか両方の班を均等に援護して下さい!」
これによって、前衛以外のメンバーはある程度最初の陣形を保ちつつも、各々の判断でどちらを援護するのか迫られることになった。
(それにしても、敵の動き……まるでこっちの陣形を見透かしているような……)
そこまで考えて、ふと青柳は中禅寺湖で遭遇したある悪魔が空を飛んでいたことを思い出した。
(もしかして……あの子?)
しかし、迫りくる敵を前にその考えは掻き消えるのであった。
◆
跳躍を繰り返す二匹のワーウルフ。
一体は何事も無く上昇の最高点を越え、着地に備えて四肢を緊張させる。
だが、もう一体は――木々の梢の間で、見えない何かに引っかかったように、その動きを止める。同時に、僅かではあるがディアボロの体液が異様に歪んだ木の葉に飛び散った。
そして、もう一体はたった今付近の灌木の茂みに着地するが、そこには迎撃態勢を整えた獅童 絃也 (
ja0694)が闘気を総身に漲らせた状態で待ち構えていた。
「破ッ!」
絃也の足が大地を鳴らすと同時にそれ以上の衝撃をもって拳がワーウルフの胴体に吸い込まれる。
手応えは、あった。
しかし、片手に小銃を握りストラップで対戦車ロケットのような武器を背面に止めたワーウルフは水月に受けた一撃をものともせず、鋭い爪の生えた手を振り被る。
一方、蒼桐 遼布(
jb2501)は自らが頭上の木々に張り巡らせたグリースに敵が引っ掛かったのを確かめると、即座に糸を繰りディアボロを絡め取った。
「鋼糸active。Re-generete。こっから先は通行止めってね」
蒼桐が不敵に笑う。
この段階で、学園生たちは情報にあった二匹のディアボロを補足した。
その内一体は、弦也と接近戦で殴り合い。もう一体はすぐにその戒めを引き千切るだろうが、まだワイヤーに絡め取られて隙を見せている。
絃也たちα班及び、蒼桐たちβ班よりやや後、全体の配置では中衛に陣取っていた沙 月子(
ja1773)は即座に決断すると、長大な黒い和弓を取り出し、構える。
不思議にもその和弓には弦が無い。
――雷上動、これが貴方の初陣です。
月子の赤く濡れた唇が、漆黒の刀身に柔らかく触れた瞬間、輝くアウルの弦が和弓に張り渡された。
紫電一閃。闇を切り裂いて放たれたアウルの矢が、グリースを引き千切ろうともがくワーウルフの片眼に突き立った。
しかし、ワーウルフはようやくグリースを切断して地面に降り立つと自動小銃を乱射し始めた。
見た目は人類のそれに似ていても、その威力は似て非なる物なのか。放たれたアウルの弾丸は密生する太い木々の幹を削り、貫通して撃退士たちに襲いかかる。
「この威力……今本陣が襲われたら壊滅は免れませんか……何としてでも食い止めなければいけませんね」
グレイフィア・フェルネーゼ(
jb6027)はそう呟くと、自身の周囲に紫電のアウルを纏わせ弾丸の中に飛び込んでいった。
(あの武器を破壊すれば……!)
