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マスター:飯賀梟師
シナリオ形態:ショート
難易度:普通
参加人数:6人
サポート:2人
リプレイ完成日時:2014/11/18


みんなの思い出



オープニング


 夕暮れは紅い色。
 街灯が光るのと入れ替わるようにして、子供たちは各々の家へと帰ってゆく。
 日が沈めば群青色。
 須藤綾子は高いヒールに体のバランスを崩しながら必死に走っていた。
 定時上がりの事務職。だが今日という日は同僚が二人も風邪で倒れ、その穴埋めを手伝っていたためにいつもより一時間半遅い退勤となったのだ。
 駆ける理由はただ一つ。五歳になる娘の理沙を向かえるため、保育園へ向かう。
「すみません、遅くなりました!」
 保育園の玄関に飛び込むと、既に帰り支度を整えた理沙が壁に背を預けて佇んでいた。他の園児の姿は見られない。
 いつからそうしていたのだろう。
 迎えの母親に手を引かれてゆく友達の背中を、どんな気持ちで見ていたのだろうか。振り返るともう誰もいないがらんとした部屋に、どんな感情を抱いたのだろうか。友達が全員帰った後、一人ぼっちで積み木をしていたのだろうか。一人ぼっちで絵本を読んでいたのだろうか。一人ぼっちでお絵かきをしていたのだろうか。
 どんなに上手に積み木のお城が組みあがっても、どんなに面白い絵本を見つけても、どんなに素敵な絵が描けても、見せる相手は誰もいない。語り合う友達はそこにいない。
 ただただ孤独だけを胸にしまって、いずれ迎えにくるであろう綾子を待って、鞄を肩からぶら下げてこの玄関でずっと佇んでいたに違いない。
 待ち望んだ人の登場にパッと顔を上げた理沙は破顔し、母である綾子の胸へと飛び込んだ。


 その日は夕飯の用意をする時間が確保できず、結局はファミリーレストランに頼ることとなった。
 学校帰りの高校生がよく屯するファミリーレストランも、この時間になると家族連れやサラリーマンの集団が目につく。少し、混んでいた。
 出入り口の案内待ち名簿を確認すると、先に一組待っているらしく、それくらいなら待てるだろうと綾子は名簿に須藤の名を書き足した。当然、禁煙席の欄に印をつけて。
 待合用のソファに腰かけていると、客席から、厨房から、焼けた肉にソースをかけた時の香ばしくも濃厚な香りが漂ってくる。
 綾子の隣に座って足をぶらつかせていた理沙は、頬を緩ませた。
「りさ、おなかペコペコ〜」
「何食べたい?」
「えーっとね、ハンバーグ!」
 案内待ち名簿に備え付けられたメニューを借りて開く。すると最初のページに見るからにジューシーなハンバーグの写真が大きく掲載されていた。
 既に理沙は注文が決まっているようだった。
 今日は仕事が多く疲れていた綾子の方は、肉という気分ではない。パスタか何か、あっさりと食べやすいものを探す。
「あ、ほら、お子様セットあるよ」
「いーの! りさハンバーグにするー」
「お子様セットにもついてるじゃない」
「でもね、りさ、ふつーのハンバーグがいーなぁ」
 そうやって綾子がお子様セットを勧めたのは、単純にそちらの方が安いからだ。
 ジュースやおもちゃもついて、値段は手ごろ。これを見ると、ハンバーグの方が割高なようにも思えてくる。
 後でデザートが欲しいとか言い出しませんように、と綾子は静かに祈り、ページを捲った時だった。
「お待たせしました、三名様でお待ちの村上様ー」
 高校生だろうか。アルバイトの女の子が待合席に声を張った。
 次に呼ばれるのが綾子と理沙のはずだ。


