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クスクス
キタノ?
キチャッタンダ
夕暮れ。煮出しすぎたロイヤルミルクティーのような色合いを帯びた林の中を歩いていたシオン=シィン(
jb4056)は足を止めた。斜光に白銀の髪がちらつき、閉じていた目をパッと開く。
「き、聞こえました?」
「そんなに怯えなくてもいいだろ、相手はただのサーバントだぞ」
江戸川 騎士(
jb5439)の青い瞳は軽く呆れたように声を出した。
とはいえ、俺も初めての斥候か…ドキドキわくわくだぜ。
「こっちから声がしたよ」
二人から少し離れたところで来崎 麻夜(
jb0905)が人差し指を掲げる。
「ボクはこっちから」
シオンも同じように人差し指で指し示して。
「ということは、二つの延長戦の中点を結んだ場所にターゲットが?」
「はい。目撃情報とも一致しています。お茶会をしていたという場所です」
楊 玲花(
ja0249)がケータイを取り出して襲撃班として待機している各人に、作戦開始のメールを送付する。
「……厄介そうな敵ですね。被害が出る前に早めに退治してしまうことにしましょう」
「お茶会、楽しそう」
「そ、そうですか?」
「よし行くぞ」
●
クスクス
マダコナイ?
モウクルカナ
木陰の濃い闇から溶け出すように姿を現したのは、シオンだった。
敵の居場所は近づくごとに大きくなる笑い声で把握できた。その漠然とした位置を彼らと接触するギリギリまで近づいて確認することが、姿を現した目的だった。できることなら、こちらが発見されないことが望ましい。
人形がいる。
目の端で視認した。
剣
棍棒
ゆ……
(駄目だッ)
雑木林の中で比較的開けた、そして追われた時に巻くことが出来る場所……見つけた。シオンはそれだけ確認すると、一度そのまま走り抜けた。
「もうちょっとでも近づいていたら魔眼の餌食だったよ」
ターゲットは『弓』の人形は、お茶会の右端にいる。
シオンからの位置情報を元に三体を囲い込むと、潜行していた全員が姿を現した。
木の上から先制攻撃を加えたのは玲花だ。
棒手裏剣が弓人形に突き刺さった。
クスクス……
キタヨ……
クスクス……
ぎりり
引き絞られた弓。
その人形の背後から狙っていたのは騎士だった。
闇で練られた矢が人形の頭を半分かち割った。
パリンと登記が割れるような音がして。
ぽたぽたと重みを持った綿が、中からあふれ出し崩れ落ちていく。
落ちているのは綿。白くてふわふわの。ぬいぐるみのような中身。
それはグロテスクな光景だった。
常人ならその飛び出した欠け落ちた義眼に、一瞬身をこわばらせてしまうだろう。麻夜はただニコリと笑うだけだった。それが人形本来の姿だとでも言わんばかりに。
「黒く染まろう? ボクより黒く、ね?」
彼女の頬に流れた黒い雫は、面白そうに歪んだ口元を撫でる。
瞬間、轟いた閃光は弓持ちの人形を貫いて壊した。
ヒットアンドアウェイ。
そして、四人はあらかじめ想定していたとおり、攻撃を当てたらその場を離脱して襲撃班と待ち合わせている場所へと向かう。
追いかけてくる剣と棍棒の前に飛び出したシオンは、
「てやーっ煙幕くらえ!」
と、真っ暗な空間を出現させた後、逃げ出した。
●
襲撃班として待ち伏せしている各人の元へ、騎士からのメールが届いたのは、それから数秒後だった。
「織宮さん、いるかい?」
茂みの奥に身を隠していた麻生 遊夜(
ja1838)が呼びかけるも、返事はない。