グレイフィアの手に握られたサイスの刃が青い炎を纏う。
一方、後衛のヴィルヘルミナ(
jb2952)はエリアスに向かって、片目をつぶって見せる。
「さて、魔術師殿、私たちも仕掛けるとするか」
「うん、しっかり援護してよ?」
エリアスも笑った。
まず仕掛けたのは、射程に優れるヴィルヘルミナだ。
「やれやれ。獣人の夜襲は鉄板とは言え、される側になると面倒この上ないな……だが、この少人数で決着を急いできたという事は……究極的には時間さえ稼げればOKか?」
氷の刃を模したアウルがワーウルフの足元目がけて次々と撃ち出される。
クリーンヒットとはいかなかったが、それでも一発がワーウルフの足に命中。
僅かに体勢を崩したワーウルフはそれでもヴィルヘルミナに撃ち返す。
そして、敵の注意が逸れている間に目標に射程まで到達したエリアスは素早く術式を詠唱――ワーウルフ、そして至近距離で戦う蒼桐やグレイフィアたちの周囲を結界が覆い、次いで13丁の猟銃が夜の森に忽然と出現した。
「我は此処に在り、地獄の門にかけて……」
エリアスの言葉と共に、13丁の銃はまるで何かに操作されるように照準を定めていく。
「ダス・ヤークトフェルト……フュア・ザミエルッ!」
まるでワーウルフの掃射に対抗するかのように、13丁の銃が一斉に咆哮した。しかも、恐るべきことに放たれる弾丸は、極めて正確に味方の撃退士を避け、ただワーウルフのみに降り注ぐ。
「援護……感謝します」
この猛攻にワーウルフが怯んだ瞬間、その懐に飛び込んだグレイフィアのサイスが下から斬り上げられ、小銃を真っ二つに断ち割った。
◆
自動小銃を失いながらも、ワーウルフはしかし手強い相手である事には変わらなかった。爪を振るい、牙を突き立てようと徐々に距離を詰める撃退士たちを相手に暴れ回る。
「栃木の時と同じで、割と強いですねぇ。頭は悪かった気もしますが……案外、統率のとれた行動ですねぇ……」
最前衛で戦っていたエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は得意の華麗な身のこなしで攻撃を避けつつ鉤爪で打ち掛かった。
ワーウルフの全身にはエイルズがアウルで作り出したトランプが張り付き、その行動の自由を奪っているため、鉤爪はその脇腹を斬り裂くが、やはり浅い。
逆に、反撃で振るわれた狼の爪がエイルズの身体を袈裟懸けに斬り裂いた――と見えたのは一瞬、爪の餌食となったのはエイルズのタキシードだけだった。
「……ああ、当たれば痛そうですね。当たれば、ですが」
ニヤリと笑うエイルズ。
「騎槍active。Re-generete。多勢に無勢だと思っていたがここまでとは……容赦はしないよ」
そこに蒼桐がディバインランスを突き出す。ランスは狙いを違わずワーウルフが背負っていたロケット砲を弾き飛ばした。
「お見事。しかし、このままではジリ貧ですねえ……」
既に二着のタキシードをボロにされたエイルズが呟く。
「もう少し……だと思うんだがな」
「……?」
蒼桐の言葉に不思議そうな顔をするエイルズ。
「いや……とにかく何としても止めないとな。皆、位置には注意してくれ。なるべく、本陣を背にするように」
当たり前と言えば、当たり前で不自然にも聞こえる蒼桐の言葉。
「危ない!」
その時、Rehniが叫んだ。
ワーウルフが、エイルズのトランプを振り切ったのだ。
撃退士たちの火線がワーウルフを襲うが、狼は素早く跳躍すると、こともあろうに蒼桐が一旦は手から離させたロケット弾の方へ走る。
それは多少離れた所に飛ばされたとはいえ、傷ついたワーウルフの脚でも十分回収できる位置にあった。
滑り込むような体勢でそれを手にしたワーウルフは振り向きざまにロケット弾を発射した。
「くっ……!」
