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通信機器を手に取り腕章をつけ、いよいよ警備に向かおうとする黒百合(
ja0422)が顔を上げると主催者らしい、「いかにも地元の青年団」のような人物が黒百合に頭を下げていた。
「撃退士の皆さんのお陰です」
何の事か判らないままでいると、慌ててその人物は祭の運営の者であることを名乗った上で説明をした。
「先日、この村は襲撃を受けたので、あるいは来場も忌避されるかと思っておりました」
勝手に「当日は撃退士来る」と宣伝でもしたのかと思ったがそれもどうも違うようで、ネットに上がった情報を元に「撃退士がいるならば」と来場を決めた人も多いらしい。まことに人の噂とは侮れない。
「でも、天魔の連中が出てこないとつまらないわねぇ。折角、あいつらの腹腸を引きずり出してクリスマスツリーの雪綿や、頭を天辺のお星様の代用品として突き刺してやろうと思ってたのにぃ‥‥」
家族連れも多くゆったりとした時間が流れる中で多少不満そうに呟く黒百合ではあるが、いつでも臨戦態勢を取れるよう警戒は緩めてはいない。レシーバーを取り出して他の仲間と交信し、会場に異常はないか確認を行うと、崔北斗(
ja0263)、ALNasrALWaaquiu(アンナスル・アルワーキウ)(
ja0617)、牧野穂鳥(
ja2029)、宮田紗里奈(
ja3561)、古河直太郎(
ja3889)、司華螢(
ja4368)らの撃退士が呼応する。もう一人、御影光(jz0024)も同行しており、目線が合う度にぴょこんと青い髪を揺らしながら挨拶をしてくる。
「凍れる滝、とは。初めて、なのです」
会場中央で氷結している滝を見上げて紗里奈は感嘆の声をあげると、穂鳥も同意し頷いた。穂鳥の出身地では雪も珍しいらしい。
「宮田さん。雪焼けの対策方法を教えて下さって、ありがとうございました」
穂鳥が頭を下げると華螢もお礼の言葉を述べた。
「楽しみで眠れなかったのは何年ぶりだろう」
紗里奈の傍らで直太郎が一緒に滝を眺めている。依頼とは言え恋人である紗里奈と一緒に旅に出かけられる事に興奮を抑えきれなかったようだが、今は眠さも吹き飛んでいるようである。
一方、氷瀑を超えた断崖に、群衆が足を止めていた。何か出し物でもあるのかと集まった人がまた、さらに輪の輪郭を濃くしていく。皆、一組の男女に目を奪われたようだ。
「ケイの事は大好きだから、ベガって呼んでいいよ」
青で統一した装いに銀の刺繍と銀の髪が映える。高く澄んだ声で語りかけるのは「鷲は舞い降りた」の意の名前を持つアンナスル・アルワーキウである。
「ベガ‥‥。こと座の星‥‥純白と言う言葉の定義ね」
風が乱した絹のような黒髪を優雅に抑えながら、ケイ・リヒャルト(
ja0004)が応える。アルワーキウの青の瞳に、長い睫毛に緑色の瞳が交差するとき、遠巻きに囲みながらそれとなく美貌の二人を眺めている群衆から溜息が漏れた。中には携帯のカメラを向けるような者もいたのだが、アルワーキウが流し目を送ると「すいません」と短く謝罪を述べて逃げ去って行くようだ。
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昼も過ぎた時刻に各々時間をずらしながら遅めの食事を取る事にした。
「二太さんも、作って下さったのですね‥‥」
しかもわたしが作ってくれたサンドイッチよりもおいしいのでは、と言う感想は敢えて口に出さずに穂鳥は竹林二太郎(
ja2389)が作ってくれた俵型のおにぎりや卵焼きに箸を進める。一方、二太郎はそんな穂鳥の複雑な胸中には気付かないまま、手渡された熱いお茶に感謝しつつ穂鳥の作ったサンドイッチを喜んで食べている。
