月が高く、そして冷たく輝く。高台の広場からは街の灯がよく見えた。見晴らしは良いが本当に隠れスポットなのだろう。やや広めのその地には誰もいなかった。
「街の灯りがきれい、なのです」
アイリス・ルナクルス(
ja1078)は眼下に広がる景色に、思わず感嘆の声を漏らす。
その時、街の方角から一台の車が真っ直ぐに誰もいないこの高台まで向かって来るのに気が付く。車体の屋根に灯る社名灯からタクシーである事を確認すると、今回この地に集った撃退士は護衛対象の到着を確信した。
「歌織さん、だっけ? おれ、護衛対象の人とお話ししたいかもさー」
二度ほど屈伸運動をしてから与那覇 アリサ(
ja0057)は飛ぶように駆け出すと、タクシーの運転手に料金を払っている人物、つまり今回の護衛対象である笹山歌織の元へと一息で詰めた。
「あとは彼氏待ちか。今回も簡単に終わりそうな護衛だねえ」
待っている間月明かりの中でショートソードとサバイバルナイフの刃を一閃し刃を確認すると黒百合(
ja0422)はそれらをまた一瞬で収めると周囲に気を張るのを怠る事もなく歩を進めた。
一方、思ってもいなかった集団に出迎えられ、一瞬気が引けたように後退する歌織であった。が、その前に天風静流(
ja0373)が歩み寄り一礼をする。艶やかな黒髪が流れるのに息を呑んだ歌織に正対し、静流は自分たちは石垣拓真より命を受けた撃退士である事を告げると歌織もようやく事態を納得した。
「確かに一年前に‥‥。彼ったら、本当に頼んじゃったのね」
思い出したように歌織は頭を深く下げた。
「ごめんね、彼ったらそんなに報酬は出してないはずよね?」
「そんな、頭とか下げないで下さい!」
砥上ゆいか(
ja0230)が慌ててそれを静止するとアイリスやアリサも同じく同調し、そして歌織自身も女性同士という事もあってか次第に打ち解けていく。
「その指輪、綺麗ですね〜。依頼主さんにもらったんですか?」
依頼主の拓真と護衛対象の歌織の関係をそれとなく聞く内にアイリスが歌織の指に収まっている指輪に当然気がつく。
「待ち合わせの相手は‥‥婚約者か?」
なぜ依頼主である拓真は自分の身を護衛対象から外しているのか、依頼を受けた時から気になっていたフィオナ・ボールドウィン(
ja2611)が質問を投げかけると歌織は「うん‥‥」と頷く。
「苗字が違うのと、その指輪を見れば想像はつく」
ほぼ同い年くらいなのに礼を崩さないままのフィオナの言葉に「でも、正式な婚約は、まだして貰ってないの」と歌織は赤面しながら答える。
「あああ、わたしったら、初対面の人に何言っているのかしら」
女性陣に囲まれ頭から湯気が登るのが見えそうなほど取り乱している歌織。
その輪からやや距離を置き「あの輪の中には入りづらいなあ」とクジョウ=Z=アルファルド(
ja4432)、そして月詠神削(
ja5265)は苦笑しつつも依頼主である拓真の到着を待っていた。恐らく、このまま何も起こらず拓真を乗せた車は到着し、そこで依頼は終了するのであろう。
「そこで依頼はおしまい、って言うのも薄情だよな」
「まあ、依頼主たちの邪魔にならないように、が最優先事項だろうがな」
神削がクジョウと言葉を交す。
しかし街の方から向かって来る車はまだ見えない。何か事情ができたのだろうかと携帯を取り出そうとしたその時。視界にだけ頼ることなく警戒していた神削に、妙な違和感が起こった。
女性陣の輪から少し離れていたゆいかが、手に大剣を召喚し構える。
「みんな、気をつけて。なにか、来るよ‥‥」
その一瞬の間で撃退士たちが歌織を守るための陣を張った事に、歌織は圧倒された。
「無粋なゴミ屑野郎が来やがったみたいね。笹山ちゃんは下がっていてねぇ‥‥」
刃を構える黒百合の横に、いつの間にか大剣を構えているフィオナがいた。
「依頼主は、貴女の無事を唯一の契約としている故。我らは貴女に傷ひとつ負わせる事は、無い」
次第に見えてくるそれは、距離にして100m強ほどまで接近していた。それはまるで消えかかる木炭のように所々が赤く灯っていた。体長、おそらくは1mを超えている程。
「まるで、歩く溶岩だな」
ショートソードを構える神削の鼻が感じた、硝煙のような異臭は、あるいはその姿が見せる幻覚だっただろうか。
あるいは腕が生えたイソギンチャクと言うべきかもなとクジョウは思った。筒状の胴体の頂上に大きく開いた口。そして両脇から生えている2本の触手らしきもの。まさにその異形は天魔である事を確信させるに十分すぎた。
具現化した不安から身を守るように自分の身を自分の腕で抱きしめながら歌織は「拓真、拓真」とつぶやき、がたがたと震えている。
