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正月。大峰山 朝陽(jz0243)の住むマンション。
朝陽が玄関の扉を開けると、来ていたのはアティーヤ・ミランダ(
ja8923)だった。
「ひなたーん、一人鍋邪魔しに来たぞー」
以前、一緒にやったコスプレ喫茶での名前で呼んでくるアティーヤ。忘れ去りたかった記憶が甦る。
デカイ声で一人鍋とかも余計である。確かにしょっちゅうしているのだが。
「まぁいいわ。あんたが一番最後だから。もう少しで始めるわよ」
独り暮らしにしては広いリビングの中央にこたつ。その上には土鍋がセッティングされている。
その土鍋で、アルティメットおたま(魔具)を使って熱心に出汁を作っているのはカーディス=キャットフィールド(
ja7927)である。
鰹節、昆布、しいたけ、煮干、ほたて貝柱等を使った出汁からは、実に良い匂いが漂ってくる。
「闇鍋でも、キチンと食べられるような物に仕上げてみせます」
などと言っているが、その場にいる全員が「いや、ムリダロ」と思っていた。
それにしてもカーディス……。
彼はどう見ても猫であった。比喩とかそんなんではなく、猫そのままだった。
猫の巨大な着ぐるみが、割烹着を着ておたまを回しているのだ。毛が入らない配慮が心憎い。
そんなんでどうやって食べるの? という気がしてくるが、この着ぐるみは口から飲食可能と高性能過ぎる逸品だった。
(自分よりでかい猫……どうしろと。いや猫は好きだけれど)
隣に座る九鬼 龍磨(
jb8028)は最初戸惑いを禁じ得なかった。
(まぁ、いいや。後で肉球触らせてもらおー)
あっさりと順応した。こうでなければ久遠ヶ原では生きていけない。
「闇鍋かー。独身こじらせて気ぃ狂いそうだったから丁度いいぜー」
などという悲しすぎるアティーヤの言葉に九鬼が敏感に反応する。
(独り身だって? これは新しい恋のチャンス!)
今から始まる惨劇を忘れて下心満載な様子。
「あんたお酒飲めるの? お酒組はあっちなんだけど」
今回、九鬼はお酒を持ち込んでいた(大吟醸!)。
「おうじゃあ、あたしもそっちなー。よろしくー名前なんての?」
「九鬼だよー。クッキーって呼んでねー」
にこーっと鼻の下が伸びる。
そんな中、アイリス・レイバルド(
jb1510)は黙々と木材を彫刻刀で削っていた。切り屑はしっかり膝の上の新聞紙で受けている。
この場を盛り上げる為にリアクションの瞬間を再現した木彫り人形を作って渡す気でいるらしい。それで盛り上がるかははなはだ疑問なのだが……。
そんな無表情な少女の不気味な行いに、隣の義実(
jb3746)はドン引きしていた。
闇鍋は初めてだなぁ。とか呑気な気分でいたら、着ぐるみ猫とか木彫り少女である。カオス過ぎた。
そうやって大勢の人間がわいわいやっている朝陽の部屋を見回して、水無月 ヒロ(
jb5185)はホロリと涙をこぼすのだった。
「大峰山さん、今日は一人鍋じゃなくて良かったですね……本当に良かった」
余計なお世話だった。
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「じゃあ、そろそろ始めようか。電気消すわよ」
朝陽が照明を落とすと部屋は暗闇に包まれる。ガスコンロの灯がみんなの顔を僅かに照らす。
「ではでは、食材投下!」
みんな一斉に食材を鍋に入れていく。
どばどばどばー。
「皆さん、そんな無造作に!」
鍋として、せめて見た目は美しく仕上げたいというカーディスの希いはあえなく潰された。
一方で、向坂 玲治(
ja6214)は容赦なく甘味を投入していった。甘味好きにしてみれば、闇鍋に甘味は不可欠なのだ。
「今さら言うのもなんだが、この鍋で死人が出なけりゃいいな」
お前が言うな。
向坂のメープルシロップが鍋を侵食していく。
九鬼は事前情報により向坂が甘味を投入してくると把握し、真剣に対策を考えていた。大きめに切った白菜で鍋を密かに仕切る。ぐっじょぶ。超ぐっじょぶ。
さらにカレー粉も投入。
(カレー味にすれば大丈夫だっておばーちゃんが言ってた!)
