●『大峰山朝陽 探偵事務所』
所長の大峰山 朝陽(jz0243)が自分の机に突っ伏していると、入り口のベルを鳴らして染井 桜花(
ja4386)が現われた。
「……朝陽。道具を借りに来た」
「わざわざありがとう。こっちにあるわ」
無様な姿を取り繕いながら、用意していた物を渡して使い方を簡単に説明する。
「それとこれね」
自分の財布から取り出した一万円を桜花に渡す。
「……ではこれから準備してくる」
「桜花さん、あなた頼りになりそうね」
「……ん?」
にーっと笑みを近付ける朝陽。
「明日、よろしく頼むわ。私はここで待機してるし」
人間、嫌な事は先延ばしにしたくなるものである。こうして朝陽は仕事をエスケープした。
無責任な依頼主は放置して、桜花は明日から潜入するコスプレ喫茶『ふぁんたす』に出向いた。
既に閉店していたお店ではオーナー兼店長の浮草さんが待っていた。事前に連絡しておいたように、道具のセッティングを行なう。
場所はレジ、ロッカールーム、休憩室。それぞれに監視カメラを仕掛ける。そして監視モニタと録画機器を店長室に。
この設備を使って、売上泥棒の容疑者達をテストしていく。
誰も居ない場で目の前に一万円札が。この時どういうリアクションを取るか。それで売上泥棒をあぶり出そうというのだ。
●執事の『ゆみ』
コスプレ喫茶『ふぁんたす』の朝は早い。
モーニングに合わせてお店を開けるのだ。
今日潜入するのは桜花と永連 璃遠(
ja2142)。一番人数の少ない日に来ると言っていたくせに朝陽は本当に現われなかった。
桜花のコスプレはメイド。白がベースの衣装は自前だった。桜花が着ると妖艶とでもいうような独特の雰囲気が漂う。
璃遠もメイドだ。丈の短い青いメイド服。実によく似合っていた。店長の浮草さんはため息の後、にまにまと笑顔を見せた。
(この反応。喜んで、良いのかなぁ……)
璃遠の顔は暗くなってしまう。それも当然と言える。だって璃遠は男の子なんだもん。
(は、笑顔笑顔。あくまで捜査だけど、真面目に働いている姿で行かないと)
「ぃ、いらっしゃいませ♪」
と、頬を赤らめながら練習する。
「あら、可愛い新顔さんね」
野太い女言葉で話しかけてくるゴリマッチョなメイド店員。彼には自分の本当の性別を知られた方が危険な気がする。璃遠は密かに戦慄する。
さて開店。モーニング目当てのサラリーマン客が押し寄せる。朝からコスプレ喫茶とはネジが揺るんでる。
「……お帰りなさいませ、ご主人様」
桜花の笑顔は誰もが見惚れる接客スマイル。おじさま達の心を鷲づかみにする。
ちなみにこのお店では、来店時の挨拶はめいめい好きなように言って構わなかった。
「あ、あの、ちょっと良いかな?」
挙動不審な若いお客が桜花を呼び止める。
「……何でもお申し付け下さい」
桜花、堂に入ったスマイル。
「『今日もお仕事頑張って下さい』って言ってみてくれる?」
「……今日もお仕事頑張って下さい」
それを見惚れる笑顔で言ってみせるのだ。小首を傾げたりなんかして。
「ありがとう! これで一ヶ月は頑張れるよ!」
お客、突如立ち上がって手を握ってくる。まさに感涙と言った有様で。
さすがに驚いて身を引いてしまう桜花。
「踊り子さんにはお手を触れないで下さーい」
ゴリマッチョメイドが割って入る。
まぁ、別にいいのだけれど。接客モードの桜花は完璧なプロであった。
そんな桜花の仕事ぶりを目の当たりにしながら、璃遠も力の限り奮戦する。
今までも女の子と間違われた事はあったのだが、今日は特別視線が痛い。多分、このスカートは短すぎる。
「お待たせしました」
モーニングAセットを中年のサラリーマンに出す。
「ああ、ありがとう」
