突きつけられたのは、命の選択。
「ッ!・・ラーベクレエ!」
闇夜に滲むような黒煙を纏う、黒髪黒瞳の少年、金鞍 馬頭鬼(
ja2735)。光纏による視力補正もあり、眼鏡も今は外していた。
彼は、境内の薄明かりに透かし見る天魔の一体が、見覚えのある相手である事を悟る。
「おや、何処かでお目に掛かりましたでしょうか?」
おどけた調子でそういう悪魔は、やはり聞き覚えのある声。
その背後、平屋の屋根ほどの中空で、得体の知れない何かに身を凭れさせ浮かぶ、翠の髪をした少女に視線を向ける。
「そっちがお前の主か・・」
彼に一見無邪気そうな微笑を返し、少女は仕える執事へと声を掛ける。
「お前の顔を知っているなんて、いつかのゲームの参加者かしら?」
「さて、どうでしたか。元は幼子だったディアボロを微塵に粉砕した方々の一人やもしれませんが、個人を見分けておりませんでしたから」
握り拳を口元に当て、くつくつと喉を鳴らす執事服の悪魔。一々台詞が白々しい。
「おぉ・・・・」
隣では、何故かパンダの着ぐるみに身を包んだ人物が、歓喜と興奮入り混じった声を上げる。
名を下妻笹緒(
ja0544)。彼もまた以前の依頼で彼のヴァニタスを見知っていたが、今その瞳には、ディアボロも母娘も、ヴァニタスも映ってはいない。
彼の興味は、最奥で微笑を浮かべている、ただ一人の少女へと向けられていた。
己の知識欲を満たす、至高の存在が目の前にいるのである。ゲームなど、もはや瑣末事でしかない。
暗がりから、赤髪に金の瞳を持つ一人が歩み出る。内心に渦巻く怒りの感情を、無理矢理に理性で押さえ込んで、平静を装いながら。
「――なぁ、お前。その後ろの。前に博物館でも遊んだだろ?」
平素と変わらぬ気怠い皮肉な笑みを湛え、浮かぶ少女を指差すのは、雨宮 歩(
ja3810)。
以前の依頼で受けた思念の声と、身に覚えのある霊威に、直感がそう告げる。
「そうねぇ、そんな事もあったかしら?」
頬に手を当てて考える素振りで、答える少女。
「あの時自分が言った事は覚えているか。次にあったら名前を聞くといった事を」
「ふふ、見た目より中身は熱そうね、お兄さん♪ ちゃ〜んと覚えているわ♪」
二人の視線が瞬間、交わる。
「ボクの名前は雨宮だ。雨宮 歩」
「お前の言う正義の味方なんて物は知らないし、興味はない。ボクはボクの為にお前を殺す。その首、いずれ貰うよ」
「クスクス♪ まるで熱烈な求愛みたい。いいわ、覚えておいて上げる、ア・ユ・ム♪」
流動体チェアの上で頬杖をつき、楽しい玩具を見るような目で、悪魔は微笑んだ。
●
強いられた選択肢。撃退士達は与えられた猶予の時間に、互いの意思を確認しあう。
「アタシの選択は『ディアボロを倒してお母さんと子供を助ける』だよ」
長く伸ばした後ろ髪を編みこみ、玉飾りで留めた少女、並木坂・マオがきっぱりと答えた。
たとえ母子を殺してディアボロの父親を救う道を選んだとしても、悪魔が約束を守って魂を戻すかどうかは分からない。だから、目の前の助けられるかもしれない人を確実に助ける為に彼女は選ぶ。
(下級共は俺達を呼ぶ餌だったか)
大太刀を鞘に肩に担ぐのは、一見中学生にも見える赤髪に赤い瞳の大学生、久遠 仁刀(
ja2464)。
小柄で幼い風貌ながら、その肉体は常ならず鍛え続けられた賜物として侮れぬ力を備えていた。
「・・ディアボロを倒し、母子の命を保障させる」
仕方ないとは言わない。無力さゆえに、可能性を切り捨てる。未来にいくら強くなっても、今日の事は取り返せないだろう。
だが・・それでも今は選ばねばならない。
「はーい♪ リリーもディアボロを討って、母娘を生かすだよー」
無邪気に上がる声は鈴蘭(
ja5235)。その手足は全てが義手義足であり、自身の事を『リリー』と呼ぶ少女だ。