ぐっじょぶ過ぎた。
失意のどん底からどうにか這い上がったカーディスが、一煮立ちした鍋の出汁をおたまで軽く掬って口? にする。
「どうだ?」
真剣な面持ちで向坂が聞く。お前が言うな。
「く……ありとあらゆる食材の味が混ざって……物凄くカオスです……これが化学反応……!」
戦慄する。
「どうやら成功のようね♪」
朝陽の嬉しげな声。
「じゃ、私から行くわね」
鍋に箸を突っ込んだ朝陽は、作法通り最初に掴んだ物を引き揚げる。
「ああ、キノコね。エリンギかな?」
そんな訳がなかった。
闇の中では色は分からない。それは毒々しいキノコだった。
「うっ、これは! 川の向こうで曾お祖母ちゃんが手を振ってる!」
「いきなりやらかしましたね!」
カーディスが緊迫した声を上げたのと、アイリスがスキルを行使したのは同時だった。
聖なる刻印! 状態異常に対する耐性を高める!
かろうじて朝陽はバステを回避する。
「あ、ありがとうアイリスさん、また命を救われた……わね」
依頼においても闇鍋においても頼りになるアイリスだった。
「じゃあ、次。アティーヤね」
「あたし、一発で美味しいの引いたら国に帰って結婚するんだ……」
何故自分でフラグを立てる。
アティーヤが引き揚げたのはソーセージ。早速かぶり付くが、何かおかしい。
「……おろ、何で甘いんだぜ?」
それはソーセージに見せかけたマジパンだった。出汁を吸って壮絶な味になっている。
「誰がそんなの入れたの?」
朝陽の問いに涙目のまま自分を指さすアティーヤ。自爆だった。
次は九鬼。九鬼は感知スキルを行使した!
しかし、んな一般スキルなど、この修羅の場で効くわけがなかった。
引き当てたのはカレー味の黒豆の塊。甘味は回避したという油断がダメージを大きい物とした。
「カレー味が逆効果に!」
酒をあおって口をリセット。
続いてのカーディスは豆腐。しかも出汁は、甘味にもカレーにも浸食されていない自分が作ったそのままの領域だった。
「ムフ……美味しいのです」
満足げにこくりとうなずく。
「くくく、さて俺はっと」
向坂はあろう事かナイトビジョンを装備していた。しかし覗き込んだ鍋の中は地獄絵図だった。
(ひいいい、なんだあれ)
鍋から猿の腕が生えていた。やたら爪の長い禍々しい品。それがゆったーりと漂っている
(あれ食えんのかよ。回避回避)
それだけではなかった。口を半開きにした蛇が秋刀魚の丸干しの上に横たわっている。
(秋刀魚丸ごとも酷いが蛇ってなんだよ。クソッ、余計な物を見てしまった)
手遅れである。食欲が大きく減退する。
ようやく手にしたのはゆで卵である。
(これなら食えるだろ)
甘かった。甘味好きなだけに。
これはホビロン。孵化寸前のアヒルを茹でた物。つまり出来かけのアヒルの雛が……。
「ひいいいいいい」
やらかしたのはヒロ。始める前に、
「今日は美味しい物を沢山仕入れてきました!」
とか言っていたが、投入したのは全て一癖ある物ばかり。今は大人しく朝陽のお酌をしているが、向坂と比肩する今日の鬼だった。
「あああ、とんでもない所に来てしまいましたよ……」
向坂の惨状を隣で見ながら雫(
ja1894)は戦慄していた。軽い気持ちで参加した事を、早くも後悔。
向坂の次は自分の番。覚悟を決めて箸を入れる。箸が掴んだ物はやたら重い。何この重い物?
