●撃退士の到着
「まだ、応援は来ないのか、本当に要請しているんだろうな」
「話しは通っているはずです」
鼻の穴を広げながら怒声を放つ刑事一課特殊班班長は、時間を追うごとにその声を大きくしていった。
無理もない。時計を見れば時針が10を指そうとしていたのだ。
会議室にいる上部は、人的被害が無いからと高をくくっているんじゃないだろうか。
班長には、そんな不安があった。
「お待たせいたしました」
不意に、軽やかな声が彼ら特殊班のいる駅から少し離れたビルの一室に響いた。
まるでこの緊張な状況がわかっていないかのような声に、班長はむっとして振り返ったが、その姿に驚いて口を噤む。
「久遠ヶ原学園撃退士の討伐班ですわ」
「女の子、‥‥子供?」
「子供‥‥ですって」
シェリア・ロウ・ド・ロンド(
jb3671)は、その言葉に綺麗な銀髪を膨らませたが、依頼を思い出したのだろう、すぐに取り繕った。
それでも若干心にわだかまるものが取り除けないのか、歯噛みをしている。
彼女が差し出したのは、久遠ヶ原学園の生徒手帳。
班長は、それを見て居住まいを正した。
「たしかに。私は、今案件を任せられている――」
「いえ、こんな状況ですし、細かな挨拶は省きましょう。して、現状は?」
「そちらにも話しはいっていると思うが、駅前に巨大な狼の化け物がうろついている」
「ええ聞いていますわ。それだけですか? リュコステオス、その狼以外の天魔は?」
「いや、上空からも見ているが、見当たらないそうだ」
「そうですか」
煙の匂いがする、とドアの方を見てみると、もう一人、男がいた。
ロベル・ラシュルー(
ja4646)。斜に構えて壁により掛かっている。
今はタバコを吸っていないが、極度のヘビースモーカーであることはうかがい知れた。
班長が目を向けても、彼はその不遜な態度を改めようとはしなかった。
「そいつは今、どの辺にいるんだ? ヘリなら正確な位置もわかってるんだろ?」
「駅の構内を徘徊して、今は南口方面に」
「なあ聞くが、本当に被害は出てないんだな?」
「少なくとも、化け物が人を襲ったという報告はない」
「今のところ、被害無し‥‥か? だとすりゃ何しに出てきたんだろうね、この敵サンは」
戦闘の前はタバコを吸うなと言われているのかロベルはタバコを取り出そうとして、あえなくそれをしまい、舌打ちを窓の向こうの狼に吐きかけていた。
●戦闘開始
大きな狼の足音がこだまするビル陰には、八人の撃退士が隠れていた。
シェリアは顔を苦くしている。
「報告にあったとはいえ、実際にまみえてみるとさすがに大きいですわね‥‥」
「あれはさすがに可愛く‥‥ないの」
さきほどリュコステオスを遠くから確認した、若菜白兎(
ja2109)は、ふわもこなワンちゃんでも想像していたのだろうか、はぅぅ‥‥と悄気ていたが、「でも、これで心置きなく退治‥‥できるの」と決意を新たにした。
「ふん、一般人がいなくて何よりだ‥‥」
冷静に状況を俯瞰しながら、鼻を鳴らしたのはラグナ・グラウシード(
ja3538)。
それに同調したのは、十三月風架(
jb4108)という、自他共に自由気ままな猫のような性格の青年で、そんなことを話題にすると見計らったかのように、犬とは相性が悪いんですという本当かどうかもわからない理由を付けて、隠密行動に出掛けた。
「真っ向から攻めずに援護して見せます。まあ、陰でこそこそってのはいまいち阿修羅っぽくないかもだけど‥‥」
「周りに一般人がいないってなら気にせず戦えそうだしいいな」
自らの赤い髪に触れる延長線で、大切そうにヘッドホンに触わり、七瀬歩(
