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狐の嫁入りは、明りのない山中に嫁入り行列を思わせる光の群れが見える現象のこと。古くから怪談として語られてきたものだが、その真偽も含め、ハッキリとした原因や真相は明らかになっていない。
各地でそういった伝承が伝わっていることも確かで、今回の事件と密接な関係が見えてくるのではないかと睨んだ撃退士たちは、まずは調査を進めることとした。
「んー……この町の資料、なかなかないなぁ」
地元の図書館を訪れたのは九鬼 龍磨(
jb8028)だ。
この手の場所は、たいてい地元地域に関する資料が収められたコーナーが設けられている。龍磨が足を運んだここも、そういったコーナーは確かに存在していた。
しかし探しても探しても、誰がどのようにこの町を作っていったのか、どのような産業を主としてきたかといった資料がほとんどで、民間伝承のような書物は見つからない。
事件が発生したという山について記述したものも少なく、途方に暮れた。
「何かお探しですか?」
諦めようとしていた時、職員が声をかけてきた。
利用者は少なく、一人二人の老人が静かに本を読んでいるだけだ。職員にしても、暇なのだろう。
「えーっと、この間、例の山で発生した事件について調べてて……その、山に関してとか、この土地で狐の嫁入りみたいなものの資料とか、ないかなぁと思って」
「そんなもんないよ」
不意に、近くに腰かけて本に目を通していた老婆が声をかけてきた。
資料は、ないという。
「そういうのはね、口を通して伝えられるもんさ。でもね、この話は……」
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「どういうことなの?」
同様に、山のふもとにある町で聞き込みを行っていたケイ・リヒャルト(
ja0004)は、年配の男性から聞いた言葉に耳を疑った。
伝承自体は、確かに存在したのだ。
いや、違う。伝承と呼ぶにはまだ最近の出来事だ。
「戦争が終わって、この町でも結婚をする者が増えてなぁ。ところが、まぁ……帰ってこなかった者も多かったのさ」
「帰ってこなかっただと?」
共に調査していた牙撃鉄鳴(
jb5667)が問う。
だが老人は答えない。口にしたくないというのが正しいだろう。
「それで山へ入っていった女もいた、ということだ」
「答えろ、もっと具体的にだ」
表情を険しくし、鉄鳴は詰め寄る。
老人はカラカラと笑うと、杖を手にのんびりと歩き去っていった。
それらしい出来事があった……という、ぼんやりとした情報を得られたのみで、釈然としない。
「なるほど……悲恋ね」
「だから、何のことだ」
少し合点のいった様子のケイに、どうにもピンとこない鉄鳴。
かつてこの町とあの山で起こった出来事。それは今回の事件とは恐らく無関係だろう。
もしも関係があるとしたら、たった一つの可能性に過ぎない。
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「素体ねェ。御狐様を騙るなんて罪深い天魔ァ」
事件のあった山。川沿いに集まって調査報告を聞いた黒百合(
ja0422)は嘆息。
ケイや龍磨が得てきた情報は、全く同様のものだった。
「狐の嫁入りっていうよりおいてけ堀だと思っていたけど、やはり嫁入り、か」
「え、何が? んー……?」
礼野 智美(
ja3600)は納得した様子だが、十三月 風架(
jb4108)はどうにもしっくりこない。
しかし先ほど黒百合が漏らしたように、今回の事件と関連性があるとしたら、ディアボロだかサーバントだか分からないが、その素体となった人物の正体が掴めた程度のこと。
つまり、気に掛けても仕方がないということだ。
その他に得られた情報といえば。
「ともかく、釣りをしていれば敵が現れるという。狐が魚で人間釣り……まるで鳥獣戯画の一場面のようだが、逆にこちらが釣り上げてやろう」
「それなら自分もやりますよ!」
過去に狐の嫁入りが目撃された状況を整理した鉄鳴の提案。
これに賛同した風架は、調達してきた釣り道具を手にする。