どうにか途中まで引き揚げた所で見えてきたのは、掴みかからんばかりに指を半開きにしてこちらを向いている猿の腕。剛毛がびっしり生えているのまで分かる。
「ひいいいいいい」
とっさに手を離す。
「ああ、落としてしまいました。アクシデントです。やり直しですね」
嘘である。思いっ切りわざと落としていた。
「さっき取ったのはこれだな」
隣のアイリスは観察好き。雫の行状はしっかり把握していた。雫のお椀に猿の腕が。
「こんなの食べられませんって」
涙目の雫。
「大丈夫、美味いぞ。多分」
貴女の食材ですか、アイリスさん!
心の中で叫びながら、渋々と口に運ぶ。ひいいい、指がぁ。
「あれ? 大根?」
それはカレー味の大根だった。工作好きのアイリスが彫り上げた、かつて相対したサーバントの彫刻なのだ。
「良かった。本当に良かった」
大根を美味しく頂く雫。
次はアイリス。
引き当てたのは秋刀魚の丸干し。一匹丸ごとなので大概な品なのだが、淑女らしく丁寧にほぐしていって静かに食べる。
(彼女は良い物を引き当てたようですね)
自分の番だ。義実は身が引き締まるのを感じる。
高まらざるを得ない胸の鼓動。
引き揚げたのは見た目ただの白菜。しかし味がどうなっているかは分からない。
緊張の一瞬。
口の中に、海産物の出汁が美味しく広がる。カーディス作のものである。
「命拾いしたようね」
若干不満げに朝陽が言ってくる。
そして最後にヒロ。
「うん、美味しいですね」
「あんたもなの?」
「大峰山さんもどうですか?」
「じゃあちょっとだけ」
朝陽の口に入ってきたのは蜂蜜味のアンチョビ。
「うえっ! 何じゃコリャ!」
「美味しいでしょ?」
ヒロはゲテモノ好き。味覚がヤバかった。
ちなみにこの蜂蜜は向坂が入れたのではなく、カーディスの物だった。予想外に地雷を仕込んでくる猫。
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そんなこんなで闇鍋は進んでいく。
(うーん、あれは止めた方がいいのかなぁ)
朝陽が隣をちらりと見る。
さっきから、九鬼はアティーヤに酒を勧めてあれこれと声をかけている。
(あれって口説いてるのよね? 止めた方がいいのかなぁ)
と、アティーヤが鍋の中身を口に入れる。
メープルシロップたっぷりのトマト。
重ったるい甘味と青臭い酸味、それに大量のお酒がプラスされる。
「カ、カレー粉プリーズ」
よろよろと九鬼にすがりつく。
「あ、カレー粉、カレー粉だね」
セクシー系かつ美人系の潤んだ瞳にどぎまぎする九鬼。
「ヤベッ、間に合わねぇ! ひなたんトイレどこ!」
「玄関の手前! 急いで!」
ダッシュで駆けていく美人系。
「やっぱり止めるべきだったわね」
九鬼に向かってため息をつく朝陽。
「彼女って、あの通り……」
「残念美人なんだね……」
九鬼の中で何かが終わる。
向坂は懲りずにナイトビジョンを使っては、カレーと甘味の混じった白ネギを引き当てたりした。メープルシロップをラッパ飲みして押し流す。
義実はカレー味の根野菜。アイリス作の、やたらきれいに花の彫刻が施された品だった。美味しく頂く。
「きれいですね」
「うん」
相変わらず無表情だが、褒められると嬉しいアイリスだった。
朝陽が引き当てたのはロッキー・マウンテン・オイスター。
「何なの? この丸いの」
カレー味なのでそこそこ食べられる。
「それは仔牛の●●ですよ」
にこやかにヒロが言う。
「え! ●●! オスの●●!?」
「●●が付いているのはオスだけですよ」
「●●とか何て物食べさせるのよ! ●●なんて女子に食べさせるとかセクハラよ!」
さすがに見かねた義実が声をかける。
「大峰山さん、女子が●●を連発するのもいかがなものかと」
カーディスが川魚を引き当てる。目がぎょろりとしてやたらと口が大きくて不気味すぎる。
「これもアイリスさん作でしょうか」
穏やかに口に入れる。食べた瞬間表情が変わる。でも着ぐるみの中の話なので誰も気付かない。
(魚……ですらない? 変に苦いよな辛いような。……ま、まさか天魔ですとか? いくら何でもそれはありえない……?)