jb4596)はよしと気合いを入れる。
「あのサーバント、まるで俺達を待ってるみたいだけど、もしかして天使の指示。つまり、このサーバントは俺達の試金石って所か‥‥だったら、侮られないようにしないとな」
戦術眼と、勘の鋭い森次飛真(
jb5496)は、また妙なことに巻き込まれたと独りごちるも、一度決めたことは真摯に向き合うその性格ゆえ、少しため息を吐きながらも身を引き締めていた。
「行くか、ストレイシオン」
まるで自分に言い聞かせるように、姫咲翼(
jb2064)は手の甲を撫でる。
地響きを鳴らしながらやってきた。坂道を上がった先にあるビル群を抜けてきたのは、全長10メートル弱、低めのビルと比べても大差ないような化け物だった。サーバント、リュコステオス。一つ目の大狼だ。
全員は眇めた目線を交わし、誰からとも無く光を身に纏う。
飛び出したのはラグナだ。
「我が名はディバンナイト、ラグナ・ラクス・エル・グラウシード! 誇り高きディバンナイトの名に賭けて、私は貴様を滅ぼそうッ!」
彼の中心から滲み出るような執念が、具現化し輝いて見えた。
「天使の道具よ、私を見ろッ!」
それは、強烈な誘蛾灯でもあり、リュコステオスは彼から目を背けられない。
地獄の大釜の蓋を開けたら、腐臭を帯びた風はこのように鳴くのだろう。
狼の大口から放たれた咆哮は、脇にそびえるビルのガラスをたたき割るように粉砕した。
ガラス片が降り注ぐ。
爪を地に立て剥ぎ、突進するリュコステオスは、そのままラグナに激突した。
だが、強靱な牙はラグナの肌まで届かない。
磨き上げられた真鍮のような照り返しが強硬な城壁となり、リュコステオスの猛攻を食い止めていたのだ。
「はっ! 届かんぞ、貴様の牙!」
狼の巨大な目は、ラグナに釘付け。作戦通り。
リュコステオスの攻撃目標を一人に定めることによって、各人が攻撃に集中できるようにしたのだ。次々に攻撃がヒットする。
だが、リュコステオスはその攻撃の手を意にも介さず、ラグナだけを目に据え、仇敵かのように追いかけている。
「ふんっ、その程度か。ならば、私の執念でも喰らうが良い!」
執念が形となり、剣の影になり、そしてラグナはその『リア充獄殺剣』を下から上へ斬り上げる。顎を穿たれて、ひっくり返った、その狼の腹に飛び乗ったラグナは、
「‥‥どんな動物でも、はらわたを破られては生きてはおれんだろうさ!」
と剣先を突き立て、狼の腹を食い破る。飛び降り、振り返った彼が目にしたのは、切り裂かれたリュコステオスの腹がまるで衣服を繕うように、細胞同士がくっつき合い修復されていく様子だった。
リュコステオスは、すぐに立ち上がって、一つ目をラグナに向ける。
「なんという‥‥。お前の相手は、この私だ!」
囮役に徹するラグナは叫んだ。
馬鹿にされたとでも思ったのだろうか。リュコステオスは、鼻頭にシワを寄せて睨みつける。
「グラウシード先輩ありがとう‥‥です!」
小さく呟き、ラグナを抜き去った少女は、自分の身の丈よりも巨大な鎌を構えている。それが首を刈るものなら、落ちた首で赤に濡れた大地に10以上の頭蓋が落ちているはずだ。
その大鎌の主、白兎は、リュコステオスの脇に跳躍して接近し、回転するように四肢の一つを切り裂く。
だが、その鋼のような筋肉には、薄皮を裂く程度の効果しかなかった。
「まだ……」
まるで蟻でも踏みつぶすように振り落とされた狼の足をひらりとかわしながら、鎌の刃を上に向けて残した。それは肉球を切り裂く。
だが、浅かったらしい。リュコステオスは健在そうに、白い息を吐いている。