「それなら、もう少し川を上ったところにするといいわァ」
「分かるのか?」
ただし、どこで釣りをするのか、というのも大事なポイントだ。
これに関して黒百合がアドバイス。不思議そうに智美が問うが、黒百合は静かに頷いた。
龍磨らが町を調査している間、黒百合は実際に山に入って状況を調べていた。
事前情報によれば、川が増水して鉄砲水のようになったという。ならば、どこかにその痕跡……つまり、それが敵の能力であるのならば、それを発揮しやすい場所があるはずなのだ。
調べれば、すぐに分かった。雨風に吹かれただけとは思えない、岩石の散らばり。木々の傷み。これがパッタリと途切れている地点がある。つまり、そこから上流では、鉄砲水があったとは確認できず、敵もその先には現れないだろうと予測を立てることができるわけだ。
釣りをするのであれば、その地点よりやや下流。現在地から見れば、少し山を登った位置になる。
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実際に釣りをするのは鉄鳴と風架。彼らの背後には龍磨が控え、不意打ちを警戒。
ケイ、黒百合、智美の三名は対岸に身を潜め、敵の出現を待つ算段だ。
「沢釣りって、なんだかのんびりしていいですねー。川のせせらぎや、風に葉っぱが揺れる音がとっても気持ち――って、ななななんてことしてるんですか!」!
自然の暖かさに身を委ね、その心地よさを実感しようとした風架。しかし、視界の隅に映ったそれが全てを遮った。
見れば、鉄鳴がスナイパーライフルの銃口を川へ向けているではないか。
「……漁だ」
「釣りですよ、釣り! それじゃあ魚が怖がって逃げちゃうじゃないですか!」
予測不能の事態に見舞われた魚はどうするか。
考える間でもない。その場から逃げる。
それでは釣りどころではなくなってしまう。加えて、手順ややり方を間違えては敵も姿を現さないかもしれない。
何故釣りをするか。それは、嫁入り行列が目撃された状況を再現するためだ。
「だが、この方が手っ取り早いだろう」
「ダメです、禁止です! はい、コレ持って!」
銃身を手で払いつつ、釣竿を押し付ける風架。
小さく舌打ちした鉄鳴は、仕方なしに釣り糸を垂らした。
竿の先を眺めつつ、それから二、三の会話はしたものの、困ったことに話題がない。
代わりに。
「あ、まただ!」
風架の竿には、この日四度目のアタリがきていた。
釣りを開始して一時間程度での出来事。あまりにも調子がいい。
一方で鉄鳴は……。
「何故だ、お前と俺で何が違う」
まだ一尾釣ったのみ。
二人は離れた位置にいるわけではないのに、この差はいったい何だというのか。
「日頃の行いですかねー」
ライフルを用いた釣り(というより漁)を指して、風架はふふりと笑んだ。
軽く舌打ちした鉄鳴はまた竿の先に意識を移す。
それからさらに一時間。その後は鉄鳴にもアタリがあり、クーラーボックスはいっぱいになっていた。
「結局、出なかったですねぇ、狐さん」
「つまらん。だが、これで飯代が――」
何事もなく釣りを終え、片づけに入る二人。
その時。茂みに身を隠していた龍磨が大慌てで這い出てきた。
「いるいる! ほらアッチ!」
対岸を指さす。そちらによく目を凝らしてみると、提灯行列のような明りの群れがぼんやりと浮かんでいるではないか。
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「来たわね。可能な限り引き付けて、不意を打ちましょう」
敵の出現は、ケイも確認していた。
一直線に並ぶ光の群れ。気づかれないよう、木陰に身を隠して伺う。
それはとても幻想的な風景で、蛍が浮かび上がっているかのようにも見える。
しかしこれこそ嫁入り行列。情報にあった通りだ。
どこへ向かっていくのだろうか。釣りを実行した風架たちの方ではなく、奥へ。山の奥へと進んでいく。
「不意打ちをするんじゃなかったのかしらァ?」
「わ、罠よ、そう、きっと、何かあるわ」
からかう黒百合。
少々恥じらいを見せたケイだが、嫌な予感がする。
敵ならば、直接しかけてきても良さそうなものだ。しかし、何故遠ざかるような動きを見せるのか?