「歌織さん、絶対、絶対、護りますから!」
真っ直ぐに向かってくる敵を見て、ゆいかは相手に知性が無い事を確認し、手にしていた祖霊陣を戻し、大剣を構え直す。
「うん、だからっ、安心するさー」
言うが早いか、ゆいかとアリサが駆け出す。80m、60m、40m。距離が詰るにつれ次第に異形の姿がはっきりと確認できた。ゆらゆらと動きながらも意外なまでに素早い「敵」も距離を詰めてくる。もう一歩で間合いに入る。アリサが、ゆいかが、それを確信したその時。
その天魔は、遂にアリサをはじめ撃退士を敵と認識した。
触手の一方が向かってくるアリサに向けられる。人の腕ほどの太さの触手。その触手の先は空洞になっているのを、その空洞から炎の塊が生み出されるのを、アリサははっきりと確認できた。
「!?」
躱しきれなかった炎の弾丸が、アリサを襲った。一撃とは思えない衝撃が走る。が、アリサはそれに屈せず動きを止めなかった。そしてアリサの蹴りがアウルの光を放ちながら敵の体にめり込む。
「吹っ飛びやがれ!」
同じくゆいかが沸き上がるアウルを大剣にまとわせ溶岩の塊のような天魔の体を撃った。
すると一瞬、天魔の動きが止ったように見えた。しかし、天魔の体が規則性を持つ低音の律動を繰り返すのを気付いた時にはもう、それは襲って来た。
アリサ、ゆいかの真後ろに炎の弾が放物線を描き飛んでいくと、それは炸裂する。咄嗟に躱すアリサの目に、爆発に撃たれたゆいかが映る。
「与那覇君、砥上君、代わるぞ!」
一旦アリサとゆいかを下がらせ、ショートソードを構えた静流、そして神削が割って入る。
二人が振るうショートソードが夜の暗闇の中で光の軌道を描き一直線に貫いた。しかし。まだ天魔は止らなかった。
触手の弾丸を逃れた先で、もう1本の触手が宙をなぎ払う。避けられず攻撃を受ける静流と神削をまるで捕食しようとするような天魔。先刻まで構えていたショートソードを解くと同時に、アイリスの中で「何か」が壊れた。
「‥‥I desert the ideal」
大剣を構えたままでその目に染まるのは怒りの赤。怪我を負って尚戦意を絶やさないアイリスとゆいかの横をすり抜けアイリスは跳んだ。その軌跡は黒みがかった赤。それはまるで血のようなアウルの光である。
「行かせはしねえぜ‥‥、星宿聖鞭流、フォールブレイク!」
クジョウの家、アルファルド家に代々伝わる戦闘術を拳闘術用へと昇華してクジョウは戦う。
「皆さんはわたしよりも若い、のだから」
いついかなる場合でも盾として前にいてくれるフィオナと黒百合の後ろで歌織は震えていた。だが垣間見える死闘を前に、どうしても抑えきれない感情が言葉となり吐露される。
「お願い!逃げて」
わたしのために命を賭けて戦ったりしないで。両手で顔を隠しながら哀願する歌織に、フィオナも黒百合も敵への視線を切らすことなく。フィオナは礼を持って仕事だからと述べた。
だが、悪化しつつある戦局を見て、黒百合はフィオナに不敵な視線で微笑むとフィオナもそれを了承した。
「笹山ちゃんは。ここに、いてねぇ」
「貴女に飛ぶ攻撃は我が叩き落としますから」
刹那、戦いの場へと移動をする。相手の攻撃範囲は仲間らの戦いでほぼ見切った。あとは傾いた戦局をこちらの側へと傾け直すのみである‥‥。
「ふふふ、このゴミ屑野郎ぉ!切って、抉って、肉達磨にしてやろうかしらぁぁぁ!」
まるで喜びに震えているかのようにさえ見える黒百合と、対照的に静寂の中で大剣を振るフィオナが入り、負傷を押しながらアリスが、ゆいかが、静流が、神削が。それぞれがそれぞれの「為すべき事」を為して、敵・天魔の歪んだ生命力を削って行った。
「魔法よりも物理攻撃のほうが効くみたいだぜ」
敵の性状をクジョウが見切り皆に伝えた以降は力と力のぶつかり合いになった。
1秒が永遠にさえ思える死闘も、巧みに連携を取りながら波状攻撃を掛ける撃退士の優勢が徐々に明らかになる。
敵の攻撃を逸らすために「こっちこっち」とアリサは負傷も厭わず駆け回る。できる限り的を一点に絞らせないために、皆もまた懸命に動き、天魔の硬い躰を撃ち続けた。
そして、遂に終わりの時を迎える。ゆいかと神削の攻撃が命中し、そして天魔の躰がぼろぼろと崩れるのが目に入った瞬間。
「なんで? なんでこんなに心が痛むの?」
瞳の奥に宿していた赤の狂気が不意に解けるのを、アイリスは感じた。それは視界に入ってしまったのだ。天魔が崩れる刹那に、まるで天魔が包み込むようにしていた物を。それはこの戦いの前に、アイリスが目にした物と同一の物であることを。
