●黒鴉接近遭遇
住宅街から少し外れたなだらかな坂の上に、件の学生アパートが建っていた。
――不愉快な叫び声を上げる怪鳥ですか。
ヒース(
jb7661)は、アパートの上空を飛び回るバンシィの群れを見上げて内心呟いた。
仮面のおかげで、せいで、彼の表情には一片の曇りも見えない。ただ無機質なままだ。
――死を告げる精霊、バンシィを連想させるのは分かりますがどちらにせよ不愉快ですね。
「……」
背中に闇の翼を発現したヒースは、羽ばたかせてその群れの中心を目指して飛んだ。
異物を感知したのだろうバンシィ達は、中心に現れたヒースを警戒して飛び回っていた。
「……」
まるでサーカスの座長が口上前にするように、ヒースは首を傾いだ後、ゆっくりと頭を下げる。
スポットライトはきっと、全て彼に向けられているだろう。
その挑発的な行動が彼らの興味を引いたのか、怒りを買ったのか、バンシィの群れは急に降下し攻撃を始める。
ヒースは旋回して飛びながら、ある程度の攻撃をその身一つで回避していく。
(そろそろ、集合場所に連れて行くべきでしょうね)
その時、強靱な黒鴉の翼がヒースの背中を打ち、爪が左方からヒースの体を引き裂いた。
体勢を立て直したヒースは、学生アパートから離れて、路地方向に飛んでいく。
バンシィ達は黒い翼をバタバタと羽ばたかせヒースに追随していった。
ヒースが上空で囮作戦を決行している頃、地上では護衛班がアパートに到着していた。
護衛班と共にアパートに入った楯清十郎(
ja2990)は、セレスティアと共に阻霊符をアパートに展開させた後、上空を観察していた。
バンシィの目は全てヒースに集められていた。おかげで地上の仲間や、アパートの住人は今のところ無事だ。
だが、このままではヒースさんが危ない……。
清十郎は三階の欄干に手をかけた。
「ここは頼みます」
外へと飛び降りた。
ジルヴァラを飛龍翔扇に持ち替えた清十郎は、ヒースの援護に向かって、下から扇を投擲した。
ブーメランのような軌道で飛んでいった扇は、数体をヒースの目から離すことに成功する。
そして、立ち止まった一匹へ、味方の遠距離攻撃が炸裂する。バンシィ一体は地に落ちていった。
清十郎はすかさずタウントを発動。
地に落とされバンシィを含め、三体のバンシィが迷わず清十郎に向かってきた。
清十郎は一回目の滑空による攻撃に耐えた後、シールドを張り何とか他二体の攻撃に耐える。
「このままではまずいですね」
清十郎は、再度ジルヴァラに持ち変えると、活性化させすぐフェンシングを放つ。
向かってきたバンシィ一体を周囲に張り巡らされたワイヤーに引っかけ、身動きを封じた。
どうやら清十郎に興味を失ったらしく、離れていったペアらしき二体は他に任せることにして、捕まえた一体だ。
――動きを抑えます。攻撃はお任せしますね。
通信機でそう報告しようとしたが、迎撃班の作戦に支障をきたすこともないと思い直し、
「こちらで処理します」
と、破暁スキルを使った。
「夜中に騒ぐのは近所迷惑です」
ワイヤーが剣化し、
「突き抜けろ! ブレイク・ドーン!!」
集中させたアウルが太陽のような光になると、その光の中に奇妙な断末魔の叫び声が消えていく。
バンシィの消滅を確認した清十郎は、血晶再生を使用する。光纏が赤い結晶になり、それを口に含んだのだった。
アパートの外で攻防が開始された音を聞いていたセレスティア・メイビス(
jb5028)は、三階一番奥の部屋の前にいた。最後の部屋だ。
セレスティアは部屋の扉を開いて、中を確認する。今まで見てきたものと大差のないワンルーム。だが、目に付くのはカワイイ小物や、来客用のスリッパ、廊下兼キッチンに敷かれたフットマット。
