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集まった学生達は、一様にワゴン車に乗せられた。
久遠ヶ原学園の正門を出て、現場へと向かう彼ら。しかし、音羽 千速(
ja9066)は違和感を覚えていた。
「普通に、家庭科室とか使えばいいのにね」
もっともである。
学園が企画したことであるのだから、学園の中で料理をさせれば良い。だが、わざわざ敷地外に向かうのだ。そこには何かしら理由があると考えるべきだろう。
「きっと、大掛かりな施設で調理するのよ。そうでなければ、どこかキャンプ地で雰囲気を出す、とか……」
その理由について、メフィス・ロットハール(
ja7041)がいくつか可能性を模索する。
学園の家庭科室などであれば、使える調理器具やそもそも調理法にいくらかの制限がある。だが、場所を移すのであれば幅が広がるというものだ。
この推測には、筋が通っている。ただ、一点の疑問点を除いて。
「それならば、最初からそのように告知されるのでは?」
目元を隠すように伸びた前髪。その奥から、只野黒子(
ja0049)は口にした。
正しくその通りである。だが、この疑問に答える声はない。
「揺れますよ」
ワゴン車を運転する男の名は、藤原。今回の【久遠ヶ原どうでしょう 夏野菜スペシャル】に於いて、学生達の案内役を務める男である。
舗装された道を外れ、あぜ道に進入。さほど整備のされていないこの道で、車体は大きく揺れた。
キャンプ地へ向かう、というメフィスの予測とも違う。周囲を見回すと、そこら中畑だらけだ。
「お、おぅ? ここはもうすでに道がないぞ……」
金鞍 馬頭鬼(
ja2735)が言うように、一同一斉に嫌な予感が走る。
「到着です」
ワゴン車は、あぜ道の半ばで停止。
傍らの畑には、このような看板が打ち立てられていた。
【久遠ヶ原学園農園開墾予定地】
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ネイティブなジャパニーズである黒子が思わず「Oh shit」と漏らすのも無理はない。どう考えても、ここは調理場と言えるはずもないのだから。
「ここでお料理するの?」
倒木、雑草、一見するとそこが畑だとは分からないほどに荒れ果てた土地を目に、草薙 タマモ(
jb4234)は現実逃避よろしく呟いた。
この時点で、彼らは察しがついていた。これは、料理をするような状況ではない。
あの、看板が示す通り。
「いや、開墾してもらうよ?」
藤原の一言が、察しを確信に変えた。
今回の企画は、間違いなく夏野菜を使った料理をすることだったはずだ。しかし、開墾からやるだなんてただの一言も聞いていない。
「騙された……」
不破 十六夜(
jb6122)が呟く。まさしく、それ以外の何物でもない。
「おかしな事ばっかり……いいですよ買ってきますから!」
飽く迄目的は料理である。食材はその辺で買ってきたもので十分だ、というのが馬頭鬼の主張だ。
そもそも、何故開墾からやらねばならないのか。全くもってワケが分からない。
「そこはホラ、食材も自分で用意しないと」
「……どう考えても、今日植えた作物は今日中に収穫出来ないよね?」
「今日……今日育たないでしょう」
ことごとく不満を漏らす十六夜に馬頭鬼。話が違うと言わんばかりだ。
しかし、既に諦めた人物もいた。
持ち込んだ中華包丁に万能包丁を手に、ただひたすら、一心不乱に転がる倒木を伐採する少女。その名は黒子。只野黒子である。
「ヒャッハー! 伐採だー! 開墾だー!」
自棄になって木を只管に切り刻み、伐採してゆくその様は正しく修羅のよう。
全てのフラストレーションをこの場にぶつけるかのような彼女の姿は、いっそ痛々しいほどだった。
そして、もう一人。この状況を受け入れた者がある。
千速だ。
「料理はわかんないけど、開墾ならまだわかるっ! やったーっ!」
そもそも。
この企画は、無作為に選ばれた学生が集められ、半強制的に参加させられたものだ。料理が好きな人物もあれば、そうでない者もある。
千速は後者だった。料理はもちろん、家事は一切家族任せで、何一つできない。今回のために知り合いから料理のレシピを教えてもらい、そのメモも持参したのだが……自信はなかった。
だが、こういったただひたすら体を動かすだけの仕事なら、細かい作業や頭を使うようなことも少ないために、非常に助かるのだ。
しかし、いざ開墾と言われても、それはそれで知識や工夫が必要なものである。
