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ヒビキ・ユーヤ(
jb9420)は後悔した。
山中に於けるディアボロ目撃報告。これを受けて出撃したのは良いが、山間に孤児院があることは見落としていたのだ。もしここを拠点としてディアボロ捜索に出ていたのであれば、何か違った結末を迎えることも出来たのかもしれない。
その想いは、孤児院へ踏み込んだ瞬間からより強烈なものとなった。
入ってすぐのホールには、経営者と思われる大人の死体が一つ転がっている。
奥の方からは子どものものと思われる悲鳴。
「チィ、首をやられてやがる」
「今は奥が先です、先輩!」
死体の様子を確認した麻生 遊夜(
ja1838)が苦虫を噛み潰したような表情を見せるが、来崎 麻夜(
jb0905)は先へ進むよう促す。
厳しいようだが、死人より生存者だ。この優先順位を取り違えるわけにはいかない。
この孤児院はさほど大きくない。
恐らく経営者が咄嗟に点けたのであろう電灯を頼りに、建物の奥へ目を凝らせば、突き当りにある二つの部屋にいくつかの影が蠢いて見える。
「ロセウスちゃん、お願いします!」
「さっさと走れ、手遅れになるぞ」
日ノ宮 雪斗(
jb4907)はヒリュウのロセウスを召喚、片方の部屋へとけしかける。
一方で谷崎結唯(
jb5786)は、もう片方の部屋へPDWの銃口を向けて発砲。もちろん室内へは銃撃しない。扉の手前に着弾させ、その音による威嚇を試みたのだ。
この間に、他の撃退士が駆ける。
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突き当りの部屋は、両方とも寝室らしかった。いくつかの薄い布団が敷かれており、日下部 千夜(
ja7997)の飛び込んだ方は子どもの死体が三つ転がっている。ここへ侵入したグールは、今まさに最も手近な少年にのしかかろうとしていた。
ありったけの力を屈伸の反動に賭け、飛び上がるように地を蹴った千夜は少年を抱いて地を転がる。
「……怪我はありませんか?」
問い掛けると、胸の中の少年は小さく頷いた。
先ほど雪斗が放ったロセウスは、グールの周囲をぐるりと旋回して挑発する。
のっそりした動きで立ち上がったそのディアボロは、ロセウスを捕まえようと手を伸ばす。が、緩慢な動きでは捕えることもままならない。
忙しなく飛び回るロセウスが、いつのタイミングからか、蝶を模したような光を纏った。
その妖しげで悩ましくもある蟲惑的な蝶の群は、ロセウスと共にグールへと降りかかる。
「遅れてすまんな、もう大丈夫だ……ちょっと待ってろよ?」
部屋の奥へと遊夜が声をかけた。
先ほどの蝶は、遊夜が放ったもの。それは、人外の者を惑わす光。
目を回したグールはバランスを失って仰向けに倒れた。
ここへ千夜が飛びかかる。抜き身の大太刀に星の輝きを宿し、大上段から振り降ろした。
哀れグールに情けなし。
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雪斗達が向かった部屋が男子部屋であったとするならば、他の三人が駆けつけたのは女子部屋だ。
先んじて結唯が威嚇したことで、グールは子どもを襲うよりも撃退士に目が向いている。これは好都合だ。
「これ以上、させない」
麻夜もまた、遊夜と同じように蝶の幻影を放つ。
これを正面から受けたグールは、やはり目を回してふらついた。
そこへ、ヒビキがバトルケンダマを飛ばす。玉が尾を引くような糸がグールの首に絡みついた。
意識が朦朧とするディアボロを手繰り寄せるのは、さして難しいことではない。
完全に動きは封じた。
「最早尋ねるまでもないが……」
再びPDWを構え、結唯は部屋の中にいる少女達へと語りかける。
「ここでグールに殺され、惨めたらしく化物の餌となるか。逆にここで私達にグールを退治してもらい、人間らしい最後を迎える為生き続けるか。好きな方を選べ」
人助けに見返りを求めないなどと口にするつもりはない。それは偽善者のすることだ。
少女らは口々に助けを求める。が、一人だけ物も言わず俯く姿があったのを、結唯は見逃さなかった。
しかし、一人の不明瞭な回答のために、他の多数を犠牲にするわけにはいかない。口を開かなかった一人が殺されるのを待ってやる意味もない。
いずれにせよ、グール退治は使命だ。相手の動きが止まっている好機を逃す理由もない。
結唯は躊躇わず、引き金に指をかけた。
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「……名前は?」
ディアボロを倒し、ひとまず孤児達をホールに集めた撃退士達は、この付近に孤児院やそれに類する施設はないかと調べてみた。が、残念なことに、孤児の受け入れを了承してくれる施設はどこにもなかったのである。もちろん、久遠ヶ原学園で預かってもらうことも出来ない。
どうしたものか、と考え込んだ千夜は、不安そうに俯く少年が目についた。