 村上なる人物を代表とする一団が席へ通されてから綾子たちが案内されるまで三分ほどだっただろうか。
 料理が運ばれてくるまでに十分ほどさらに待たされる。
 その間、綾子は理沙から今日の保育園での出来事を聞いていた。
 お昼寝の時に健太くんがおねしょしちゃったこと、外に散歩に出たら佳代ちゃんが迷子になっちゃったこと、庭でサッカーをしていた将太くんがゴールを決めてすごくかっこよかったこと。
 一つ一つは、今日という日でないと体験できないようなことではない。いつだってありうるし、いつだってできることでもある。
 それでも理沙は、まるで人生初体験尽くしの一日だったかのように楽しそうに話す。
 そんな姿を見ていた綾子は、子供の純粋さに触れられることを、目に見えない何かに感謝した。
 いつから、こんな気持ちを忘れていたのだろう。
 気づけば一つのことへの感動が薄れ、何もかもが当たり前のことのように思え、気持ちというもの、心というものの消失すら覚えていた日常を、理沙は何物にも代えがたい輝きに満ちた美しき世界と捉えている。
 だから、綾子から見ると、理沙こそが輝いていた。そんなことをぼんやり意識すると、自然とこんな言葉が胸の内にあふれてくる。
 生まれてきてくれてありがとう、と。
「お待たせいたしました。ペペロンチーノとハンバーグでございます」
「やったー! ねぇママ、すごいおっきーよ!」
 運ばれてきた料理に、理沙は目を輝かす。
 その時事件は起こった!
 割れる窓ガラス、人々の悲鳴、飛び散る食器や食べかけの料理。
 そこに現れたのは、サーバントだった。
 カメレオンのような面、胴は亀のようで、馬に似た足は六本。
 チラチラと、まるで蛇のように舌を覗かせながら、そのサーバントは周囲を見回した。
 近くに腰を抜かしてへたり込むサラリーマン。
 これを目標として定めたサーバントは、目にも留まらぬ速度で舌を伸ばした。
 絡めとられたサラリーマンは、悲鳴を上げる間もなくサーバントの口の中へと吸い込まれる。
「に、逃げるわよ理沙」
「あーっ、りさのハンバーグ!」
「我慢しなさい!」
 綾子は理沙を抱えると、テーブルを蹴飛ばすようにして駆けた。
 周囲の人間も同様だ。
 誰もが死を予感して散り散りにファミレスから逃げてゆく。
 当然のように、サーバントはこれを追い回した。
 中でも最も足が遅かったのは、理沙を抱える綾子だ。人を抱えているのだから当然か。
 しかも逃げることに夢中な他の人間とは嫌でも体のあちこちがぶつかる。
 足がもつれ、ヒールが脱げ、ファミレスを出たところにある三段の階段で人に押され、綾子は転んだ。
 理沙が投げ出される。
 これに追いすがってきたサーバントが目をギョロギョロと動かして理沙を見下ろす。
「ど、どうなってんだ、誰か、た、助けてくれェェーッ!」
 そんな叫びが木霊する。
 逃げ惑う人々から発せられたのではない。サーバントの背中からだ。
 見ればそこには、先ほど飲み込まれたサラリーマンの顔が浮かんでいるではないか。
 それだけではない。他に何人もの人々の顔がそこに浮かび、口々に助けを呼んでいるのだ。
 サーバントが、理沙へと舌を伸ばす。
 綾子は咄嗟に理沙の腕を掴んだ。
 両側から引かれて宙に浮く理沙。
「い、いだい、いだいよぉっ! いだいだいだいだいいい!」
 骨も筋も軋むような激痛に理沙が悲鳴を上げる。
 だがこの手を放すわけにはいかない。
 そうしたら、理沙もこのサーバントに顔が浮かび、悲痛な声で助けを呼ぶだけの存在になってしまう。
 だから負けられない。
 全身全霊で理沙を引く綾子。次第にその手に汗が滲んできた。
「理沙を、娘を……放して!」
「ママぁーっ!」
 苦悶と悲鳴が織り交ざる。
 その時。
 綾子の手が滑った。
 するりと抜けていく理沙の腕。
 咄嗟に手を伸ばした綾子はほんの一瞬だけ理沙の人差指を掴むも、汗ばんだ綾子の手は摩擦も握力も生まない。
 理沙は、サーバントの口へと収まった。


