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「知楽琉命と申します。よろしくお願いします」
知楽 琉命(
jb5410)が深々と頭を下げる。
「はいっ、私、八木夏海です。今回はご面倒をおかけしますっ」
人見知り気味な夏海がぎこちなくあいさつを返す。
ここは食堂。夏海の依頼を受けてくれた撃退士達とまずはミーティングである。
昼休みも半ばを過ぎているので、昼食を食べている学生の数は大分減っている。それでも食堂の一角にいる暑苦しい集団は己の主張を止めようとはしない。
「皆様、わが妹の八木夏海にほんの少しの勇気をお与え下さい。ミスコンに出る勇気を! ミスコンに出さえすればミス久遠ヶ原の栄冠は夏海に! そう! 皆様の手で夏海をミス久遠ヶ原に!」
いつの間にか要求が水増しされているが、お構いなしに喋り倒す兄の春道。
「依頼を受けた時には、羨ましいような、そうで無いような複雑な気分でしたが……」
ここで言葉を句切る雫(
ja1894)。表情の変化が読み取りづらいが、その思うところはこの場にいる全員に伝わってくる。
「……やっぱり、羨ましくないですね」
少し吐き捨てるようなつぶやき。これは全員が共有する思いであった。
「まずはどうしましょうか」
琉命が皆に顔を向ける。
「……小夜は、八木さんと行動、します……」
夜科小夜(
ja7988)が口を開いた。護衛は確かに必要だった。
「ま、某が夏海殿と行動してたら酷い事になりそうだしのう。とりあえず裏方に回ろうかの」
虎綱・ガーフィールド(
ja3547)がゆらりと立ち上がる。
「何をされるのです?」
琉命の問いに虎綱が柔和な笑みを返す。
「ビラ撒きを止めてもらうよう、お願いするだけさ。真摯にお願いして伝わらんことは無い」
そう言ってニヤリと笑う。「ニッコリ」ではなく、「ニヤリ」と言うところに夏海は引っかかりを感じる。
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虎綱は用意しておいた【報道】の腕章をつけ、まずは遠巻きに春道達をカメラで撮影する。
相変わらず春道は何かを演説しているが、ファンクラブの会員達も熱心にチラシを配っている。チラシを受け取る学生は希だが彼らはへこたれない。揃いのハッピに「LOVE」と書かれたはちまきというありがちな姿。とにもかくにも悪目立ちし過ぎている。
「節度を持たぬファンなど暴徒と一緒だというに」
辛辣に呟いた虎綱だが、次の瞬間には口元に笑みを浮かべてファンクラブの会員達に近付く。春道が姿を消すのを見計らった上での接近だ。
「さて地道にやっていくしかないのう」
独り言の後で会員の肩を叩く。
「面白そうな事をやっておるのう。某も混ぜて下され」
「おお、八木夏海ファンクラブはいつでも会員募集中だぞ」
などと会員達の輪に混ざっていく。虎綱も揃いのハッピを着て、ご機嫌な会員達の姿をカメラに収めていく。
「ビラが無くなりそうだの。取ってこよう」
「じゃあ、俺も行こうか。クラブ室に置いてあるんだ」
そうやって二人きりになったところで【お願い】開始である。
「ファンクラブの面々は、この先大丈夫かのう」
クラブ室に入ったところで虎綱が肩を落として呟いた。
「え? それってどういう意味だ」
敏感に反応した会員の様子を目の端でしっかり観察した上で虎綱が続ける。
「本人の許しも無くこんな騒ぎを起こして、よく思わない者も多かろう。それに風紀委員がどこまで許すのやら」
「やっぱり、まずいかな?」
集団で盛り上がっていても一人になると覚めてしまうものだ。心細くなってきた会員が虎綱に近付くと、彼の手にはカメラの液晶画面があった。当然のようにそこには会員その人の画像が。
「ああ、こんな事が広まれば本人だけでなく夏海殿や部活も大変で御座ろうなぁ」
大袈裟に天を仰ぐ虎綱。ここが演技の見せ所である。
言われてみて会員の中に不安が募ってくる。自分はとんでもない事をしているのでは? 風紀委員に処罰される自分を想像してしまう。証拠は虎綱のカメラに十分過ぎる程ある。自分だけでは無かった。多くの人から好機の視線を浴びる夏海の姿も思い浮かべてしまう。まずい、調子に乗ってやり過ぎた。
そんな会員の肩を軽く叩く虎綱。一人落ちた。
この調子で虎綱は一人ずつ【お願い】をしていった。その間、クラブ室にあるチラシをシュレッダーにかけて消していく抜かりなさも密かに発揮。
「自分、ニンジャですから」
誰に問われるでも無くそんな事を言う。
【お願い】が一巡すると、会員達の士気は地の底を這い回るありさまとなっていた。
そこへ現われたのが琉命に連れられた風紀委員だった。琉命の粘り強い説得によって、八木夏海ファンクラブのチラシ配りは取締りの対象となったのだ。
既に心が折れていたファンクラブの会員達は、風紀委員の解散命令を素直に受け入れるのだった。