このように物静かな普通のお客も居るのだ。少し心が安らぐ。
「君、最近入った娘?」
「今日、臨時で入っているんです」
精一杯の笑顔。ニコッ。
「それは残念だ。君のそのメイド服。とてもよく似合っているのに!」
思いっきり身を乗り出してくる。
駄目だ。このお店は病んでいる。
さて、本来の任務に取り組もうか。
うん……魔が差すなんて、誰にでもある事だと思うし。店長さんの仰るように話を分かってくれる人達なら、きっと反省してくれる筈だからね。盗みは盗みだけど……慎重にいこう。
璃遠はそういう思いで今回の依頼に取り組んでいた。
推理小説と現実は違うと頭で理解していながらも、探偵業に憧れを感じているのもまた事実。少し気分が高揚しているのを感じる。
まずは桜花の仕込んだテストだ。
『ゆみ』は今日も凛々しい執事姿。倒錯した変態、いや大切なお客様との応対も慣れた物。
浮草さんの指示で、『ゆみ』一人だけに休憩を取らせる。『ゆみ』が向かった休憩室のテーブルには例の一万円札が。
暫くして部屋から出て来た。手には一万円札。
そしてそのまま浮草さんの所へ行くと、休憩室に一万円が落ちていたと報告してお札を渡した。
彼女ではないのか?
念の為に桜花が店長室で録画した画像をチェックする。
休憩室に入ってきた『ゆみ』はすぐお札に気付く。後ろの扉を気にし、部屋を見渡した後でお札を手に取る。そのまま離そうとしない。やがて力なく手を下ろすと、
「駄目だって言ったのはボクじゃないか」
と呟いてお札を持ったまま出ていった。そして浮草さんに届け出たのだった。
桜花はその挙動に怪しい物を感じる。彼女には何かがある。
続いて璃遠が接近した。詰問するのではなく、仕事をしながら何気なく話をしていくのだ。
「『ゆみ』さんは絵を描くって聞きましたけど」
「そうだよ。油絵で。今は静物ばっかり」
「僕も芸術の授業とか好きですよ」
穏やかに話を進めていく。
「一生懸命貯めたお金で、自分の夢の為に日々努力するって、凄いですね」
「ボクにはこれしかないから必死だよ。今もずっとコンペに出す絵を描いてるんだ。行き詰まってるけど前に進みたい」
「それはきっと将来、思い出の絵になるんじゃないでしょうか」
「だといいよね。思い出。人との思い出って何だろうって最近思うんだ。仲の良い子にも自分の知らない面がある。その子の本当はどこにあるんだろう。その子と過ごしてきた思い出は本物なのだろうか」
『ゆみ』の目にあるのは戸惑い、哀しみ。それを見て取り、璃遠は核心に迫ってみる。
「何が、あったんですか?」
「それは、言えない」
それきり黙ってしまった。
彼女は何かを知っている。しかしそれを口にする気はないようだ。
「……彼女関しては、これまでか」
「明日以降の人達に任せよう」
ようやく一日を終えた後でそう確認し合う。
「ところでこの格好、いつまでしてるんだろう」
相変わらずメイド服の璃遠が赤面してしまう。
「……いいじゃないか。似合ってる」
少し笑みを浮かべる桜花。
●魔法少女の『きりかちゃん』
川内 日菜子(
jb7813)は自分の姿に何かヤバイ物を感じてしまう。いや、私はヒーローのコスプレをしているだけ。タイツ状のヒーロースーツを着ただけじゃないか。
しかし何か危険を感じる。ロッカールームで立ち尽くす日菜子。
「あら、いーい、ラインしてるじゃない」
日菜子の太ももから脇腹にかけて、つつつーっと何かが通り過ぎていく。背筋が凍る。
振り返ると、黒一色の女王様スタイルの御姉様が乗馬用の鞭を片手に立っていた。さっきは鞭で撫でられたのか。
「良いわよ、貴女。奇抜だけど、ダ・イ・タ・ン」
女王様の舌なめずり。
やっぱりだ! この格好は身体のラインが出すぎている!