咄嗟に飛行グレイフィアは何とか、その弾頭を破壊しようとするが近接武器しかない状態では間に合わず、弾頭はエイルズの側に着弾。
山林を、轟音が揺るがし爆炎が上がった。
ワーウルフは油断無く爆炎の向こうの気配を探っていた。直撃はしなかったがその爆風と熱は敵に少なからず傷を負わせたはずだ。
やがて、生き物が動く気配を感じた彼は跳躍しようと身体を屈ませた時、ふと違和感を抱いて鼻面を頭上に向ける。
星一つ無い筈の曇天の夜空。そこに星が煌めいたかと思うと――それは無数の流星の如くワーウルフの周囲に降り注いだ。
◆
Rehniはコメットを放った後、大きく息を吐いた。
相手が強力なディアボロである事を理解したRehniは奥の手であるコメットを放つ機会を伺っていたのだ。
そして、蒼桐が武器を弾き飛ばし、それをワーウルフが拾おうと移動したことでワーウルフの側に居た仲間を巻き込まずにコメットを放つ機会が生まれたのだ。
「命中……しました。でも、油断しないで下さい」
だが、そう言ったRehniに顔中煤だらけで全身傷を負った蒼桐が言う。
「いや……どうやらこっちは片付いたようだ」
その物言いに、Rehniだけでなく他の仲間も訝しげな表情をした瞬間――闇の向こうから突如無数の銃声が響き、同時に多数の弾丸に晒されたワーウルフが咆哮した。
撃退士たちは敵かと身構えるが、その弾丸馴染み深いV兵器のものであることに気付く。
「お前たち! 無事か!?」
木々の間から、丁度蒼桐が意識していたように本陣を背にして立つ撃退士たちと敵を挟撃するような形で進軍して来たのは蒼桐たちに迎撃の指示を出した張本人であるハヅキと彼女の部下たちであった。
とにかく、このワーウルフの撃破は時間の問題だ。ここまでの負傷に加え、Rehniの攻撃の影響で動きが鈍っている所に援軍まで到着したのだから。
だが、これで全ての決着が着いたわけではない。もう一匹のワーウルフと戦っている筈の青柳たちα班の戦況。そして、未だに捕捉し切れていないヴァニタスは今どこまで迫っているのか。
●
「翼くぅん!?」
Erieの息を飲むような声が上がった。
彼女の眼前で全身にワーウルフ弾丸を受けた翼がゆっくりとスローモーションのように倒れて行く。翼は盾を構えていたが、至近距離から放たれた小銃の威力は彼の耐え切れる限度を超えていたのだろう。
「悪いけど、やらせないよッ……」
それでも、翼はErieを庇えた事に満足したのか、少しだけ笑っていた。
「南から来てる奴ら止めろってさぁ〜。こんな見通し悪いところで、待ち伏せも見破られて失敗して……おまけに範囲が広すぎて索敵もできやしないじゃなぁい…。何か次の案はないのぉ〜!」
Erieがやけっぱち気味に叫ぶと、魔導書から炎の剣を生み出しワーウルフに直撃させる。……が、ワーウルフをそれを事も無げに回避。
一人を血祭りに上げて満足したのか、それ以上Erieに攻撃しようとはせず本陣の方へ進攻しようとした。
「行かせん!」
絃也はすかさず崩拳で打ち掛かる。しかし、ワーウルフはさっきのように不意を突かれはせずカウンターで弦也に爪を振り降ろす。
鮮血が、舞った。
なおも、踏み止まり構えを崩さない絃也。一撃入れての離脱を計るワーウルフの前になも立ちはだかる。
流石に業を煮やしたのかワーウルフが再び銃を構えた瞬間。
巨大な火球がルナジョーカー(
jb2309)によって撃ち出された。
「これ以上……仲間に手出しはさせねぇよ!」
爆砕した火球から飛散した炎がワーウルフの周囲に降り注ぐ。
「こっちも何とか抑えなければ。頑張りましょう」
番場論子(
jb2861)も、自らの魔法書から雷の球のようなアウルを発射後衛からワーウルフを牽制する。
しかし、ワーウルフはそれ以上時間を無駄にしなかった。絃也への攻撃には執着せず、更に論子の援護射撃を回避する手間も惜しみ、跳躍し距離を稼いだ。
