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黒い塊が林の木々をなぎ倒して川縁に出現する。
頭が大きく尾が長い、口から白い靄を吐く巨大なトカゲ。太古の地球ではこれほどの大型肉食獣が闊歩していたのだと思うと気が遠くなってしまう。
――雄叫び。
動物園で象の鳴き声を聞いたことがあるだろうか。それと比べて迫力が桁違いだ。映画館の音響装置ですら歯が立たないほどの大音響。
林の中の生物が一瞬断末魔のような叫びを上げてから、揃って息を殺す。
もはやこの地球上には彼らに太刀打ちできるものはいないだろう。
――大型肉食恐竜がそこにいた。
カシャ
カシャ
インスタントカメラの乾いたシャッター音が鳴る。
「……恐竜の肉ってさ、どんな味がするのかね?」
眠たげな目に驚きの色を浮かばせた不破 玲二(
ja0344)は、インスタントカメラを構えながら呟いた。
「お、中々の迫力……」
玲二の次に林を抜けてきたのは、常木 黎(
ja0718)だ。化粧っ気のない美人顔で、くつくつと小刻みに笑っているのは余裕だろう。
二人の前に出てきたのはアイリス・L・橋場(
ja1078)。
真っ白な髪の毛を川岸からそよぐ風になびかせ、深紅の瞳に気合いを入れて、腰に手を当てている。
……いいですか皆さん。
「気を引き締めてください。私達があれを止めなければいけいないのです」
「ああ、ごめんごめん。ついね」
「そう気を急くなよ。相手はまだこちらに気付いてない」
「それはそうですが……」
アイリスはむうと口をすぼませていた。
「でけぇ……」
「でっかいねー」
獅堂 武(
jb0906)と、キイ・ローランド(
jb5908)は揃って声を漏らしていた。
獅堂は「デカけりゃいいってもんじゃねえぞ!」と空回り気味に嘯き、珍しい虫を見つけたような少年の目の輝きをしていたキイは「ととっ見とれてる場合じゃないね」と落ち着きを取り戻していくという違う反応を見せていた。
「何としても人の子の学び舎に入る前に倒さねば……」
古き時代の天使、バルドゥル・エンゲルブレヒト(
jb4599)は白い肌にしわを寄せ、知略を練っているようだ。
「足場がよくないのなら、できるだけ事前に確認しておきたいわね」
フローラ・シュトリエ(
jb1440)は健康的な小麦色な肢体を縮めるように自分の体を抱きながら思案していた。
深く考えながらも、その顔にはお気楽そうな優しげな笑顔が浮かんでいる。
「ここから先には進ませないつもりで迎撃を行いましょう」
ぴこぴこと頭の上の狐耳を動かしているミズカ・カゲツ(
jb5543)は、臨戦態勢に入るように剣を引き抜いている。
その三人が実践的な話しに入っていた時だった。
恐竜が開けた川岸に立ったのだ。
日光を浴びたその全身はまるで鱗で編んだ鎧、鋼のような光沢がある。
八人はその巨躯を目にしながらも怯えない。
揃って突撃のタイミングを計っていた。
●
――爆発音。
実際そんな音はしなかったのだが、川の中に踏み込んだサウルスDの足音がまるで砲弾
が着弾したようだったのだ。
これから戦争でも始まるような予感。
それが現実味を帯びていた。
川を進行するサウルスDに狙いをつけていたのは、岩陰に隠れながら動いていた常木だった。
早速走り出そうとしたターゲットをゴーグル越しに狙いを定めた彼女は、リボルバーの撃鉄を起こして引き金に触れた。
「そうは問屋が下ろさないってね」
空気を割るような音がこだまする。
喉元をかすめた銃弾に驚いたのだろうサウルスDは、地響きすらも誘発させるほどの雄叫びを上げる。