ようやく気付いた日菜子が顔を真っ赤にして喚く。
「店長! 他の衣装を!!」
結果、日菜子は可愛らしい赤のメイド服に。どの道恥ずかしい。しかしもはや諦めた。
「へっ、完璧だ……」
目に涙が滲む。
一方のユウ・ターナー(
jb5471)は悪魔ッコのゴスロリ衣装をノリノリで着こなしていた。小悪魔っぽい振る舞いが魅力である。
相良 歩(
jb6013)は浴衣を着ていた。コスプレには少し興味があるが、知識がない為和服をチョイスしたのだ。寒いので見えないように下にインナーを着て。
「こういうとこで働くのは初めてだな〜。コスプレってよく分かんないけど、こんな感じの服でもいいのかな?」
自然体の歩にとってこのお店は異次元のような物かもしれない。とんでもないケダモノが待ち構えているとは知る由もなかった。
そして朝陽は今日も現われなかった。奴は駄目だ。
お昼過ぎのコスプレ喫茶には、主婦や学生をメインに大勢のお客の姿があった。
「いらっしゃいませ〜! 何名様でしょうか?」
新しく入って来た女子学生達を出迎える歩。
席まで案内した歩が離れた途端、お客達は大きく頷いた。
「彼には期待できますな」
そして歩が老執事と話をし始めると俄然盛り上がり始めた。歩達は普通に会話しているだけなのだが。
「浴衣、寒くないですか?」
「中に着てるから大丈夫ですよ、ほら」
少し懐を開いてみせる。
と、女子学生からどよめき。
「おいいぃぃぃぃ!!」
「大人しく見えて誘い受けですと!」
とか言っている。
駄目だ、腐っていやがる。
歩はアニメなどにはあまり詳しくない方なので、彼女らの言っている事は理解不能かもしれない。それはむしろ幸せな事だった。
マイペースに笑顔を絶やさずに接客を心掛ける。
お店に来ている女性客が全て腐っている訳ではない。子連れで可愛いコスプレを見に来ている主婦達も居る。
小さい子は店内を走り回って危ない物だ。
歩はそういった子供達の相手をし、店長から許可を貰って少しだけお菓子を渡したりした。実に心温まる光景だった。
先読みのスキルという物は、接客に際しても役に立つ。こういった、店員とちょっとした会話を楽しむお店ではなおの事である。
しかし先読みはあくまで予測による物。理解不能な相手には通じない。当然件の学生相手には全くの無効で、頭にハテナマークを一杯付けて戻ってくるハメになる。
「どうしました?」
老執事が話しかけてくれる。
「なんか、『ごちそうさまです』。とか言われましたよ〜」
老執事が微苦笑する。
ユウは元気良く接客していた。パフォーマンスとして得意のハーモニカを吹いたりしながら。
ハーモニカの演奏は、子供達に大いに喜ばれる。ユウを先頭に、列を成して歩いていく姿が可愛らしい。
接客にも励むのだ。
「主様、お待ちしました、なの!」
「今日は豆腐のヒジキのハンバーグがお勧めなのっ☆」
男性客は男性客で駄目、と言うか終わってる連中が多いので、幼く見えるユウは大人気だった。非常に危険である。
男性客の邪な思念を感知出来るのか、ユウは上手く立ち回った。と言うよりも単に連中が軒並みヘタレなだけかもしれない。
どのみちユウが邪念に惑わされる事はないだろう。フロアに君臨する女王様が、鞭を片手に睨みを利かせているのだから。
まぁ、女王様の制裁は連中にとっては良いご褒美にしかならないのだが。蔑んだ目で見下ろしてくるがたまらんのだそうだ……。このお店はやはり病んでいた。
そう言った点、日菜子の愛でられ方は健全な方かもしれない。
「お帰りなさいませ、ご主人さまっ」
などと裏声で出迎えて、男性客をにやにやと喜ばす。
