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死にたいと思っていた。
死にたい、死にたい、死にたいと口にしながら、心のどこかに、死にたくないという矛盾した想いが混在していた。
一貫性のない感情を抱えて、生きてきた。
でも。今はそんな脳みそだけの感傷など全てが吹き飛んでしまった。
自分の命なんかよりもよっぽど大事で重くて尊いものが、消されようとしているのだから。
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大男、トロルは右手の棍棒を高々と振り上げた。
長く伸びた舌を得意げに出し、口の周りをべたべたにしつつニタリと笑みを浮かべる。
「やめろォォッ」
男は妻と息子を背に庇うようにして、トロルの眼前に立ち塞がった。
苛立ったような表情を見せたトロルだが、しかし構わず、その棍棒を握り直し、振り降ろそうとした。
そこへ。
「こらあぁぁ〜っ!!」
パルプンティ(
jb2761)の怒声にも似た叱咤が飛んだ。
PDWを構え、突撃。トロルの背後に迫る。
「ヘイヘイ、お尻の穴を増やされたくなかったらコッチ向くですよーぅ!!」
しかし、万が一にも流れ弾が追い詰められた親子に当たってはならない。弾丸はトロルの背を撃ち貫くのでも、棍棒を握る手を狙うのでもなく、空へ向けて放たれた。
威嚇。これで気を引ければと彼女は目論んでいた。
だが、トロルの動きは止まらない。直接害を及ぼしてこないものには目もくれず、といったところか。
ならばと鳳 静矢(
ja3856)が取った行動は、挑発であった。
「そこの木偶の坊、突っ立っていると背中から切り捨てるぞ」
星煌を突きつけるようにして脅しにかかるが、トロルは背を向けていることもあり、その様子は見えていない。
それだけでなく、今まさに棍棒を振り降しているところなのだ。見向きもしない。
慌てて霧谷 温(
jb9158)が全力で地を蹴り、神谷 愛莉(
jb5345)がストレイシオンを召喚して、それぞれの身を滑り込ませて自らを盾にしようとするが、トロルの巨体に阻まれて回り込めない。
角に追い詰められた親子の姿は、回り込んだとしても確認は出来ず、トロルの股から彼らの脚が見え隠れするだけだ。
トロルの棍棒が、父親の脳天を捉える。……かに見えた時だ。
「いやぁ、危ないところだったねぃ」
地から壁からフェンスから、果ては中空からも伸びた無数の腕が、トロルの右手を捕えた。皇・B・上総(
jb9372)による、異界の呼び手だ。
攻撃を中断させられたトロルは、今度は足を上げ、親子を踏み潰さんとした。
「やめてくれ!」
父親は、己の家族を抱き締めるようにして地に伏せる。
トロルの脚は、ギリギリ、家族を捉えることはなかった。しかし、僅かに身じろぎすることもできないほどに追い詰められてしまった。
「おい、どうしたらいいんだよ、あれじゃやられちまう!」
「迂闊に攻撃して、あのままトロルが崩れ落ちたら、被害が……。くそッ」
大狗 のとう(
ja3056)、そしてミハイル・エッカート(
jb0544)が動揺する。
ましてミハイルは、あのトロルにこそ、自分を重ねていた。
かつて、同じことをしていたはずなのだ。ターゲットを追い詰め、逃げ場を奪い、そして……。
「まずいねぃ、もうすぐ腕が消えてしまうよぅ」
そろそろスキルを継続的に使用するにも限界を迎える。上総の呟きに、一同が震えた。
「こうなったら、俺が脳内愛犬達を……」
「それじゃジリ貧だよ。膝裏とか狙って転ばせたいけど、あの人達をトロルから引き離さないと」
上総の異界の呼び手のように、のとうにも無数の犬の幻影を放って敵の動きを止める技がある。