リプレイ本文


 須藤理沙が飲み込まれた直後だった。
 町に到着した撃退士が、騒ぎを聞きつけてようやく現場に到着。
 周囲は騒然。泣き、喚き、叫び、我を見失って散り散りに逃げ惑う人々。
 転んだ子供を踏みつけ逃げる大人、女性を引き倒し逃げる男、先行く人の足にしがみつく伏した女、恋人すらも置き去りにする人間。
 あのサーバント、トゥラーメンが直接手を下さずとも、人々は自ら二次災害を引き起こしている。
 そこには人間のエゴと崩壊した自尊心が渦巻いていた。
 状況を見た鐘田将太郎(ja0114)が真っ先に考えたのは、人々を逃がすことだった。
 この場から離れれば多少は落ち着いてくれるだろうし、民間人がサーバントから離れてくれた方が戦いやすい。
「落ち着け、こっちだ! 俺らが食い止める、だからゆっくり、押し合わずにここを離れろ」
 将太郎の誘導によって人々が避難してゆく中、他の面々はサーバントと対峙していた。
 様々な生物を掛け合わせたような、奇妙なサーバント。これは、ファミレスから出てきたのだ。
 どこで戦うかが肝要。まだ民間人の避難は完了していない。せめて人のいない場所へ誘い出すことができればいいのだが。
 そうなると、真っ先に上がる候補はあのファミレスだ。
「誘導よろしく」
 得物を構えた鈴木悠司(ja0226)が、武器で以て薙ぎ払う。
 この勢いに押されたトゥラーメンが一歩後退。ファミレスへとほんの少し近づいた。
 進み出たのは間下 慈(jb2391)だ。悠司に気を取られたトゥラーメンの死角を縫い、待ち伏せるべく店内へと進入。
 そして彼は見てしまった。サーバントの脇をすり抜ける間際、背――甲羅に浮かぶ、無数の人間の顔を。
 模様ではない。装飾でもない。
 それぞれの顔は微かに蠢いている。
 あれは生きた人間だ!
 もう一撃。悠司が敵を押す。
 そしてハッキリ聞こえた。
 人間の悲鳴が。「助けてくれ!」と。
 初撃の際にも、確かにそのような声は聞こえた気がした。
 しかしそれは、逃げ惑う人々から発せられたものと思っていた。だが違う。これは、甲羅に閉じ込められた犠牲者の悲痛な叫びだったのだ。
(苦しいですよね……。でも、こらえてください)
 今すぐ彼らを救ってやりたい。そんな衝動に駆られながらも、このサーバントを退治すべく作戦を成功させねばならぬ。このタイミングで勝手な行動に出れば、救えるかもしれないものも救えぬかもしれないのだ。
 もちろん、トゥラーメンも棒立ちまなわけもない。
 ファミレスの入口まで押し込まれた段階で、追い打ちのように悠司が武器を振り上げた瞬間、サーバントは稲妻の速度で舌を突き出した。
 剣先を弾かれ、武器を取り落す悠司。
 拾う余裕はない。トゥラーメンは追撃を繰り出さんとしている。
「く……っ!」
 反射的に、宮鷺カヅキ(ja1962)はクイックショットを発動。
 敵が狙いを定めるより早く、その足元へ弾丸が飛ぶ。
 怯んだ!
 その隙に、悠司が再び武器を取る。
 もう一瞬だけ、猶予が欲しい。
「ワァァーッ!」
 大声などというものではない。雄叫びでもない。
 怒号だ。
 橋場 アイリス(ja1078)は、怒号と共にトゥラーメンへと切りかかっていった。
 それは決して、気合の現れだとか、敵の注意を引くためだとか、そういったものではない。
 彼女は気づいていただ。甲羅から響く声の正体に。
 哀れ囚われの身となった人々の、助けを求める声。痛みに嘆く声。
 まともに聞いていられない。聞けば心が壊れてしまう気がして。
 だから、それより大きな音を自ら発することで掻き消そうというのだ。
 またも突き出された舌に肩を打たれる。
 しかし十分だった。
「すまない!」
 急ぎ踏み込んだ悠司が武器を振るえば、サーバントの巨体は見事ファミレスの店内へと収まった。
「全く以て、気色の悪い敵ですことよ。それでいて、非常に趣味が悪い」
 犠牲者の末路に気づいたのはパウリーネ(jb8709)も同様だった。
 キメラと呼ぶにも気色の悪いその風貌。捕食者を生きたまま体内に飼い、その悲痛な叫びを垂れ流しにする能力。およそこの地球上に於いては存在しえないトゥラーメンの、どこに好意が持てるというのか。
 パウリーネの毒づきも、恐らくトゥラーメンは理解しないだろう。
 サーバントの求める本能はただ一つ。獲物を狩ることだ。
 ファミレスへと押し込まれたトゥラーメンは、狩猟対象となる人間が多い外へ出ようと踏み出す。当然だろう。「そこから出てもらっては困るのだよ」
 アストライオスの紋章を翳せば、煌めきが無数の流星となって疾る。
 機を見たアイリスもアサルトライフルのトリガーを引いた。
 今は可能な限り相手の自由を奪い、有利的状況を作り出すことが優先だ。
 狙うのは目だが、これで点射を行うのは非常に困難。だがそれでもいい。絶えず敵の足を止めることができれば十分だ。
 これに遅れて合流したのは将太郎だ。
「状況は!?」
「決め手に欠けます。もう少しなのですが」
 カヅキの言葉が全てだった。
 敵は外へ出ようと抵抗している。ここまで押し込んでしまえば、後はその場から出さないようにするだけなのだが、撃退士たちが店内へ進入し、包囲網を形成するには至らない。
 何かが足りないのだ。余裕か、猶予か。それともサーバントの諦めか。
「……っ、何だ、なんなんだよこの声は!」
 合流したばかりの将太郎には、それが理解できなかった。
 パウリーネの、そしてアイリスの攻撃が浴びせられる度、人間の悲鳴が聞こえる。
 民間人は全て避難させたはずだ。
 もしや、まだ店内に逃げ遅れた人がいるのか。その可能性を疑ったのも当然だろう。
 しかしこの場合は違う。
「正真正銘、人間の悲鳴。あの背中をよく見てみな」
 パウリーネに指さされ、将太郎は視線を移した。
 亀の甲によく似たトゥラーメンの背には、人の顔が浮き出ているではないか。
 しかも耳をすませば、あの悲鳴のような声は確かにそこから発せられている。
 この時点で、全ての撃退士が現状を把握した。
 攻撃すればするほど、囚われの人々が苦しむことになる、と。