「やってくれるわね。でも、誰が相手でも何人居ても、ここを通すわけにはいかないわ。絶対に、ね」
それは、ε班からこちらの支援に回った御堂 龍太(
jb0849)だった。
ワーウルフの周囲に湿った山の土とは明らかに異なる、乾いた、だが瘴気に淀んだ砂埃が舞い狼を覆い尽くした。
「あたしの心からのプレゼントよ。……気に入ってもらえたんなら……そのまま石になっちゃいなさいよ……」
龍太が油断無く呟く。だが、その答えは薄まり始めた砂塵の中から全方位にばら撒かれた自動小銃の弾丸だった。
その威力と射程は既に述べた通りである。撃退士たちは回避や防御に専念せざるを得なかった。
その隙にワーウルフは今度こそ跳躍して木々の間に消え去った。
「駄目だ……こんな所で……みんなを信じて、耐えて見せる……」
翼も自らのアウルで応急手当てを行おうがそれで精一杯だった。
しかし、一同が暗い表情になった時何とかもう一体のワーウルフを撃破したメンバーとハヅキの班が追いついて来たのだった。
結果として二正面作戦を余儀なくされた撃退士たちの明暗を分けたのは戦闘開始直後の動きと、戦術の差だったろうか。
β班の方は、最初に一瞬とはいえ敵を怯ませ、その後は武器や脚に意識を集中して敵の戦力を少しずつ弱めた事が大きい。また、β班がいち早くハヅキたちと合流できたのは蒼桐が漠然とハヅキたちとの連携を意識していたおかげだろうか。
ともかく、撃退士たちは、一足先にまだ補足されていないヴァニタスを追って行った二人に光信機で連絡を取った。
●
鴉守 凛(
ja5462)は、肩で息をしていた。既にその全身は血に塗れている。それでも彼女を覆うアウルはなお、その肉体を癒して凛を眼前の敵に対峙させ続けようとしていた。
「何だぁ? 傷は塞がるのに服は再生しねえのか? ゲェヘヘヘヘ! このままいくとストリップになっちまうじゃあねえか!」
下品に笑う猟犬、レザーレスハウンドの方は全くの無傷。わざとらしく余裕を見せ凛を挑発する。
メンバーの中ではただ一人、敵の迂回行動に警戒していた凛はヴァニタスに接敵する事が出来た。
だが、彼女一人で抑え切れる相手ではない。それでも、最初の打ち合いを終えて辛うじて立っていられるのは、あえて攻撃をすてて防御に徹するスキルで固めたせいか。とはいえ、それも後一撃だろう。
しかし、今の凛にはそのような事は問題では無かった。
――まだ、足りない。一滴の血までもが尽きるその時まで
滴る血を、唇を割って覗いた薄桃色の舌が舐め取る。
なおも卑猥な言葉を重ねようとしたヴァニタスに凛はただ一言だけ、呟いた。
「……お喋りな男性は、嫌われますよお?」
凛の斧槍が静かに持ち上がる。
ごく、僅かに、レザーレスハウンドの目つきが変わった。
「……なるほど。お前、そういう性癖かい。ククッ、上等だ」
ヴァニタスはそれまで構えていたナイフを鞘に納め、巨大な鉄球をゆっくりと持ち上げた。
――そうだ 確かめ合うのだ
――殺意を
先に打ち掛ったのは凛だった。高く飛び上がった凛は只一直線に斧をヴァニタスに振り降ろした。
当たった――凛がそう認識した瞬間、彼女の全身を恐ろしい衝撃が襲った全身の骨が砕ける感触に恍惚となりながら凛は微かに笑う。
「後、お願いしますねえ……」
その言葉に応えるかのようにレザーレスハウンドの背後の灌木が蠢いたかと思うと、そこから大鎌を構えた黒百合(
ja0422)が飛び出し、背後からレザーレスハウンドに切り掛かった。
「凛ちゃん、仇は打ってあげるわァ……裏切り者は処分するに限るわねェ……さァ、お仕置きの時間よォ……♪」
◆
最初に待ち伏せが感化された時点で、黒百合は自身の偽装にもう一工夫加えていた。木の葉などに加えて隠密の術まで使い、凛が戦っている間に敵の背後に回り込んでいたのだ。
