●
青年は天使に問いかけられた。
「力というものを知っているか?」
力。
それは青年が欲している物に違いなかった。
生まれ育った村での言われなき迫害。
それは唐突に始まり、静かに広がり、青年達の全てを変えた。
一人の男の専横。流されるままの群衆。そして、抗いきれず、母も弟も守り切れなかった、力の足りない自分。
力。
青年は取引した。
「お前の使徒とやらになってやる。だが、弟には手を出すな」
天使は薄く笑って頷いた。
青年は力を手に入れた。天使から弟を守り切った。
そのはずだった。
●
撃退士達は、村から幾分離れた山中に出現した。すぐに村へと走り出す。
「いくらか距離がありますね」
天羽 伊都(
jb2199)が皆に向かって呟いた。
依頼によると使徒はまだ現われていない。しかしいつ現われてもおかしくないと言う。最悪を考えて急行する。
各務 与一(
jb2342)が隣を走るアイリス・レイバルド(
jb1510)に声をかける。
「同じ戦場に立つ事になりましたね。貴女の力、頼らせてもらいますね。俺も、全力で挑みますから」
「うん、よろしく頼む」
アイリスは物腰は穏やかだが頼りに出来る戦友に短く答えた。
(さっちゃんとは久し振りの依頼てすね)
黄昏ひりょ(
jb3452)は友人の落月 咲(
jb3943)の後ろ姿に目をやった。彼女は特に気にかけて、フォローに万全を尽くそうと考えていた。
それともう一人、同じく友人の雪織 もなか(
jb8020)はまだまだ戦闘に不慣れな部分があるはず。彼女のサポートも心掛けなくては。
友と助け合って戦っていく。それは大きな力を生み出すはずだ。
そのもなかは自分が戦闘に不慣れな事を自覚していた。少しでも慣れようと今回の依頼に臨む。
村に入った。言われていたように、一際大きな屋敷が見える。
「あそこだな」
ヤナギ・エリューナク(
ja0006)が声を出すと同時に、屋敷の中から悲鳴が小さく聞こえた。
「やべぇンじゃねぇか?」
一気に緊張を高める撃退士達。
●
撃退士達が畳敷きの広間に踏み込むと、そこは血の海だった。
「撃退士、あの男を倒して全てを終わらせて!!」
大峰山 朝陽(jz0243)の叫ぶ声が響く。
見知った探偵が指さす先に目をやったアイリスは、そこに二人の男がいるのを確認した。
跪いている男と彼に抱きかかえられている男。支えられている男はぐったりとしていて、胸から夥しい血を流しているのが見えた。
さらに抱えている男の左腕の肘から先が血に濡れている。服の上から。自身の血ではないようだ。
「奴が使徒だ」
「既に被害が出ているようだ。安否の確認も急がねば。皆、まずは怪我をしている人達から敵を遠ざけよう」
黄昏の言葉を合図に撃退士が散らばる。
各務はまず入口近くにいた朝陽の確保に動いた。酷く動揺している。
「もう大丈夫です。後は俺たちに任せて下さい」
知った顔の各務を見て、朝陽は少し落ち着きを取り戻したようだ。
「奴は奥にいる和人さんを狙っている」
そちらには天ヶ瀬 紗雪(
ja7147)が向かっていた。まずは一般人の保護を優先。彼は見たところ放心していて身動きが取れないでいるようだ。急がなくては。
「さっちゃん、手を」
黄昏は咲の手を取るとスキル・絆を発動。今までの経験を共有し合い、相互の連携を深める。
「いやはや、これはまた凄い状況ですねぇ」
この場の状況を把握し終わった咲は使徒に向かう。
抱えている男に気を取られ、向こうはこちらには気付いていない。胸から血を流している男の安否が気になる。
「建物は脆そうですねぇ。派手に暴れすぎるのは問題かも〜」
戦いの場にも気を配る。
ヤナギは早くも武器の射程に到達した。
「兎に角、屋敷の外に出す事が最優先だな。まずは嫌がらせをしてみっか」
鷦鷯翔扇を手にして敵へと繰り出す。風を纏った翔扇が、目標に向かって滑るように飛んでいく。
そして敵の肩を抉った。
「さぁ、こっちに来いよ」
戻って来た翔扇を手に収めながら軽く挑発する。怪我をしている男から切り離すべく。
しかし使徒は怒りの目をヤナギに向けると、男を片手で抱えながら立ち上がった。離す気がない?
