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屋敷の外で朝陽が待っていると、撃退士達が姿を現わした。
「やぁ、また会ったね同業者さん」
「今回も頼りにしているわ、雨宮さん」
以前、別の依頼でも助けて貰っていた雨宮 歩(
ja3810)の挨拶に、朝陽は少し表情を緩める。
「それで、恭平からはどう依頼を受けていたのかな?」
「『一家の者が因習に縛られてあまりに不憫なので、因習が虚構であると暴き出して欲しい』そう依頼されたわ。でも彼の頭にあったのは自身の事業。兄妹に反対され、父親も最後の踏ん切りが付かない。そこで探偵を利用しようと考えた。そんなところかしら。胡散臭い話の片棒を担がされて、私も間抜けなものね」
「なるほどねぇ。でも恭平は、因習に囚われる家族を救う為に事業の話をしたのかもねぇ」
飄々とした笑みを浮かべる雨宮に、朝陽は虚を突かれた顔になる。
「そういう考えもあるのね」
「いずれにせよ、死者は語らず真実は闇の中、かぁ」
そう言って、屋敷の中へと入っていった。
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撃退士達の登場は、当然奧野家の人間には歓迎されなかったが、ここは多少強引にでも踏み込んでいくべきところであった。
作戦としては猿猴様を屋敷まで誘い出し、奧野家の人間の前で討伐する。その姿を見せつける事で、因習から解き放つというものだった。各人が動き始める。
神坂 楓(
jb8174)は奧野家の建物の間取り、周囲の地形、地物等の調査を進めた。
猿猴様によって殺された宗平の、血に塗れた部屋から続く血の跡は、山の方へと続いていた。奴はこの先にいる。
アイリス・レイバルド(
jb1510)は猿猴様の木乃伊を手に取る。警察を通じた撃退署の検査によって、これがサーバントの物だという事は分かっていた。
その爪と剛毛は、撃退士の肌をも傷付ける物だった。恐らく武器となるのであろう。
奧野家の人間をまずは説得しようという試みも為された。
雨宮が、家長である平一に向かって、それと分かるように拳の関節をゆっくりと動かしていく。
「家族を護る為? なら何故その家族を犠牲にする。あんたは自分の為に他者を犠牲にしてるだけさぁ」
「違う! この家には猿猴様を祀る勤めがあるんだ。俺はその勤めを忘れかけた……そうしたら息子が二人とも死んでしまった。猿猴様の怒りに触れたんだ。怒りを鎮めないと、もっと恐ろしい事が起こるに違いない!」
「恭平さんは宗平さんに殺されたのよ?」
朝陽の言葉に平一は首を振る。
「それも猿猴様の祟りに違いない。そうに違いない」
平一は目に見えない何かに圧し潰されたかのように、頭を抱えて背を丸めた。
「人間は、最早搾取される側ではない。いつまでも古い慣習に取り憑かれるのは、良い判断とは言えんと思うのだが。……違うか?」
アルドラ=ヴァルキリー(
jb7894)の言葉も奧野家の人間には届かなかった。
アルドラは我慢強く説得を続けた。「悪魔の囁き」を使って、話を優位に進めようと試みる。筋道の立たない言葉にも筋道を立てて反論をした。戦闘を前に不仲になるのだけは絶対に回避したいところであった。
「言い分は分かる。が、正体は所詮天の眷属だ。被害が出んよう食い止めるのが我々の仕事、故に倒させて貰おう」
というアルドラの言葉は彼等を刺激した。
「倒すなんてとんでもない! そんな事、余計な怒りを買うだけだ!」
口から唾を飛ばしながらすがるようにして言う。
「奴の正体をその目で確かめるんだ。なに、心配はいらん。お前らに危害など加えさせんさ、誓おうじゃないか」
