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グランドピアノの位置以外は暗かった筈の舞台。その一画が、突如スポットライトに照らされた。そのアウルの光の中央で。狐の面を被ったエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が大仰な仕種でゆっくりと一礼。
「子供を連れ去る悪しき魔虫よ。これより先は我ら撃退士の晴れ舞台です」
仮面を外したエイルズレトラ(以下エイルズ)は不適に笑う。
ディアボロは躊躇しなかった。大透翅の方が僅かに体を揺らしたかと思うと、撃退士の目でもってしても補足困難な速度でエイルズに突進した。
次の瞬間には床の木材が盛大に飛散。
対して飛び退いたエイルズは大透翅の周辺に無数のトランプを出現させた。トランプはクラブのA。それが風に吹かれたようにベタベタと蛾の全身に張り付く。
完全に覆われた蛾は、そのまま空中から舞台に叩きつけられるかに思われた。
しかし、空気が振動したかと思うと蛾の翅を覆っていたトランプが一気に引き剥がされた。大透翅が体勢を立て直す。
「しぶといですね……」
直後、今度は黒い毒蛇の形を取ったアウルが蛾の体に巻きついた。
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「毒は早めに仕込んでおくに限るからな」
毒蛇を振り払おうとするかのようにもがく蛾を見てヴィルヘルミナ(
jb2952)がニヤリと笑う。
新たな敵の接近に、山繭蛾の方も獲物の監視を中断。天井から離れ舞う。
「無粋も無粋、せっかくの音楽の場を台無しにしよって……許さん、駆除したる!」
二匹目が動いたのを見て、亀山 淳紅(
ja2261)が大声を上げた。敵の注意を此方に惹きつけるためだったが音楽に文字通り命を懸けている彼としては偽らざる本音でもあった。
「そら、お前もこっちまで降りてくるといい」
ヴィルヘルミナ(以下ミナ)も挑発。
これに対して山繭蛾は淳紅の方に接近。そして、翅を上下させて鱗粉を二人の方に散布した。
「来おったな……自分に任せてや!」
ライトを乱反射して不気味な輝きを見せながら迫る鱗粉に向けて淳紅はアウルで作り出した竜巻を叩き付ける。
(出動前に敵が鱗粉使いおると聞いて試したかったことや。上手くいけば……)
鱗粉の嵐に竜巻が接触する――
――結論から述べれば、淳紅の目論見は外れた。マジックスクリューによる竜巻はあくまでも『敵の意識を撹乱する効果を持った』アウルなのだ。自然現象におけるそれと同一の効果までは望めない。
「これは……っ! し、しもうた……」
膝を付き頭を押さえる淳紅。淳紅の視界がグルグルと回転。耳に入る音は遠くから響いたかと思うと耳元でわんわんと鳴る。
その朦朧とした意識の片隅で、ミナのこんな声が聞こえてきた。
「でかしたぞ」
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無人となった観客席の間の通路を、黄金色の毛皮を纏った何者かが気配を消しつつ移動している狐珀(
jb3243)であった。
最前列の座席の後ろから舞台の上の淳紅と山繭蛾が『同時に』フラついたのを確認して狐珀は呟く。
「さて、行くとしようかのう」
「救出と護衛だね……任務了解……」
狐珀同様、気配を消して物陰に潜むリアナ・アランサバル(
jb5555)が声を出さずに合図に応じる。
「ふざけたディアボロ送り込みやがって! とっとと助け出してブッ殺す!」
ある意味では音楽会場に相応しい出で立ちの江戸川 騎士(
jb5439)が闘志を燃やす。そして、三人のはぐれ悪魔は一斉に闇の翼もて飛翔した。
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山繭蛾の方は何も出来なかった。