その銃声が開戦の狼煙になった。
それを林の中で聞いていた八人は一斉に行動を開始したのだった。
――Alternative Luna
その周辺の空気がにわかに赤みを帯びる。それはまさしく血の色だ。
色の中から土煙を巻き上げて飛び出してきたのは、アイリスだった。
彼女は血脈のような紋章の浮いた黒いバイザーを頭に装着している。
表情が見えない。それはバイザーの影になっているせいだけではなかった。
なりふりを構わず、打算も計算もなく、ただ直進的に進み、勢いのままサウルスDの足を切りつけた。手にしていたのは硬い皮膚を貫く鋭利な刃だ。
血が吹き上がりそして、サウルスDは膝を折った。
……だが。
洞穴のように真っ黒な目の中にある、サウルスDの切れ長の黄色い瞳が丸くなった。
…………ヨクモヤッタナ……
まるでそんなことを言ったように思えた。
怨嗟の瞳が、技後硬直で動けないアイリスをにらみつける。
「しまっ――」
瞬間、
耳も割れるほどの轟音。
サウルスDの咆吼だ。
川も逆流するほどの振動がアイリスを襲った。
「近づき……すぎた……です」
今さら反省しても遅かった。アイリスが立っていた川辺は、サウルスDの咆哮をもろに喰らってしまう範囲内だったのだ。
後ろ跳びで後退しても逃れられなかった。
「くそ、この野郎!」
咆吼が発せられた直後、獅堂はいち早くサウルスDに突撃する。
アイリスによって足に深手を負って動けなくなっているその隙に、口を縛るように鉄数珠を巻き付けたのだ。
「今だ、一気に縛り上げろ」
重しをつけた鋼糸で加勢した不破の助けもあり、二人がかりで縛り上げることに成功した。
だが、サウルスDも必死に抵抗する。
もう少しで振りほどかれていただろう。
「オオッ」
しかし、キイもその拘束作戦に間に合った。大声を上げながら、サウルスDの目を釘付けにするために、タウントを発動させて前方を陣取ったのだ。
おかげでサウルスDの首の動きが幾分か鈍くなり、獅堂と不破の二人は押さえ込むのに成功していた。
二人の力ではものの数分も持たないだろう。
その間に大きな一撃を与える必要がある。
それは、空中より飛来した。
「――一閃ッ」
並の目では追うことすら不可能だっただろう。白い残像が空を飛び回っていたのだ。それは獲物を狩る猛禽類のように素早く急降下する。
強烈な一撃。
ついに、サウルスDは地に伏したのだ。
攻撃の延長線上に滞空していたのはミズカだ。彼女の背中には悪魔の翼が大きく羽ばたいている。
「まだ息があるとは、さすがは大型ですね」
「波状攻撃よ」
フローラの指示が飛ぶ。
「了解」
その羽ばたきの下で駆け回っていたのは、囮モードを取りやめて双剣に持ち替えたキイだった。腹に飛び乗って斬りつけた。
「巨体は武器でもあるけど、弱点にもなり得るのよね」
その攻撃に合わせて波状的に押し寄せてきたのは、フローラの作り出した氷の投槍『Eislanze』だった。その一撃は的確だった。キイのつけた傷跡にその無色の楔は深く突き刺さる。
普通ならばここで目を白くさせていただろう。
だが、サウルスDはまだ動こうとしている。
予兆に気付いたのは、感覚を研ぎ澄ませていたバルドゥルだった。
「動くのか……ならば……」
手を伸ばしてその先に聖なる力で編んだ鎖を出現させる。それを絡ませ……だが、起き上がったサウルスDはその鎖を簡単に引きちぎった。ついでに数珠と鋼糸の拘束も振り払う。
起き上がったサウルスDの機先を制するように銃弾が飛ぶ。
バルドゥルの横につけたのは常木だった。
「援護する。アイリスの救出、頼むよ」
「ふむ」
常木は銃声に怯んでいるサウルスDの短い手首に糸を投げつけた。巻き付けて引っ張り注意を引きつける。