「注文は以上でよろしいですか?」
営業スマイルのぎこちなさもまたある種のお客にはツボだった。頻繁に呼び出される日菜子。
「僕、『ひーちゃん』のファンになっちゃったよ」
「ありがとうございますっ」
(いっそ殺してくれ)
心の中で血の涙を流す。
キツいのは男性客の相手ばかりではなかった。女性客を相手にし、「かわいー」とか言われた日には、穴があったら入りたい気持ちで一杯になる。
「一見気の強そうな女の子が、可愛い格好してるって良いわよねー」
「ギャップ萌えって奴かな?」
「ありがとうございますっ」
荒む心を抑えきり、お客の前では可愛いメイドさんを演じ切る。
(完璧だ)
そう自らを慰める。
さて、仕事仕事。
休憩時間を利用し、『ひーちゃん』こと日菜子は『きりかちゃん』と接触する。
「『ひーちゃん』はヒーロー物が好きなんだ?」
「そう。正義を貫くヒーローは最高だ!」
そうしてついついヒーローについて熱く語ってしまう日菜子。
「『ひーちゃん』面白いね」
その後も自分の父親に猛反発していた話をしていく。父親にわだかまりを抱いているらしい『きりかちゃん』の同調を誘うのだ。
「私のお父様は酷いんだよ。週に一回は浮気相手のところへ行くんだ。お母様もそれを知ってるから、すごく荒れちゃうし。このお店だけが私の居場所なんだ」
ため息をつく『きりかちゃん』
ユウは悪魔の囁きを効果的に使っていった。事ある毎に「おねーちゃんっ、おねーちゃんっ」と慕っていき、相手の油断を誘っていく。
そして仲良くなった頃合いを見計らい、何気なく自分の置かれたでっち上げの環境を話していくのだった。
「ユウね……大家族なの。だケド、両親が居なくて……弟や妹を食べさせなきゃいけないの……」
「それって、すごく大変じゃない?」
「でも平気だよっ☆ ユウが頑張るのっ!」
「あんまり無理しない方がいいよー。キミが倒れたら余計に大変な事になるし」
『きりかちゃん』は本気で同情しているように見えた。
しかしこれも任務である。更に悪魔の囁きを使用する。
「それでも……。時々、足長おじさんとか居てくれたら良いのに、って思っちゃう」
『きりかちゃん』の顔を見るユウ。
「……ユウ、ダメなコだね」
ユウの演技は相当な物だった。
こうして金銭面での同情を誘い、揺さぶりを掛けていくのだ。
「足長おじさんか、居たらいいよね」
暗い顔で下を向いてしまう『きりかちゃん』。
ユウは『きりかちゃん』の様子をじっと窺う。『きりかちゃん』はなかなか顔を上げようとしなかった。何か迷っている? そうとも取れる。
しかし時間切れ。休憩時間は終わってしまう。
次に例のテストだ。店長室には今日は店員ではない桜花が詰めていた。
レジの死角にお札を置く。
歩もお店の仕事をしながら『きりかちゃん』の様子をチェックしていく。
『きりかちゃん』がレジに向かう。しかし他の店員も居る。
ここで歩は動き、その店員がレジから離れるよう呼び寄せた。これで『きりかちゃん』は一人になった。
店長室。桜花はモニタを注視する。
「……見付けた」
『きりかちゃん』が一万円札をポケットにねじ込んだ。
それを歩も見届けた。
「『きりかちゃん』どうかしました〜」
肩をびくつかせる『きりかちゃん』
「別に何もないよ」
「この辺に一万円ありませんでした? さっき置きっ放しにしてしまって〜」
「さあ? なかったよ」
しかし彼女は焦っている。歩にはそう見えた。
「そうですか〜。参ったな〜」
歩が頭を掻いていると、余計に『きりかちゃん』は落ち着きを無くしてきた。