「……まあ、抗天魔陣が俺のとこまで届いてるって事は、範囲内にはいるんだろうがな」
メールは襲撃班全員に渡っているみたいだから、あとは自分が出来ることをするだけだ。
首をコキコキとならした遊夜は、一対の拳銃を取り出す。
クスクスという声が近づいてくる。
「しっかし、自分らから居場所教えてくれるなんざ親切なこった」
火でも点いたように瞳が赤く煌めく。
「こういう敵ほど厄介な能力の持ち主だからな、注意しろよ」
ここにはいない誰かが頷いたような気がした。
ニヤリ、と不敵に笑み狙いを定めた。
「さてと、俺の目から逃れられると思うなよ」
クスクス……
クスクス……
銃声が二発鳴る。
それを合図に、奇襲班の面々に代わるように姿を現したのは、襲撃班の周防 水樹(
ja0073)とヴィクトール・グリム(
ja8730)の二人だった。
彼らはしっかりと視界で敵を探し出し、その前に現れたのだった。
「魔眼には注意ですよ」
「んなもん、わかってるぜ」
水樹は斧を短く持って剣の人形の背後に回り込み、ヴィクトールは無鉄砲に棍棒の人形に突っ込んでいった。
無表情に斧を振り上げて首を薙いだ水樹は、研ぎ澄まされた集中力で敵を一刀両断にする。
ブラストクレイモアの破壊力をフルに発揮したヴィクトールは、反撃の隙も与えずに相手の片腕を斬り落とした。上から下へ豪快かつ単純な攻撃。赤目が鬼のように唸り、その斬撃は比類無き一撃だった。
止めは、遊夜の援護射撃だった。
クスクス
ヤラレチャッタ
やられてもなお笑い続ける不気味な頭を踏みつぶしたヴィクトールは、脇の草に唾を吐きかける。
「胸くそわりいなァ、こいつらよぉ」
「次、行きましょう」
「ぶっ殺してやる!」
●
次のグループも奇襲班から弓を絶たれて、逃げてきた二体の人形だった。
「人形とは魂の宿るもの……」
夕陽に陰る林の中で、そのセピア色に線を引く朱の束が揺らいでいた。紅の影。
それは、織宮 歌乃(
jb5789)の姿だった。
「しかし、あなた達は違う……」
クスクス
クスクス
「美しいですが、鬼の人形ですね……まるで鬼女が哂うような声。いいえ、だからこその天魔。人に危害を及ぼす前に、緋き獅子の心を以て参ります」
たおやかに揺れる赤毛の髪がピタと止まり、一気に距離を詰めた。
棍棒の前で、刀を振るう。
しかし、二対一では分が悪く、まともに目も見れないのでは圧倒的に不利だ。
だが、歌乃の背中を狙って斬り込んできた人形は吹き飛ばされる。
「おいおい、俺の相手してくれや」
遊夜が木陰から顔を覗かせていた。
むくりと立ち上がった人形は、すぐに遊夜を見つけて跳躍しようと
だが――。
「赤き剣花の風の中で、朱石と化しなさい。その凶器で、私の友の血を流させる事は許しません」
歌乃は袖をプロペラのように回して旋回し、剣を持つ人形に赤い気を込めた一太刀を浴びせる。
歌乃の背後には、すでに石化した棍棒の人形がいた。
ワンテンポ遅れてやってきたのは、水樹とヴィクトールだった。
「すげえな石化かよ」
「大丈夫か?」
「はい。残るはあと1グループです」
「奇襲組がうまく見つけてくれるといいんだが」
2つのグループはほぼ予定通りに排除できた。相手に連携さえ取らせなければ楽勝な仕事だ。水樹は斧をしっかりと握り直す。ここで気を緩めると大変なことになる。
「その前にこいつら完全に壊しといた方がいいんじゃないのかや?」
「だな」
遊夜は双銃の銃口を頭に向けて。
ヴィクトールはクレイモアを天高く構える。
二人は同時に人形を屠る。
●
