●黄昏
目的は遠距離攻撃を得意とするヴァニタスの迎撃。最終防衛ラインと設定された河水も流れない旧河川にて、塹壕を掘り迎撃態勢を設える。
「左腕イソギンチャクで、腰から下が爬虫類で浮遊タイプ……。とんでもねえ奴だな」
スコップを手に塹壕らしきものを掘る鐘田将太郎(
ja0114)。
それにしても妙な依頼である。迎撃をするのなら遮蔽物がある方が効果的ではないか。身を隠す場所があるなら急ごしらえの塹壕など掘らなくても良いのに。
召炎霊符の火弾を駆使して塹壕を掘る天羽流司(
ja0366)は、敵の背を取ることでの勝機を考えていた。相手は手の内を見せている。火力に関しては不明だが、その射程と移動能力が判っているのは大きなアドバンテージだ。
「ヴァニタス相手の遅滞戦闘ですか……珍しい任務ですね」
ただ1人、旧河川の砂礫の上に立つアーレイ・バーグ(
ja0276)。夕刻の風に黒のドレスの裾が舞う。何もかも伏せられたような作戦だが、時間稼ぎをしなければいけない何かがこの先にある事だろうか。
相手は一体。迎撃をするのであれば包囲が有効。だが、それには相手の進軍を止める誰かが必要になる。その「誰か」を敢えて買って出た。
「でもヴァニタス相手に時間稼ぎ。キツイですね」
アーレイの後方で塹壕を構えている道明寺詩愛(
ja3388)は過去にヴァニタスと邂逅したことがある。
「ムリは禁物ですよ」
飄々とした雰囲気のアーレイに言葉を掛ける詩愛。特に今回のヴァニタスは遠距離からの範囲攻撃が得意との情報に回復スキルに不足はないかを慎重に測る詩愛であった。
「神器、という言葉が人の口の端に上っていました」
詩愛とは位置を違えて陣を構える柊朔哉(
ja2302)は学園内で囁かれていた噂を思い出す。
時期を同じくして学園に要請された天使、あるいは悪魔側陣営の掃討作戦、あるいは足止めの要請。それは全てひとつの目的のために出された依頼であるという噂。それにつきまとう「神器」と言う単語。
「神の器……ですか、まぁその話はいずれ分かるでしょう。今は、時間稼ぎに徹します」
「……来たようだ」
双眼鏡を構え哨戒に当っていたリョウ(
ja0563)もまた、天冥魔が互いに動き、そして学園までが「依頼」の形で介入しているにも関わらず、「あくまで個別の事案」と情報がまるで統制されているような一連の動きの不可解さを疑問視していた。
「上から情報が来ないとなると、後は相手から聞く他無いが。さて」
そもそも魔との会話が成立するのかの問題がある。
「位置に付いたわぁ。射撃タイミングはそちらに合わせるわよぉ♪」
貸与されたハンドフリーの通信機でアーレイに送信する雨宮アカリ(
ja4010)は超長距のレンジに位置した塹壕の中。夜戦用の迷彩服にカモフラージュメイク、さらに砂塵で服を擦り闇の中に紛れ込んでいる。ベレー帽に光る帽章。ここまで用意するのは長距離にして精密な攻撃を行うと言う敵に、共感できる部分があるアカリの戦衣装と言えるのかも知れない。
シミュレーションは何度も行った。後は精密機械のようにトリガーを引くのみである。
「さて……無事防ぐことができるか……」
闇の中に敵の姿を確認した柊夜鈴(
ja1014)が大剣・ハイランダーを静かに握り直す。どんな思惑がこの依頼にあろうとも受けた依頼の成功こそが大事。包囲を完成させる、そしてその包囲を破らせはしない。戦場を俯瞰で眺められる程に、意識を高く、強く集中させる。
●異形
それは。異形としか言いようも無かった。まず目に付くとしたら。どす黒いヒルの様な不気味な尾が生えている。左の手は朱色のイソギンチャクを思わせる形状で、しかも蠢動している。
にも関わらず。
顔と胸を見れば相手は人の女性だったと判るのだ。