「ちょっと、いいか」
日菜子が『きりかちゃん』の肩を叩き、休憩室に誘う。
日菜子と『きりかちゃん』しかいない休憩室。
「さっき話して、楽しかったよ」
日菜子が言う。これは本当の事だった。
「私もだよ」
うなだれたまま顔を上げない『きりかちゃん』。日菜子は我慢強く待つ。出来れば自分から全てを語って欲しい。
不意に『きりかちゃん』がクシャクシャになった一万円札をポケットから出して突き出した。
「違うの。後で店長に届けるつもりだったの!」
日菜子が悲しい目で『きりかちゃん』を見つめる。
「知ってるんだね。私がしたって」
「話してくれるか?」
『きりかちゃん』は観念したようで、俯き気味に頷いた。
「私のお父様は毎週浮気相手のところに行く。お母様は荒れる。そう言ったよね。そういう時は辛くって。気持ちが分からなくなって。レジからお金を取ると、気持ちがスッとするの。何でか分からないけど……」
「お店は居場所だって言ったよな。その大切なお店のお金を盗るっておかしくないか?」
「だよね。本当は止めたかった。全部失うのは辛いから。でももう終わり」
『きりかちゃん』の目から涙が零れる。
この後、浮草さんを交えてさらに話を聞き出した。
「そして最後に五万円。それで全部ね」
浮草さんが確認する。
「五万円? それは知らないよ」
『きりかちゃん』が顔を上げた。
●ロリータ・ファッションの『みかたん』
朝陽にもプロ意識と言う物はあったらしい。
潜入調査最終日、流石に全日程サボりはマズイと思ったのだろう。足を引き摺りながら『ふぁんたす』に姿を現わした。
「よう!」
アティーヤ・ミランダ(
ja8923)がロッカールームで挨拶をしてくる。
「アティーヤさんおはよう。今回もよろしく頼むわね」
以前、別の依頼でアティーヤには助けてもらっていたのだ。今回もきっと役に立ってくれるだろう。
「ほうほう、ピンクのメイド服っすか。しかも『ひなちゃん』とな」
「止めて! 今の私を見ないで!」
見たくない現実を容赦なく抉ってくるアティーヤ。
「攻めるね〜。てか、好きだね〜」
フレアなスカートを捲ってくるのを慌てて阻止する朝陽。
「いや、好きでやってる訳じゃないのよ。仕事だからよ。そこ勘違いしないでよね」
「またまたぁ、『ひなたん』ってば照れちゃって〜」
「違うって! マジで勘弁してよね! それと私は『ひなちゃん』よ。あーいや、この名前に愛着がある訳じゃないんだけど。それにしても……」
と、朝陽はアティーヤの姿に目をやる。
アティーヤのコスプレは士官の軍人。軍服にサーベルを佩いている。
「何あんたのその格好」
「カッコ良かろう? 大丈夫、サーベルは模造品で抜けないようになってるから」
「そんな事は聞いてないわ。何その凛々しい御姿。あんただけズルいわよ!」
「サーと呼べ、サーと!! ヘイヘーイ!!」
アティーヤがクイクイッと手招きでアピールしてくる。
「クソッ、そのハイテンションが余計に腹立つわ!」
しかしアティーヤは気にせずに、やってきた他の女子スタッフに声を掛けに行く。
「うえっへっへ、君達ぃ。おねーさんが衣装選ぶの手伝おうかぁ?」
じゅるっとよだれを垂らしてる。
「あれじゃあ、ただの女好きじゃない」
深い深いため息をつく朝陽。
アティーヤに声を掛けられた仄(
jb4785)は、フルフルと首を振った。
「私は、もう、決めて、いる」
シスターのコスプレだった。
いつもぼーっとしている仄がその格好をすると、超然とした神々しさが現われるのだった。まぁ、そう見えるだけなのだが。
三人でフロアに出ると、天宮 佳槻(