しかし、レザーレスは振るわれた大鎌を、凛を殴り飛ばした鉄球をそのまま振り回すことで正面から受け止める。
「残念だったなあ!」
レザーレスが嘲笑う。だが、敵を嘲笑ったのは黒百合も同じだ。
「そっちこそォ!」
黒百合の口が叫んだ形のままぽっかりと開かれてアウルが一閃した。それは、高密度に圧縮されたアウルだった。
ヴァニタスの体から血飛沫が上がった。深手ではないが、少なくとも手応えはあったようだ。
「ク……ハハハハハッ! 面白いじゃねえか!」
だが、却ってそれで闘争心を煽られたのかヴァニタスは、自動小銃を構えた。
「当たらないってのよォ!」
こちらも興奮に伴い口調が崩れている黒百合。空蝉の術で素早く回避しよとするが。
「クソッタレェ……」
空蝉で回避するには余りにも広範囲にばら撒かれた弾丸の雨を受け、黒百合は中指を立てつつ宙を舞い、地面に倒れた。
◆
「……中々頑張ったじゃねえか。折角気絶したスケを放っとくのは勿体ねえけどなあ! ヒヒヒッ」
レザーレスは倒れた二人を一瞥して立ち去ろうとする。だが――。
その脚に突如黒い糸が巻きついた。
「残念だけど、アンタは好みじゃないのよ、出直しなさい!」
ネビロスの操糸をヴァニタスに巻きつかせた龍太が叫んだ。
「目先の趣味より仕事を優先とは中々躾が行き届いているじゃないか、駄犬」
ヴィルヘルミナも氷の刃を放つ。しかし、ヴァニタスはその巨大な鉄球で刃を受け止め、事も無げに糸を引き千切った。
「おやおや……少し遊び過ぎたか? だが、これでスケの使い道が出来たぜぇ」
ニヤリと牙を剥き出したヴァニタスは散開して自分に対して構える学園撃退士らとハヅキたち見回すと、地面に倒れている黒百合を掴み上げた。
「ふざけるな! 仲間を放せ!」
ルナジョーカーがたまりかねて叫ぶ。
「オイオイ、まさかこの俺様に一々こういう場合に御馴染みの台詞を吐かせる気じゃねえだろうな? 何も、このまま見逃せと言ってんじゃねえ。もう一匹残ってる俺のディアボロがお前らの本陣にデモンロケットをブチ込むまでここで俺と楽しもうや!」
「下劣な。反吐が出そうです」
月子はそう言ってにっこりと実に良い笑顔になった。
一方、ルナは拳を握りしめた。
「奴らと同じだ……反吐が出るっ!」
「……やれやれ、言動に品と言うものが全く感じられません。人間並みの知能があったとしても、しょせんは犬畜生ですね」
「おやァ? それで挑発してるつもりかい? クク、見た目だけでなく頭の方もカワイイじゃねえか」
ムッとした、というよりは不快感を示すエイルズ。
「……よく分かんないけどすっごくムカつく……」
兵士、従者、走狗としての誇りさえ持たぬ犬畜生を貴族の血が許さないのだろう。エリアスはそう呟きつつもレザーレスから目を離さない。
まるで、自分が眼前の『アレ』に興味を持つ前に一刻も早く始末しようと隙を伺っているようだ。
「同感だな。魔術師殿」
そう友人に呼びかけてからヴィルヘルミナは改めてレザーレスに。
「私なら、まかり間違っても貴様の魂を食おうなどとは思えん。これは衛生上の問題だよ。貴様は臭い、お前なんぞをヴァニタスにした奴のお里が知れるな。それとも、外道に組み敷かれるのが好きな特殊な趣味の持ち主か?」
これを聞いたレザーレスは極めて下品に口笛を吹いた。
「おや、今度は俺の『ご主人様』を侮辱したつもりか? ククク、目の付け所は面白えな。ククク、まあ確かに恩義くらいはあるのかね? あれっぽちの人間を差し出しただけでこんなにイケてる身分にしてくれたんだからなァ!」
「な……陸尉。それは……!?」
それまでじっと耐えていたハヅキが叫んだ。
「解んねえか? 何で俺様がヴァニタスなんてオイシイ話にありつけたと思う? 俺はあの時市民の皆さんの避難誘導に当たっててよお、悪魔共に追いつめられたときたまたま避難民が居る場所を知っててなあ……ピンと来たぜ!」
