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ゴールデンウィークという連休は夏休みとは違って公的な休みが続く。ようやく開いた銀行に駆け込むたくさんの人。キャッシュディスペンサーは全機がフル稼働。窓口の前も行列が途絶えない。特に連休明けと言うのにも関わらず防犯訓練や補修作業による出入りの制限を行っている銀行もあり、この銀行に集中しているらしい。
「ありがとうございます」
用を終えて出て行く客に三扇七夏(
ja5075)は頭を下げて客を見送る。行員の制服に身を包んでいる七夏に違和感を覚える者はいないようだ。
「ちょっとあんた、ここの行員?」
急な呼びかけに驚きながらも、表情に現さないままで七夏が声の方向へ振り向く。と、妙齢の女性がいきり立っていた。
「あんたんとこの銀行って、なんであないな警備員雇っとるん。首にしなあかんやろ」
女性が指さした方向には立ったままの姿で壁にもたれ居眠りしている警備員がいた。赤毛に白く透き通る肌、それに長身と目立つ事この上ないが、それ以上にアルコールの臭気を周囲に振りまき、近くを通る客が皆、顔をしかめている。
「誠に申し訳ありません。ただ今、注意してきます」
七夏がまっすぐに警備員、になりすましているサー・アーノルド(
ja7315)の元へ向かい、いい加減にしないと警備会社に連絡するぞと注意をする。と、たちまちに姿勢を正す。が、七夏が離れるとまたこっくりこっくりと首を上下させる。構ってられないと言いたそうな顔をした後、七夏は店内に残っている客に一礼をする。
「誠に恐縮ですが、間もなく防犯訓練を行います。ご迷惑をお掛けしますが何卒よろしくお願いいたします」
新聞を広げていた女性が一瞬だけ顔を上げ七夏を見るも、興味なさそうに再び新聞に目を戻す。特に特徴もないレディススーツを着込み、一見には振り込みの処理を待っている女性社員にしか見えないこの人物の名は高谷氷月(
ja7917)と言う。
七夏は行内の奥、融資受付のカウンターの前で行員の話を黙々と聞いている女性に「ご迷惑をお掛けします」と改めて声を掛ける。黒地に抑えた柄が入った付下げは安い物には見えず、物腰も含めてどこの令嬢かと思わせる雰囲気が見て取れる。この令嬢の名は鬼無里鴉鳥(
ja7179)と言い、歳はまだ若いが名家の、まさにその当主なのである。融資の話も支店長が直々に現れて対応を行っている。つまり、そこに不自然さは無い。
今日この日。行内にこの組み合わせがこの銀行に現れたのには理由がある。
即ち、いま大阪の銀行や高額商品を取り扱う店舗を襲撃する撃退士らしい集団を誘き寄せ、捕えるために。
「新聞を読み耽っているポーズ」を作りながら氷月は心底からその撃退士集団に呆れ果てていた。まったく。いまこの瞬間でも住民を救うために天使との戦いに赴いている撃退士がいると言うのに……。
不意に視界の端で警備員・アーノルドがよろけて転ぶ姿が入ってきた。一瞬だけそちらを見て、氷月は新聞に目を戻す。融資カウンターにいる鴉鳥も僅かに視線を送るも興味もなさそうに融資の話に戻る。七夏が「こほん」と咳払いをする。
この一連の流れの全てがサインの確認、などと誰が気付くだろうか。転倒から立ち上がり、汚れなどないのに敢えて埃を払うような所作をしているアーノルド。慌てて取り繕うように「異常なし。このまま待機、了解」と少しろれつの回らないような口ぶりでハンズフリーフォンに応答している。だが。アーノルドが電話でやりとりしている相手は、怪しい人物たちの来訪を告げていた。
同時刻。銀行の裏手では現金の積み込みの作業をしている2人の姿があった。
「……」