よく見てみれば、あの時身を呈して守った少年だ。命こそ助かったものの、行く宛てのないやるせなさは拭えない。
今出来ることといえば、少しでも気を紛らわせてやること。
だから千夜は身を屈め、目線を合わせて名を尋ねた。
「八雲。五月七日八雲」
「……そうですか。わたくしは日下部、といいます」
しかしそれ以上の言葉が出てこない。
この少年のために出来ることがあるとしたら、自分の家族――いや同居人でもいい。引き取ってやることくらいだ。
つまり、自分が親となること。見たところ、この八雲は十歳程度の少年だ。感受性豊かで、今が一番多くの刺激を受けて、今後の人格形成にも影響のある年頃だ。
そんな大事な時期を、自分の下に置いて良いものか。ちゃんと育てることが出来るのか。千夜は底のない不安を覚えた。
改めて、少年の顔をじっくりと見る。
少年も千夜を見つめ返す。
きっと笑うと可愛らしいのだろう。それでいてどこか凛とした印象を受ける。
この孤児院では彼よりも年下の孤児が幾人も見受けられる。もしかしたら、この子は、この孤児院ではお兄さん格だったのかもしれない。
恐らく、生き残った孤児達は、急に見ず知らずの人に引き取られることに戸惑いを覚えるだろう。自分から助けを求めることも出来ないだろう。それなら、八雲なる少年の引き取り手が見つかれば、他の生存者も自分から援助を願い出ることが出来るかもしれない。
それに、だ。千夜自身、元々は孤児だった。あの日自分を引き取ってくれた人がいたから、今自分はこうしてここにいる。
ならば……。今度は、自分の番だ。
「……わたくしと共に来ませんか?」
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八雲の引き取り手が決まったことで――むしろ千夜が動き、これに感化された雪斗は、自ら動いてやることが大事なのだと気づいた。
ただ状況を見ているだけでは何にもならない。まして、相手は自分よりずっと年下の子どもだ。
「やくも兄ちゃん……」
もう少し年下の、七、八歳の少年が、八雲を羨ましそうに見ていた。自分も誰かに引き取ってもらいたいというより、一人になってしまうことへの寂しさと不安が見てとれる。
雪斗は、この少年に決めた。
「……えっと……わ、私と一緒に住みませんか!?」
子どもを一人引き取る。親になる。それは並大抵の覚悟では務まらないだろう。先に待っている苦難、困難は計り知れないだろう。
だがそんな不確定未来への躊躇いや戸惑いは放り出した。
そんな後ろ向きな感情はいらない。今は何よりも、一番素直に受け止めるべきなのは、家族が増える喜びなのだと言い聞かせた。
あまりにもそれを表に出し過ぎたものだから、雪斗の声は上ずった。
ともすれば、頼りなく見えたかもしれない。
それでも少年はパッと笑顔を浮かべて頷……きかけた。
「でも……。やくも兄ちゃんたちとバラバラになっちゃうの、ヤダ……」
当然だ。
今まで共に過ごしてきた仲間達、いや兄弟達なのだ。
それがこんなことで、偶発的な事象によって、ある者は死に、ある者は離れて暮らすことになる。それが嫌だということは、子どもでなくとも感じるだろう。
だからこそ、放っておくわけにはいかない。
「バラバラになるけど会おうと思えば連絡とって会えるし。それに、皆久遠ヶ原ってところに住んでるの。すぐ近くに住んでるんだよ。だから大丈夫。ね、一緒に住もう?」
ちらり、と少年が八雲の方を見る。
すると八雲は、力強く頷いて見せた。
これが、この少年に覚悟を固めさせたに違いない。
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孤児を家族に迎え入れることは、遊夜にとって初めてのことではなかった。これまでも幾度か孤児を受け入れ、育てている。この場にいる麻夜が三人目、それからヒビキ四人目。資金面の問題はまた別にして、遊夜にとって孤児を迎え入れることに関して抵抗はなかった。
「というわけだ。むしろ全員迎え入れても構わんぞ」
「いい、けど……養える?」
任せろとばかりに胸を叩く遊夜だが、これには流石にヒビキのツッコミが入る。
人を一人養うだけでも、金銭的な負担は大きい。それを一度に多数の人間を養うとなれば、これはもう大変だ。これまでの仕事量では、とてもではないが生活出来ない。
それでもなお受け入れるというのならば、ようこそ馬車馬ライフへ、と言うしかない。
「でも三人までなら大丈夫じゃない? というより、ボク達で一人ずつ面倒見て、合計三人」
「……それなら。私も、自立、してるし」
そこで麻夜が提案したのは、ファミリーとも言える遊夜、麻夜、ヒビキがそれぞれ一人ずつ養う、という方法だった。
元々は遊夜の世話になっていた麻夜にしてもヒビキにしても、今は自分で稼いで、自分で生活している。
それならば、一人に負担が集中することもない。
問題は、誰を養うか、だ。
残る孤児は、男の子が一人、女の子が三人の、合計四人だ。
まず、遊夜が選んだのは、男の子だ。年齢的には十歳に届くか届かないかといったところ。年相応に元気ハツラツというよりは、少々内気で内向的な印象を受ける子だ。
