●
作戦はこうだ。
まず、出現するオーク三匹の内、一匹を引き離す。残った二匹を足止めし、引き離した一匹を可能な限り素早く始末。その後まとめて二匹を葬る。
シンプルな作戦故に、各員の役割分担も順調に進んでいったのだが……。
「私はどうすればいい?」
これが初めての依頼であることを告げた本町結の割り当てに、一同は苦悩していた。
阿修羅たる結は、本来なら最前線で火力となることを期待されるところだが、初依頼というところがネックだ。
うかつに前へ出すわけにもいかない、かといって後衛に配置させても彼女には攻撃する術がない。そもそもが、初陣故にどのような戦闘スタイルを好むのか(しっくりくるか)が不明。
誰もが新人時代を経験している。あの時はどうしたのだったか、どうしてもらったのだったか、どうされたら嬉しかったのだろうか。
「なら、任務中はおらぁの側を離れないでいてほしいべ。こう見えて、おらぁ他人の面倒見るのには自信があるべ」
結の世話係を買って出たのは御供 瞳(
jb6018)。
それは戦闘の手本を見せつつ、また戦闘の役に立たせる役割を担うもの、と周囲は期待した。だが不安はある。
底抜けの明るさは、緊張する少女の助けにはなるだろう。それが悪い方向に傾くのではないか、という不安だ。
対して結はといえば、瞳に興味を持つ素振りすら見せず、「あ、そう」とでも言うかのように視線をそらしていた。
「阿修羅ってね、一瞬の力はあっても防御や回避が苦手なの。あたしも、そう。そういうアウルの特性なのよねぇ」
そんな様子を見たからなのか、そうでないのか。藍 星露(
ja5127)は、結に聞こえるように独り言を漏らした。「だからちゃんと守ってね」などと冗談めかして付け加えたが、それは結に対するアドバイスでもあり、忠告でもあった。
役割というものは実は誰にでもあって、それぞれが各々の役割をしっかりと理解し、実行することで失敗のリスクは大きく減る。一人の猛将より、知と数なのだ。
はいはい、とまるで聞き流すように返事をしたのはディザイア・シーカー(
jb5989)だった。
「ま、俺が誰かを守れるとは思わないけどな」
「守るより、攻めることを考えましょう。敵は煙のように消える……。ならば、短期決戦に持ち込むべきです」
だからこその、この作戦。そう主張した鈴代 征治(
ja1305)は、作戦会議室として利用していた教室を後にした。
今、これ以上話し合うことはない。さっさと現場へ赴き、オーク出現に備えるべきだ。
問題となっていた結の配置も決まった。いつ出現するとも知れない敵を迎え撃つ準備を整えるため、一秒でも時間を確保するべきなのは明らかだった。
●
「ところでよ」
転移装置といえど、目的地にピンポイントで移動できるわけではない。二、三キロ程度の範囲で誤差が生じるのはどうしようもないのだ。
既に住民は避難しており、閑散とした町。平素は人の集まりやすい公園にオークが現れると睨んだ撃退士達は、現場へ向かっていた。
その途上、ディザイアは小声で漏らした。結に聞かれないためである。
「あいつ……人を信じてなさそうだ。あんた、同学年だろ? ちょっとは気にかけてやれないか」
「まぁでも初めてはありますしおすし。そう見えるだけで、ただ緊張してるだけだと思うのでふ」
声をかけられたのは玉置 雪子(
jb8344)だった。結と同じく中等部一年ということもあり、最も話題が合いやすい年代ではある。
……とはいえ、雪子の場合はインターネットを介する不特定多数プレイヤー参加型ゲーム、通称ネトゲにどっぷり浸かったため、一般的な女子中学生とは多少なりとも価値観や考え方にズレが生じる。
そのことは、彼女の口から発せられた言葉遣いからも聞いて取れることだろう。
このまま雪子を結にぶつけて良いものか、と一瞬ディザイアは考えたものの、行動は雪子の方が早かった。
「ヘイヘイ、初めてだからって緊張してンでしょ。まー今回は安全第一でいきませう」
パタパタと結に駆け寄った雪子はそう声をかけるものの、返事は無言だった。
「あ、離席中? 精神離席中? 流石にリアル寝落ちとか勘弁だから……」
「言われなくても分かってるから」
おちゃらけて見せる雪子に、結はそっけなかった。
そんな様子を目に、Erie Schwagerin(
ja9642)は同情の念に駆られる。
(あの子……ふ〜ん、やっぱり、そうなのね)
人間の手で家族を奪われた彼女。味方がいない苦しみ、他人を信じられない悲しみ、それが自らに跳ね返ってくる辛さは体感的によく理解している。
本当は誰かと笑っていたい気持ちには気づいているはずだ。だが、それを受け入れられない自分と、受け入れようとしない自分によって妨げられ、結局は己自身が他人を遠ざけようとしてしまう。
並大抵の努力では、これを糺すことはできない。時間と、自分と、周囲の理解、それから環境。全ての条件がそろわないことには難しい。
過去の悲しい体験から、エリーはこの結という少女にも、少しは誰かを信じる気持ちを持てるようになることを、密かに祈らずにはいられなかった。
●
夕暮れの公園は、一見すると子供たちを見送った後のただ寂しいだけの敷地だった。ぐるっと見回すとテニスコートにフットサルコート、子供向けの遊具がいくつか。概要だけだと実に広そうだが、実際公園に入ってしまうとその敷地内のもの全てが視界に収まるため、大した広さではないことが分かる。
ただ、いつもと一つ違うことがあるとすれば、付近の民家から夕食を用意する臭いが漂ってこないことか。
「本当に出てくるのかねぇ。煙のように、と言っても、実際どうなんだか」
一切オークの現れる気配がなく、アサニエル(
jb5431)は嘆息。周囲に変わった様子もない。
この日は現れないのだろうか。それとも、別の場所に出没しているのだろうか?