おぞましいと言う言葉が一番相応しいのかもしれない。集まった撃退士は息を呑んだ。ヴァニタスにも色々な固体があったとしてもこれ以上、歪んだ姿にされたヴァニタスが存在するとは到底思えなかった。
ヴァニタスが向き合っているのはアーレイである。しげしげとヴァニタスを観察してから言い放つ。
「私の方がおっきいですね♪」
「ちっ……」
ふざけるなと声を上げそうになるのをどうにか堪える者もいた。
「……」
しかし、返ってきたのは無言の返答であった。正対したまま動かないヴァニタスとその前に陣取るアーレイ。
いきなりの攻撃、もしくは無視して通り抜ける。
そのどれかにになるのではと踏んでいたアーレイもこの状況は不測だったかもしれない。しかし、ここまで来て一歩も引く訳にはいかない。そのまま、実に30秒の時が流れた。
あるいは意志疎通などできないのかも、と思い始めていたヴァニタスが初めて口を開いた。
「私が何かをしないと手詰まり?」
ヴァニタスが何かを考えている。張っていた緊張が一瞬で別の色に変った気がした。
アーレイが心の蔵の位置を示すように叩き、もう一度挑発する。同時に作戦の真意のひとつを理解した。
平地でもない限り、透過能力を駆使されてしまう知恵がこのヴァニタスにはある。
「いいわ。人の身で受けられるのか」
撃退士らに耳にヴァニタスが発する「人の身で」という言葉だけが、なぜか。強く聞こえた。
アーレイとの間合いを取るヴァニタス。ヒルのような尾がうねうねと動いていた。まるで得物を捜す何かのように。
そして「どっ」と言う鈍い音と共に赤色の弾が左の腕から射出される。炎の弾は弧を描きながらアーレイの頭上で炸裂し降り注いだ。火弾は火柱と変り、大地を灼熱の地獄へと変える。
火弾を召炎霊符から撃つ火弾で迎撃しようと思っていた流司はその策を見直す。相殺は難しいと思える火力と拡散性だった。
「まるでクラスター弾、ねぇ……」
スコープ越しで見たアカリ。その弾はかつて戦場で見た兵器を想起させた。
だが問題はその威力である。
アーレイは受けきれるのなら時間稼ぎをすると言っていた。
果たして合図はあるのか、無いのか。
灼熱の閃光が途切れた後、アーレイはなお立っていた。その姿に安堵をする詩愛たち。そしてアーレイが声を上げる。
「第2作戦、開始!」
つまり、敵が撃ったのはアーレイでさえ受けきれない威力の魔法弾。
呼応しアカリが麻縄で迷彩されたスナイパーライフルを撃つ。だが、弾は惜しくも逸れた。そしてスコープ越しにアカリは、アーレイの身が再び焼かれるのを見る。
「アーレイ!」
響く詩愛の声。しかし炎の中からアーレイが帰ってくるのを見て胸をなで下ろす。だが2発の魔法弾で生命力さえ危うい。すぐさま【ヒール】でアーレイの傷を癒す詩愛。
「もう一度言いますが。無理は禁物ですよ?」
「あの程度の攻撃であーれいさんを倒そうと思ったら大間違いなのですよ?」
再び戦線に戻るアーレイを見送る詩愛は、ヴァニタスの攻撃に癖やルーチンが無いかをじっと観察していた。
一方。
合図を機に一斉に動き出した撃退士たち。
その一人。闇の中を黒の装備に身を包んだリョウが駆け抜ける。黒の装備から発せられた漆黒の影が大きく伸びていく。
「好きに動かれる訳にはいかない。足を引かせて貰おうか――影よ、蝕め」
自らの影を拡大するイメージに従いアウルが相手を捕縛するスキル【影蝕】が発動、意志を持ったように影がヴァニタスを飲み込もうとする。が、ヴァニタスはその影を僅かにかわした。
「名があるのならば、聞かせて貰おう」
しかし、何も答えずヴァニタスはその目をリョウに向けた。吸い込まれそうな程の虚無しかその瞳には見えない。
「名無しのヴァニタス、ではあなた達も困る?」
言葉尻を捉えるのなら嘲笑のように聞こえるが、ヴァニタスが発する言葉は地獄の底にいる亡者の呻きもかくや、という声だった。
「単なる記号で良いのなら。主は『イージス』と呼んでる」