jb1989)が待っていた。彼は執事服に銀縁眼鏡。大変よく分かっていた。
「大峰山、元気ないな」
「当然よ、ピンクのフリフリなんてマジで勘弁よ」
「そんな無理してフリフリ着なくても、ホームズのコスプレとかすれば良かったんじゃないか?」
「え?」
「捜査も『なりきり』で押し切れるかもしれないし」
朝陽の目が見開かれる。
「あんた天才!」
「ま、もう手遅れだけどね〜」
アティーヤが肩を組んでくる。うなだれる朝陽。
夜になってもこのコスプレ喫茶の人気は高かった。相変わらず学生の姿も多く見られたが、仕事帰りらしい人達もいた。
「お帰りなさいませ、マスター」
そう言って、静かに頭を下げる佳槻。
「あ、ありがとう」
端正な眼鏡執事に迎えられて、思わず頬を染めてしまう若い女性客。疲れ切った彼女の心をいきなり鷲づかみにしてしまう。
普段は無口な佳槻だが、大人を観察しておかなければ生きてこれなかった人生は伊達ではない。お客が望むキャラをしっかり把握してしまっていた。
「はぁー、いいわー」
陶然とテーブルに片肘をつくお客。そして自分の化粧が崩れている事を思い出し、慌ててトイレへと駆け込むのだった。
佳槻、別のお店でもやっていけそうだ。
女性客を惑わすだけではなかった。目線や言葉の端々からお客の要望を読み取って、執事としても完璧な仕事振りを見せる。
「ごゆっくりお寛ぎ下さい」
決して差し出がましい真似はせず、しかしかゆい所に手が届く。そんな接客術で家庭ではイロイロある様子のサラリーマン達の心も鷲づかみにする。
アティーヤもマジメに接客する。アップにした髪に士官服。微笑みなんて浮かべてみれば、見た目美人系なだけに何とも言えない雰囲気があった。
黙っていれば。
油断すると敬語でなくなるし、お客と一緒にスタッフのコスプレ品評会を始めてしまう。
衣服にこだわりがあるようで、コスチュームを着こなせていないスタッフへの指導もうるさい。
「ちょっとそれ、コルセット締め付けすぎだって!」
「そのハット、もうちょい斜めに被ろうぜ!」
うるさかった。
仄は独特のペースで接客をしていった。
「よく、来たな。神は、いつでも、見守って、いるぞ」
ゆったりとお客を出迎える。
しかし仄はフロアスタッフとしての適性に問題があった。普通のファミレスより若干大きい程度の『ふぁんたす』の店内で、簡単に道に迷ってしまうのだ。
注文の品を客席まで運んでいくだけでも危なっかしい。お皿を持ったままうろうろする。
こんな有様、普通のお店なら余裕でアウトだが、この病んだお店では余裕でオッケーだった。
天然系。そう囁かれ、ある種のお客の心をときめかせる。
「待た、せた」
「いいよいいよ、これくらい」
冷めたスープを美味しく頂く駄目な男性客。
作られた天然は嫌悪の対象となるが、真の天然は人を和ます。仕事で疲れたお客の精神を癒していく姿はまさにシスターと言えた。
そんな生温かい店内の雰囲気を、仄も気に入ったようだった。
(職場の、雰囲気と言うのは、大事、だな。素敵な、店、だ。今度は、客として来たいもの、だな)
この病んだお店は素敵なのだろうか? いいや、確かにお客は病んでいたが、このお店は浮草さんが丹精込めて育て上げた場所。お客にとっても従業員にとっても居心地の良い場所に違いなかった。
その平和を壊す訳にはいかない。
売り上げ泥棒の常習犯だった『きりかちゃん』だが、直近の五万円の盗難は知らないと強弁した。
それまで五千円から一万円だった被害額が、五万円へと急に跳ね上がった最後の盗難。これは別の人間の仕業?
