朝陽は内心冷や汗をかいていた。
確かに探偵仕事を久遠ヶ原に依頼したが、まさかこうしてプロや元プロがやって来るとは思っていなかったのだ。久遠ヶ原、層の厚さハンパねー。
「音桐探偵事務所所長、雨宮 歩。以後お見知りおきを」
雨宮 歩(
ja3810)が名刺を差し出してきた。朝陽も笑顔で名刺を渡す。
「大峰山朝陽よ。こちらこそよろしく。同業者がいてくれて心強いわ」
精一杯の強がりである。
「同業者からの依頼とは愉快だねぇ。今後も縁があったらよろしく頼むよぉ」
「ははは」
明らかに自分よりやり手そうな歩にそんな事を言われて、朝陽は笑みの強ばるのを抑え切れなかった。
他にもハーヴェスター(
ja8295)から同じ業界の人間の気配を感じる。本人は何も言わないが……。
鬼道忍軍が来るのはある程度覚悟していたのだが。
「探偵かあ……何だかワクワクしてきますね。殺人事件を解決したりするんですよね。楽しみだなぁ……」
ここへの道すがらそんな事を言っていたゲルダ グリューニング(
jb7318)は今回の依頼内容をしっかり聞いていなかったようだ。
「産業スパイの……調査……ですと?」
思いの外、地味な依頼内容にやはり笑みが強ばる。
「い、いや、探偵の仕事はピンからキリまであると聞きますからね。この機会に探偵業のいろはを覚えます」
そんな彼女を他所に、雨宮 祈羅(
ja7600)は恋人である歩の私服のチェックに余念がなかった。
「よしよし、ちゃんと地味な私服にしてるね」
とニッコリ笑顔。
「恋人か、良いねぇ♪」
ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)が軽く冷やかす。
●
そうするうちに時間となった。調査対象の坂上千恵の事務所は表通りから何本か入った場所にある小さなビルの三階。
まずはヤナギ・エリューナク(
ja0006)が事務所の前で待機。遁甲の術と隠密のスキルを使えば、身を潜めるのも容易だ。
ビルを出た千恵は、車は使わず歩道のない一車線の道を歩き始める。こういう経路でも鬼道忍軍のスキルがあれば追跡可能。
やがて表通りに出る。ビジネス街の中にあるが、駅への道ともなっているので老若男女、色々な人の姿が見える。昼過ぎとは言え人通りは多く、尾行には好都合である。
エリューナクは変化の術を使って学ランを着た学生の格好をしていた。そのまま通行人に紛れていく。音楽を聴く振りをしながら相手の足元を見て歩く。
このまま行けば駅になる。電車か?
駅の手前で曲がる。このまま徒歩のようだ。この道も通行人が多い。エリューナクは携帯の地図を探り、行き着く先の目星を付けていく。この先に国道があるが……。
千恵が振り返る。エリューナクは下を向いているので目を合わせる事はない。しかし平日昼間の学ランに千恵は興味を惹かれたようだ。
「少し誤魔化そうかな。姉さん、よろしく頼むよ」
道の対岸から様子を窺っていた歩が携帯で祈羅に呼びかける。
「任せて♪」
道の影からいきなり祈羅が飛び出した。そしてエリューナクの前に立つ。
「なんで遅刻したのよ!すごくすごく待ってたんだからね!?」
事前に打ち合わせ済み。エリューナクも立ち止って返事を返す。
「まだ十分と遅れてないぜ。せっかちすぎるんだよ」
そんな二人を見て千恵が肩をすくめて前を向く。
ここでクルリと祈羅が反転する。目の前に遠ざかる千恵。祈羅は思いっ切り駆け寄ると、ダイブよろしくその背中に飛びついた。
「お姉ちゃん!! どこ行ってたの!」
驚いた顔で振り返った千恵の額を手のひらで軽く叩く。シンパシー発動。千恵の三日間の経験が祈羅に流れ込んでくる。
「あの、あなた誰?」
いきなり額を叩かれた千恵の当然の疑問。
「え? あっ! やっちゃった!! ごめんなさい、人違いでした! 背中が、背中が似てたの!」
あわあわと後ずさる祈羅。
「うーん、まぁ、気を付けてね」
それ以上は何も言わず、千恵が先へと歩きだす。
立ち止ったままのエリューナクと祈羅の横をハーヴェスターが通り過ぎていく。すれ違い様に軽くウインク。ここで選手交代だ。ハーヴェスターは通行人に紛れつつ割に近い距離で追跡を開始する。
それを見届けた祈羅がシンパシーで分かった事をメールで一斉送信。
とは言え、目的地であるファミレスの事は分からなかった。昨日まで作成していた報告書を、今持っているブリーフケースに入れている事を確かめられたくらいか。二十代後半独身キャリアウーマンの私生活の悲哀については、祈羅の胸の奥にそっと仕舞い込んでおいた。
ハーヴェスターの尾行は続く。信号で止まる時もさりげなく視界に入らない位置へ。ふと対象が振り返っても、セオリー通り、何食わぬ顔でやり過ごす。人間、周りの通行人の顔なんてそう覚えたりできないものなのだ。