しかし、それを繰り返したところで抜本的な状況の改善は見込めないと温は苦言を漏らした。
あの親子を何とか救助しなければ下手に動くことも出来ない。とはいえ、何もしないで見ているわけにもいかない。
「振リ返ッテ御覧ナサイ……。振リ返ッテ」
トロルの頭上。そこには、闇の翼を広げて、黒き書物を開く女性――Viena・S・Tola(
jb2720)の姿があった。
ひらり、ひらり、とページをめくる度、どこか感情の欠落したような声で連なる文字を読み上げる。それにつれ、書物からはらり、はらりと灰が舞い散り、それがトロルの体へと降り注ぐ。
するとどうだろうか。トロルは頭から徐々に、灰を被ったように白く豹変してゆく。
「すごい、トロルが真っ白に……」
「あれは、石化か!」
その様子を見た愛莉が歓声を上げ、静矢が冷静に状況を観察する
まるで――いや、形容せずとも、それは魔法だ。灰を被ったその箇所から、トロルがどんどん石と化してゆく。
抵抗のつもりか、もう一度足を上げるトロル。だがその姿勢のまま石化は完全なものとなり、バランスを失って背中から倒れた。
好機と見た撃退士達は、トロルに追い打ちをかけるより先に、あの親子の下へと駆け寄った。
「よう、バケモノ前にして頑張ったじゃないか。いい目をしてるぜ」
家族に覆いかぶさるようにしていた父親を助け起こしたミハイルは、肩を貸してやりながらその場を離れる。
彼の妻、子どもも、次々と撃退士達が解放していった。
パタリと本を閉じたVienaは、眼下の救出劇を目に、表情を変えぬまま、胸中、思考と感情のもつれを抱いていた。
家族とは、いったい何か。
父がおり、母がおり、互いの血が混じり合った子がおれば、家族。戸籍という書面上の繋がりを、家族というのだろうか。それならば、この親子は恐らく、これに合致するのだろう。
でも違う。これは、違う。そんな、薄っぺらいものではない。……というところまでは理解できる。あの、自らの命を張ってまで妻子を守ろうとした父親の行動は、一枚の紙に印字された活字が表現するものではない。
愛だとでもいうのか。それが、無償の愛だとでもいうのか。
「家族、ですか……」
呟いた時、頬が緩んだのを感じた。
何故かは分からない。分からないが、それに心地よさを覚えたのは嘘ではない。
同時に、チクリと刺す胸の痛み。その原因は、やはり分からない。
「もう大丈夫、怖かったね、頑張ったね、偉い偉い!」
子どもを安全な場所まで抱えてきた温は、恐怖に泣きじゃくるその子の頭を撫で、励ましていた。
もう怖くない、もう大丈夫だと、そう繰り返しながら。
これで少しは落ちついてくれるといいのだが。
「そろそろです……。皆さん……準備を……」
一度地に降りたVienaが臨戦態勢を促す。
撃退士一同が振り向けば、石化したトロルに亀裂が入り始めていた。魔法が解けようとしているのだ。
「戦術的に見れば、石化している間に攻撃すれば一方的だったのだが」
「優先順位ってもんがある。今回は、これで良かったのだろうさ。見ろよ」
顎をしゃくるようにして呟く静矢に、ミハイルはあの家族の方を親指で指示してみせる。
「……確かに、正しかったというのは疑いようもないな」
見れば、救出された親子三人、抱き合うようにして無事を喜び、涙していた。
生きている喜びを噛みしめる、そんな姿を目にすれば、これを優先したことを後悔する要因などどこにあるのだろうか。
「あのお父さん、愛莉のパパと同じ……。親って、本当に凄いね」
「家族を守ろうとする意思、確かに素晴しいものだと思うよぅ」
そんな様子を眺めながら、愛莉はひとり言のように呟く。
へらりとした態度ながら感慨深げに目を細めたのは上総。