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意気消沈して哀れな姿に成り果てたファンクラブ会員達が廊下を歩く。
そこへ声をかけてきたのは雫だった。
「一つ提案があります」
情けない顔で振り返る会員達。
雫の提案というのは、嫌がる人を無理矢理表舞台に引き摺り出すよりも望んでいる人を探し出そうという物だった。
「アイドルとファンが一体になって表舞台に出る活動をしてはいかがでしょうか」
「でも見つかるかな、そんな人。ミスコンの日も近いのに」
「時間は少ないですが、皆さんの力を心待ちにしているアイドルの卵がどこかにいるはず。一緒に探しにいきましょう」
こうやって、自ら先導して夏海と春道からファンクラブを引き離すのだ。拉致監禁なんて許せるものではなかった。
しかし新しいアイドル捜しは難航した。会員達の好みがうるさいのだ。
「ああいう、がっついたのは駄目だね。本当はそんな気なんてなかったけど、ついうっかりアイドルになっちゃいました。って感じじゃないと」
上から目線でアイドル志望者を切り捨てる会員。
「うんうん、分かる分かる。そういう純朴な娘が求められているんだよ」
「でもそんな人はそもそもアイドルを目指しませんよね?」
「うーん、そうなんだよ」
雫の冷静な突っ込みに頭を抱える会員達であった。
「いいや、実は俺に心当たりがある」
突然会員の一人が力強く言う。
「そうだ、俺にも心当たりがある」
頷き合った会員達が円陣を組んで何やら相談を始める。雫は事の推移を我慢強く待つ。何だか嫌な予感がするけど、多分気のせいである。
『おう!』
突然の会員達の咆吼に身をビクリとさせる雫。
「問題は全て解決しました。八木夏海ファンクラブはただ今を持って解散します。もう安心して下さい、雫さん!」
爽やかすぎる笑顔に嫌な予感がかき立てられるけど、多分気のせいである。
「そうですか? 良かったです。それでは私は夏海さんに報告してきますので……」
「ではまた! 雫さん!」
全員に手を振られて見送られるのを、どうしても不気味に思ってしまい身震いする雫だった。
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一方で琉命は夏海の担任教師の所へ向かっていた。担任が夏海にミスコン行きを勧めたら、気の弱い彼女は断り切れないだろう。
チラシ配りを阻止する為に風紀委員の説得をしていたのが時間のロスとなってしまった。急がないと。
うまい具合に職員室にいる担任を捕まえる事が出来たので、生徒指導室を借りて話をする事に。席に付いた担任の前で、立ったまま琉命がまずは経緯を説明する。
「ああ、その話ならさっき彼女のお兄さんがしていったわ」
おばさんに足を踏み入れかかけている女性教師が、琉命の話をひと通り聞いてからそう言った。
「彼女本人はミスコンに出る気はありません、その意志は固いのです」
「確かに引っ込み思案な彼女ならそう言うでしょうね。でも、この話は彼女が積極的になれるいいきっかけかもしれないわ」
担任は少し肩をすくめる。春道の話だけで無く、彼女は彼女なりにこの話に乗り気のようだ。
「しかし彼女の肉親やファンクラブを自称する集団の行動で迷惑を受けている人もいるのです。学園風紀上問題があると言えます」
「迷惑をかけている行動って?」
「先程まで、集団でチラシを配るという事を食堂で行なっておりました」
「あんな混む場所で? それは少し問題ねぇ」
担任が腕を組んで考え込み始めた。
「放っておくとどんどんエスカレートしかねません。出来れば学園にも迷惑をかけず穏便に騒動を鎮めたいと願っているのです」
琉命が机に両手を付いて担任に迫る。
「大切なのは夏海さんご本人の意志かと思われます」
琉命は言葉を尽くし、誠意を持って訴え続けた。そうやって愚直なまでの態度で挑めば、きっと思いは伝わるはず。彼女は信念を持ってそう考えていた。
「私って、学生に人気が無いみたいなのよねぇ」
しばらく話を続けていると、突然担任がため息交じりに自分の事を語り始めた。琉命には話の流れが見えない。
「どうも怖がられているみたいで。あなたみたいに正面からぶつかってくる学生は久し振りだわ」
「では……」
「元々あのお兄さんの言う事は半分以上意味不明だったし、あなたに免じて彼女に無理強いをするのは止めておくわ」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げて感謝の意を示す琉命。
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夏海の側には小夜が付いていた。彼女の護衛だ。
また、京宴寺 蒼音(
jb6369)が変化の術で夏海に変装して校内を回ってくれている。うまく引っかかってくれると助かるのだが。
何とか夏海本人が拉致監禁される事態は避けなくては。