それは神話に現われる防具の名。
「破られない盾、とでも言いたいのか」
イージスと言うヴァニタスは僅かに何かを考えるような素振りを見せた。
「これも計画のうちのようね」
溜息が吐けるのなら吐き出したい。そんなような素振りだった。
「何が目標で動いている」
計画、の言葉にリョウが反応する。その後方に控えている朔哉も二人のやりとりを見守っている。
「過ぎた力」
力、と言った。噂される神器に関係があるのか。
「話はここまでよ」
無論、手をこまねいていた訳ではない撃退士である。遠距離の間合いを取るために後退するイージスの動きを読み、まだ発見されてなかった将太郎、夜鈴、流司がその後背から慎重に距離を詰めていた。そして射程外から一気に、間合いに踏み込む。
「砲台か何か知らねえが」
将太郎が叫ぶ。その右腕は赤く燃え上がり輝きを増す。炎のようなアウルがトンファーを包み込み、一閃。
「おまえを阻止する! 【飛燕】!」
赤色の衝撃波がイージスに向かい、そして炸裂する。
「ここに撃てば。近接組も動きやすい筈だ」
詰め将棋を解くように、構える召炎霊符から炎を召喚する流司。注意が逸れれば近接攻撃の目が出て来る。そうすれば誰かが……。
イージスへの攻撃は着実にダメージを与え、その身には傷が刻まれているのが判る。もちろん、無事では済まない。将太郎が爆炎に飲み込まれ、続きリョウも炎の海に包まれた。一撃で生命力のほとんどを奪われる灼熱。
「ダズ・オラトリウム・ダズ・アイン・ヘイリッジ・フラウ・アークハルト!」
朔哉を包む赤黒い光纏が荘厳な歌に呼応し、光り輝く癒しの力として具現化する。【聖女が謳う聖譚曲】が発動し、将太郎、そしてリョウが負った深刻なダメージを一瞬で回復させた。そして身を削った撃退士の動きは無にはならない。
「発現せよ、【黒炎・解】」
右目の黒炎が消えると全身が黒の炎に包まれる。研ぎ澄まされた感覚の世界に入った夜鈴。今はイージスの僅かな動きさえ察知できた。
そして放たれる【痛打】!
イージスの動きを止めた。
「狙わせて貰うわぁ……【SS−CQB“SPORTER”】!」
弾は正確に標準を撃ち抜いた。硝煙の匂いが捕獲の成功をアカリに告げていた。
「敵が浮遊砲台なら、私はさながら固定砲台ってところかしら」
銃声を契機に、持てる全ての力を放つ撃退士。
「お返しなのですよ。【スタンエッジ】!」
懐近くまで入り込むアーレイの拳から雷が迸る。麻痺はさせられなかったが確実にイージスの体を削った。
「【コンセントレート】! アウルの力よ、敵の武器を破壊をせよ!」
流司の放つ炎弾がイージスの左手で炎を上げる。
「――その左腕、貰い受ける!!」
赤い光の軌跡を描き、リョウの持つカーマインがイージスの左手を狩る。刻を合わせたように光の十字架が宙を裂き、イージスの左手を急襲する。
「身勝手な行為、御許しを……!」
指を組み許しを請う朔夜が放つ【聖女のキリエ】である。
「俺はいつでも捨て身だぜ……食らえ、【痛打】!」
将太郎が懐に入り、そして飛ぶ。次の攻撃に繋げるために。
そして、遂にその時は来た。夜鈴が構える大剣・ハイランダーが黒の炎に染まっている。
「黒炎・鋒矢之陣」
振り下ろした大剣がイージスの左手を狩る。爆発音と共に炎に包まれ切り下ろされた左腕。
趨勢は帰結した……はずだった。
●遠距離攻撃特化型
「あなた達の勝ちね」
特に感慨もなさそうに淡々とイージスが言う。
「ならば聞かせて貰おうか」
改めて目的は何かを問い質す。
「力よ。私が求めた物に近いかも知れない」
「求めた物、とは」
「悪魔を、殺すだけの力」
一瞬、耳を疑った。このヴァニタスは何を言っているのか。
「必要なら天使も狩るけど」
話が逆だとしか思えない。
悪魔が言う事に真実があるはずもない。しかし。この嘘になんの意味がある?