公園で待機しつつ、早くも一時間が過ぎようとしていた、そんな時のことだった。
「! 来ましたよ、恐らく」
鷹司 律(
jb0791)がテニスコートの方を指さした。
まるで陽炎の如く景色が揺らめいて、そこだけ世界から切り取られていくかのように見える。
日常には決して現れない現象。陽炎などという比喩とも異質、ただ世界が溶けて、歪んで、吸い込まれるように、そして吐き出されていく。オレゴンボーテックスに勝とも劣らない超常現象がそこにはある。
本能的な恐怖が心臓に早鐘を打たせた。
わずか数秒の出来事だというのに、永遠にも近い時の流れを感じさせる。そして歪みが収束した頃には、どのタイミングで現れたのか、三匹のオークがオノを担いでそこにいた。
「で、出たべ! ブタだべ! デカいべ!」
「見れば分かるって……」
二メートルを超える巨体、というと大したことはなさそうに聞こえるかもしれないが、目の当たりにしてみると数字以上の大きさに見えるというもの。瞳は感嘆にも似た言葉を発したが、結はやれやれといった様子。
しかしのんびり構えている余裕などない。
撃退士達を獲物として認識した三匹のオークは、雄叫びを上げて突進してきたのである。
急ぎ臨戦態勢に入る撃退士。まず一匹を孤立させ、早急に仕留めねばなるまい。
この、孤立個体対処を担当するのが、エリー、律、アサニエル、瞳、これに付随する形で結だ。
それぞれが武器を構え、タイミングを計る。そこで、アサニエルは一言。
「で、誰があいつを引き付けるんだい?」
「あ」
重要な役割が分担しきれてなかったのだ。
「攻め手は私がやるわ。誰か引き付けて頂戴」
とエリーが言えば、
「私は敵の動きを封じる予定です」
このように律が答える。
「おらぁ結さーの傍を離れるわけにはいかないべ」
と瞳。
「あたしは空から仕掛けるつもりだけど……」
アサニエルはそう考えていた。
つまり、バラバラ。連携の連鎖は繋がっていなかったのである。
「敵は待ってくれませんよ!」
叫んだ征治が、一匹のオークに挑発を仕掛けた。
一方で星露は地を蹴って跳躍し、重力に乗せた鋭い飛び蹴りを別のオークに見舞った。
これにより、三匹のオークは散り散りに分断。奇しくも撃退士達が狙った格好となった……かに見えた。
「一瞬でも時間を稼ぐお!」
対応の遅れた撃退士達。立て直す余裕を作るべく、由紀子は<burst.exe>を発動。
解放された突風が吹き荒れ、巨体を誇るオークですらも押し戻された。
この隙に、一匹を先に仕留める役割のいわゆる撃退班の面々が、定めた目標に群がった。
「さっさと潰すわよ。日ごろの憂さ晴らしだわぁ」
「人それを、八つ当たりと言います」
マジックスクリューの準備に入ったエリーに対し、律は訂正を入れる。
しかし狙ったオークは……。
「ブホォーッ!」
撃退班には目もくれなかった。
星露らに足止めされるオークの救援に向かったのだ。
「だ、誰か、アイツをこっちに引き留めるべ!」
「うん」
叫んだ瞳に答えたのは、結。
両手にかぎ爪を装備し、腰を低く落として駆けた。
「何やってんだい!」
「エリーさん、躊躇してられませんよ」
「あぁ、もう……っ!」
上空を飛ぶアサニエルの叱咤に律がエリーを急かす。
焦って十分に狙いをつけられなかったことにより、風の渦はオークが通り過ぎた後ろに出現してしまっていた。
当のオークは、その巨体に似合わぬ速度で駆けると、足止め班の面々に襲い掛かる。
「チッ、何でこっちに来てんだよ!」
思わずディザイアがボヤいた。
雪子の前に立って斧を振るいつつ、結局一か所にまとまってしまった三匹のオークに戦慄せざるを得ない。
何かがどこかで間違った。彼らの作戦は、この時点で破綻してしまったのである。
「かくなる上は、三匹まとめて同時に、それも一瞬の内に……って、何してるんですか!」
作戦を変更を余儀なくされた征治は、方針を確認する意味で口にする。が、その時彼の目に映ったのは、オークに突撃する結の姿だった。
幸か不幸か。オークは彼女に構う素振りすら見せない。
それどころか、二匹が星露を囲むように突撃し、斧を振りかぶる。
「ただ力任せな攻撃なんて……」
狙われた星露は、むしろ攻めるチャンスだと捉えていた。
重心を落とし、敵の斧が降ろされる奇跡を脳裏に浮かべる。
そしてその予測を基に、滑らかな動きで体を旋回させた。