鱗粉と竜巻がお互いに干渉しないという事は、淳紅と蛾は同時にお互いの鱗粉と竜巻を受けたという事であり、こちらもまた朦朧とした状態で舞台の上でひくひくと足を震わせていたのだ。
その山繭蛾の頭上を飛び越えて真っ先に騎士が吊り下げられている少年たちへと辿り着く。
「ガキ共! 生きてるか!?」
二人の前で大きく翼を広げて大喝する騎士。彼がまず心配したのは繭が人体に与える影響だったが、繭そのものは無害らしいことは確認出来た。とりあえずは安心する騎士。
……しかし、意識を取り戻した子供たちはそうはいかない。
何しろ、騎士は顔立ちこそ女性のように整っているものの、目つきは鋭くおまけに悪魔の翼が視界に広がっているのだ。
二人の眼に涙が浮かんだのも仕方が無い。
「じゃかましい!! グダグダぬかすとキスするぞ!」
面倒な事になる前に、とその綺麗な顔を近づけて思いっ切り凄む騎士。
ふぇっと泣き止む子供二人。
「とりあえずその繭はほっといても大丈夫みてぇだな。糸を切ってやるからじっとしてろよ?」
ナイフを取り出す騎士。だが、そこにエイルズの警告の声が響く
「気をつけて下さい!」
咄嗟に振り向く騎士。彼が見たのはこちらに向けて狙いを定める大透翅だ。
蛾の目的は人間の捕獲である。その優先順位がある以上、エイルズによって注意を引き付けられていたとしても、人質を取り戻そうとした相手に注意を向けるのは仕方が無かった。
(クソッ! あのスピードじゃあ……糸を切断する前に突っ込んで来やがる!)
騎士は迷わなかった。空中で反転すると大透翅に向き直る。
「上等じゃねぇか、ぶっ殺す!!」
不可視の弾丸を放とうとする騎士。しかし、大透翅は圧倒的な速度で騎士に衝突。そのまま彼を壁面に叩きつけた。
「がっ……」
吐血する騎士。その彼を子供たちが目を丸くして見つめる。
「だから……ガキは嫌いなんだよ……」
それでも子供に向けてニヤリと笑って見せる騎士。
「……すまん騎士殿! 必ず傷は癒すぞ」
その女性の声は少年二人のすぐ側から聞こえた。一瞬騎士から注意を逸らした二人はそちらを見て今度こそ大声を出しそうになった。
なにしろ、今度も闇の翼。おまけに狐の容貌をした狐珀が何時の間にか近くに来て糸を切っていたのだから。
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大透翅は騎士に注意している間に、気配を消した狐珀とリアナが少年たちに接近している事に気付かなかったのだ。
「怪我は無いようじゃな」
狐珀が微笑む。
「気を引いてくれている隙に、早めに救出しよう……」
同じく気配を消して二人の少年のいる場所まで飛び上がっていたリアナが無表情に呟いて狐珀から二人を受け取り抱えた。
「リアナ殿、二人まとめて頼めるかのう? 儂は騎士殿を助けねばならん」
リアナは頷く。
騎士は子供をピアノの下に押し込むつもりであった。
一方、リアナはとにかく一人を抱えてホワイエにいるモノホーンの元へ先に運ぶ予定だったのだ。
そして、騎士は予想外の傷を受け動けない。また、その騎士の傷を癒して戦力の低下を防ぐためには狐珀が必要だった。
「わかった……二人くらいなら何とかしてみる……」
こういった理由からリアナは二人を抱えホールの出口に向かって一気に滑空した。
ようやく大透翅がそちらに頭を向ける――が大透翅の視界に入ったのは、突如彼の眼前に広げられた枯れ葉のような色をした闇の翼。
それは飛翔したミナであった。
「さて、この身は魂喰らいのウィップアーウィルだ。貴様ら虫共を逃がす謂れは無いぞ?」
彼女は不敵に唇の端を釣り上げる。
枯れ葉――死んだ葉の色にも似た淀んだ砂塵がミナから大透翅の方へと吹つけ、彼のディアボロを包み込んだ。
「抗い切れなければご喝采、か」
だが、蛾はダメージこそ受けているものの石に変じる様子は無い。
「存外頑丈なようだが……こちらの野暮用は終わったぞ?」
リアナはもうホールの出口に辿り着いている。飛行能力に加えて忍軍である彼女はその機動力を駆使してミナが稼いだ僅かな時間に任務を完了させた。