天羽は使徒目指して駆ける。
「人類の敵め! 横暴はボクが許さないよ!」
敵の正面に位置取って斬りかかり、圧力を掛ける事で自分に注力させて味方が攻撃しやすい環境を作る心積もり。
仲間に回復手と支援系が多い中、タンク兼アタッカーを意識。
アイリスは護衛対象である朝陽の盾になる位置に移動する。
(とにかく一般人の安全を優先だ。撃退士なら多少の無茶は利く)
アイリスはそう考えていたが、使徒が男を掴んだまま手を離そうとしないのが気にかかる。
あの出血では命はないようにも見えるが。
理由は分からないが使徒の心が乱れている。あれでは動きは丸裸同然。見極めさせて貰う。
「手前等、何なんだよ!」
叫んだ使徒が、アイリスに向かって片腕を突き出した。その手から青白い炎が放たれる。
炎は狼の形を取り、咆哮しつつアイリスに食らい付いた。
防御の隙間を縫って魔法の炎が身を灼く。しかし痛みに鈍感なアイリスは苦しみの声を出さない。
突然目の前に光が広がった。
アイリスは深淵を覗き込む観察狂の探索者。その光の奥にとても強い魅力を感じ、より深く知るべく意識を向ける。
いや、今は戦闘の最中。何に気を取られている?
元の広間。
意識を引き戻す時、何かがその意識を掴もうとしたのを感じた。敵の特殊能力?
「何だと、天狼が効かない!?」
使徒が狼狽の声を出す。
今のは何だ? 各務は朝陽を護りながら、敵の挙動を観察し情報を集めていた。敵の能力は未だ不明なのだ。
そして今の攻撃。青白い炎を受けたアイリスはその場で棒立ちになっていた。
「気を付けて、奴は人を操る!」
朝陽が各務の後ろから叫ぶ。人を操る。それが敵の特殊能力。
とっさにもなかは前にいる黄昏へ聖なる刻印を使い、特殊な攻撃に対する耐性を上げた。
「ありがとう、雪織さん」
不慣れなはずの戦闘で、的確な判断を見せたもなかに言葉を掛ける。
「どうぞ、助けになれば」
私は援護に全力を尽くします。
戦闘に不慣れと言う事もあり、余力を残すという判断は取らず、援護しつつ全力で戦う用意。
使徒の隙を突いて、ヤナギが一気に距離を詰める。
懐に潜り込み、小太刀二刀・氷炎で逆袈裟。
かわしきれない使徒の脇腹を斬り裂く。
アイリスの反撃。瑠璃色の深淵。
闇より深い瑠璃色に染まって瞳からアウルの波動を放つ。
「食らうかよ!」
使徒は身を避け、アイリスの技をかわす。
咲のデスサイズ。死神の鎌を模ったそれは、まさに死をもたらす魔具。
使徒は身を引くが、脇に抱えた男が動きを制限する。鮮血が飛び散る。
その咲に、もなかが聖なる刻印。やはり敵の特殊能力を警戒。
敵に近い前衛の側まで恐れず近付き、自分の役目と思った事を実行に移す。もなかの献身。
黄昏は床に転がる景正の首筋に手を当てた。
「事切れている」
黄昏が氷晶霊符を構える。敵味方の位置を把握した上で行使。氷の刃の様な物が使徒に殺到する。使徒はかわし切れない。
さらに二撃目。確実に敵を削る。
続いての咲の攻撃はかわされる。モーションの大きさで読まれてしまうのか。
「少しはやりますかねぇ」
咲にはまだ余裕がある。
紗雪が和人の所に達する。
激しい精神的ショックから放心状態に陥っている彼を、紗雪はマインドケアの心を癒やす暖かなアウルで包み込む。
「あ、貴方達は」
どうにか意識を取り戻したらしい和人が口を開く。
「心配しないで下さい。大丈夫ですよ……。どうかこの場は私達を信頼し、任せて下さい」
手を取り目をしっかりと合わせて、突発的な行動でこちらの邪魔をしないように念を押す。
「私は……、私は父を……」
「今は何も考えないで……」
紗雪はどこまでも優しく言葉をかける。
天羽が使徒に迫る。