「……! いけないわ、急いで体を固定しなさい!」
それに気づいたケイが慌てて叫び、サンクシオンウィップを用いて手近な木に自らを縛り付ける。
黒百合も、智美も、意味するところを理解したようだ。だが、とっさに動くことはできなかった。
直後。
轟音が迫る。大気が肌を刺激する。
視界に飛び込んできたのは、川を溢れて全てを飲み込む大量の水。鉄砲水だ。
「く……っ」
物質透過でやり過ごそうとする黒百合。だが、水が体をすり抜けることはなかった。
恐ろしい圧力に体は投げ出され、どんどん下流へと流されてゆく。
天魔の能力によるものだと、確信。いくら物質透過といえど、それが天魔によるものであれば、すり抜けることなどできないのだから。
一方で智美は、水圧によって弾き飛ばされ、木の幹に背を打ち付ける。
体が千切れ、へし折られるのではないかという力で、意識を保つので精いっぱいだ。
そして誰よりも早く鉄砲水の襲来を察知し、対応したケイはというと。
気を失っていた。水の勢いによって体が押され、結果棘つきの鞭が体に食い込み、圧力が一点に集中。一般人であれば、慣性が食い止められる勢いで目玉が飛び出し、鞭を括った部位が千切れているところだ。その負荷によって意識を持っていかれたのだ。
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「あ、危なかったぁ」
龍磨は足元の水流を目に胸を撫で下ろす。
釣りを実施していた二人、そして龍磨は、轟音が聞こえたのと同時に飛翔。難を逃れたのである。
「でも、対岸の三人は?」
「……さぁな。逃れていることを祈るしかないだろう」
空からでは状況が掴めない。仲間の無事も、今はただ祈るしかなかった。
それよりも、敵だ。
例の行列は……いた。先ほどよりやや上流に、光が見える。
「逃がすわけにはいかん。三人でやるぞ」
「仲間を後回しにするの!?」
鉄鳴の提案に、龍磨が反論する。
しかし、見れば提灯のような明りは、一つ、また一つと徐々に消えていく。このままでは逃がしてしまうだろう。
一度体勢を立て直して挑みなおすのも手だろうが、次にまた現れるとも限らない。
今叩けるのならば、叩いてしまうのも良い。
どうする、撃退士――!
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気が付くと、智美は木の股に引っかかるようにして倒れていた。
全身がぐっしょりと濡れ、頭もぼんやりとする。
「う、く……。迂闊、だった。あぁ、そうだ、黒百合、ケイは……うッ」
立ち上がろうとすると、背中に激痛が走った。かなり強く打ち付けたに違いない。節々も痛む。
だが、倒れているわけにはいかない。
仲間を探さねば。
そして、誰かがまだ戦っているのなら、急がねば。
……急がねば。
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「みんなのカタキーッ!」
「勝手に殺すな」
水難を逃れた三人は、とにかく敵を叩くことを選んだ。
万が一仲間が大けがなどをしていれば、作戦を立て直す以前に一度島へ帰らなくてはならない。その間に、また罪なき人々が被害にあってはならないのだ。
敵の頭だけでも、潰す。
これが最終的な決断であった。
光の群れを辿り、先頭に白無垢の姿を確認した風架は、急降下の勢いを乗せてアブソリュートゼロを突き出す。
その背後から、鉄鳴がスナイパーライフルでアシスト。
二人の間に入るよう、龍磨が控えている。
「ケーンッ」