 ひっくり返ったテーブルに身を潜めた慈は、目ではサーバントの様子を窺いつつも、耳は塞いでいた。
 悲鳴が怖い。あのサーバントは倒さねばならない。だが、その間に彼らは苦しむ。
 彼らは助けを求めているのだ。だというのに、何もできない。してやれない。
 だからといって、ただ一人隠れて何もしないわけにはいかない。その目はしっかりと甲羅に浮いた人々の顔を見据えていた。
 誰かがこちらを見ている。助けを求める必死の形相だ。もしもトゥラーメンの受けた衝撃がそのまま彼らに伝わるのでいれば、もう既に何十回と彼らは死んでいるだろう。だとするならば、死ぬに死ねず、ひたすら死に値する痛みに耐え続けるしかない彼らは、何と不幸な運命に晒されているのだろう。
 しかし、ただ見ているだけでは済まなくなった。耳を塞いでいる場合でもない。
 仲間たちは攻めあぐねているのだ。このままでは、あの囚われた人々がいたずらに痛みを味わうばかりだ。
「もうわかってる、やるべきことも、撃つべき敵も。何のためにここにいるんだ、何のための力なんだ。僕は……」
 具現化させたリボルバー。
 その銃口を自らのこめかみに押し当て、慈は呟いた。
 聞こえる……。
 あの声は、決して痛みに泣き叫ぶばかりのものではない。
 よく聞け、口々にこう叫んでいるではないか。「助けて!」と。
「あの人たちを救いたい――!」
 引き金を引いた瞬間、アウルの光が脳を揺さぶる。
 そして周囲が静かになっていく感覚を覚えた。雑音が消え、人々が真に求めるものだけが聞こえてくる。
 この瞬間、間下 慈は死んだ。
 怯え、隠れ、目を背けていた己は死んだ。そんな自分は、もういらない。
 ここにいるのは、決意を固めた一人の撃退士だ。今は、今だけは。
 リボルバーをトゥラーメンへと向けた。
 確実に打ち抜くなら、面積の広い部分を狙うべき。だが、一撃必殺でない限りは牽制にしかならない。
 それならば、より相手の隙を作れる部分――照準を合わせるならば、足だ。
 より貫通力の高いアウルの力、ピアスジャベリン。
 放たれた弾丸は、見事一本の足を貫いた。
 目標が細いため二本、三本とまとめて撃ち抜くには至らなかったが、十分だ。
「やめて、もう嫌ァ!!」
 悲鳴が飛び交う。だが、その中には歓声も混じっていた。
 決して、甲羅の人々のものではない。共に依頼を果たす仲間たちのものだ。
「よし、一気に決めるぞ!」
 将太郎の掛け声に合わせ、撃退士たちが一斉に店内へとなだれ込み、包囲網を形成する。
 一方で足を一本失ったトゥラーメンは、バランスを崩しながらもその目をグリグリと動かしながら目の前に捉えた撃退士へと舌を伸ばした。
「くぁっ!?」
 足を取られ、小さく悲鳴を漏らして倒れたのはカヅキだ。
 それだけではない。追撃をかけるべく、トゥラーメンは舌を鞭のようにしならせる。
「……!」
 駆けるアイリス。カヅキとトゥラーメンの間に割って入り、干将莫耶を交差させて舌による打撃を受け止めた。
 交差点で防御したのは、いい。
 だがトゥラーメンが狙ったのは飽く迄カヅキ。これによって軌道を変えられた舌はカヅキを痛打することはなかったものの、この交差点が支点となり、アイリスはこの舌に巻き付かれることとなった。
「うっ!? うぅ〜っ!!」
 もがけど振りほどけない。締め付けはきつく、ギシギシと骨が軋むかのようだ。
 そして徐々に徐々にと、トゥラーメンが舌を巻き戻した。
 このままでは飲み込まれてしまう。
「受けた恩は、その場で返します!」
 即座に立ち直ったカヅキはオートマチックP37のトリガーを引いた。もちろん照準は敵の舌に合わせて。
 アウルが弾丸へと形を変えて吐き出された。
「手伝おう」
 パウリーネもアストライオスを掲げ、流星を生み出した。
 無数の弾丸、そして星に撃たれた舌は徐々にほつれるように穴が開き、遂にはブチリと音を立てて千切れた。
 どさりと音を立てて倒れるアイリス。
 トゥラーメンはというと、舌を失ったことでその断面から血を染み出させ、そのまま絶命した。