神速を行使。アウルの力を足に込め、驚異的な速度で攻撃を繰り出す。当てる事を意識し、胴を狙って早いモーションで振り抜く。
かわす間もなく食らった使徒が大きくよろける。
「手前等!!」
使徒が腕を振り、赤い炎を撒き散らした。魔法の物ではない本物の炎。
しかし天羽は構えた盾で受け切った。
他の撃退士達も回避。朝陽は各務が、和人は紗雪が庇った。
全員避け切ったが、建物が炎に巻かれた。
「手前等の相手はまた後でしてやる!」
使徒が大きく飛び退き、男を抱えたまま姿を消した。
屋敷が音を立てて崩れる。
●
建物が崩壊する前に、景正の遺体も含めて全員無事に脱出した。
遠くから消防車のサイレンが聞こえてくる。
ある者は刀で突き殺され、ある者は放心し、そして一人は使徒が連れ去った。
一体何があったと言うのだ。
「よぉ、朝陽、久し振りだな。で、どうなってンだ、これ? 分かるコト……全部話して貰うゼ?」
「ええ、そうね、ヤナギさん」
朝陽は知っている限りの事を伝えた。
天狼遣いの伝承。それを利用した景正の所行。千丈一家を襲った不幸。そして煌士が使徒となり、復讐をしに現われた事。その結末。煌士に操られた和人が景正を殺し、煌士が弟の進士を突き刺してしまった事。
「酷い話ですね」
もなかが呟く。
「そして悲しい話です。……ここで終わらせないといけません」
そこには強い決意を感じる。
煌士の取った行動は自己犠牲だろうか? あるいはそうかもしれない。しかしそれは相手の幸福を願うものではなく、相手の破滅を願うもの。
もなかとは相容れぬ行動だった。
これ以上の被害と悲しみの拡大を防がなくては。
「復讐の為に心も身体も捧げた……か。哀しい話っすね……」
やり切れぬ思いをこぼす天羽。
天魔討伐を目的にここまで来たが、事情を聞いた後では主目的は変わらないものの煌士の復讐心を取り除いた上で討伐したいという思いが芽生え始めていた。
それは可能なのだろうか。積年の煌士の恨みは深い。
天羽は今し方父を殺してしまった和人に目を遣った。
和人は今も紗雪が様子を見ている。幾分落ち着きを取り戻してはいるが、今はまだ目の前の現実と向かい合う事は出来そうもない。紗雪にはそう見えた。
「父は自業自得です」
和人がはっきりとした口調で話をし始めたのに紗雪は驚いた。
「己の体面の為に千丈一家を陥れた。醜い所行です。煌士さんに殺されても文句は言えない」
「和人さん、今はまず落ち着いて下さい」
紗雪が止めるのも聞かず、少し笑みを浮かべて和人は続けた。
「私もです。何もしないというのは手を貸したのも同じ。あの一家を襲った災厄から彼等を助け出す事が出来たはずなのに。私も父と同じく、復讐されて当然です」
「何で、何もしなかった?」
ヤナギが問いかける。どうしても言葉が強くなるのを止められない。
「この村では父に逆らえる者など居ませんでした。いいえ、そんな事はないはず。面倒事には関わり合いたくなかった。私はそう思っていた。今になって分かりました」
(ま、今さらどう言っても最低なのは変わりませんよねぇ)
親に捨てられて以来一人で生きてきた咲にすれば、父相手に何も出来なかった和人には冷たい感情を抱いてしまう。
それよりも、こうして話をしている時に敵が戻って来たりしないか気配を感知出来るよう心掛ける。
消防団が行き交う中、村人達が集まってきた。
「天狼……そう叫ぶ声が聞こえたぞ」
「俺は千丈の息子を見た。あれは確かに千丈だった」
「千丈が天狼遣いと言うのは本当だったのか?」
「高見さんの言う通りだったんだ」
囁き声が聞こえてくる。
「違うね」
ヤナギが自分でも驚く大きさの声を出していた。
「天狼遣いなンてのはいなかった。そいつはお前らが生み出した物なンだぜ」