奧野家の人間達が顔を見合わせる。猿猴様を恐れる彼等であるが、その胸中には本人達も気付かない思いが渦巻いているのだった。
パルプンティ(
jb2761)には色々と引っかかる事があった。
「うーん、変ですね」
一歩引いた所から、考えを頭の中で纏めていく。
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他の撃退士達の手を借りながら、御供 瞳(
jb6018)は山に面した裏庭に、簡単な祭壇を組み上げた。
猿猴様を誘い出す囮。その為に水垢離をして見せて、供物を捧げる場を作り上げていく。
「オラァが囮になるベ。生贄はやりなれてるっちゃからな」
自身育った村にも生贄の風習があったと語る瞳だが、彼女の故郷に置いては生贄とは単なる餌ではなく本当に一生を添い遂げるお役目だったという。
山の夜の冷気に晒されながら、凍える瞳の身体を温めるのは遠くに見える松明のみ。敵を誘い出す為とは言え、身に堪える。
冬の長い夜が過ぎていく。敵は姿を見せず、庭の周囲で待ち伏せをする他の撃退士に疲弊の色が見え始める。
「駄目です、いけません!」
朝陽と奧野家の護衛を務めていた楓が声を挙げる。
松明の明かりの届かない暗闇の中を人影が駆ける。
追いかけた楓がその人影の手を引く。佐那子であった。
「供物は山に捧げなくては。私が、この身で。それで済むのです!」
その思い詰めた目の異様な輝きに、楓は身体が強ばるのを感じる。この人から目を離してはいけない。
夜が明けても猿猴様は現われなかった。
「駄目ね」
朝陽が深くため息をつく。
「やっぱり変ですね」
口を開いたパルプンティに、撃退士達が注目する。
「根本的な事ですが、このインシューって、猿猴をアレした後に人間側が勝手に怖がって始めたもんじゃないですか。後付けですよね?」
確かに木乃伊を祀る事の根拠は聞き及んでいない。恐らくないだろう。
供物にしてもそうだ。サーバントが人を襲ったとして、それで供物を捧げたのは人間が勝手に始めた事なのだ。猿猴様から供物を求めたという伝承は残っていない。
朝陽がそう考えを巡らせている間にもパルプンティは言葉を続ける。
「猿猴って実は全く関係無いんじゃないですかね〜。だから猿猴が祟り的に動くって変なんですよ。猿猴の方がインシューに拘った誰かの意志で動いているような……。偶然にも祟りっぽく動いただけかもしれませんが」
「血、かも知れないわね……。恭平さんが殺された時に大量の人の血が流された。猿猴様はその血に引き寄せられたのかも」
「可能性の一つですかね〜」
「だとしたら」
楓が口を開く。
「だとしたら、恭平さんと宗平さん。二人の血が流れているこの屋敷に、もう一度猿猴様がやって来る可能性は高いですね」
実際にそれらの部屋をつぶさに調べていた楓はそう思い至ったのだった。
「それに賭けるしかないわね」
猿猴様は人間の味を思い出してしまった。これからも人を襲うはず。
朝陽は自分を見ていた猿猴様の赤い目を思い出す。あの時は運良く助かっただけ。奴はまた来る。
「他にも気になる事があるんですよ」
パルプンティが手を挙げる。
「次男食い散らかし事件が発生するまで、奧野家はインシューを軽視していたように思えるです。だって次男の与太話に家長の平一さんは乗せられちゃってますもん。現状では奥さん共々恐怖でインシューにしがみついてるだけっぽいです」
恐ろしいという伝承は有るものの軽視していた。軽視していたというやましさが、余計に恐怖を煽り立てたのだ。
「そうだな。恐怖の対象であるサーバントの死を目の当たりにすれば、平一達の恐慌は収まるだろう」