千恵の携帯に電話がかかってきた。少し横を向きながら話をし始めたので、読唇術で会話の内容を探る。
「はい、多少遅れられてもこちらは大丈夫ですので。……あそこのチーズケーキは私のお気に入りなんです。……タクシーではかえって時間がかかりますよ。前の国道は結構混みますし。……ええ、駅から歩かれた方が。……では二〇分ほど遅れられるという事で」
聞き取った電話の内容はそのまま携帯のハンズフリー通話で仲間へと報告する。国道沿いのファミレス。駅から歩いて行ける距離。
ワゴンで移動していた月乃宮 恋音(
jb1221)は、ネットに繋いだノートPCで付近の地図を検索する。このワゴンには朝陽から借りた機材が山と積み込まれていた。ノートPCの他にも望遠レンズ付きのカメラ。隠しカメラの受像器。盗聴器の受信機等々。恋音の準備は周到だった。
検索した結果、該当するファミレスは三軒。ここからだと国道に出てから左右に別れてしまう。恋音やゲルダ、リアナ・アランサバル(
jb5555)の別動班は先回りして準備をしておきたいところだ。
一旦電話を切った千恵の元にもう一度電話が。やはりハーヴェスターが読唇術を使う。
「……ええ、ご主人の件はまだ調査中です」
どうやら別件のようだ。
「……しかし今ご報告出来る事は限られますので。……分かりました。私、これから約束がありますから、その後でよろしければ」
電話を切る。そして立ち止って深いため息。
ハーヴェスターも立ち止る訳にはいかないのでそのまま千恵を追い抜いて先を行く。ちょうどすれ違う時に今度は千恵の方から電話をかけた。ちらりと見ると宛先は事務所。
ここで歩とスイッチ。ずっと対岸にいたはずの歩は、いつの間にか千恵の横、少し離れた所に立っていた。変化の術を使った変装で、しっかりと印象を変えている。自分も電話をしているふうに装いながら、千恵の電話に聞き耳を立てる。
「……あ、私。例の浮気調査の件で呼び出し食らったわ。この後直接向かうから、車回してくれるかな? ……そうそう、服屋さんの隣のファミレス。悪いけどよろしく」
聞き終わった後、歩も電話の振りを終わらせる。
「うん、分かったよ。それじゃこれからすぐに行くからちょっと待っててくれるかい」
そのまま自然に尾行続行。隣に服屋があるファミレスは一軒。場所を特定できた。
一方でジェラルドはバイクで先回りをした。国道沿いの手頃な場所でバイクを止め、千恵をやり過ごした上で歩と尾行を変わる。
しかしジェラルドは尾行に向いていなかったかも知れない。目立つ容姿のジェラルドを、すれ違う女性達は思わず目で追ってしまう。それに気付いた千恵も後ろを見てみる。そこには白い長髪のイケメンが。
「やぁ♪ やっぱり振り向いても可愛いね♪ ね、ちょっとお茶でもいかが?」
ジェラルドは尾行相手に顔を見られても動じずにナンパをしてみる。
「非常に残念だけど、これから仕事なのよ」
本当に残念そうに口元を歪ませる。
「それは残念。じゃあ、また今度」
そして何食わぬ顔で千恵の後から目的地のファミレスへと入っていった。
●
リアナはここまでワゴンで移動していたが、千恵より前にファミレスに着くと、車を降りて周囲の偵察を始めた。隠れて何かをするのに良い場所を探す。そして千恵が来たら自分だけファミレスから距離を取った。
千恵が座ったのは都合の良い事に駐車場に面した窓際。駐車場に、恋音の乗るワゴンと、歩と祈羅が乗り込んだ車を離して停める。双方とも望遠レンズのカメラで店内を臨む。
こんな事をしていて、誰かに見られたら通報されてしまうのではないのだろうか? そんな心配は無用だった。恋音が事前に近くの交番まで行き、撃退士の仕事だと説明済みだった。恋音の用意はどこまでも周到だった。
「さて、ここからはフォローに専念だねぇ。別働班の活躍に期待ってねぇ」
歩は撮影だけではなく、カメラの望遠機能でターゲットの唇を読んで、会話の情報を他のメンバーに伝える気でいた。
千恵は四人掛けのテーブル席に着いていたが、隣のテーブル席にはワンピとパンプスの女性に変化したエリューナクが背中向きで座っていた。仕草まですっかり成り切った変化に、仲間は思わず唸ってしまった。
反対側の隣の席には老婆に変化したハーヴェスターが座った。彼女は髪に盗聴器を仕込んでいた。
(足を洗った身でまたこの稼業に関わるとはまー因果なもんです。……私の古巣とは関係なさそうなので、後腐れなくシビアに潰させて頂きますよぅ)
などと物騒な事を考えている。
通路を挟んだ席では、可愛い私服を着て、おませな子供の振りをしたゲルダがお子様ランチを食べていた。
少し離れた席にいるジェラルドを、チーズケーキを頬張る千恵が物欲しげに見ているうち、スーツ姿の四十がらみの男が現われた。出発前に朝陽から渡されていた写真と同一人物。つまり彼は千恵の依頼主、言換えるとライバル会社の本件の担当者だ。