村人もまた和人と同じだった。面倒事に巻き込まれないよう景正の妄言を受け入れ、何の非もない千丈一家を苦しめた。
村人達がお互いの顔を見合わせる。
「天魔となった千丈煌士がこの村にいます。彼は貴方達にも恨みを抱いている。俺達が彼を倒すまで、ここから離れていて下さい」
黄昏は村人に対して複雑な気持ちを抱きながらも、撃退士としての義務感からそう呼びかけた。
「死にたくなければ今すぐここから逃げろって言ってるのよ!」
朝陽は村人に対する不快感を隠そうとはしなかった。進士の笑顔が思い浮ぶ。それを容易く奪う、彼等を襲い続ける不幸。
村人達はようやく我が身に迫る危険を理解し、泡を食って走り去っていった。
彼等は取り立てて悪人というのではないだろう。辛うじて朝陽はそう思う。しかし大勢の人間が持つほんの少しずつの悪は、ある一家を不幸に陥れるには十分だったのだ。
「進士の命は絶望的だな」
間近で彼の様子を見たアイリスが言う。彼等に接近した他の者も頷く。
「煌士は進士さんを連れ去りました。だけどそれで引き下がるとは思えません。彼にはまだやり残した事がある」
各務は和人に視線を送る。
「私が、私の命を煌士さんに差し出せば……」
ゆらりと立ち上がった和人の前にもなかが立ち塞がる。
「それは不幸を積み重ねるだけです」
和人が命を失う事で得られる物など何もない。煌士が和人を殺せば、煌士の罪が重なるだけ。それは哀しすぎる。
さらに紗雪が語りかける。
「どんな事情があっても私達は敵側に下った煌士さんを生かしません。それは許して下さい」
「和人さんには手出しさせない。僕らで煌士を倒して全てを終わらせましょう」
そう言う天羽には勝算があった。
さっきの煌士は使徒にしては手応えがなかった。
天使が使徒を生み出す時には、分け与える力によってその強さが決まってくると聞いている。
そのため、天使に迫る力を持つ使徒がいる一方で、サーバントとそう変わらない力しか持たない使徒もあり得るのだ。
煌士は主である天使にまで翻弄されているのかもしれない。
●
煌士は力を得たはずだった。
その力によって復讐は果たされた。
しかし大きな反動をもたらし、守るべき弟を殺してしまった。
進士、進士、進士。
自身の境遇に対して荒みがちな兄をなだめ、良く母を支えた弟。
その笑顔は家族に安らぎをもたらす明るい灯。
あの日、珍しく休日が揃った母子三人で山に出かけた。
兄は人混みが嫌いだったし、母は田舎育ちできれいな空気が好きだった。
最初何が起こったのか分からなかった。気付いたら母が倒れていた。数秒前まで朗らかに笑っていたのに。
そしてあの天使が兄弟の前に降り立った。
弟だけでも救う為。そしてあの村の連中に復讐する為。兄は力を手に入れた。
その力は忌まわしき力だった。
今となってはそれでも良かった。もう何も失う物はない。後はひたすら奪い続けていけばいいのだ。今まで奪われてきたのだから。
しかしあの連中だ。
あの連中にはこの力が通用しなかった。
天使から与えられた力が通用しない連中。あれが撃退士か。
天狼が通じず、深くこの身を裂く力を持つ。連中から受けた傷からは、未だに血が溢れて止まらない。
滑稽だった。
ただジジイを一人殺すしか出来ない、大切な存在を奪う、取るに足らない力。
天使は煌士に慈悲を見せたのではなかった。ただの気紛れで、ほんの少し力を分け与えただけ。
その力に溺れた自分が滑稽だった。
いいだろう。全てを終わらせよう。
しかしただでは終わらせない。
それは煌士の意地が許さない。
●
ここに和人がいる限り、煌士は再び姿を現わすだろう。
撃退士達はそう判断し、次の戦いの準備を進めた。