顔中脂汗だらけである。着ぐるみなので分からないが。
それでも執念を見せて食べてしまう。
これって一体何なのだろうか。それは持ってきた雫にも分からない。
さて雫。今度は甘くなった数の子を引き当てた。
(こんなの完食なんて無理ですよ……)
隣を見ると、アイリスが黙々と食べていた。どうやら良い食材が当たったようだ。
「あの、アイリスさん。私と料理交換しませんか?」
またズルである。
「いいぞ」
しかし! この不正行為はバレバレだった。
「おい、クッキーこれ回して」
アティーヤが一本の瓶を九鬼に渡す。
九鬼からカーディス、カーディスから向坂。
そして向坂が瓶の蓋を開けて、アイリスに気を取られている雫のお椀に、どぼどぼどぼ。
「さて、ようやく普通の物が食べられそうですね」
雫がアイリスから貰った鯖の味噌煮を口に入れる。
「痛い痛い痛い痛い!!!!」
口の中を激痛が走る。
アティーヤが回したのはデ●ソース。死人が出たとさえ言われる激辛ソースだった。辛みが極みに達して痛みに変わったという訳。
天罰覿面。
「ああ、時が見える……」
口から魂らしき物を出して臨死体験をしてしまう雫。アイリスがライトヒールをかけて生命力を回復させておく。
観察好きのアイリスは、こうした惨状を目に焼き付けては彫刻にしていった。作業は捗る捗る。にたりとうっすら笑みが浮かぶ。
などとわいわいやっている中、一人浮かない顔をしているのは義実だった。
さっきからセーフの品ばかり当たっている。
それは本来喜ばしいのだが、苦しんで悶えているみんなの姿が楽しげに見えてくるのだ。
さみしい……よ。
と、どす黒く赤い板状の物体を引き当てる。
ついに来たっ!
「あ、それ豚血餅ですよ。豚の血と餅米を固めているんです」
ヒロの解説。ゲテモノです! 参ったなー。でも完食しないと。
大きく口を開けてかぶり付く。
あれ?
意外に普通? ほのかなカレー味でむしろ美味しい?
しょぼーん。
あちこちから悲鳴が聞こえる中、義実は美味しい食材を当て続けた。
「ふぅ、どうにか食べ切れたようね」
さすがにうんざりした朝陽が息をつく。
「あ、まだ締めがありますよ」
「ちょっと待って、ヒロ君!」
しかし間に合わなかった。
「クッサ! 何これ、クッサ!」
「キビヤックですよ」
アザラシに海鳥を詰め込んで発酵させた食品である。臭いがとんでもない。
「こんなの食べられませんよ」
涙目の雫。
「いいや、鍋に入れたからには食わないと」
向坂は事ここに至っても原則を曲げない。
「では俺が」
手を挙げたのは義実だった。
「ほ、本気か……」
九鬼が息を呑む。
「任せて下さい」
煮上がった海鳥の切り身を手に取る義実。肉が苦手な義実なので、鳥肉にも本来抵抗がある。
しかし今はやる時だ!
一気に口へ放り込む。臭気が口から気管を通って鼻に達する。意識がヤバイ。
みんなが見守る中、義実はついにキビヤックを嚥下する。
「ど、どう?」
恐る恐る朝陽が聞く。
「最高にキッツいですよ!」
親指を立てた義実は、今日一番の笑顔を見せてくれた。
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というところで目が覚めた。
「夢か……。闇鍋、悲惨だったけど、結構面白かったわね」
朝陽は伸びをすると、ベッドから這い出る。
リビングに出た途端、とんでもない異臭が鼻を襲った。
その発酵した海鳥の臭いは一ヶ月くらい消えなかったという。