彼は額の汗を拭きながら千恵のテーブルまでやって来た。立ち上がって出迎える千恵。さて、これからが本番だ。
外にいたリアナが動き出す。まずは念の為に変化の術で変装を。
「間諜の経験は何度かある……。出来なくなった事もあるけど、基本は変わらない筈……」
悪魔である彼女には物質透過という武器がある。一般人には分からないようにオーラや翼を出さずに光纏して物質透過を使用する。
しかし透過する所を他の人間に見られると厄介だ。遁甲の術を使用した上であらかじめ調べておいた人の居ない所で透過を始める。
そして盗聴器を手に、地面を潜って対象に近付く。テーブルの下へと回り込む。ターゲットから見える位置に出ないよう注意して。
盗聴器をそっとテーブルの裏へ。ここで依頼主が足を動かした。辛うじて盗聴器に当たるのを回避する。依頼主は仕事の緊張からか、頻繁に足を動かしていた。
ここで慌ててはいけない。両面テープを付けておいた盗聴器を、気付かれないように慎重かつ迅速に設置する。ここでも遁甲の術は有効に作用する。
無事成功。すぐに戻る。
女性に化けたエリューナクは、依頼主が現われる前から料理の写メを撮ったりし、携帯を触っている事の違和感を消していった。
そして依頼主が現われると、自分撮りをする振りをして二人が一緒にいるところの写真を撮り始める。さらに手鏡で向こう側にいる千恵の唇を読み、話が本題に入るタイミングを見計らう。
話が本題に入った。それを察知したエリューナクが、携帯メールの一斉送信で仲間に知らせる。
恋音が盗聴器の受信機を操作する。
「それで今月は何かありましたか?」
「今月も新しい情報を入手しています。その報告書が……」
ハーヴェスターとリアナがそれぞれ仕込んだ盗聴器からもそれらしい会話が聞こえてくる。
恋音はカメラを構え、封筒を取り出した千恵とそれを受け取る依頼主の姿を撮影する。
店内ではゲルダが、ゲーム機を改造した盗撮カメラとポシェットに仕込んだ小型カメラを使い、自然な振りで二人の様子を写真と動画に収めていく。
「おっと、もう少しでクリアです」
などと子供らしい演技を忘れずに。
封筒から報告書を出し、千恵から説明を受けている依頼主。そんな二人の姿をしっかりと捉えていく。
席に座っているだけではなく、トイレに行く振りや、座っているのに飽きて探検する振りをしながら、角度を変えて色々と撮っていく。そうやって色々な写真や動画があった方が、確実に密会しているという証拠になるに違いなかった。
リアナが人目に付かない店の裏側に回る。そこで闇の翼を使って浮上し、透過でファミレスの天井裏に入る。そしてカメラを天井から透過して一瞬だけ中の様子を写してすぐに引き上げる。真上からのターゲットの撮影だ。
「気付かれないように、慎重に……」
この間、音がしないように飛び続ける慎重さであった。
天井からの画像はリアナにしか撮れない物であった。後で大きな価値を生む。
ジェラルドはターゲットの近くの席にいる女の子をナンパしつつ二人の会話を聞き、録音を試みる。
「君達、一緒にお茶しようよ♪」
ナンパがうまく行き、ターゲット近くの席をジェラルドは確保する。さらにカメラを仕掛けようと様子を窺ったが、千恵がチラチラとこちらを気にしているのに気付き、やむなく諦める。
この時録音した内容は、ジェラルドとナンパした女の子達の声が大きくて、あまり良い状態ではなかった。後で祈羅に「ジェラルドちゃん、モテモテだね」などと言われる始末。
●
集めたデータは恋音が記録・検証していった。そうして朝陽の事務所に戻って来た時には、すぐにでも使えるようにデータは整理されていた。
「あ、ありがとう。助かるわ」
報告書も作ってくれと喉まで出かかった、事務作業が苦手な朝陽だった。
帰り道ではこんな会話も交わされた。
「祈羅、シンパシーで読み取った報告書の中身ってどんなだった?」
ジェラルドがそう聞き、ひと通り話を聞き終わると、
「そうか、朝陽の雇い主は犯罪行為をしてる訳じゃなかったのか」
と言う。犯罪行為をしていたら? と問われると、
「その現場もカメラに収めるよ」
などとしれっと言う。
一方でエリューナクは帰り別行動を取った。スーツを着た会社員という格好に三度変化し、今回現われた男が依頼主の会社の人間か、尾行して確かめに行ったのだ。実に念入りだった。
こうして朝陽の期待以上の証拠が手に入り、その後しばらくして朝陽の依頼主の会社から情報漏れは途絶えたという。
「撃退士様々だな」
隣人の看病を五日続けた五条が軽く口笛を吹いた。
「あんたクビにして毎回撃退士雇おうと思うんだけど、どうよ」
「この事務所、毎日掃除してるの誰か忘れたのかよ」
棚の上を指でなぞり、五日分の埃を朝陽に見せる五条。
「ごめんなさい。言ってみただけです」
部下に深々と頭を下げる所長だった。