 問題はここからだ。
 トゥラーメンは倒した、それはいい。だが、囚われた人々をどうするか、という答えを出さねばならない。
 アニメや漫画、ゲームのように、敵を倒せば人々が元の姿に戻るなんていう奇跡は起きない。これは現実だ。獲物を捕食した虎が死んでも、捕食された獲物が生き返らないのと同様だ。
 一応、撃退士たちも試せることは試した。しかし顔を引っ張ってみても、死んだトゥラーメンの口から体内に入り込んでみても、ダメだった。彼らを元の姿に戻す術は、ない。
 そこで二つの選択肢がある。
 一つはこのまま彼らを残し、その姿のまま生かすというもの。
 もう一つは……。
「仕事。そう割り切るしかありません」
「そうだな、このままにしておく方が酷だ」
 カヅキ、そして悠司は彼らを殺すという選択肢を選んだ。
 他の撃退士たちもこれに頷く。
 方法がないのなら、いっそ葬ってやるのが慈悲だろう、と。
 だがそれに納得できない者もあった。将太郎、それから慈である。
「でもよ、人なんだぞ! 見ろ、あんな小さい子だっているんだ」
「そうです、彼らはもう十分すぎるほど痛みを味わったんです。きっと何か方法が……」
「ないね」
 そう言い放ったのはパウリーネだった。
 それは、単なる諦めの早さではない。根拠のない期待にすがれば、誰もが悲しみに暮れることを予見したからだ。
 実際、将太郎にも慈にも、その可能性を示すことはできなかった。黙るしかない。
 不意に辺りが騒がしくなる。撃退士たちの言葉を聞いてしまった囚われの人々が不安がっているのだ。
 今から殺される。
 きわめて実現性の高いその可能性を前に、落ち着いていられるわけもなかった。
「ねぇ、ころす、ってなぁに?」
 幼い少女が、他の顔に聞いた。誰かが口にした「殺される」という言葉の意味を知らないのだ。
 彼女はきっと、痛みから解放された今なら、誰かが助けてくれると信じているに違いない。
 撃退士たちの声が聞こえているのだから、少女の声もまた、撃退士たちには聞こえていた。
 殺さずに済ましたい。そんな気持ちの強い将太郎や慈は、キツく握った拳のやり場を求め、崩れたテーブルへと叩きつけた。
 最早、あの人々を救う手立てはない。殺すしかないのだ。誰かを守るための、その手で。
「私が合図します。彼ら同士で痛覚を共有しているのなら、一人一人殺めるより、同時の方が苦しみもないでしょう」
 カヅキの提案に、一様に頷く。将太郎、そして慈もそうだ。
 それぞれが武器を構える。
 途端に、甲羅に浮かぶ顔が一斉に青ざめた。
 撃退士たちは本気だ、と認識したからだ。
「な、なぁ、冗談だろ?」
「助けてくれるんだよな、そうなんだろ?『撃退士』さんよ!」
 それらの声は、聞こえないものとした。そう思い込むしかない。
 でなければ、罪の意識に囚われてしまう。
 カヅキは言った。これは仕事、割り切らねばならないのだ。
「三、二――」
 カウントダウンが開始される。
 悲鳴、絶叫、断末魔。
 大地を揺るがす音の群が、ファミレスの中に木霊した。