「輪舞曲――」
彼女の得意技、ヴリトラの予備動作だ。この旋回の遠心力を用いた一撃であり、また回避を兼ねていた。
振り下ろされた二本の斧は空振り。
「ヴリトラ!」
巨竜を思わせるアウルの輝きが一斉に放たれる。
「ブヒィィ」
鳴き声を上げるオーク。
しかし彼女を取り囲む二匹目のオークは、地に突き立った斧をあっさり手放すと、技を放った直後の星露を蹴り飛ばした。
背中に強い衝撃を受け、すっ転ぶ彼女。
そこに、朦朧となったオークが前のめりに倒れてくる。
「ギャーッ! ぶ、ブタこの野郎の下敷きに……!」
雪子の悲鳴が響く。
上半身が完全に覆われた星露からの返事はない。オークの方も朦朧としているからか、起き上がることすらできずにいるようだ。
その倒れたオークを踏み越えたのが、結だった。
「さっきから、無視ばっかりして……!」
「もう、無茶するわねぇ」
追いすがったエリーが再びマジックスクリューを放った。
結の攻撃をバックステップでかわすオーク。
しかしそこを、エリーの攻撃が捉えていた。
「眠らせます。これ以上好きにはさせません」
律が接近し、氷の夜想曲を歌った。そこには二匹のオークがいる。
凍てつく冷気が敵を襲い、深い眠りへと誘った。
それは星露を下敷きにするオークをも眠らせることになるのだが、今は急いで倒さねばならない。
敵は煙のように消えるとの情報がある。先ほど見せたあの気味の悪い光景と共に消えるのだろう。もし敵に不利だと感じる余裕を与えてしまったら、逃げられる可能性があるわけだ。
眠りに落ちる二匹。
もう一匹は、征治に襲い掛かっていた。
「くっ、援護は……」
斧が掠った傷を腕に足にと作りつつ、少しずつでも距離を測る。彼にとって最も戦いやすい距離は、今回の場合至近距離ではなかった。
そこへ接近する結。
「今度こそ、当ててやる――!」
先ほどから空回りばかりでフラストレーションが溜まったのだろう。鬼気迫る形相で、やたらに爪を振り回した。
しかし流石にうるさく感じたのだろう。オークは標的を結へと変え、振り向きざまに斧を横薙ぎした。
――阿修羅ってね、一瞬の力はあっても防御や回避が苦手なの。
星露の言葉が脳裏に蘇る。
避け方が分からない。迫る斧の刃を前に、何もできない。
胴が真っ二つにされるヴィジョンが浮かんだ。
ガキッ、と金属音が鳴る。
結の魔装が破壊された音か? いや、違う。
「気ぃ張り過ぎなんだよ」
間に入ったディザイアが、斧で斧を受け止めていたのだ。
2m級のオークが振り下ろす一撃は重い。これを支えるのは文字通り骨の折れることだ。
ニタリと笑むディザイア。
しかしこのオークも、斧を放棄することを知っていた。
手を放し、空いた腕でディザイアの脇を殴りつけた。
言葉なく、胃酸のようなものを口から吐き出して吹き飛ぶ。
これに駆け付けたのが瞳と雪子だった。
「無茶しちゃダメだべ! 結さー、おらぁの傍離れるでねぇって言ったべ!」
「何とかしてって言ったでしょ」
「この……ブタは死ね!」
尻もちをついていた結を助けようとする瞳、何とか敵の動きを止める術を考えようとする雪子。
ともかく、このオークさえ倒せば何とかなるはずだ。
「あたしに力を貸しな!」
頭上から声が響く。そこには飛行するアサニエルの姿があった。
とっさに<defragmentation.exe>を付与する。
力が漲る感覚を味わいながら、アサニエルは引き抜いた符から光の球を撃ち出した。
「この、ブタ野郎ォ!」
自らの危機を悟ったオークは、とっさに防御行動に移る。それは、最も至近にいた結を引っ掴み、盾とすることだった。
「ギャ――ッ」
光は結にぶつかり、爆ぜる。威力の高まったソレならばなおのこと、全身ボロボロとなった彼女は悲鳴を上げ、放り投げられた。
設置された遊具に背中を痛打し、気絶。
しまった、とアサニエルは目を見開くも、既に手遅れ。
「もう、ぐだぐだじゃないですか!」
「よくも結さーを! おらぁ怒ったべ!」
槍を手に肉薄する征治、両拳に雷を纏って跳躍する瞳。
武器を手放したことでがら空きになったオークの胴体に、二人の痛烈な一撃が食い込んだ。
悲鳴を上げて膝を着くオーク。
ここに集結した結とエリー、そしてディザイアを除く撃退士達が一斉攻撃をしかけ、仕留める。
残り二匹のオークはというと、眠っているために討伐は用意であった。