どうやら、女の子の部屋のようだ。
その部屋の持ち主は、布団にくるまれて隅で震えていた。
「あ、あの、こんにちは。私は、撃退士のセレスティア・メイビスです」
「……撃退士?」
「はい。撃退庁への通報によって、みなさんを守るために派遣されました。今、外で仲間が戦っているので安心して下さい。安全を確保するため、一階に移動してもらいたいんですがよろしいですか?」
「……はい」
セレスティアは、さっそく扉を開けて外へ誘導する。
一階の真ん中の部屋の扉が開け放たれていて、その部屋の番人になっていたのはフィルア・ブランシュ(
jb6235)。無表情に磨きを掛けながら、双銃を握りしめ、立っている。
「セレスティア、ご苦労様」
「フィルアさんもご苦労様です。全員、無事ですか?」
「囮役がうまく機能してくれているのかしら。こっちには一体も来なさそうね」
セレスティアはほっとしたような顔を見せる。
「油断するのはまだ早いわよ。セレスティア、あなたは中で護衛対象の話し相手になってくれるかしら。いざって時にイレギュラーな行動を取られても困るから。窓には近づかないように、部屋からは一歩も出ないようにって言い聞かせて」
「わかりました」
セレスティアは頷いて、中に入っていく。
部屋の中には数人の若者が集まっていた。
「皆さん、窓から離れて、なるべく部屋の真ん中で固まって下さい。部屋から出ないように」
若者を部屋の中央に集めたセレスティアは、窓に近づき、窓枠にワイヤーをセットした。トラップだ。もし、窓から侵入してくるバンシィがいたら、糸を引いてダメージを与えるための。
もしものために、シールドも考えていた。その時は、ワイヤーを束ねて網のようにして受ければ、勢いを殺せるかもしれない。
「さぁ、皆さん、お話をしましょう」
ぽかんと呆けるような空気。
「みなさんはヨーグルトが好きですか? あれはいいものです。みなさんはヨーグルト、好きですか?」
セレスティアは、こほん、と咳払いをして話を続ける。
「みなさんは、どんな夢を持ってますか?」
その話題に、若者達は少なからず目を輝かせていた。
部屋の外では、フィルアが双銃を構えて、空中を旋回しているバンシィに狙いをつけていた。
ペアであるもう一体がいないというのは、はぐれてしまったか、もしくはすでにやられてしまったのだろう。
目を薄く閉じて開き、空を滑空する黒い影を目に止めて、ラピダメンテの引き金を引く。
一発命中。
耳に付くような奇声を上げて、しかしすぐに体勢を整えたバンシィは先ほどにも増して速度を速める。
欄干に飛び乗ったフィルアは、壁走りを使って二階へと跳び上がり、跳び上がりながらラピダメンテの火を噴かす。
今度は翼に二発命中し、バンシィはたまらずといった様子で一度離れていった。
上空で旋回を再開する。その間にも三階に上がったフィルア。
「近寄せなければ、どうってこともないわ」
双銃を構えて引き金を撃つ。
走り回り、射撃位置を変えながら。
それを、数回繰り返すと、バンシィもパターンが理解できたらしく、着々と近づいてくる。
フィルアはその兆候を察し、デュアルソードへと替える。
四階の上、屋根の上へと上がり、追いかけてきたバンシィに兜割りを喰らわせて地面にたたき落とすと、すぐさま双銃に持ち替えて、落ちたバンシィを追いかけるように跳ぶ。
真下のバンシィに連射。一階に戻ると、朦朧としているバンシィの頭にめがけて、アウルの弾丸を撃ち込んだ。
鼓膜が破けそうにもなる悲鳴。
それを最後に、そのバンシィは動かなくなった。
●バンシィ包囲戦