アルドラが頷く。
「多分ですが一貫してインシューに拘ってる人物は『佐那子』だけなのかも」
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ひとまず夜に備える。
平一の妻である葉子が茶を淹れてくれた。葉子は平一に比べれば幾分ましで、家事も辛うじて出来るようであった。
ひと息入れて全員で茶を頂く。
いくらも経たないうちに朝陽は急激な眠気を感じ始めた。目を開けていられない。一緒にいたアイリスと楓に勧められて、少しだけ休む事にする。ここに来てから気が張り通しだったせいだろうか。
一人床に就くとすぐに意識が遠のいた。
アイリスは朝陽の様子に少し違和感を感じた。自身の観察力を信じ、朝陽のいる部屋に通じる隣の和室で息を潜める。
しばらくして廊下の板の鳴る音が近付いてきた。
ギッ、ギッ、ギッ。
襖の開く音。
アイリスが部屋を隔てる襖を勢い良く開くと、朝陽に跨がって包丁を振り上げた葉子の、歯を食いしばり目を充血させた顔がこちらを向いた。
その常軌を逸した姿にも冷静を保つアイリスは、彼女に構わず朝陽目掛けて包丁を振り下ろす葉子の手を掴み、自分の居た部屋へと放り投げた。
ぎゃっと声を出す葉子。
葉子の淹れた茶には、彼女の服用している睡眠薬があるだけ溶かされていた。撃退士には通じない量だったが、一般人の朝陽には十分すぎる量だった。
彼女を殺害して山奥まで運び供物とする。
佐那子への監視が厳しい今、そうするしかないと葉子は思い詰めたのだった。
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数日を空費した。
猿猴様を誘い出す決め手に欠く状況では、手をこまねくしかなかった。
山への捜索は広い範囲に戦力を分散させる事となり、危険と判断していた。
いずれ来る。ただ待つしか出来ない。
その間、油断のならない奧野家の人間を監視し続けた。
奧野家の人間の撃退士達を見る目はどこまでも暗く、狂気を孕んだ視線は底知れぬ闇を感じさせる。
撃退士達は常とは違う疲弊に沈み込んでいく。
「これは持久戦ですね」
楓は歌でも唱ってみたい気になってくる。
楓は積極的に佐那子に声をかけた。そうやって意思疎通を図っていく事が、まずは大切であった。
しかし駄目だった。佐那子は目の前の楓は見ずに、遠くどこかを見つめている。
そういう姿に楓は心を冷やすのだった。
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山の近辺を上空から偵察していたアルドラが勢いよく舞い降りてきた。
「奴だ!」
隻腕の大猿。小さいが爛々と赤く輝く目。身体を覆い尽くす剛毛。牙を剥きながら祭壇の上で囮になっている瞳へと向かってくる。
瞳の足元から霊的な突風が舞い上がる。周囲の物を吹き飛ばすほどの勢いを持つ風。
しかし大猿は突風を避け、瞳目掛けて右腕の爪を振り下ろしてきた。それを両刃の大剣で受け止める。
爪と剣のぶつかる重い音。
大猿がそのまま前へと跳躍する。宙で前転し、背後から蹴りを繰り出す。剣で受けるが間に合わない。爪が肌を掠る。
瞳は霊気を読み取り、数秒先の相手の挙動を読み取る。
狙い通り。
大剣が鋭い弧を描き、サーバントの身を削ぐ。
大猿の甲高い悲鳴が響き渡る。
「やっただ、旦那様!」
瞳の旦那様への想いが口をつく。
奧野家の人々が屋敷の中からこの光景を目の当たりにする。
姿を見ぬまま恐れていた猿猴様が、目の前に居て、撃退士達の攻撃を受け、血を流している。これは一体何だ?