襲撃班が2つ目のグループに取りかかっていた時、奇襲班は最後の3グループ目を探していた。
林の深いところに入ってきた。
だが、3グループ目がどこを探しても見つからないのだ。クスクスと笑う声も聞こえてこない。
「たしか、廃校が近くにあるんでしたっけ?」
シオンは思い出したように問いかける。
答えたのは玲花だ。
「はい。現在は取り壊されているようですが」
「そこだったらけっこう開けてるんじゃないかな? 深くなってきましたし、いちど出てみましょう」
「たしかにそれがいいんじゃねえ?」
騎士もその意見に賛同した。
その時、
クスクス……
クスクス……
クスクス……
と、例の不気味な声が聞こえてくる。
全員、動きを止めて耳を澄ませてみた。
どこにいるのか、気配を探る。
クスクス……
クスクス……
クスクス……
おかしかった。
今までは、ある一カ所から集中して聞こえてきた声が今回はあらゆる方向から聞こえてくるのだ。
「囲まれてる?」
麻夜は空を見上げてニタリと笑う。焦っているわけでもないその表情が、暗闇を伴って妖しげだった。
「いえ、たぶん反響しているんです。ここはさっきまでとは違い、深いところですから」
玲花は冷静に分析する。
空を見上げたまま、ゆっくりと麻夜は首を振った。
「ううん、違うよ」
「なんでですか?」
「ああ、ちがうぜ」
じりじりと騎士は後ずさった。
玲花の足下に矢が刺さる。
「チッ」
すぐさま、その方向に棒手裏剣を投げたが当たった気配はない。
クスクス
アタラナイヨ
クスクス
「囲まれちゃってるのかな?」
「そうみたいだ」
「声が反響して、どこにいるかわからないですね」
その時、麻夜が取り出したのはケータイだった。躊躇もせずに電話帳から『麻生遊夜』を選択する。
『もしもし、先輩?』
三人はギョッとしてみたが、思えば他の個体は倒しているし、残りのグループは目の前にいる。今さら声を隠す必要もないのだ。
『こっちはピンチ。ん、大丈夫だよぉ、心配性だねー』
麻夜は楽しそうに笑う。こんな状況に至っていても、その電話が嬉しくてしょうがないというように。
『先輩こそ気をつけてね?』
●
麻夜から電話を受け取った遊夜は、脇目もふらずに林の奥を目指していた。
大丈夫じゃねえから電話してきたんだろ、と言ったら逆に心配されてしまった。あいつの事だけは掴めない。
そんなため息を吐きながら。
「廃校跡の近くって言っても、範囲は広いですよ」
遊夜の後ろに付いてきたのは、襲撃班の三人だ。
水樹の問いかけに遊夜ははたと足を止めた。
「この林の中じゃ目印もないぜ、おい」
「待ってください、この声」
歌乃が耳を澄ませるように指示する。
「人形の笑い声じゃない、なんでしょうか」
「ん?」
繋ぎっぱなしにしていたケータイに遊夜は耳を当てる。
「けたけたけたけたけたけたけたけたけた!」
「な、なんだこの不気味な声はっ」
それは両耳から聞こえる。
もしかして……。
「この声のところに奇襲班がいる?」
四人は顔を見合わせて、走り出した。
●
「けたけたけたけたけたけたけたけたけた」
その声はシオンのものだった。実際にはシオンが創り出した子供の手のような影達の声も笑っていたので、相乗効果で大合唱になっていたのだ。
aus:puritas――。
その影は、周囲をまさぐりむしり取る。
敵味方の区別なしのスキルだ。シオンが笑い出したと同時に、他の三人は走り出して難を逃れていた。
その手に人形の一体でも絡め取ることが出来ればいいのだが、という期待があったのだが、どうやらそううまくはいかなかったらしい。
「けたけ……あ、終わってた」