そして煌士が現われる。
屋敷に通じる長い道を、ゆっくりと歩きながら近付いてきた。進士の姿はない。
その姿を見ながらアイリスは内心呟く。
(千丈煌士。本来弟を殺すつもりはなかったようだが、殺した。突然降って沸いた力を振るうとはそう言う事だ。力と精神を制御出来ない程に弱くなる。力に振り回される)
だから経験を積むと言うのは必要なんだ。
それがアイリスの信念だった。
黄昏が声を張り上げる。
「ここにはまだ高見氏の遺体がある。出来れば丁重に弔いたいのでまず場所を変えてもらえないだろうか」
この辺りには民家が多くある。被害を出さないよう、近くにあるという畑まで誘い出したいところ。
「知った事か! 高見和人はどこへやった。まずはそいつの命を頂く」
紗雪が声を出す。
「和人さんは渡せません。命で償える事など、あるはずがないのです。そして、奪う事で満たされる復讐心も……ない、はずです……」
和人は朝陽が連れて付近に隠れていた。上手く見付からないようにして煌士を撃退する。
「笑止! 満たされる必要などない。ひたすら奪い続けるのみなのだ!」
煌士は強情に話を聞こうとしない。
「弟殺しさんはボクらと戦う度胸も無いんすか? 失うモノなんてないしボクら以外の邪魔者って居ないんだから付き合ってよ」
天羽が煌士を挑発する。安い挑発で良かった。敵意をこちらに向け畑まで移動させるのだ。
「何だと?」
煌士の声に明らかな怒気が加わった。
「煌士さん、あなたは大切な人を喪った。復讐の鬼となる事が、その人の本当の望みなのでしょうか。これ以上罪を重ねずに、今は俺たちと戦って下さい」
各務がなお粘り強く説得する。
「うるさい奴らだぜ。良いだろう。お前らを蹴散らせた後で、思うさまこの忌々しい村を焼き払ってやる」
「ええ、ではこちらへ」
撃退士達が先を行き、煌士が後に続く。
近くの民家に隠れる朝陽は、聞き耳を立てて事の推移を見守った。どうやら上手く行ったようだ。
和人は膝を抱えて顔を埋めていた。父を殺した痛みがじわじわと胸に広がっているのだろう。下手に動かれるよりは、今は良かった。
「撃退士、後は頼んだわ」
作物の収穫を終えた冬の畑の上が戦場だった。再び向かい合う二者。
「貴方達の事情は聴きました。同情はします。だけど、貴方の犯した行為は罪です。だから」
各務が手にする弓を煌士へと突き出す。
「与一の名と誇りに賭けて、貴方の罪を射抜きます」
「上等だ」
そう破顔する煌士には、吹っ切れた者の清々しさがあるように各務は感じた。
双方、睨み合いながらタイミングを計り合う。
「ふふふ〜、続き続き〜」
咲は高まる緊張感に悦びを隠し切れない。
最初に動いたのは煌士だった。一気に距離を詰めると、腕から青白い炎の狼を出現させる。
狙ったのはヤナギ。
これは食らってはいけない。ヤナギは前に出ながら身を沈めて狼をやり過ごす。僅かな熱気を感じたのみ。
続けて反撃。
(天狼遣い。人間に復讐心を持った天魔、か。これ以上の犠牲を出さない為にも……これ以上の禍根を残さない為にも。……倒させて貰うゼ)
射程ギリギリからの土遁。アウルの力で作り出した土を煌士の周囲に撒き散らす。
飛び退く煌士だがかわし切れない。土の束が下半身を襲う。
天羽が駆け、煌士に大剣・ツヴァイハンダーFEの重い一撃を叩き込む。
「貴方は間違ってるよ、貴方が手にすべき力は奪う力ではなく護る力だった……」
煌士への衝撃はすさまじく、そのまま両断するかに思えた程。それでも耐え切り数歩下がって止まる。
もなかは後衛。聖なる刻印をヤナギにかける。
あの青白い狼は危険な特殊能力。人を操る。先に受けたアイリスによると、意識が掴まれかかったという。