「陸尉……! 貴方はヴァニタスになる前から人間の心まで……」
ハヅキは絞り出すような声で叫び、嗚咽した。
「元人間? だから? それに何の意味が? ……貴女が彼の人の尊厳を守りたいというのならこの場で殺してやるのがせめてもの処置です」
月子は先程から、レザーレスから最も離れた位置――具体的には彼女の射程の限界にいた。
その月子は再び雷上同を構えアウルの矢を放った。それは正確無比に黒百合を掴んでいるレザーレスの腕に突き刺ささる。
「猟犬が狩人の的にならないとは限りませんよ? ……お願いします、ルナジョーカーさん!」
「俺はもう二度と同じ過ちを繰り返したくないんだァ!」
月子とタイミングを合わせて動いたルナジョーカーは再びファイヤーブレイクを放つ。このスキルに敵味方を識別する能力があるのは周知の通りだ。
「やられっ放しは……格好悪いですからねえ」
最後に動いたのは、リアニメートの効力で倒れた後も少しずつ回復していた凛だ。月子の狙撃で緩んだであろうヴァニタスの腕から黒百合をもぎ取った。黒百合を奪い返してそのまま味方の元に滑り込んだ凛は今度こそ気を失う。
◆
撃退士たちは同時に動いた。
「時間が無い。何やら妙な取り合わせだが、付き合ってもらう」
枯れ葉色の翼を生やした悪魔、ヴィルヘルミナの呼びかけにグレイフィアもまた、忌まわしき思い出の多い大型の漆黒翼を広げ、飛行しながら呟いた。
「嫌いだの何だの言っておきながら、結局は頼らざるをえないのが悔しいわね……でも、飛べることは大きなアドバンテージだから……利用できるものは利用させてもらうわ」
「やってくれるじゃあねえか! だが、おめおめ行かせるかよ!」
レザーレスが小銃を構える。だが、その時エリアスの大鎌がレザーレスの鉄球に引っ掛けられた。
「おやぁ? これは可愛らしい坊やだ。さっきの赤毛の坊やといい最近流行ってるらしいなァ! だが、お前も俺の部下の方を探さなくて良いのかい?!」
腐りかけ、濁った黄色の眼で、舐め回されるように見られたエリアスは強烈な生理的嫌悪感を催した。
――同じ時間・場所・空気を共有していることが許せない
「下卑た目で見るな、この雑種がッ!」
雄々しく叫ぶエリアス。だが――
「!?」
ヴァニタスと一体一での、力比べは分が悪かったレザーレスは逆に引っ掛けられた鉄球を振り回してエリアスのバランスを崩すと、そのまま鎌ごと少年を空中高く放り上げた!
エリアスの着地点。そこには――
「くっ……!」
臭い口から漂う腐臭にエリアスが思わず顔を背けた瞬間、上下に開いたレザーレスの顎がエリアスを捕え、その肉に食い込み、血を吹き出させた。
「あ……あああああああっ!」
エリアスの端正な顔が苦痛に歪む。そのまま、レザーレスは少年の体を振り回し、近くの木に叩きつけた。
「ヒヘヘヘヘ! 柔らかなお肉でしたァアアアアアア!」
狂乱の声を上げるヴァニタス。
だが、その懐に闘気を漲らせた絃也が飛び込む。
「守るべき者を捨て闇に墜ちた獣、力に溺れた意思無き獣、此処で引導を渡す」
「出来んのかよォ!?」
レザーレスが鉄球を振るう。だが、ハヅキや他のメンバーが全力の攻撃で絃也をサポートする。
「理念も矜持も無くただ暴力という快楽に溺れる貴様に、我が武の真髄を叩き込む……この一撃無理でも押し通す!」
怒りの鉄山靠がレザーレスの腹部に吸い込まれていった。
●
「後は頼むよ。……やれやれどうもこういうのは性に合わないが……退屈しのぎにはなるかな……?」
全身に、地上から放たれたワーウルフの銃弾を浴びたヴィルヘルミナは墜落しながらも笑った。
「必ず……!」
ヴィルヘルミナとは違梢の高さギリギリに浮かんでいたグレイフィアはその方向――たった今ヴィルヘルミナを撃った弾丸の発射地点へ、走る!