周囲に仲間の撃退士がいない事を確認した上で。
「直ちゃん昼食、を一緒、にしましょう、です」
人前では言わない呼称で紗里奈が直太郎に声を掛けた。
「手料理のお弁当を食べられるなんて。なんていうか幸せだなぁ‥‥」
これ以上の空腹を抑えられず、振り向いた直太郎は、目の前に立つ恋人の姿に改めて見直した。ライトグレーのセミロングコートに身を包み、ふわふわの耳当てと真っ赤なマフラーの中で頬を染めている紗里奈は、なんと雪に映えるのだろうか。
「リナちゃんはほんとに可愛いよな‥‥」
今お世辞を言ってもこれ以上お弁当は増えないですからして、と真っ赤な頬を更に紅潮させながらも、十全の上に十全の防寒対策を施し、ほんのりとまだ温かいおにぎりやカツサンドを差し出す紗里奈は、視線を氷の滝へと逸らしながら、おにぎりのひとつを口に運んだ。
北斗と華螢が広場で食事を取っていると、その前に一人の子供が立ち止まり、じっと北斗を見ていた。三歳くらいの子だろうか。しかし辺りには親もいない模様で、これは迷子かもと思い、北斗が運営のスタッフを声を掛けようとした時、少女のお腹から「ぐう」と音が鳴った。
「‥‥食べるかい」
多めに買ってきたコンビニのおにぎりを北斗が差し出すと、一瞬だけ躊躇った後に少女はそれを受け取り食べ始めた。その眼差しを北斗は刹那の間だけ視線を落としたがすぐに少女へ微笑んだ。
「吸い込まれるような瞳の子でしたね‥‥」
言葉を選びながら華螢が北斗に声を掛ける。あの少女にどんな事情があったのかはわからないが、少女の顔に笑顔が浮かぶことはなかった。
「辛い事を見たのかもなあ‥‥。俺、ちょっと一緒に遊んでくる」
北斗は子供達の手を取ると氷でできた滑り台に向かい、子供と一緒に遊び始めた。
そこへ食事を終えた紗里奈と直太郎が帰って来ると、彼らにも同じく子供が無理して元気なように振舞っているように見えていたらしく、相談の末に「巨大な雪だるまを一緒に作りましょう」という事になった。
そういうことでしたら、と光が持ち場を担当し、こうして紗里奈、直太郎、華螢の三人は巨大な雪だるまの作成に掛かった。見ていた子供達も、いつしか喜び、雪だるまの顔になりそうな豆炭をどこかから持ち運んで来ていた。
「御影」
会場を巡回していた光を鴻池柊(
ja1082)が呼び止める。
賑わいを見せ始めた広場の傍らで、スタッフから分けてもらった氷の塊に刃を入れ込み、氷像を作っていたのだが丁度一息入れようとした時に移動中の御影が通りかかった訳である。
「わあ、素敵な素敵な氷像ですね」
猫が彫られているのだが、その鼻先には氷の蝶が止っている。
「いや、連絡が来たらすぐに止めて向かうようにはしていたのだが。何も無いから随分と進んでしまったよ」
これでまだ未完成なのですか? と光が柊に問う。
「ここにある氷像のレベルが高いのでな。気合いが入っている」
あるいはこの会場に置かれた氷像も、鎮魂のための物なのかも知れないと柊は考え初めている。が、その考えは言葉には出さず柊は光に別の話題を振った。
「良かったら、休憩に一緒に行かないか。アイス奢ってやるから」
老舗置屋の家、そして姉妹に囲まれ徹底的に「女性は敬い尊ぶこと」を徹底的に刻み込まれた柊にしてみれば先刻からくるくると会場を飛び回っている光に対するごくごく自然な振る舞いだったではあったのだが、その一言が光の心に火を付けた。
「ア、アイスクリーム、ですか!!」
真面目人間の典型みたいな光の弱点のひとつが「甘いもの」であることを知っている人は多いような少ないような。とにかくこの御仁、甘いものの前では骨抜きになってしまうのである。