「そんな‥‥」
「若菜ちゃん、避けて!」
歩の声がした。その声に引きずられるように、姿勢を低くし転がった白兎のすぐ目の前に、高濃度のエネルギー弾が空気を割りながら通過した。
雷鳴のような轟きは、リュコステオスの胴体に見事命中した。
「よっしゃ、命中だぜ!」
歩はざまあみろと、アサルトライフルWBの銃砲を天に掲げている。
「そんなことをしている暇は無いよな」
ビル陰に隠れながらオートマチックを構えているロベルの言うとおり、リュコステオスは一つ目を充血させ、口からは獰猛な息づかいと共に大量の涎があふれていた。
ロベルの握るオートマチックの銃口はアウルの光で、赤く火花を散らせているというのに、リュコステオスはまだピンピンしている。勝ち誇るには早すぎた。
自分の力を誇示するような遠吠えが響いた。
まるで野生だ。強さの塊が、狼の形を取っているようだった。
「忠犬ぶりは立派だけど、それに知性が伴ってなければね‥‥!」
遠距離攻撃の特性を最大に熟知し、アウトレンジ戦術、リュコステオスの間合いの外からウィングクロスボウを撃ち続ける飛真は、そう呟く。
しかし、全員が最大攻撃を続けているというのに、かの狼、リュコステオスの生命力は底なしだった。
「契約の印を以って抑止の輪より来たれ――set! ストレイシオン!」
その瞬間、リュコステオスの目がグルグルと回った。眼球が三つに割れる。
「いかん、若菜殿!」
それまでラグナに注目していたはずの狼は、その制限が外れたのか突如として、その狂気を白兎に向けたのだ。
彼女は咄嗟に目を瞑ってしまった。
だが、思った以上の衝撃が無い。何かと思えば、飛真の召喚したストレイシオンの小さな体から放たれた光が、リュコステオスの攻撃を防いだのだった。
「間に合ったな」
翼が駆け寄ってきた。
「武装憑依!」
ストレイシオンは、翼のアウルと同化すると彼の持つ太刀に宿り、帯電しているような状態になる。振るうと、雷が斬撃に交じり飛んだ。
「ぐあああああああああああああああああああああああ」
その攻撃を浴びせられたリュコステオスは叫ぶやいなや、凄まじい速さで少し離れたビルまで駆け寄り、登り始めた。
「まずい」
誰が発した言葉かはわからなかったが、誰にも今の状況が最悪であることは察知していた。全員散開し、渾身の一撃を決めようとしているリュコステオスから逃れようとする。遠距離攻撃を得意とするメンバーは、隙をついて足や腕、腹を重点的に攻撃するも撃墜するには至らなかった。
巨狼は一鳴きすると、その爪を立て、ビルの屋上から跳んだ。
全員が物陰に隠れたが、ラグナは落ちてくる影を追いかけて、そして背中から小さな羽を伸ばし飛んだ。
擦れちがいざまにその爪を避け。
「ふっ‥‥地を這うだけの貴様に、空を舞う私が捕らえられるはずがないだろう」
着地の反動で居着いているリュコステオスの背中に、嫉妬嫉妬嫉妬という文字が浮かんで見えるような一撃を加えたのだった。
一瞬沈黙した狼だったが、すぐに目玉をぎょろぎょろと動かす。
それを見計らって、黒い影を纏わせたアサルトライフルを三点バーストからフルバーストに上げて、肩にストックを固定させた歩は撃ちまくる。
「集中攻撃だ! はあはあはぁ‥‥‥‥って、嘘‥‥だよね」
あれだけの攻撃を受けても、まだ狼の一つ目は生気を失わず動いていた。
ぎょろぎょろ。ぎょろぎょろ辺りを見回して、傷をやおら回復させていく。
「くっ‥‥なんという生命力。どなたか、一時的でもいいので彼奴の行動を封じてくださいまし。毒霧で状態異常を狙います」