いや、そればかりか。壁の側を飛んでいた狐珀がそのふさふさした尻尾を華麗に一振りするとその背後から一応戦えるようになるまで回復した騎士がキレた表情を浮かべていた。
「騎士殿、気分はどうじゃ? 一応傷は塞いだがのう」
「サイコーだぜ! ブッ殺す!!」
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扉を開けてホワイエへ転がり出たリアナは少年二人を拘束していた繭を切る。
「これで、いざという時に動けるから……? どうしたの?」
見るとリアナに抱えられていた二人の顔は真っ赤だった。
何やら、や、やわらかくて、い、いいにおい……などと言っている。
「? ……まあ、任務だから、守りきるよ……」
今度は気配を復活させ周囲を警戒するリアナ。
だが、モノホーンは首を振った。
「その必要は無い。ディアボロのみを先行させたようだ。実験のつもりだったのかかもしれんな」
「なら積極的に動かなくても、補助程度なら手伝ってくれる……?」
リアナが言う。合流時、モノホーンが「任せる」と言ったのを受けてのことだ。
「私も今は撃退士の身分だ。必要があれば市民を守るために全力を尽くす。だが、アランサバルよ。私は教師でもある。君たちにより強い力をつけてもらう事も我が務めなのだ」
丁度その時、ホールの外にいた市議会議員が我が子の無事を確認して転がり込んで来た。続いてホールの状況を気にした関係者たちも入って来る――そして、彼らの視線は一点に釘付けになった。
ホール内での戦闘の様子を映し出すモニターの映像に。
「この結果は君たち6人が掴みとったものだ。君の人質を先に安全な場所に護送するという判断も含めてな」
リアナもモニターを見る。
「今日、手に入れた撃退士としての成果が、生きる目的を探求する上での助けになればと思う」
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舞では、ようやく意識を回復した山繭蛾が鋭く細い口吻でエイルズを狙う。
「しまった……!」
エイルズは鋭く叫んだ。
その狙いは意外にも正確だった。素早さが身上のエイルズも遂に……
「いつからそのジャケットが僕だと勘違いしていました?」
口吻が貫いたのは、エイルズの服だけだった。山繭蛾は慌ててそれを振り放そうとするが。
「捕えたで……!」
意識を取り戻していた淳紅が、山繭蛾を掴む。狙いは蛾の翅だ。至近距離から、勿論ピアノを射線に巻き込まないようにして放たれたそれは彼の狙い通り翅の付け根に直撃。その片方を焼き切った。
飛行能力を失いばたばたともがく蛾に、今度は赤いトランプ、ダイヤJが投げつけられる。雷のようなアウルを纏ったそれは、高温で耐久力を低下させたディアボロの神経をズタズタに引き千切った。
こうなっては、ディアボロは無力化されたも同然。エイルズと淳紅は止めを刺すべく其々が武器を構えた。
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「やはり戦いはいい」
天井の高い客席部分を飛び交う三つの人影。
ミナは込み上げる愉悦を抑えるかのように笑った。
飛び道具を持たない大透翅は三人の遠距離攻撃にじわじわと削られ、おまけに緒戦でミナに受けた毒のせいでグロッキー寸前である。
「止めを刺そう」
ミナは狐珀と騎士の位置を確認して、自身は上手く仲間と十字砲火がかけられるような位置に移動する。
「後はこやつを滅するのみじゃな。蛾にはやはり雷撃じゃのぅ」
狐珀は大透翅に高度を合わせ、雷状のアウルで攻撃。
「貴様が飛べんなら俺様も飛べるんだよ」
騎士もさっきのお返しとばかり、翼を羽ばたかせた後、不可視のアウルを放った。
――敵と味方を数え、位置を取り合い、鎬を削っている間は諦観を忘れられる……身を苛む痛みの熱が生きていると感じさせてくれるからな