ヒースが引き連れてきたのは、四体のバンシィ。
(……そろそろですか)
路地裏でそれ以上進むのをやめたヒースは、無言のままラディウスサイスという名の大鎌を振り上げる。一体に狙いを定めると、振り下ろした。
バンシィは深傷を負いながらも、逃げ出してしまった。
『死を告げる者あらばその首を狩る
それが道化である私の役割
生を望む者の命を狙うモノは、全て狩りつくしましょう』
ヒースが空中になぞった文字は、宣戦布告だった。
しかし、背後にもう一体が現れたのだ。
ヒースの背後に現れたバンシィを狙い撃ったのは、ケイ・リヒャルト(
ja0004)だった。囮役との事前作戦によって、指定していた場所が見下ろせる屋上で待ち受けていたのだ。身に纏うのは黒の装束。ナイトビジョンを装備している。
落ちていく鴉を見下ろして、
「……煩いわね」
一言妖艶に呟くと、見上げて飛散していく二体の翼にクロスボウを構えて放つ。当たった感触はあったが、今は墜ちた敵へのトドメが肝心だと、孤月という美しい刀を抜き身で手持ち、落下したであろう場所に歩く。
路地裏を少し歩くと、空き地がある。そこからバンシィ特有の耳に付く攻撃色の鳴き声が聞こえるのだ。
「醜い声……それをそういう風に使うのは嫌いだわ。美しい声って言うのがどんなモノか教えてあげる」
翼を動かせないらしいバンシィは、近づくケイに足蹴をかました。
が、孤月のなめらかな曲線を盾に、感知で感覚を研ぎ澄ませていたケイはあっさりと回避する。
喉元まで近づくと、刀を持ち替えて、ヴィントクロスボウD80を携え。
そしてゼロ距離で放つ。アウルを集中させて、一気に爆発させた。
瞬間、悲鳴を上げたバンシィは、二メートルほど転がる。
ケイは近づき、足で頭を蹴って動いていないのを確認し、その場を後にする。
「それにしても……断末魔まで酷いのね。汚らわしい……」
再び、屋上に上ったケイは、ショットガンST5に変えて、明けかけた空にフルパワーでは放つのだった。
「さてさて、護衛班や住人から目ぇ逸らさないとな」
麻生 遊夜(
ja1838)は囮役との合流場所である路地裏から、護衛班に通信をしていた。
「そっちは大丈夫か? 問題なしか、了解」
どうやら順調に進んでいるようだ。通信を切ると見上げる。
「うろうろ飛ばれちゃやりにくくて仕方ない。夜明けの時間だ。お帰り願おうかっ」
赤黒い霧が襤褸切れのように遊夜に纏わり付き、次いで瞳が赤色に発光する。鈍角ぎりぎりに構えた銃の口から蒼い光が螺旋状に巻いて、放たれたのは白き銃弾。背に生えたのは、黒と赤の翼だった。
「麻夜、墜ちた奴らは頼むぜ」
地面から這い出た鎖に絡みとられながら、遊夜は真上の敵を撃ち落とした。
「ハハッ、お前も地を這いやがれ!」
鎖を解き放ち、遊夜は天騙る者で落とした敵の場所へと急いだ。
残されたのは、遊夜の背後で影のようにしていた来崎 麻夜(
jb0905)。
先輩が頼むと言ってくれた。嬉しそうに呟きながら、麻夜は目の前に落ちてきた黒い鴉を目にした。
その黒い羽の一片が、麻夜の肩に触れる。
「ボクに、触れるなッ!」
叫び、涙を流して嫌悪を表した麻夜。その涙からは、闇色の鎖が出現する。
鎖が縛り上げる直前、バンシィは、まだ空に未練があるのか飛び立とうとした。
「行かせないよ、堕としてあげる。地を這うと良いよ、ボクみたいに」
骨の翼を広げた麻夜は片手を伸ばし、こまねく。
「もう一度、墜ちてね?」
――Pressure of Absolute。それは絶対者の重圧。
空中から出でた黒い塊が腕の形を成し、その者を押さえつけるのだ。
飛べない鳥は胴を地に着けた。