「自分の出番ですねっ」
リュコステオスの死角から駆け寄ってきたのは、それまで一撃を狙っていた風架だった。
「薙ぎ払いっ」
その一撃を受けた狼は全身を震えさせ、動けなくなってしまう。
「皆さんわたくしから離れて! さあ、毒霧の中で苦しみもがくと良いですわ‥‥!」
シェリアの伸ばした手を囲むように紫色の風が吹き乱れた。
その風を浴びたリュコステオスは、首を揺すりながら粘性を強めた涎を吐き散らしている。
動けなくなっているその狼を見た撃退士達は勝機を悟り、一気呵成に攻め立てた。
だが次の瞬間、巨体をむくりと起き上がらせる。
「スタン効果がもたない。もう一度」
背後に回り込んでいた風架は、もう一度薙ぎ払いを構えて突っ込む。
それを予見していたのだろうか。リュコステオスは風架の攻撃を避け、彼から離れるようにそそり立つビルの壁伝いに走る。
いや、ただその狼は我が身を苦しめる、紫色の風に喘いでいただけだった。
その複眼のように三つに割れた一つ目が捉えていたのは、後衛で洋弓を構えていたシェリアだ。
それに気づいた歩は、偏差射撃をして牽制する。
リュコステオスは方向転換をして、そのビルを上にのぼっていった。
「何度も何度も‥‥まるで、性懲りもなく合コンを繰り返すリア充どものようだっ‥‥」
上り詰める狼を狙って、最後の応酬だとばかりに、相次いで銃声が聞こえる。
散開した撃退士達に、狙いが定まらなかったのか、もはや体力も尽きてきたのか、ただ地面にその体重を押しつけるのみだった。
リュコステオスが着地した瞬間の隙を狙っていた白兎は、光のリングを掲げた。放たれた光の弾が魔法陣を描き出す。幾何学模様は回転し、やがて巨大な弾を出現させる。彗星の如く。尾を引きながら、リュコステオスに炸裂する。その威力は、立ち上った炎すら飲み込み消滅させるほどだ。
その光景を目の当たりにし、ダメ押しを与えるように、飛真は全ての力を込めるようにウィングクロスボウの引き金を引く。
「ここだっ」
それは、白兎の作り出した巨大魔法の間を縫って、リュコステオスに命中した。
悲鳴がいっそう激しくなる。
それはもはや、断末魔だった。
その狼はきっと、シェリアのポイズンミストで倒れたかもしれない。
だが、光を収縮していく剣を握り、ぶつぶつと呟くラグナが空を飛んでいた。
「燃え尽きろッ! リア充ッ!!」
そのとんでもないオーバーキル(八つ当たり)によって、リュコステオスは塵と化したのだった。
●戦いの終わった町に
狼の蹂躙に遭い荒れ果ててしまった駅前に八人は、呆然と立ちすくんでいた。
ロベルは、おあずけになっていたタバコにようやく手が出る。
紫煙を吐きながら思った。
「俺達のみが標的だったのかね。よくわからん敵だったね」
その近くで、壊れたビルを見上げながら、シェリアは険しい表情を浮かべていた。
「なんとか倒せましたが‥‥」
ふと、彼女は目線を上にあげた。
「‥‥今し方まで、誰かに見られていたような‥‥」
●朱い視線の行方
「いかがでしたか、セラツィ様」
ダミアヌスは、主人であるセラツィの背中を見ながら、そう問いかけた。
答えは返ってこない。ただ紅茶をすする音だけが、日傘の下で響いている。
「紅茶を飲みきってしまったわ、ダミアヌス」
ダミアヌスは、見返ったセラツィの瞳が、真っ赤に燃え上がっているのに気づき、恐怖した。
狂気。
あるいは、
興味。
「くくく、まさか、私に気づく子がいるなんてね。面白いわ、人間、人間、人間」
セラツィは繰り返す。
何度も何度も、繰り返す。
まるで、オモチャにはしゃぐ子供のように。