撃退士の能力はオリンピックの選手級。その視野、動体視力を持つ事を。フィオナは初めて恨んだかも知れない。フィオナもアイリスと同じく「それ」を間近に見たばかりだから。
それでも。どうしても「それ」がそれなのかを確かめないといけない。急ぐ気を抑え、崩れ落ちた天魔の躰から、静かに、そしてそっと「それ」を取り出す。ぶるぶると震える手で「それ」を掲げる。
しかし月の明かりに照らされたのは、果たしてただ静かに輝く指輪であった。
歌織が、指に嵌めているのと同一の指輪が、そこにあった。
「いや、嘘。ですよね‥‥」
そんなこと、絶対に信じたくない。あるはずがない。
ゆいかはごそごそとペンライトを取り出すと光を当てる。指輪の裏には「&」の記号を挟んでTとKの刻印がされていた。その事実を前に、ゆいかの手からペンライトが滑り落ちる。
「そんな‥‥」
天魔の躰から指輪が出てくると言う事。つまり。依頼主は天魔に殺害され捕食されてしまった。
どよめく撃退士の中でただ一人、静流は静かに考えていた。
「もしや、この天魔は‥‥」
感情を敢えて除外して考察を重ね、静流はひとつの可能性にたどり着く。そう思った方が筋が通る事が多すぎるのだ。
仮に天魔が拓真を襲ったとしたら、ではそれはどこでと言う事になる。車で真っ直ぐに来るはずの拓真を襲い、しかし他の人間は一切襲わず、この天魔はここまで一直線に来たとでも言うのか、と。
しかし、それが可能性に過ぎないか事実なのかは別にしても冷徹な事実だけはそこにはあった。
依頼主は、既にこの世にはいない、と言う事だけは。
「絶対に、許さない‥‥」
アイリスの目から溢れる涙は紅に染まっていた。
「アイツらは‥‥いつでも人の大事なものを奪っていくさ…」
快活なアリサではあるが、この状況を前に破壊の衝動が抑えきられなくなり吐き出すように絶叫した。
「‥‥壊さないとなー。奴らが自由に出来る状態のこの世界を!」
しかし、かとは言えども歌織には伝えなければならない。
「おれが行く」
遠巻きにこちらの様子を伺っている歌織の視線から一度は指輪を隠した神削が、意を決して、指輪を、歌織に渡した。
「多分だが。これは、あなたに見つけて欲しかったんだと。俺は思うんだ‥‥」
アリサが、ゆいかが、アイリスが。感情が抑えられず泣き崩れている。静流は深く思考の中に入り、フィオナは事件の中に作為がなかったかを冷静に分析を、そして黒百合はやや心動かし遠くから見守っている。そしてクジョウは依頼主だった人物に、心の中で黙祷を掲げる。
ひとしきり激しく。まさに慟哭した後。突然すっと立ち上がると歌織は皆に一礼をしてから、指輪を大事そうに持って。崩れている天魔の元へと静かに歩いて行った。
婚約者を捕食した天魔であろうものに、復讐したいのかと思う者、あるいは「真実」を悟ったかと思う者、皆それぞれに息を呑んだが。歌織は、天魔の前に立つと、天を見上げて大きな声で叫んだ。
「ありがとう」
なぜならば。それでも彼は約束を守ってくれたのだから。
例えその身を喰われたのだとしても。いやあるいは。例え魔物に姿を変えられたのだとしても。
二人が交した約束は、天魔に破られるものではなかったのだ。
歌織は自分の指輪を外し、拓真の指輪と合わせると両手の拳でぎゅっと握りしめる。
「まぁ、大切にしなさいよぉ? 生きてる人が死んだ人に出来る事は覚えていてあげる事くらいだからねぇ‥‥? 」
ぽん、と肩を叩き黒百合がぶっきらぼうに言葉を投げる。その言葉の奥に、強い何かを、今の歌織は感じ取る事ができる。
目を赤に染めたままで、怒りに肩を振るわせたままアイリスが宣言する。
「仇は、私が絶対にとってみせます‥‥」
「わたしは。いえ、わたしも。強くなりますから。皆さんの協力をさせて下さいね」
高台から降りて歌織を送り届けた撃退士らに向かい、歌織は顔を真っ直ぐに上げた。
泣き腫らした目が痛々しいが、皆、目を逸らさず真っ直ぐに歌織の瞳を覗き込んだ。
そこには、強い意志が宿っている事を感じさせられた。
歌織は、ただ感謝の言葉を出そうと思っていたのに。
しかし口から出たのは、その決意の言葉であった。あるいは今は強がることでしか身体を支えられないから出た言葉かも知れない。
しかし年端もいかないこの子らが身を削って戦う姿に、自分の先を見た気がしたのも事実だから。
帰路へとつく撃退士を見送りながら再びふたつの指輪を両手で握りしめて歌織は思う。
力なき自分でも、何かできる事はあるかも知れない。
いや、探すのだ。
悲しみに暮れて過ごす事などもう許されない。
いつかわたしが死んだ時、「よくやったね」と、拓真に言われたいから‥‥
(1月30日、リプレイ修正)