その間に、バルドゥルがサウルスDの足下にいるアイリスの元に潜行した。
動きを察知したのだろう。サウルスDが暴れ出した。糸は切れ、旋回させた尻尾が、動けなくなっているアイリスを襲った。
尻尾の先にかかった力は、遠心力も重なりすさまじいものになっている。
「きゃあァッ」
ごろごろと転がるアイリス。
「よいしょっ」
不破によって、サウルスDの鼻先に発煙手榴弾が投げられた。
煙が片眼の視界を覆っている。
ぐぅ……
サウルスDはうめき声を漏らした。
「アイリス殿、大丈夫か? 今治す」
サウルスDの追撃が及ぶ一歩手前、バルドゥルはアイリスを掴まえた。
引きずって木陰まで避難する。
寝ている彼女の顔の前に手のひらを翳す。光がアイリスを包んだ。
「う……く……」
「大丈夫だ。痛むのは治りつつある証拠だ」
「はい……」
次の獲物を探すは虫類の瞳に銃弾が突き刺さる。
ごう、という悲痛の声が響き渡った。銃創は早くも腐り始めている。
その痛みは、いくら悪魔の手先といえども耐えがたいものだろう。
サウルスDは身もだえていた。
「Yeah,Jackpot」
常木の木陰から覗かせた銃口が、残留アウルの煙を引いている。それはまるで硝煙のようだ。
距離を取りながら、不破も拳銃を持ち直し引き金を引いた。
狙いの片眼からわずかに外れて頬をかすめた。
「……惜しいなあ」
「だが、確実に追い込んでいる。だろ?」
常木の言葉に、不破は頷く。
片眼を失ったサウルスDは、頭に血が上っているようだった。
よだれを吐き散らして地団駄を踏んでいる。
「――うひゃーッ」
懐に入る機会をうかがい尻尾側に回り込んでいた獅堂は、突然の尻尾攻撃に合わせてカウンターを狙っていたがうまくいかず、距離を取ることを選択した。
一刺しで土手っ腹に大きな穴が開いてしまうんじゃないか、という鋭利な牙を避けながら、とにかくサウルスDから離れようと走った。
それから振り返って、
「これでも喰らえッ」
霊符を引っ掴み左手を添える。
氷のつぶてがサウルスDを襲った。
サウルスDの様子がおかしいと気付いたのは、感覚を研ぎ澄ませていたバルドゥルだけではないだろう。目の色が変わったのだ。
次の瞬間、サウルスDは川底を蹴り上げて、爆発ともに跳躍した。
「くっ、こいつ」
ミズカが張り付いて繰り出していた素早い太刀筋を、その硬い皮膚で撥ねのけた。サウルスDは走り出していた。
――水しぶきが高く舞い上がる。
――離れていた獅童まで水がかかってくる。
「おい、まずいぜ、あいつ川を出ちまった」
「恐竜も寒さには弱いんだったかしら? 凍てつかせてあげるわ。Eissand」
氷の砂塵を呼び寄せたフローラの攻撃によって、一瞬サウルスDは怯んだが、それでも突進をやめない。
「自分が行く」
キイは風のように走りながら、フローラの脇を通り抜けて走り出した。
「足にも注意して」
フローラの忠告が響く。
タウントを発揮して、キイはサウルスDの足下を駆け抜けた。
サウルスDはキイを目で追って、振り返ろうと動きを止める。
「両目を潰せば」
常木はヘッドショットを狙った。残った片方の目だ。
「ちっ」
外した。
瞬間、空から降ってきたのはミズカの白い残像だった。
螺旋のように飛び、側面から先ほど傷を負わせた足を狙う。
「外しは……しませんッ」
その足をなぎ払う。
サウルスDは、叫声をあげて膝を折った。
と、同時ミズカは翼を消失させ地面に不時着する。
バルディルは漆黒の大鎌を携えて走ると、勢いのままその足を刈る。
「この手応え。やはり霊符よりもこちらのほうが」