滝の如く流れ落ちる金の長髪に青い瞳、青いワンピースで着飾る少女人形のような可愛らしさ。
だが、人を見るに長けた者であれば感じるかもしれない、彼女の純粋無垢さの裏にある歪さを。
どうすれば楽しいか、それだけが彼女の思考の全てだった。
「撃退士も人間勢の不可欠な戦力、軽はずみに失う訳にはいかん。故にルールに則り、未来ある娘と母の命を選ぶのみ」
中性的な色白の美貌に、ハスキーボイスで冷静に咥えタバコで答えるのはシィタ・クイーン(
ja5938)。
紫のきつい目つきに金の髪を背中に流す彼女の身体は、ぱっと見に細身だが鍛えられた重量感があった。
服も男子制服を着用している為、見ようによっては男にも見える位だ。
三人助けられるならベスト。でもそれが出来なくて、一人か二人、どちらかなら――。
「単純に、数多く助けられる方選ぶんにきまってるやろ」
茶髪に赤い瞳の、普段はお調子者な大阪弁の少年、小野友真(
ja6901)。だが、その口調も今は沈んでいる。
全てを救えるほどの強さなんて、今の自分は持ってない。それを知っているから、迷えない。
「成人男性が、女性や子供より足が遅いなんて事は、まずありえない。・・だから」
恐らく、父親は選んだのだろう、自分が犠牲になる事で妻と子を助ける道を、と金鞍は思う。
「ディアボロを倒し、母娘を救出します」
「私も『ディアボロを倒し、母娘を救う』、をチョイスだな」
感情ではなく理屈で、下妻は選ぶ。最も犠牲者の少なくなる道を。
悪魔の非道な行動は、いわば種の特性のような物。肉食動物が草食動物を狩るのと本質は変わらない。
流石に言葉として明言はしなかったが。
「ボクはディアボロを殺し、母子を助ける」
間延びした声で答えながら、雨宮は激情を奥底に沈める。
本能に身を任せれば、全てを失う。そんなのは、ごめんだ。だからやるべき事をやる。
全員の意思を確かめ、シィタが頷き、待つ悪魔達へと向き直る。
「我々は、母子の命を救う方を選ぶ。もうこの場から二人を引き離しても構わないか?」
その言葉に、母親がびくりと背を震わせ、ぎゅうっと幼い娘を抱きしめる。娘は、より大きな嗚咽を上げて泣き喚いた。
「申し訳ありませんが、その要求には応じかねます。そこのお二方も、ゲームの大事な『駒』で御座いますゆえ。
もし勝手をなさるようなら、ルール違反としてどちらもただでは済まぬとお考えくださいませ」
見た目だけは卑屈に、声には軽侮を込めた執事が慇懃に腰を折る。その答えに彼女はタバコのフィルター部を噛み潰した。
撃退士が父を殺す瞬間を、その光景を母娘に見届けさせるのもゲームの内か。
「下種が・・」
残り火を掌で揉み消し、吸殻をポケットに放り込んで睨みつける。
「お褒めに預かり」
喉を鳴らして嗤う悪魔。人から受ける侮蔑は、彼らにとっては賛美歌のような物であった。
●
宣誓を追えれば、後は行動を起こすのみ。
彼らは誰と言わずとも己の役割を定め、一斉に動き出した。
下妻、シィタ、小野は母娘の元へ走り、その身を戦闘の余波から庇う。並木坂、久遠、金鞍、雨宮、鈴蘭はディアボロを滅する為飛び出す。
選んだ以上、それが最善の策だと己に言い聞かせて。
(結局、こうなったわね。順当だとは思うけれど、少しつまらないわ)
(この世界の人間は、概ねこのような物で御座いますよ、お嬢様)
撃退士とディアボロの戦いを眼下眼前にてそれぞれ見つめながら、密かに思念を交し合う主従。
(昔はもっと・・いえ、もういいわ。ふふ、賭けは私の負けね。帰ったらお前に力を与えてあげる、後で部屋にいらっしゃい)
(ありがたき幸せ。仰せのままに)
先陣を切って、見上げるほどに巨体の鬼の前に雨宮と久遠が突出する。先手は雨宮。
「余所見するなよ。お前の相手はボクだ。お前を殺すのはボクだ」
ザシュゥウ!