少なくとも前に出る人は特殊能力への抵抗を強めないといけない。これはこの戦いの前に皆で決めていた事。もなかはそれを実行する。
各務は天翔弓を引く。
「貴方が何を思い、何を背負っているの知りません。どんな憎しみなのかも。それでも、俺の役目はこの人達を護る事。だから阻ませて貰います」
矢が放たれる。風を切る。恐るべき命中率の矢が煌士を射抜く。
煌士はまだ倒れない。
アイリスが咲に、紗雪が天羽に聖なる刻印を。天狼に備える。
黄昏は咲と絆で繋がる。お互いの経験を共有。
「では気を付けて」
親友の言葉を受けた咲は、煌士の死角へと大きく回り込む。
(味方の射線や流れ弾に注意して〜)
そして対象を斬る快楽をさらに高める為、自身の身体能力を強化した。闘気開放と同時に暗い紫のオーラを彼女は纏う。その姿は死神の如く。
「さぁ、私を愉しませて下さいねぇ」
笑みをたたえて。
「黙ってやられると思うなよ!」
煌士が跳躍し、正面の天羽をかわした。さらに回り込む。視界に収めたのは紗雪。
天狼。
青白い炎に呑まれる紗雪。
常に穏やかな紗雪は敵にすら慈愛を持って接する。事情を抱える目の前の敵にも複雑な想い。
目の前に広がる光。その先にいる助けを求める何かに手を差し伸べる。
しかしそれは天狼の罠。
後衛ゆえ聖なる刻印を施していない紗雪は天狼に抗うことが出来なかった。
「さゆねぇ!」
「紗雪さん!」
咲、黄昏、親友二人が叫ぶ。
紗雪の目から光が失われ、穏やかな表情も消え失せる。
「これが俺の力だ!」
煌士が高らかに声を上げる。
「あんた、よくもさゆねぇにぃ!!」
顔色を変えた咲が煌士に突進する。
破山。山をも砕くと称される重い一撃。
しかし怒りが彼女の動作を荒くした。煌士は咲の一撃を読み切ってかわす。
「紗雪さん、気をしっかり持って!」
紗雪に駆け寄った黄昏の声も届かない。
自分を見る、あまりに昏い瞳にゾッとする黄昏。思わず後ずさる。
そこには隙が生じている。紗雪が太刀を抜く。
「黄昏さん、危ない!」
もなかが黄昏の身を自分の方へ引いた。
そして聖なる刻印を黄昏に。これ以上被害を出す訳には。
アイリスが紗雪に聖なる刻印を。天狼の呪縛から脱するように。しかし一度かかった術はすぐには解けない。
「あの男を先に倒します」
各務が弓を引く。焦りは消し、狙いは確実に、全てを素早く。その矢は空気を鳴らして飛び、煌士の腕を貫いた。
「ちぃぃぃ!」
これで技は撃てないか。
ヤナギが煌士に隙を見て、懐に飛び込み小太刀二刀・氷炎を振る。
「これで大人しくしてくれや」
横薙ぎに斬られた煌士から血が飛んだ。
天羽が大剣を振りかぶる。確実に致命傷を与えうる一撃を、煌士に叩き付けんとするその間際に、紗雪の細い身体が割り込んだ。
既にモーションに入ってる。
天羽は腕を捻り、己の大剣の勢いを殺す。無理な力に腕が軋む。
「ぐぐっ!」
天羽は耐え切る。紗雪の額、数センチで大剣が止まる。
そのがら空きになった胴を紗雪の太刀・聖燐が薙ぐ。何のためらいも無く。
太刀は僅かに天羽の身を斬った。
「ふははは、良い様だぜ、撃退士ども!!」
煌士が身を反り哄笑する。
「私は一体……」
紗雪が天羽の血に濡れた太刀を落とす。
聖なる刻印の効力か。
しかし仲間を斬った動揺が身を襲っている。
「ちっ、貴様の役目は終わりだ!」
煌士が紗雪の背に向かって腕を繰り出す。
「させない!」
寸前、黄昏がその身を庇う。背を削がれながらも、紗雪を抱えて距離を取る。
「敵の術は解けました」
黄昏が紗雪に優しく声をかける。
「でも私……」
「これくらいどうって事ないっす」
煌士と対峙する天羽が自分の頑丈な胸を叩く。
「敵の術ですよぉ、さゆねぇ」