そんな彼女が隣にいるからこそ、愛莉の胸の内は穏やかだった。
あの日、守ってくれたのは紛れもなく父であり、母であった。そんな愛莉の記憶が、あの親子に重なる。
「ぼんやりしてていいのかーい? トロルが起きちゃうよーぅ」
彼女らの意識を仕事へと引き戻したのはパルプンティだ。
ハッと振り向けば、トロル石像の亀裂は全身に及んでおり、ところどころ剥がれるようにしてその内の素肌が露出し始めている。
この好機を逃せば、あのトロルと正面から対峙せねばならなくなる。救助対象は避難を開始しており、一般人を守りながら戦うというハンデは背負わずに済んだものの、可能ならばこちらの被害を極力抑えたい。
攻めるならば今だ。
撃退士は各々の武器、あるいは召喚獣を呼び出して、一斉に攻勢に出る。
「お待ちかね、首ちょんぱの時間ですよーぅ」
初手に動いたのはパルプンティだ。
デビルブリンガーを構えた彼女は、石化した状態のままトロルの素っ首を切り落とさんとばかりに刃を振るう。
――が。
「なんですとーぅ!?」
ガラリと石の殻を破ったトロルの左腕が動く。
閃いたデビルブリンガーは、それを操るパルプンティの腕を掴まれたことで動きを止めた。
石化から立ち直ったトロルは、棍棒を杖代わりにして立ち上がる。
この時パルプンティは宙ぶらりんの状態。ジタジタとあがいてみせるものの、巨漢の握力から逃れることは出来ない。
「チッ、遅かったか。待ってろよ……」
すかさずミハイルがスナイパーライフルのスコープを覗く。
そこから見えるのは、パルプンティ救出に繋がる部位……奴の左腕、のはずだった。しかし実際に見えたは、パルプンティの尻だ。決して意図的に覗いたわけではない。トロルがミハイルへ向けてパルプンティを投げつけたのだ。
苦悶の声を上げて倒れる二人。
これを踏み越えるようにして躍り出たのは静矢だ。
「今度は私に付き合ってもらおうか!」
紫光を宿した星煌を振りかざす静矢。
トロルは棍棒を振り降ろして迎撃。
かち合う剣と棍棒。一瞬の競り合い、そして砕ける棍棒。
このまま二の太刀へ移らんとする静矢だが、思わず飛び退いた。
支えを失ったトロルが倒れ込んできた――いや、のしかかってきたのだ。
まともにくらって潰されるわけにはいかない。
だが相手が転んでくれるなら大きな隙が生まれる。……と踏んだのだが。
左腕を地に叩きつけたトロルは、肘をバネに大きく飛び上がった。
着地するであろう地点にいたのは、温である。
「ぬああああっ、こっち来るな、来るなって!」
「させねぇ!」
その眼前へ飛んだのはのとうだ。
自らの背丈より巨大な剣を壁に、トロルの飛来を受ける。
肩から腰へ抜けるような、あまりにも重い衝撃に前身の筋肉組織、間接が軋むような悲鳴を上げた。
「絶対、に……負けねぇ。俺は……」
一度体勢を立て直したトロルが、今度は両の拳を握り合わせて振り上げる。
もんどり打って転びそうになる体に鞭打ち、のとうは前方へと飛んだ。
「あの父親の立ち向かう勇気と、守りたいっつー想いを受け取ったんだ!」
トロルの股をすり抜けるようにした彼女は、振り向きざまに剣を一閃。トロルの太ももを切り裂いた。
膝を着くトロル。その頭上には、またもVienaが浮かんでいた。
「今度は……貴方が追い詰められる番……」
翳した手から放たれる無数の蛇。
これが次々にトロルの首筋に牙を立てると、たちまちトロルの顔が苦悶に歪んだ。
額と思しき部位から吹き出る大量の汗。
蛇による毒が、その身を蝕んでいるのだ。
「もう少しです、すーちゃん頑張って!」
直後、愛莉のストレイシオンが突撃。
バチリと電光を走らせたかと思えば、それはトロルの全身に絡みつくような軌道を見せた。