「……」
5月の始めにしては妙に暑い日である。暑さを忘れるために会話のひとつも交したい所なのだが業務上、私語は厳禁だ。身を包んでいる制服もまた暑い。そしてこの作業も本日の2度目になるので寡黙にもなるというものだ。身長の高い男性の名は神埼葵(
ja8100)、比べると小柄ながら身に纏う雰囲気がそれを思わせない男性の名を古河直太郎(
ja3889)と言う。
現金輸送用袋を社内に押し込む。現金とはこれほど重いのかと感心した。当初は偽札の用意をお願いしたのだが、さすがにそれは難しいと言われ、「失敗しそうでっか?」と聞かれると否とも応とも即応できず、「ほな、ホンモノの現金でお願いしま」と押しきられてしまったのである。そんなこんなで更なるプレッシャーが掛かる依頼になってしまったが、それでも葵はこれより銀行の中で行われるであろう迎撃戦に想いを馳せると心が痛んだ。大人が、このような仕事に自分より年若い子を巻込むのかと思うと。分かってはいるが切ない気持ちにもなる。
「……うーむ」
不意に直太郎が作業を止める。辺りをきょろきょろと見回すと唐突に私語を解禁した。
「いやはや、神崎さん。これだけの現金があったら、何に使います?」
張り詰めていた緊張感が溶けきっていくような気さえした。
「古河さん。職務中だよ」
咎めるような視線を直太郎に送る葵。むしろ緊張は解けるどころか「どうやって緊張を見せないか」に今は全神経を集中させている。直太郎に向かい手で顔を覆うと、わざと溜息を吐いて見せる。
「ほらほら。遊んでないで、仕事に集中しよう、ね」
正体が撃退士である葵と直太郎。その仕事は依頼の遂行、ただひとつである。つまり、これは敵襲の確認。直太郎は既に臨戦態勢だ。まさかここで襲撃されるとまでは考えてはなかったが。
「さてさて。お仕置きが必要です……よっと」
直太郎の鞭を鳴らし構えを取る。男の振り下ろす刀を僅かにかわすと同時に一撃。そして追って急所への一撃。ぐっ、と短く声を上げ、男は崩れ落ちた。
「意外と、当るもんですねえ」
痛打で相手の意識を奪うのに成功した直太郎は溜め込んだ息を吐き出した。
一方。
「あぁ、えっ……と、ごめんなさい!」
自分を襲ってきた敵。ルインズブレイドか阿修羅かなんて分からないけどとにかく日本刀を持って襲って来た女、を薙刀で払った葵は、むしろ相手のダメージを案じていた。
「ちょ、ちょっとまって、何その力っ!」
日本刀で斬りかかっても平然としている、むしろ心配そうな顔を見せる葵を前に女は青ざめている。もしかしたら銀行の中にも入っているかも知れない、と攻撃を受けきりながら葵は考えていた。
ここで今一度、時計の針を戻す。通りを挟んで銀行を見張れる位置。暑さから、いや張り込みの緊張感からか。
「お、おっけぇ。こちら異常なし」
ハンズフリーフォンの会話を終えると溜め込んでいた息をぶふーと吐き出し、井深草太郎(
ja8031)は一度空を見上げる。暑い。だから汗が出るんだ。これは緊張のせいなんかじゃない。
すると横からにゅっと、ビニールの袋が草太郎の目の前に現れた。
「張り込みなんて緊張しますね。先輩。アンパン食べます?」
「う、うむ」
三崎悠(
ja1878)がにっこりと微笑んでいる。折角の厚意なので一個のアンパンをふたつに分けて食べる事にする。それにしても基本を忠実に押さえる人だなあ、と草太郎は感心した。
「やっぱり、張り込みの基本はアンパンですよね」
丁度考えていた事をずばっと言い当てられたような気がして草太郎はぶふーと息を吐く。それを同意と捉えたのか悠は笑顔を見せながらちょっとずつ、アンパンをかじっている。傍目で見るとその仕草が可愛い。