目の前で兄弟が殺される様を目の当たりにしたショックを拭えずにいるからなのか、それとも元々そういう性格なのか、これは付き合ってみなければ分からない。
「あー、そういうわけだ。えっと、名前は?」
千里の道も一歩から。遊夜が手始めに名前を尋ねると、少年は目を逸らすようにして俯いた。
これは一筋縄ではいかないと感じつつも、遊夜はその少年の頭をくしゃりと撫でる。
「ま、何はともあれよろしく頼むぜ」
嫌がられはしなかった。これは幸いだったと言えよう。
続いて麻夜が選んだのは、どこか自分に似た雰囲気のある少女。歳の頃は七、八歳といったところか。
この少女も内気に見えるが、先ほどの少年と違い、どうも人と触れ合うのを恐れているかのようだった。親に捨てられた直後なのか、「私は人間不信です」と顔に書いてあるかのような、そんな少女。
だが、正確に反して見た目は可愛らしい。今は簡素な服を着ている上に、汗ばんだ顔に髪がまとわりついて、本来の顔つきというものは少々想像しづらい。
シャワーでも浴びさせてあげて、髪を結んであげて、ちょっとした服を着せてあげれば、誰もがうらやむ可愛い女の子に変身する、そんな可能性を麻夜は感じた。
「……おかーさんって呼んでもいいからね?」
そう声をかける麻夜。
だが、少女は益々俯くばかり。
それでも、と麻夜は考える。今は、そう、今はこんなもの。接していくうち、きっと懐いてくれる。
確信と言ってもいい。それだけの自信は、不思議と湧いてきたのだ。
最後に、ヒビキが選んだのは、歳の頃が麻夜の選んだ少女に近い女の子。
どこか儚げな印象は、選んだヒビキ自身によく似ていた。
だが、決定的に違うところは、多少なりとも他の二人より元気がいいということだろうか。
「じゃあ、おねーちゃんがわたしの……」
「……おかーさんって、呼ぶ?」
「え、えーっと」
少女は躊躇った。
母と呼んでも良い。そう言われても、ヒビキも十歳程度の少女にしか見えない。せいぜいおねーさん、だろう。
とはいえ、ヒビキはハーフだ。実際には、見た目以上に年齢を重ねているのだが、子どもにそんなことが理解出来るかといえば、難しいだろう。
でもそれが面白かったのか、少女はコロコロと笑った。笑ってくれた。
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最後に残った少女は、ホールの隅の方で胸を撫で降ろしていた。
生き残った孤児の中では間違いなく最年長と思われる少女は、肩まで伸びた黒髪が美しく、透き通るような白い肌が、まるで人形のような様相である。ただ、地味な印象だけは拭えない。
この時点で、まだ誰も引き取っていないのは結唯だった。
必然的に、結唯がこの少女を引き取ることになる……と思われたのだが。
「……ふっ」
結唯はちらりと少女に視線をくれてやるだけで、くるりと背を向けて孤児院を出てしまった。
うちに来るかと問うわけでも、ついてこいと言うわけでもない。
見えなくなってしまった結唯の姿に、あっと声を漏らして少女は俯いた。
積極的になれないわけではない。だが、自分から引き取ってくれと言うのはあまりにも厚かましいと感じたのだ。
このままでは、自分一人だけ路頭に迷うことになる。
「れーかねーちゃん。あの人、行っちゃうよ?」
「……うん。いいの。それより八雲、新しいおうち、見つかって良か――」
「よくないやい! れーかねーちゃんが一人で残るなんて、ぜったいダメだ!」
そんな少女に声をかけたのは、千夜が引き取ることに決めた八雲という少年だった。
彼の言葉を借りれば、このれーかなる少女は少し困った顔を見せた。
ふと周りを見渡せば、共に孤児院で時を過ごした兄弟達、それから撃退士達も、ただ視線を送って、「追いかけなさい」と表情に浮かべていた。
弾かれたようにれーかは走る。
戸を開けると、そこに結唯の姿はなかった。
急に走ったものだから、呼吸が乱れる。あっという間にいなくなってしまったことに胸中落胆して、呼吸を整えるついでに溜め息を吐いた。
「何の用だ」
背後から声がする。
ハッとして振り返ると、孤児院の壁に結唯が寄りかかっていた。
「あ、あの……助けてくれて、ありがとうございました」
「仕事だ」
そう返されて、少女はまた俯きそうになった。ここでくじけてはいけない、可愛い弟、妹達のために、引きさがってはいけないのだという想いが、れーかを奮い立たせた。
「私、遠野麗華といいます!」
「谷崎結唯だ」
名乗れば、名を返される。
話して通じないわけではない。
そう思うと、麗華の心に勇気が湧いた。
「すごく、わがままだけど……。あの、私を、預かってくれませんか」
清水の舞台から飛び降りる気持ちで告げると、結唯はのそりと歩き出した。
そのまま麗華の脇をすり抜けるようにして通り過ぎる。
駄目、なのか?
麗華が暗い表情を浮かべかけると、結唯は背中越しに声をかけた。
「私の家に来る以上、私がルールだ。従ってもらうぞ」
その言葉に、麗華は顔に花を咲かせて結唯を振り向き、パタパタと走り出した。