忍刀の刃が鬼の太股を切り裂き、鮮血を噴出させる。
『ヴルァアアッ』
痛みに怒りの声をあげ振り下ろされる豪腕を半身に反らしてすり抜け、注意を引き付ける。
「こっちもだ!」
ギチィイイ―ッ
横薙ぎに振りぬかれる大太刀を、伸ばした鋭い爪で受け止め、鬼は衝撃に数歩後退する。母娘から距離を引き離すと共に、より悪魔達に近い位置へと。
そのまま鬼の正面に立ち塞がった。
「ああぁッ!」
「おおッ!」
ズッ、ズンッ!!
左に回りこんだ並木坂が左肩を、右に回りこむ金鞍が右肩を、メタルレガースを纏った強烈な空中回し蹴りが叩き込まれ、筋肉が潰れる嫌な音が響く。
『ガッ、アガアァッ』
――ゴッ!
苦し紛れに振り回される拳が、まだ空にあった金鞍を捉え、吹き飛ばして社務所の壁に叩きつ、ぶち抜く。
「金鞍君!」
「ああ、大丈夫だ!」
接触の瞬間、鬼の腕を蹴りつけ自ら後方に飛び、衝撃を和らげていたのだ。
崩れた壁から抜け出て、即座に戦闘を継続した。
「ああ・・あなた・・あなたァ・・・・ッ」
「いやだぁ、はなしてぇ・・!おとうさんっ、おとうさぁんっ!?」
例え姿形がどう変わろうとも、母娘にとってはつい暫く前まで、夫であり父親だった。
目の前で切り裂かれ、打たれ、苦悶する光景を見せ付けられる。目を背けたくとも背けられない。愛する者が、無惨な姿に変わっていくのを、ただ何も出来ぬままに見続けるしかない。
縋りつく母親を、飛び出そうと必死に抗う幼い娘を、シィタは細心の力加減をしつつ、抱え込み、圧し留める。
「辛抱しろ。お前まで死んだら、母をこの先誰が支える」
泣き喚き抗う娘の耳元で囁き、
「お前達の事は我々が守る。お前は娘を守れ」
嗚咽する母の方を掴み、言い聞かせ、その腕の中に二人を抱きしめる。
敵に背を向ける形となる彼女、その背中を守るように小野は立ち、リボルバーを構える。
「ディアボロの代わりに自分ら二人死なすわけにはいかんのやっ、頼むから大人しくしとってっ」
――ボッ!
幼子の泣き声を背に、トリガを引く。弾き出されたアウル篭る弾丸が鬼の胸板を爆ぜさせ、血飛沫を舞わせた。
(自分らだけは、ちゃんと助けさせて欲しいねん・・・、ごめんな)
一射一射が、まるで自分の心を撃ちぬくようだった。
「正義なんて個人の自己満足の塊でしかないんだから、変に期待しちゃダメだよー?」
ズチャッ!
柔らかな物を貫く音。
それは楽しげに、笑みを浮かべながらロングボウより放たれた鋭い一矢が、鬼の左目を深々と貫く。
『ギィアアゥ、グルゥアァッ!?』
視界半分を唐突に失った混乱と、激痛に悶える鬼。残った右目に憎悪を込めて鈴蘭を睨みつけ、頭部の角が雷光を生み出す。
ドドド――ッ!!