「あなた達も子を持てば判る。それがどんなに宝物か」
唐突に話が変る。何を言っているのかと皆が思った。
「そして、子供を、目の前で、ディアボロにされてしまった母の気持ちだって」
言葉と共に、イージスは消えた。同時にばたり、と倒れる音。腹を裂かれ倒れているアーレイの姿だけがそこにあった。
「消えた!?」
「違うわぁ。全力移動してるのよぉ」
一部始終を全部見回せるアカリの通信が入る。つまり。一瞬で移動しながら的確に狙いを付けている、という事か。
「今まで手を抜いていやがったのか」
後背から襲われた将太郎。
ダメージを負いながらもダッシュでその後を追う。
「私は、悪魔と天使を狩るために生まれたヴァニタスなのよ」
全力疾走の末の将太郎の攻撃を難なく躱しイージスが呟く。
人なんて眼中に無いと言わんばかりに。
「はぐれ限定だけどね。……今は」
「あなた、主を裏切るのですか?」
朔哉が問う。
「裏切る?」
事もなくイージスは続ける。
「主は私が狙っている事くらい知ってるわ」
「知った上で私の体を弄るの」
「強くなりたいと願う私の気持ちを利用して」
一言を聞く度に心が闇に落とされそうになる重さだった。
「孤独の中で戦うのですか……敵討ちのために」
朔哉は確信した。このヴァニタスに起きた事情を。胸が潰れそうな想いと共に。
「ですが、孤独では勝てない、ですよ!」
将太郎のダッシュが布陣だった。癖を見切った詩愛が通信機に向かい包囲を作り上げていた。
アカリが、そして流司が撃つアウルの弾が錯綜する中、狙いを定めるとしたらどこか。各個撃破、ならば将太郎に向かうはず。
その答えに呼応しリョウがイージスに追いついた!
そして放つ最後の【影蝕】。
影は遂にその懐にイージスを飲み込んだ。。
「離れて戦うのが好きなら。付き合う必要はないですよね」
詩愛の脚から生まれた聖なる【審判の鎖】。
影に捕えられたイージスに巻き付く。
「長くはもちません! 今のうちに!!」
スキルは使い切った。
これが最後の機会である。
全ての力を叩き込む撃退士。
しかし。ここまで。
ここまで集中して攻撃を受けているのに。なぜこのヴァニタスは倒れない……。
集中のあまり後方から、ヒルのような尾が迫っているのに気付いた者はいなかった。それが何事かを為そうとした刹那。
「それ、僕のおもちゃなんだ。返して貰うね」
虚空に、黒い羽を広げた少年が笑っていた。
「退避よぉ!」
アカリの声に散開する撃退士。先刻まで立っていた地面を閃光が貫く。
「遊んでくれてありがとう。意外と強かったんだね、君たち。左手で十分とか言っちゃってごめんね」
上空にはイージスを抱いた少年がいた。
「次はもっと楽しませてあげるよ」
端正な顔が醜く歪んだように見えたのも一瞬。
イージスを抱いた少年は、既に彼方に消えていた。
成功はした。
しかし未来で、必ず衝突するであろう敵を見た撃退士の夜もまた終わった。
イージスの言った「過ぎた力」とは何か。「私が求めていたもの」とは天魔を伐つ力を指すのか。
結局、判らないままに。