 唯一、割り切れなかった者がいる。それが慈だ。
 今、撃退士たちは電車の中にいる。久遠ヶ原島へと帰る途上だ。
「あ、わァァッ」
「うるさいね、静かにしろ」
 これで何度目だろうか。また慈が急に騒ぎ出した。
 パウリーネがピシャリと諌めれば、彼は顔を覆って蹲る。
 あの瞬間、慈は罪悪感から逃れることができなかった。殺した人間の、最後の表情が今も瞼の裏に焼き付いている。
 見れば誰の顔であろうと、あの時の表情がダブって見えるのだ。
(子供を含む、これだけの人を殺し、生存者を救った。私はまだ、なにも変わってないんですね……)
 そんな様子を見ながら、アイリスは笑っていた。嘲笑だ。自分に対する、蔑みだ。
 人を殺す選択をした。全てを救うことはできなかった。そんな不甲斐なさが、むしろおかしく思えたのだ。
 いつになったら、目の前のもの全てを救えるのだろうか。否、絶対的に可能であるとは言えぬ。状況がそうさせないこともあるのだ。今回のように。
「神などいない。奇跡もだ。現実を見ろ。お前は人を殺したんだ。その手でな。いいか、殺したんだ。よく覚えておけ、どうやって殺したか、殺した人間はどんな表情をしたか、どんな悲鳴だったか、どんな感触だったか、どんな臭いが――」
「もういいだろ!」
 責め立てるような口調の悠司に、将太郎は怒鳴った。
 もう後味の悪い思いは十分だ。もうこれっきりにしたいのだ。
 救えなかった無力感はもういらない。
 また電車の中に慈の悲鳴が上がった。


依頼結果

依頼成功度:成功
MVP: 非凡な凡人・間下 慈(jb2391)
重体: −
面白かった!:2人

いつか道標に・
鐘田将太郎(ja0114)

大学部6年4組 男 阿修羅
撃退士・
鈴木悠司(ja0226)

大学部9年3組 男 阿修羅
踏みしめ征くは修羅の道・
橋場 アイリス(ja1078)

大学部3年304組 女 阿修羅
狙い逃さぬ雪客の眼・
宮鷺カヅキ(ja1962)

大学部9年19組 女 インフィルトレイター
非凡な凡人・
間下 慈(jb2391)

大学部3年7組 男 インフィルトレイター
大切な思い出を紡ぐ・
パウリーネ(jb8709)

卒業 女 ナイトウォーカー