『ガハァアッ、アッ』
「言っただろ、お前の相手はボクだって」
鬼の腹部に、オーラで形成された無数の白刃が突き立ち、その行動を中断させた。
「その角、折らせて貰うぞ!」
――バキィッ
構え、そして金鞍の烈蹴が空を裂く。放たれた衝撃波は鬼の頭部を掠めるようにして、角の一本を物の見事に砕き折った。
「いくぞ」
短く、下妻が言い放つ。傍らの空間に輪郭を描くように浮かび上がり、濃縮した魔力が顕現させた2メートルを超える金銅燈篭。
さし伸ばす腕の延長線上にある鬼へ、火袋から撃ち出された火球が襲い掛かり、その上半身を劫火が包み込む。
『グルゥアアッ、アグッ、ヌガァツ?!』
己が身を焼き焦がす炎を掻き消さんと暴れ、絶叫する鬼。それは断末魔の様でもあり、慟哭の様でもあった。
如何にディアボロとしては上位の力を持つとは言え、撃退士複数掛かりでの攻撃である。どれだけ足掻こうと、単体での勝ち目は始めからなかった。
見る者には、ただ嬲り殺されていく光景にも見えたかもしれない。
「くっ・・うぅ、あ、なた・・ぁあ・・・・」
「おと、さ・・おと・・あああん、わああー・・っ」
ドズッッ
「鬼さん、おやすみー♪」
喉元貫く鈴蘭の一矢、膝から崩れ落ちる鬼へと、撃退士達の最後の攻撃が殺到する。
「ホント・・・・無様だなぁ、ボクはぁ」
―ゾブッ――ドッ・・・・
胴体から切り離された首が舞い――地に落ちる。
夫を、父を呼ぶ、身を切り裂くような慟哭と重なって。
●
「お見事でした。これで、皆様はゲームの勝者となられました」
「・・ふぅん」
惨憺たる結末に、場違いに爽やかな笑みで賞賛を送る。だが、まだ終わりではなかった。
キュン―ッ
鬼の骸を目隠しに、月白のオーラが長大な刃を模して執事へと放たれる。狙うは魂を持つ腕。
(せめて彼の魂は、悪魔の虜にはさせん!)
虚を突かれ、咄嗟の反応が遅れた悪魔を捉えたかに見えた。だが――。
「んふふ、惜しいわ・・ほんとに惜しい。上からの視角を考えてなかったのね、お兄さん♪」
あと三センチ――ダアトの魔力障壁にも似た、より遥かに強力な障壁が、久遠の一撃と執事の腕の間を阻んでいた。
「・・お手数をお掛けしました、お嬢様」
「まったくよ。でも、少しは楽しくなったわね♪」
「くっ」
不意打ちが通らなかった久遠は、咄嗟に飛び退いて距離をとる。彼の隣で、並木坂も構えを取った。
「・・止めはしない。けど言っておく。死んだら借りを返す事も、誰かを救う事も出来なくなる。それをちゃんと理解してるか、お前らぁ?」
目端に母娘を庇って避難させる撃退士達の姿を認めたが、ゲームの勝者が景品を持ち帰るだけの事。
「それじゃあ、余興に少し遊びましょう♪」
●
母娘を連れて村へと走る金鞍、雨宮、シィタ、小野。下妻と鈴蘭は境内に残っていた。
「ひとごろしぃ!おとうさんをかえしてっ、かえしてぇぇ!!」
母に抱き止められながら、撃退士達を罵る幼子。雨宮は、何も答えなかった。
(今の俺の力じゃあ、こうするしかなかった・・最善だ。最善で最悪の選択だ・・)
駆けながら、呪詛の様に己に繰り返す金鞍。
「――済まなかった」
ただ一言、シィタは吐き出す。震えるほど拳を握り締めて。
やがて村人を避難させた場所に母娘を送り届ける。
「俺、ヒーロー向いてへんのかなぁ・・」
己の手を見つめ、小野は俯きながら呟いた。
●
境内。そこは一方的な惨状と化す。
強力な悪魔二体に、仕掛けたのは久遠と並木坂の二人のみ。
「ああっ、うあはっ!あ、はぁっ!?」
特攻を仕掛けた並木坂は、逆手に取られラーベクレエの虜となっていた。
毒を打ち込まれ、麻痺した彼女の首筋に喰いつく悪魔がその生血を啜る。
「う、ぐ・・くそ・・」
石畳の上、強力な捕縛結界に閉じ込められた久遠が、血塗れの姿で呻く。
「おぉ・・これが悪魔の術かっ」
「なんか気持ちよさそー♪」
傍観者を決め込んだ下妻と鈴蘭は、興味深げに感想を漏らしていた。
「ふふ、殺しちゃダメよ」
「・・ふぅ。はい、承知しております」
ぐったりとなった獲物を放り転がす執事。翼を羽ばたかせ、空に浮かぶ。
「待て、そこの悪魔よ。消える前に名前を教えて欲しい」
言う下妻に、興味深げな眼差しを向ける。
「そうねぇ・・仲間が弄られているのに、冷静に観察してた貴方達は面白いし。いいわ、教えてあげる♪」
「私はモグプラシアの三女、ディルキス。また遊びましょうね♪」
そう言い残し、悪魔達は転移を行い、この地より消え去っていった。