ぐらついたその巨体を押し倒した最後の駄目押しは、不破の放った強烈な弾丸だった。
「ふう、当たったかな」
「これ以上は進まないで貰おうっ」
キイは倒れたサウルスDに駆け寄り、双剣でその目をえぐった。
「咆吼が来るっ」
「させないわ」
常木の声に反応して、フローラの霊符が光を放った。
巨大な氷の槍が巨体に突き刺さる。
いくら大型といえども、もはや立ち上がることすら出来ないだろう。
だが……
カタカタ。
まだ咆吼は潰せていないかった。
耳まで裂けた口が、パカッと開く。
全員、その様子を驚き見つめていた。
タッタッ
小柄な人影が走る。
「さっきは良くもやってくれましたね」
その声はアイリスだった。
あご下に潜り込み躍動する。
その身を中に投げて、まるで泳ぐようにくるりとターンすると、
――Regina a moartea
剣の柄から迸った質量を持ったような影が刀身を包み形を持つ。
直後、サウルスDの下顎が砕かれていた。
地面に降り立ったアイリスの手には、死神も戦慄するような鎌が握られていたのだ。その刃で顎を落としたのだ。
しかし、サウルスDの目は、血を流しながらもまだ生きている。
「トドメは俺に任せな」
サウルスDの背に上った獅童は、数珠をその首に巻き付け、それを頼りに頭まで駆け上り、地上7メートルの場所から飛び降りた。
目の前で霊符を叩き付ける。
刀印を構えて九字に切る。
「これが俺の本気だぜ」
獅童の背後にはその符に呼び寄せられた数本もの巨大な剣、戦神の剣が踊っていた。それが目標を見つけるようにサウルスDの前で止まると一気に貫き、切り刻んだ。
それは、まさに恐竜殺し――。
そうあだ名されても名前負けのしない一撃だった。
サウルスDは、その胴体を横たえて動かなくなったのだった。
●
「拍子抜けだねえ……」
恐竜の残骸を足蹴にしながら常木は呟いた。くつくつ笑っているのは、やはり余裕の表れなのだろう。
もしかしたら、仮に失敗していてもこんな風に笑っていたのかもしれない。
不破は恐竜を見下ろしながらも、その眠たげな目はすでに学園に向いている。
そんな目をインスタントカメラのレンズ越しにサウルスDの残骸に合わせた。
「なににせよ、ここで食い止められて良かった」
「はい。でも、これ……」
アイリスは、ちょんちょんと死体をつつきながら物思わしげに口をすぼめた。
「これ、博物館とかに持ってったら喜ばれるんですかね? 恐竜ですし」
「でも、俺のとどめで微塵切りになっちまったからな」
獅堂は後ろ首を掻きながら苦笑を浮かべている。
「そうね、久遠学園の研究機関ならいざ知らず、普通の博物館じゃ門前払いじゃないかしら。だってこれディアボロだもの」
フローラはその細い指で鱗を引きはがして、太陽に翳していた。
「それにしても……作り主はチキュウの生命体に余程興味がある者であろうか……?」
バルドゥルは太古、約9800万年前という悠久の時を越えて現れた生き物とやらに首を傾げて呟いていた。
「同じ悪魔といえども考えることはわかりませんね。こんなものを作るなんて。もっと小さければかわいいのでしょうけど」
ミズカは恐竜のぬいぐるみを想像したのだろう、耳をピコピコ動かしている。
「骨とか持ち帰って標本にしたり……うーん、また動き出したら怖いし駄目かー」
キイはなんとかして持ち帰れないか思案しているようだが、一人の力では持ち上げられそうもなさそうだ。
ミンミンミン……
蝉の鳴き声が聞こえる。
八人がいなくなった後にはその巨体だけが残されていた。
もはや、動かなくなったその太古の生き物は、
ぐるう
ともの悲しく鳴いてから、わずかに残っていた命の灯火をフッと消したのだった。