「なにも聞かされてないんだからどうすればいいかなんてわかるわけないじゃない!!」
怒声とも言える声を上げるメフィス。
可憐な乙女(既婚者)である彼女には農耕が分からぬ。純情たる少女(二●歳)である彼女は、久遠ヶ原の学生である。天魔を倒し、夫と戯れて暮らして来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に……本文章は某小説とは無関係です。
ともかく。料理するつもりでやってきたのに、この状況は、いったい、何だ。
「あ〜ぁ、せっかく学食のおばちゃんにパイ生地練ってもらって、持ってきたのにな〜。これじゃ腐っちゃうよ」
「えっ?」
ボヤくタマモの言葉に、十六夜が反応した。
偶然というのは時に恐ろしいもので、実は十六夜もまた、
「お母さんにパイ生地を用意して貰った……」
のである。
「実は、自分もちょうど、パイを作ろうかと……生地は用意していないですけど」
そう言うのは馬頭鬼だ。
こんな、こんなことがあるだろうか。
参加者が六人もいる中で、半数の三名がパイを作ろうと考えていたとは。
「でも何もね、料理をするからってね、わざわざ学食のおばちゃんや母親に頼んでパイ生地練ってもらえって、こっちは一言も頼んでないんだから」
そこで口を挟んだのは、案内人である藤原であった。
だが、この言葉は挑発である。
せっかく料理する気でしっかりと準備してきた者達への冒涜でもある。
「いやキミ達はパイ生地練ってくれた人にね、悪い悪いって思ってるかもしれないけど、でも悪いのは勝手に頼み込んだキミ達だろう?」
「おぉ〜い! 藤原くん。ずいぶんと気持ちいいこと言ってくれるね〜!」
最初に沸点に達したのはタマモだ。
これまで藤原に言いたいように言わせていた彼らだが、そろそろ限界だ。何故ここまで言われなければならないのか。
「藤原さんの肉親にどんどんおみまいしてくぞぉ〜。選んでよ。実家? それとも家? パイが腐らないうちにいくよ〜」
続いてキレたのが十六夜。まるでタマモに触発されたかのようだ。
せっかく作ってもらったパイ生地。ただ腐らせるのはもったいない。ならば、誰かに食べてもらった方が有意義だ。
だが、その言い方が、どうにも脅迫じみている。
「いや、家族には手を出すなよ」
「どーも奥さん! 知ってるでしょう? 撃退士で、ございます」
突如、低い声で、それでいて叫ぶように馬頭鬼が口を開いた。
どこかおどろおどろしく、そして恨みがましいその口調。藤原の家で実際にパイを焼く場面のシュミレーションだ。
もちろん、ここまで騙されたのだから、穏やかな気持ちでパイを焼く気にはならないだろう。
パイを食べさせてあげるのではない。食らわせてやるのだ。
だから、渾身の力と思いの丈を乗せて、馬頭鬼は叫ぶ。
「おいパイ食わねぇか?」
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「喰らえ! 唐突に開墾作業になった恨み!」
一方で。ひたすら農作業に勤しむ黒子は、千速と共に伐採した倒木を畑の中央に集め、燃やしていた。
ありったけの怒りと、やるせなさを乗せて、煙は立ち上る。
しかし、異変はここで起こった。この開墾せねばならない状況そのものが異変と言っても良いのだが、それとはまた別のものだ。
火が焚かれれば、土の下にいた虫達はそこから逃げようとする。
這い出る昆虫、ミミズ。土壌の良さを示す彼らの姿を、不幸にもメフィスは目の当たりにしてしまったのだ。
「い、イヤぁぁああああっ!! むし、虫がッ!」
「ん? 虫ならたくさんいるよ。ほらっ!」
何をどのように勘違いしたのか。千速は、引っこ抜いた雑草をメフィスの眼前に突き付けた。
立派に伸びた雑草の根は、まるで銜え込むかのようにどっさりと土が絡まり、そこからは三匹のミミズが「こんにちは」している。
メフィスが発狂する勢いで絶叫したのは言うまでもない。
「……で、鍬とかあるよね?」
開墾はこれからだ。燃やした倒木の灰を畑に鋤き込み、耕すためには、やはり農具が必要だ。
黒子の視線は当然、藤原に向けられている。今回の事情を知るのは彼しかいない。
が、藤原は「え、ないよ?」と言いたげな表情をしていた。
その口が開かれる前に、黒子は先手を打つ。
「さっきの木材みたいに焼くぞこのやろう」
すると藤原が泣きながら、
「私が買ってきます!!」
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ようやく邪魔なものを片付け、少々の休憩をとった後、ようやく土馴らしが始まった。