そこにワーウルフがいるのは間違いない。
これがヴィルヘルミナの作戦だ。わざと飛んで地上を手当たり次第に攻撃して、敵に撃たれることで、一旦見失っていたワーウルフの位置を炙り出したのだ。
だが、グレイフィアが見たのはかなりの長距離から辛うじて遠くに見える本陣にロケットランチャーを構えたワーウルフの姿だった。
――間に合わない。
そう考えたグレイフィアは、次の瞬間、己の身を発射されたデモンロケットの射線上に飛び込ませていた。
山林を再び爆炎と轟音が揺るがした。
◆
「!?」
奇妙な手ごたえに絃也は目を見開いた。
確かにヴァニタスの胴に突き立ったはずの拳はいつの間にかヴァニタスの足元の影から立ち昇る黒い影のような『何か』に飲み込まれていた。
背筋に冷たいものが走るのを感じた絃也は素早く飛び退く。
同時に、撃退士たちは見た。
レザーレスハウンドが飛行しているのを……いや、その身体に比して異様に巨大で禍々しい翼を広げた、少女の外見をした悪魔がヴァニタスを足で挟んで抱えているのを。
撃退士たちの視線と少女の視線が交わる。
だが、少女は素早く目を逸らすと翼を翻し、飛び去っていった。
直後、本陣からの通信で撃退士たちはグレイフィアが身を挺して本陣への攻撃を防いだこと。と味方が集結を完了し、守りを固めたことで東北のディアボロが一時的に本陣への接近を中止した事を知った。
●
「……気持ち良いです」
露天風呂の中で、Rehniはゆったりと息を吐いた。白い腕の内側に鼻を近づけるが、あの葉や土の匂いはもう感じられない。
温泉といってもここは豪華な旅館のそれではなく最近流行りだした高速道路のサービスエリアに併設されたそれだ。とはいえ、温泉は紛れもない本物だ。
「今回はしてやれらたわぁ……」
すぐ傍でErieが口元まで湯に埋め、ブクブクと泡を出す。
Rehniが何か言おうとした時、かすかな水音が聞こえ――腰まであるような長い艶やかな紫の髪のやや幼い少女が湯煙の向こうから姿を現した。
何気なく会釈したRehniと視線が交わると少女は慌てて目を逸らし、立ち去った。
「無愛想な子ねぇ……あれ? どこかで見たような……?」
Erieがそう言った途端、Rehniがざばぁ! と立ち上がった。
●
「待って!」
重体の身ながら、湯治と洒落込んでいた青柳だったが温泉の入り口で温泉から出てきた少女とすれ違い、即座に気付いた。
「君は確か前に中禅寺湖に現れた娘だよね? 好戦的には見えなかったけど、どうして……また?」
少女は足を止めたが振り向かず、何も言わない。
「もしかして……温泉に興味があったの?」
無言。
「僕は青柳。前にも言ったけど学園に来るつもりは無い?」
「……あたしからも質問。アンタ、あんな腐れヴァニタス作って、何がしたいの?」
Rehni、Erieと共に現れた龍太も問う。
「ニンゲン……怖い……解らない、から……」
なおも問おうとする撃退士たち。
だが、少女は止める暇もなく翼で空に舞い上がり、他のメンバーが慌てて駆けつけた時には飛び去っていた。