「ちょっと、ちょっと待ってて下さい! 警備を外れて良いか相談してきます!」
ばたばたと飛び出した直後に、「きゃあ!」と言う奇声と「ごめんなさい!」の連呼が遠くまで行き、一瞬の静寂の後に再び「きゃあ!」の声がどんどん近付いてくる。
「交代して貰いました!」
にこにこと笑う光の儀礼服の所々が白くなっていた。特に、お尻付近が。
しかし「転んだのか?」と聞くような無粋な柊ではない。光を誘って氷のバーに入ってみると、なるほど。壁床天井のみならず、蒸留酒を収める棚も氷で作られており、それでもまるで冷蔵庫に入ったような雰囲気にならないのは壁面に彫られた飾りのせいであろうか。しかも、氷を通過してくる光の加減なのか、どことなく空気も優しく暖かい気もする。
「珈琲かけて食べるのも美味しいらしいぞ?」
早速、アイスクリームと共に熱いコーヒーを差し出す。
「おにぎり、食べるか? 中身は鮭だけどな」
一口すくうごとに「はううう、しあわせですぅ」と奇妙な声をあげる光に、柊がおにぎりも差し出す。
「こんにちは。中は、こうなっているのですね?」
興味津々に、だがおずおずと店内に入って来た穂鳥に、「牧野先輩!」と元気よく声を掛けアイスクリームの絶賛を始める光であった。
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山では日が暮れるのも突然なんだと皆が一様に思った。
つい先刻までは青く明るかった空が、太陽が山の向こうへ隠れたかと思う間もなく周囲は闇に包まれて行った。
さらに会場を見回せば会場内に置かれたアイスキャンドルのひとつひとつに火が灯されていくのが見える。
自分の担当地区のアイスキャンドルに火が灯されるのをじっと見ていた華蛍は、銀の横笛を取り出すと即興で作った調べを吹いた。
帰途に付こうとしていた家族連れが足を止め、目を閉じて華蛍の調べに体を委ねている。帰途の喧噪が一瞬途切れ、駐車場で警備を担当しながら車の誘導などを手伝っていた北斗の耳にも華蛍の笛の音が運ばれてくる。
この村の住民は元より、この祭を訪れる人の中には、あるいは北斗と同じように大切な何かを壊された傷を抱えている人もいるのかも知れない。
「世の中から天魔の襲撃が無くなったら、も一度元気になってくれっかな‥‥」
日も落ちて誰もいなくなった断崖の上。警戒に当っていたアルワーキウと彼をサポートするケイは、なお警戒を怠らないまま、ゆっくりとした時間の中で会話を楽しんでいた。アルワーキウが猫の話を何度目かにあげた時、ケイがそれを指摘すると「アラビアは猫贔屓なんだ」と笑みを浮かべる。
上を見上げれば満天の星が地表へと降り注ぎ、ケイの黒髪に、瞳に、そして肌にさえ星の光輝が落ちているように見える。
「冬の夜の君が黒髪よ 星明りは吸い込まれ 星座のティアラと輝き出でる 美しい君 今宵、我が歌姫ケイ・リヒャルトに捧ぐ」
突然の接近に一瞬だけ鼓動を抑えられなかったケイは、それでも落着いて叙情詩に即興で調べを付ける。
「ベガの瞳に映る星や灯りも凄く綺麗で。‥‥吸い込まれそう、ね」
こつん、と額に額をくっつけて。ケイはアルワーキウに詩の詠唱をせがんだ。
アイスキャンドルで照らされた道をゆっくりとふたり、穂鳥と二太郎が足を進める。灯りに照らされて光る滝は美しく、思わず圧倒されてしまう。
「こんな景色を」
二太郎の横で穂鳥は滝に顔を向けたままぽつぽつと呟く。
「この先もいくつでも、こんな景色を一緒に見られたら」
