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グルルルル……と犬が鳴いた。
黒光りする巨大な身体を持つそれは、桜の木の下にまるで宝物を埋めるかのように彼女――山中美香を置いていた。
「助けて……」
震えながら、小さな声でそっと呟く。ズキン、と痛みが全身を走った。その痛みはディアボロに握りしめられた時に折れたところからくるものなのか、はたまたこの胸からか。
苦しみの中、少女は最後に見た大切な人のことを想う。
「青葉……」
ざあ、と風が桜の木々を踊らせた。
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「あれが例の桜の木ね。ディアボロはあれの影から出てきたのよね」
Juria Felgenhauer(
jb8170)は双眼鏡越しに聞いていた桜の木とその周辺を眺めていた。初めての戦闘依頼ということもあって少なからず緊張していたが、やるしかないということもわかっていた。胸の前でぎゅっと握りこぶしをつくる。
「あ、あそこ。木の影に林がある。もしかしたら、あそこに何か隠れてるかも」
ユリアは双眼鏡を片手に木の向こう側にある林を指差す。もしもの可能性を予測してきちんと状況を把握しておくのは大切なことだ。皆に気をつけて、と言うと、一刻も早く恐怖に震えているであろう彼女を助けなければと走りだすのだった。
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「こんな日に……バチ当たりにも程があるわね!」
神凪 景(
ja0078)は歩いて桜の木へと向かっていた。
「大切な気持ち、あたしも持ってるから……二人の気持ちはすっごく理解できる……だから絶対に助けるんだよ!」
スピネル・クリムゾン(
jb7168)もその隣に続く。
「やれやれ、面倒なことになっているな」
Latimeria(
jb7988)は陰影の翼をばさりと広げ、堂々と桜の木へと歩み寄る。
「二人の最初の一歩を踏みにじるなんて、許せないっス!」
名無 宗(
jb8892)はインティーブルチェーンを手に、その後を追った。
「山中さんはなんで狙われたんだろうね? これでつられてくれないかなぁ」
そう言ってスカートを翻したのは片桐 のどか(
jb8653)だ。あらかじめ青葉に聞いておいた、当日の美香の服装に似たものを着ていた。変化の術も使い、どこからどう見ても今ののどかは山中美香であった。
光を纏った五人が桜の木に近づくと、地面を震わせるほどの大きな咆哮が五人を襲った。
「っ、現れたわね!」
犬と鳥を混ぜたような姿をした三メートルほどの大きさのそれを見て、まさにそれが依頼にもあったディアボロであることを確信した景は銃をディアボロに向かって撃つ。射程内ではなかったが、その銃声にディアボロがこっちを向くのを確認して、景は雷桜を野球のバットを持つようにして構えた。
「悪い子にはオシオキなんだよ?」
赤と黒の翼を広げると、スピネルはディアボロに向かい大鎌を振りかざす。
ディアボロの悲痛な叫びが辺りに響いた。
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「必ず、美香さんを助けますからね」
ディアボロの咆哮を聞いた鈴木 千早(
ja0203)は、青葉に呼んでおいた救急車で待つよう伝えると、ユリアと清純 ひかる(
jb8844)と共に桜の木の下へと走りだす。
遁甲の術を使ってディアボロに気付かれないよう気を使いつつ、戦闘が行われている側とは反対側から桜の木へと向かうと、そこには一人の今日ののどかと同じような姿をした女性がいた。
彼女の腕は普通ではありえない方向に曲がっており、一目で骨折をしているのだとわかった。
「あお、ば……?」
虚ろな目でこちらを見つめ、かろうじて聞こえるようなか細い声でそう呟く彼女に心が痛む。
「……大丈夫ですよ、青葉さんも貴方を待ってます」
千早はにこりと微笑み、その間にひかるが包帯と挿し木で応急手当を済ませる。
「少し我慢して」
ひかるは美香をひょいとお姫様抱っこの形で軽々持ち上げると、マントをたなびかせ救急車へと飛んだ。平然とそれをやってのけるその様はどことなくキラキラしていて、まるで王子様のようだった。
背後で大きな咆哮が聞こえた。ビリビリと空気伝いに聞こえるそれは思わずひるんでしまいそうなほどのものである。
戦闘をしていた方から聞こえたその咆哮に耐えながらも、ひかるは救急車を目指す。
が、それに応えるかのように二つほどの咆哮が聞こえたなら、さすがに振り向かざるをえないだろう。
「やっぱり、潜んでたわね……!」
隣でひかるを守るように飛んでいたユリアは、ひかるを先に行かせるとこちらへ来る一体のディアボロを迎え撃つようにして剣を構えた。
「いいわ、私が相手よ!」
電撃を纏った剣を、黒光りする巨体に向かって振り上げた。
「――っはぁ! なんとか逃げ切れた……かな?」
救急車に転げ込むようにして飛んできたひかるは、息を整えながらベッドにそっと抱えてきた美香を寝かせた。
「急いで手当してあげて下さい。目につくところの応急手当はしましたが、もしかしたら他にも怪我をしているところがあるかもしれない」
ああそれと、とひかると共に転がり込んできた千早は、青葉に付け加えるように言う。
「青葉さんは美香さんについていてあげてくださいね。美香さんも、一人では心細いでしょうから」