しかし、なごやかな時間は一瞬だけだった。
2人の間の空気に緊張が走る。視界に入ったもの、それは「全く印象に残らない人」だった。着ている物は全国展開の量販店の売れ筋を一式揃えました、と言わんばかりである。なのに耳をすっぽりと隠すような帽子はかぶっている。
……この暑さの中で。
「服装や頭を写真に撮られても、いいように、かな」
「僕、ちょっと確認してきます」
飛び出していく悠を目で追いながら草太郎は拳を握り、開く。
「よし、よし! 緊張はしてない。断じて。まずは、で、電話だな」
ハンドフリーフォンで電話を掛ける。すると、電話の先ではろれつの回らない返答が帰ってくる、が、「了解」の言葉にはしっかりとした力強さを感じた。
そして。撃退士同士による交戦は、この時点で開始されていたのだ。
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「お客様っ!」
七夏の制止を振り解き、2人の男女が中に踏み込んでくる。
「動くな」
非常に短い言葉を発したのは女。その手には抜き身の日本刀が握られている。傍らに立つ男は巻物を手に取り広げている。入口にも1名。こちらは全体を見回せる位置に立ち、特に警備員であるアーノルドに照準を合わせている。が、狙いを付ける目には嘲りの色が浮かんでいた。
「……」
油断は禁物だがアーノルドの醜態、の演技は無にならなかった模様だ。
「急いで金を詰めろ」
日本刀を行員の喉元に突き立てる。にわかにどよめく行内。防犯訓練をしている銀行を思い出しこれは訓練だろ、と言う客もいたが、これが訓練ではなく本物なのだと知り動揺の空気が走る。
だがその空気を破るように、凛とした声が店内に響く。
「待て。大人よりも、年端もいかぬ娘の方が御し易いだろう」
「ふん。あなた、随分と肝が据わっているわね。誰?」
女は日本刀を声の主であり鴉鳥へと向ける。
「誰だろうと関係なかろう。他人の恐怖の顔など、見てはおれぬのだ」
鴉鳥の両手は何も持っていない事を確認してから女は、刀を構えたままで距離を進める。そして刀を鴉鳥の顔の間近に置く。
「動いたら、刺すよ」
が、まさにその刹那。2人の間の空間が一瞬、揺らいだ。鴉鳥の左手には刀が収められた鞘が握られている。いつの間に、と思う間もなく斬天刃の名を持つ天も魔も切る剣術。その抜刀の技が女の腕を払う。
それを合図にするようにシャッターが閉じていく。
「な?」
その声を上げる間もなく、入口で逃走ルートの確保に専念していた、恐らくはインフィルトレイターの男に、七夏の手に現れたショートスピアが鋭く貫いた。
「貴様ーっ!」
ダアトなのだろう。巻物を持った男がアウルの力を解放させようとした。だが。それが終わる前に肩を射貫かれていた。
「何をしたいんかわからへんけど。成功なんてさせへんよ?」
その手の中で光る弓には既に二の矢が継がれている。
男ダアトは反撃をするか、人質を取るかで考えてしまった。時間にすれば数秒の事なのだが相手が撃退士である場合、数秒は決定的になる可能性もある。高い威力を持つV兵器を装備している事が逆に判断を迷わせたのかも知れない。その様子が見て鴉鳥が冷たく問いかける。
「随分と金に物を言わせた代物よな。それも悪事で得たものか?」
くっ、と苦虫を噛みつぶす顔を見せる女。
「人質を!」
シャッターは閉ざされ、残された手段はそれしかなかったのかも知れない。しかし後ろを向こうにも、氷月のストライクショットに撃たれる。
「全部、罠だったのか」
考えてみると選択肢がこの銀行以外無いように潰されていた。今時期に改修する銀行、防犯訓練を行う銀行は、時期も時期だけに何か胡散臭さがあった。一番普通なのはこの銀行以外無かった。