「キミは、ここから、動けないの」
麻夜はにこりと、無邪気に、あどけなく笑った。
バンシィはもがくように、気味の悪い雄叫びを上げる。
麻夜は、かはっ、とおもしろそうに一つ嗤うと、大口を開けたままバンシーズクライを放つ。それはディアボロ・バンシィの声を凌駕するほどの騒音だった。
そして、クスクスと笑う麻夜。
「名前負けだねぇ……ボクの勝ち、だよ。ボクの方が相応しいよね?」
麻夜の笑顔に、バンシィは降参したのか、動かなくなった。
「いいね、コレでボクと一緒だ」
麻夜はクスクスと笑い続けていた。
「ボクに触れて良いのは先輩だけなの。おしおき、だよ」
遊夜は、路地裏の先に墜ちたバンシィがふらふらと飛び上がっているのを見つけた。
なかなか根性あるぜ、と鎖を地面から這い出して、自分を縛る。
「墜ちてこいよ、俺の所に」
引き金を引く。
「目障りだ、地に墜ちろ!」
翼を打ち抜かれたバンシィはそのまま地面に落下する。
「よぅ、俺の間合いにようこそ」
にやりと口角を上げた遊夜。
銃を体に密着させて、バンシィの爪を回避しながら懐に飛び込む。翼の軌道までは読みきれなかった。はたき飛ばされて、地面へと転がったが、起き上がるとすぐにその翼の動線の隙を突いて、体を滑り込ませた。水平に構えた銃での接射、ゼロ距離銃撃。反動を利用して、もう一発。
たまりかねたのだろう、逃げ出そうとしたバンシィに、
「逃がさん、ここで終わると良い」
遊夜は抉り込むように眉間を撃ち抜く。
バンシィは不気味な悲鳴でその場に倒れた。
『バンシィ討伐数7』
屋根の上で、敵をアパートに近寄らせないようにしたり、味方の援護と状況把握に専念していた夏木 夕乃(
ja9092)は、その報告を聞きながら、目を凝らした。
すぐに最後の一匹を捕捉し、にやりと笑うと、
「恐れ知らずの魔女が手ずから躾て差し上げよーじゃありませんか」
彼女の足下に現れたのは、十二芒星の幾何学模様。その中心に浮かんだ半眼。それが魔女の弟子である夕乃の光纏だった。
「援護は必要?」
同じく屋根の待機していたケイが、近くで言う。
「見てて下さい」
少し過剰な自信に満ちた夕乃は、魔法書を開き、巨大な火球を呼び出した。すうっっと腕を伸ばし、火球をはじき飛ばすように送り出す。
範囲が広すぎて避けられないのか、バンシィに直撃だった。
逃げ出すバンシィ。
「さすがに鳥は早いですね。でも雷はもっと早いんですよ?」
魔法書をパンと閉じて、立てた指をタクトのように振るう。
バンシィを追いかけて、雷が命中した。
墜ちたバンシィを地上にいる迎撃班が発見したのだろう。
『バンシィ討伐8、任務完了』
という連絡が入った。
それから、夕乃はアパートに到着して、護衛班に合流する。
セレスティアはすっかりアパートの住人と仲良くなったようで、朝食を食べに行こうという話し合いをしていた。
「夕乃さん! 夕乃さんに言われたとおり、持ち物チェックとかしてみたんですが」
「なにも出てこなかった、ですか?」
「はい」
夕乃も屋根の上から不審者を捜したりしてみたが、やはり見かけなかった。
そこにやってきたのは、清十郎だ。
「単におなかが減っていただけではないでしょうか?」
「なるほどです。逃げ遅れた住人におびき寄せられたということですか」
「そうではないかと」
つまり、ただのはぐれディアボロに過ぎなかったということだ。
そのとき、遊夜と麻夜は連れ立って姿を現した。
「とにかく、死人が出なくて良かったわ。――そうね、黒い鴉に奪われた命を忍んで」
ケイの鎮魂歌が響く。バンシィの鳴き声を洗い流すように届いた歌声に、その場にいた全員は耳を澄ませたのだった。