平一が一歩前に出るのをアイリスが制する。
今の彼女は彼等の護衛兼監視役。因習の呪縛を解くには目の前で敵を倒す必要があった。
(恐慌状態ゆえ理屈で納得出来るか分からないからな。多少乱暴だが恐怖と直感でアレが家の呪縛そのものだと認識して貰う。それを私達が倒して終わりだ)
それがアイリスの考えだった。
奧野家の人間の様子を観察する。
平一は目を剥き、対処できない驚きをそのまま顔に出していた。
葉子は朝陽を襲った錯乱状態から覚め切っていなかった。酷い興奮状態だ。息が荒い。
そして佐那子は無表情に自分の崇める対象を見つめていた。彼女には楓と朝陽が付いていた。そちらに任せるか。
地面に降り立っていたアルドラが奧野家の人間に顔を向ける。
「貴様等は、こんな異形を崇めていたのだ……。禍々しいとは思わんのか?」
強い調子の言葉だが、そこには諭すような優しさも感じられた。
平一と葉子がアルドラの方を向く。
「そこで見ているがいい。奴の最期が呪縛の最後だ」
アルドラが翼を広げ飛翔する。
自動式拳銃を構える。上空からの銃撃。魔界と天界の隔たりが、アルドラの攻撃を恐ろしく強化する。
肩に、腹に。銃弾を受けた大猿が身を捩らせて声を挙げる。
大猿の咆哮。前触れ無しに身を覆う剛毛が周囲に飛び散る。
最も近くにいた瞳が直撃を受ける。身に突き刺さる鋭利な針。
この攻撃は、しかし大猿に大きな隙を作った。雨宮が大猿の腕のない左に回り込む。好機を逃さぬこのタイミング。
黒のグローブからワイヤーを繰り出す。距離を取りつつ、カオスレートを生かした攻撃。
大猿は受ける事もかわす事も出来ない。胴をワイヤーに絡み取られる。雨宮がグローブを引いた。大猿の胴に大量の傷が浮かび上がり、夥しい血を吹き出させる。
瞳の大剣が唸りを挙げる。跳んでかわす大猿。しかしその動きは予測済み。剣を斬り上げ大猿の脇腹を抉る。
その瞳に、アイリスがヒールをかけてフォローする。
「佐那子!」
突然の声はパルプンティの物。
じっと佐那子の様子を見続けていたパルプンティが初めに気付いた。
佐那子と朝陽が戦闘に巻き込まれないよう前に出ていた楓が振り返ると、座っていたはずの佐那子が立ち上がっていた。
楓を押し退けようとするが、撃退士は動かない。
光の灯った目を大きく見開き、肺一杯に息を吸い込む。
「え・ん・こ・う・さ・ま・ぁ・ぁ・ぁ・ぁ!!!!」
か細い身体から吐き出される叫び。
大猿が顔を向ける。
目と目で交し合う。
大猿が口角を上げて歯茎を見せる。一気に跳躍。
「駄目!」
楓が佐那子に飛びつき畳の上を転がる。元居た場所が爪で抉られる。
しかしそれ以上は近付けなかった。雨宮のワイヤーが大猿を拘束していた。
「どこに行く気かなぁ? お前の相手はこのボク。音桐探偵事務所所長、雨宮 歩だぁ」
縁側にうつ伏せた大猿の胸を瞳の大剣が貫いた。
そうして猿猴様は二度と動かなくなった。
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平一と葉子がよろよろと猿猴様に近寄った。
「これが、貴様等の崇めていた物の成れの果てだ。ただのサーバント。我々撃退士が討伐した」
アルドラの言葉に肯きながら、平一が猿猴様の頭の前に跪いた。
「はは、死んでる。死んでるぞ、こいつ」
横向きになっている猿猴様の顔を覗き込む。
「おい、葉子見てみろ、死んでるぞ。俺たち一族を何百年と悩ませ続けた猿が」
「自由よ、これで自由よ」
顔を見合わせる奧野夫婦の顔が緩んでいき、やがて大声を出して笑い始めた。
「あーっ、はっはっはっはっはっ!!」
「はーっ、はっはっはっはっはっ!!」
安堵、戸惑い、怒り、様々な感情がない交ぜになった薄ら寒い声が部屋を満たす。
そこへ、全てを失った人間が出す悲嘆に満ちた声が重なって聞こえてきた。
「猿猴様ーっ!! 猿猴様ーっ!! 猿猴様ーっ!!」
畳に伏せったまま、佐那子の泣き声はいつまでも続いた。
朝陽と撃退士達は屋敷を後にした。
「猿猴様という呪縛は、恐怖であり、支えでもあった」
朝陽が呟く。
「猿猴も、のこのこ出て来たばっかりに殺されちゃって。あれもインシューに飲み込まれたんですね〜」
パルプンティが誰に言うともなく言う。
結局、猿猴様とは何だったのだろうか。真実に繋がる確証は何一つとして得られなかった。世の中には知り得ない事が多すぎた。
冬の寒さが身に凍みてくる。
「家に帰るか」