駆け寄った咲の不安げな様子に、むしろ気を強く持って微笑みを返す紗雪。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
「何も気にする事はないですよぉ」
咲も笑みを返す。
「さて後は」
アイリスが一貫して目を向けている先は煌士。
その顔は既に色が無く、血塗れの姿は辛うじて立っているだけに見える。紗雪に繰り出した手刀の鈍さ。もはや戦えまい。
煌士が血を吐く。膝を地面に付く。
「もう終わりだ」
アイリスが敵に告げる。
一方で攻撃には備えている。動きを見せれば止めを刺す。
「ざまぁねぇ」
煌士が口元を歪める。
「人を捨てて得た力がこんなものだとはな」
「俺達は貴方を倒さなくてはいけない」
各務ははっきりと口にし、自身の意志を固める。
「すみません煌士さん、せめて安らかに眠って下さい」
黄昏はそう願うしか出来なかった。
ヤナギが煌士の前に何かを放り投げた。手鏡だった。
「手前ェが今、どんな顔してンのか見てみな。そこにいるのはただの天魔か? せめて人間らしく逝こうヤ」
「そうだな、せめて人であった事は忘れたくない。悪いな!」
煌士が手を払った。紅蓮の炎が襲いかかる。
至近距離からの不意打ちに撃退士達の身が灼かれる。
「逃げましたよぉ!」
敵の動作に細心の注意を払っていた咲は、炎をかわして煌士を追いかけた。
●
煌士の姿は見失わず。
しかし今さらどこへ逃げようというのか。
「少し様子を見ませんか?」
もなかには煌士がただ逃げているというようには見えなかった。
その考えを容れ、撃退士達は距離を取って後を付ける。
辿り着いた先は墓地だった。
「まさか……」
もなかの予感は的中した。
煌士が立ち止まったのは「千丈家乃墓」と書かれた墓石の前。そして横たえられているのは千丈進士の亡骸。
何も言わず立ち尽くす煌士。
撃退士達もかける言葉が見付からない。
人として生まれ、天魔に身を売った男は何を思うのだろうか。
「すまない……」
言葉を漏らすと同時に煌士の全身が赤い炎に包まれる。猛烈な火勢。
地面に伏し、自ら手にかけた弟の身を抱く。
兄弟を飲み込む火焔。
それは何故か二人を優しく包む揺り籠のように見えた。
あまりに無情な世界から兄弟を守る手。それは母のような。
高く昇る白煙。青い空に吸い込まれて。
いくらかの時が経ち、僅かばかりの灰が残った。
(俺に信じる神はいませんし、死後の世界が存在するかも分かりません。それでもどうか安らかに眠って下さい)
各務はそう祈った。
(辛かったですね……。もう恨まないで下さい。もう悲しまないで下さい……。私達が背負っていきます。だからどうか安らかに眠って下さい)
もなかの願いは届いただろうか。
墓の脇には骨壺が置かれていた。恐らく母のものだろう。そして墓には父が。
家族は一つの墓に納められる事だろう。ようやく訪れた平安。
墓の前に現われた和人に紗雪が声をかける。
「貴方に贖罪の念があるのなら、煌士さん、進士さん、彼等のお母さんの事、丁重に弔ってあげて下さいね」
「ええ、そのつもりです」
和人は深く頷いた。
「それがきっと貴方の救いにもなると信じています」
紗雪は穏やかに微笑んだ。
結局何も出来なかった。朝陽はそう言う思いを強くした。
景正は死ぬ事でしか罪を償わず。和人は父殺しの業を背負い。進士は何の科も無く死に到り。煌士は人から外れ、罪を重ねて自ら命を絶つしか出来なかった。
吐く息はどこまでも重くなった。
ヤナギは吸っていた煙草を捨てるとベースを取り出した。鎮魂歌を奏でる。
煌士に灼かれた傷はアストラルヴァンガードが癒やしてくれたが、心の痛みは消え去らない。
もどかしい気分を抱えながら弦を弾く。