俺達は大丈夫ですから、と千早は微笑むと、外で戦っている仲間たちに力添えするためにひかると共に救急車を飛び出した。
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「きゃあっ!」
美香と同じ姿をしているからか真っ先に襲われていたのどかを守るようにして、宗は円盾を掲げた。
ディアボロの鉤爪と宗の盾とがぶつかりあう金属音が鳴り響く。
「ちゃんと守るっスよ。みんなの盾になるって言ったっスから!」
更に鎖鎌を鉤爪に巻きつけ、ディアボロが動くのを妨害する。
「これ以上美香さんに、みんなに手は出させないっス!」
ふと、宗はその鉤爪を見てはっと気づく。
「こいつ、鉤爪に毒を持ってるっス! 当たっちゃダメっス!」
宗の叫び声に気づき、鉤爪の攻撃を受けそうになっていたスピネルがそれを受け流す。
「やだ、痛そうだよ〜!」
と、ディアボロが今までにない大きな咆哮をあげた。それはまるで遠くにいる仲間を呼ぶ遠吠えのように聞こえて。
「今の咆哮は、まさか……っ!?」
景は救護班が向かった方向を振り向く。今戦っているディアボロと同じような姿をしたものが、美香と思われる人影を抱えたひかるを追うようにして飛んで行くのが見えた。
援護に向かわなければと思ったが、前からくる気配にさっと盾を構える。
「こっちにも!?」
後ろだけじゃない、前にもディアボロが一体増えていた。とてもじゃないけれど援護になんて、と思っていた矢先のことだった。
「俺が行く。こっちは任せるぞ」
バサリと漆黒の翼を広げ、救護班の方へと向かったのはラティメリアだった。
「ラティちゃん、ごめんね! お願い!」
大鎌をふるいながらスピネルが声をかけると、ラティメリアは、ああと頷き、先で戦うユリアの下へと向かうのだった。
「あは、さすがに一人じゃ厳しい、かも……っ」
ユリアは美香を抱えるひかるを先に行かせた後、想像以上に一人での戦闘が苦しいものであることを実感させられていた。白い翼の輝きも心なしか弱まっているような気さえする。
先に鉤爪の攻撃を掠った程度だったが食らってしまったのもよくなかったのかもしれない。
「人を助けるために来た癖に、自分がこれじゃあざまあないわね……」
一人だということも心細くさせることの原因の一つなのかもしれない。だけど改めて見た、自分よりも二倍ほどの体格を持つそれは、ユリアに恐怖心を植え付けるのに十分すぎた。
ああもうダメかも、だなんてらしくないことを頭のすみで考えてしまった。ユリアに鉤爪が振り下ろされる。
その時だった。
「何ぼーっとしてるんだ。怪我するぞ」
自分とは対照的な漆黒の翼を広げた女、ラティメリアが巨大な鋏を持ってユリアとディアボロとの間に割って入っていた。
それにハッとして、ユリアも剣を握り直す。
「ご、ごめん……助けてくれてありがとう」
仲間が来てくれて、どこからか勇気が湧いてくる。さっきまでの恐怖が嘘みたいだ。ラティメリアが来てくれたおかげでユリアの目には生気が戻ってきていた。
「気合、入れなおしたよ。はあぁっ!」
ラティメリアが抑えているところに一閃、光る太刀筋が走った。
「ちょっとうるさいから大人しくしててねっ!」
ガキンとディアボロの頭にのどかの扇が振り下ろされる。それがトドメで、ディアボロは地面にドサリと倒れた。
「ふー、これでおしまいかな?」
のどか達の目の前には二体、振り返るとユリア達のところにも一体のディアボロが倒れており、他のディアボロが出てくる気配もしなかった。
「無事、なんとか終わってよかったっス!」
宗は力を使い果たしたのか、へにゃりとその場に座り込んだ。
「美香ちゃんも無事助けられたみたいだし、本当よかった〜!」
スピネルも阻霊符をしまいながら桜の木の下へと向かう。
「結局、美香はどうして襲われたんだろうな」
ふぅと桜を見上げながらラティメリアは電子タバコを口にした。
「きっと、大切な人を想うどきどきに惹かれたんだよ。あたしも持ってるから……。自分にないから輝いて見えて、手を伸ばしちゃうんだよね……でも、これだけはあげられなかったから」
スピネルはぎゅっとポケットの中のブレスを握りしめた。
「大切な人を想うどきどき、か……」
理解するには少し難しいかもしれない、とラティメリアは桜を眺めた。
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「美香、美香! 無事でよかった……!」
病院へ向かうと真っ先に彼女に駆け寄ったのは青葉だった。病院から面会許可が出たのを聞いて、青葉はもしよければと皆を誘っていたのだった。
「青葉……それに、みなさんも」
皆の顔ぶりを見て、病院のベッドで座っていた美香は微笑んだ。
「助けてくださってありがとうございました。化け物に襲われて、私、もう死ぬんだって思って……そんな中みなさんが助けてくれて、こうして青葉とも再会出来て……本当に感謝しています。ありがとう」
彼女の笑顔に思わず八人も笑顔になる。
「そうだ、美香。僕……ちゃんと返事、できてなかったから。今伝えるね」
ぎゅっと美香の手を握りしめ、美香の顔をじっと見つめ、青葉は改めて告げた。
「美香、僕も美香のことが好きだ。僕と付き合って欲しい」
ストレートなその言葉に、美香は耳まで真っ赤に染まる。恥ずかしさからか顔を下に向けるも、数秒すると顔をあげ、はいと笑顔で告げた。
「山中さん、無事でよかったねぇ。お幸せにね。……私も恋人欲しいなぁ」
八人は病室に青葉と美香を残して出てきていた。のどかは二人を祝福しながらも、ぽつりとぼやくのだった。