白無垢の、素顔を見た。
真っ白な顔に、獣のヒゲ。まさしく化けた狐だ。
ギリギリのところでステップ。
風架の鉄杭は地を抉った。
しかし着地の硬直を、鉄鳴は見逃さない。狙いを定め、狙撃。
確かな手ごたえ。だがそれは。
「な、仲間を守った……!」
驚嘆する龍磨。
弾丸が捉えたのは、嫁入り狐ではなく、間に割って入った紋付き袴だった。
上空からの奇襲は失敗だ。
嫁入り狐は膝をバネにして地を蹴り、その爪を光らせて風架へと襲い掛かる。
「そうはいかないよ、っと!」
しかし今度は龍磨が割り込み、その盾で爪の一撃を防ぐ。
そこへ迫る、二体の紋付き袴。
風架と龍磨が組みつかれた。
「チッ、雑魚が連携など組みやがって」
舌打ちした鉄鳴が、上空からスコープを覗く。
しかし照準が合わない。狐と、龍磨の距離が近すぎるのだ。
仲間ごと撃つことにためらいがあるわけではない。だが、仕損じた時に戦力が落ちることは避けねばならない。
どうする、どうする……。
躊躇の、一瞬。
一筋の白煙が飛来し、嫁入り狐の背で爆発四散!
強烈な衝撃に紋付き袴が投げ出され、風架と龍磨も地を転がり、拘束から解放される。
「やってくれたわねェ……。おかげで服が台無しだわァ」
そこに現れたのは、全身びしょ濡れ、服も泥だらけの黒百合だった。
鉄砲水に流された彼女は、力を振り絞り翼を用いてなんとか鉄砲水を脱してきたのである。
「ふん、トドメを刺してやる」
鉄鳴が再びスコープを覗く。
マーカーが、嫁入り狐の頭部に合わせられた。
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「はぁ、はぁ……」
気を失ったケイを担ぐようにして、智美は川沿いを歩いていた。
上流へ、上流へ。敵は、そこにいる。きっと仲間も。
もう戦いは終わっただろうか。誰かが探してくれているだろうか。
激しく消耗した体。霞む視界。
だが、今倒れるわけにはいかない。
少なくとも、合流するまでは。
その一心で、足を引きずり、歩く。
「う、ゲホ……っ」
咽ぶような咳き込みを合図に、ケイが目を覚ました。
「良かった、意識、が」
ぼんやりとした頭でそれを確認した智美は、胸を撫で下ろした。実のところ、立っているのもやっとの状態。仲間が覚醒したことは、大きな心の支えだ。
「ハッ! て、敵は?」
「分からない。なんとか、合流しなくては……ん、あれは」
遠くに人影が見えた。仲間だろうか、こちらへ近づいてくる。
渾身の力で手を振る智美。
だが、それは仲間などではなかった。
「違うわ、敵よ!」
裾を上げて駆けてくるのは、紋付き袴の、人型の男。
それは、嫁入り行列に交じっているという敵だ。たったの一体だが、体は限界。戦闘は必至だ。
なんとか自力で立ったケイは、おぼつかぬ手でレゾネイトを構える。
智美も鋼の太刀を手に、覚悟を決めた。
「また、気を失ってしまいそうだな」
「私も、一発撃ったら倒れそうね」
二人は苦しみ交じりの笑みを浮かべる。
紋付き袴が驚愕の表情を浮かべたのも束の間、二人が手負いと見ると、その拳を掲げ、一気に踏み込んできた。
「勝負は一瞬よ」
「上手くやってみせる。任せた」
敵が間合いに入った。
ケイはアシッドショットを放つ。
腐食にまみれる紋付き袴。受けた衝撃に仰け反って生まれる隙。
懐へ飛び込んだ智美が烈風突を繰り出した。
「ギャァァ……」
断末魔の悲鳴を上げ、川へ転落してゆく敵。
その姿を確認するのも待たず、ケイと智美の意識は再び途切れた。
四つの足音は、もうすぐそこまで近づいていた。