灰を鋤き込みつつ、作業に邪魔となる小石や、残った草の根などを取り除くため、土を網にかける。これがまた地味で手間のかかる作業……なのだが。
「もうヤケだ!!」
天高くいなな――もとい、咆哮した馬頭鬼は、馬車馬、いや農耕馬の如く全身全霊で土を掘り返した。
諦めのついたパイ生地三人衆(馬頭鬼も含む)は、そのフラストレーションをぶつけるかのごとく開墾に精を出す。
流石は撃退士というべきか。次の休憩までには土馴らしを、そのまた次の作業では鍬を入れて耕すところまで完了させてしまった。
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「問題は、何を植えるかですねー」
畑の用意はできた。残るは苗や種を植えるだけなのだが、植える作物は学生の自由に委ねられている。
だからこそ、悩む。
そこで、顎に手を添えながら千速が選んだのは、冬瓜にかぼちゃ……。いずれも実は夏の野菜である。多少育つのに時間はかかるが。
「もうちょっと早く収穫できるのがいいな〜。激辛唐辛子とか、ピーマンとか」
「定番で言えば、キュウリやトマトも植えたいわね」
十六夜が苗を選ぶと、インセクトショックから立ち直ったメフィスも作物を選んでいく。
他に選ばれた作物は、ししとうに茄子、枝豆、トウモロコシだ。
秋茄子は嫁に食わすな、という言葉があるため、正しい意味を知らない者からは秋の作物だと思われてしまいがちだが、実際は夏野菜の仲間である。
後は、耕した畑に植えていくだけだ。
「あ〜ぁ、せっかくならお宝が出てきたらよかったのにな〜」
「そんなものが畑に埋まってるわけないでしょう」
ボヤきながら植えていくタマモに、黒子が尤もなツッコミを入れた。
農作業は、ともすれば、やりがいのある仕事かもしれない。だが、強制されてやらねばならないのなら、そこに楽しみを見いだせないとなかなか苦痛だ。
早い話が、さっさと終わらせてしまいたい。
そんな焦りが、災いしたのだろうか。
「あっ」
土に足を取られたメフィスがよろけた。
すかさず駆け寄ったのは、馬頭鬼だった。
「大丈夫ですかっ!?」
その反応は、大げさと言わざるを得まい。助け起こし、絶叫するかのようなその様。まるでこのままではメフィスが死んでしまうかのような、鬼気迫った仕草は、もちろん演技だ。
だが、ここでクサい芝居に興じるのも、一つの現実逃避になるのかもしれない。
だからこそ、十六夜は悪乗りした。
「お医者さんは! 救急車は! 誰か、助けてくださ〜い!!」
「いや、コケただけなんだけど……」
冷静に返すメフィスだが、彼らにとってはそれはどうでもよいことなのだ。
ただ、ひたすら苦痛でしかないこの農作業に訪れた、僅かなドラマ性。これを拡張したい一心なのだ。
「いいから、手を動かせ」
前髪の奥。黒子の鋭い眼光が煌めいた気がした。
射抜くような視線に、馬頭鬼、十六夜、共にフリーズ。一瞬の後、二人は先ほどの倍速で苗を植えていったのである。
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昼過ぎには開墾が終わり、打ち込まれていた看板の文字も【久遠ヶ原学園農園】に差し替えられた。
後は育つのを待つばかりだが、メフィスは何だか嫌な胸騒ぎを覚えていた。
「で、収穫してやっと料理だ、ってなった時に……。今度は食器を作れなんて、言わないわよね?」
「……え、なに? 今、なんて言った?」
その言葉は、明らかに藤原へと向けられていた。
だが、当の藤原は聞こえないフリ。
メフィスの疑問は、正確に真理を捉えていたのだ。
当然、誰もが気が付いただろう。そう簡単に、料理すらさせてもらえないのだと。
これに怒りを覚えたのは、例のパイ生地三人衆であった。
「どーも藤原さん、知っているでしょ〜?」
「撃退士でございまーす」
「おいパイ食わねぇか?」
流れるような台詞の連続。
十六夜の言葉をタマモが引き継ぎ、馬頭鬼が締める。
連係プレイでスゴまれた藤原は、思わず息をのんだ。
そうだ、十六夜とタマモは、この日のためにパイ生地を用意してきたのだ。次回、何も伝えず収穫と称した企画を用意したならば、「今度こそは」とまたパイ生地を持ち込んでくるに違いない。
先手を打たれたような気分で、藤原は何一つ言い返せなかった。
ともかく、今できることは全てやった。
後は収穫の時を待つしかないのだ。きっと、皿でも焼きながら。