ミナの表情はモニターには映らずに済んだ。
三方からのアウルの遠距離攻撃による十字砲火を受けた大透翅が撃墜された瞬間には、モニターの前の市民から歓声が上がった。
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「では事後処理は頼むよ、色男」
ミナの一言にドリンクコーナーの売り子のお姉さんが呆然としている。
「ん? 伊達男の方がよかったかな?」
平然と続けるミナ。どうも素らしい。悪魔の感性では彫りが深いというレベルなのだろう。
「噂には聞いておったが中々の悪魔っぷりじゃな。私もあまり人(?)の事は言えぬがのう」
狐珀も自然な調子で相槌を打つ。
「見目麗しき両名の世辞、ありがたく受けておこう。まあこの眼鏡は伊達ではあるが」
芸術文化会館のドリンクコーナーではよりにもよってミナ、狐珀、おまけにモノホーンの三名が集って飲み物を頼んでいたのだ。
「しかし、狐珀もだがそのなりでは面倒が多くないかね? 人族からだと偏見も多かろう」
とミナ。
「この容貌にも理由と効果はある。私の場合学園からの命令でもあるのでな。上手くすれば生徒を天魔に慣らすことは出来る」
モノホーンが応じる。確かに慣れそうなどと売り子さんがこっそりと呟いているが誰も気にしない。
「ふむ……私の方もまあ一筋縄ではいかぬわな。お互い肩身の狭い事もあろうが、頑張るのみじゃな」
「うむ」
「それはそうと……これだけ暴れれば音響も多少ずれるか、まぁ大破しなかっただけマシと思うしかないな」
ふと、モニターから流れる曲にミナが眉をしかめる。
「それでも、ピアノに注意してくれたおかげで子供らの練習が全くの無駄には終わらずに済んだ」
「発表会というのは初めてじゃが中々に優美じゃ。それでモノホーン殿。この曲は何と?」
「ああ、これはドビュッシーだな……さて、そろそろ私の出番か」
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飛び入り参加で、ピアノの演奏を終えた騎士の一礼に、いまだ会場に残っていた観客から惜しみの無い拍手が起こった。
「悪魔だって音楽好きがいるってのを判らせてやれて嬉しいぜ」
騎士は満足そうに呟くと、舞台袖に下がった。
そして、未だしゃくり上げている翼を見てチッと舌打ちした。翼の相方の少年は元気を取り戻して翼を待っているのだ。
「な、翼くん」
淳紅は、優しく翼の両肩に手を置き、翼の顔を覗き込んで勇気づける。
「撃退士としてお兄ちゃんの言うことは重々理解できる」
翼は俯いてしまう。
「けど、音楽やってる身としては……せっかく頑張って練習してきたん、聞きに来てほしかったんも痛いほどわかる。だからな……」
淳紅は傍らで文明の利器デジタルビデオカメラ(市議会議員が快く貸してくれた)を構えるモノホーンを見て続けた。
「お兄ちゃんが生で聴けなかったこと後悔するぐらい良い演奏せなあかんで!」
翼はまた鼻をすする。と、騎士が面倒そうにポケットティッシュを差し出す。
「ほら、鼻水タレてんぞ」
使い終わって顔を上げた翼はもう泣いてはいなかった。
「ありがとう……」
ほんの少しだけ笑って翼はピアノへと向かう。
「……あんたのお株は下がったままか」
騎士の呟きに、器用にビデオを操作していたモノホーンが応じる。
「何。生徒の株が上がることが教師にとっては重要だ」
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東北地方某所。荒れ果てた瓦礫に囲まれた急ごしらえの野営地にて久遠ヶ原の職員が、遠征して来ている撃退士たちへの郵便物を配布していた。
友人や家族からの手紙を待ち焦がれていた生徒や、それ以外の撃退士たちがひしめいている。
その片隅で、スマホに繋いだイヤホンにじっと耳を傾ける双葉 司の姿があった。彼の握っている封筒に入っていた外部メモリーはスマホに接続されている。
司の眼は、少しだけ潤んでいた。