二太さん、あなたの横で。と言いかけたがその言葉を飲み込んでしまう。なんだか怖いのだ。自分の大切な人が傷付くのだけは絶対に見たくない。が、撃退士である以上、それは、あるいは望めないのかもしれない。
その想いが体の震えとなって止らなくなった時。ふわっと首に暖かな物が掛けられた。自分が巻いていたマフラーを穂鳥の首に掛け、二太郎はにこっと微笑んだ。
その微笑みは何があっても一緒だよ、と語りかけているようにも見えて。穂鳥は、ぎゅっとマフラーを抱きしめ、一歩、いや、半歩だけ二太郎との間の距離を詰めるのであった。
「撃退士の皆様、お疲れさまでした」
最初に挨拶をしてくれた人物が深く頭を下げる。
「お陰をもちまして何事もなく、このように祭を終えることができました」
警戒だけではなく祭の盛り上げまで協力して下さったのにお礼らしいお礼もできないのは心苦しいので会場の施設を自由に使って下さいとだけ言い、彼は氷のバーでバーテンを始めた。
折角の誘いであるし、と各々はようやく依頼から解放されて自由な時間を過ごす。紗里奈、直太郎のカップルはバーで盃を重ねた後、どちらの側が言い出すまでも無く酒場を出て、冷涼な空気に酒で火照った体を冷やした。
山から見下ろす街の灯りが揺れる。あのひとつひとつに命があるかと思うと、なんだか愛しくもなる。
お互いが誘うように氷瀑の前まで歩んで行く。
「これから先、も。できれば、ずっと。貴方のおそばに、私を。置いて、いただけます‥‥か?」
「‥‥このまま一緒に」
紗里奈の問いに直太郎が抱擁で返し、ふたりは互いの唇を重ねることでその想いを、確かめ合う。
「あはは、実はやってみたかったのですよ」
滑り台の上、いつの間にかジャージを着込んでいた光が勢いを付けて滑っている。
「本当に子供なのですねえ」
久遠ヶ原学園でも強い方になるらしい御影光の本当の姿を見た気がして、華螢は目を丸くしたが、子供のような光を放っても置けず付き合うことにした。するといつしか天啓のように音楽が聞こえた気がして、今度は楽しげな音色を華螢は銀の横笛で響かせる。
「あの街の光を守りたいもんだよな」
こちらは半ば吹っ切れたように光と一緒に遊んでいる北斗もいる。
「完成、だな」
広場の歓声を聞きながら、柊は最後の一振りを氷像に入れる。
「心の傷は体の傷と同じだ。癒そうと必死に治療する。それでも傷は残る‥‥って言ったのはラ・ロシュフコーだったよな」
格言の一節を口ずさむ。あるいはそれは、全ての者に対する鎮魂の像なのか。完成した氷像に「いつか、届くようになる」と誓いを立てた。
「俺が護るから心配するな」
最後までバーに残っていた黒百合が溜息のように紫煙を吐き、氷のグラスを傾ける。
「春は夜桜、夏には星、秋に満月、冬には雪、それで十分酒は美味いのよぉ‥‥。こんな安酒でもねぇ」
横で微笑みながら黒百合に付き合っている水無月龍也(
ja4850)が一緒に歩かないかと促した。
「せっかくの雪国だし,戦いばかりじゃ無く景色も楽しもうね、ユリ」
満天の星の下、二人もまた、氷の滝を見に行った。足跡で踏み固められた道の先に既に人の気配も無く、ただただ静寂の世界があるだけである。
結局、戦いも無かったなあと悔しがる黒百合に龍也は決して窘めるようにではなく、優しく包み込むように「あまり物騒な事を言うもんじゃないよ」とまるで言葉で抱きしめるように呟く。
「飛瀑が凍ってる‥‥自然の力はすごいね。ほらユリ、すごく綺麗だよ」
こうして二人でいられる時間こそが奇貨なのかも知れない。だからこそ。
「戦い以外でユリが楽しんでくれてるといいな」
龍也のつぶやきは、冷涼だが優しい風に乗る。天に星の道が輝き、地に人の織りなす灯りの道が灯る夜の、ほんの一時の休息が。間もなく終わりを告げようとしていた。