『みかたん』をよく調べてみる必要がある。
まずはアティーヤが『みかたん』に接近する。
「おー、ロリータだ。フリルマシマシは正義だね〜」
「ありがとぉ。アティーヤもコスプレ好きなのぉ?」
「するよ〜。自分でも作るし」
「ホント! 私もこれ自作なんだよぉ」
と、話が弾んでいく。
「そうそう、出来上がって袖通す時はドキドキだぜ」
「だよねぇ、だよねぇ」
趣味に共通点があるのでどんどん盛り上がる。
「あたしが『みかたん』に構うのはきゃわいいからじゃないぞ!! 必要だからだぞ!!」
後になってそう言うが、到底信じられるものではないと朝陽はジト目。
いや、実際にはちゃんとしているのである。カメラの位置も事前に聞いているし、使い方まで進んで覚えた。
『みかたん』の挙動に目を配りながら、念の為にと他のスタッフの挙動にも気を付けているのだ。
真面目にやっているのに、そうは見えない。損な女であった。
佳槻が『みかたん』に近付くのは容易だった。面倒見が良い『みかたん』は、自分の方から佳槻に話しかけてきた。
「なんかテレが残ってるよぉ」
「コスプレに興味はあったんですが、一人ではちょっと恥ずかしいな、と」
「大丈夫だよぉ、ここじゃみんなコスプレしてるんだしぃ」
そうしてコスプレ店員の心得を説かれる。その後も佳槻の方からお店の仕事手順などを聞いていった。
特にレジや人の多い少ないといった話の時の言葉や仕草、視線などに目を配る。何気ない話の中に、心の中の思いがポッと浮かび上がる事があるのだ。
「レジはぁ、誰もいなくなる時があるから注意だよぉ」
「それは不用心ですね。開店中のレジからお金を盗まれたという事件があったそうですよ。別の店ですが」
「へぇ、そうなんだぁ」
その時視線を外してきたのを佳槻は見逃さなかった。
さらに話を他の二人の方へ持っていく。
「仲の良い人同士って、やっぱり同じタイプのコスプレを?」
「違うよぉ。『ゆみ』ちゃんは執事だしぃ、『きりかちゃん』は魔法少女なのぉ」
『みかたん』に自分から話が逸れてホッとした様子はあるか、自分自身の事を話す時と齟齬はないか、気を付けて見ていく。
しかし『みかたん』にそう言う様子は見られなかった。ただ友達二人の事を楽しげに熱心に話していく。友達の事が本当に好きなのだろう。
「でも最近、いろいろあってぇ。ちょっとぎこちなくなっちゃったんだぁ」
「へぇ、それは辛いですね」
「私が悪いんだけどねぇ。良かれと思ってしたのに、相手を傷付けちゃった……」
少し核心に近付いているようだ。目をしばたたせ、唇を湿らせる。彼女の様子に不安げなものを感じる。
しかしここで時間切れとなってしまった。
次にテストをする。
休憩室に置かれた一万円を手に取った『みかたん』はずっと見つめたままだったが、最後に目を拭うとお札を置いて逃げるように部屋を出ていった。
仄が『みかたん』に近寄る。
既に世間話を通じて仲良くなっていた彼女の隣に立ち、それとなくお店の話に持っていく。
「オーナーが、困っている、そうだな、店の事で」
「そうなんだぁ」
顔が暗くなる。心の中にある引っかかりを、佳槻と話すうちに強く意識しだしたようだ。
オーナーを慕っているなら、困っているという発言は心をさらに揺れ動かすはず。
「オーナー、どんな様子?」
オドオドと聞いてくる。やはり動揺している。
「『みかたん』、は、この店で、働いて、長い、のか?」
質問にはあえて答えず話を進めていく。
「長いよぉ。高校の時からだもん……」
「オーナーは、従業員、皆の事を、とても、大切に、考えている。立派な人、だな」
「うん、そうなんだぁ」
俯いて、自分の手のひらを見ている。
「皆の事を、信頼も、している。オーナー、を、悲しめるのは、善くない事、だな」