毒、そして麻痺。動きを封じ、内部からその生命を奪ってゆく。
「手も足も出せずに嬲られて死んでいく気持ちはどうだい? 今までしてきたことの報いさね」
次は上総が、開いた魔道書から電撃を放った。
これに打たれたトロルが、白目を剥いて仰向けに倒れる。意識が飛んだのだ。
だからといって、油断はしない。見逃しもしない。
「さっきは怖かったんだからな、お返しだ!」
温は拳を構えると、ラッシュの要領で繰り出した。
拳の先から迸る光の数々。これがトロルの顔面を打つ、打つ、打つ。
鼻はひしゃげ、歯は折れ、右の眼球は飛び出し、トロルの顔は最早原型を留めてすらいない。
「よくもやってくれたねぇ。今度こそ、レーッツ☆首ちょんぱっ♪」
トロルの胸へと飛び乗ったパルプンティがデビルブリンガーを振り降ろす。
虫の息となったサーバントの首を切り落とすのは、さほど難儀なものではなかった。
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遊園地は、そもそも夢の楽園であるべき場所だ。
恐怖から解放された人々の笑顔を見る度、のとうはそんなことを考えずにはいられなかった。
「ここは未来を夢見ても、遺す者と遺される者を作る場所じゃねぇ。親の面影を探す子供を、生み出す場所じゃねぇ。……そうだよな」
言葉を漏らしても、答えは返ってこない。
正しい。正しいはずだ。間違ってなどいない。そう自分に言い聞かせれば、そんな気がしてくる。
「しかし、あの親子が無事で良かったねぃ。下手を打てば、あの父親、犠牲になるところだったよぅ」
のとうの呟きを聞いてか聞かずか、上総はあの親子の方へ視線を送りながら溜め息を漏らした。
父親は、身を盾にして家族を守ろうとしていた。彼が撃退士ならばいざしらず、一般人でその行動は無謀ともいえる。
全くだ、と返した静矢は、ツカツカとその親子へと歩み寄った。
「非常に勇敢な行動でした。父親の鏡を見せていただいた、そんな気分です」
「……それは、違う。何より優先すべきものを、信じただけだよ」
「そうでしょう。しかし、貴方は一つ大きな見落としをしていたと思いますよ」
声をかけられ、父親は小首を傾げる。
静矢の視線はこの男性から彼の息子へと移った。
「貴方が死ねば残された家族は誰が守る?」
「逆に問い掛けるけどね、私が命を張らなければ、誰が家族のために命がけになれると思う?」
やりとりをぼんやりと眺めていたミハイルは、ふいに小さく笑みを浮かべた。
彼らは生き残り、こうしてここにいる。
それを「良かった」と思える自分に驚いた。
自分は、奪う側に立っていたというのに。
『お客様にお知らせ致します』
遊園地内各所に設置されたスピーカーからアナウンスが流れ始めた。
『当園に出現したサーバントは、撃退士により無事退治されましたが、安全を確保するため、本日は閉園とさせていただきます』
「当然だな。でも、皆今日を楽しみにしていたはずなのに、残念だな……」
営業終了を告げる放送を耳に、のとうは深く息を吐く。
いくらサーバントが退治されたとはいえ、このまま営業を再開するわけがないのだ。
人々の嘆息が聞こえてくる。
『なお、ご迷惑をおかけしたお詫びに、退場口にて、当園の無料招待券を配布させていただきます』
「ホント!? ね、ね、愛莉たちももらっていいのかな?」
「いいに決まってます! よし、早速もらいに行こう!」
このアナウンスに、愛莉と温は飛び跳ねるようにして駆け出した。
次にいつ来れるかも分からないが、これは一つ、大きな楽しみが出来た。
いつか、この親子が再びこの遊園地を訪れた時、今度こそ、良き思い出が残るように。
愛莉と温を見送るようにした撃退士達は、胸中願わずにいられなかった。