しかし運が無かった。
春道が廊下の向こうから近づいて来る。いかにも不機嫌という風に床を踏みならしながら。
「ちょっと目を離した隙にファンクラブの連中はどこ行ったんだ。チラシ配りも勝手に止めてしまうし」
怒りで碌に周りを見ていない、なんて事はなかった。春道は目ざとく夏海を見付けてしまう。
「夏海か。いいところで会ったな。ちょっと荷物運び手伝ってくれよ。すぐに終わるし」
しかし付いていけば最後である。拉致監禁が待っているに違いなかった。
「お兄ちゃん、ミスコンの話は諦めてよ。変な騒ぎを起こして目立つとか勘弁なんだよ」
「何を言う。一緒に栄冠を掴もうではないか」
「……ちょっと、いいですか……」
小夜が一歩前に出た。
「ん? 何だ君は」
「私の護衛をしてくれてるの」
「……嫌がっているのに、無理矢理参加させるのは、よくありません……」
ゆらりと小夜が後ろ手に持っていた棒切れを前にやる。
「……拉致監禁をしてまで参加させるのは、もっと悪い事、です……」
その棒切れはただの棒ではなかった。木製のバットに大量の釘を打ち付けた物。いわゆる釘バットだった。
「拉致監禁とは人聞きがわるいなぁ。可愛い妹にそんな事する訳ないだろ?」
「お兄ちゃん、ネタは挙がってるんだよ。ユキが全部暴露したから」
「あいつ、裏切ったのか」
兄妹二人とも裏切る女、それが夏海の友、雪子であった。
「……こんなすれ違いが、起こるのは、意思疎通が、出来ていない証拠、です……」
小夜はあくまで淡々と話しているのだが、目が据わっていて見るからに危険である。手に持つ釘バットから目が離せない春道。
「……ちゃんと話し合う事が出来ないのは、妹を愛する兄、失格、です……」
自分を大切にしてくれる兄が大好きな小夜にとって、妹不在で突っ走る春道は許せるものではなかった。余計に怒りが沸いてくる。
釘バットを振りかぶる。
「ちょ、ちょっと、落ち着こうか」
「……八木さんが、お兄様の事を、疎ましく思っても、嫌いになっても良いというなら、小夜は、止めません……愛の形は、様々ですから……」
ブンと鈍い音をさせて素振りを開始する小夜。
「……ですが、八木さんがどうしてコンテストに参加したくないか、ちゃんと理由を、聞いて下さい……聞いても分からないのなら、人の話を聞く努力をしてから、八木さんに近付いて下さい……」
素振りをする腕が止まる。
「……貴方は、とても危険、です……」
そんな小夜が一番危険だと思う八木兄妹であった。
一方で、小夜の言葉は春道の心に突き刺さっていた。妹を愛する兄失格。夏海に嫌われてもいいなんて事はなかった。単に照れてるだけだと思って夏海の言ってる事はスルーしてきたが、それはマズかったのか?
妹第一の兄としての自信が揺らいでいく。
「……兄のいる妹として、貴方は許せない……」
釘バットの先を春道に向ける。
「き、君にも俺と同じような兄が?」
「……同じでは、ありません……兄様は、常に小夜の事を、考えてくれます。嫌がるような事は、絶対にしません」
「いいな、そんなお兄さん。心底羨ましいよ」
夏海の深いため息。
「いやいやいや、夏海には俺という兄がいるだろ」
「お兄ちゃんは駄目駄目じゃない。人の言う事聞かないで勝手な事ばかりするし。正直うんざりだよ」
「俺を、嫌うのか?」
夏海はかつてない程動揺している春道の姿を見て取った。ここで私は強く出ないといけない。私の為に骨を折ってくれた皆の為にも。
「嫌い。今みたいなお兄ちゃんは大嫌い」
ベーッと舌を出してやる。
「う、うおーっ!!!」
泣きながら廊下の向こうへと駆けていく春道だった。
●
「うまくいったのですね」
やって来た琉命が晴れがましい顔を見せる。
「皆さんのおかげです。ありがとうございました」
頭を下げた夏海に虎綱が声をかける。
「まぁ、彼がした事は無茶苦茶でござったが、夏海殿が可愛いってのは間違いない。そこは自信を持っていいと思うよ」
とニッコリ笑顔。夏海はどうリアクションを返せばいいか分からずキョドってしまう。
「やり過ぎだとは思いますが、お兄さんも貴方を思ってした行動です。その気持ちを汲んであげて、少しは人前に出てみては如何ですか?」
そう優しく語りかける雫だった。
●後日譚
しかしそんな雫には試練が待ち構えていた。
「雫さん! ミスコンに出ましょうよ」
八木夏海ファンクラブ改め、雫ファンクラブの面々が詰め寄る。
「いや、私は……」
しかしファンクラブは熱心かつしつこかった。そうして本人も気が付かない内にミスコンに登録されてしまった。
「あれ? ……なぜ、私が参加しているのでしょうか?」
狼狽する雫であったが、祭り上げられている内に変なテンションになってしまい、ノリノリで参加する。
ミスコンが終わり、自ら黒歴史を作り上げてしまったと気付いた雫は、無理矢理に記憶を忘却の彼方へと捨て去った。
ファンクラブも苦労の末、解散させた。
終わり。