「だよね。あのさぁ、アタシ、悪い事しちゃったんだ……」
「言って、みろ。今の、私は、シスター、だ」
ロッカールームで二人きりになる。
「お友達はぁ、やりたい事があるのにお金も時間もたりなかったの。お金があればバイトしなくていいし、やりたい事に集中できる……。でもアタシもお金無くて、だから盗っちゃったぁ。お店のお金」
「それは、善くない、事だな」
「うん。お金渡したんだけどぉ、アタシにそんなお金無いって知ってるからぁ、問い詰められて言っちゃった」
「相手は、何て?」
「すごく怒った。でも黙ってるって言ってくれた。自分で返せって」
その相手が『ゆみ』なのだ。『みかたん』が盗みをしたと知っているから、テストの時に様子がおかしかったのだ。
「だったら、自首、するんだ」
「うん。そうする。ありがとう、話聞いてくれて」
「今の、私は、シスター、だからな」
そう言って少し仄が笑顔を見せる。
こうして『みかたん』は五万円を盗んだ事を浮草さんに自首した。
「あー、やっちまってたかぁ」
アティーヤがため息をつく。
「これから、が、大変、だな」
「まぁ、店長は大事にしないって話だからねぇ。どうすりゃいいかは自分でどうにかするしかないんでね? 多分まぁまぁいい年なんだろうし」
佳槻は何も言わなかった。絆や心を振りかざす言動に嫌悪や侮蔑を感じる事が多い佳槻にとって、今回のような友情が曲がった方向に捻れて罪を犯すという話には気分が悪くなってしまう。あえて言う事はないが。
●『大峰山朝陽 探偵事務所』
『みかたん』は『きりかちゃん』の盗みも知っていたのではないだろうか。だから『ゆみ』がお金に困っていると知ってお店のお金を盗むという発想に繋がったのでは?
『みかたん』は『きりかちゃん』の盗みを浮草さんに訴える事をしなかった。友情が壊れるのが怖かった? それは本当の友情?
『きりかちゃん』は何度も盗みを働いた。『みかたん』はそれを言わないばかりか自分も盗んだ。『ゆみ』は浮草さんに報告しなかった。
三人共が浮草さんを裏切っていた。
そして自分達は仲の良い友達同士を演じ続けていた。
朝陽の気は重くなる一方だった。
浮草さんが現われた。まとめておいた報告書を浮草さんに手渡す。
「今回は非常に残念な結果になってしまって」
「そうねぇ。みんな私に相談してくれてたら。そしたら何かの助けになれたのに……」
もっと頼って欲しかった。それは浮草さんの願いだったろう。
「これからどうされます? やっぱり警察に届けた方がいいのでは」
「いいえ、そうはしないわ」
力強い声で浮草さんが言う。
「結局お金は全部返してくれた。二人とも手は付けずに置いていたの。彼女達は立ち直れると思うの」
「だと良いんですが」
「私が立ち直らせてみせる。これからお店でビシバシ鍛えるの」
「え? クビにしないんですか?」
それは朝陽にとって予想外の事だった。
「皆辞めるって言ってきたけど私は許さない。今まで通り働いて、今まで以上に幸せになって貰うの」
「そうですか」
浮草さんの突き抜けた人の良さ、温かさを朝陽は眩しく感じた。
朝陽が一人で事務所に残っていると、桜花がやってきた。
「……差し入れと返しに来た」
「あ、そうか、機材か。ありがとうありがとう」
桜花の差し入れはオニギリと水筒に入れた味噌汁だった。味噌汁からほんのり湯気が漂う。
「ありがとーう。夜中に食べるオニギリは最高よね」
二人で仲良く食べる。
「桜花さんて普段からメイドしてるって?」
「……そうだ」
「メイドって、そんなに楽しいものなの?」
「……目覚めたのか?」
「違うって!」
「……一緒にするか?」
「だから違うってば!!」
こうして夜も更けていく。