やはり、人形は遠くにいるようだ。
それがわかっただけでも僥倖。
離れていた三人も、すぐにシオンの元に駆け寄って背中を合わせ、全方向に目を向けた。
「厄介なのは弓だけだぜ」
「でも、きついですね。この陣形なら不意打ちもされずに防御は出来ますけど、反撃には出られません」
「大丈夫だよ、もうすぐ来るから」
遠くで銃声音が聞こえて、林の中に何かが落ちた。
弓の人形だ。それを見つけた玲花は駆け寄り、影縛りで動けなくする。
「先輩!」
●
「そのまま墜ちな、ここで終わりぜよ」
おそらく奇襲班の方に気を取られていたんだろう。その弓持ち人形はこちらに気付くも対処できず、片腕を落としてそのまま落ちた。
だが、その目だ。
あまりにも、近づきすぎてしまったのか、魔眼の有効範囲に入った遊夜はその場で動けなくなる。
動きを止めたのは、どうやら奇襲班の誰かが術に嵌めたらしい。
「先輩!」
駆け寄ってくる人影があった。
麻夜だ。
「動けないの?」
「見ればわかるやな」
「そうなんだ」
冷笑のような物を浮かべる麻夜。
遊夜は苦笑いを浮かべた。
その時、
クスクス
人形が笑った。影に縛られた状態で、ぎこちなく弓を引こうとしたのだ。狙いは遊夜だ。
しかし、それはあまりにもお粗末だった。
遊夜がその気配に気付かないはずがなかった。
「お前も黒く染まれや……俺より黒く、真っ黒に」
呪詛でも唱えるように言って、その人形の額に風穴を作る。
「んじゃ、次の奴ら頼むぜぃ」
人形が沈黙したのを見て、お気楽調にそう口にする。
●
「お人形遊びする歳でもねェんだがなァ」
そう言いながらも、ヴィクトールは剣の人形を相手に大立ち回りを演じている。
予想外だったのは、林が深すぎてクレイモアがうまく機能しなかったこと。
たとえば、こうやって木の幹に刀身が突き刺さり抜けなくなる。
そこを人形は狙ってくるのだが、
ぶんと、弓矢が飛んでくる。
それは騎士の援護だった。
「おい、遊んでんなよ。さっさと決着つけろ」
「ったく、つまんねえ奴だな。まいっか」
ヴィクトールは、騎士の姿を木陰に見つけて肩をすくめると、クレイモアを高く掲げて突っ込んだ。
「ヒャハ!どしたどしたァ!?こんなモンかよ人形野郎ォ!」
そして、クレイモアをたたき落とす。
すると、土煙の後に、もはや元の姿もわからない人形だった物が出現したのだ。
廃校の跡地は人の手が入っていないとはいえ、他の場所に比べて開けていた。
そこに、歌乃と、棍棒の人形がいる。
二人は目こそ合わせていなかったものの、一撃で決まる勝負というものを理解しているようだった。
「天魔祓剣の祈りを以て、斬り裂きます」
クスリ
それが合図になった。
二人は駆ける。
歌乃の剣が胴には入りそのまま横薙ぎに切り裂く。
ぽとり。
勝負は呆気なかった。
クスクス
足下で人形は笑っていた。
憐れな姿になっても笑っていた。
歌乃は、刀を逆手に持って地面に突き刺す。
見れば、見事に目だけ潰れて、顔の半分は残っている。
地面には血の海ではなく、綿の海が散乱していた。
歌乃は、その人形に憐憫の表情を向けるのではなく、疑問のようなものを投げかける。
「なぜ、あなたは笑うのですか? 何を笑っているのです?」
しかし、それに回答はなかった。
仕方なく、刀を抜く。
と、笑いがぴたりと止まった。
歌乃は最後に一瞥をくれ、光纏を消して去って行く。
ダッテ、オモシロイデショ
歌乃は振り返る。
そこには、もはや原形をとどめていない、何かの残骸があるだけだった。
クスクス
クスクス
クスク……