仲間に連絡を取ろうとするも、即時の応答は無かった。急いでうなだれる女撃退士らの武装を解除し捕縛する。そして閉じたシャッターの前で氷月は弓を構える。確認し七夏はシャッターを開いた。
撃退士同士の戦闘は局地戦の様相を呈し、銀行内と裏口では撃退士側が数的な有利を確保できた事、先手を取れた事も働き完勝を果たした。だが。同時並行してもう一箇所で戦闘が発生していた。
それは唐突に銀行前で起きた。契機はシャッターが閉じたことより始まる。悠と草太郎が見張る前で、1人の男が銃を抜くと銀行のガラス面に向けて構えを取るのが見えた。
「ぶふッッ!」
草太郎が飛び出す。ロッドを構えるとストライクショットを相手のボディに打ち込む。
「井深さんっ!」
悠の叫びが聞こえる。その場にいた相手は、1人ではなかったのだ。インフィルトレイターが他に2人。その照準は既に草太郎を捉えている。そして鳴り響くふたつ、いやみっつの発砲音。悠の目の前で草太郎は3人の男女に、撃たれた。
……はずだった。
「え?」
その場にいた誰もが思ったかも知れない。「ありえない」と。インフィルトレイターが撃った弾丸の、全てを草太郎はかわしてしまったのだ。ぺたんと座り込んだ女を悠が捕縛する。
「あんたたち……。化け物?」
そう思うのも無理はないかもと悠は思った。インフィルトレイター3人が同時に撃った弾を全部避けてしまう撃退士が、もし目の前にいたら。戦意を無くすよね、と思ってしまう。
当の草太郎はどうやって避けたのかさえよく分からないままで、とりあえずこの場合は一発殴ってもいいだろ、とストライクショットでぶん殴った。最後に残った男は、V兵器を捨てたまま両手を上げている。
「本当に撃たれてないのか?」
八辻鴉坤(
ja7362)が車から飛び出してきた。もし逃走されたために追跡用の車を手配してくれていたのだ。
「ぶはあ」
荒く息をする事で無事を伝える草太郎。
「あ、シャッターが開きましたね」
悠の目の前でがらがらと音を立ててシャッターが開く。
ほぼ同時に銀行裏手の入口が僅かに開き、葵と直太郎が警戒しながら突入してきた。が、戦闘は既に終わり、怪我をした者がいない事を知って、葵は「良かった」と安堵の息を大きく吐く。
「まあ、やる時はやるって事やね」
銀行の中から氷月が現れる。「みんな無傷、完勝や」と面倒くさそうな顔をわざとして無事を報告してくれた。
相手の撃退士は大丈夫なの、と逆の心配が出る。
「殺してはおらぬ。この様な屑共、殺した所で何になる。我が剣が易くなるだけだ」
訥々と鴉鳥が語る。
「捕縛が我等の任であろう?」
一般人を守るために使う力で一般人を苦しめた。その報いはしっかりと受けて貰うしかない。そう思いながらも七夏は重傷者さえ出なかった皆の活躍に快哉を覚えた。
「貴方達の行いは我が騎士としての矜持に反するもの。貴方達の祈りは正しくない」
誰に聞かせるつもりもなくアーノルドは己の矜持を呟く。
「人は誰しも道を誤る。だが正しき道に戻る事も可能なのだ。……その力の使い道、もう一度考えてみないか?」
そして自分の矜持に順い、今度ははっきりと聞こえる声で今まさに刃を向けあった者に過ちを諭し、学園への帰参を促した。
世間がそれを許すかはわからない。それ以上に天魔との戦いから逃げた者に矜持が伝わるのかは分からない……。
戦闘を終えて数日後。
「連中のアジトが摘発された」
作戦に参加した撃退士に報告が届いた。あの後連行された撃退士が、進んで話したらしい。あの中の誰が言ったかまでは伝えられなかった。その胸中も分からない。が、もしかしたら我らを見て何か思う所があったのだろうかと。僅かに、思った。